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2025.07.25
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カテゴリ: 報徳
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【3】尊徳先生はおっしゃった。
人道はたとえば、水車のようなものだ。
その形、半分は水流にしたがい、半分は水流に逆らって回っている。
まるごとに水中に入れば回ることができず流れてしまうであろう。
また水を離れれば回る事はない。
仏教の僧侶のように、世を離れ、欲を捨てたのは、たとえば水車が水を離れたようなものだ。
また凡俗の者が教義も聞かず、義務もしらないで、私欲一偏に執着するのは、水車をまるごと水中に沈めたようなものだ。ともに社会の用をなさない。
だから人道は中庸を尊ぶ。
水車の中庸は、よろしいほどに水中に入って、半分は水にしたがい、半分は流水に逆のぼって、運転が滞らないところにある。
人の道もそのようで、天理にしたがって種を蒔き、天理に逆らって、草を取り、欲にしたがって家業を励み、欲を制して義務を思うべきである。

【3】  翁曰く、

夫(そ)れ人道(じんどう)は譬(たとへ)ば、水車(みづぐるま)の如(ごと)し。

其(そ)の形(かたち)半分は水流(すゐりう)に順(したが)ひ、半分は水流に逆(さから)ふて輪廻(りんくわい)す。

丸(まる)に水中に入れば廻(まは)らずして流(なが)るべし。

又(また)水を離(はな)るれば廻(まは)る事あるべからず。

夫(そ)れ、仏家(ぶつけ)に所謂(いはゆる)知識(ちしき:僧のことを善知識といい、それを縮めて知識という。)のごとく、世(よ)を離れ、欲を捨てたるは、
譬(たとへ)ば水車(みづぐるま)の水を離れたるが如(ごと)し。

又(また)凡俗の教義(けうぎ)も聞(き)かず、義務もしらず、私欲一偏(へん)に着(ちやく)するは、水車(みづぐるま)を丸(まる)に水中(すゐちゆう)に沈(しづ)めたるが如(ごと)し。

共(とも)に社会(しやかい)の用(よう)をなさず。

故(ゆゑ)に人道(じんどう)は中庸(ちゆうよう)を尊(たふと)む。

水車(みづぐるま)の中庸(ちゆうよう)は、宜(よろ)しき程(ほど)に水中(すゐちゆう)に入りて、半分は水に順(したが)ひ、半分は流水に逆昇(さかのぼ)りて、運転(うんてん)滞(とどこほ)らざるにあり。

人の道もその如(ごと)く、天理に順(したが)ひて種(たね)を蒔(ま)き、 天理に逆(さから)ふて、草を取り、欲に随(したが)ひて家業(かげふ)を励(はげ)み、欲を制(せい)して義務を思ふべきなり


☆二宮尊徳先生はたとえの名人だった。キリストといい、釈尊といい、たとえを使った教えが多い。
真理はそのままではなかなか理解しがたい、身近なものにたとえて真理を理解させるということだろうか。
あるいは、真理は小さなものまで開顕しているが、愚かな我々は教示されるまで気がつかないということなのであろうか。
さもあればあれ、この水車のたとえも



という教えをよくあらわして実に印象深い教えである。





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最終更新日  2025.07.26 07:09:55


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