※バールーフ・デ・スピノザ(Baruch De Spinoza) 1632-1677。オランダの哲学者、神学者。デカルト、ライプニッツと並ぶ合理主義哲学者。ドイツ観念論やフランス現代思想へ強大な影響を与えた。スピノザの汎神論は唯物論的な一元論で、後世の無神論や唯物論に強い影響を与えた。アムステルダムの富裕なユダヤ人の貿易商の家庭に生まれる。幼少の頃より学問の才能を示した。当時のユダヤ教に対して批判的な態度をとったため、ユダヤ人共同体から破門される。ハーグに移住し、執筆生活を行う。ハーグ移住後、レンズ磨きで生計を立てた伝承は有名。1675年に『エチカ』を完成させたが、出版は断念した。
* I. B. Singer―作品にみられる宇宙論的夢想の一特色—A Young Man in Search of Love を中心に— その1
三國隆志 (序)
これはアメリカで今なお旺盛に文学活動を続けているイディッシュ語作家I. B. Singerの言葉である。この言葉は、彼の文学の特質をよく物語っているように思われる。存在の全領域に二元的対立関係を看取すること、その対立関係は現象の背後で同じ根から派生していること、究局的には全てが一元的な構造に還帰していくことである。その還帰の過程のダイナミズムを記述することが、この作家の使命であるかのようにみえる。ノーベル文学賞受賞演説において、文学は人間に新たな地平と新たな展望をもたらし得るとSingerは力強く述べているが、文学に対するこの確信は彼の世界観から必然的に生まれてくるものなのである。
(1) テキスト 分析の対象として、作家自らが精神的自叙伝と命名した三部作、A Little Boy in Search of
This work as well as the two volumes which preceded it, A Little Boy in Search of God and Young Man in Search of Love, does not pretend to be completely autobiographical. Because many of the people described in them are still alive, and for other reasons, I could not tell the story of my life in the usual style of a memoir. Actually, I don’t believe that the story of any human life can be written. It is beyond the power of literature. I had to skip events that I consider important. I had to distort facts as well as dates and places of occurrences in order not to hurt those who were close to me. I consider this work no more than fiction set against background of truth. この作品は先行する二作品、即ち『神を探し求める少年』『愛を探し求める青年』と同様、完全に自伝的作品と言うつもりはない。何故なら、これらの作品に描かれた人々は今なお生存中であるし、他の理由もあって普通の回想記のスタイルで自分の生涯を物語ることが私には出来なかった。実を言うと、誰であれその人の生涯を物語ることが出来るとは私には思えないのだ。そのようなことは文学の力を超える。重要と思われる幾つかの出来事を省略せざるを得なかった。また、私と親しい人々を傷つけないため、出来事の起った日時や場所と共に、事実も粉飾せざるを得なかった。私の考えでは、この作品は真実を背景とした一篇の虚構にすぎない。
破壊と創造、苦痛と歓喜もまた、同一の現実の二つの顔と言ってよいであろう。『馬鹿者ギンペル』以来、愚者が聖性を帯び、賢者が地獄に堕ち、汚れが清浄へ、清浄が汚れへと絶え間なく変転生成する世界が、Singerの物語世界に展開されているからである。この小説は一篇の教養小説と思想的小説が結合した作品と言うべきかもしれない。想像力によって、無を有に、空虚を意味の発散する一種の磁場に変容し、世界に多様な意味を賦与する試みなのである。そして、なによりも浮かび上がってくる主題は、ドストエフスキーの『地下生活者の手記』、カフカの『城』や『審判』、そして旧約聖書中の『ヨブ記』にみられるような、不条理な世界に直面する個人という主題である。 ところで何故イディシュ語作家であるSingerを論じなければならないのか?今世紀の半ば以降、アメリカ文学におけるユダヤ系作家の活躍は目ざましいものがあるが Saul BellowにしてもBernard Malamudにしても、彼らの物語にみられるシュレミエール的特色は、I. B. Singerの影響なくしては考えにくいと思われるからである。文学史家によっては、彼をアメリカ文学史から排除し、イディッシュ語文学の範疇に閉じ込めようとする傾向があったが、現在の時点では、そのような見方は正当性を失っていると言ってよい。狭い意味での通時的文学史の枠組が今や破産に瀕している事情とともに、多様な人種、言語、文化の混淆によって常に芸術の新しい開花を準備するアメリカにとって、現代アメリカのユダヤ系作家の創作を活性化したSingerの文学を、アメリカ文学に無縁なものとして片付けることは到底できないからである。
彼(I. B. Singer)固有の世界観は彼の受けた三つの影響を経て築かれているように思われる。そこから、彼の文学が生まれてきているのではないだろうか。その三つの影響とはスピノザ哲学、ユダヤ神秘主義、ヨーロッパ近代文学の影響である。これらの影響を経て彼独自の宇宙論的夢想とも言うべき、文学的想像力の足場が確保されたと思われる。
