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昨日、久しぶりに入って一年目のADと飲みに行く機会があり、自分の経験談を話していました ぽかんと口を開けて「へぇ~そうなんですか」という新人を見ながら 7年前のある大物落語家への取材を思い出していました今は亡き大物落語家にインタビューした内容は「内弟子制度は今の時代にも必要だと思いますか」と言うもの、その大物落語家はこれ以上はないというくらいの笑顔でこう語り始めました「人にモノを教える、何かを伝えると言うことは、それは難しいことで 簡単に出来るものではないんですね それぞれ皆さん大人になるまでに色んな家庭に育ち、色んな友達と遊び、色んな先生に教育を受けてきた人たちです それが簡単にこれが正しいですよと口で説明したくらいではそれがわかったとしても理解することはできないんじゃないかなと こう思うわけなんですよ 落語のネタは口移しで教える事は出来ますし若い柔らかい頭なら覚えることは簡単なんですよ しかしお客さんの反応によってテンポを変えたり その場の雰囲気で間の取りかたを計算するというようなことはニュアンスであって口移しでは教えられないことなんですねそのために我々はどのようにするかというと 同じモノを食べ、同じモノにおいしいと思い、同じときに寒いと感じ、同じ時に心配し同じ事に感動して涙する、できるだけ同じ事を体験する時間を増やすんです、そうすると、不思議なものですね・・・言葉では伝わらない感性が肌で伝わるんですな・・これが大事なことなんですよその感性を同調させるひとつの方法が内弟子制度と言うものなんですね・・・これは師匠と弟子に限ったことではないんです 人は言葉同士では伝えられないことがたくさんあるんですね だからこそ仲間同士が同じ事をうまくやっていくためには、同じ経験をした方がいいんではないかと わたくしは常日頃からそのように感じてるわけなんですよ」確かにその人の言葉はその後の私の人生で大きな教訓として生かされました 後輩ともできるだけ遊び同じ経験をたくさんしてきましたし、そうやってきた後輩と組んだときは「あ、うん」の呼吸でいい仕事が出来た覚えがあります恋愛でもその過程には、同じ場所で同じ景色を見て、同じ音楽を聴き、肌を合わせることによって同じタイミングで快感を得るというようなことがあり、それが確実に二人の仲を深いものにします。逆にそれがなくなることによって信頼感がなくなることもあるのは事実ですお酒が回ってきたところで、新人の顔を見てみると確かに話の内容はわかってたようですがそのニュアンスは伝わっていないのはわかりました 我々がADの時代には徒弟制度があり何をするのも先輩と一緒だったものです そのやり方のすべてが正しいとは思いませんが、何とかまた違った形での体験の共有、コミュニケーションのとり方を考えていかなければ 人にモノを教えていくのは大変なことなんだなと改めて感じていました
Nov 30, 2002
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「もう3日も徹夜や」特別番組を担当するディレクターが無精ひげを生やしながら、こう言って編集室を出てくる姿をこのシーズンはよく見かけます 12月は年末、正月特番のピークで、レギュラーをやりながら他に1時間30分ほどの番組を企画し仕上げるのは かなりの労力です、しかし実際はよっぽどのことがない限りそんなに徹夜しなければ出来ないと言う過酷なスケジュールをプロデューサーが組むことはありません ディレクターがなぜ徹夜するのかはディレクター自身のスイッチの問題なんです編集をするときは何が面白いか、どうすればいいものが作れるかと言うことを考えるテンションにならなければ番組は作れませんしかし、そのテンションに切り替えるスイッチはいったん切ってしまうとなかなか戻しにくいものなのですそのため いったんスイッチが入るともう切ることが嫌になるのです。スイッチの切り替えさえ簡単に出来るなら9時からきて6時に帰ることを6日続ける方法で番組は作れるのですがテレビを作る人間のほとんどはその方法は取りません人間にはスイッチがあるんだとつくづく思うのがこの編集に入る瞬間なのです。もちろんテンションのスイッチは裏方だけでなくタレントにも言えることです トークの天才さんまさんは大事な番組があるときはテンションを下げないため前の日は寝ずに喋り続けているそうです。スイッチは一般生活で誰もが、知らないうちに切り替えています。主婦は母親モードと女性モードのスイッチの切り替えがかなり難しいと聞いたことがあります、おそらく、人は脳の色んな部分を使って人生を生きているんだと思います 同じ場所ばかりを使っている人にはスイッチは要りませんが、違うたくさんの部分を使って生きている人はその数だけスイッチがあるのかもしれません。このスイッチの切り替えをうまく出来る人は、人生を効率よく楽しく生きていけるのかなあとも思います。このスイッチが変る瞬間を見ると、その人に惹かれると言うこともよくあります いつも怠けている人が仕事モードに切り替わったとき、お笑いで3枚目のキャラクターの人間が恋愛モードに切り替わった瞬間、まじめで全く男に興味のないような女性がエッチなモードに切り替わった時、仕事で頑固な上司が子供に会いお父さんモードになった時、このようにスイッチの切り替わりが激しい人は魅力的だということは確実にいえることだと思いますそう考えながらも、台本を明日までに書かなくてはいけないのになかなかそのモードにスイッチオンできないけじめのない自分がなさけない次第です。
Nov 29, 2002
