モンゴメリー・バス・ボイコット運動
が幕を開けた
1955
年。完成した『黒い牡牛』の脚本をドルトン・トランボがキングブラザーズに提出すると社長のモーリスは自社での製作を決定する。「ロバート・リッチ」名義でクレジットされたこの映画は 第29
回アカデミー賞
で 原案賞
を受賞してしまい、やがてトランボが執筆したという噂が立つ。
さらに 第30
回
で『 戦場にかける橋
』が 脚色賞
、 第31
回
で『 手錠のまゝの脱獄
』が 脚本賞
を獲得し、 3
年連続でブラックリスト入りした脚本家がオスカー受賞者となるとトランボはこれを好機とみてテレビに出演し、自分がロバート・リッチであることを認める。
トランボの発表を赤狩りへの挑戦であると受け取ったアーノルド・ギビーは彼への攻撃を開始し、また アメリカの理想を守るための映画同盟
の ジョン・ウェイン
やヘッダ・ホッパーは会員たちに共産主義者の徹底した排除を呼びかける。
先鋭化した赤狩りとの闘いを決意したトランボのもとへプロデューサーの エドワード・ルイス から新たな仕事が舞い込む。紀元前 1 世紀に ローマ帝国 を相手に反乱を起こした奴隷を描く小説を原作とする カーク・ダグラス 主演・製作総指揮の映画『 スパルタカス 』の脚本執筆をトランボは「サム・ジャクソン」名義で引き受ける。
ウィキ 『
赤狩り THE RED RAT IN HOLLYWOOD
赤狩り THE RED RAT IN HOLLYWOOD - Wikipedia
いくら偽名と言っても、徐々に正体判明です。
なんせアカデミー賞を2度も取ってしまうのですから、注目の的です。
マッカーシーは1954年に失脚し、57年に亡くなったものの、 ( House Committee on Un-American Activities
HUAC
)は、名前を変えながら1975年まで存続しました。
映画の後半は、名誉回復の戦いが描かれます。
ジョン・ウェインやヘッダー・ホッパーの嫌がらせは執拗ですね。
B級映画会社社長が、圧力をかけに来た男に対してアカでも何でも、面白ければよいと怒鳴り散らして追い返すシーンは痛快でした。
まさに米国の活動屋の心意気といったところでしょう。
『 スパルタカス 』( Spartacus )は、 1960 年 の アメリカ映画 。 ハワード・ファスト が執筆した スパルタクスの反乱 をテーマにした 小説 を、 カーク・ダグラス が自らの製作総指揮・主演で映画化した 歴史スペクタクル映画 。
2017 年 、 アメリカ議会図書館 によって「文化的、歴史的、美学的に重要」とみなされ、 アメリカ国立フィルム登録簿 に保存された。
かつて 赤狩り で追放歴のある ダルトン・トランボ ( ハリウッド・テン の一人)が 13 年ぶりに実名で脚本を担当したことから、公開当時は 右派 や軍人を中心に非難や上映反対運動が起こった [ 要出典 ] 。
これに対し、 ジョン・F ・ケネディ 大統領 (当時)が事前通知なしで劇場を訪れて同作品を観賞し、好意的な感想を述べたことで、大ヒットにつながった [4] 。
キューブリックはあくまで監督として「雇われた」だけだと言い張り、死ぬまでこの映画を自分の作品とは認めず、「あの映画には失望した」とまで言っていた。 [ 要出典 ] これは製作者カーク・ダグラスが大物俳優であったことにより、キューブリックの思惑どおりになかなかことが進まなかったことが理由とされている。
ただし近年までの本作品の評価は一般的、批評家的にも高評価であり、キューブリック本人の自作否定と反して監督本人のキャリアを汚すものではない。もっとも、史実の スパルタカス を考えると、彼がローマ軍の捕虜となる筋書きには批判もある。 [ 要出典 ]
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