The Spinoza book created turmoil in my brain. His concept that God is a substance with infinite attributes, that divinity itself must be true to its laws, that there is no free will, no absolute morality and purpose ― fascinated and bewildered me. As I read this book, I felt intoxicated, inspired as I never had been before. It seemed to me that the truths I had been seeking since childhood had at last become apparent. Everything was God ― Warsaw, Bilgoray, the spider in the attic, the water in the well, the clouds in the sky, and the book on my knees. Everything was divine, Everything in the sky, and the book on my knees. Everything was divine, everything was thought and extension. A stone had its stony thoughts. The material being of a star and its thought were two aspects of the same thing. Besides physical and mental attributes, there were innumerable other characteristics through which divinity could be determined. God was eternal, transcending time. スピノザの書物は、僕の心を動揺させた。神は無限の属性を持つ実体であること、神性はそれ自体の法則に従っていること、自由意志は全く存在せず、絶対的な道徳律も目的も存在しないというスピノザの思想は、僕を魅惑すると同時に戸惑わせた。かつて味わったことのない陶酔と霊感を、僕はこの書物を読んで味わった。幼年時代からずっと探し求めてきた真実がついに明らかになったように思われたのだ。万物が神なのだ。ワルシャワも、ビルゴライも、屋根裏に巣を張る蜘蛛も、井戸の水も、空に浮かぶ雲も、膝にのせているこの書物もだ。万物が神性を持ち、万物が延長と思惟なのだ。石には石の思惟があるのだ。恒星のような固物的存在とその思惟は、同一物の二面なのだ。物理的、精神的な属性に加えて、他に無数の特質を通して、神性を測り知ることができるはずだ。神は永遠であり、時間を超越する。(スピノザ著『倫理学』(河出書房, 昭和42年)p.9)
God was omnipotent, but He suffered from restlessness _ He was a restless God. At first glance, this seems a contradiction. How can the omnipotence be restless? ”Is anything too hard for the Lord?” How can an all-powerful suffer? The answer is that the contradictions are also a part of God. God is both harmony and disharmony. God contradicts Himself, which is the reason for so many contradictions in the Torah, in man, and in all nature. If God did not contradict Himself, He would be a congealed God, a once-and-for-all perfect being as Spinoza described Him. But God is not finished. His the beginning stage. God is eternally Genesis. 神は全能であるが、不安に苛まれていた。これは一見矛盾しているように思われる。全能者がどうして苦しむことがあるというのか。答は、矛盾もまた、神の一部ということだ。神は調和であると同時に不調和である。神は自己矛盾を冒す。それが、律法、人間、全ての自然の中にある矛盾の理由なのである。もし神が矛盾を冒さなければ、神はスピノザが述べたような凝結した神となり、れっきとした完全な生き物となるだろう。しかし、神は未完成である。神の最も聖なる属性は、神の創造性であり、その創造性は常に最初の段階にある。神は永久に『創世記』にいるのだ。
矛盾を神の一部と見做すことによって、またしても二元的対立関係は一元論的構造に解消されていく。ここまできて、I. B. Singerの物語世界を支え、強化しているものは、一種の神秘主義の存在に違いないと思われてくる。具体的に述べるならば、ハシディズムおよびカバラーの影響が作家自身の宇宙論の構造に大きな影響を与えていると考えられる。例えばこの物語で特徴的な事実は、劇的な事件の展開や登場人物の面白さもさりながら、「私」と隠れたる神との関係を巡って青年が絶え間なく思念を展開し続けることであろう。自己との対話は全篇にわたり途切れることがない。この作品にみられる、主人公の様々な経験や省察にかかる比重の大きさは、教養小説の伝統と言うよりは、作家が抱く一種の宗教的確信にその根拠を持っているのではなかろうか。
(二)
“Father, what does God want?” Father stopped. “He wants us to serve Him and love Him with all our hearts and souls.” “How does He deserve this love?” I asked. Father thought it over a moment. “Everything man loves was created by the Almighty. Even the heretics love God, If a fruit is good and you love it, then you love the Creator of this fruit since He invested it with all its flavor.” 「お父さん、神は何を望んでおられるのでしょう?」 父は立ち止まった。 「神は私たちが神に仕え、全身全霊をもって神を愛することを望んでおられる。」 「どうして、神はそのような愛を受ける価値があるのでしょうか?」 父はしばし思いを巡らしていた。 「人の愛するものは全て神によって創られたんだ。異端者たちでさえ、自分たちの神を愛する。もし果実が美味で、人がその果実を愛するなら、神がすべての風味を与えて下さったのだから、人はその果実の創造者を愛するのは当然ではないかね?」