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最近、夕方のニュースの企画コーナーの中に「映像コーナー」と言うものが登場しました 報道カメラマンが自分で撮りたいものを選び撮影、編集をし音楽と最小限のスーパーで色づけされものが放送されると言った 極めてシンプルな作りのコーナーですずっと大阪の古い橋を映しているものや何気ない子供達がサッカーをしているシーンをつないだものなどごくありふれた風景を表現しているものばかりなのですが、このコーナーを見るたびに私は、演出と言うものについて深く考えさせられるのです私がこの世界に入ったときにベテランディレクターがこんな事を行っていました 「VTRはスーパーもナレーションも使わずにその映像と映像のつながりを見ただけで人の心に何かを与えるものでなければダメだ、スーパーや音楽やナレーションはそれをよりわかりやすくするためにあるんだ」その時代にはそれが本当の演出とされてきましたし間違いなくそれが正しかったのです。しかし今は違います スーパーやエフェクト、音の効果、全て最初 から計算された上で映像を撮っていき、つないでいきます テクニックが当たり前になり、ハイテク技術が進んだ事によって コンピューターグラフィックや高度な編集効果を使ったものがいいものと評価されがちになっています。最後の色づけとして映像の上に乗せていたスーパーや効果が今や、その効果の為に撮る映像を考えるといった、本末転倒ともいえる現象が当たり前のように起こっているのです全てがごまかしの時代になったという言い方をしても それは否定できないような気がします 映像をアナログにつないでそこに音楽を入れただけの「映像コーナー」は派手さや今時の映像演出は全くないものの、それゆえの感動と情緒がありますごまかしがきかないだけに、制作者はその音楽と映像に全てのこだわりを投入します そこに生まれる人間的な演出に人は惹かれる何かを感じるのかもしれませんなかなかこの時代にアナログの魅力を考え直すというのは、勇気のいることです しかし今一度、テレビ業界に限らずこの満たされた時代が得たものと失ったものを考え直す必要があるのではないかと考えるようになってきました メールよりも手書きの手紙は心を打ちます 生ギター一本のライブは他では味わえない感動があります。こういう観点から見ると演出と言うものはテクニックに頼らないものが本来のものであり、人間の心の中にある単純な感情表現のようにも思えてきますそういった意図のもとにこの「映像コーナー」が誕生したかどうかは知りませんが こんな時代だからこそ一度足を止めて、見えていなかった失われかけている大切なものに目を向けていきたいと考させられるようになったということは自分自身として大きな収穫だったように思います
Nov 28, 2002
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今日、番組中に失敗したADにプロデューサーがかなりきつく説教をしていました、「もう堪忍してやったらいいのに」と思いながら、昔、尊敬する先輩が僕に言っていた言葉を思い出していました「失敗はしてからが勝負や」生放送を進行するディレクター、AD、タイムキーパー、カメラマンに共通して絶対にやってはいけないと言われていることがありますそれは「失敗をひきずる」ということです ナマを担当するものにとっては失敗することより、その失敗によってパニックになることのほうが恐ろしいことなのです 生放送中はどんなことがあっても時間は過ぎていきどんな失敗があっても途中で終わることは出来ないのです、失敗をした人間はどうしても落ち込みますしうろたえるものです、しかしこの瞬間にその失敗を「忘れる」と言うことでその失敗を最小限にとどめることが出来るのです難しいことですが、この考え方が出来るか出来ないかで現場対応能力があるかないかが判断されます 一般的には失敗して笑ってる奴はバカに見えるし、経験の少ない上司、その場の判断しか出来ない上司にとってはそこが一番の怒りどころになるのですが、実際、長い目で見ると間違いなく失敗した後それを忘れれる人間の方が伸びるのです 反省のない奴はまた同じ繰り返しをするという人も多くいますが失敗をリカバリーする能力は、失敗を未然に防ぐというノウハウと近いところにあるので うまく失敗を最小限にとどめた経験を持つ人間は、その時点で反省と同じだけのものは既に得ているのです。また、失敗しても最悪の事態にはならないという自分への自信が失敗する前にもう一度確認すると言う余裕にもつながるともいえます。失敗をしてこっぴどくしかられた人間は次の失敗のときもその瞬間怒られるという恐怖心のためにまた適切な対処が出来なくなるかもしれません もうかれこれ1時間は説教を続けるそのプロデューサーとその失敗をしたADを横目で見ながら 「失敗を100%無くすことは無理 それを未然に防ぐノウハウは失敗した瞬間にある」と言うことを教えてくれた先輩に改めて感謝していました
Nov 27, 2002
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タレントが売れてきてよくテレビに出るようになると、明らかに、スタイルや顔は急激に綺麗にかっこよく変ってきます。一部のアイドルや女優の中には整形手術をして、顔を少しずつ変えている人がいると言うのも事実として耳にすることはありますが、ほとんどのタレントが全く手を加えていないのに別人のように変身していき、我々関係者はそのビフォーアフターを目の当たりにしています 当然プロのスタイリストがつきメイクアップされることによっての違いはありますが 顔の形、スタイルまでもが明らかに変わっていくのを見るとそれだけではないように思えますある番組で素人の主婦のダイエットに密着すると言うVTRを撮影したことがありました 最終的には一ヶ月で5キロ痩せるという企画だったのですが 今まで2キロ痩せるのが限界だった人でも、テレビで追いかけるとその目標は一時的にしろ達成できたのです。人は絶対こうならなくてはならないという状況下におかれると潜在意識が働き変身するものなのではないかとその時思いましたそういう感覚で見ていると変身している人たちはそれぞれその状況に応じてその場に適応するように変っていっています。 ADで頼りなさそうな男でもディレクターとして番組を任されるようになると説得力のある貫禄のある顔に変身しますし、幼い頃からスポーツしか知らなかったような女性でも、スポーツをやめキャスターに転身すると色気のあるテレビ向きの女性になるものです。よく変りたいと思いながら変らない人はおそらく状況を変えていないことが多いように思います。痩せたいという女性は多いですが 潜在意識のなかでは別に痩せなくてもいいとどこかで思っていると、変身することはありません。しかし、その女性がある日突然モデルと言う仕事に選ばれて、痩せなければ仕事がなくなるという状況下におかれたとしたら、変身するに違いないのです。状況が人を変身させると考えれば 自分を変えるという事はまず自分の置かれている立場、状況を変えなければいけないんだと最近気付くようになりました。かといって なかなかそれが出来ないから変われない自分がいることも確かな事実です
