MM2022のブログ

PR

プロフィール

MW2022

MW2022

カレンダー

コメント新着

天国にいるおじいちゃん@ Re:打席に入る前に、バットを天にかざして、天国にいるおじいちゃんに『力を貸してくれ』(08/24) 天国にいるおじいちゃんについては、 089…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2022.11.30
XML
カテゴリ: 報徳
甕谷遺稿巻四 岡松 甕谷

 上報徳記表 代

臣某曰。臣聞。食実民之天。而農則国之本。故耒耟勧耕。始於羲農。暦象授時。著于唐虞。若夫我邦天祖初分水陸之種。以肇稼穡之業。歴朝之相承。益闢田野。修堤防。蓋古先聖王。莫不務於黽勉三務。以百神。播種五穀。而豊群黎。臣某誠喤誠恐頓首頓首。伏惟。皇帝陛下、徳応天人。化及虫豸。負扆御極。復九五於盛。臨朝敷政。躋億兆乎雍凞。鬼神協従。蠻夷率服。顧臣稟性空疎。執心褊狭。既委藩服之重寄。猶忝華袞之末班。沐恩実深。懐漸孔多。陛下亦以臣喣濡小恵。
嘗自致乎微效。褒賞大典。猥乃加於眇躬。臣承命惶悸。拝賜●(忄+易)息。銜珠之献無施。結草之報何補。竊以臣祖享国陬僻。叨職司牧。然而土地薄瘠。民俗愉惰。加以統乖方。挙措失宜。群吏常嗟倉庫之空。庶民将就溝壑之窮。臣父某憂勤焦労。欲一修獘政。以為小康。臣少承遺緒。繆膺先業。常恐繊微小才。無能任事済務。幸得一二遺老。相与同心勠。而曾臣富田高慶。夙懐憫民之心。兼躬勤国之節。師事二宮尊徳。執役門欄。奉教晨夕。臣亦従問為治之方。務徇挙衰之功。僅能得接済窮乏。支撑歳月。蓋尊徳之為政。務在竭力畎畝。以聚錙銖之微。推心矜寡。而博恵恤之徳。原於先王重農之訓。服乎賤民食力之勤。誠之不息。労而無倦。高慶嘗略輯遺聞。稍纂小編。名曰報徳記。雖措辞疎拙。未宜陳於殿庭。抑挙事切実。亦足則於邦国。凡臣之所以積小労。追補祖業。颺微聞。仰塵天聴者。無非尊徳之教。而高慶之力。臣豈忍掠美要誉。自私乎一己。願得闡幽微顕。長施于百世。所有報徳記五巻。謹加装潢。随表進奏。伏冀以燕間之暇。辱賜充瞽史之規。未必無稗聖明於日躋。而増風化于方隆也。臣某冒涜天威。無勝屏営之至。



報徳記

例言

一、 二宮尊徳先生、畢世(ひっせい)人に教ふるに徳を以て徳に報ゆるの道を以てす。
その百行亦悉く徳に報ゆるに在り。
故に良法盛行の日に當り、時人稱して報徳先生と云ふ。

一、 先生一世の言論功業、之を筆記する者あらざれば、後人(こうじん)之を知る能はず。
之を知らざれば、富國安民の良法と雖も一時に止りて永遠に及ばず。
是我が輩の大いに憂ふる所なり。
而して之を記せんと欲するに、其の一班(はん)をも窺い視る能はず。
蓋(けだ)し聖賢にあらざれば聖賢の心志(しんし)を知る能はず。
豈(あに)庸愚(ようぐ)にして高徳大才の蘊奥(うんあう)を知るを得ん。
知らずして謾(みだ)りに之を記す。
果たして其の大徳を損するのみに非ず。
其の功業を以て區々(くく)たる平常の事に比するに至らん。
是大いに恐るゝ所にして數十年間之を記する能はざる所以(ゆゑん)なり。
然り而して博識高才と雖も先生の門に入らざれば亦記するを得ず。

