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2025.06.29
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カテゴリ: 坐禅
「一度だけの人生だから」より

対談の始めに
「泥多ければ仏大なり」
人生のあらゆる悲しみ苦しみの泥を肥料として吸収し、昇華して美しい蓮華の花を咲かせよ
の仏法の生き見本を平山先生の御生涯の上に見る思いがして申し上げると

平山先生は「父のお蔭です。」とおっしゃった。

 平山先生のお父様は同じ瀬戸内の生口島の出身で早稲田大学の政経学部を卒業し、名古屋で新聞記者を務めておられたが、どうしても坊さんになりたくて曹洞宗の寺に入り、三年間本格的な修行をされた。
寺を出るとき「終生、慈悲を第一とせよ」と言われた老師の言葉を信条とし、朝起きるとまず坐禅を組み、仏壇の前で読経するという日課は生涯欠かさなかった。
 学識と人柄と信心の深さが見込まれて、平山家の婿となられた。島で一二を争う資産と数百年の歴史を誇る旧家に来られたお父様は

お前たちのためにも財産はすべてなくす。児孫のために美田を買わずだ」(講談社刊『絹の道から大和へ』)
と宣言し、そのとおり実践された。
沢山の名誉職を務められても給料は一切もらわない。
他人の借金の保証人は次々に引き受け、金を貸しても催促しない。
福祉関係や寺などへの寄付は真っ先に、しかもひとけた多くする。
平山先生の30歳頃は完全に破産状態に陥ったが、お父様は願うところとばかり平然としておられた。

平山先生がお金の仕送りしても、全部施設や寺へ寄付し、質素きわまりない生活に安住しておられた。

「父に一度『ほんとうは何になりたかったか』と尋ねたら
「永平寺の禅師になりたかった」と答えた。
そういう父の生き方があって初めて、今の私があると思っています。」
と平山先生は語ってくださった。


東京美術学校の彫金科教授で、口癖のように
「お前を絵がうまいだけの画家にはしたくはない。技術的にうまくなってもそんなものはすぐに行き詰まる。肝心の精神のほうが発達していない。高い教養を身につけてこそ画家としての道も開けるものだ」といい、文学や哲学や宗教など学び、人間としてしっかりした基礎を身につけることを命じられた。

「少なくとも十年間は絵で稼ぐことは絶対にするな。
もしどうしても困ったら肉体労働で稼げ。絶対に絵に頼ってはならん」と戒められた。

平山先生は超多忙の毎日、一日一度は絵筆を持つ。

集中力です。それも技ではない。日頃描きてが身に付けたもの、蓄積したものした出て来るはずはない」





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最終更新日  2025.06.29 07:54:04
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