Nov 26, 2002
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深夜番組で視聴率が取れると、番組編成の都合で時間帯を早く放送するようになるということがよくあります一般的に見るとそれは喜ばしいことであり、たくさんの人に見てもらえるチャンスのように思えます。しかし実際に番組を作っているスタッフからいうとそれはかなり過酷な宣告なのです。番組を作るに当たってはその時間帯に応じた企画、作り方があり番組の時間帯が変ると言うことは、企画はもとより使うタレント、音楽、編集のテンポ全てを見直して、時間帯に合ったものに変えなくてはいけないということなのです。人は時間帯によってテレビに求めるものは全て違います 放送時間が1時間早くなっただけで今まで見ていたものも全く見なくなったりもするものです。番組と時間帯というものを考えていくと、「この時間にはこんな気持ちになりたい」とか「この時間にはこんなものが欲しい」という時間に応じた欲求と言うものが人にはあるのではないかと思います。人はそれぞれ自分の時間の中で必要とするものが違いその時間帯は人によってさまざまでもあります。メールがこれだけ普及した要因のひとつは自分の時間は壊されずに人とのコミュニケーションがとれると言うことだと思います時間と言うものは不思議です 時間帯に応じた適切な過ごし方というものがそれぞれ人の中に存在しています そしてそれを壊されるのは人にとっては苦痛なのです。誰かと付き合い方がうまくいかないとき、少し時間をずらすと同じ事でも受け取られ方が違ったりするのかもしれません
Nov 25, 2002
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人にモノを表現する仕事をする人は、常に自分の感性を敏感に保っておくために心のアンテナを張って人と付き合っているものです。しかし、そのアンテナは、いい電波のみを受信するわけではありません、通常は聞き逃しているような 人の嫌な部分や、現実の残酷な部分を見てしまうことも多いものです。特にタレントとして人の前に立っている人間は、ねたみの対象になりやすく、こころない一般視聴者からいわれのない嫌がらせを受けることも少なくありません、また感性をぶつけ合う番組作りの中では、自分の面白いと思うことを貫こうとして違う感性とやりあいお互い傷つけあってしまうこともよくある話です。あるベテランのタレントはこういっていました「面白いことを伝える仕事だからと言って、面白い体験しかしていない奴は、落ち込んだ人間を笑わすことは出来ない 辛いこと、嫌なこと、傷つくことを知ってる奴こそ そんな状態のときはどうすれば笑えるかがわかるんや」これはどんなことにでもいえることです。嫌な思いをたくさん知っているひとの中でそれを笑いに変えてきた人こそ人を楽しませる資格のある人なんだと思います。敏感すぎて、傷ついて心の痛み感じたときは普通より多くの人を笑わせることの出来るヒントを手に入れたということなんですね・・・
Nov 24, 2002
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目には見えない漠然とした人の評価として 「才能」という言葉があります 「才能」は実際、勉強や努力の結果なのか持って生まれたものなのかは誰にも判断できないものなのですがクリエイティブな業界やスポーツの世界ではよく使われる言葉です テレビ業界に限って言えば目立った「才能」は上を目指していくうえでかなりのマイナスポイントになります 「才能」があると自分で気付き出したときそれを必死で隠さなければ、先輩につぶされてしまうことがよくあるからです 昔、吉本新喜劇がある日突然解散し、すぐに新生吉本新喜劇として生まれ変わったことがありました 人気絶好調の新喜劇をあえて解散させた理由を当時、部長であった木村氏はのちにこう語りました「自分が一番面白いと思っている芸人は 少しでも自分の才能に自信がなくなってきたとき 次に出てくる面白い奴をことごとくつぶしてしまう習性があるんです ピークを過ぎた芸人はその時はまだ使えても 下の人間をつぶすというデメリットを考えれば 切ってしまう方が組織としては正解なんです」実際、テレビ制作の現場でも先輩芸人が後輩を番組内でつぶそうとしている場面をよく見ます かなり見苦しいものですが、その先輩芸人が才能だけで勝負している場合は新しい才能をつぶしていかないと次はないと思ってしまうというのはしかたのないことなんです。これは芸人に限ったことではありません テレビの番組を作るディレクターでも才能でしか自分を誇示できない人は 自分と同じ立場で他から評価を受ける後輩は、まずつぶしにかかりますこれはいい人悪い人というものではなく 才能で勝負する世界のおきてのようなモノなのです 賢いディレクターは、その先輩ディレクターの旬が終わるまでは自分の才能を隠し自分を出すタイミングをみはからいます つぶされることの理不尽さに腹を立てて自暴自棄になる人間はその「才能」を無駄にしてしまうだけです逆につぶす立場から考えてみると、人として後輩の才能が恐くなったとき、実はもう自分の限界は来たと言うことなんです つぶすということで数年自分が生き延びたとしても また次の才能が脅かしに来るのです。私自身も得意分野ではまだ会社では誰にも負けないつもりですが 近い将来必ず自分に取って代わろうとする後輩が育ってくるに違いありません そのときその後輩をつぶさないようにするためにも早く、その後輩には出来ない次の何かを自分の自信として持っていかなければいけないなあとつくづく感じる年代になってきてしまいました 人は自分の得てきたものを捨てて新しい物を得るために出直さなければいけないときが必ず来ます それもおそらくそれは一度ではありません その自分の才能の旬をわかるようないい年のとり方をしたいものです
Nov 23, 2002
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先日、ある有名タレントが楽屋でこんな愚痴を言っていました「ワイドショーの記者会見って恐いよなあ、編集次第で、その人間を嫌な人間に仕立て上げることができるんだから」確かに編集とは自分でやっていても恐ろしいものだと思います話には全て流れがあって全部を聞いて初めてその人の意見になるにもかかわらず 都合のいい部分だけをつないで全く違うものに仕上げることが出来るからです例えば「あの人のことは素敵な人だと思っていますが ひとの悪口を言うという行動に関しては好きではありません」と言った言葉の「素敵な人だと思っていますが、人の悪口を言うと言う行動に関しては」という部分を全部カットすれば「あの人のことは好きではありません」とすることも可能なのです 最初の文章と編集後の文章は人の受け取り方が全く違うようになります編集という手法を使って人の人間性まで変えてしうことは実際問題かなりの確立で行われています。私はこういう編集の恐さを知っているだけに 記者会見やインタビューの画面を見ただけではその人本人を判断しないことにしています。確かに言っていることは事実ですが どんな状況でどんな言葉の前後にその言葉を使ったかでその意味合いは全く変っていくものです、しかし人はその一部分だけを取り上げて判断してしまいがちなのです。 一般社会での噂話や人から聞く話も同じように個人の偏見や印象によって好き勝手に編集されていることは多くあります 自分自身の記憶も悪い印象を持った事柄は悪いところばかりを編集して残してしまいますしいい印象の場合はその逆になります。全ての事柄は人と言うフィルターを通した時点で編集されています その編集されたものを全て事実と捕らえるのは危険な事です。人のフィルターを通したものを見聞きするときは必ず、これは編集されているものだという観点から事実を感じ取らなければいけないのです 真実はおそらく「見る聞く」では編集された情報に踊らされてしまいます。自分の目で見ないものを知るときには五感を超えた力を働かすことが大事なのかも知れません
Nov 22, 2002
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ロケやスタジオで初対面のスタッフやタレントと仕事をするとき最初はどうしてもギクシャクしてしまうものです。ディレクターという仕事は、その人が年上であろうと、立場が上であろうと、自分の指示に従ってもらわないといけないという立場におかれます そこで必要になるのは自分自身の演出です自分がリーダであるということをわかってもらうためにあえてADを怒鳴って力を誇示する人もいれば、完璧な打ち合わせとそつのない指示を与えることで、自分は仕事のできる人間だということをまずわからせるというという人もいます人によっては太鼓もちのように、周りの人間を持ち上げ、みんなをその気にさせて 自分の指示を聞いてもらうように持っていく人もいます私が生まれて初めてチーフディレクターとしてスタジオに入る日の前の晩、どうしたらうまくリーダーシップを取れるのかと悩んでいた私に、先輩ディレクターはこんなアドバイスをしてくれました「みんなに話を聞いてもらって 指示どうり動いてもらうコツ のなかで一番簡単なことは 笑わせることやで このひとは 面白い人やと思わせれば ひとは本能的についてくるもんやで」その話を聞いて そういうことはあると改めて感じさせられました 確かに好き嫌いの半分くらいはその人といて面白いか面白くないかで決めているなと思えてきたのですよくタレントの好き嫌いのアンケートを行うとき、好きと答えたひとの理由のほとんどは「おもしろいから」です逆におもしろくないから嫌いという意見も多いというのも確かのことです これは後から心理学者に聞いた話ですが 人は「笑う」という感情が自分に必要不可欠であり、精神的にいい影響を及ぼすということを無意識にわかっているらしいのです。動物が餌をもらえる存在に本能的になついていくように 人が自分を笑わせてくれる人に対して好意を持つのは本能的行動なんだそうです どんなためになる説教をしてくれる先輩より、一緒にいれば必ず笑わせてくれる先輩の方がなぜか人気があります学校でも人気のある授業は笑いが絶えなかったのを覚えています 笑わせてもらった後には授業の内容も素直に聞こうと思えたものです 芸人がもてるというのもその「本能的に人が笑いを求めている」という証明なのかも知れませんしかし笑いをとるということほど難しいことはないのも事実です逆にいうと笑いをとるセンスを磨いていくことは 人をひきつけ人に好かれるテクニックを知らぬ間に身につけていくということになるのかもしれません
Nov 21, 2002
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バラエティー番組のなかではどんなに腕のいいセンスのある作家が書いた台本も「予期せぬ出来事」にはかないません。ロケでVTRを作る際も、台本と出来上がりが違えば違うほど内容は面白いものです バラエティーのディレクターには常にその「予期せぬ出来事」を瞬時にネタにする瞬発力が要求されますロケ中に台本より面白いネタが見つかった場合はすぐに内容を変えてしまうくらいの判断力が必要なのですそれゆえ「こうしなければいけない」という観念は逆に邪魔になります 「今までこうだったから」といういいわけが出来ないのがバラエティーのディレクターの特長ともいえるのです当然、台本通りにすることが基本ではあり、思いつきだけでその場を指揮できないディレクターは論外です予期せぬ出来事を期待しすぎて基本ベースを作っていないと結局何も起こらなかったとき、何も作れないということにもなってしまいます 恋愛や毎日の生活のなかでもそれは言えることだと思います基本ベースに忠実になりすぎると、本当におもしろいドキドキする楽しい「予期せぬ出来事」を無視してしまいます基本ベースは頭におきながら、何か楽しいことが起こったときそれに対応できる遊び心を持つことが人生を楽しめるコツなのかなという気がします でも実際問題、基本から外れるというのは勇気がいるモンですよね
Nov 20, 2002
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関西の番組は関東に比べてタレントを入れたリハーサルが少ないと、よく東京のタレントさんに言われます関西の芸人さんはリハーサルに出ることを嫌がります、同じ事を2回するということがテンションを下げることになるという理由です 気持ちはわかります、ついついリハーサルで面白いことを言ってしまうと、もうそのネタは本番では面白くないものになっているからです という理由からカメラリハーサルのほとんどはタレントの代わりをディレクターサイドの人間が演じ、本番さながらに番組の流れを行います これを「ダミーリハ」といいます。「ダミーリハ」はカメラマンにとってタレントの動き、位置を想定できるという意味で大切なものですが それと同時にディレクターサイドの人間が、タレントの目線を知ることができるという大切な意味ももつのです、タレントの座る席に座ってはじめて見える景色があります。アシスタントとして初めてスタジオで仕事をする人間がダミーとしてこの席に座ると、かなりの驚きがあるものです華やかな明るいスタジオで楽しそうに喋っている出演者、しかし彼らから見える景色は殺風景な照明の当たっていないスタジオ数台のカメラとウロウロしているスタッフたちなんですディレクターはこのダミーリハでどの位置からカンペを出せばよく見えるか、テレビモニターの位置は見やすい位置にあるか、何か目障りなものはないかを確認するのです。自分が人と何かをするとき、相手の目線からものを見てみると意外な景色が見えてくるものです幼稚園の先生はいつも子供の目線まで腰をかがめて危ないものが無いか確認するそうですし、介護のプロは実際に車椅子に乗って街に出るということも聞きます少しでも相手の気持ちになって考えるという工夫なんですが忙しい毎日の中ではつい自分の目線からしか物が見えなくなってしまうものですよね
Nov 19, 2002
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タレントを盛り上げスタジオに一番いい状態で送り出す これはプロデューサー、ディレクターにとって大切な仕事ですしかし、実はもっとタレントの気持ちを大きく左右する裏方のセクションがあるのです。 それはヘアーメイク、スタイリストの仕事です 画面上タレントをかっこよく見せるためにこの仕事は存在するのですが、このヘアメイクさんの腕の良し悪しで番組の面白い面白くないがかなり変ってくるのです、スタジオに入ってくるときタレントはどんな気持ちで入ってくるかはわかりません、かなり落ち込んでいる人もいますし、ハードスケジュールで疲れきっている場合もあります そんな時タレントはディレクターやプロデューサーには自分の精神面は隠して控え室に入るものです腕のいいヘアメイクさんはその精神状態を察知して、気持ちが少しでも明るくなるようなヘアメイキングをします不思議なものです、人は落ち込んでいるとき、疲れているときでも自分の気に入った髪形になるとかなり気分が晴れるものなのです当然、番組全体にその雰囲気は伝わり、いい番組になります。先日、仲のいいヘアメイクさんと飲みに行ったときにこんな話をしてみました「やっぱりプロのへアメイクさんにセットしてもらったタレントはかっこよくなるよねえ、どこが違うんやろうな」そのメイクさんは答えました「うまい下手はそんなに無いんとちゃうかな、どれだけその人の希望に答えれるかだと思うけど・・・」自分の気に入った髪形やメイクをしているとその人の気持ちは自然と明るくなる、気持ちが明るくなるといい顔になってくるとそのメイクさんは言うのですそう考えるとメイクさんは髪型やメイクアップという手段を使って心をメイクしていると思えるようになってきました次の朝、早い目に起きて髪型をバシッと決めて仕事に出てみました確かに気持ちは明るくなるものです最近、電車の中でも綺麗な女性、かっこいい男性をみるとそのメイクさんの言葉を思い出します。綺麗な人は化粧しているから綺麗なんではなく、キマッているという自信が明るさを生んでるんだ、お洒落は、内面の明るさを引き出す手段なんだ・・・・言い換えれば、内面さえ自信たっぷりで明るくいれるなら服装なんて気にしなくていいんだとも思えるようになりました最近は、落ち込んだときほど服装や、髪型を意識して、すこしでも内面から明るくなれるように心がけています
Nov 18, 2002
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テレビ番組の編集をする際、インサートという技法がよく使われます 映像と映像をつなぐとき、同じサイズ(1ショットと1ショット、2ショットと2ショットなど)の画はつながらないので全く違う場所の映像をそこに入れることで画のつながりをスムーズにしたり同じ人の話が長くなった場合、同じ顔ばかりでは見ている人が飽きるので その話しに応じたモノやイメージの映像を顔の上にかぶせてしまうという手法です、この手法を使うことで、編集した部分がどこであるのかを完全に隠す事が出来るのです 例えばコントや漫才のネタを切るときは編集した部分にお客さんの笑い顔をインサートしますし レストランの取材で料理人が語っている部分にはおいしそうな食べ物の画をインサートするといった具合です。上記のような基本的な例ではあまり個性はでないのですがドキュメンタリーなどに使われるインサート映像はそれ自体かなりの意味を持ち心に焼きつくものがあります人は常に自分の出来事を記憶に残すとき、映像と言葉を同時に記憶するそうです 例えば プロポーズされたときなどは、その言葉と同時に何かそのときに見ていた映像を記憶の中にインサートしているといいますし 感動した経験を人に喋っているときは常に頭の中に感動的な映像をインサートしているといいます感動的な音楽を聞いたときも自分なりの映像が曲にインサートされより感動的なものにしているのです自分の中のインサート映像が多い人は感受性が豊かであるとも言えます それは経験によるものだけでなく空想の映像であるのかも知れません いい小説を読むときも人は自分なりのインサート映像を浮かべながら感動します いいイメージ、いい映像を常に自分の記憶の中に持っていたいものですね
Nov 17, 2002
