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連続ドラマW グーグーだって猫である 1〜2 (全2枚)(全巻セットDVD) [宮沢りえ]|中古DVD【中古】連続ドラマW グーグーだって猫である2 -good good the fortune cat- 1〜3 (全3枚)(全巻セットDVD) [宮沢りえ]|中古DVD原作:大島弓子 監督:犬童一心 主演:宮沢りえ 子供の頃から絵を描くのが好きだった小島麻子(宮沢りえ)は時が経って人気漫画家になり飼い猫「サバ」と暮らしている。ある日、サバが死んでひどく落ち込んでいるのを見た担当編集者の大森(長塚圭史)は環境の良い吉祥寺、井之頭公園付近の一軒家への引っ越しを提案する。引っ越しも落ち着き、公園をゆっくり散歩する麻子が見たのはベンチで休む一人のみすぼらしい老人だった。病気の子猫を懐に入れ座っている。 気になって仕方がない麻子はある日紙袋に入れられ放置されていた子猫を見つけ病院へ連れていく。後日現れた老人は麻子にその子猫を託し姿を消した。子猫は「good good」という意味から「グーグー」と名付けられ新な麻子の家族になった。この物語は麻子とグーグーの、出会いから別れ(死)までの15年8か月の生活がほのぼのと描かれている。 非凡なタイプの麻子と彼女の才能を尊敬しながらも自己主張を全面に出すアシスタントたちの個性や、ほどよい距離間で麻子を見守り続ける大森の思いなどを絡めながら、どんどん増えていく保護猫たちの可愛さと賑やかさ、突発的に行動する麻子に巻き込まれていく周囲のドタバタ感が面白かった。 このドラマを見て思うのは、主人公の麻子は恋人もいなく友達も少なく大病もしていて世間的には可哀そうな女性なんだけど内面的にはとても充実し、子供の頃からの夢を職業にでき、たくさんのファンに支持され、同業の卵からも尊敬され、生きもの(大好きな猫たち)と平和に暮らしている。大森君も月日は流れても一生傍にいてくれるような雰囲気を漂わせている。 井の頭公園の木々の光がスクリーンを照らし、ひとつひとつ丁寧に人生を生きている麻子がグーグーと幸せそうに散歩をしている。挿入歌もよく合ってるし配役が抜群にいい。 主人公の宮沢りえさんがどこまでもナチュラルでとても心地良かった。
2019.03.27
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著者:ボストン・テラン 訳:田口俊樹この小説は・・・元アメリカ海兵隊三等軍曹ディーン・ヒコックが書いたギヴという名の犬の物語です。イラクからの帰還兵である彼は心と体に癒されることのない深い傷を負い、人生の目的も失い、死に場所を求め暴風雨のケンタッキーを猛スピードで走っていた。彼は分隊のただひとりの生き残りであり、名誉あるパープルハート勲章と銀星賞を授与されるが贖罪という織の中で生きる屍になっていた。 その時彼は、雨が滝のように流れるフロントガラスに、雨に煙るヘッドライトの先に、よろめいて倒れる犬の姿を捉える。その瞬間、ハンドルを目一杯切った彼の車は自己制御能力を失い路肩に乗り上げフェンスを突き破り森林に突っ込み煙を上げる。アスファルトには後肢が立たず、皮膚炎を患い毛が抜け、あちこちに傷があり、哀れを絵にしたような犬がいた。彼は血を流しながらその犬に近寄り抱き上げ自分の車まで運ぶ。戦争と織、あらゆる悲しみと暴力から帰還した兵士のように一人と1匹が雨の中にいる。一対の光がアスファルトに膝まづくディーンを捉え急停車する。「あの車に犬がいる」気づくと彼は緊急治療室で手当てを受けていた。犬は地元の動物救急病院に収容されたいる。犬は栄養失調とひどい脱水状態の上、肋骨も折れていて、背中にも胸にも歯茎にもプラスチックの破片が突き刺さっている。犬は虐待から逃れるために狭いプラスチックケースを噛み砕き瀕死の状態で歩いていた。 マイクロチップの埋め込みから犬の名がわかる。GIV(ギヴ)。飼い主はルーシー・ルース。3年前、ニューオーリンズを直撃したハリケーン(カトリーナ)で亡くなっている。ディーンは犬の過去と飼い主の情報を求めニューオーリンズへの旅に出る。元気に回復したギヴを乗せ、この犬が注ぎたてのビールの泡をどれほど好むかという情報も積んで。そしてこの旅が、ディーンの新しい人生の目的になっていく。 上記に書いたあらすじは中盤からの出来事。この物語はギヴの父親(その名もギヴ)の物語から始まっています。9・11とハリケーン・カトリーナとイラクを体験したアメリカを旅し、音楽と映画のアメリカを旅し、犯罪と美、愛と悲哀、神と善意、さらに永遠なる人間の贖罪と癒しのアメリカを旅した人間と犬の物語です。(プロローグ引用) 犬というのは善意と愛を理解する生き物だ。だから人間にそれを求める。善意も愛も純粋な感情であり、創造の荘厳な産物だからだ。さらに善意と愛は消え果てたいくつもの魂を生き返らせる無限の夢だからだ。(本文より)犬にまつわる伝説は数かぎりなくある。神話に登場する彼らについて書かれた本も無数にある。彼らなしに完結する文化など地上にはない。そんな中、ひとつこんな言い伝えがある。天地創造に際して神は地上をふたつに分けた。そのために底知れぬ深淵が彫られ、その一方の地上には人間、もう一方の地上にはそれ以外のすべての生きものが住まわせられた。ところが、深い深淵が広がるのを見て、犬はその溝を跳んだ。人間と同じ地上に住むために。その瞬間、その行為において、犬は神が人間として考えた創造物のすべてになった。なぜなら犬がその溝を越えたのは、人間を愛し、人間が求める親近者になりたかったからだ。人間の善良さとともに歩む善良さを自らにも求めたからだ。しかし、それは反逆の行為であり、その犬の跳躍が自(おの)ずと示しているのは、神が人に求めたすべての一部に反逆があったということだ。反逆には反逆の場所があり、知恵や思慮分別や、慈愛と同様、反逆もまた天賦のものだ。そしてそれこそ―自分は何者になり、何者にならないか、自由に選ぶ力こそ―神が創造したエッセンスの中のエッセンスだ。さて、人は底知れぬ深淵を跳んだ生きものに値する生きものにたれるや否や。(本文より) 犬は飼い主の心に寄り添って生きる動物なんだと、私も犬を飼っていてそう思う。この小説はあくまでもフィクションだけど、犬を客観的に捉えながら犬と人間の太古からの信頼関係、深い愛と絆、人間の愚かさ、悲哀を描いた感動の小説でした。
2019.03.07
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