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三、野州に報徳を聞き大転換
安居院先生は、はるばると野州(栃木県)にまで下って二宮金次郎に接近したものの面会は断られ、希望した安い金利での借金を持ち出す機会もない。ただ衣食住の心配はなく、少しひまはある。そこで「二宮とは何者なのか」との研究心が湧き起ってきて、朝夕出入りする来訪者への対談や門人達への説話を立ち聞きする。初めは金貸しの親方くらいに想像していたのが、大きな見当違いであった。一大痛棒が下された。今その時の説話のどのような要点が衝撃を与えたのかは分からないが、おそらくは天理人道から説き来って、治乱興亡の経綸(国の秩序を整える)に及んで、難村の復興や困窮した民の救済に至る未だ発見されていない実際論であり、人の為、世の為にその身を忘れて全精神を捧げるこれまで聞いたことも見たこともない偉大な聖賢であったことに心が打たれたであろう。つらつらと自分の過去を回顧し反省すれば以前の生活は全く誤っていた。天地や神明に背き、人道を無視し、私利私欲に凝り固まった鳥や獣の姿であったことに想い致って懺悔(ざんげ)せずにはいられない。まるで月が雲を離れてコウコウとした光を放つように、長い眠りから、さめて心機の一大転換を起した。
まず第一に念頭に起ったのは、世の中の人は余りに金にとらわれ過ぎている。自分は金はいらない。自分のような者が金を持ったところで、正しい金の用い方を知らない。それに金を持たしたところで、金を殺してしまう。芸のない事だ。第二に浮かんだことは、しかし金はいらないが、金があったら、二宮先生に差し上げたい。先生は古今独歩の金遣いの名人であるから、と。
このように心機が一転して、当初の借金問題は引っこんでしまった。しかしなおこの機会により多く二宮先生の説諭を聴かなければ、門人にも学ばなければ、また仕法の組み立ても知りたいと、仕法書類の写し取りなどに魂を打ちこんで、遂に借金の件は口にも出せず、また二宮先生にも面会しないで、十八日目に引き上げて郷里に帰った。(竹村篤老、高山藤七郎聞書)
この聞き書きは桜町陣屋の七月二十六日の条とほぼ合致する。すなわち
一、「相州浦賀宮原啓三郎、宮原治右衛門、伝右衛門、同大磯宿茂兵衛、十日市場磯屋庄七、豊田村吉左衛門、甲州都留郡小沼村年寄忠兵衛、昨夜より御陣屋へ罷越居同道罷帰候事」
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