全69件 (69件中 1-50件目)
お祭りに先生はつきもの?まつりパレードで、当地(新潟3区)選出の黒岩さんをお見かけしました。街中で見かけるポスターに似た人がいると思って近づいたら、ご本人でした。フリマのお仲間と記念撮影です。家族総出でパレード見物です。まつりを楽しまれているようで、とてもいいです。白天狗のスタートを写して戻ってみたら、だいぶお疲れの様子でしたが、・・・。にぎやかな一団がやってくると、この通りご子息とパレードに参加です。今は、立憲民主党です。ポスターやのぼりが目立ちますが、それもそのはずここはメインストリートに面している建物にある黒岩議員の選挙事務所です。南魚沼郡大和町の出身ですが、家も買って新発田に根を下ろしているようです。プロフィールは、こちらですが、東大法学部中退という珍しい経歴です。外交官ならまだしも、4年生を3回 司法試験受験でもなさそうです。一般に法学部の卒業は卒論もなく卒業するのは易しいはずですが。まあ、今となってはどうでもいいことですね。私は3回生で卒業に必要な単位をひとつ残した状態でした。もっといたかったですが、留年すると奨学金や授業料免除がなくなるのでやむなく4年で卒業しました。http://www.t-kuroiwa.jp/profile/index.html https://ja.wikipedia.org/wiki/黒岩宇洋議員のSNSからです。
2019.08.31
コメント(2)
*パレードの先頭は市長です。*白天狗は、11:18からです。新発田まつり パレード (白天狗みこし 他) 2016/08/28新発田総鎮守諏訪神社には、古くから白い天狗の絵が伝わっていました。いつ誰がどのような経緯で神社に奉納したのかまったく分からないその絵は、数年前の火災で焼失してしまいました。白天狗みこしの見どころは、女性担ぎ手の掛け声とともに巨大な白天狗が威風堂々とメインストリートを進む様と、白天狗みこしを降ろし休憩時に踊る「ラッセラ」。パレード開始から1時間余り、待機所から勢いよくスタートです。うまくメインストリートに出ることができました。お囃子も女性?お囃子のトラックは2台でしたが、こちらは男女混合です。沢山の人がお待ちかねです。帰り台輪ほど危険ではないので、お子様も安心です。みんなで持ち上げて、小休止です。まだまだ先は長いのですが、すでにトランス状態です。盛り上がっていますね。撮影しているのは、フジテレビ系列のNSTです。お囃子は、手を休めることなく演奏を続けています。縁の下の力持ちですが、けっこう目立っています。ゴール目指して出発ですが、私はここで終了です。帰宅して、シャワーを浴びてお寿司とビールをいただきました。この日は、銭湯飯豊の湯が無料でしたので、パレード前にサウナとお風呂をいただきました。明日は、メインの帰り台輪です。晴れるといいですが、こちらは雨天決行です。
2019.08.31
コメント(2)
参加団体も様々で、ジャンルにこだわりません。障がいのある方々でしょう。ほのぼのとした雰囲気の踊りでした。なかなかよかったです。お隣り胎内市のゆるキャラですね。今年は、40.7度の暑さを記録したところです。来月は、中条まつりです。おや、機関車トーマスです。どこでしょう?昔は自衛隊というと、土人のかっこうや女装でした。参加団体も少ないせいもあって、ドラック4~5台の大人数でパレードの主役でした。私も、小学生の頃ボーイスカウトの鼓笛隊で参加したことがあります。自衛隊には演奏してもらいたかったです。高校生はともかく、雨で欠席はないでしょう。(雨は降りませんでした。)パプリカを踊っていました。市役所のあたりが中間地点です。トリの白天狗に続きます。
2019.08.30
コメント(2)
このところ天気予報は雨マークです。朝方は大雨や雷注意報が出ています。お祭りなのに、この日も雨でしたが、3時過ぎには小降りになって夕方のパレード開催です。この日のために準備してきた人もほっとしているでしょう。早めに夕食をとって出かけました。自衛官募集中です。6時半開始です。21グループ1300人の予定でしたが、雨がたたったのか自衛隊と中央高校のマーチングバンドが欠席です。鼓笛隊は参加です。武者行列はこちらの一団ですね。ガス屋さんも参加ですね。うちの風呂釜の調子が悪いので、点検をお願いしています。お盆前に依頼したのですが、お祭りが終わるまでは無理なようです。田舎の独占企業は強いです。金魚台輪を模したものが多いです。職能短大?昔の職業訓練所ですね。高専というのもまだあるようです。ちょっとお休みですね。1kmは、お子様にとっては長いですね。ひときわ元気な一団は、介護施設や幼稚園の人たちです。!?セーラームーンですね。ウルトラマンや○○レンジャーに扮してパフォーマンスです。お神輿が続きますが、乗ってはいけませんね。ミニ台輪?パレードは続きます。
2019.08.30
コメント(2)
一生懸命練習中です。本番はどうでしょう。なかなか大人数でした。練習の成果がでましたね。民謡団体連合会の方々で、なかなか年季の入った踊りでした。腰の動きや着物さばきが違います。銀行はメインストリートに店を構えているので全店参加かと思いましたが、本店が山形の銀行は不参加でした。あんこ屋さんですが、しっかり商品名もPRです。こちらは東北電力です。新潟本社がある東京電力は、不参加です。最近は、東京電力の原発安全CMの方が、東北電力の割安料金案内CMの3倍くらいです。ひまわりですが、なんとも暑苦しい柄です。お子様は、踊りよりこちらですね。今度は、新発田音頭です。雨の心配もあって、10分ほど早く切り上げて、8時10分終了です。お疲れさまでした。女性を中心にブログアップしましたが、男性も踊っています。2~3割くらいですね。まあ、杉の木と男の子は育たない土地柄ですから。
2019.08.30
コメント(3)
花火大会に続く夜のイベントです。27団体1000人ほどが、シャッター通りとなったメインストリートを踊ります。北越銀行と合併した第四銀行です。随分長い行列と思ったら、農協さんですね。こちらは信用金庫、年齢層が下がります。漬物屋さんですね。演奏は安兵衛太鼓保存会で、新発田甚句を演奏中です。花火大会では、太鼓をたたいていました。休憩中を取りながら、1時間半ほど踊ります。ゆるキャラも参加です。お諏訪さまに続く道には、お店がずらりです。続きます。
2019.08.29
コメント(2)
1969年のフランス映画です。監督は、フィルム・ノワールのジャン・ピエール・メルビル。ストーリー:フィリップ・ジェルビエ(L・バンチュラ)は、ある日、独軍に逮捕され、キャンプに入れられてしまった。そして数ヵ月後、突然、ゲシュタポ本部へ連行されることになった。だが、一瞬のすきをみて、そこを脱出した彼は、その後、抵抗運動に身を投じることとなった。そうしたある日、彼はマルセイユに行き、フェリックス(P・クローシェ)、ル・ビゾン(C・バルビエ)、ルマスク(C・マン)等と一緒に裏切り者の同志ドゥナ(A・リボール)の処刑に立ちあった。その後に、彼は、ジャン・フランソワ(J・P・カッセル)に会った。ジャンの仕事は、名高いパリの女闘士マチルド(S・シニョレ)に、通信機をとどけることだった。彼はそのついでに、学者である兄のリュック・ジャルディ(F・ムーリッス)を訪ねたが、芸術家肌の兄を心よくは思わなかった。一方、新任務のためリヨンに潜入したジェルビエのところへやって来たのは、意外にもジャンの兄のジャルディだった。やがて無事、その任務を果したジェルビエのところへフェリックス逮捕さる、の報が伝えられた。さっそく、救出作戦を展開したが、ジャンの犠牲も空しく、失敗に終ってしまった。ジェルビエが再び逮捕されたのは、それから間もなくであった。独軍の残虐な処刑に、もはや最後と思っていた彼を救ったのは、知略にすぐれたマチルドであった。それからしばらくたった頃、隠れ家で休養をとっていたジェルビエを、ジャルディが訪ねて来た。彼の来訪の目的はマチルドの逮捕されたことを告げるためと、口を割りそうな彼女を、射殺するということだった。現在、仮出所中の彼女も、それを望んでいる、と彼は伝えた。ある日、エトワール広場を一人歩く彼女に、弾丸をあびせたのは、彼女を尊敬するジャルディ、ジェルビエ、ル・ビゾン、ルマスク等仲間たちだった。しかし、遅かれ早かれ、彼等の上にも、同じような運命が待ち受けているのだった。(KINENOTE)任務のために命を捧げ、裏切り者は容赦なく処刑するレジスタンス活動。ナチスに対抗するために、非情さを極める組織を重い緊張感で描く傑作です。拷問シーンはなくとも、それを示唆するシーンは多弁です。自身もレジスタンスに加わったメルビル監督の鎮魂歌でしょう。観終わったあと、重いものがずっしりと残る傑作です。冒頭の「嫌な時代の記憶ばかりだ。しかし思い返せば、それが私の懐かしい青春なのだ」と作家ジョルジュ・クールトリーヌの言葉を、かみしめたいです。バンチェラとシニョレ、そしてムーリスが、フランス映画を観たという満足感を与えてくれます。Army of Shadows (1969) - Mathilde's Assassinationhttps://www.youtube.com/watch?v=I6-e-8AA9ZM L'armée des ombres - Ventura, Meurissehttps://www.youtube.com/watch?v=YoXneSLjW9E 公開時見ることができなかった作品です。50年たっても色あせることのない作品です。
2019.08.29
コメント(0)
お諏訪さま(諏訪神社)のお神輿が、街中を回っていました。ふれ太鼓が先導します。中高年のみなさん、暑い中お疲れ様です。そのあと、お神輿行列がやって来ました。おや、これは何?今年掛け蔵で倉庫から台輪が見つかったので、新しい試みでしょうか。往時は、夕方芸妓さんが乗って町内を練り歩いたそうです。巫女さんの格好をした女の子、凛々しいお顔でなかなか決まっています。正座は大丈夫?京都葵祭の斎王代は女子大生ですが、こちらは小学生?です。町内会の役員さんですね。坊主の檀家まわりよろしく、あちこちでお祓いです。足元がなんともです。お神輿に、お酒が供えられておしまいです。神様の出張サービスです。
2019.08.28
コメント(2)
(日曜に想う)赤裸々な「私」のディストピア 編集委員・福島申二 2019年8月25日 朝日新聞 暑い夏、いっそ透明人間にでもなったら涼しそうだと空想してみるが、なったらなったで結構大変らしい。なにしろ、手に持つものは宙に浮いて見えるから周囲は大騒ぎになる。雑踏では自分が必死でよけないと人にぶつかられる。アメリカの傑作小説「透明人間の告白」にもろもろの苦労は詳しい。さらに、飲み食いしたものは腹の中で全部透けて見えてしまう――。その、いささかグロテスクなシーンが、いつからか私の脳裏で、電子ツール時代の個人情報への不安と重なり合っている。もう旧聞に属するが、今年1月にポイントカード運営会社が会員の個人情報を捜査機関に渡して問題になった。あらためて思ったのは、個々の生活履歴や嗜好(しこう)といったごく私的な情報の、電脳空間におけるおびただしい集積だ。「私」についての膨大なデータが透明人間の胃の腑(ふ)さながらに丸見えにされて、誰かに覗(のぞ)かれているかもしれないと思えば、薄気味の悪さに背筋がざわつく。「私よりも私のことを知っている」といえば人と人の親密さの表現だが、昨今は違う。たとえばネットで書籍を買おうとすると、いくつかの本を先方が薦めてくる。購買、閲覧の履歴が蓄積されたためだろう、「オススメ」はこちらの興味を見抜いて精度を上げてきている。相手は私を、かなり知っている。パソコン画面の向こうに「目」を感じるときだ。 *「君が深淵(しんえん)をのぞきこむとき、深淵もまた君を見ている」と19世紀ドイツの哲学者ニーチェは言ったそうだ。その言葉から発想して「あなたがスマホを見ているとき スマホもあなたを見ている」(プレジデント社)というタイトルのエッセー集を出したのは芥川賞作家の藤原智美さんである。ネットはあなたのことを何もかも知っている。見られているのはあなたの方ですよ、と。その「見られている」ことを思い知らされるニュースが、先日流れた。就職情報サイトの大手運営会社が、学生の閲覧履歴などを人工知能(AI)で分析し、採用内定を辞退する確率を予測して企業に売っていた。買い手となった各企業に対し、その企業を志望した学生個々の辞退確率を提供していたというから、不信を呼ぶのはもっともだ。400万~500万円で、38社が買っていたという。モラルを問われるビジネスだが、個人情報による錬金術という時代の潮流の、ほんの一角なのだろう。莫大(ばくだい)なカネを生む個人情報は、いまや宝の山とも夢の資源ともいわれている。「いいね!」をクリックし、さまざまなアプリを使い、検索し、閲覧し、買い物もする。こうやって私たちは日々せっせと個人情報を献上している。欲望、悩み、好悪、位置情報……あらゆるデータが集められ、分析されて、無意識の部分まで赤裸々な、私も知らない「私」が電脳空間に立ち現れる。怖い話である。 *藤原さんに聞いてみた。「便利さや享楽の裏からしっかり監視されていることに、用心深くなるべきです。何億人という個人情報を持つ者が巧妙にそれを使い、あるいは操作して、人間や世界を支配する時代が来ないとも限らない。危ういと思っています」近未来のディストピアを、ふと想像してしまう。そこは、独裁的な支配者はいないのに、それと分からぬようにすべてが支配されている世界である。人々は方向づけられた思考や行動を、自分の意思で行っているかのように錯覚して、楽しそうに暮らしている――。その図はすでに、この地上に在るのかも知れない。「GAFA(ガーファ)」とは米国のグーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルの頭文字を並べたものだ。それらによる膨大な個人情報収集がいま、しきりに懸念されている。使われ方次第では世界にあらぬ作用を及ぼしかねないからだ。さまざまな懸念から、欧米ではソーシャルメディアやネット検索から距離を置こうとする人が増えているという。それは想像される近未来への生身の人間の異議申し立てにも思われる。はかない抵抗だろうか。重い警鐘だと、私は思うが。なかなか興味深い、そしてちょっとこわい記事でした。スマホも使わず、グーグルも使わない身であっても、やはり気になりますね。楽天ブログも、そのうちあなたにおすすめのブログなんてのが、表示されるようになるかもしれませんね。ところで、リクナビから辞退率予測を買った企業の活用結果はどうだったのでしょう。是非、公表してほしいですね。私が学生の頃は、第一勧銀が〇大生を12人内定し、就職したのがひとりで採用担当者が責任を取らされたという話が、流布されていました。まあ、みんな5~6社内定をもらって、悩みながら選ぶので仕方ないですね。私も、ごちそうになった住友信託銀行をお断りしました。(参考)就職情報サイト「リクナビ」を運営するリクルートキャリアが就活生の内定辞退率予測データを購入した企業は、38社です。判明分:他に、富士ソフト、アイシン・エィ・ダブリュ、コロワイド、大同特殊鋼、住友電装、デンソーテクノなども。
2019.08.28
コメント(2)
各町内ごとに、子供たちが金魚台輪をひいて街中を回ります。神主さんにお祓いをしてもらって出発です。子供たちが描いたのでしょう。なかなかの力作です。うちの子も東京から帰省した時、参加させてもらいました。法被姿がかわいかったです。遠いむかしのことですね。
2019.08.27
コメント(2)
(考・ヒト×テクノロジー←→ミライ:3) ひっぱられる、直感までも 2019年8月23日 朝日新聞 高級ブランドバッグのレンタルサービスが人気だ。約3万個から好きなバッグが借り放題。ただ、シャネルばかりを借りていると、グッチはお勧めされなくなる。本当はシャネルもグッチも好きなのに。AI(人工知能)が勧める情報があふれるいま、かえって選択の機会が狭まったように感じるのはなぜか。ヒトの直感はどうなるのか。エルメスやルイ・ヴィトンなどのバッグを月額制で借りられるサービス「ラクサス」では、約2万人の有料会員らの好みを複数のAIで分析し、「バレンシアガやミュウミュウが好きな人はプラダも好き」など、独自の法則を見いだして作ったアルゴリズム(手順)で会員に勧める。運営するラクサス・テクノロジーズの児玉昇司社長は「実際に法則通りに借りるユーザーは多い。選ぶのがしんどくなってきたのだと思う」。一方で現在主流のAIは、選択肢を狭めるものだと危機感も抱く。様々な仮説を立てて潜在的なニーズをすくい、「あなたが借りなさそうなバッグだけど、似合うはずだから借りてみて」といった、本人も気がついていない好みを導き出す「選択肢を広げてくれるAI」が増えたらいい。「そうすれば、“好き”は作れると思う」現代人は、GAFA(グーグルやアップルなどの総称)などの巨大IT企業が提供するお勧め機能やパーソナライズ(個人仕様)化と、無縁ではいられない。検索履歴が蓄積された結果、偏った情報しか表示されなくなる現象は「フィルターバブル」と言われ、視野が狭まる危険性も指摘されている。直感的に選んだつもりでも、“自分の好み”を学習したAIが導き出した選択肢から選んでいるにすぎない。果たして、私たちが信じる直感は、自分のものといえるのか。自由意思は存在するのだろうか。記者は自身の政治的志向を材料に、ツイッター上で実験をしてみた。与党と野党の各関係者や団体の約100アカウントをフォローする。その後、お勧めされたり、リツイートされたりしたアカウントのうち、自分の好みに反したものをより重点的にフォローしていくと、次第に、自分の考えとは異なる政治家のツイートにも親しみを感じるように……。広げたはずの世界が、知らず知らずのうちに狭まり、偏っていく自分にはっとした。仮に自分の意図しないところで操作されていたらどうだろう。政治観は簡単に変えられたかもしれない。ビッグデータ分析を行うホットリンクの榊剛史・開発本部R&D部部長に尋ねると、「まさにエコーチェンバーですね」と指摘された。「エコーチェンバー(反響室)」とは、SNS上で価値観の似た者同士が交流し、共感し合うことで特定の意見や思想が増幅されて影響力をもつ現象だ。「接している情報が多いと、好き嫌いに関係なく親しみがわくようになる。中庸のつもりでも、どちらかにひっぱられるのが人間で、自分をコントロールするのは難しいのです」確固たる信念がなければ、いとも簡単に動かされてしまう。だからこそ必要なのは「自分の好み以外の様々な意見に接触すること」だ。「政治であれば左派も右派も両方フォローするなど、両論を意識するといい」著名人や研究者のツイートを読む際には、「専門家が自身の専門について言っていれば間違いない。専門外のことを言った途端にぶれることが多いので、信用しないようにする」。グーグルなどの検索エンジンでは、ログアウトするか、パーソナライズ機能をオフにする。一度リセットしなければ、個人の偏りがない検索結果にたどり着けない時代に私たちは生きている。 ■経験の重み、AIが変える?AIが揺さぶるヒトの直感。そんなにもろいものなのか。「直感は経験によって変わるもの」と話すのは、心の哲学を研究する信原幸弘・東大大学院教授だ。現代は、経験を積むことの重要性が見失われていると警鐘を鳴らす。「経験とは失敗を繰り返すこと。今はすぐにスマホで調べたりマニュアルに頼ったり。AIに依存している」。本来は、直感を磨いて良い思考をすることが大事なのに、ないがしろにされていると。「AIに頼って直感を与えてもらい、自分の直感とずれていてもAIが言うのだから正しいという判断になる。それを繰り返せば、自分の直感は変わり、次第にAIと自分の直感が合致していく」それでも信原さんは「揺さぶられることがあっても、直感が完全にAIによって作られることはない」と言い切る。最大の理由は身体性にある。「根本的な違いは情動的な存在か機械的な存在か」。情動は直感の核心部分で、脳と身体とが双方向的かつ瞬時に循環することで起きる。情動的なヒトの生は、経験と身体性の結びつきによって紡がれた物語の連なりだ。「自分の物語をよりよいものに仕上げるために生きているのが人間。情動をもたないAIはその物語を理解することはできないのです」ただ今後、文章読解力を備えたAIが生まれたり、AIに頼って“経験しない”のが当たり前の世代が多数を占める時代はどうなるのか。「情動を使わず、全部AIに従う生き方もできるようになるかもしれない。操られるのではなく、“人機一体”となってよりよい物語を紡いでいくのが、AI時代をいかに生きるべきかという方向性では」と信原さん。AIを信じられるか。いや、信じられるかどうか考える隙もないほどまるでサイボーグのように一体化すれば、人間にとってありがたい存在と言えるのだろうか。(松沢奈々子)いまや生活に不可欠なネットですが、ネットのおすすめは要注意ですね。「フィルターバブル」になっていないか、「エコーチェンバー(反響室)」に陥っていないか意識しています。新聞は、日経、毎日、読売、ローカル紙(田舎なので東京はありません。サンケイは論外でしょう。ローカル紙は共同電が多いです。)に目を通していますが、やはり読み甲斐のあるのは朝日です。最近は、新聞を取っていない家庭も多く情報はスマホでというのも多いようです。ネットのおすすめに立ち止まることも必要でしょう。朝日のこの(考・ヒト×テクノロジー←→ミライ)のシリーズは、興味深いです。余談ながら、少しではありますがネット右翼のブログも目を通しています。差別語や汚染語であふれたものやら、差別感まる出しのものがほとんどです。韓国に戦前の投資分を返せとか、売春は合法化の傾向とか(このご仁はあわれなことに、買春という視点はないようです。)独自の歴史観にあきれます。ネット動画を見て染まってしまったようです。それにしても右翼と言いながら、天皇制を賛美するものは少ないですね。前の天皇も今の天皇も靖国を毛嫌いしていることが、原因でしょうか。ネット右翼はごく少数で、大半がネット排外主義者との指摘もあります。
2019.08.26
コメント(0)
昨年の花火大会のビデオです。本来はこの位置で見るつもりでしたが、白壁兵舎の裏手の居心地の良さに最後まで見てしまいました。特等席は公園の中心部のテントが張ってある市長席の辺りなのでしょう。ただ木々が邪魔して低い位置の花火は見えにくいですね。打ち上げているところまでは見えません。音も楽しませてもらいました。花火というよりは、爆発しているみたいでした。最後は、スターマイン花火の三連発でお開きです。約1時間ほどでしたが、ちょうどよかったです。太鼓とあわせて2時間ですね。新発田市歌が流れる会場を、みんな満足そうに家路についていました。参加者はどのくらいでしょうか。1万人くらい?離れたところで見た人も入れればその倍くらい?警備員さんに聞きましたが、不明だそうです。当地出身のたかたかしさん作詞の歌です。新発田市歌 虹の橋をわたって(芹洋子) https://www.youtube.com/watch?v=MkqAiojxxpA 新発田市・郷土紹介映像 https://www.youtube.com/watch?v=k8gKFve9Ei4 ビデオの最後に制作者名が表示されて、びっくりです。こんなのもあります。170207 ミスムーンライト完成報告 新発田市役所訪問 TENYhttps://www.youtube.com/watch?v=KzGl7YyZ9oI 新発田市観光PRムービーhttps://www.youtube.com/watch?v=eNmp-oMZ5cs
2019.08.26
コメント(2)
太鼓の後は花火大会です。昔は駅裏で打ち上げていたものですが、今は住宅街になってしまいました。かわりに自衛隊の駐屯地から打ち上げです。白壁兵舎がライトアップしているというので見に行きました。もっと明るいのですが、写真では怪しい感じですね。奥で手招きしている人がいます。行ったら、兵舎の裏側に椅子が並べられて、花火の鑑賞スペースになっています。ほとんど人はいません。もしかして穴場?打ち上げ場所に近く障害物もないので、ここで見ることにしました。定刻の7時半打ち上げ開始です。お城と比較すると相当高く上がっています。単発物は、撮りづらいです。そよ風が心地よいです。煙を浴びることもありません。更にもう一段、破裂します。続きます。
2019.08.26
コメント(2)
朝日新聞 8月24日の書評欄です。買春する帝国 日本軍「慰安婦」問題の基底 [著]吉見義明慰安婦のことを知らない若い人が増えている。中学の歴史教科書から慰安婦の記述がほぼ消えたためだ。歴史修正主義的な言説があふれる今、年長者の認識も怪しい。あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」の件も歴史認識の問題と当然関係しよう。本書はそんな心許(こころもと)ない状態のこの国で、私たちが知っておくべき日本の性買売の実態を、最新の研究成果もふまえて広く深く解き明かした労作である。対象は幕末から売春防止法の施行(1958年)まで。議論するならこのくらいは押さえておこうよ、という最低限のラインである。国際社会へのデビューに際し、1872年、明治政府は人身取引を禁止する芸娼妓(しょうぎ)解放令を出す。だがそれは近代の公娼制のはじまりにすぎなかった。注目すべきは軍と遊廓の強い結びつきである。「軍隊に遊廓はつきもの」が当時の通念。遊廓の発展は、全国各地に陸海軍の部隊が置かれたことと切り離せず、日清日露戦争以降はそれが大陸にも拡大する。もうひとつ注目すべきは「娼妓制度は事実上の奴隷制」という認識が早い時期から広がっていたことだろう。娼妓は前借金で縛られて「外出の自由」も「居住の自由」も「遊客を選択ないし拒否する自由」もなく「廃業の自由」もないに等しかった。これを問題視する人は多く1929年には「公娼制度廃止に関する法律案」が衆院に上程されている。しかし日本政府は奴隷制禁止条約さえ批准せず、性買売における事実上の奴隷制も廃止しなかった。そして満州事変以降、〈日本軍や日本政府は、軍慰安婦制度という新しい性買売のシステムを自らつくり、運営して〉、国内外の女性を戦地に動員するのである。買春(かいしゅん)を必要と考えた政府・軍・政治家・業者らがつくり上げた「買春する帝国」。背景には男性の買春を容認する強い意識があるのではないか。歴史の闇は想像以上に深いのである。 ◇ よしみ・よしあき 1946年生まれ。中央大名誉教授。専門は日本近現代史。著書に『従軍慰安婦』など。 表現の不自由展その後中止と相まってタイムリーな本となりました。「軍隊に遊廓はつきもの」当地も戦前は陸軍の駐屯地があり、今は自衛隊です。街を散策してもそれらしいところはありませんが、往時は「月に宜し、雪に宜し、女には殊に宜し」と言う意味の三宜町遊郭というのがあったようです。妓楼十九軒、娼妓九十余人。敗戦後、売春防止法施行まで貸座敷二十軒、娼妓百五十人。町名変更で、今は御幸町となっています。幸が薄かった女性のことを思うと、意味深な町名です。詳しい歴史は、郷土史の記事を紹介しているこちらのブログが読ませてくれます。 http://carlossato.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/34-b7e0.html 娼妓制度は事実上の奴隷制というという指摘も、もっともです。それが軍が運営することによって、名実ともに奴隷制になったことは不幸なことでありまた恥ずべきことです。ネット右翼は公文書がないと言い張って否定しますが、当事者の証言で十分でしょう。戦犯裁判でも認定済です。直近では、ISの性奴隷ですが、ネット右翼は公文書がないのでそんなことはないと否定する気でしょうか。トランプ大統領よりも名乗り出た元慰安婦の方々こそ、ノーベル賞にふさわしいでしょう。安倍首相は、愚かにも推薦する相手を間違いました。(参考)終戦記記念日にあらためて言いたい!「慰安婦はデマ」こそデマだ! 日本軍関与、強制連行…歴史修正主義者たちはこの証拠を見よhttps://lite-ra.com/2019/08/post-4903.html
2019.08.26
コメント(0)
日が暮れて、徐々に人が集まり始めます。四番手は米倉太鼓です。20年ほど前から地域の青少年育成のために始めたそうです。30名近くの大所帯です。お城が炎上?太鼓でヒートアップですね。若さ爆発です。たたき手が交代です。10年以上のベテランでしょうか。再度若者に交代して、都合4曲演奏です。トリは、安兵衛太鼓です。5グループのセンターで演奏です。「荒海」でしめて、最後は、参加全グループの合同演奏です。約1時間、屋外での演奏を楽しませてもらいました。地元のいくつかの小学校でも太鼓たたきがなされているようで、そんな学校のPTAのHPからです。ちなみに堀部安兵衛武庸って? 新発田の外ヶ輪のあたり出身で、東京にでて「高田馬場の決闘(Wikipedia)」で剣豪として名を上げ、赤穂藩(兵庫県赤穂市:岡山県との県境のまち)の江戸屋敷にスカウトされたひと。 忠臣蔵ってお話、ご存知ですよね。あれの実話の部分で中心的な役割を果たしたということでも有名です。ホントのところは冷静沈着でお酒も飲まなかったそうですね。当時の新発田藩主のいとこにあたる溝口摂津守宣就(早稲田大学リポジトリ)が幕府の大目付で、安兵衛の姉の夫も宣就に仕えていたということが分かり、幕閣と安兵衛が面識があり幕府の後ろ盾があった可能性が強い…と新潟大学の冨澤名誉教授がいってました。真偽のほどは分かりませんが、分かっていないこともたくさんあります。興味があったら調べてみてくださいね。そんな、地元の英雄をたたえる安兵衛太鼓。 6年生のみんなは全部で3曲披露するとか。花火大会に続きます。
2019.08.25
コメント(2)
お盆が過ぎたら涼しくなりました。日中は30度ですが朝晩は涼しく、雨で建物からの放射熱も和らぎ室温も26度前後です。今年は台風によるフェーン現象で40度近くになったので、ずいぶん涼しく感じます。ただし、雨はありがたいですが、雷雨は困ります。そんな中、当地はお祭りのシーズンです。朝方の雨も上がって、予定通りオープニングイベントの花火大会が行われました。昨年は引っ越しで忙しく音を聞くだけでした。花火の前に和太鼓の演奏があるので、早めに夕食を済ませて会場に向かいました。午後6時過ぎですが、まだ明るいですね。4時ごろ様子見に行ったら、場所取りのシートがちらほらありました。太鼓の一番手は、黒駒太鼓です。食品工業団地のグループらしく、漬物樽が見えます。二番手は、NPO法人手をつなぐ育成会の太鼓倶楽部「絆」の皆さんです。障がい者のグループなのでしょう。ダウン症の方も見えます。正面に陣取る家族の前で、しっかりと演奏を披露していました。市民からも大きな拍手です。三番手は、上館太鼓です。V字型の陣形で、手慣れた感じの演奏です。年齢層も高めで、熟練の腕前を披露していただきました。上館太鼓https://www.youtube.com/watch?v=jfoBQS0TyQY 続きます。
2019.08.25
コメント(2)
大岡昇平の小説は1951年、市川崑監督の映画化は1959年、塚本監督のこの作品は2015年です。第2次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島。日本軍の敗戦が色濃くなった中、田村一等兵(塚本晋也)は結核を患い、部隊を追い出されて野戦病院行きを余儀なくされる。だが負傷兵だらけで食料も困窮、少ない食料しか持ち合わせていない田村は早々に追い出され、再び戻った部隊からも入隊を拒否される。行き場を失い、果てしない原野を一人彷徨う田村。空腹と孤独、そして容赦なく照りつける太陽の熱さと戦いながら彼が目撃したものは、想像を絶する地獄絵図であった……。(KINENOTE)南方戦線の戦死の大半は、病死や餓死と言われていますが、まさにそれを見せてくれる映画です。スポンサーがつかなかったので低予算の映画ですが、構想20年の執念でしょうか描くべきところはしっかりとしつこいくらい描かれていました。戦後すぐ作られた映画と違って、ほとんどが戦場を知らない世代です。それを念頭に、カラーでリアルさを出したそうです。人肉食の場面もあって、相当グロテスクです。でも一番衝撃的なのは、帰国して普通の生活に戻った時の食事のシーンです。戦争は殺し合い、生き残っても心に深い傷を残します。毎年8月に公開したりテレビ放映すべき作品です。市川監督の作品です。Fires on the Plain (1959)https://www.youtube.com/watch?v=I0wv79C0zqc
2019.08.25
コメント(2)
