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娯楽週刊誌「○○」最新号に「横綱・朝青龍の八百長」が報じられ、日本相撲協会はご当人ら関係者を呼んで事情を聞いたという。大相撲八百長問題は、そんなに珍しいことではない。そもそも八百長という言葉の語源?には、碁の好きな八百屋の長兵衛さんが、相撲の親方と碁を打っていて、ちょうど「よいかげん」になるように、相手に知られぬように「手加減」をしたという話から「八百長」という言葉が生まれたとされているらしいが、これまた「眉唾」ものである。週刊○○によれば、昨年の九州場所などは、ガチンコ相撲は数番だけで、あとは八百長だったと断定している。インタビューを受けた横綱は「そんなことはない。命がけでとっているのに‥」と、唇を震わせて否定していた。もっとも、「おっしゃるとおり、九州場所の取組みのほとんどが八百長でした」と答えるわけはない。週刊○○も「根も葉もない」ことを、堂々と書けるわけがない。「中盆」(八百長の取り次ぎをした者)の名前まで公表しているのだから‥。相撲協会は「さらに調査の上、善処する」と言うが、どう調査するというのか、分からない。卑しくも「国技」と名乗り、天皇賜杯まであるのだから、相撲ファンとしてはトコトン勝負してほしい。外国人力士が数を増し、日本人の入門者の数が劇的に少なくなっている相撲界にとっては、今回の「八百長報道」が与えるショックは計り知れない。それでなくても、「満員御礼」の垂れ幕が減っているのだから、この際、協会の体質改善も根本的に見直すべきチャンスではなかろうか。
2007年01月31日
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ずいぶん前から立候補を噂されていたが、マジで出たら、ダントツで当選しちゃった。自民・公明推薦の候補者も歯が立たなかった。あのたけし軍団で少女買春で捕まり、夫人に愛想をつかされて離婚した、そのまんま東に誰が投票したのか?しかも、圧倒的な勝利を与えたのは、いったい誰なのか?あの日、午後8時に投票締め切りの僅か数分後に「当確」が出て、支援者に囲まれて「バンザイ」をしていたそのまんま東‥。むろん出口調査の結果であろうが、それにしても早すぎる「当確」だった。今回の知事選でそのまんま東を当選させたのは、いったいだれなのか?その第一は前知事である。私利私欲のために悪行の限りをつくした前知事があればこそ、宮崎県民の多くは政治にも行政にも嫌気がさしていたに違いない。だから、自民・公明という与党が推薦した候補の得票数は「惨敗」と言っても過言ではないほどだった。野党第一党の民主党は、皮肉な言い方をすれば先見の明があったのかも知れないが、出すタマがなかったのではないか?今日、その東国原英夫氏(まんま東氏)は、宮崎県知事として登庁するらしい。まずは、ここからの「お手並み拝見」といきたい。タレント知事がみなダメとは言わぬが、あの狡賢い官僚や手だれの県議たちを相手に回して、辣腕が振るえるのかどうか。じっくりと見定めていきたい。多くの宮崎県民も、果たして自分たちの選択が正しかったのかどうかを凝視しているに違いない。勝負は、ここからだ。
2007年01月23日
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加藤建夫中佐率いる飛行64戦隊は、大東亜戦争開戦と同時にマレー、パレンバン、ジャワ、ビルマ作戦の制空戦に大活躍した。しかし、昭和17年5月22日、加藤戦隊長はベンガル湾上空で、英空軍爆撃機を撃墜した時に被弾して、ベンガル湾に消えた。というような話をしても、65歳以下の人には、何のことやら分からないでしょう。陸軍一式戦闘機(一式戦)/「隼」は、海軍零式戦闘機(ゼロ戦)と並んで、戦後半世紀以上を経た今でも広くその名を知られ、我々の記憶に残る名機である。そこで、朝日六郎他 作詞/岡野正幸 作の「加藤隼戦闘隊」の歌を紹介します。1)エンジンの音轟々(ごうごう)と 隼は征(ゆ)く雲の果て 翼に輝く日の丸と 胸に描きし赤鷲(あかわし)の印はわれらが戦闘機 2)寒風酷暑ものかはと 艱難辛苦(かんなんしんく)打ち耐えて 整備に当る強兵が しっかりやって来てくれと愛機に祈る親ごころ 3)過ぎし幾多(いくた)の空中戦 銃弾捻(うな)るその中で 必ず勝つの信念と 死なばともにと団結の心で握る操縦桿(そうじゅうかん) 4)干戈(かんか)交ゆる幾星霜(いくせいそう) 七度重なる感状の勲(いさお)の蔭に涙あリ ああ今は亡き武士(もののふ)の笑って散ったその心 5)世界に誇る荒鷲(あらわし)の 翼伸ぱせし幾千里 輝く伝統受けつぎて 新たに興(おこ)す大アジア われらは皇軍戦闘隊今でも同窓会や何かで、一杯入ると、この歌を唄う。特に4番は曲と違った、台詞調の歌であり、唄っているうちに涙が出そうになる。昔の歌は難しい漢字が多く使われていました。
2007年01月13日
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折角楽しみにして、録画の準備も万端怠ることなく整えて、2日の夜、テレビ前の桟敷席に座って待っていた。私のお目当ては言うまでもなく、午後9時からの大阪松竹座からの「勧進帳」であった。藤十郎・團十郎の200数十年ぶりの初顔合わせという触れ込みもあったが、なんと言っても成田屋父子の共演をじっくり味わいたいと思っていた。司会進行役は女性アナだった。プラス映画監督だったが、これまた「台本」がいけなかったのか、実のある会話は聞けなかった。副音声の名人?も、お年の所為か、トンチンカンなやり取りで始まった。私はいささか前途多難を予期した。勘三郎の「鏡獅子」は、お祖父さん(六代目)を彷彿とさせるほどの出来栄えであった。さて、いよいよ大阪松竹座から‥と思ったら、長々と藤十郎と團十郎へのインタビューが続く。これまた、聞き手の女子アナの「聞き下手」だけが目立った。まあ、それでも「中継」(録画)を期待して、じっと辛抱していた。ところが、いきなり義経主従の出から始まったではないか。ここで私はテレビに向かって大声でどなった。「歌舞伎十八番を冒涜するのかっ!!」と。そして、場面は、まるで素人の料理のようにズタズタにカットされ、贔屓目でみても、とても歌舞伎十八番とは言えないほどの「中継」だった。「こいつぁ、春から」縁起が悪いNHKだった。もう「放送料金を返してくれ!」と叫びたいほどである。弁慶の飛び六法が終わるや、「切られお富」は録画も止めて、テレビのスイッチを切って、桟敷席からベッドへ直行した。でも、悔しい気持ちが治まらず、なかなか寝付けないわたしであった。NHKよ、どうしてくれるのだ! もう一度、「勧進帳」を片しゃぎりから飛び六法まで、ちゃんと放送してくれ。下手なガイド役は不要だ。
2007年01月03日
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