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バラエティー番組を新しく立ち上げる時にこんな会話が必ず出てきます 「設定いるんちゃう?」「そうやなあ、どの設定でいったらいいかな?」バラエティー番組のおよそ半分はこの「設定」のもとに繰り広げられています。時にはそれが家族であったり、会社であったり、秘密組織であったり、出演者の人数と年齢によってその「設定」はさまざまです バラエティーはドラマとは違い内容はほとんどアドリブで自分の意見を自由に喋るものであるのにもかかわらずこの決められた「設定」のなかで展開しますどうせ会話が盛り上がるとそのタレントのキャラクター同士での掛け合いになるのに親子や上司と部下、ボスと子分といった「設定」は実際問題必要なのかと考えたくなるのですが番組が続くにしたがってこの「設定」が重要であることに気付きだすのです タレントはVTRのコメントを喋るにしてもどの立場でコメントすればいいのかに悩みます そんな時「設定」があると自分が今、何を求められているのかがわかりやすいのです一般社会においても会話のほとんどはこの「設定」の元に繰り広げられています 自分のおかれている立場において今自分はどんなことを言うべきか、誰に反論すべきかを無意識に考えて会話をしているものです 例えば同じ主婦でもお母さんの立場で喋るのと1人の女として喋るのとでは言うべきコメントが全く違ってくるものです、私自身もディレクターという立場がなくて一般視聴者としてテレビを語ると180度意見は違うものになると思います。バラエティー番組、討論番組で熱くトークバトルを繰り広げた者同士が番組終了後仲良く世間話をしている姿を見ると、全てが「役割」「設定」「立場」がモノを言っているだなあとつくづく思います 社会生活の中で喧嘩している人間同士も「立場」があるからこそ言わないでもいいことを言わなくてはいけないし 「設定」があるからこそ戦いがあるんだなと思いますしかしこの「設定」をはずした楽屋の人間同士で触れ合えることは一般社会では多いものではありません人の好き嫌いを「設定」のもとで決めてしまうことがほとんどです 最近は人を見るときよくこんなことを考えます この人の「設定」「立場」が違うところにあったらこの人はどんなコメントをするのだろう?ここでは僕の「設定」として反論はしなくてはいけないけど、全く反対意見を言われたからといってこの人を憎んだって仕方がないんじゃないかと・・・でもこの「設定」があるからこそ信頼できる人もいるし、胸をときめかすこともできるテレビの演出では気楽に設定を決めている私自身ですが「設定」のもとにある人間関係に腹を立て悩み、苦しむ毎日です。
Nov 16, 2002
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私が小学生の頃、テレビは回転型のチャンネルでした、「バチバチ回すな!」とよく怒られたことを思い出しますチャンネルは一度回すと番組が終わるまでは変えないというのが常識でもあったのです今は違います、チャンネルがリモコンになってからは、番組中であろうと、タレントが喋っている途中であろうとも飽きてきたらすぐに次のチャンネルへと飛んでしまいます このバチバチとチャンネルを飛ばす行動を我々の業界では「ザッピング」といいます。この「ザッピング」が当たり前になってからテレビ制作は大きく変りました うかうかしているといつチャンネルを変えられるかわからないという事を気にかけつつ、いつ他のチャンネルから視聴者が流れ込んでくるかわからないという状況も把握しておかなければいけないのです 最近のテレビはサイドスーパー出しっぱなしがほとんどです。いつも画面の隅に今何をやっているのかを伝えるスーパーを載せています ずっと見ているものにとってはすごく邪魔なものですが 新しく流入してきた視聴者のザッピングの手を止める方法としては効果的なものなのです CMあとにこれまでのあらすじを振り返るのもその効果を狙ったものですしかし考えてみれば失礼な話です、ずっと見てくれている視聴者にとってはイライラする演出を一見でランダムに飛んできた視聴者のためにしなくてはいけないんですから・・・・今、時代は全て「ザッピング」の方向に動いています スーパーマーケットでも主婦はチラシを見て少しでも安いところに買いに行きます、昔のように商店街の同じ馴染みの八百屋さんで野菜を買うということも少なくなりました 終身雇用も今はあってないようなものですし、恋愛においても「ザッピング」をしている若者は少なくありません 情報が簡単に手に入る時代だからこそ、より自分にとって何が必要かを選べる時代になってきたのです。逆に選ばれる立場からものを考えると かなりシビアな状況におかれるようになりました いいものはより人気が出るが、良くないものには人は寄り付かないといった現象が当たり前のように起こってくるのです しかし「ザッピング」で選ばれたものが果たして本当にいいものなのでしょうか? 私自身はこの現象が長く続くとは思っていません、ザッピングでいいものだけを追いかけ手に入れようとして 大切なものを逃してるということに人は気づいてくると思うのです テレビ番組で言えば、面白くないシーンの後に本当に大切なメッセージが隠されているかも知れないのに 面白くないシーンになったとたんチャンネルは変えられます番組には流れというものがあります それは全てのモノにいえることだと思います情報がすぐに手に入り、なんでも「ザッピング」でものが選べる時代だからこそ、目先や、今この瞬間の良さだけではなく 本当を見る目を養わないと、大切なものを見逃してしまうような、そんな気がします
Nov 15, 2002
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以前トーク番組を担当していた時 いつも打ち合わせをしながら不思議に思っていたことがありました それは、毎週バラエティーに出ているタレントは 毎回毎回よくこんなにも話すネタがあるもんだなということでした 毎回、色んな体験談、失敗談、ちょっと心温まるいい話をするタレント、忙しいはずなのに必ず毎回ネタを持ってスタジオに来て必ず面白い話をして帰るのですあるとき思い切って打ち上げの席でそのタレントにこんな話をしてみたのです「タレントって基本的に運がいいんですよね いつも周りに面白い出来事が起こるんですね」その人は余裕の笑みを浮かべながらこう答えました「毎日、そんな面白いことばかり 僕の周りに起こる訳じゃないで常に道を歩きながら、この人が今、どうなったら面白いやろとか どうなったらネタになるんやろって考えてるんや、そう思って見てたらなんか出来事は起こるねん あとはそれをいろんなもんを つけて料理するだけや」よく考えてみればあたりまえの事です、タレントの周りでだけ面白いことが起こるわけは無い、 ネタになるかならないかは、自分の周りをどれだけ観察して、どれだけ敏感にアンテナを張っているかで決まるんだと