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2025.02.25
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カテゴリ: 報徳記を読む
span style="color: #336633; font-size: 16px;">報徳記を読む span style="color: #336633; font-size: 16px;">報徳記を読む 報徳記 巻之三

【2】烏山大夫菅谷某同藩某をして櫻町に使す その3

[報徳記&二宮翁夜話]199
烏山城

烏山候は感動して筆を執って直書を書き菅谷に渡した。
菅谷は、すぐに桜町に至って君命を述べ、直書を渡して救荒の道を請うた。先生はため息して言われた。
「烏山の民は、もとより私があずかるところではない。
今、飢渇に及んだというのも、君臣ともにその道を失ったためである。
しかし、君臣がその非を知って、その道を私に求めてきた。
今、烏山の民の命の存亡は私一人の言葉で決する。
ああ、いかにしよう。
よし、これを救おう。
特に烏山候は小田原候の親族でもある。

ここで二宮先生は菅谷に面会し、治乱盛衰の根元、禍福吉凶存亡の起こるところ、衰廃興復の道、富国安民の大道を諭された。
菅谷はますます驚きますます感動した。
二宮先生は烏山候から小田原候に依頼するよう順を踏むことを教えた。
「しかし、この順路を踏むのに日数がかかれば、民が飢えてしまう。まずこれをもって切迫する救助に与えよ」と二百両を菅谷に与えた。
菅谷はその寛大な処置に三拝して烏山に帰った。
今年一金の融通もできなかったのに、一面識の間に二百両を与えられ、菅谷は夢のような気持で帰った。
 これが烏山藩における仕法の始まりであった。

☆「補注報徳記」(佐々井典比古)にはこうある。
「烏山候は当時江戸にあった。
 菅谷は江戸に出る途中桜町に立ち寄った。
 9月23日、円応の案内で先生に始めて面会し、その未曾有の明法に驚嘆し、尊徳先生の指導によれば必ず目的を達成するとの自信を得たので、急ぎ江戸に出て、君前にでて説明し、重役の御前会議を経て、仕法の依頼を決定した。
そこで烏山藩から小田原藩に、先生を「借り受けたい」旨、申し入れたところ、
「貸すことはできないが、相対で依頼することは差し支えない」との回答を得た。
そこで菅谷は直書を携えて出発し、11月2日桜町に立ち寄って、正式に仕法を依頼したのであった。
 尊徳先生は、藩政の天分の調査、分度の確立、荒地開発及び借財返済が根本的方策であることを述べ、それを実行する決意があるならば、救急の方途を講じようと承諾された。そして救助米はすぐに提供することを約束された。
菅谷は大いに喜んで翌日烏山に帰り、早速天性寺に救助施設を準備して、13日には細部の打ち合わせのため、円応とともに桜町に来た。
救助米は11月26日の白米50俵を始めとして、続々と送られた。」





【2】烏山大夫菅谷某同藩某をして櫻町に使す

菅谷某(ぼう)頗(すこぶ)る文才あり。
此の言を聞き、益(ますます)感激して曰く、
果たして賢人なり。
子(し)之を妄言(ぼうげん)と云ふもの何ぞや。
誠に君(きみ)は君の道を盡(つく)し、某(ぼう)は某の職を盡さば、何ぞ一歳(さい)の飢饉に窮し、民を飢渇せしむることあらんや。
君臣共に道を失ひたりと云ふべし。
然れども今の世に當(あた)り、誰か君臣、道を失ひたるを公然として教戒するの英傑あらんや。
二宮の言(げん)直(ちょく)にして其の理明白也。
我此の人に道を問わずして誰(たれ)にか問はんと。

