MM2022のブログ

PR

プロフィール

MW2022

MW2022

カレンダー

コメント新着

天国にいるおじいちゃん@ Re:打席に入る前に、バットを天にかざして、天国にいるおじいちゃんに『力を貸してくれ』(08/24) 天国にいるおじいちゃんについては、 089…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2025.07.26
XML
カテゴリ: 怠れば廃る塾
12 滴水の由来 「なぜ一滴の水でも生かして使わないのか」 
 宣牧(せんぼく)は臨済宗の僧である。岡山市の池田公の菩提寺である曹源寺に入り、儀山和尚に師事して修行した。この寺は峻烈さをもって聞こえている。
 ある夏の夕方、儀山和尚が風呂へ入ろうとされたが、湯が熱いので「誰か水をくれないか」とどなった。宣牧はいちはやく、手桶の水を運んだ。湯を適当にうけて、手桶の底に少しばかり水が余ったので、宣牧はそれをサッと地面にまいた。すると和尚から罵声を浴びた。
「物は大は大、小は小で使い道がある。なぜ、少しの水でもそれを生かして使わないのか。僅かな水でも、花や木にかけてやれば生きる、この因地の修行が陰徳だ。」
宣牧は後に京都の天龍寺で大衆を教化したが、その一生を通じて、このときの強烈な教えを忘れないように、自らの名前を「滴水(てきすい)」と号し、一滴の水も御仏の賜物として大切にした。

※由理滴水(ゆり てきすい) 1822-1899。江戸末から明治初期の臨済宗の僧侶。丹波国白道路村(現・京都府綾部市)に由理彦兵衛の長男として生まれる。父の遺言により9歳の時に出家し、のち備前の曹源寺に儀山善来禅師を慕って赴くが、謝絶された。3日間懇請し続け入室を許された。28歳の時に禅師の命により安芸国・佛通寺の瞶翁和尚の法化を助け、京都・嵯峨にある義堂和尚を訪問しそこに居住する。41歳の時に天龍寺西堂に任命され、義堂に代わって叢林を指導する。明治4年(1871年)に天龍寺派管長、明治5年(1872年)に大教正となり、禅宗三派(臨済宗・曹洞宗・黄檗宗)の管長に選任された。明治12年(1879年)2月東京に赴き、天龍寺伽藍再建について政府に請願し、天龍寺再建に専念した。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2025.07.26 20:04:08


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: