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2023.05.26
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カテゴリ: 報徳記を読む
報徳記  巻之二

【7】先生辻門井二邑の里正を教諭す(2)

先生深く之を愍(あはれ)み、二人を教へて曰く、

汝等今日の不幸は實(じつ)に憐むべしと雖も、祖先以來居住の地を去り、此の土(ど)の民たらんことを求むるに至りては大いに道を失ひたり。
今我(わが)臣民たるものゝ道を教へん。
凡(およ)そ上(かみ)君となり、下(しも)臣民となるもの、本來一物にして二物にはあらず。
猶(なほ)一木の根幹枝葉(こんかんしえふ)離れざるが如し。
故に本根(もとね)朽つる時は枝葉(しえふ)獨(ひと)り全(まった)からず。
枝葉(しえふ)枯るゝ時は、本根(もとね)も亦(また)全きことを得ず。
汝等數百年來(らい)君となり、民となり、平穏無事に相續せしは一朝一夕の故にあらず。
祖先以來の主恩を顧(かへりみ)る時は、それ大となす歟(か)、小となす歟(か)、
果して大ならば汝一世の力を餘(あま)さず之に報ゆると雖も、何を以て百分の一も報ずる事を得ん。
然るに今怨望(ゑんぼう)の心を懐くものは他(た)なし。
君は君にして民は自(みづ)から民なりとし、利を主として義を忘れ、財(ざい)のみを見て恩を顧みざるが爲なり。
是の故に地頭の艱難に當り、君の憂を憂とせず。
唯(ただ)其の求責(きうせき)を遁(のが)れんことを謀(はか)る。
豈(あに)是れ難に當(あた)りて臣民の義を盡(つく)すの道ならんや。
且つ萬物皆悉く盛衰あり。
天地間森羅万象(しんらばんしやう)限りなしと雖も、一物も自然の盛衰存亡を免(まぬが)るゝものなし。
國に盛衰あり、家に盛衰あり、人に盛衰あり、
是(この)故に盛んなるものは必ず衰へ、存ずるのは必ず亡(ぼう)し、生あるものは必ず死す。
是れ天地自然の道なり。
然らば則(すなはち)、汝の君家(くんか)何ぞ獨り盛衰なきことを得ん。
汝の邑(むら)のみ何ぞ盛衰なからん。
汝の家而己(のみ)何を以て盛衰を免れんや。
汝の君家(くんか)以前必ず盛んならん。
故に今衰ふべきの時運至り用度足らず、
是(こゝ)の故に已むを得ず、采邑(さいいふ)に取りて以て不足を補ふ。
地頭の盛んなる時は采邑(さいいふ)も亦盛んなり。
地頭衰ふる時は邑(むら)も亦衰(おとろ)ふ。
君富む時は恩澤下(しも)に及び、君窮(きゅう)する時は下其の憂を受くるもの猶(なほ)枝葉(しえふ)枯槁(こかう)して根も亦(また)朽(くつ)るが如し。
故に忠臣良民は君の艱難に當(あた)りては、身命をナゲウち其の憂を除き、祖先歴代の高恩に報いんとす。
力足らざれば死して后(のち)止む。
米粟(べいぞく)家財何ぞ言ふに足らん。
今君惠憐(けいれん)の心薄く多欲にして貪るといへども、其の采邑(さいいふ)に求むるのみ、
故に采邑(さいいふ)の物を取盡(とりつく)すに及びては、其の求め必ず止まん事薪(たきぎ)盡(つき)て火の滅するが如し。
汝等時運を知らず、又祖先以來受くる所の大恩を顧みて之を報ぜんとするの心なく、薪(たきぎ)を抱(いだ)きて火に向ひ、火の滅するを求めるが如し。
早く抱く所の薪(たきぎ)を火中(くわちゅう)に投ぜば、薪(たきぎ)盡(つき)て火燃(もゆ)る所なく、君の求め止まん事何の疑ひかあらん。
是の故に家財田圃(でんぼ)一物をも残さず、君に奉じて其の不足を補うべし。
然れども君の所行を怨むるの心ありて之を出(いだ)す時は、是(これ)誠心の行(おこなひ)に非ず。
從來(じゅうらい)の報恩を主とし、君家の爲め而己(のみ)に計(はか)り、所有の田圃(でんぼ)、家屋、器財悉く之を鬻(ひさ)ぐに、其の價(あたひ)卑(ひく)き時は君の益少なく、價(あたひ)高き時は君の益多し。
故に心を盡(つく)し、高價に鬻ぐ可(べ)し。
是れ主家(しゅか)の衰ふる時に當り、正(まさ)に臣民の行ふべき常道(じやうどう)なり。
家の存亡必ず自然の數(すう)ありて逃るべからず。
汝等の家(いへ)亡(ほろ)ぶる時至れり。
然れば僻令(たとひ)道理を知らず、知計を以て一旦君の求を免れたりと雖も、子孫無頼(ぶらい)の者出づるに及びて必ず家を失ふべし。
子孫無頼の爲に失はんよりは、君の艱難の一助となし、良民報恩の道を行ふ可し。
苟(いやしく)も是(こ)の如くならば神明も之を感じ、人之を憐み、後必ず廢家再興の時至らん。
是亦自然の理(ことはり)なり。
若し此の善行(ぜんかう)を爲さずして自亡(じぼう)を待つは、君と財を争ひ、家を亡ぼし、恩を知らざる無道のものとなり、君も亦下民(かみん)を虐(ぎゃく)するの汚名を顯(あらは)すに至る可(べ)し。
誠に歎ずべきの至(いたり)にあらずや。
汝等夫れ此の二者の内、何れを是(ぜ)とし、何れを非とするや。


今の茨城県真壁郡にあった辻村の名主を源左衛門、門井村の名主を藤蔵といった。二村ともに旗本の斎藤鍬太の領有であった。
斎藤氏は負債が多く、来年分の租税まで先納させ、さらに御用金と称して領有の村々に要求すること限りがなかった。
このため、二村の百姓達は貧苦のため、逃亡する者も多く、戸数は減少し、田畑は荒れ果てた。
名主の源左衛門と藤蔵は、斎藤氏の無慈悲を恨んで語り合った。
「領主は情け知らずで、二村から搾り取ること限りない。
我々も一緒に滅亡する日も遠いことではあるまい。
ところが、二宮先生は桜町三村の衰廃を復興して、父母が子供を恵むように村民を養われていると聞く。苛酷な領主の要求に苦しむより、仁恵深い人の領民になるほうがよい。」
そこで二人揃って桜町に来て、領主の無道を訴えるとともに、物井の村民にしていただきたいと申し出た。
先生は深く哀れんで二人にこう教えられた。


 先祖以来の居住の地を去って、この地の民になろうと求めるのは、おおいに道を失っている。
 今、私が臣民の道を教えよう。
 およそ上は君となり、下は臣民となるものは、本来は一つで二つではない。
たとえば一本の木の根・幹・枝葉が離れないようなものだ。
だから根が朽ちるときは枝葉だけ全うすることはできない。
枝葉が枯れるときは、根もまた全うすることはできない。
汝らは数若年来、君となり、民となり、平穏無事に相続してきたというのは一朝一夕のことではない。
祖先以来の主恩を顧みるとき、その恩を大きいと思うか、小さいと思うか。
もし大きいと思うならば、汝の力を残さずこれに報いたとしても、100分の1も報いることもできまい。
それであるのに、今、恨むのはほかでもない。
君は君、民は自ら民として、利を主にして義を忘れ、財のみを見て恩を顧みないからだ。

これがどうして難にあたって臣民の義を尽くす道であろうか。

かつ万物には皆ことごとく盛衰がある。
天地の間のあらゆるものは、一物も自然の盛衰存亡を免れるものはない。
国に盛衰があり、家に盛衰があり、人に盛衰がある。
このために盛んなものは必ず衰え、存するものは必ず滅し、生あるものは必ず死ぬ。

そうであればどうして汝の君主の家のみひとり盛衰を免れようか。
汝の君主の家も以前は必ず盛んであったであろう。
だから今衰える時運が来て、資金が足らず、やむなく領有の村から取って不足を補っている。
領主が盛んであれば領村も盛んであり、領主が衰えれば領村もまた衰える。
君主が富むときは恩沢が下に及び、君主が窮迫するときは、下がその憂いを受けるのは、ちょうど枝葉が枯れて根もまた朽ちるようなものである。
だから忠臣良民は、君主の艱難にあたっては、身命をなげうってその憂いを除き、祖先以来の厚恩に報いようとする。
力が足りなければ死んでのちに止むのだ。
まして米や家財など取るにたりようか。
今、君主が仁恵の心が薄く、貪るからといって、その領有する村に求めているだけで、領有の物を取り尽せば、その求めが止むことは、たきぎがなくなれば火が自然と消えるようなものだ。
汝らは時運を知らず、また祖先以来受けた大恩に報いる心がなく、たきぎを抱いて火に向いながら、火が消えることを求めているようなものだ。
早く抱いたたきぎを火の中に投げ出せば、たきぎがなくなって火が消えるようなもので、君主の求めが止むことに疑いがあろうか。
そうであれば家財やたんぼを一物も残さず、君主に差し上げてその不足を補うがよい。
このとき、君主の行いを恨む心で出しては、誠の心からの行いではない。
従来から受けてきた恩に報いる心を主として、君家のためのみを計り、所有する田畑、家屋、器財ことごとく売り払って、その値段が低いときは君主の利益が少なく、その値段が高いときは君主の利益が多い。
だから心を尽くして高価に売り払うのだ。
これが主の家が衰えたときにあたって、まさに臣民が行うべき常道である。

家の存亡には必ず自然の数理があって逃れることはできない。
汝らの家が亡びる時が来たのだ。
そうであればたとえこの道理をわきまえず、知謀計略をつくしていったん君主の求めを逃れたとしても、子孫に無頼の者が出て、必ず家を失うであろう。
子孫無頼の者のために家を失うより、君主の艱難の一助となし、良民として報恩の道を行うべきではないか。
もしもそのような行いをするならば、神明もこれを感じ、人もこれを憐み、後に必ずやは家を再興する時が来るであろう。
これもまた自然の道理である。
もしこの善行をしないで自ら亡びるのを待ち、君主と財を争い、家を亡ぼし、恩知らずとなる。君主もまた、その民を虐待したという汚名をあげるようになるであろう。誠に嘆かわしいことではないか。
汝らは、この二つの道のどちらを是とし、どちらを否とするか。」

尊徳の裾野

「尊徳の裾野」(佐々井典比古)に「尊徳、忠真を諌める」として尊徳先生が逆に領主としての大久保忠真候を諌めた話が紹介されている。

「私は先君にこう申し上げたことがある。

『11万石とは何をさしていうと思し召しでしょうか。
 11万石とは、年々歳々、土地から産み出すところの穀物の数量でございます。
ですから11万石と申せば領中一円、貧民やこじきまでもその中に含んでおります。
一円相でご覧あそばせば、ご家中(藩士)は、土を離れて高い身分ですから、枝葉でございます。
百姓は下にいて、低い身分ですから根にあたります。
11万石を四公六民に分けますと、ご家中から殿様までが四分で、下が六分でございます。
そうでありますのに、ご家中ばかりご改革あそばされて、11万石のご改革とおぼしめされますでしょうか。
大根などを作りましても、葉の世話ばかりいたして、根に肥やしをいたしませんと、一切栄えず、ついには枯れてしまいます。
一草でさえそうです。一藩の場合、それではお家安泰とは申されません。
(略)』
このように申しあげたことがあったが、領内の百姓を恵み、藩を富ましていたら、美名・高徳が天下に輝き、御領中は富み栄えていたであろう。」

佐々井氏は、これは天明6年の対面の際ではないかとされる。
小田原藩鵜沢作右衛門は天明5年から6年にかけて、3回櫻町に赴き、仕法の成果を大久保忠真候に報告した。
尊徳先生は、天明6年6月5日に桜町を出て、小田原藩江戸屋敷におもむき、7月7日に帰陣している。
このとき、忠真候は金次郎の望みに応じて「誠は天の道なり これを誠にするは人の道なり」という「中庸」の文字を書いて、尊徳先生に渡した。
そして、尊徳先生の仕法を小田原藩で行いたいという願いを強くしていったのである。

「かがり火」136号2010Decemberより

佐呂間漁業協同組合の組合員は59名、昨年度末の貯金残高は 67億4千万余縁、組合員の平均1億1千余円、つまり平均すれば組合員全員が億万長者だという。

その仕組みは年間2,000万円の水揚げ高があるとして、水揚げ高の70%、1,400万円は月取り貯金として無条件で天引される。
このお金は翌年の生活費に回される。
そのほか納税準備金10%で200万円、漁協への手数料6%で120万円、船を買い替えたりする場合の漁船準備金が2%40万円、天候が荒れて漁に出れない場合の備荒貯金2%40万円、高齢で働けなくなった場合の養老年金が2%40万円、
したがって92%の1,840万円が強制的に天引きされる。
つまり自由に使えるお金は8%160万円しかない。

生活費はすべて前年度積立てた月取り貯金でまかなう。前年度の稼ぎで今年度生活するのである。だから病気などで1年間まるまる働けなくなっても、1年間は生活できるのだ。

「月取り貯金 が1,400万円あってもすべて生活費に回されるわけではありません。
生活費としては、月にせいぜい30万円から40万円あれば十分でしょう。それに漁具などの償還や重油など漁にかかる経費もこの中から支払いますが、それでもかなりの金額が残ります。それが毎年貯金されて、組合員平均1億円近い貯金を持つことができたわけです。」
と佐呂間漁業協同組合の阿部組合長は語った。

 すべての組合員は毎年、1月15日までに、その年の営漁計画書を出す。
 ホタテやシマエビ、カキの出荷計画とともに、毎月の生活費まで記入する。
 子供が大学に行くので仕送りが必要だとか、娘の結婚、家の改築計画などすべて記入する。
その計画書を漁協の担当者と組合員が計画が妥当か話し合う。もし貯蓄額が低いのに家を新築したいといえば『まだ早いのでは、もう少し我慢したら』などとアドバイスする。

「たとえ家の新築や船の買い替えを認めても、本人の貯金は解約させません。
 漁協が貯蓄額の80%まで貸し出す仕組みになっています。
 自分の金だと思って自由に使えるようになれば、気が緩んでしまうからです。
 借りたお金となれば、毎月きちんと返済しなければなりません。
 お金についての緊張感が維持できます。」

 昔の漁師は1回の漁で何百万も稼ぐと、その金を腹巻きに入れてキャバレーに繰り出したりしたという。

「佐呂間漁協の組合員は皆堅実で、佐呂間町にはホタテ御殿やベンツ・ポルシェを乗り回す人もありません。その代わり、夜逃げする人も出ません。」

 もともとこの仕組みがあったわけではないという。
 佐呂間漁協がホタテの養殖を始めたのが昭和40年で、組合員の生活を安定したものにしたいと始めた。

 当時の佐呂間漁協の販売取扱高は7,600万円、貯蓄残高は7,200万円。
 当時の漁協には新事業を立ち上げる資金がなくて、上部団体に1億5,600万円の借り入れを申し込んで断られた。販売取扱高も貯蓄残高も少なかったからである。
 その時、町が債務保証してくれて必要な資金が確保できた。

「われわれの漁は漁師だけの努力で成り立っているのではない。
 町民みんなのおかげだということを肝に銘じて忘れてはならない。

 当時の組合長は懇々と組合員を諭したそうです。
 この教えはいまも生きています。」

 記事は、報徳の 芋こじ の組織に似た常会や 豊穣の海サロマ湖についてのべている。

「全国の漁協の中で組合員一人当たりの貯金がトップクラスなのは、このサロマ方式のおかげである。高額を稼ぐ漁師といえども派手な暮らしをせず、町民として節度のある暮らしを守っている。
 この独自なシステムを維持するための重要な役割を果たしているのが、毎月開催される常会である。正組合員59名、青年部31名(息子など後継者たち)が参加して行われる集会だ。漁協から組合員へのお知らせは同報ファックスでほぼ毎日送られているが、重要課題がある時は日に二度も三度も発信されるほど情報公開が行き届いている組合なのだ。常会の開催もFAックスで知らされる。
『全員が参加すれば約90人ですが大体、毎月8割の組合員が参加します。この常会では、漁師や漁獲高などの推移など組合からの事務連絡以外に、組合員からいろいろな要求、要請、陳情、相談などが出されて、とことん議論するのです。
 かつてバブルのころは、漁協に膨大な資金が蓄積されているものですから、株式などに投資して、その利益を組合員に配当してもいいのではないかという意見もありました。しかし、多くの組合員は漁師は漁だけで生計を立てるべきで、それ以外のことで収入を図るべきでないという意見で一致しました。
 われわれの合言葉は”豊かな過疎”ということです。
 常会で簡単に結論が出ない議題については管理委員会、組合資格委員会、役員報酬委員会、貯蓄推進委員会など個別の委員会で討議され、最終的には総会で議決されます」』
(5~6頁)

「船木耕ニさんは『ある意味でわれわれに一攫千金を得るという夢はありません。どんなに頑張っても一人で1億2億という水揚げはできないようになっています。
 反対に、過当な競争がないだけに倒産がありません。野心のある漁師には不満があるかもしれませんが、現在の組合員はすべてこのシステムをつくってくれた先人に敬意を払い、尊敬しているのです。』(7頁)

もちろん問題もある。娘しかいない漁師の家では、婿をとってまで漁業を続けることはないと、漁師をやめるケースがある。もちろん漁師をやめた時点ですべての貯金は解約されるので老後の暮らしは心配ない。組合員の減少は漁協の経営にもかかわるから、漁師を続けるよう説得するのだが、簡単に船をおりてしまうのが悩みだという。漁業権は簡単にとれないので他から補充するというわけにいかないのだ。


 最後になぜこの仕組みが生れたかが、報徳訓との関係で説明されている。

 それこそが この仕組みの肝、エートスであろうか。

佐呂間漁協の仕組みは、初代の船木長蔵、二代目の船木長太郎という組合長がつくりだした。
 その精神は二宮尊徳の報徳訓にあった。


 報徳訓

父母の根元は天地の令命にあり。
身体の根元は父母の生育にあり。
子孫の相続は夫婦の丹精にあり。
父母の富貴は祖先の勤功にあり。
吾身の富貴は父母の積善にあり。
子孫の富貴は自己の勤労にあり。
身命の長養は衣食住の三つにあり。
衣食住の三つは田畑山林にあり。
田畑山林は人民の勤耕にあり。
今年の衣食は昨年の産業にあり。
来年の衣食は今年の艱難にあり。
年年歳歳報徳を忘るべからず。



 特に最後の三行が、佐呂間漁協の基本精神になった。」

鈴木藤三郎は、尊徳先生の「荒地の力を持って荒地を興す」という言葉を製糖業など近代産業に適用して成功させた。尊徳先生の言葉を自分のものとできるならば、生涯使っても無尽蔵の宝庫となる。その人一代だけではなく、それを受容し実践し続ければ、子孫や共同体まで豊かにうるおしてくれる。

💛知人が職場を変わられた。それまで自宅に近く便利だったのが、遠くなると少し歎き気味。

そこで元気づけに お菓子とのど飴を 郵送で5月24日(日曜日)に送った。
のど飴は「後藤酸のど飴」とあり、成分としてシアル酸と板藍値とあり、調べると美肌やウイルス除去効果があるとある。

小冊子「ツキを呼ぶ魔法の言葉」[30冊未満] - とやの健康ヴィレッジ 本店 公式サイト
「ツキを呼ぶ魔法の言葉」は、言葉の使い方の教科書です。
私たちはきちんと「言葉の使い方」を親から教えてもらったことがない。
イスラエルのおばあさんが説いた「言葉の使い方」は、生涯、実践すべき大切な教えだと思います。

1 決して怒ってはいけない。(p.20-21)

2 一人でいるときも、絶対に人の悪口を言っちゃダメよ(p.20)

3 汚い言葉を使ってはいけない。きれいな言葉を使いなさい。(p.20)

4 嫌なことがあるときに「ありがとう」と自分に言いなさい。
  良いことがあったら「感謝します」と言いなさい。この言葉がとても便利で、たとえまだ起こっていないことでも、なんの疑いもなく不安も心配もなく、力まずに自然とそう思い込んで、言い切っちゃうと、そうなる可能性が高まる。(p.18-19)

4は私が思うに、自分の深層心理をコントロールする方法です。

「報徳の精神」と「魔法の言葉」は、生涯使っても無尽蔵の宝庫となる。
それを受け入れて実践し続ければ、子孫や共同体まで豊かにうるおしてくれる。





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最終更新日  2023.05.26 06:59:49


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