先日のLGBTの映画と講演会のプログラムの一部です。障がい者、在日朝鮮韓国人、部落が、三大差別なのでしょう。当地も城下町なので、被差別部落が存在しました。在日朝鮮韓国人の方々は住んでいますが、集団でまとまって住む「むら」のようなものはありません。もちろん、都会で見られるようなヘイトスピーチやデモはありません。目立った差別はありませんが、行政は差別を予防するためにセミナーや映画、講演会をたびたび開催して積極的に活動しているように見えます。先日も教員を対象にした同和問題のセミナーが開催されていました。関西の同和や解同全盛時代を知らない教員には、どう受け止められているか気になりました。病気と同じで予防は大切ですね。従来の差別に比べて顕在化しているのはいじめですね。当地でも中学生のいじめ自殺事件がありました。都会と違って学校の選択肢もないし、それ以外のフリースクールのようなものも見あたりません。市民が見守るのが一番ですが、暴力や恐喝は、警察の力を借りることもやむをないでしょう。沢山の教員が参加したそうです。テレビで活躍の弁護士ですが、いまもトラウマを抱えているそうです。楽しい夏休みが終われば新学期です。自殺の増える時期なので、朝日新聞がキャンペーンを行っています。ナショナリズムを煽るよりも、はるかに大切ですね。新聞だって、いじめ自殺の記事を報道したくないでしょう。ナショナリズムを煽り民族差別を助長するのが、ネット右翼です。「衛星レーザーか何かで撃ちたくなるな。」は、あるブログでのネット右翼の書き込みです。やっぱり、ガソリンをまくなんていう輩と同根なのでしょう。私がブログ主なら、差別語をわめく連中とこの手の輩は退場です。死ね死ねコメントと平気で差別語を書き込むのふぁみり~某も、当然退場願っています。それでもこんな書き込みですから、救いようがないですね。粘着質で現実と妄想の区別がつかなくなった妄想世界の住人って怖いですからね~~ いやね家も近いのですよ・・・・ 新発田から三条なんて来ようと思えばいつでも来れますからね~~ 「クソ!!、馬鹿にしやがって!!、死ね」とか言って無差別テロとかしそうですからね~~ 怖い怖い・・・・ (2019年08月21日 20時24分44秒)投稿時間に注目です。普通なら家族と食事中か団らんの時間ですが、そんなひと時もないようです。こんなのもありました。>ギャハハハハハハハ・・・・ やっぱり書いてきたよ~~~馬鹿で~~~.。 >さあちゃんと止めれるかな~~ 「待て!!」・・・「お座り!!」・・・ はい「おあずけ~~~」 ワンワンワオ~~ン・・・ おっと犬に失礼だね・・・、犬はあなたみたいな下衆じゃないものね、 まあちゃんと終れるかもしれないしサヨナラ言っておくね、じゃね、「下衆じじい」 >ギャハハハハ・・・ 自分で書いた文章が読めないのは老眼かい? それとも書いた瞬間忘れる痴呆症でしょうか?、 専門医に見てもらった方が良いんじゃないですか? >ギャハハハハハハハ・・・・ やっぱり書いてきたよ~~~馬鹿で~~~ >で?、論拠に沿った反論はやっぱりできないですね、 だってアホな下衆じじいですものね、 さて今度こそ終れるかな~~ 「待てだよ待て!!」ほら「お手!!」 はい「おあずけ~~」 >引用と言ったか転載と言ったかなど問題でないと何度言ったら分かるのでしょうねこの馬鹿は・・・ふぁみり~某が出張に行った際に泊まった温泉旅館をブログアップすることも、会社が容認しているそうですから、不思議な世界のようです。ラーメンの方は、さすがに自腹でしょう。それにしても、彼の標的になったRさんは書き込まなくなりました。度重なる中傷に、嫌気がさしたのでしょう。
2019.08.24
コメント(2)
スーパーで見つけたので、買いました。3個で140円私しか食べないので、三個売りは助かります。こどもの頃庭に木があって、おやつに食べたことを思い出します。生食やコンポートにしていただきました。つぶつぶした食感とほどよい甘みです。PS:縦と横に包丁を入れて、八つにしていただきました。
2019.08.23
コメント(8)
歴史修正主義者の煽りと脅しで中止になった表現の不自由展ですが、それに呼応するかのようにネット右翼がデマの垂れ流しです。そんな彼等でも、戦犯裁判にもなったオランダの従軍慰安婦については、否定できないようです。もっとも、中にはそんなことはお構いなしの万年いちゃもん連中もいますが。8月22日の朝日新聞です。毎日、読売、日経、ローカル紙はスルーでした。時事が配信しています。ジャン・オハーンさん死去=豪在住の元慰安婦時事通信 8-21 ジャン・オハーンさん(元オランダ人慰安婦)南オーストラリア州政府などによると、19日に家族に見守られ、豪南部アデレードで死去した。96歳。 第2次大戦中に当時のオランダ領東インド(現インドネシア)を占領した旧日本軍に捕まり、慰安婦にされた。戦後に豪州に移住。朝鮮戦争でレイプ被害に遭った女性が裁判に訴える姿をテレビで見たことをきっかけに、1992年に自らの体験を公表し、94年に回想録を出版した。2007年には慰安婦問題に関する米下院の公聴会で証言し、日本政府に謝罪を求める非難決議の採択につながった。 南オーストラリア州のチャップマン副首相は声明で「オハーンさんの話を決して忘れてはいけない」と強調した。 韓国紙は、もう少し詳しいですね。第2次世界大戦当時、インドネシアを占領した日本軍に拉致され、日本軍慰安婦の被害者になったヤン・ルーフ・オヘルンが96歳で永眠した。 オーストラリア現地のメディアと「シドニー平和の少女像実践推進委員会(シソチュ)」は、慰安婦の苦痛に満ちた人生を世界各国に証言し、国際平和賞を受賞したオランダ系オーストラリア人オヘルンが死亡したと20日(現地時間)報道した。 修道女になるため、オランダ領東インドの修道女会で生活していたところ、オヘルンは1944年にインドネシアのスマラン市に設置した日本軍慰安所に拉致され、3ヵ月間、強制収容された。 英国軍将校と結婚してオーストラリアで暮らし、50年間沈黙を守ってきた彼女は、1991年、韓国の金学順ハルモニが最初に慰安婦被害事実を公開証言したことに勇気を得て翌年、豪州マスコミに自分の被害事実を発表した。 1992年12月には、東京で開かれた戦後補償国際公聴会に参加して、元従軍慰安婦の被害を証言した。 2000年には、日本軍性奴隷戦犯女性国際法廷に出席し、証言を行ったりもした。 2007年には米国の聴聞会で出席し、日本軍慰安婦問題の真実を米国や欧州などに知らせた。 韓国のチャン・ジョムドル、キル・ウォンオクさんらと一緒に、オーストラリアのメルボルン、シドニーなどで地道に慰安婦の人権活動をした。 オーストラリア検察当局は「世界に自分の苦痛を言いながら沈黙を破ったオヘルンの非常の勇気を尊敬してきた」と献辞を捧げた。 続いて「オヘルンの生存期はそれ自体で、彼女の力と勇気に対する立証だ。ここに豪州だけでなく全世界が彼女を懐かしむだろう」と述べた。 オヘルンの自叙伝「50年の沈黙(Fifty Years of Silence)」は6の言語に翻訳され、世の中に慰安婦の惨状を公開した。 オヘルンの孫娘のルビチャレンジャー監督はオヘルンの一生を扱ったドキュメンタリーを「デイリー・ブレッド(2018)」作って数多くの国際映画祭で注目を受けた。慰安婦にされた女性たち-オランダhttp://www.awf.or.jp/1/netherlands.html 戦後、収容所のオランダ人を強制的に慰安所に連行していった日本軍将校たちはBC級戦犯裁判で裁かれました。1948年2月14日バタビヤ臨時軍法会議はスマラン慰安婦事件の被告13人のうち、岡田陸軍少佐に対して死刑、11人に最高20年、最低2年の禁固刑を言い渡しました。ムンティランの事例は検察側が訴追しようとしましたが、成功せず、不問に付されました。 オランダ政府は1993年に「日本占領下オランダ領東インドにおけるオランダ人女性に対する強制売春に関するオランダ政府所蔵文書調査報告」を出しています。 それによると、日本軍の慰安所で働いていたオランダ人女性は200人から300人に上るが、うち65人は売春を強制されたことは「絶対確実である」とのことです。こちらは、生前の報道です。朝鮮日報 2014年03月14日11時07分 元慰安婦が存在するのは韓国や中国などの東アジアだけではない。11日、オーストラリア南部のアデレードで会った ジャン・ラフ・オハーン(Jan Ruff O’Herne)さん(91)も日本の蛮行の犠牲になった。オランダ系オーストラリア人のオハーンさんは慰安婦だったと正式に名乗り出た唯一の白人元慰安 婦生存者だ。オハーンさんは90歳を過ぎて気力がかなり衰えている。片目は失明状態だ。しかし同日、慰安婦像の設置を主導する「在オーストラリア韓人会」の人々に自ら恐怖の体験を打ち明けた時だけははっきりした口調だった。 オランダ領東インド(現インドネシア)に暮らしていたオハーンさんの子どものころの夢は修道女になることだった。オハーンさんが修道女会で生活していた 1942年、日本がインドネシアを侵略し、全てのオランダ人を収容所に収容した。「44年の初めだった。17歳以上の若い女性たちは引っ張り出され、整列 させられた。すると、上から下までじろじろ見られた」。オランダ人女性約250人がトラックに乗せられ、連行されたのは日本軍の慰安所だった。 慰安所に着くと、オハーンさんは日本軍将校に日本刀で脅されながら無残にも強〇された。毎日昼も夜もおぞましい行為が繰り返された。性病検査 をしに来た日本人医師に「私たちは強制的に連行されてきた。上部に知らせてほしい」と哀願したが、その医師にも強〇された。 そう言うと、オハーンさんはしばらく言葉を詰まらせた。そして「慰安婦(comfort woman)という表現は日本の強制性を和らげる表現だ。私たちは日本軍の性奴隷(sexual slave)だった」と言った。 日本軍は女性たちを収容所に送り、慰安所で経験したことを口外したら死ぬだろうと脅迫した。戦後はイギリス人兵士と結婚、60年にオーストラリアに移住した。恥ずかしさのあまり、当時の記憶を完全に封印していた。 だが、50年余りがたった92年、オハーンさんはオーストラリアの放送局のニュースで韓国人元慰安婦たちの叫びを聞いた。「何も答えない日本大使館の前で 堂々と謝罪を要求する韓国人元慰安婦たちを見て勇気をもらった。同じ歴史が繰り返されないよう立ち上がらなければならないと決心した」 白人慰安婦が存在したという事実は、西欧社会に大きな衝撃を与えた。この証言を基に94年、映画『50年の沈黙』が制作された。オハーンさんは2007年、米下院の慰安婦公聴会で証言した。 オハーンさんは謝罪どころか慰安婦の存在さえ否定する最近の日本政府の態度を見て、慰安婦像設置に協力することを決心した。オーストラリア在住の韓国系・ 中国系団体が先月、慰安婦像の設置を決めた。慰安婦像が設置された米国の小都市グレンデールとは違い、シドニーは人口500万人というオーストラリア第1 の都市だ。シドニー・ストラスフィールド市のオク・サンドゥ副市長は「日本の度重なる歴史歪曲(わいきょく)に対抗し、オーストラリアの与党・自由党女性 委員会も慰安婦像設置を支援する意向を明らかにした」と語った。シドニーの慰安婦像は韓国人、中国人、そして白人の少女が手を取り合う形で設置される予定 だ。白人の少女のモデルはオハーンさん。ソン・ソクチュン在オーストラリア韓人会会長は「慰安婦が韓日問題ではなく、女性に対する反人倫的な戦争犯罪であ ることを世界に知らしめる像になるだろう。日本がどのような妨害をしてきても必ず設置する」と語った。オハーンさんは次々と天に召されていく韓国人元慰安婦たちに哀悼の意を表した。「日本は、その蛮行を証言する私たちがみんな死ぬのを待っているのだろう。反省しない日本政府は絶対に許せない。私は決して死なない。安倍首相から謝罪を受ける日までは」
2019.08.23
コメント(1)
朝日新聞 8月21日*クリックで拡大ネット右翼からバッシングされている津田さんですが、今回の件で大手マスコミから無視されている中で、今回のインタビューは事の真相や彼の考えを知るうえでよかったです。批判や攻撃が増大した原因1.日韓関係の急速な悪化2.相次ぐ政治家の発言3.京都アニメーションのガソリン放火事件が事件続発を連想させたこと少女像と昭和天皇作品に対する批判の強さは?「どちらも同じくらいでした。」再開のための条件が示されています。1.ガソリン・テロガソリンなどのメールを送った脅迫犯の逮捕2.警備の強化3.電話抗議への対応整備4.中止までの経緯を調べるために愛知県が設けた検証委員会の中間報告が出ること5.この問題をめぐるオープンな議論が県民や作家なども含めた形で行われて「何を目指すべきなのか」の認識が共有されること今のところ辞任の意向はありません。それにしても、今回の件は、表現の自由、言論の自由に対する大きな挑戦ですがマスコミの扱いを見ると、そのマスコミが表現の自由を大切にしているかどうかの試金石にもなっています。朝日新聞と読売新聞が対照的ですね。展覧会以外にも、幼稚園や小学校にガソリンをまくと予告するメールがあったことは知りませんでした。なんとも卑劣な連中ですが、こちらもちゃんと捜査して犯人を逮捕してほしいですね。もちろん、河村市長への脅迫メール犯もです。
2019.08.22
コメント(2)
20日の朝日新聞第2社会面に小さく載っていました。暴行現場のビデオが、ワイドショーをにぎわせた事件です。大臣官房付になって退職していると思ったら、まだ籍があったのですね。それにしても、毎日何をしているのでしょう。仕事なんてないでしょう。職場を去った方が良いのではと思います。それとも処分後は、復帰するつもりなのでしょうか。公務員は身分なので簡単にやめさせるわけにはいかないと昔聞かされたことがありますが、今も変わらないのでしょうか。森友文書改ざんの財務省の中村は、英国公使だそうです。これでは役人天国を通り越して、犯罪天国です。
2019.08.22
コメント(6)
大雨と昼寝で途中から参加です。LGBTについての基礎知識(20分)→映画→講演・質疑応答(50分)講演内容:セクシアリティは、「目に見えない」会ったことがないのではなく、気づかないだけ。自身の子どもの頃からの写真を映しながら、トイレ、お風呂、パスポート、選挙、運転免許を例に具体的にお話しされました。確かに、外見は女の子、女子高校生でした。今は、明るく話していますが、つらかったでしょうね。とんねるずのコントで傷ついた話も。剣道からフェンシングに転向したのは、男女とも同じユニフォームだったからだそうです。高校生の時に親しい友人にカミングアウトして、受け入れられ自己肯定感を得られた。LGBTは、5~8%日本では1000万人で、13人に一人の割合。佐藤、斎藤、鈴木などのトップ4の苗字を持つ人と同じ数。*1000人にひとりくらいかと思っていました。 いつもスーパーで見かけるスカート、ハイヒール姿のおじさんは、 トランスジェンダーなのか女装家なのか気になっています。 企業も動いている。対社員LGBT向け会社説明会開催。LGBTにとって働きやすい会社は社員を大切にする会社で、ストレートの人にとっても働きやすい会社という好印象がある。就業者は、484万人対顧客LGBT市場:5.9兆円フランスマクドナルドのCMフレンドリーな企業:GAP、ソフトバンクなど日弁連が、意見書提出自治体も取り組み始めている。特に、来年オリンピックを控えた東京は力を入れている。オリンピック憲章第6章渋谷区:同性パートナーシップ条例現区長とは、清掃活動を通じて10年前から知り合い。最近は、同性婚とは言わず、平等な結婚と言う。30~60か国が肯定もしくは肯定的。80か国がNG。死刑もあり。合言葉は、ウェルカミングアウト!!LGBTは、セクシュアリティではなく、アイデンティティの問題。多様な個性を認め合う社会が、暮らしやすい社会。ひげ面で外見は男性、声も違和感がありませんでした。いろいろ大変だったのでしょうが、明るく前向きに生きているという感じの話しぶりでした。とてもアグレッシーブな人でありながら、やさしい人だと感じました。勤務していた会社の仙台支店長は、お酒に酔うとやたらキスしたがり、2次会はいつもおかまバーで、社内でも有名でした。仙台出張は要注意でした。今ならセクハラですが、彼もLGBTだったのではと思っています。30年以上も前の話しです。 フランスのマクドナルドの同性愛者向けのCM https://www.youtube.com/watch?v=OFrm2g17Scs なぞなぞ:同性愛嫌悪に対する国連からのメッセージhttps://www.youtube.com/watch?v=y3OvH0SEznM それから、自民党の老害政治家の失言も紹介です。安倍、河野があわててフォローしていましたが、歴史修正発言同様こんなことで日本は世界からは人権後進国扱いされるのでしょう。竹下亘「晩餐会に同性パートナー出席は反対。」 http://blog.livedoor.jp/ninji/archives/51133936.html 竹下亘議員は竹下登元首相の異母弟にあたりますが、竹下登元首相といえば、孫にミュージシャンのDAIGOさんやBLなども書く漫画家の影木栄貴さんがいます。つまり親族に同性愛に理解ある人がいるのですが・・・・・
2019.08.21
コメント(8)
ストーリー:1984年、サッチャー政権下のイギリスは不況に苛まれていた。サッチャー首相は20ヶ所の炭坑の閉鎖案を発表するが、炭坑労働者たちはこれに反発。抗議のストライキは4ヶ月目に入ろうとし、炭鉱労働者とその家族たちは生活が困窮していた。ロンドンに住むマーク(ベン・シュネッツァー)はそのニュースを見て、ゲイの権利を訴える大々的なパレードの中で仲間たちと募金活動を開始。そして炭坑労働者支援のためのレズビアン&ゲイ会LGSMを立ち上げる。しかし集まった寄付金を送ろうと全国炭坑労働組合に連絡しても、レズビアン&ゲイ会と名乗ると偏見から冷たくあしらわれてしまう。それならばとウェールズ奥地にある炭坑町ディライスの役場に直接電話したところ、今度はすんなり受け入れられる。ディライス炭坑を代表して彼らのもとにやってきたダイ(パディ・コンシダイン)は、LGSMがどういうグループか全くわかっていなかった。ダイは偏見を持たずにゲイ・バーを訪れ、お金ではなく友情をもらったと大勢の前で熱く語る。このおかげで賛同者は増え、ディライス炭坑への多額の寄付金が集まった。ディライスの委員長ヘフィーナ(イメルダ・スタウントン)は感謝の意を込めたパーティを企画し、反対を押し切りLGSMを招待。ヘフィーナや書記のクリフ(ビル・ナイ)はミニバスに乗りやってきたLGSMのメンバーを歓迎する。困惑する者もいたものの、次第にメンバーも町人たちも心を開き始め、歓迎会は大いに盛り上がった。ストは42週目に突入し、組合員の家族手当が停止。LGSMがさらなる支援を決める中、ある不測の事態が起こる……。(KINENOTE)字幕+吹替版でした。
2019.08.21
コメント(2)
最後は、演奏者全員がステージにたって、嵐の「ふるさと」を合唱です。四つの高校の生徒の若い歌声です。市内には、他に新発田西高校(昔の女学校)と新発田農業高校があります。コンクールではないので順位はつけません。演奏、選曲、衣装、曲紹介と各々の高校の個性が出ていて興味深かったです。それにしてもどこも共学なのに女子が多いですね。私としては、どこも素晴らしかったですが、こどもの頃ボーイスカウトで鼓笛隊をやっていたせいもありリズムセクションが印象的な中央高校のマーチングバンドが、一番良かったです。教頭先生が指揮者で力が入っています。客席を出たら、高校生たちが見送ってくれました。もちろん「いちばん良かったとよ」と、声をかけました。多くの市民の前で普段の練習の成果を発表できて、生徒さんたちも満足そうでした。これから打ち上げでしょうか。お酒はNGですよ、飲むなら家で、なんてね。
2019.08.20
コメント(2)
最後は、新発田中央高校のマーチングバンドです。今日は、マーチングはできないので、立って演奏です。最初は、キリンのCMでお馴染みの東京スカパラの曲です。なかなか元気なソロでした。2曲目は、ジョン・デンバーのカントリー・ロードをモチーフにした「故郷の空」です。フラッグやダンスが演じられます。最後は、うまく決まりました。力強いドラムの響きが、心地よかったです。暑い中連日エアコンのない体育館で練習した成果が出ました。運動部ですね。部長さんから今後の演奏予定が、披露されます。来週からの新発田祭りのパレードに参加します。クリスマスには、チャリティーコンサートを行うそうです。H29 中央祭 マーチングhttps://www.youtube.com/watch?v=qGFVeNRtx4c 新発田駅リニューアルオープン式典「宝島」https://www.youtube.com/watch?v=0K8j-3M7xf8
2019.08.20
コメント(2)
日曜日の朝のフジテレビのニュースショーは、今週も韓国問題でした。それにしても毎週毎週、嫌韓の報道です。1か月くらいやっているのではないでしょうか。MCは櫻井よしこではなく、三浦瑠璃です。サンケイの元ソウル特派員の黒田がゲスト。男性MCは韓国で現地取材しそのレポートも。少女像の作者も訪問しました。面白かったのは、集会で反日ではなく反安倍のプラカードを掲げる人が多かったと発言し、これは、日本やその国民を敵に回すよりも、反安倍の方が得策と考えて方向転換したと述べたことです。視聴者は、ハングルが読めないとでも思っていいるのでしょうか。当初から일본より아베の方が多く、他のテレビ局では反安倍集会と解説していました。韓国との断交を唱えるこのテレビ局も、事実を認めざるを得なかったようです。米国や欧米の反トランプ集会も、ここは反米集会と報道するのでしょうか。反安倍=反日では、ネット右翼並です。今日は、NHKが韓国からの観光客を北海道が歓待したニュースを流していました。空港で夕張メロンならぬゼリーを配ったそうです。前は、観光客が減ったとか、キャンセルを強調するニュースばかりでした。*こちらは夕張ではなく、新潟産です。真ん中が一番甘いです。 高い?まさかひと玉245円です。朝日新聞の書評欄に、興味深い書評が載っていました。(書評)『TRICK トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』 加藤直樹〈著〉 2019年8月17日 朝日新聞 ■歴史の土台崩す意図的な無理解本書のサブタイトルに「なかったことにしたい人たち」とある。この存在が可視化されたのが、「あいちトリエンナーレ」の企画展『表現の不自由展・その後』の中止、という帰結ではなかったか。加害した過去を受け止めて平和を問う機会を、公権力が奪う。「平和の少女像」などの展示を「自国ヘイト作品」と位置付ける芸能人まで現れた。表現の自由、女性の権利、それらを獲得するための長い歴史に、どこまでも無理解を貫く。でも彼らは、無理解を維持することで「なかったことにしたい」のだ。2017年、小池百合子都知事が朝鮮人虐殺犠牲者追悼式典への追悼文送付を取りやめた。「個別の対応」をせず、全ての震災犠牲者に哀悼の意を表した、という。その判断が下される少し前、自民党都議が、追悼碑に刻まれた朝鮮人の虐殺犠牲者数について、「政治的主張」と述べた。その都議が論旨の骨格とした一冊が、工藤美代子『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』だった。1923年9月に発生した関東大震災の直後、「朝鮮人が暴動を起こしている」という流言によって多くの朝鮮人が虐殺されたが、近年、ネットを中心に「虐殺はなかった」などの主張が拡散されるようになった。この動きと小池の判断は、不気味に響き合っている。当時の新聞からネットの書き込みまで、通説をすべて引っ張り出して検証する執着に圧倒されるが、放置すれば「諸説あってはいけないのですか?」「悪いことをした朝鮮人もいた」などの曖昧(あいまい)な言い分と共に、「なかった」が増幅する。前出の工藤による書を入念に読み解き、「認識の誤り」ではなく、意図的に仕向けられた「トリック」だと明かす。無知ではなく、詐術によって歴史の土台を崩そうとする声が重なる。強引に仕立てられた説に、公権力が興味津々に近づいていく。「なかったこと」にしてはいけない。その地点に何度も立ち返り、虚偽を残らず削り取ってみせた。 評・武田砂鉄(ライター) *『TRICK トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』 加藤直樹〈著〉 ころから 1728円 *かとう・なおき 67年生まれ。フリーの編集者、ライター。『九月、東京の路上で』『謀叛の児』など。工藤美代子:新しい歴史教科書をつくる会副会長や国家基本問題研究所評議員を務めていた。
2019.08.19
コメント(2)
二番手は、新発田商業高校です。以前は工業科もあって新発田商工でしたが、郊外に移転しました。跡地は、新発田南高校となっています。市長の出身校でもあります。先生が指揮するオーソドックスな高校の吹奏楽団です。2曲演奏して指揮者は退場です。3,4曲目もちょっとおとなしかったかな。やっぱり女子が多いですね。Commercial high school ですが、宣伝はありませんでした。この日は、2階席まで観客が入り満席状態でした。父母でしょうか、ビデを撮る人も目立ちました。休憩時間中です。新発田南高校です。可愛い女生徒が出てきて、曲紹介です。マイクなしでも声がよく通りました。すごいですね。先生の指揮のあと、YOSAKOIソーラン節とアイドルのヒット曲を演奏して会場を盛り上げました。高校生らしさが出ていた、良い演奏でした。
2019.08.19
コメント(2)
残暑厳しい折、市内の高校の音楽祭に行ってきました。トップバッターは、新発田高校です。演奏の間に、アラジンと魔法のランプのコントが入ります。名前の通りよくSWINGしていました。最後は、全メンバーで I Got Rhythm を演奏しました。自由でのびのびした校風通りの演奏でした。おまけ:浅田真央(mao asada) 4CC 2013 SP 「アイ・ガット・リズム」 高画質高音質Ver. 保存版https://www.youtube.com/watch?v=h5s-Rp7s8Tc
2019.08.19
コメント(2)
先日の平和のつどいに関する記事が、朝日新聞に載っていました。(社説余滴)消えぬ記憶を絵に残す 高木智子2019年8月18日 歌人でもある広島の被爆者、河野キヨ美さん(88)は、どんなに歳月が流れようとも、その目で見た原爆の惨状を忘れることはできない、という。被爆電車に焦げし腕下がるを見し記憶拭いても老いても消えぬそうした記憶に向き合い、時に掘り起こし、絵にする取り組みが続く。被爆者と広島市立基町(もとまち)高の生徒による「原爆の絵」だ。被爆者が脳裏に刻まれている記憶を語り、10代の生徒が描く。ふたりが対話を重ねて油絵を完成させる。河野さんは、姉を探して広島の街に入り、道路いっぱいの死体を見た。この話を聴き、門脇友春さん(18)が絵筆を握った。男女の区別のつかない死体や飛び出した内臓。門脇さんは本や昔の写真をあたり、手がかりを求めた。インターネットで海外の内戦の画像などを検索した。「写真がモノクロだから焼けた体の色が分かりません」「すごくふくれていたの。やけどは赤いけど黒ずんでいた。内臓はね……」1年がかりで描いた「道に転がる屍(しかばね)」は、河野さんの歌と重なり合う。赤鬼が空(くう)を掴(つか)まむかたちして焼死体仰向けに転がれる道「なぜ河野さんがこの場面を語ったか考えました。人間らしさを奪われたところだからかもしれません」1枚の絵を仕上げるために、生徒たちは質問を重ねて「リアル」を追求する。被爆者がなぜ話してくれるのかを想像し始める。語る痛みに気づき、自分だったらと考え、もっと知ってほしいと動く。8月6日を語り継ぐ営みそのものだ。広島平和記念資料館と12年前に始めた原爆の絵は137点になる。途中で投げ出した生徒はいない。指導する橋本一貫教諭(60)は「つきつめようと努力するから、心に残るんです」。その原爆の絵を集めた絵画展が21日まで、広島国際会議場で開かれている。皮膚が垂れ下がった人々の列、真っ黒に焼けた父の看病をする少女、炎の中で助けを求める女の子。目を背けたくなる光景が、37枚の画布に凝縮されている。会場は家族連れや若い人が目立つ。「生々しくて残酷。だけど本当にあったことよ」。母親が言うと、女児は頷(うなず)き、絵を見つめた。(たかきともこ 社会社説担当)「途中で投げ出した生徒はいない。」原爆の非人道性が、ひとりひとりの生徒の心に深く刻まれたことでしょう。こちらは、原爆の模擬爆弾=パンプキン爆弾に関する記事です。長岡に落とされ、4人が即死、5人が重軽傷を負いました。(8月17日ローカル版)
2019.08.18
コメント(0)
1985年コクーンの続編で1988年の作品です。監督が、ロン・ハワードからダニエル・ペトリに変わっていますが、主要キャストはそのままです。ストーリー:海底地震の予兆をうけ、海底に残した数体のコクーン救出のためキティ(ターニー・ウェルチ)ら3人のエイリアンが、老人たちとともに5年ぶりに地球に戻ってきた。しかしそのコクーンは、キティたちの手に渡る前にピータースバーグ海洋研究所に引き取られ、やがて中から現われた生命体は研究所の女性科学者セーラ(コートニー・コックス)と意志を通わせるようになる。星からの生命力を与えないと死ぬのは時間の問題の、その生命体を連れて帰れなかったら、と悩むキティに、ジャック(スティーヴ・グッテンバーグ)は優しく慰め、協力を申し出る。一方の老人たちは、孫デイヴィッド(バレット・オリヴァー)の成長ぶりに地球を離れがたく思うベン(ウィルフォード・ブリムリー)とメアリー(モーリン・スティプルトン)や、保育園で働くことに新しい生きがいを感じ始めるアルマ(ジェシカ・タンディ)、そしてアート(ドン・アメチ)の妻ベス(グエン・ヴァードン)が妊娠したりもするが、アルマの夫ジョー(ヒューム・クローニン)は再発した白血病に悩んでいた。亡き妻の思い出を抱きひとり地球に残ったバーニー(ジャック・ギルフォード)も帰ってきた仲間たちの若々しさに影響されて、モーテルを経営する未亡人ルビー(エレーン・ストリッチ)との間にロマンスを芽生えさせる。そんな時、保育園で働いていたアルマが車にはねられ重体となり、瀕死の妻に、ジョーはコクーンからもらった生命の威力を与え、自分は息絶えてゆく。そして海洋研究所で死を待つ生命体を救い出すため、キティ、ベン、アート、そして駆けつけたデイヴィッドがそこに侵入、セーラの黙認もあり無事成功を収め、UFOを待つジャックの船に一行は乗り込んだ。最後の決断の末に、結局惑星に帰ることにした老人は、無事に赤ちゃんを生むことを決意するアートとベスのふたりだけだった。やがてUFOは旅立ってゆき、船にひとり残されたジャックは、偶然にセーラと出会う、淡いロマンスの予感を漂わせながら……。(KINENOTE)前作のSFファンタジー的な要素はなく、期待を裏切った作品のようですが、それなりに面白かったです。永遠の命、不老不死の生活よりも孫の成長を楽しみに老いる生活を望む夫婦、自分を必要とする職場のために残る老婦人と、生きること老いること生きがいを少し考えさせてくれる作品でした。映画音楽もよかったです。撮影監督は、タク・フジモトさんです。名前の通り日系アメリカ人で、「羊たちの沈黙」も撮影しています。主人公たちは、老年になってから加齢が止まり若返るという設定です。若者とのバスケットの試合にも勝ちます。もし加齢が止まるとしたら何歳がいいかと、思ってしまいました。やはり35歳くらいでしょうか。女性なら、いくつくらいでしょう。
2019.08.18
コメント(2)
コクーンは、老人と異星人の交流を描く1985年の米国SFファンタジーです。ストーリー:フロリダ州セント・ピータースバーグにある養老院に住む3人の老人、アート(ドン・アメチ)、ベン(ウィルフォード・ブリムリー)、ジョー(ヒューム・クローニン)は連れ立って近くにある空き家のプールで泳ぐのを楽しみにしていた。ジャック(スティーヴ・グーテンバーグ)は、8人乗りの船マンタIII世号の船長。ウォルター(ブライアン・デネヒー)という男が好条件で船を借りたいと申し出てきた。3人の老人、それにベンの孫デイヴィッド(バレット・オリヴァー)が.プールに行くと、ウォルターが空き屋も借りていた。翌日、3人はこっそリプールに忍び込んだ。プールには巨大なまゆ状のものが沈んでいた。これは、ウォルターが若い美女キティ(ターニャ・ウェルチ)、フィルスベリー(タイロン・パワー・ジュニア)と協力し、海底から引き上げていたものだった。3人はプールで泳いでいるうちに、元気が出てきて、ジョーは老妻アルマ(ジェシカ・タンディ)と久し振りにメイク・ラヴした。アートは元ダンサーのベス(グエン・ヴァードン)に恋を打ち明け、ベンも妻のメリー(モーリン・スティプルトン)とますます仲むつまじくなった。ジャックはキティに惹かれていく。彼女らは実はアンタレス星人であった。100世紀前に地球を訪れた先祖がアトランティスの沈没とともに海に沈んでしまい、彼らはまゆ状の先祖を惑星へつれもどそうとしていたのだった。老人3人はまゆが回春の秘訣ということを知り、バーニー(ジャック・ギルフォード)を誘うが、彼は「人には寿命というものがある」といって断った。養老院の他の老人も回春の秘密を知ってプールに行き、まゆを乱暴に扱ったためにまゆの中のアンタレス星人が死に、ウォルターは怒ってみんなを追い出した。彼は先祖を海にもどした方が幸せではないかと思うようになり、実行した。宇宙船が明日やってくるという日、ウォルターはベンたちに不老不死のユートピアであるアンタレス星に行かないかと提案する。ベンは孫と最後の釣りをし別れを告げた。デイヴィッドの態度を不審に思った母のスーザン(リンダ.ハリソン)が警察に通報した。警官隊に追われながら老人たちを乗せたマンタIII世号は海を航行し、やがて出現した宇宙船にすいこまれていった。(KINENOTE) 往年の名優が老人が扮し、少し若返ります。ラクウェル・ウェルチやタイロンパワーのジュニアも出てきて洋画ファンには新旧混じって面白い映画です。コメディータッチの心和む作品です。不老不死の星に旅立った老人たちは?続編も作られました。日曜洋画劇場 淀川長治 解説 コクーンhttps://www.youtube.com/watch?v=PeuF3ZTX2KI