已(や)むを得ずして其の萬一を記す。
一、 先生の安民方法を行ふや、大小となく始めに終りを察し、必成(ひっせい)を洞見して、然る後實業を施行(しかう)せり。故に成功あらざるなし。
其の施行の初(はじめ)に當りては常人之を見て以て不可となす者あり。
後數年を經過するに及びて始めて此の如くならざれば、其の事の成る可からざるを知るに至る。
目前其の事業を視ると雖も、其の規畫(きかく)の深意を察する能(あた)はず。

一、 先生幼年の艱難(かんなん)困苦其の長ずるに至り、出群(しゅつぐん)の英才を以て行ふ所の事業、一も自ら之を發言せず。
故(ゆゑ)に往々邑民(いふみん)の口碑(こうひ)且(かつ)傳聞(でんぶん)に由りて其の概略を記すと雖も、何を以て其の一端を挙ぐるに足らん。
将(はた)誤聞なきを保する能はず。
一、 諸候(しょこう)の封内(ほうだい)を興復するもの數あり。
而して其の依頼に先後あり。施行(しかう)の順序あり。
余未だ先生の門に入らざるの前事は之を目視(もくし)せず。
故に先後順序を誤る者あらん。
且(かつ)施行の良法多端(たたん)にして、所謂(いはゆる)神機妙算測(はか)る可からざる者なり。
實(じつ)に淺學不文(せんがくふぶん)、其の糟粕(さうはく)だも記する能はざるを恐る。
況(いは)んや其の深理に於けるをや。
一、 或(あるひと)曰く、
先生畢世(ひっせい)の論説事業を記するに漢文を以てす可しと、
或(あるひと)曰く、
漢文なる者は簡古(かんこ)を以て是と爲す。
今細大の事業を筆するに至っては、能文者に非(あら)ざるよりは詳覈(しょうかく)ならざる所なきを得ず。
故に通俗文字を以て記するに如かざる也と。
今、後説に隨ふ。
 一、此の記實(じつ)に大海の一滴而巳(のみ)矣(なり)。
   然して其の功業(こうぎょう)記する所の條件(じょうけん)に止れりと爲し、
且(かつ)些少の涓滴(けんてき)、何を以て大業と爲すに足らんと云はゞ、
記者漏脱不文(ろうだつふぶん)の爲に目今(もっこん)を誤る耳(のみ)に非ず。
後人を誤ること限りなし、
若し滴水を見て以て大洋の無涯(むがい)を察知(さっち)することあらば幸甚(かうじん)。
一、 記する所の事業、年號月日詳(つまびら)かならざる者尠(すくな)からず。
  将(まさ)に後日の研究を俟(ま)ちて之を補はんとす。
一、 先生の言論正業を筆して、而して未だ其の終(をはり)を記するに至らざる者は他なし、此の編固より言行(げんかう)の萬一を記する能はず。
故に漸時之に繼ぎて以て筆記する所有らんとするが爲なり。

安政三丙(ひのえ)辰(たつ)年冬十一年

           富田高慶識(しるす)


  報徳記を進める表(原文漢文)
臣充胤誠恐誠惶頓首頓首。臣祖遐邑(かゆう:遠い村)に封を享(う)く。世司牧を明らむ。天明の飢饉。天保の疫癘(えきれい)。田野荒廃人煙稀少を致す。臣父益胤深く之を憂ふ。思ひを興復に焦す。未だ所志を果たさず。而して下世す。臣少遺緒を継ぎ。先業を拡張せんことを思ふ。家士富田高慶志忠誠に存す。二宮尊徳を師とす。尊徳授くるに興国安民の法を以てす。高慶乃ち家老草野正辰等と謀り。臣に勧めて此の法を行はしむ。其の教へたるや、風俗を敦くし。礼譲を尚び。孤寡を矜(あは)れみ。怠惰を戒め。用を節して生を厚うす。遺策有る無く。自爾以還(それよりこのかた)。民風漸く振ひ。農稼滋殖し。流氓来附。荒廃亦随起。家給し人足り、鶏犬相聞く。是れ尊徳の授くる所、高慶等の力(つと)める所、而して父の素志、是れに於いて乎成る矣。臣の微衷是れに於いて乎竭く矣。然而(しかして)尊徳の実践する所。其の民政に参すべき者尠なからず。高慶遺聞を採撫して之を述ぶ者。即ち報徳記是れ也。夫れ天の徳公明正大。地の徳重厚慈仁。而して四時に行われ。万物育す。既に衣食有り、以て飢寒を免れ。居室有り以て風雨を禦ぐ。夫れ人為る者。天の徳を徳とし。地の徳を徳とし。夙に与に之を報ふを思ひ。信義を行ひ。節倹を勤め。尺土拓ひて丈畝に至り。鋤銖積んで鉅万を致し。報徳の道を庶ふ。是れ則ち尊徳の平素持論。而して高慶等の奉じて以て興復を致す所也。恭惟天皇陛下。神聡叡明。当に維新の創業し。潜徳を表旌(ひょうせい)し。幽微を開顕し。臣不肖を以てせず。尚恩賜を忝うす。臣慚悚交も至。恩を明らめ実に優渥し。以て一身を私し、則ち忸怩無きを得乎。故に爰に報徳記八巻を繕写し。表に随ひて以て聞く。伏して冀はくは叡覧を賜ひ。臣誠恐誠惶頓首頓首謹言

