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2023.07.30
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カテゴリ: 報徳記を読む
報徳記

巻之三【6】烏山仕法中廃菅谷放逐せらる

且(かつ)思へらく我猶(なほ)斯(か)くの如し、況(いはん)や子(し)に於てをや。

仰ぎて君恩を報ずることなく、伏して困民を救ふことあたはず、誠忠足らずして退けられ、一家祖先への不孝亦(また)軽からず、假令(たとひ)退けらるゝといへども日夜過(あやまち)を補ひ、一身こそ退去すと雖も心は頃刻(けいこく)も烏山を離れず。
君若し再び仁政を布かせ給ふ時至らば、不忠の罪を謝し、身命をナゲウち、精忠(せいちゆう)を盡し、發願(ほつぐわん)の志を遂げ、君の苦心を安んじ、其(そ)の仁心を擴(ひろ)め、國民(こくみん)の窮苦を除き、仁澤(じんたく)に浴せしめ、永く國家(こくか)の憂ひなからしめんと、起ては肺肝を碎(くだ)き、臥しては思慮を盡(つく)し、暫時も過を補ふの念慮を失はざるならんと思ひしに、豈(あに)計らんや今日漠然として人臣の大義を忘れ、區々(くゝ)たる親族の姑息(こそく)に惑ひ、盲弟を助力せよとの請(こひ)を聞かんと々は。
子(し)斯(かく)の如き淺々(せんせん)たる心なればこそ、興復の道廢(はい)し、身も亦退けらるゝに至る。
是烏山諸臣の罪にはあらず、皆自ら之を招きしにあらずや。
此の時に當(あた)り、子(し)苟(いやしく)も忠義の心あらば、自ら責め、自ら悔い、一身の艱難深からざるを憂ひ、道路に立つも猶(なほ)罪を贖(あがな)に足らずとせんか、
然らば妻子一族も共に子(し)と同じく困苦を甞(な)め、烏山一國(こく)上下(じやうげ)の貧困を救ふことあたはざるが故に、我等飢渇に及び道路に斃(たほ)るるも當然(たうぜん)なりとせば、身退けられたりといへども其の忠心の馨(かう)ばしき事誰か感ぜざらん。
誰か此の志を憐まざらん。
烏山道なしといへども子(し)を退けしを悔ゆるの時あらん歟(か)。
然らば盲弟活計便りなしといへども、子(し)の志を聞かば、假令(たとひ)食せずして斃(たほ)るるとも何をか求め、何をか怨みん。
斃(たほ)れながらも烏山再盛の道生じ、兄の忠義再び立たんことを祈らん。
何の暇(いとま)ありて己の補助を流浪の兄に求めんや。
假令(たとひ)愚蒙(ぐもう)にして求むるとも此の正理を以て厚く教へ、共に艱苦を蹈(ふ)ましむるこそ兄たるものゝ道にあらずや。
然るに國家(こくか)を憂ひ、過ちを悔(くゆ)ることは一言(ごん)もなくして盲弟而巳(のみ)を助けんとし、其(そ)の費用を我に求むるは本末軽重を失ひ、姑息(こそく)に流れ、人臣の大義を忘れたるにあらずして何ぞや。
一人の心は誠に僅々(きんきん)たるが如しといへども、其の至誠に至りては鬼神(きしん)之が爲(ため)に感じ、天地の大(だい)なるも之が爲に感動す。
夫れ烏山の大飢(たいき)に當(あた)り、國民飢亡の憂ひ旦夕(たんせき)に迫れり。
然して上下(しやうか)の窮厄(きゆうやく)既に極(きはま)り、倉廩(そうりん)空虚にして千慮百計之を救ふの道なし。
子(し)斷然(だんぜん)として救荒(きうくわう)の志を發し、心に誠に之を求めしかば、我應(おう)じて以て數千人の飢者(きしや)を救ひ、續(つゞ)いて荒蕪(くわうぶ)を擧(あ)げ撫恤(ぶじゅつ)の道を施し、禍を轉(てん)じて國家の大幸(たいかう)を開きしは、全く子の誠心(まごゝろ)より發(おこ)りしにあらずや。
然らば此の誠心(まごゝろ)を益(ますます)瑳(みが)き、我が言に差(たが)わず恩禄を辭(じ)し、我が贈りし米粟(べいぞく)を食(は)みて以て忠勤怠らざる時は、君の擧用(きよゝう)彌々(いよいよ)盛んに、功業(こうげふ)も亦日々に顯(あら)はる。
奸人(かんじん)ありといへども何れの處(ところ)に言語を費すことを得ん。
假令(たとひ)讒者(ざんしゃ)言を放つといへども誰(たれ)か之を信ぜんや。
此(こ)れをこれ行はずして一旦辭(じ)せし禄を食(は)み、身の進退を優(ゆた)かにして事を爲(なさ)んとせし過ちより終(つひ)に國家の大幸を失ひ、上下(じやうか)の大患(たいくわん)を生ぜし事なれば、子(し)の退けらるゝもの亦(また)宜(むべ)ならずや。
退けらるゝといへども未だその過を顧(かへり)みず、罪を國家(こくか)に託して悔ゆるの心なく、又憂ふるの誠なし。
斯(か)くの如くにして歳月を送らば、烏山再盛の道彌々(いよいよ)絶せんこと疑ひなし。
子(し)一旦誠を發(はつ)する時は興國(こうこく)の惠政行はれ、誠を廢(はい)する時は再盛の道も亦廢せり。
烏山の安危(あんき)は子の誠不誠にありて他にあらざること之を以て見るべし。
子(し)は國(くに)の臣下を咎むといへども彼何の罪かあらん。
若し彼此の言を以て子(し)を詰(なじ)らば、子(し)何の言(げん)を以て辨(べん)ずるや。
且(かつ)子聊(いささ)かも我が辛勞(しんらう)を察せば專(もつぱ)ら過を改め、烏山の再興を祈り、至誠を顯(あら)はし、再び道行はれ積勞(せきらう)空しからざる時至らば當方(たうほう)にも來るべし。
左(さ)なき内は我が面(おもて)を見るも忍びざる心あるべし。
何ぞ計らん、我が苦心、子(し)の忠孝も共に廢(はい)し、來りて盲弟を我に救へよと請はんとは、假令(たとひ)姑息(こそく)の愛を以て子(し)の弟(おとゝ)を救ひ與(あた)ふるとも、何を以て盲弟獨(ひと)り全き事を得ん。
是(こ)れ我が痛歎する處(ところ)なりと。




尊徳先生は菅谷にこう続けて言われた。
「そして私はこう思っていた。
私ですらそうである。ましてやあなははもっとであろう。
あなたは、退けられてから、きっと国家(烏山藩)が道を失ったことを憂い、君の仁心が達成できないことを嘆いて、臣下が忠義でないことを憐れみ、人民が困苦を免れないことを哀れみ、上を怨まず、下を咎めず、復興の道が半ばで廃したのは、みんな私のまごころが足らず、行いが欠けていたためである。
仰いでは君の恩に報いることがなく、伏しては困窮した民を救うことができず、誠と忠が足りずに退けられた、一家祖先への罪もまた軽くはない。
たとえ退けられても日夜あやまちを補い、一身は烏山を退去したといっても心は少しの間も烏山を離れず、君がもし再び仁政をしかれるときには、忠でなかった罪を謝し、身命をなげうって、心からの忠を尽くし、願をおこした志をとげて、君の苦しい心を安んじ、その仁心をひろめ、国民の困窮苦しみを除いて、仁政に浴させ、ながく国家(烏山藩)を憂いがないようにしようと、起きては肺肝を砕き、臥しては思慮を尽くして、しばらくもあやまちを補う気持ちを失わないようにしているだろうと思っていた。
なんということか、今日漠然として臣たるの大義を忘れ、どうでもよいような親族の姑息(こそく)に惑い、盲目の弟を援助してほしいという懇請を聞くとは。
あなたがこのような実に浅い心であるからこそ、復興の道は廃し、身もまた退けられるに至ったのです。
これは烏山諸臣の罪ではない。みんな自ら招いたことではないか。

そうであれば妻子一族もともに同じく困苦をなめ、烏山藩一国の上下の貧困を救うことができなかったために、私たちは飢えて道路に倒れるのも当然であるとするならば、身は退けられてもその忠義の心の香ばしさを感じない者はいないだろう。
この志を哀れまない者がいようか。
烏山藩が道がないといっても、あなたを退けたことを後悔する時もあろう。
そうであれば盲目の弟も生活の方法がないといっても、あなたの志を聞くならば、たとえ食しないでたおれたとしても、何を求め、何を怨むことがあろうか。
たおれながらも烏山藩が再び盛大になる道が生じ、兄の忠義が再び立つことを祈るであろう。
どうして自分の補助を流浪の兄に求めることがあろうか。
たとえ愚かであってもとめたとしても、この正しい理をもって厚く教え、ともに艱難を踏ましめることが兄であるものの道ではないか。
そうであるのに国家(烏山藩)を憂い、あやまちを後悔することは一言もなくて、盲目の弟だけを助けようとして、その費用を私に求めるのは、本末軽重を失って、姑息にながれ、臣たるものの大義を忘れているといわないで何というか。
一人の心は誠に僅かなもののようであるが、その至誠に至っては鬼神もこれに感じ、天地の大なるものもこれに感動する。
烏山の大飢饉に当って国民が飢え死にする憂いがすぐそこに迫った。
そこで上下の困窮災厄すでに極まって、倉庫は空っぽでさまざまに配慮し計画したがこれを救う道はなかった。

そうであればそのまごころをますます磨き、私の言葉にたがわないで恩禄を辞退し、私が贈った穀物を食べて忠勤を怠らないときは、君が用いられることいよいよ盛んに、その功績もまた日々に顕れたことであろう。
たとえ邪(よこし)まな者があっても、どこに非難の言葉をあげえよう。たとえ讒言(ざんげん)するものがあっても、誰がこれを信じよう。
これを行わないでいったん辞退した禄を食べ、身の進退にあたって自分を豊かにして事業を行おうとしたあやまちから最後には国家(烏山藩)の大きな幸福を失い、上下の大きな災いを生じたことであるから、あなたが退けられたこともまたもっともではないか。
退けられて未だにそのあやまちをかえりみないで、罪を国家に託して後悔する心がなく、また憂える誠もない。
このようにして歳月を送るならば烏山が再び盛んになる道はいよいよ絶えてしまうことは疑いない。

烏山が安らかか危ういかはあなたが誠か誠でないかにあって、他にないことはこのとおりである。
あなたは、烏山藩の臣下を咎めるが、彼に何の罪があろう。
もし彼がこのように言ってあなたをなじるならば、あなたはどのような言葉で弁護するのか。
さらにあなたが少しでも私の辛労を察するならば、専らあやまちを改めて烏山藩の再興を祈って、至誠を顕わし、再び道が行われ、積労が空しくならなかった時は当方にも来るがよい。
そうでないあいだは、私の顔も見るにしのびない心があるであろう。
どうして私の苦心やあなたの忠孝もともに廃していながら、来たって盲目の弟を私に救ってくださいと懇請しようとは。
たとえ姑息の愛情で弟を救って金を与えても、どうして盲目の弟ひとりが全うすることができよう。これが私が大変嘆くところである」と。

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「ツキを呼ぶ魔法の言葉」は、言葉の使い方の教科書です。
また自らの潜在意識をコントロールする方法を教えるものです。


イスラエルのおばあさんが説いた「言葉の使い方」は、生涯、実践すべき大切な教えだと思います。
1 決して怒ってはいけない。(p.20-21)
2 一人でいるときも、絶対に人の悪口を言っちゃダメよ(p.20)
3 汚い言葉を使ってはいけない。きれいな言葉を使いなさい。(p.20)
4 (1) 嫌なことがあるときに「ありがとう」と自分に言いなさい。
 (2) 良いことがあったら「感謝します」と言いなさい。
 (3)この言葉がとても便利で、たとえまだ起こっていないことでも、なんの疑いもなく不安も心配もなく、力まずに自然とそう思い込んで、言い切っちゃうと、そうなる可能性が高まる。(p.18-19)





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最終更新日  2023.07.30 23:04:10


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