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凪2401

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2011年04月23日
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カテゴリ: 雑感。
気がつけば、もう4月が終わろうとしているのですね。
今年は寒い春で、まだ桜も咲いていないせいか、
時間は、まだまだ冬の終わりに凍結したままのような気がします。

余震も原発の事故も終わりが見えず、心もとない春だなあと思います。
それでも希望の芽が、そこかしこに出ているのを見落とさないようにします。

3月11日の震災から、ニュースで被災地の様子を見ていて、
ただただやるせいないと同時に、
本当にこんな酷いことが現実なのだろうかと思いもしました。

それは元々現実感に乏しい私だけでなく、


亡くなられた方や行方不明の方の数が見たことのない数字に増えていき、
たくさんの喪失と、たくさんの悲しみや苦しみを見ている中で、ふと思いました。
今までの方が、非現実な日常だったのではないか、と。

勿論、今までのあり方を否定するものではありません。
文明とか科学の無力さを説くつもりでもありません。

ただ、私は生死というものが、あまりにも遠い世界だったな、という印象を受けました。
利便性に守られて、生きるということがとても簡単な世界だったな、と。

生きにくい世の中になってきたなあと思ってはいましたが、
それは精神的に、大変な世の中になってきた、という意味合いでした。

今までは、「死」というのは病や事故などの限られた場合を除き、
忌み事として遠くに追いやられていたと思うんですね。


誰も自分が明日死ぬかもしれないとか、
隣で笑いあっている人がいなくなるかもしれないとか、現実として考えない世界。

でも、地震と津波で失われた町や人を見て、
そして、その喪失の中でも、生きて暮らすことを選択し続けている人たちを見て、
今までの守られている世界の方が、ウソみたいだ、と思ったんです。



「それでも人生にイエスという」
ナチスの強制収容所を生き延びた方の著作のタイトルです。

此岸の世界に戻された私たちは、生き延びた自分に、失ってしまった存在に、
そう言うことができるだろうか?

とても難しいです。それが分かるのは、もっともっと先なんでしょう。
少なくとも私は、まだこの現実に耐えられるだけの強度を持たないようです。

それでも今日も、この新しい現実を暮らすしかないんですね。
そうであれば、無理くりでも希望の側に立ちたいと思います。






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最終更新日  2011年04月23日 09時35分54秒
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