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春に谷川俊太郎この気もちはなんだろう(私の朝の散歩道、森林公園。今藤の花が爛漫と咲く。私が生まれた日にも盛りと咲いていた花。)目に見えないエネルギーの流れが大地からあしのうらに伝わってぼくの腹へ胸へそしてのどへ声にならないさけびとなってこみあげるこの気もちはなんだろう(むせかえる新緑のエネルギー、公園の新緑の鮮やかさ。)枝の先のふくらんだ新芽が心をつつくよろこびだ しかしかなしみでもあるいらだちだ しかもやすらぎがあるあこがれだ そしたいかりがかくれている(何万年前から生き延びてきたこの地域に自生するシデコブシの花、繊細な花びらが天候不順のため、ちちこまってしまっている、絶滅危惧種)心のダムにせきとめられよどみ渦まきせめぎあいいまあふれようとするこの気もちはなんだろうあの空のあの青に手をひたしたいまだ会ったことのないすべての人と会ってみたい話してみたいあしたとあさってが一度にくるといいぼくはもどかしい(マメナシ:この木も何万年物いのちをこの地でつないできた)地平線のかなたへと歩きつづけたい大声でだれかをさけびたいそのくせひとりで黙っていたいこの気持ちはなんだろう4月28日は私の74歳の誕生日であった。谷川俊太郎のこの詩は74年を生きてきた私の心にびんびんと響く。春は生きようとするものたちのエネルギーが満ちあふれる。いのちの華やぎいのちの混沌老いていこうとしている身にはまぶしすぎる。若いときには感じる事のできなかったこの気持ち。そしてもどかしさ、はてしなく広がる世界。青春をともにした友、幼いころ遊びほうけたいとこ父や母や叔父や叔母や地平線のかなたへと歩み去っていったひとたちみなそれぞれの思いを抱いて。大声で誰かを呼んでみたい。そのくせ一人で黙っていたい。この気持ちは何だろう。残されたいのち弱っていくからだ好奇心に満ち満ちたこころ深い強い探求心そのくせ草の上でじっとしていたいこの気持ちはなんだろう74年間生きて初めて深く共感した気持ちである。谷川俊太郎のこの詩「春に」は、理論社1983年刊「どきん」という詩集に掲載されているものである。谷川俊太郎が50歳前半の詩である。85歳の今なお旺盛な活動をしておられる。中学三年の国語教科書(光村出版)の冒頭を飾っている詩でもある。連分けがなく、初めから終わりまでを一連で構成されている詩であるが、私が自分の気持ちに沿って、自分勝手に連分け、行変えを行ったことをお断りしておく。(一連で一気に読むことがこの詩のリズムだし、心に突き刺さってくると思うが、あえて解釈してみたかったので。)中学の国語の先生には、この詩の授業を行うとき、中学生のこころにひきよせて、広く深く宇宙に生かされた自分を意識して鑑賞できるような授業にしてほしいとお願いしたい。多くの中学生が、テストのために、言葉の意味や表現技法を暗記している。その暗記を苦痛に感じている。これからの人生のどこかでこの詩が彼らの心に響くこと願うばかりである。
2017.04.29
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ソメイヨシノの花がやっと咲き競い華やいできた。そのさくらと競演して咲いているマメナシの花マメナシは氷河期から延々と命つないできた植物であるとは驚きである。現在、山地に自生しているわずかな木の中の一本雨模様の暗い空に枝をいっぱい広げ、懸命に咲ききっている。さくらの花とはまた趣異にしてとてもすがすがしい。さくらと競演して咲くマメナシの花今日は天候が悪く、あいにくだが、抜けるような青空を背に淡いピンクと白が競い合うさまを見ることできるならその美しいまた格別であろうに。この近辺のさくらは大木が多く、その見事な枝ぶりに、咲き誇るさくらが雨に煙っています。今日は、公民館の私の属する絵のサークルからさくらのスケッチに遠出する予定でしたが雨のため、公民館の近くを散策し雨の桜を満喫しました。
2017.04.08
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中学入学おめでとう!今春はこの地方の桜の開花が遅く昨日の森林公園の桜は、つぼみが膨らんで、やっと咲き始めたばかりだ。この分だと、ソメイヨシノもヤマザクラもほぼ同じころに満開になりそう。今日は孫の中学の入学式だが、生憎の雨、春の嵐となり荒れ気味の空模様。 (絵手紙:金沢の金華糖。金沢からやってきた春のたより。お雛祭りを祝う砂糖菓子。すべてお砂糖で作れれています。甘いものがなかった戦後の幼い日々に、祖母から、数粒こっそりもらって食べた金平糖の素朴で柔らかな甘さが口いっぱいに広がる懐かしい甘さのお菓子です。嫁の実家から頂きました。)孫の中学時代と、このお婆の中学時代とは半世紀を優に超える時間の隔たりがあり、その変化の激しさは、今までの歴史の中でも最も大きなものであると思う。そして、孫たちの生きるこれからの半世紀も今以上の激動激変が予想される。人生の働き方、その生活の仕方は、おそらく今、私たちが、想像している以上の変化を遂げているだろう。 (かっては我が隣人である知人、今ではお互いに高齢者となった。その仲良しの友が認知症になってしまった。どうして?なぜ?と驚きと衝撃の私である。その友に私は、時々絵手紙を送っている。これもその1枚。介護者となって日夜奮闘されるご主人を励まし、彼女との会話のねたとなるような一枚となること期待して。)中学生になることねには21世紀の激動にも耐えうる学力の基礎、確かな生きる力をの根っこを中学生活の中で身に着けてくれることを期待したい。生きる意欲、生きるエネルギーになるような学びをしてくれることをお婆は切に願っている。(この絵手紙も、今認知症と闘う友に出した一枚。)桃栗3年、柿8年。ユズの大馬鹿16年。この諺は、種子を蒔いてから実が結実するまでの年月を表すものである。ユズの木は実が成るまでに長い年月がかかり、現代の新しい家の庭には植えられなくなってしまった。私の子どものころは、農家の庭にはどこにでもあった。その実は冬の行事の折々に大活躍した。中学1年生になることねよ中学や高校時代に身に着けたことが花開き、実を結ぶためには、このユズの木のように風雪に耐えた長い時間が必要である。目先のことばかりにとらわれず、広い世界を知ることのできるような学びをぜひやって欲しい。現代の子どもたちを取り巻く環境は恵まれているようにみえるが、芯のあるスケールの大きな大人になっていくには、かなり厳しい。その取り巻く環境に負けない人間に育ってほしいと願うばかりである。先ずは、ことねよ中学入学おめでとう!元気な好奇心満ちた一年生であれ。
2017.04.07
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陶芸を始めて6年目、今年は今は亡きパピヨンのユメを作陶した。パピヨンのユメは私たちのところで12年ほどともに暮らした愛犬である。 ゆめは物静かでとても控えめ主人にはあくまで忠実かしこい犬であった。私たち夫婦の喪失の悲しみも深かった。かくして、思い入れ深くなかなか作陶できないままであったが、何とか今年度は形にすることが出来た。素焼きをする前のユメ土:信楽 作陶法:紐素焼き、本焼き後に完成したユメ釉薬:伊羅保品位があり賢そうなユメが出来たのではないかと思う。現在の私の技術ではまあまの出来栄えと自己満足しているが、更なる、ユメちゃんらしさを追求した作品が作れるよう精進したい。素焼き前の粘土のときのユメの後ろ姿穏やかな表情のユメちゃん。今年、孫たちの家族が新しく飼い始めたミクスのシーズーでメリーまだ若い犬です土:信楽 釉薬:灰釉実物はこんなに可愛い。これはまだ数か月の幼い犬ですが、 この可愛らしさは中々表現出来ない。これからの犬の作陶のモデルになりそうです。 素焼き前の粘土のメリーちゃんメリーの後方にいる人形は小学3年生の孫娘をモデルにした少女です。その完成作品がこの少女像(1)陶人形も陶芸を始めた頃より追求してきたテーマですが今年になって初めて、人形らしくなってきました。特に表情が表現できるようになってきたと思いますがまだまだこれからです。素焼き以前の粘土の作品少女像(2)孫娘がモデルの立像。しっかりと立っています。人形を立たせるのは、かなり難しい。現在、人体デッサンを学びながら、平行して陶芸をやっていますが、最近になって、デッサンの勉強が人形の作陶にかなり役立ってきました。この立像はその成果だと思います。素焼き以前の粘土像写真を撮る角度を色々変えてみました。人形の表情に少女のかわいらしさと同時に少し陰のあるところを出したかったのですが。28年度は陶芸にあまり時間を取ることが出来なかったので、作品の数が少ないのですが今年度は陶芸に割く時間をもっと増やし、犬と人形以外にも挑戦したい。日常の器に挑戦したい。ろくろを引くための熟練をめざしたい。愛犬ユメの死についての記事を書いています。どうぞご一読を。2010/01/22 「ユメちゃんの静かな最期」
2017.04.04
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