2019.08.17
コメント(2)
(社説)8・15 戦場の記憶 時を超え、痛みを語り継ぐ2019年8月15日 74年前のきょう、日本の降伏で戦争が終わった。あの昭和の時代からどれほど時を経ても、惨禍を記憶にとどめ、不戦と平和の誓いを語り継ぐ大切さはかわらない。満州事変以降に拡大したアジア太平洋戦争により、日本人の死者は300万人を超えた。無謀な戦争の犠牲となった人々に追悼の念を捧げる日である。そして同時に、忘れてならないことがある。侵略と植民地支配により、日本以外の国々に及ぼした加害の事実である。大東亜共栄圏を掲げた日本は各地の要所を占領した。現地の人を巻き込み、犠牲を強いた。はるか遠くの島や山あいで、それぞれに刻まれた戦争の記憶と戦後がある。その傷痕に目を向けることは、歴史の教訓を学ぶうえで欠かせない。激戦の地で証言や資料を残そうという取り組みがある。パプアニューギニアの首都中心部から東に50キロ。この奥の密林で、日本軍とオーストラリア軍の激しい攻防があった。「ココダ道の戦い」と呼ばれる。現場はいま、観光客に人気の山岳縦走コースだ。近くのソゲリ村のビリー・イバイさん(50)のおじは当時、豪州軍の遺体や傷病兵、銃弾を運ばされた。「戦争を実体験した世代は消えていく。体験は共有できなくとも、気持ちを寄り添わせることはできる」 ■語られなかった苦悩豪州が委任統治していたニューブリテン島(現パプアニューギニア)のラバウルを攻めた日本軍は1942年、2千メートルを超す山々を貫くココダ道を進み、豪州軍と衝突した。犠牲者は豪州側が600人以上、日本側が数千人以上とされる。だが、突然、戦場となった現地の人々の恐怖や苦悩はあまり語られてこなかった。75年の節目である2年前、イバイさんら70人超が協力して証言集ができた。昨年末には首都の国立博物館に、証言をビデオで見られる場所もできた。この事業を主導した同館学芸員のグレゴリー・バブリスさん(32)は言う。「私たちニューギニアは単なる戦闘の背景。豪州の歴史書には名前もない『コックの少年』『洗濯女』として登場するだけだった。その声を代弁したいのです」同じような動きは、インド北東部のインパールでもある。「レッドヒル」。地元の人がそう呼ぶ丘が郊外にある。日本兵らの血で染まったことが由来だ。そのふもとにこの6月、地元の観光協会が、日本財団の協力で平和資料館を開いた。補給が不十分なまま無理な突撃を続けた44年のインパール作戦で死亡した日本兵は、3万人超にのぼる。一方で現地の人が強いられた犠牲をどれだけの日本人が知っているだろうか。館内には鉄かぶとや水筒など日英両軍の遺品だけでなく、巻き込まれた237人の犠牲者名簿も展示されている。 ■我がことと考えるインパールに住むチャンドラ・サキさん(85)は当時を鮮明に覚えている。朝、約10機の日本軍の飛行機が、爆音とともに激しい空襲を始めた。父と一緒に地面に伏せた。何も持たず別の村に逃げ、1年半後に戻ったが家はなく、英軍の拠点となっていた。腹をすかし、村を転々とした。「戦争は家を奪い、命を奪う。この体験を資料館が次世代に伝えて欲しい」と話す。開館前、地元の設立委員の人たちは日本を訪れ、沖縄の南風原文化センターとひめゆり平和祈念資料館を見学した。のどかな町や村など広域が熾烈(しれつ)な戦場となり、故郷が破壊された沖縄。その史実はインパールに通じる、と感じたという。ひめゆり資料館は今年、開館30周年を迎え、新たな課題に直面している。最近、来館者の感想に「ぴんとこない」との言葉があった。戦争が遠い昔の出来事に思われていると、館長の普天間朝佳さん(59)は言う。99年度に100万人超だった入館者数は18年度は約53万人まで減った。修学旅行も減少傾向にある。その流れを変えたいと、来夏に「さらに、戦争から遠くなった世代に向けて」というテーマでリニューアルする。ひめゆり学徒は沖縄戦で陸軍病院に動員された地元の女学生計222人で、うち123人が戦争で亡くなった。展示の刷新のかぎは「共感」。戦争前の学校生活での笑顔や表情豊かな写真を使い、身近に感じてもらう。中高生らに、学徒が同じ世代で楽しい学校生活があったことを訴えかける。 ■戦後世代の責任大切なのは、踏みつけられた人、弱い立場の人の痛みを知ることではないか。自分の国の暗い歴史や他人の苦しみを知り、思いをはせるのは簡単ではない。だが、今の世代が先人らの心情を受け止め、戦争の愚かさを伝え、未来を切り開かねばならない。過去を反省することは後ろ向きの行為ではない。未来に向けての責任である。 (社説)戦没者の追悼 「深い反省」受け継いで2019年8月16日終戦から74年。きのう東京で開かれた全国戦没者追悼式に天皇陛下が即位後初めて出席し、「おことば」を述べた。昨夏までの30年間、上皇さまは一言一句に推敲(すいこう)を重ね、この日のおことばに思いを注いできた。戦後50年の節目となった1995年に「歴史を顧み」、そして70年の2015年には「さきの大戦に対する深い反省」という一節を盛り込み、過去を直視する姿勢を内外に示した。そして今年。戦後生まれの陛下も「過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」と、平成の時代の表現をほぼ受け継いで不戦を誓った。自国だけでなく他の国々、とりわけアジア太平洋諸国に与えた損害と苦痛を忘れない。その気持ちを言葉に込めることで、国際協調を重んじる考えに変わりがないと宣明したといえる。一方で、安倍首相の式辞には今年も「反省」の文字はなかった。第1次内閣当時の07年夏は口にしたが、12年末に再び政権に就いた後は、近隣諸国への言及ともども姿を消した。代わりにあるのは、「子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を負わせてはなりません」(戦後70年の首相談話)との思いだ。だが国民の代表者である政治家が、負の歴史から逃げず、真摯(しんし)に受け止める態度を表明し続けてこそ、謝罪が不要な関係を結べるのではないか。右派層に厚い支持基盤をもつ首相である。先の世代のために、今やるべきことがあるはずだ。式辞で目を引いたのは広島・長崎の原爆や各都市への空襲とあわせ、沖縄での地上戦の犠牲に触れたことだ。過重な基地負担に苦しむ沖縄の原点に、第2次大戦とその後の米軍統治がある。県民の思いにこたえる具体的な施策を講じることで、式辞が形だけのものではないと証明してもらいたい。首相はまた、戦地に残る元兵士らの遺骨の一日も早い帰還に「全力を尽くす」と述べた。だが現実はどうだろう。シベリアに抑留された人々のものとされた遺骨について、日本人ではない疑いが浮上している。専門家の指摘を受けながら厚生労働省は放置し、ロシア側にも伝えてこなかったという。国籍を問わず、戦争犠牲者への敬意を欠く行いであり、政府として厳正な対処が必要だ。きのうの「追悼の辞」で、衆参両院議長はそろって日本国憲法の平和主義に言及し、その実現に全力を尽くすと約束した。歴史に学び、反省を踏まえ、憲法をいかす。未来に向け、平和を守り続けるために何が必要かを考えさせる式典となった。だが国民の代表者である政治家が、負の歴史から逃げず、真摯(しんし)に受け止める態度を表明し続けてこそ、謝罪が不要な関係を結べるのではないか。右派層に厚い支持基盤をもつ首相である。先の世代のために、今やるべきことがあるはずだ。私は中国や韓国、東南アジアを旅して、先の侵略戦争について言及されたり攻められたりましてや暴力を振るわれたことはありません。ほとんどの人がそうでしょう。昨日あたりからテレビも反日ではなく反安倍政権であると、伝え始めました。ハングルで書かれたプラカードを見ればそんなものが目立ちます。もっとも一部のマスコミやネット右翼は、相変わらず「反日」と騒ぎ煽っていますが。本来、こうしたナショナリズムを鎮静化させ解決に向かわせるのが、政治家の仕事なのでしょうがどうもその考えも能力もないようです。安倍首相は北朝鮮が国連安保理決議違反のミサイル発射を続けても、何もせずこの週末も能天気に山梨でゴルフでしょう。従軍慰安婦問題は、韓国だけではありません。弱い人の小さな声にも耳を傾けたいです。新聞は、タイやマレーシアでも慰霊式が行われたことを伝えていました。(参考)終戦記記念日にあらためて言いたい!「慰安婦はデマ」こそデマだ! 日本軍関与、強制連行…歴史修正主義者たちはこの証拠を見よhttps://lite-ra.com/2019/08/post-4903.html
2019.08.17
コメント(2)
Natalie Cole LIVE - Unforgettable台風も大したことなく通り過ぎ、少し雨が降ってよかったです。家全体が冷やされて室温は下がったものの、すこしむしむしします。昨日はとなりの胎内市で40.7度です。観測所が道路の側にあるので高く出がちと、地元の人が言っていましたが、それにしても日本一だなんてすごいです。お盆も今日でおしまいです。墓そうじをしてお参りに行ってきました。ご先祖様にはうれしい報告も。さて、亡き父との共演のビデオです。まさに、unforgettableですね。父は、1965年(享年45歳)に亡くなり、娘のナタリー・コールは2015年に亡くなっています。(享年65歳)あの世でデュエットしていることでしょう。Natalie Cole & Nat King Cole - When I Fall In Lovehttps://www.youtube.com/watch?v=U1-R1UiUhNg Nat King Cole - All The Best Songs - Essential Classic Evergreenhttps://www.youtube.com/watch?v=-xwcAEcWZGM 歌詞が載っています。「もっと見る」をクリックしてね。Natalie & Nat King Cole - Unforgettable「 アンフォゲッタブル」歌詞 BY南風見一樹https://www.youtube.com/watch?v=jiptUZiJMvE
2019.08.16
コメント(6)
今日は令和最初の終戦記念日です。台風によるフェーン現象で、今日も暑いです。エアコンのない部屋は、37度です。敗戦を終戦といいかえ、8月15日は終戦記念日だそうです。ずっと違和感がありました。来年は、戦後75年、この機に平和の日と改称し休日にしたらと思います。休日が多すぎる?ならば天皇誕生日をやめたらいいでしょう。何の意味もない祝日です。この8月15日こそが、民主国家日本の出発点なのですから。朝日新聞にこんな記事が、7面国際に載っていました。「若者に歴史を知ってほしい」戦争体験語る マレーシア人の富豪クオック氏2019年8月14日高級ホテルチェーンのシャングリラホテルなどの創業者として知られるマレーシア人の富豪ロバート・クオック氏(95)が朝日新聞のインタビューに応じ、アジア太平洋戦争での日本軍の侵攻に関する自身の体験について語った。「若い人たちに、歴史を知ってほしい」と訴えた。クオック氏は、砂糖取引や不動産業で成功した実業家。米誌フォーブスの今年の富豪ランキングではマレーシアで首位で、昨年はマハティール首相(94)を支える賢人会議のメンバーも務めた。2年前に出版した自身の回想録に記した戦時体験をテーマに7月に香港で取材に応じた。「(戦時の)記憶は心と魂に刻み込まれ、書かずにいられなかった。虐殺を目の前で見たわけではない。でも、身近な人が殺され、多くの悲しい出来事があったことを知っている」マレー半島では、日本軍によって多くの華人(中国系住民)らが殺害された。華人であるクオック氏は当時、家族や知人から、身近な人々の被害について聞かされたという。たとえば、同じ学校に通っていた中国出身の女子生徒は、日本軍によってレイプされ、家族とともに殺された。父親が排日運動の資金集めをしていたことが原因かもしれないという。地元住民と欧米人双方のルーツを持つ「ユーラシアン」と呼ばれる人々が暮らしていたジョホール州郊外の集落では、日本軍が多くの人々を殺害し、親友の一人も犠牲になった、と話した。日本については「正直で勤勉な人々の国だが、(戦争は)わずかな人々によって誤った方向に導かれた」。「マレーの虎」と呼ばれた陸軍大将の山下奉文(ともゆき)が処刑される直前に残した言葉の英訳版を数年前に読み、反省と平和への思いに感銘を受けたという。(香港=守真弓)許すけれども、忘れないですね。シャングリラホテルの創業者もつらい経験をしたのですね。こうした日本軍の非道なふるまいを読むと、朝日新聞の投書にあった「祖国のために戦った尊い命の上に現在の繁栄がある。戦争は忘れるものでなく、語りつぐべきものである。」というところに、違和感を感じます。欧米の植民地支配からの解放と言いながら侵略戦争を行い、現地の住民に対して略奪暴行を行った日本軍を、祖国のために戦った尊い命とは言えないでしょう。侵略者、略奪者、戦時性暴力者というのが正しいのではないでしょうか。日本人が語り継ぐべきなのは、被害ではなく加害の事実でしょう。パプアニューギニアやインパールでの住民の被害に言及した8月15日の社説時を越え、痛みを語り継ぐは、よかったです。MCが声高に韓国との断交を叫ぶフジテレビは、「中国を懲らしめる」と国民を煽った戦前の新聞を想起させます。PS:アクセスレポートを見たら、時節柄でしょうかこの記事に1200ものPVがありました。親族を兵士として亡くされた方は、あの戦争は祖国日本を守るための聖戦と思いたい気持ちはわかりますが、やはり侵略戦争です。中国やアジアの民にひどいことをしたことを反省するとともに、こころからの謝罪をすべきでしょう。合わせてこれからもずっと侵略戦争を行わない国を続けなければいけません。不断の努力ですね。
2019.08.16
コメント(6)
講演終了後、梶矢さんに謝意を示し、市役所ロビーの原爆資料パネル展をのぞきました。お話の後だと、少し見る目が違います。親近感を感じました。それにしても、軍都でありながら空襲がなかった当地とは大違いです。こちらは、派遣された中学生の感想文です。日本や世界の多くの人たちの核兵器廃絶の思いを、体感したことでしょう。ひとり後ろ向きな日本の指導者がいたことは残念です。広島市長のあいさつとのギャップを感じたことでしょう。「あなたは、どこの国の首相ですか?」と、言われた人です。彼にとって、ヒバクシャは「あんな人たち」なのかもしれません。大人になっても忘れないでほしいですね。ところで、原爆写真展をめぐる次の報道にはびっくりです。原爆写真展、佐世保市教委が後援断る 2年前に続き原口晋也 2019年8月5日 長崎県佐世保市で4日に開催された「原爆写真展」の後援依頼を、市教育委員会が断っていたことがわかった。会場では核兵器廃絶の署名活動が計画されていたため、依頼を受けた市教委は「政治的中立性を保てない可能性がある」と判断したという。写真展は原水爆禁止佐世保協議会を中心とした主催団体が、核兵器禁止条約が国連で採択された2017年から毎年、市内で実施しており、今年で3回目。4日は商店街に隣接する公園で、被爆の実相を伝える写真パネル二十数枚を展示。あわせて核兵器禁止条約への参加をすべての国に求める「ヒバクシャ国際署名」を呼びかけた。市教委は主催団体の後援依頼に対し、写真展に一定の意義を認めながらも、こうした署名活動や、チラシにある「歓迎! 核兵器禁止条約」の表現が、内規で後援が認められない「政治的中立性を侵す恐れがある」ケースに当たると判断し、17年に続いて却下した。昨年は主催団体が後援を依頼しなかった。市教委は「核兵器をなくすという考え方を否定しているわけではない。ただ、特定の方向性に賛同を募る活動を教育委員会が支持、応援するわけにはいかない」とした。平和のつどいでも署名活動が行われていました。もちろん堂々と受付と並んでです。また、それとは別に署名した議員のポスターも掲示されていました。なかなかやりますね。おしまいです。
2019.08.15
コメント(2)
続きです。爆心地から2km以内が甚大な被害を被りました。いっしょにいた3年生の姉は即死です。しかも縁故疎開から戻ったばかりです。爆撃で死んでもいいから親元に戻りたいとのことで、許したそうです。友人二人も亡くなりました。あとは混乱して不明です。とにかく逃げることで精いっぱいで、周囲のことはあまり覚えていないそうです。記憶にあるのは、火事と逃げる人の長い列だそうです。18歳の兄は陸軍、15歳の兄は予科練です。軍都広島ですね。*赤い背中の少年、先年亡くなられた谷口さんですね。やけどは大きく報じられていますが、ガラスの被害も大きかったそうです。梶矢さんのお母さんも朝、台所に立っていて爆風によるガラスの破片が刺さったそうです。全身50~60個、抜くことが可能な40個ほどは抜いたそうです。抜けなかったものは、真珠貝のように体に残ったままでレントゲン写真で見えるそうです。片目は失明し、顔には大きな切り傷が残り、同級生からはお化けみたいだと言われ梶矢さんはお母さんに、学校に来ないでくれと懇願したそうです。今なら整形手術でそれなりに整えられたのでしょうが、当時はそのままです。なんともつらく切ない話です。当事者ならではのエピソードです。苦労して子どもを育て上げて、90歳過ぎまで生き抜いたそうです。やはり避難警報が早く出されていれば、こうしたガラスの被害は防げたかもしれません。昭和20年末までの死者は。広島で14万人プラスマイマス1万人、長崎でおよそ7万人。原爆と同型のパンプキン爆弾で50回訓練していた。新潟は不明だが、富山でもやっていた。だから、正確に爆撃できた。原爆雲は、富士山の2倍半1万メートルに達し、その下は真っ暗闇だった。山の上に逃げて、夕方までいた。そこで、近所のおばさんに会った。その後広島駅そばの東練兵場へ家族を探しに行った。その日母は手を合わせ泣いていた。亡くなった姉は、穏やかな死顔をしていた。最後に、今の核兵器の威力=広島の100倍、半径200km、死傷者1400万人~を地図で示し、講演を結んでいました。被爆者の方のお話を聞いたのは初めてです。テレビと違って、直接体験者の話を聞くのは重いです。高齢で亡くなる方も多い中、とても貴重な機会でした。学生の頃、大学で白鳥事件で冤罪にされた白鳥さんの講演を聴いたことを思い出しました。当事者だけが語れる真実の力を感じました。当日配布された資料です。
2019.08.15
コメント(2)
第三部は、ヒバクシャの講演会です。暑い中、広島からお越しいただき貴重な体験を聴かせていただきました。元教師だけあって話はお上手です。「自分が体験したことを話し、あとは皆さんで考えてもらいたい。」というスタンスだそうです。つかみは、原爆投下候補3番目の新潟です。8月6日 広島、9日 小倉、11日 新潟、その後長崎でしたが、小倉が悪天候だったので繰り上がりました。新潟は、半径4km以内の避難命令を知事が出して、もぬけの殻になった。*実際は10kmの人も非難し、命令前に避難する人も多かったようです。 満州同様、軍がいち早く避難です。もぬけの殻では実験にならない、三発目の準備不足などの説があるが、結果的に新潟は原爆の被害をのがれた。対して、広島はぬかっていた。広島城内にあった軍管区司令部で、動員(30人づつ3交代で計90名)されていた比治山中学の女学生岡田芳江さんがB29の飛来をつかんでいたのに、警戒警報を発令する軍参謀の対応が遅れ8時13分と投下の2分前になった。813、ケ、ハ=8時13分警戒警報発令と打電。長崎の判断も遅れていた。当時の子どもの状況小学1~2年:親元 分散授業所に通学小学3~6年:学童疎開 集団疎開もしくは縁故疎開中学1~2年:建物疎開の作業に動員まさにこの建物疎開中に原爆が落とされ、当時5~6千人が従事していた。今の100m道路は、その跡地。中学2~3年:工場動員当時夏休みはなかった。*お話から軍の対応が違っていれば、被害を減らすことがてきたとの思いが伝わります。続きます。
2019.08.14
コメント(0)
平成12年より市内の中学生を、広島の平和式典に派遣しています。各校から1名づつ10名です。ほとんど3年生です。出発の時の写真です。新発田駅ですね。広島は全員初めてで、2泊3日の旅です。宮島にも行きましたが、鳥居は工事中でした。揚げもみじが美味しく、もみじ饅頭も買ったそうです。まだ、制服があるようですね。引率の社会科の先生は、修学旅行以来の30年ぶりの広島だそうです。市役所の職員が1名同行し、どこかの市長さんのようなことはなかったようです。左はFMしばたのパーソナリティーで進行役です。後日放送するそうです。中学生は少し緊張しながら、自分の感想を話してくれました。各学校から選抜された生徒ですから、みんな優等生という感じでした。話しぶりから立派な大人になりそうな予感がします。原爆の悲惨さが、深く心に刻まれたようです。ネットの時代ですが、やはり現地に行って見たり聞いたりすることは大事でしょう。半径2km内の人間が一瞬のうちに蒸発した事実は、衝撃です。あわせて、原爆にめげず復興発展した広島の姿に、人間の力強さを見たことでしょう。核保有国との架け橋になるとか抑止論などの屁理屈に、惑わされることはないでしょう。千羽鶴も折りました。議場には、広島国泰寺高校の生徒の原爆の絵が展示されていました。まだ、800以上の遺骨の遺族が不明です。余談ながら、広島や長崎に行って原爆投下はなかったという人はいないでしょう。では南京事件は?ツアーで南京に行ったことがあるネット右翼は、何も言えず帰ってきたとコメントしていました。「嘘だ」といって議論してほしかったですね。でもまあ行くだけましです。たいていは、たね本やネット動画の妄信でしょう。中には、飛行機は落ちるのでこわいなんていうのもいます。車は大丈夫?死ね死ねコメントのネット右翼も自分の命は惜しい?
2019.08.14
コメント(0)
市議会場で開催です。終わりが4時半ごろと、けっこう長丁場です。主催者を代表して市長挨拶ですが、教育長が代読されました。市長は所用で欠席でしたが、たぶん興味がないのでしょう。教育長は最後まで参加していました。司会は、人権啓発課の職員さんでした。第一部は朗読とコンサートです。ユニット名のら・ぽーるは、フランス語で出会いだそうです。最初はオリジナル曲のバイオリン演奏に乗せて、ギリシャ神話のオルフェウスの竪琴を朗読です。中学生に配慮して、ジブリの天空の城ラピュタから「君をのせて」を演奏。そのあと、レイフ・クリチャンソンの詩「あなたへ」から、しあわせ、自分、大切なあなたへの三篇を朗読しました。参加者は150人ほどでしょうか。続きます。
2019.08.13
コメント(0)
なぜか大手マスコミがスルーする97年の新日鉄和解に関するブログです。http://weeklymds.sblo.jp/article/185366477.html 1997年、新日鉄(現・新日鉄住金)が釜石製鉄所で働かされていた韓国人徴用工の遺族との間で、金銭支払いや慰霊事業への協力を含む内容の和解によって問題を解決したことです。 新日鉄住金はこの和解の精神に立ち返り、日本政府の指示に従うことなく自らの判断で、速やかに被害者への賠償を行わなくてはなりません。 以下は、和解について報じた「統一の旗」(現・週刊MDS)の記事です。 【画期的な勝利和解/日本製鉄元徴用工裁判/強制連行企業で初の金銭支払い/“日韓協定で決着”論に風穴/1997年10月3日 統一の旗第511号】九月十八日、日本製鉄元徴用工裁判が新日鉄との間で和解解決した。和解内容は新日鉄による慰霊祭の実施や合計二千五万円の支払いなど。強制連行企業が被害者に金銭を払ったのは初めてで、時効などをたてに補償を拒む企業の論理を打ち破り、「日韓協定で解決済み」論に大きな風穴を開ける画期的な勝利和解だ。国相手の裁判は今後も継続する。 今回、新日鉄が金銭を支払ったのは、強制連行・強制労働の末に米軍の艦砲射撃で亡くなった原告の肉親の慰霊事業への協力とされている。新日鉄は「日鉄とは別会社」との理由で戦後処理の責任を回避し続けることはできなかったのである。しかも、遺族に対して支払ったことは、「時効」が補償を拒む理由にはならないことを証明している。今回の和解は「日韓協定で解決済み」という補償拒否の論理を突き崩し、他の戦後補償裁判を大きく励ますものである。このような和解を引き出した力は支援する会が作り上げてきた大衆的な裁判支援の運動だ。五万人を超える公正判決署名、東京総行動での新日鉄攻め、社長宅への要請はがきなどの行動が、社会的批判の広がりを恐れる新日鉄を追い込んできた。九月十一日に予定されていた全国総行動を前に新日鉄が「行動は中止してほしい」として和解案を示してきた事実にもそのことは明らかだ。最終交渉のため来日した原告代表六人は、十七日に釜石製鉄所内で行なわれた新日鉄主催の合祀祭に参加し、「厳粛な合祀祭で感激した」「父のことを思って涙が止まらなかった」と語っている。十八日の和解成立後は弁護団や支援する会会員と懇談。国との訴訟をあくまで闘い抜く決意を共に固めあった。 【和解内容】 新日鉄は以下の慰霊の協力を行う。 ①遺骨未返還の原告十名に一人当たり二百万円を、遺骨を受け取った原告一名に五万円を支払う。 ②釜石製鉄所内の鎮魂社に原告の親族を含む韓国人被害者二十五名全員の犠牲者名簿を奉納し、合祀祭を会社の費用負担で行なう。 ③韓国における慰霊に関わる費用の一部として一千万ウォン(約百四十万円)を負担する。*一部のみ掲載させていただきました。 是非クリックして全文をお読みください。当時の首相は厚生族でもあった橋本龍太郎さんです。強制労働がどんなものか、実際に見聞きした人も多かった時代です。数か月前、倉本聰さんがテレ朝の昼ドラで、リンチで殺される徴用工を描いていました。戦前戦中派には当たり前の事実を風化させてはいけないとの思いからでしょう。新日鉄は、浦項製鉄所や宝山製鉄所など韓国や中国の製鉄所を技術支援してきました。そこには、商売以上のもの(贖罪の気持ち?)があったのでしょう。それにしても、個人の請求権に基づいて行われた訴訟で、私人vs私企業の争いです。これが今回は、和解しようとしていた新日鉄に圧力かけ敗訴。無関係の国vs国の問題に偽装し、条約違反だ、信用できないと煽る始末です。ナショナリズムをたきつけて、少なからぬ日本人が「義憤」に駆られているのが現状でしょう。戦中の鬼畜米英、中国を懲らしめるなんていう例を持ち出さなくとも、北朝鮮のミサイル騒ぎを思い出せば気づくことでしょう。ここ一週間、国連安保理決議違反の弾道ミサイル祭りの北朝鮮になにも言えない安倍政権です。
2019.08.13
コメント(2)
チック・コリアの次は再び徴用工問題です。元徴用工問題「対決でなく対話で解決を」 支援者ら会見2019年8月12日 朝日新聞 韓国の元徴用工訴訟の原告側弁護士や日韓の支援者らが11日、東京都内で記者会見し、日韓の対話による解決を求める声明を発表した。被告の日本企業に改めて協議を求めるとともに、当事者間の協議を日韓両国政府が尊重するよう要請している。記者会見したのは、日本製鉄や三菱重工業など日本企業を相手取り、韓国で訴訟を起こした韓国人元徴用工や元勤労挺身(ていしん)隊員の代理人弁護士や支援者ら。韓国大法院(最高裁)が昨年10~11月の判決で元徴用工らへの賠償を日本企業に命じ、確定している。声明で、弁護士らは「日本政府は韓国が『約束を守らない』と非難するが、韓国大法院は日韓請求権協定を否定したのではなく、協定を前提に法解釈を行った。河野(太郎)外相も個人賠償請求権は消滅していないと認めている」と主張。両国政府に対し、「私たちが望むのは対決ではなく対話を通じた解決。被害実態に向き合わず、国家間の政治的対立に明け暮れる姿勢は直ちに改めるべきだ」と述べた。(編集委員・北野隆一)声明全文です。日韓関係が悪化の一路をたどっている。日本政府は、本年6月19日、韓国政府の提案した徴用工・勤労挺身(ていしん)隊問題の解決構想案について直ちに拒否の意思を明らかにしたことに続き、7月1日には、半導体核心素材など3品目の韓国への輸出手続きを強化することを公表し、さらに韓国を「ホワイト国」から除外する閣議決定を行った。日本の外務省は、今回の輸出規制措置が徴用工・勤労挺身隊問題に関する韓国大法院判決問題とは無関係であると説明している。しかし、安倍首相自ら「1965年に請求権協定でお互いに請求権を放棄した。約束を守らない中では、今までの優遇措置はとれない」と語り(7月3日、日本記者クラブ党首討論)、日本のマスコミの多くも今回の措置が韓国大法院判決への対抗措置であると論じているように、輸出規制措置と徴用工・勤労挺身隊問題は関連性があるとの見方が有力である。日本政府は、韓国大法院が徴用工・勤労挺身隊被害者の日本企業に対する慰謝料請求を認めたことを取り上げて、韓国は「約束を守らない」国であると繰り返し非難している。しかし、韓国大法院は、日韓請求権協定を否定したわけではなく、日韓請求権協定が維持され守られていることを前提にその法解釈を行ったのであり、昨年11月14日、河野外務大臣も、衆議院外務委員会において、個人賠償請求権が消滅していないことを認めている。そもそも、原告らは、意に反して日本に動員され、被告企業の工場等で賃金も支払われず過酷な労働を強いられた人権侵害の被害者である。この被害者に対し、日本企業も日韓両国政府もこれまで救済の手を差し伸べてこなかった。そこで、被害者自らが人権回復のための最後の手段として韓国国内での裁判を提起したのである。 法の支配と三権分立の国では、政治分野での救済が得られない少数者の個人の人権を守る役割を期待されているのが司法権の担い手である裁判所であり、最終的にはその司法判断が尊重されなければならないとされている。徴用工・勤労挺身隊問題に関する韓国大法院判決は、まさに人権保障の最後の砦(とりで)としての役割を果たしたものといえるのであり、評価されこそすれ非難されるべきものではない。それに加えて何よりも問題なのは、人権侵害を行った日本企業や、それに関与した日本政府が、自らの加害責任を棚に上げて韓国大法院判決を非難していることである。被害者である原告は、日本で最初に裁判を始めてから20年以上を経て自らの権利主張が認められたのである。被害者の権利主張を認めた韓国大法院判決を非難するということは、被害者の法的救済を妨害し、さらに被害者に新たな苦しみを与えるものと言わざるを得ない。日本国憲法により普遍性を有する個人の人権を尊重しなければならないと命じられている日本政府の取るべき態度ではない。私たちが望むものは、日韓両国政府の対決ではなく、対話を通じた問題解決である。被害者の被害実態に誠実に向き合うことなく、被害者を蚊帳の外に置いたまま、国家間の政治的対立に明け暮れる姿勢は、直ちに改めるべきである。今の悪化した日韓関係を改善するためには、徴用工・勤労挺身隊問題の解決は避けて通ることのできない課題である。被害者と日本企業との間で徴用工・勤労挺身隊問題の解決のための協議の場が設けられ、日韓両国政府がそれを尊重する姿勢をとることこそ、日韓関係改善に向けた確実な第一歩になると確信している。私たちは、改めて、訴訟の被告である日本企業に対して、徴用工・勤労挺身隊問題の解決について協議を開始することを求める。また、日韓両国政府に対して、当事者間での自主的な協議を尊重し、当事者間の協議を経て具体化されるであろう徴用工・勤労挺身隊問題の解決構想の実現に協力するよう求める。2019年8月11日強制動員問題の正しい解決を望む韓日関係者一同(韓国) 金世恩(弁護士、日本製鉄、三菱、不二越訴訟代理人) 林宰成(弁護士、日本製鉄、三菱、不二越訴訟代理人) 李尚甲(弁護士、三菱勤労挺身隊訴訟代理人) 金正熙(弁護士、三菱訴訟代理人) 李国彦(勤労挺身隊ハルモニと共にする市民の会常任代表) 李煕子(太平洋戦争被害者補償推進協議会共同代表) 金敏喆(太平洋戦争被害者補償推進協議会執行委員長) 金英丸(民族問題研究所対外協力室長) (日本) 足立修一(弁護士) 岩月浩二(弁護士) 大森典子(弁護士) 川上詩朗(弁護士) 在間秀和(弁護士) 張界満(弁護士) 山本晴太(弁護士) 高橋信(名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会共同代表) 平野伸人(韓国の原爆被害者を救援する市民の会長崎支部長) 矢野秀喜(朝鮮人強制労働被害者補償立法をめざす日韓共同行動事務局長) 北村めぐみ(広島の強制連行を調査する会)やはり不思議なのは、以前は和解したのに、今回は敗訴し門前払いという新日鉄の対応です。地元のローカル紙は97年の和解に言及していましたが、大手紙はスルーです。続きます。
2019.08.12
コメント(0)
(耕論)芸術祭、噴き出た感情 なかなかユニークなタイトルです。わずか3日間で中止された、あいちトリエンナーレの企画展「表現の不自由展・その後」。反発、不快感、怒り……。「対話」の場であるはずの国際芸術祭で噴出した感情。その意味は。ということで、 黒瀬陽平さん、宮台真司さん、唐澤貴洋さん3名の意見を掲載していました。一番興味深かったのは、美術家の黒瀬さんの記事です。表現の自由や公権力の介入の不当性を論じることを越えて、芸術が持つ「対話」を生み出す力を引き出す展覧会の在り方や、「町おこし」の一環のような展覧会に疑問を投げかけている点がユニークでした。新聞を読んでいて、今回中止された展覧会の出品者の作品や中止されたことに対する反応や声が伝えられていないのが残念に思いました。作品そのものを取り上げるテレビ番組があってもよさそうですが、右翼をおそれて難しいのでしょうね。放送局が焼き討ちされる?それこそが言論テロで、彼らの思うつぼです。今回は国際芸術祭だそうです。海外の先進国の反応も知りたいものです。
2019.08.12
コメント(0)
Stevie Wonder - Spain - Live, London 2008MJQの次は、チック・コリアです。私が学生の頃は、彼のクリスタル・サイレンスがもてはやされていました。フージョン・ジャズ全盛の時代ですね。Chick Corea & Gary Burton - Crystal Silence https://www.youtube.com/watch?v=VnlAPR_ixo4スペインも彼の代表曲で、多くのプレイヤーがカバーしています。こちらは、ダンスとのコラボです。尺八のようなフルートです。Spain _ Chick Corea Live in Barcelonahttps://www.youtube.com/watch?v=MXGWUppikhg スペインは、マドリッド、バルセロナ、コルドバ、グラナダ、セビリアくらいしか行ったことがありませんが、やはりイメージするのは最初に行ったバルセロナです。最近は、日本の若手ピアニストとの共演も。楽しそうですね。Chick Corea & Hiromi 上原ひろみ&チックコリアhttps://www.youtube.com/watch?v=0KmBV1j5UMI Hiromi Uehara & Chick Corea (Concierto de Aranjuez / Spain)https://www.youtube.com/watch?v=s11ER546zBM おまけ:こちらは、ビール片手に聴きたいです。 Return To Forever: Chick Corea, Stanley Clarke, Al Di Meola, Lenny White - 43 Jazzaldia Festivalhttps://www.youtube.com/watch?v=NGJ2AaIVGl8
2019.08.11
コメント(4)
■官邸に忖度、遠のいた協議 美根慶樹さん(平和外交研究所代表)河野太郎外相が、韓国の南官杓(ナムグァンピョ)大使を外務省に呼んだ際、身を乗り出して通訳を遮り、声を大きくして「極めて無礼だ」と韓国の対応を批判したのには驚きました。こんな振る舞いをすれば、韓国国民は自分たちの代表が侮辱されたと受け取り、反日ナショナリズムに油を注ぐことになりかねないからです。外交は、主権国家同士の対等な付き合いが大原則です。どんなに相手が小国であっても、「上から目線」の対応は絶対にいけません。もし相手が欧米の大国だったら、河野外相もこのような態度はとらなかったでしょう。安倍晋三首相は当初、半導体関連素材3品目の輸出規制について、徴用工問題にからめて説明していました。しかし、その後日本政府は、安全保障上の輸出管理の問題だと説明を変えました。自由貿易の原則に反するのは確実なため、国際的に支持が得られないと判断したからでしょう。輸出規制を巡る両国のやりとりで、象徴的なシーンがあります。話し合いが行われた経済産業省内の部屋で、日本側がわざわざ「事務的説明会」という紙をホワイトボードに貼り付けていたのです。日本にとってはあくまで独自に決める国内措置であり、韓国側と「協議」はしない。しかし韓国にとっては、経済に悪影響が及ぶ外交問題です。日本はまずは、韓国との協議に応じるべきです。友好国でもある隣国の役人に対し、経産省側がここまで一方的な姿勢を強調するのは、安倍政権への「忖度(そんたく)」にほかなりません。安倍政権下では独裁と言ってもいいほど官邸の力が強まっています。役人は人事で飛ばすと脅され、牙をぬかれているのでしょう。昨年、韓国艦艇と自衛隊機との間で起きたレーダー照射問題も、官邸が乗り込んできたために問題が大きくなった、とされています。かつては、日韓関係がこじれると、政治家や密使が水面下で交渉して問題を解決していました。しかしいま韓国では植民地時代に日本語で教育を受けたり、日本の学校で学んだりした人は少なくなりました。韓国が経済成長し、民主化したことで軍事政権時代の利権もなくなりました。文在寅(ムンジェイン)大統領は民主化運動を支えた弁護士でした。政権中枢には60年代生まれで80年代に大学で学生運動をした「86世代」の人たちも少なくありません。対日観も価値観も行動スタイルもかつての世代とは大きく異なります。政治家の交流が滞るなかで日韓関係を支えてきたのは、市民の交流でした。しかし、最近は交流が中断されるなど波紋が広がっています。感情の行き違いによる衝突を防ぐためにも、両国をつなぐ人材や専門家を地道に育てていくべきです。(聞き手・桜井泉) *みねよしき 1943年生まれ。外務省に入り、ジュネーブ軍縮会議代表部大使、日朝国交正常化交渉政府代表などを務めた。最後は、外務省OBの耕論です。安倍や外交の基本がわかっていない河野大臣の振る舞いや、それを諫めることができない後輩の不甲斐なさを指摘しています。政府の代弁者で外務省OBでもある岡本行夫さんも、やり方の稚拙さを指摘していました。WTOの場でも隣同士のテーブルなのに言葉を交わすことはなかったです。北朝鮮問題で脚光を浴びた伊原君が代表大使です。外交官としての矜持を見せてほしかったです。小和田のように、さらに上のポストを目指しているのでしょうか。
2019.08.11
コメント(2)
■一線越え、自尊心傷つけた 朴チョ熙さん(ソウル大学大学院教授)韓国と日本は、民主主義、市場経済、法の支配と人権の尊重などの価値観を共にする、東アジアの「二卵性双生児」といえます。安全保障や経済分野で協力すれば、双方ともに得るところが大きい。うまく付き合えば「戦略的パートナー」になれますが、両国の首脳は認めたがらないようです。日本政府はついに韓国を「ホワイト国」リストから除外することを決めました。これは、日本が世界に向かって「韓国は非友好国だ」と宣言したことを意味します。完全に一線を越え、韓国人の自尊心を傷つけてしまいました。除外の理由として日本側は安全保障を挙げるものの、詳細な説明はせず、証拠も出していません。韓国側が、徴用工問題をめぐる報復だと受け取るのは当然でしょう。私は6月から2カ月間、東京に滞在しましたが、日本人の間に「韓国とはもう付き合いきれない」という諦めが広がっているのに驚きました。メディアを通じて韓国から日本に伝わって来るのは、文在寅(ムンジェイン)大統領の強硬姿勢と不買運動や市民団体の民族主義的な声がほとんどでした。韓国内には、日本との友好関係を大事だと考える「知日派」や「国際派」がおり、文政権に批判的な見方もあるのです。しかし、日本がホワイト国除外の措置にまで踏み切ったことで、彼らはますます声をあげにくくなりました。植民地支配からの解放を祝う光復節(15日)が近づけば、訪日自粛の動きや日本製品の不買運動も盛り上がるでしょう。今や日本も韓国も「自分たちが100%正しく、相手が誤っている」という考え方にとらわれており、妥協が難しくなっています。両国がここまでこじれた原因は、日本の最高裁判所にあたる韓国大法院が、元徴用工に対する賠償を日本企業に命じた昨秋の判決にある、と私は思います。韓国の歴代政権は、1965年の日韓請求権協定で賠償問題は解決済みという立場だったのに、司法がこの決定を覆したのです。文政権は三権分立を尊重するがゆえ判決に従わざるを得ません。一方で、日本との協定は守らなければならず、身動きがとれなくなっているのです。私は、日本企業に賠償を求めるのは望ましくないという立場です。賠償の代わりに日本企業は被害者やその子孫の教育、医療、福祉のために何らかの経済支援をすることを提案したいと思います。いま両国首脳の間には意思疎通がなく、互いに強硬な発言で関係を悪化させています。役人もトップの顔色をうかがうばかりで、本音の話ができません。指導者に求められるのは、自制と寛容です。事態が悪化し、被害を被るのは企業や国民なのです。(聞き手・桜井泉) *パクチョリ 1963年韓国生まれ。専門は日本政治、日韓関係。日本の政策研究大学院大学の客員助教授などをへて現職。「韓国は非友好国だ」=ホワイト国外しは、やはりまずかったのでしょう。一線を越えたなんて言われると、不安になります。中立的な人はおろか日本に好意を持っている人まで、反日に追いやってしまっては失敗でしょう。韓国の事情に言及したこの記事が、面白かったです。中国製品を排除すると生活ができない米国と似ていなくもないですね。「反日旗」即日回収、韓国「官製不買運動」が大顰蹙 https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57257 PS:個人の請求権について、今朝のフジテレビの番組で橋下さんが西松建設の最高裁判決を引き合いに出して肯定するかのような発言をしたのは意外でした。報復合戦を招く日本政府の措置を批判して、微妙に軌道修正です。キャスターの日本会議の櫻井よしこが反発するのかと思ったら、戸惑った表情が興味深かったです。しかしながら、判事も検事も文大統領の息のかかった人物、司法が左翼に支配されているとの櫻井ならでは中傷です。韓国の日本格下げに反発する場面では、それは韓国の内政というのが日本政府の立場(だから櫻井がとやかかくいうのはおかしい)とたしなめられていました。扇動家櫻井VS法律家橋下の一面を見せられた番組でした。
2019.08.11
コメント(0)
徴用工判決に端を発した今回の日韓対決は、出口の見えない袋小路に入っているようですがこれを機にあるべき関係は何かと言う事を、日韓双方の国民が考えられれば良いと思います。朝日新聞の今回の記事は、その一助になります。(耕論)袋小路の日韓関係 向山英彦さん、朴チョ熙さん、美根慶樹さん 日韓関係が袋小路に陥っている。1965年の国交正常化以来、最悪ともいえる対立。「政治とは別」なはずの経済や文化交流にも影響が及んでいる。出口はどこにあるのか。 ■互いの共通利益みつめて 向山英彦さん(日本総研上席主任研究員)日本政府は韓国に対し、半導体関連3品目の輸出規制強化に続いて、「ホワイト国」(輸出優遇国)のリストからも外すことを決めました。文在寅(ムンジェイン)政権による徴用工問題への対応などに不信感を高めた末の、韓国に対する事実上の制裁措置と言えます。 今回の措置で韓国への輸出が全面禁止になるわけではありませんが、輸出が滞れば、韓国経済に大きな打撃となります。日本の措置は、韓国経済の「急所」をつくものでした。対象になった3品目は、韓国の主力産業である半導体や有機ELパネル生産に不可欠で、かつ日本企業が世界的に高いシェアを持ちます。半導体は韓国の輸出額の2割を占め、ここ数年、設備投資の牽引(けんいん)役でした。韓国企業は汎用(はんよう)製品の量産技術に強みを持ち、高品質の素材や部品は外部調達する「分業」モデルで成長してきました。韓国では2000年代以降、素材・部品分野の国産化を推進していますが、今もコアとなる分野では、日本に大きく頼っています。今回の措置はこの点を浮き彫りにしました。ただ、打撃を受けるのは韓国だけ、という単純な話ではありません。日本の素材・部品産業にとっても韓国企業は重要な顧客で、開発のパートナーでもあるため、日本企業にも影響が及びます。韓国の半導体は中国に輸出され、スマートフォンやパソコンなどに組み込まれて米国などへ輸出されていることから、影響は世界規模に広がります。「ホワイト国」からの除外により、幅広い輸出品が個別許可の対象になります。どこまで影響が出るかはこれからの運用次第ですが、恣意(しい)的な運用がされる恐れがあります。この不確実性こそ、企業にとって最大のリスクになります。今回の事態を受けて、韓国側は3品目を含めた国産化を急ぐのは確実です。すぐには難しくても、1~2年でみれば可能性は十分あり、中期的には韓国企業の「日本離れ」につながる可能性があります。今回の大きな問題は、韓国で「日本が貿易戦争を仕掛けてきた」と受け止める人が多く、反発を招いたことです。日本製品のボイコットが広がり、韓国からの訪日客も減り始めました。日韓関係のさらなる悪化は、これまで積み上げてきた経済関係のほかに、文化やスポーツ交流にも深刻な影響を及ぼしかねません。今必要なことは、大局的な観点に立って、お互いの共通利益を再認識することです。日韓はものづくりのサプライチェーンでつながり、少子高齢化など共通の社会課題を抱えています。良好な関係を保つことは、それぞれにとって利益になることを忘れてはなりません。(聞き手・稲田清英) * むこうやまひでひこ 1957年生まれ。アジア経済全般、韓国経済の動向を主に研究している。中央大学経済学部講師を兼務。徴用工の対抗措置の貿易制限ですね。財界のシンクタンクからもその効果が疑問視されている措置でしょう。日本企業にとって韓国はお客様ですが、大切なお客様を失うことは打撃でしょう。かつて家電、テレビ、スマホや半導体で負けたことを忘れたのでしょうか。韓国の「半導体材料国産化」を見くびれない理由 模倣や日本企業からの人材引き抜きに警戒だ https://toyokeizai.net/articles/-/296464 を、読んで思い出してほしいですね。選挙中は盛んにツイッターしていたのに、WTO違反だと指摘されて、あわてて通常の措置と弁明する世耕大臣は滑稽でした。恣意的な運用が指摘されると、通常90日を60日で「輸出許可を出した」と公表してみたり場当たり的な対応ですね。今回の措置に大喝采のネット右翼ですが、零細企業の経営者や貿易とは無縁な土建屋なので日本に跳ね返る影響に無頓着なのでしょう。また、韓国に敗れた造船会社の元社員なんてのもいるようです。こちらは逆恨みですね。
2019.08.10
コメント(0)
Manhattan Jazz Quintet Tokyo 87 - S.Gadd,E.Gomez,L.Soloff,D.Matthews,G.Young ここしばらく、猛暑日と熱帯夜で大地が温められています。昨日は積乱雲、今日は黒雲と、雷雨を期待しましたが、結局降らずじまいでした。今日の午後はジャズコンボです。マイ・フェイバリット・シングス - My Favorite Things: Live In Tokyo(1987年)を、聴きました。 中野サンプラザでのライブでした。35分あたりの You'd Be So Nice To Come Home Tooが、特によかったです。デビッド・マシューは、日本公演のために日本語を勉強したそうです。日本人は米国では英語で話すから、自分は日本に行ったら日本語で話したいとのことです。こちらも日本ではMJQで通っています。紛らわしいですね。PS:9月23日 武蔵野市民文化会館 大ホール で公演があります。チケットは3000円と都心の演奏会場に比べるとずいぶん安いです。プログラム モーニン キャラバン スイングしなけりゃ意味ないね クール・ストラッティン ボディ・アンド・ソウル アイ・ガット・リズム 恋人よ我に帰れ キサス・キサス・キサス ザ・サイドワインダー サム・スカンク・ファンク ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥスタンダード・ナンバーのオンパレード!! フランク・シナトラ、ポール・マッカートニー、サイモン&ガーファンクル等、超大物の編曲家として活躍し、グラミー賞を受賞したデヴィッド・マシューズ率いるスーパーグループ。 発売したCDはジャズ界異例の20万枚売り上げ!ジャズの楽しさがぎっしり詰まったコンサート!特別に1曲、武蔵野市立第一中学校吹奏楽部と共演。中学生と共演です!