(「補注報徳記(上)」(14)より 佐々井典比古現代語訳)

 報徳記を進める上表
臣充胤誠に恐れかしこんで申し上げます。臣の祖先は封地を辺鄙の所にうけまして、代々地方の人民をおあずかり申して来ました。天明の飢饉、天保の疫病に、田野が荒廃して人口が減少しました。臣の父益胤は深くこれを憂い、興復を焦慮しましたが、そのことを果たさないで世を去りました。臣は若くして遺緒(あと)を継ぎ、父祖の業を拡張しようと思いますうち、家士富田高慶が忠誠の志厚い者で、二宮尊徳を師としました。尊徳はこれに興国安民の法を授けました。そこで高慶が忠誠の志厚い者で、二宮尊徳を師としました。尊徳はこれに興国安民の法を授けました。そこで高慶は家老の草野正辰等と謀り、臣に勧めてこの法を行わせました。その教えと申しますには、風俗を厚うし、礼譲を尊び、身寄りのない者を哀れみ、怠惰を戒め、節用厚生、これ以上に良い仕方はないというほどであります。それから後は、民風はようやく奮い、農産はますますふえ、他から人口が続々と集まり、荒地はつぎつぎに開け、家々は衣食に困らなくなり、鶏や犬の声がにぎやかに聞こえて来ました。これは尊徳の教えによって高慶らの力を入れた結果でありまして、ここに亡父の素志が成就し、臣の微衷が果たし得たのであります。そうして、尊徳の実践したところは民政に参考とすべきものが少なくありません。高慶がその伝え残っていることを取り集めて書き記しましたものが、すなわちこの報徳記であります。それ天の徳は公明正大であり、地の徳は重厚慈仁であります。そうして四季はめぐり万物は育ちます。それで衣食がありますから飢寒を免れます。居室がありますから風雨を防ぎ得ます。そこで人たるものは、天の徳を徳とし、地の徳を徳とし、朝早く起きてこれに報いるために働き、夜遅く寝てこれに報いることを心掛け、信義を行い節倹を勤め、一尺ずつ荒地を開いて一畝に至り、わずかの金を積んで巨万に及ぶのであります。報徳の道とは、まず、そのようなものであります。これはすなわち尊徳の平素の持論でありまして、高慶らのその法によって興復したところであります。恭しく維(おも)いまするに、
天皇陛下は神のごとくさとく英明であらせられ、維新の創業に当って、世にひそんだ徳あるものを表奨したまい、隠れて目立たぬ物事までもその長所美点を顕揚せられました。臣は不肖でありながらなお恩賜をかたじけなくしておりまして、且つは恥ずかしく、且つは恐れ多く、お恵みふかき御恩のあつさを私一身に受け、誠に忸怩たらざるを得ません。よってここに報徳記8巻を繕写し上表いたします。幸いに天覧を賜りますよう伏してお願いいたします。以上、誠に恐れかしこんで申し上げる次第であります。

 明治13年庚辰10月   従四位 臣相馬充胤上表





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022.11.30 04:52:09


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: