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2025.01.29
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カテゴリ: 報徳記を読む
報徳記を読む 報徳記  【2】先生横田村里正円藏を教諭す その1


テキストのイラストのようです
櫻町というのは、旗本宇津(うつ)ハン(金に凡)之助の領有で、物井、東沼、横田の3村の陣屋の所在地である。
10年ほど前にその地を訪れたことがある。
江戸時代の陣屋で保存されているのは、この桜町陣屋だけだという。
二宮尊徳先生の遺徳しからしめるところで、その後この地域も二宮町と名称をかえた。
私は、陣屋の中に入り、ああ、ここが尊徳先生のいらっしゃったところかと感慨にふけった。
先生はここで寝起きされ、夫人はここで大勢の役人、門下生、来客の食事をつくられ、子供らはこの周りを走った。
尊徳先生の徳がここから三村に及び、それは日本国中へと及んでいったのだ。


「金次郎の朝夕の行いですが、昨年も申し上げたとおり、そ飯そ服を用い、
居宅の障子は不用の紙で補修し、畳にいたるまで、見苦しいことは少しも構わず、すべて日用のことは倹約を専らにしております。
また、人に施すときには米や金はもちろん、衣類や夜具などにいたるまでこころよくつかわします。
荒地の起き返しや家の普請などにも、大工・職人・人足なども村内に世話をしてやり、少なからず米などもさしつかわします。
領内で普請や開発など取り掛かるときは、別に賃金をさしつかわすなど、何事にもこれ以上ないほど手厚く取り計らいます。
かつ荒地の開発を行うとき、また堰や掘割、普請などに取り掛かるときは、平生(へいぜい)の心持より格別の違いで、物入りなど構わず精力を尽くし、すでにこの春以来7軒も新規に家を建てております。およそ金350両余もかけたように聞いております。

この場所は水が集まる場所で雑木等はもちろん草さえよく生えない場所でしたが、このたびの堀割で自然と湿気も取れました。
そこでようやく林となるよう取り計らい、村のためになるよう、この春に多くの杉の苗を植え付け、その後もおいおい植えております。

 論語に『禹(う)は吾れ間然することなし、飲食を薄くして孝を鬼神にいたし、衣服を悪しくして美をフツベンにいたし、 宮室を卑しくして力を溝洫(こうきょく)に尽くす 』と申すことに相当するものかと考えております。」
」(「深山木」鵜沢作右衛門)


うたた感慨にふけりながら陣屋の中を見回すと来訪者用に感想を書くノートが置いてあった。見るとそこには、ネパールから来た留学生の感想もあった。ああ、二宮尊徳先生の徳は遠く海外にも及んでいるかと感慨を深めたものであった。

「深山木」には、横田村の名主円蔵のことも載っている。むしろ報徳記の記述はこの報告書の記述を参考にしたのかもしれない。
「横田村名主格円蔵と申す者、さる文政5午(うま)年、御趣法が始まった折に、自分で心がけて、新しく家の建築に取り掛かりました。
竹や木、かやなどにいたるまで整えて、下ごしらえに取り掛りましたところ、少々資金不足でございました。そこで金10両を利息付で5年で返済するから御趣法金を拝借したいと願い出ました。
そのみぎり、金次郎より円蔵へ申し聞かせましたことは、
『その方は組頭役も勤める身ではないか。領内の村々の細民のなかには今日一日もしのぎかねているなかに、自分として心がけているのは感心なことではあるけれども、このたび家を新築いたしては、御仕法にもさわり、甚だもって心得違いであるぞ』
などと申し聞かせて、こう提案しました。
『そうであれば、新しい家を作っていると想像し、その方から金10両を五ヵ年割で利息をつけて陣屋に先に納めてみよ。』
円蔵という者はいたって篤実な者でしたから、「有り難い」と承諾しました。
そして借りない金10両を5ヵ年年賦で元利とも陣屋の仕法金として納め続けたのです。
陣屋では、その分の仕法金は利息を倍にして計算しておりました。
円蔵はその後さらに考えるところがあったのか、身にしみて有難いと気持ちが染み入って、それより自分の屋敷の竹やぶを刈り取って金5両で売り払い、その代金も陣屋の仕法金に加えてもらいたいと申し出ました。
その後、円蔵の家は流行病にわずらう者がでて難渋した時に、その預けた金を入用なだけ払い戻し、残金はそのまま積み立てておりました。(続く)」




【2】先生横田村里正円藏を教諭す(1)

