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2025.10.24
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カテゴリ: 坐禅
「禅談」沢木興道述(沢木興道全集第2巻)

回光返照 その5

 ここでいう回光返照というのは、ふつうの言葉では実行というけれども、実行というだけではうまく響かない。回光返照というのは言葉であり、概念であり、理念である。しかしそれをわれわれ自身の生活に移して、生活に即したものとなれば、つまり境涯になるわけである。この境涯になってしまえば、概念でもなく理念でもない。そこではじめて「ゆく先にわが家ありけりかたつむり」ともいえるし、「庵小なりといえども法界を含む」ともいえる。その物になりきってしまうことである。
 禅宗坊主に「脚下を照顧せよ」と言う言葉がある。足許を照らせということである。さらにいえば貴様はどうかということである。そうすると「脚下を照顧せよ」ということは、自己の生活にいつもたちもどれということである。
 それには大きい鏡に始終自分を写してみることである。地獄でいうたら浄玻璃の鏡である。
 地獄、極楽の絵を見ると、よく亡者をひっつかまえて鏡を見せているのがある。鏡には荷物を持って逃げようとしているところがうつっている。この鏡がすなわちわれわれの業績で、めいめい自分で持っているわけである。そしてめいめいの境涯に相応した業をうつしている。専門の言葉でいえば、これが第八阿頼耶識である。
 その鏡の中二、何にもうつらない世界、そういう世界はいったいどこにあるのか。この何にもうつらない世界は悟りの世界であり、坐禅の世界である。でる意気、ひく息に、でる息はでる息ぎり、ひく息はひく息ぎりに、ねんねん不断に回光返照して、本当の自分を見つめてゆく世界である。ここのところを『普勧坐禅儀』には
「所以に須らく言を尋ね語を逐ふの解行を休すべし。須らく回光返照の退歩を学すべし」
 とおおせられてある。





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最終更新日  2025.10.24 13:50:04
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