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2025.05.31
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カテゴリ: 坐禅
沢木興道『禅談』昭和13年初版

1 最高の幸福

 カ 持場を守る
そこで何がめでたいかを工夫参究する。正月の工夫です。一番めでたいものになりたい。めでたくありたい。めでたくしたい。わたしは道元禅師の歳朝の上堂、元日の説法を紹介したいと思う。
歳朝の上堂(サイチョウのジョウドウ)
挙す宏智古仏天童に住す(コす ワンシ コブツ テンドウにジュウす)
歳朝上堂していわく
歳朝坐禅万事自然(サイチョウのザゼン バンジ ジネン)
心心絶待仏仏現前(シンシン ゼッタイ ブツブツ ゲンゼン)

謝郎満意釣魚船(シャロウ マンイ ウオをツるフネ)
参(サン)
師曰大仏拝読其韻(シ イワく ダイブツ ソのインをハイドクせん)
良久曰(リョウキュウしてイワく)
大吉歳朝喜坐禅(ダイキチ サイチョウ ヨロコんで ザゼンす)
応時納祐自天然(トキにオウじて ユウをイれ オノズカらテンネン)
心心慶快笑春面(シンシン ケイカイして シュンメンをエましめ)
仏仏牽手入眼前(ブツブツ テをヒいて ガンゼンにイる)
呈瑞覆山盈尺雪(ズイをテイし ヤマをオオう エイセキのユキ)
釣人釣己釣魚船(ヒトをツりオノレをツり サカナをツるフネ)
宏智(ワンシ)という大徳がシナ浙江省(セッコウショウ)の大きな寺におられた。これが有名な天童山である。道元禅師もここで修行あそばされた。この宏智禅師の歳朝上堂の第一のお言葉に「歳朝の坐禅万事自然」とある。これはありがたいお言葉である。坐禅とはどんなものかというに、どんな学者も学問を捨て、金持ちは金を捨て、智慧者は智慧を捨て、弱いものは弱さを捨て、貧乏人は貧乏を捨て、一切を投げ出して坐るのです。ただ坐るのです。私がよく言う言葉であるが、自分になり切る。私が私になり切る。あなたがあなたになり切る。山が山になり切る。茶碗が茶碗になり切る。一切の物がそれ自身になり切る。それが坐禅です。

昔ある男が、雪の朝まだ寝ていると、男衆が雨戸をガラガラとくり出して「旦那様、今日はえろう雪が降っておりますよ」「そうか、どの位か」「深さは五寸ばかりですが、幅は知れません」といったという話がある。この幅の知れんのが宇宙の不可解であり、真理である。この幅の知れないのを幅の知れないままにしておく、それになり切るのが坐禅である。
その幅がなんぼあるかと、寸にとって歩くような愚かなことはしないわけである。その知れんままにしておるのが「万事自然(ばんじじねん)」だ。富士の山を高いままに眺め、雲がかかったらかかったままに眺めて、それをどうもしない。本分に安住している。かくかくのものが、かくの如く安住している。低いところが低く、高いところが高くて万事自然である。人間の体もこの通りで首は上に位し、足は下にいる。前後別あり左右定まる。こういうのが万事自然である。各々その持ち場持ち場をまもって、素直にして少しも不平を言わず腹も立てない、調子づいてもいなければ悲観もしていない。如法(にょほう)に安住し、本分に安住しているのである。これがいつも私のいう「打ち方止め」である。(『禅談』p23-26)





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最終更新日  2025.05.31 12:00:08
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