2019.08.10
コメント(4)
*こんなビデオもあるのですね。毎朝9時から放送しているNHKBSのプレミアムカフェ(昔の番組の再放送)で、2015年の「玉音放送を作った男たち」を見ました。8月ですね。「日本の敗戦を昭和天皇自らが語りかけた「玉音放送」には、それを実現へと導いた仕掛け人がいた。 時の情報局総裁・下村宏。彼は昭和18年にいち早く玉音放送のプランを着想し、昭和20年8月に天皇に単独拝謁して実施を訴えた。そして実現にこぎつけるや、それを阻止しようとする反乱軍と対峙し、15日の放送を死守したのである。下村の手記などの資料を軸に、あの歴史的な放送を実現した人々の姿を、ドキュメンタリー・ドラマで描き出す」株式会社テレビマンユニオンのサイトより。 https://www.tvu.co.jp/program/gyokuon_201508_2/脚本執筆、演出に際し心がけたことは、下村宏という人間の複雑性を表現することでした。下村は、単純な理想主義者でも反戦主義者でもなかった。己の目的を実現するためには、軍部への配慮も怠らず、安心させておいて、スルリと主張を通してしまうという、一種の戦略家でもあったのです。あの時代に、己の理想を実現させるためには、そのための駆け引きも必要だったわけで、いわば「理想力」と「現実力」を合わせ持つ人物として、下村を描く必要があったのです。柄本明さんが、見事に演じられていました。下村宏を支える妻・文役と、全体のナレーション役として、原田美枝子鈴木貫太郎首相役でご出演いただいた上田耕一さんとベテランが出演です。当時はそう売れていなかった情報局の久富達夫次長(演・豊原功補)、川本信正秘書官(演・青木崇高)、和田信賢アナウンサー(演・瀬戸康史)が、出演しています。もちろん反乱軍将校のの高橋一生さんも、いい味を出していました。日本の一番長い日とは異なった視点で、興味深かったです。玉音放送の直後にニュース解説があったことも知りました。天皇の難解なお言葉をわかりやすく、かつ日本国民に復興を訴える内容でした。母は、小学校で聞いたそうです。戦争というと防空壕ですが、当地にそんなものはなかったそうです。高価な家財道具や骨董などは、郊外の農家に預けたと言っていました。ドラマの昭和天皇は言葉を発せず、天皇の言葉を書き留めた下村の文書で進行でした。天皇の神格化を重んじる側近の木戸幸一が玉音放送に反対だったとは知りませんでした。本来は、その日の深夜1時に再放送があるのですが、今回はなぜかありません。参考:http://yamane-blog.hatenablog.com/entry/2015/08/06/190104
2019.08.09
コメント(0)
(インタビュー)大元帥たる昭和天皇 歴史学者・吉田裕さん2019年8月7日 朝日新聞アジア・太平洋戦争の戦場の実態を克明に描き、20万部のベストセラーになった「日本軍兵士」。その著者で、近現代の天皇制研究でも知られる吉田裕さんは「天皇の軍隊」の実像を読み解く数少ない研究者だ。大元帥たる昭和天皇は、あの戦争とどう関わり、どこまで兵士の窮状を知っていたのか。沖縄戦や特攻をどう考えていたのか。 ――「日本軍兵士」には、食糧不足や劣悪な装備など、日本軍の過酷な実態が書かれています。 「軍隊の問題を自身に置き換えて考えられるように、『心と身体』に重きを置きました。体重の半分の装具を背負い、飢えや病気、心の病に苦しむ兵隊の姿から、戦争の現実を知ってほしかった」 ――そうした戦場の現実を昭和天皇は知っていたのでしょうか。 「かなり把握していたと思います。1943年9月には侍従武官長に、将兵を飢餓に陥らせるのは耐えがたい、『補給につき遺憾なからしむる如(ごと)く命ずべし』と言っています。ただ、最後まで日本軍の戦力を過信していたので、実情よりは楽観的だったとはいえるかもしれません」 ――実際の戦況をどの程度把握していたのですか。 「どこでどの軍艦が沈んだかなど、日本軍が受けた被害については、ほぼ確実に把握していました。ただ、石油の備蓄量などは数字を改ざんして上奏されていたとも言われ、100%正確に知っていたかは疑問も残ります」 「一方で、敵に与えた損害は、誇大に報告されがちでした。台湾沖航空戦などが典型ですが、パイロットからの報告を精査せずに積み上げていったので、11隻もの航空母艦を沈めたことになっていました。実態とかけ離れた戦果が天皇のもとに情報として集められ、敵も苦しいはずだという楽観が生まれてしまいました」 ――「まだ戦える」と思ってしまったわけですか。 「45年2月に元首相の近衛文麿が戦争の終結を上奏したときに、天皇は『もう一度戦果を挙げてからでないとむずかしい』と答えています。その時点でも、まだ戦果を挙げられると信じていたんですね。米軍に打撃を与えて、できるだけ有利な条件で講和に持ち込むという『一撃講和論』をずっと支持していました。そのために戦争終結がずるずると遅れてしまった面はあると思います」 「沖縄戦でも、当初は、特攻作戦がうまくいっていると誤認していたようです。天皇が戦争をあきらめるのは45年5月ごろです。ドイツの降伏と、沖縄がもう持ちこたえられないとわかって、ようやく終戦を決意したのです」 ■ ■ ――沖縄戦に、どの程度具体的に関わっていたのでしょうか。 「沖縄戦では、陸軍と海軍では当初の作戦方針に違いがありました。海軍は沖縄で最後の決戦をしようとしたのですが、陸軍は本土決戦を主張し、沖縄はその『捨て石』と見なしていました。持久戦にして米軍に損失を強い、本土決戦に備えようとしたのです」 「天皇は海軍を支持しました。陸軍は持久戦に備え陣地に立てこもる戦略をとろうとしましたが、天皇は出撃して決戦するように促しました。沖縄戦の場合は、天皇は海軍の側に立って、作戦に介入していたといえます」 ――天皇が作戦方針の決定にも関わっていたわけですか。 「歴史学者の山田朗さんが、どの作戦の際に天皇がどんな発言をして、どう影響を及ぼしたかを詳しく研究していますが、かなり主体的に関わっています。天皇が発する最高の統帥命令を、陸軍は『大陸命』、海軍は『大海令』といいますが、戦後の占領期、大陸命や大海令の存在は占領軍に秘匿されました。隠さなければいけなかったという事実が、天皇が作戦に関与していたことを証明しています」 ――戦争末期の特攻作戦についてはどうだったのでしょうか。 「陸軍の場合、正式な特攻部隊はつくられませんでした。部隊編成は天皇の大権ですが、特攻のような『非常の戦法』を天皇が裁可すると『徳が汚れる』という判断が陸軍にはあったんです。だから既存の部隊に、必要な機材と人員を増加配備して出撃させました」 「一方、海軍の場合は特攻専門部隊が編成されました。『回天』や『桜花』の部隊がそうです。編成を裁可している以上、特攻が天皇の意思に背いて行われたとは言えません。45年1月には本土決戦用の陸海軍共同の作戦計画を裁可していますが、その中に特攻が含まれています。作戦としても特攻を認めているわけです」 ■ ■ ――参謀本部や軍令部の幕僚たちは、天皇の意思に全面的に従っていたのでしょうか。 「基本的には、参謀本部や軍令部がつくった作戦計画の大綱を天皇が見て、承認するという形でしたが、作戦に問題があると天皇が考えた場合には、意思を表示しています。天皇の積極的な意思表示があった場合には、幕僚たちも作戦を変えざるをえませんでした」 「ガダルカナル島の戦闘が激化していた時期に、陸軍の航空部隊を増援に出すよう海軍が強く要望しました。陸軍の飛行機は洋上飛行には不向きなので、陸軍側は抵抗します。しかし天皇は、繰り返し航空部隊を出すように言い、陸軍も結局は従っています」 ――明治天皇や大正天皇と比較すると、昭和天皇は特に統帥に関与していたとは言えるのですか。 「大正天皇は若いときから病気がちで、大きな戦争もなかったので、統帥権の発動者として行動することはほとんどありませんでした。明治天皇は、様々なかたちで戦争や作戦に関わりましたが、伊藤博文を始め、幕末の動乱をくぐり抜けてきた元勲たちが天皇を支えていました。彼らは作戦に介入して、戦争指導をするだけの力を持っていたんです。昭和期になると、伊藤のような人はいなくなった。天皇が文字通り軍を統帥することになり、制度の欠陥が露呈してしまいました」 ――天皇と軍隊をめぐる制度の欠陥とは何だったのでしょう。 「明治憲法体制では、あらゆる国家機関が天皇に直属していました。国務大臣も個別に天皇を補佐するシステムで、総理大臣も他の大臣と横並びの存在でしかありませんでした。内閣の外側に統帥部があり、それと並列して軍司令官や連合艦隊司令長官がいる状態です。普通の国なら参謀総長の下に軍司令官が置かれるのですが、明治憲法体制での参謀総長や軍令部総長は、基本的には天皇の命令を伝えるだけの存在で、自分では命令できません」 「昭和天皇は、国務については輔弼(ほひつ)の大臣を重んじるが、統帥については自分が最高責任者だと考えていたという証言があります。すべてを天皇に上げて、裁可を得なくてはならず、戦況の急な変化に対応できない。総力戦の時代には通用しないシステムでした」 ■ ■――天皇の役割も含めて、旧日本軍がどんな組織で、どう動いていたのかは、あまり知られてこなかったように思います。 「日本の近現代史研究では、長い間、軍事史が空白でした。戦後の近現代歴史学を最初に担った世代は、ほとんどが軍隊経験があり、戦争や軍隊にはもう関わりたくないという気持ちがあったと思います」 「日本の伝統的な歴史学の考え方では、50年経たないものは研究対象にならないとされていました。当事者がまだ生きているから利害関係があり、客観的に見ることができないからという理由です。もうひとつ大きいのは、情報公開が遅れていたことです。僕が卒業論文を書いたのは77年ですが、当時、旧防衛庁の防衛研修所戦史室には、所蔵資料の目録さえなかった。存在そのものが伏せられていた資料も多かったんです」 ――遅れた間に、当事者はどんどん死んでいきますから、研究自体も難しくなりますね。 「あの戦争について、外交史、政治史、経済史などの研究はかなり進みましたが、最後の空白地帯が戦史です。軍隊や戦場そのものを歴史分析の対象にする。それが『日本軍兵士』で一番書きたかったことなんです。天皇と戦争のかかわりもその一部です」 ――「日本軍兵士」があれだけ読まれたのはなぜでしょう。 「読者の感想を見ると、ブラック企業など、いまの問題に引きつけて読んでいる人も多いようです。バブル時代のCMで『24時間戦えますか』というのがありましたけれど、疲労の激しいパイロットに覚醒剤を打って出撃させる発想と、基本的には変わってないですよね」 ――戦史の空白を埋めていく上で、重要なことは何でしょうか。 「非売品や私家版で出された部隊史、兵士の回想録や日記の復刻などの資料の散逸が一番心配ですね。私家版だと納本義務がないので、国会図書館にないものも多い。活字になっていない日記やメモなども多く残されているはずなのですが、本人が亡くなると処分されてしまいます。戦争体験の記録を国が収集して、保存する仕組みをつくるべきだと思います」(聞き手 シニアエディター・尾沢智史) * よしだゆたか 1954年生まれ。専門は日本近現代史。一橋大学特任教授。著書に「昭和天皇の終戦史」など。6月から東京大空襲・戦災資料センター館長。とても興味深い記事でした。天皇については、戦争に反対だったとか、平和主義者とか美談のように語られることが多く、実像がよくわかりませんでした。でも最高権力者で状況を把握し、戦争を遂行したことがよくわかります。やはり戦犯として法廷に立って、自らの口で証言してほしかったです。新憲法になっても昔の癖が抜けず、政府にあれこれ注文つけていたというようなことが、ある政治学者の本に書かれていました。令和を機に、ご進講や内奏をネット中継したらどうでしょう。最後に、自己保身の一撃講和論など信奉せず、自分の目で戦況を見て早くに決断すれば、沖縄や広島・長崎の悲劇も東京大空襲もなかったかもしれませんね。多くの人を死に追いやった昭和天皇の罪は重いです。
2019.08.09
コメント(2)
全69件 (69件中 1-50件目)