是(こゝ)に於て衣服を改め、君前(くんぜん)に出(いで)て曰く、
今年(こんねん)大(おほ)いに飢う。
領中人民の飢渇旦夕(たんせき)に迫れり。
臣、百方(ぽう)撫育(ぶいく)の道を求むるといへども、更に其の道を得ず。
平年猶(なほ)君の用度(ようど)足らずして商賈(しやうこ)の財(ざい)を借り、之を補ふ。
今、大凶(だいきょう)に當(あた)れり。
金銀融通(ゆうづう)の道絶たり。
如何(いかん)ともすべからず。
然るに櫻町二宮なるもの、其の先(さき)小田原候の撰擧(せんきょ)を以て、彼の地の廢亡(はいぼう)を再興することを任ぜり。
十年にして功業歴然、加之(しかのみならず)飢歳(きさい)の至らんことを前知し豫(あらかじ)め其の備へをなし、三邑(いふ)の民を救ふこと平年に倍せりと。
先づ某(ぼう)なる者をして往きて之を試みしむ。其の確言(かくげん)的論(てきろん)是(こ)の如し云々(うんぬん)。
是(これ)不凡(ふぼん)の人物にして、當時(たうじ)に難(かた)き賢才なるべし。
臣直(たゞち)に彼の地に至り、救荒(きうくわう)の道を求めんとすれども臣の意に出づるとせば、必ず面會(めんくわい)だも許す可(べ)からず。
君(きみ)の賢慮を以て懇切の直書(ぢきしょ)を二宮に賜ひ、臣之を奉じて彼の地に至り、君命の厚き所以(ゆゑん)を陳述せば、君の民を恵み玉ふ仁心の忝(かたじけな)きを以て、必ず救荒安民の道を教へんか、事の成否は君の深慮にありと言上(ごんじやう)す。
烏山候大いに之を感じ玉ひ、
汝の言(げん)是(ぜ)なり、我直書を以て之を依頼せんと。

是に於て筆を執(と)り一章を認(したゝ)め、菅谷に渡し玉ふ。
菅谷大いに悦び、君前を退き、直(たゞち)に櫻町に至り、君命を述べ、直書を出して頻(しきり)に救荒の道を請(こ)ふ。
先生歎じて曰く、
烏山の民、元より我が與(あづか)る所にあらず。
今飢渇に及べるもの、君臣共に其の道を失ひたるが故なり、
其の國にありて其の道を失ふが故に、國民(こくみん)飢亡に及ぶもの諸國擧げて數(かぞ)ふるに暇(いとま)あらず。
然るに君臣其の非を知り、其の道を我に求む。
今は烏山民命(みんめい)の存亡我一人の言下(げんか)に決せり。
嗚呼(あゝ)如何(いかに)せん。
之を救ふに如ず。
殊(こと)に烏山候は小田原候の親族也(なり)。
之を救助するの縁故(えんこ)なしと云ふ可からず
 と。

是に於て菅谷に面會(めんくわい)し、治亂(ちらん)盛衰の根元、禍福吉凶存亡の由(よ)りて起る所、衰廢(すいはい)興復の道、富國(ふこく)安民(あんみん)の大道(だいだう)を諭(さと)すこと流水の止(や)まざるが如し。
菅谷某(ぼう)彌々(いよいよ)驚き益々(ますます)感動す。

先生曰く、
烏山候仁心厚くして此の飢民を救はんことを某(ぼう)に求め玉ふと雖(いへど)も、某(ぼう)諸侯邦内(ほうない)の事務敢て預かる可きにあらず、固辭(こじ)せんのみ。
然れども我が主君の縁者なり。
烏山候より主人へ此の條(でう)を以て告げ玉はゞ、主君より臣に命ぜんか、又某(ぼう)よりも言上すべし。
君命あるにあらざれば我が私(わたくし)に烏山候の命には應(おう)じ難し。
然れども此の順路を蹈(ふ)まんこと、日數(につすう)を經(へ)ずんば辨(べん)ず可らず。
飢民を目前に置きて此の順序を追はゞ、所謂(いはゆる)轍魚(てつぎょ)を市(し)に求むるの憂ひなしといふべからず。
其(そ)の中(うち)先づ之を以て切迫の救荒(きうくわう)に當(あて)よ 
と、
懐中より金二百兩を出して菅谷に與(あた)ふ。
菅谷其の寛仁にして道を蹈(ふ)み、時を計りて處置(しょち)其の宜(よろしき)を得ることを感じ、三拝(ぱい)厚謝して烏山に歸れり。
今年一金(きん)の融通も絶えたるに一面(めん)の間に二百金を與(あた)へられ、菅子(くわんし)夢の如くにして歸りたりと云ふ。





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最終更新日  2025.02.25 00:00:27


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