横田村衰貧尤(もっと)も甚しく民戸中古の半(なかば)を存(ぞん)す。
古田(こでん)荒蕪して原野の如し。
貧民今日の活計術(くわつけいじゅつ)盡(つく)るに至る。
先生之を惠み、之を撫すること百計皆悉く至誠ならざるはなし。
里正(しやうや)円藏なるもの、其の先(さき)由緒ある家筋にて連綿として此の横田村に相續すること幾百年たるを知らず。
細民と共に衰貧せりといへども、未だ活計道なきが如きに至らず。
性才智あるにあらざれども、質直(しつちょく)にして私曲なし。
斯くの如き舊家なるが故に、從來の家頗(すこぶ)る破損し、且傾きしかば、新(あらた)に家作(かさく)を計れども家貧にして作ることを得ず。
多年、心を用ゐ漸く材木を求め作らんとするに、入費二十金足らずして其の望みを果すこと能はず。

是に於てこれを先生に乞ふ。
先生喩(さと)して曰く、
嗚呼(あゝ)
汝の邑(むら)衰癈貧困既に極まれり。
里正(しやうや)たるものこれが爲に痛歎(つうたん)して身を顧(かへりみ)るに暇(いとま)なからんとす。
何の暇ありて己れの家作安居を計るや、過(あやま)てりと云ふべし。
夫れ里正(しょうや)の任たるや一村の長となり、邑(いふ)民を進退し、能く之を治め、
曲れるものは厚く教へて直からしめ、邪なるものは之を戒めて正しからしめ、
惰農なるもの之を励まし、貧なるものは之を恵み、身に便りなきものをば之を憐み、
細民をして法度(はっと)を守り、汚俗に流れず、專ら勤農(きんのう)して貢(みつぎ)を納め、一村の憂(うれひ)なからしむるもの之れ里正(しやうや)の任なり。
汝祖先以来代々里正(しょうや)となり、一邑(むら)の盛衰安危皆汝の身にあり。
而して下民(かみん)怠惰に流れ、衰貧極り、或は潰れ、或は離散し、土地荒蕪し、戸数漸く數十軒のみ。
是も亦極貧にして永續の道なく、貢税減少し、地頭の用足らず。
野州廣しといへども、斯(かく)の如く亡村に等しき村も少なかるべし。
今汝之をこれ憂となさずんば何を以て里正(しょうや)の任に勝(たへ)んや。
一邑(むら)能く治り、土地開け、細民優(ゆた)かならば、其の功里正(しょうや)に歸す。
土地荒蕪し、細民潰れ、貧困迫り、人氣(にんき)亂(みだ)るゝ時は、里正(しょうや)の罪にあらずして誰にか歸せんや。


  尊徳先生の訓え(借りない借金を返す)
○尊徳先生が桜町の復興にあたっていた頃の事である。
 横田村の里正(庄屋)で円蔵という者がいた。由緒ある家柄で代々庄屋であった。旧家で、家屋の破損はなはだしく、新築したいと思い、長年かかって材木は集めたが、建築費が足りない。そこで先生の陣屋に赴いて借金をお願いした。先生は円蔵にこう諭された。
「ああ、おまえの村は衰廃し百姓は貧困にあえいでいる。
里正たる者、これを嘆いて身を顧みる暇もないほど励み勤めるのがほんとうではないか。
 どうして自分の家屋敷などにかまっておられようか。
 それ、里正の任務は一村の長(おさ)となり、村民をよく治め、曲がったものはこれを教えて直からしめ、邪まなものはこれを戒めて正しくさせ、惰農なるものを励まし、貧しい者はこれを恵み、身に便りのないものはこれを憐れみ、村民に法を守らせ、汚俗に流れないようにし、もっぱら勤労を励まして一村の憂いをなくすのが里正の任というものである。
 おまえの家は、先祖代々里正となり、一村の盛衰安危はみなお前の身にあるのだ。
現在、村民は怠惰に流れ、衰貧はきわまり、あるいはつぶれ、あるいは離散して、土地は荒れ果て、戸数はようやく数十軒だけとなっているではないか。
 今、おまえがこれを憂いとしなければ、どうして里正の任に堪えられるのか。
一村がよく治まり、土地が開け、民百姓が豊かとなるならば、その功績は里正に帰する。土地が荒れ、つぶれ百姓となり、貧困せまるというのは、里正の罪でなければ誰の罪というのか。(続く)





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最終更新日  2025.01.29 00:00:21


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