そんな単純ことをその会話まで気づいていなかった自分にあきれました、そのあとそのタレントは言葉を続けました「人から聞いた話も、場合によっては自分の体験談にすることもある、でも気をつけないとあかんのが いい話、知識を人に与えるような事、自慢になるような話はちゃんと誰々から聞いた話ですと前置きをつけないとすごいいやな奴に聞こえるんや 自分で得た知識や、体験したいい話でも場合によっては 人に聞いた話にする場合があるくらいや、逆に失敗談や恥ずかしい話は人の話でも自分の体験として喋る 誰もが知ってるタレントの失敗談やったら話は別やけどな・・・」その話を聞いて トークの上手なタレントが愛される理由がわかってきました 常に周りから入ってくる映像や音を全て自分の高感度のアンテナで受信し自分の中で消化してから どう伝えれば人に受け入れやすく出来るかを考えてみんなに送信している、この能力が人をひきつけるんだと・・・確かにいい話、自慢話、知識を伝えるとき 読みかじり聞きかじりなのにさも自分の話として喋られると聞き苦しいし、失敗談や目撃談は知らないのおっさんの話として話すより自分の話に置き換えた方が伝わりやすいものです。嘘ではなく話を面白くするための料理法そう思って町を歩くと楽しいものです ネタはいっぱい転がっています 電車の中、会社、もしこうなったらという想像とネタにするとしたらというアンテナを張っていると 町はとてつもなく面白いように感じられました。
Nov 14, 2002
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人を興奮させ ドキドキとさし興味を持たすようにする そのために演出というものは存在します。 それはテレビや舞台に限ったことではなく 演出は教育の場、恋愛 家庭の中でも知らぬ間に使われています。テレビに関する演出を勉強しながらも 私生活で受けるちょっとした演出に胸を震わせたり 涙を流したりすることが良くあるものです 中には、テレビや映画、舞台ではお客さんや視聴者という多数の人には一度に伝えることは出来ない私生活ならではの演出というものもありますそのひとつの「秘密の共有」という演出法に私はいつも胸をときめかされます。 周りのみんなは知らないのに 何人かだけは知っているという秘密の事柄がらがあると、不思議と知っているものの連帯感は深まります2人だけしか知らないと そのときめきはまた違った感情にまで発展することもあります昔、タレントの女性と恋愛関係にあるとき 彼女はテレビ画面では「彼氏はいません」といいながら 僕が誕生日にプレゼントしたネックレスをテレビに出るときは必ずつけてくれていました周りには秘密、自分だけが知っている事実 テレビを見るたび胸がときめいていました これは男女関係に限ったものでもないと思いますクラブ活動の先輩で今、テレビタレントとして有名になっている人は 舞台やテレビ画面のアドリブのシーンでは必ず 同じクラブに属したものしかわからないキーワードを喋ります 周りの人にとっては普通の言葉ですが 我々後輩にとってはかなりうれしい言葉となって胸に響きますテレビ画面を使っての秘密の共有は なかなか一般的には無いものですが そういった「秘密の共有」を使ったメッセージの使い方は私生活にはたくさんあります スポーツを応援するとき、その人と自分しか知らないキーワードを使うことで その応援は特別なものになります 社内恋愛や身近な環境での不倫が良くないことだとわかりながら この世の中からなくならないのもその「秘密の共有」が持つ魅力によるものだと思いますそれはスリルではなく 特別意識です自分だけ、二人だけ メンバーだけ、という「だけ」が自分の価値を高めるような気になるのかもしれません周りの人には普通にきこえる言葉が特定の人だけ意味を持ち その特定になれる快感、私生活ならではの演出ですきっと楽天の日記の中にも秘密を共有したメッセージが隠れていてそれを読みながら心をときめかせている人もいるんでしょうね
Nov 13, 2002
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敏腕と呼ばれる、ヒット番組をたくさん生んでいるようなプロデューサーはいったいどこが違うのだろうと,そんな素朴な疑問をもった私は、先日、そのプロデューサーを観察しにスタジオにお邪魔しましたタレントが来てから帰るまで、ずっと見ていていましたが、やはりここが違うなあと感じたポイント、それは、本番収録前後でのタレントへの「ほめ方」でした。本番前にタレントを迎えた彼は、なぜか、収録に関することは全く喋らず、なんのこともないような世間話をしました。おそらくそこで「自分は本番の内容にはタッチしていないよ」というそぶりを見せていたのだと思います。 しかし本番中はしっかりと内容をモニターでチェック、おそらくほめるポイントを探していたのでしょう そして本番終了と同時にそのプロデューサーは一番にタレントの所に駆け寄り、 全体ではなく細かいところを褒めはじめたのです「あのゲストが話を悪い方に持っていったときにうまく話を変えたね」とか「ツッコミのとき立ち上がったのは番組に迫力が出たよ」などかなりピンポイントでタレントがここはやったぞと思うところばかりを選んでほめていたのです 何をどういいかを具体的にいうから褒めたことになる よかったよとか面白かったでは何度褒められても褒められた側はあまりうれしくないんだ・・・その褒め方を見れただけでも来た価値はあったと感じました聞くところにによるとそのプロデューサーはいいところが無かったとき出来が悪かったときは具体的にけなしたり注意したりせず 本番が終わったあとも世間話をするといいます 「どうでした?」と聞いても 「もう終わったことはいいやん」とはぐらかすらしいのです 具体的に褒められる快感を知っているタレントにとってはこれほど辛いものはないそうです かといってけなされているわけじゃないので腹を立てることも出来ない。 さすがだなあと思いました 褒め方のうまさがあれば怒ったりけなしたりしなくても 怒鳴るのと同じくらいの反省をうながすことが出来るんだ・・タレントを送り出した後、廊下で感心していると そのプロデューサーが僕に声をかけてくれました「人の番組見に来るなんて勉強熱心やなあ 入ってくるときいい笑顔で挨拶してたけど感じよかったよ」この人が褒めるのはタレントだけじゃなかったのです「ありがとうございます」といいながら「次にあったときも褒めてもらえるようにしよう・・」と考えている まんまとはまっている自分がいました
Nov 12, 2002
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テレビのバラエティー番組で放送しないものは色々あります 猥褻な映像はもちろん 差別的な表現 宗教の是非を問うもの犯罪を助長するもの、 まあどれをとっても当たり前 放送しない方が適切だと誰もが感じるものでしょうしかし 誰もが忘れている中にテレビで放送されていないもうひとつの存在があります「普通」というものですテレビ制作のどんな会議の中でも「それは普通だな」というのは「それは脚下」ということと等しい言葉ですレストランでも すごくおいしいと話題になっているとか 店員が変わり者だとか 変なメニューがあるとか すごく店の作りが変っているという個性がないと取材対象になりません一般素人を取り上げるときも、離婚暦5回とか 大金もち、マニアなど人が見て「普通」ではないものしかテレビで取り上げることは無いのです 「普通」とは一番 平均的なものを形容して使う言葉であるはずなのに 人の目にはとまりにくいという不思議な存在です良くも悪くも、それぞれの人の評価の基準が「普通」です自分が「普通」であると感じると安心感が得れます その反面、「普通」から逸脱したいという自分も間違いなくどこかにいるのです しかしここでいくつもの疑問が生じます「普通」って何?個性の無いこと? 平均点のこと? 誰が決めるの? この一般的に目につくことのないこの存在こそが 人を悩まし、追い込み 好き嫌いをつくり 喧嘩の元を作りますもしかするとこの「普通」をどこに設定するかを探すことこそが今の自分に一番大切なことではないかと考えさせられるときもあります 普通の人間である必要は全く無いと思いますが 普通を知るということは永遠のテーマのような気がします
Nov 11, 2002
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タレントは喋るのが仕事のように思えますが喋りとは別に これが無くては番組は成り立たないという大切なものがあります それはリアクションです。おいしいものを食べたとき 恐いものを見たとき 悲しいとき面白いとき それぞのケースに合わせてタレントがいい反応を見せなくてはテレビ番組は全く盛り上がりません 逆にこのリアクションのいいタレントは全く喋らなかったとしても 必要不可欠な存在といえるのです 好感度の高いタレントはみんなリアクション上手です わざとらしくなく自然でそれでいて大きな反応 これを見ると人はそれにつられて その現場に感情移入してしまいますVTRの間にわざわざ画面を小さくしてまで窓を作ってスタジオのリアクションを挿入するのも その効果を狙ったものです日常生活においても リアクションのいい人は人から愛されますかといってリアクションが大げさでわざとらしければいやみな人に思われがちになってしまいますでは一体どうすれば いいリアクションが取れるようになるのでしょう ある取材リポートの上手なタレントがこんな話をしていました「私は常に精神面を敏感に保つように 日頃からおいしいものを食べ感動出来る映画、恐い映画を見て 何にでも興味と好奇心を持って体験できるものは体験するようにこころがけているんです、人は使うところは発達し、使わないところは退化するんですよね リアクションも鍛えられるんですよ」 やはり何事にも経験が必要なんだとこの話を聞いて思いました精神面が敏感でもないのに無理をしてリアクションを大きく見せようとすると わざとらしいものになってしまうんですね
Nov 10, 2002
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先日 うちの会社で制作している某深夜番組が今だかつてなかった高視聴率を収めました 制作部長はニコニコ顔で社長に報告、社内には「おめでとう最高視聴率」の張り紙が張り出され、ちょっとしたお祝いムードとなりましたスタッフとタレントは祝勝会ということで琵琶湖の温泉に一泊旅行に出かけ ドンチャン騒ぎをしてきたそうです昨日 その担当ディレクターと話す機会があり 1時間ほど語り合いました高視聴率番組を手掛けたこともある私にとって彼の心中を読み取ることはそう難しいことではありませんおめでとうの言葉の後にこう言いました「つらいやろ?」彼はうなづきこう返しました「やっぱり そこそこがいいですよね」最高を目指してるときは テンション上がるけれど 最高をマークすると次に悪い視聴率がでる恐さの方が大きくなるこれが高視聴率番組を担当するものの苦痛なのです。「そんなんは贅沢な悩みや もっと上を目指せばええやろ」と言うのが決まって上司が言う言葉です私は冗談ぽくこう彼に言葉をかけました「まあいうてるまに視聴率は落ちるわ そしたら楽になるで でも最高視聴率いうものは一回経験しといて損はない 一回も経験できへんディレクターもいてるんやから」タレントからもよくこの悩みを聞くことがあります「売れてる今が正念場やねん」実際そういうことはどの世界にもあることかもしれません少し頭のいい人間なら 成功しているとき 「盛者必衰」の言葉が浮かび 落ちることが恐くなるものなのですしかしその絶頂のときの苦痛をわかると言うことは生きていくうえでかなりの武器になることは確かです絶頂に達する少し前が一番快感だということを知ることが出来るからです 絶頂は一瞬ですがのぼり詰めていく過程には時間があります 絶頂を知らない人は 絶頂にたどり着くことに必死でその過程にある快感を味わえないからです一度落ちたら次は 上っていく過程の快感を楽しめますその過程を楽しみながら上がっていくと次の絶頂はもっと高いところにあるかもしれません偉そうなことを言いながら今、視聴率の悪い番組を担当している自分はテンション下がりっぱなしいつも日記を書きながら自分自身を励ましています。
Nov 9, 2002
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先日、ある芸能人とお酒を飲みに行き こんな話になりました「タレントと芸人ってどう違うのか」私自身も常にそれは疑問に思っていたことです なぜかお笑いのタレントさんはいつも「芸人」という言葉にこだわりを持っているようなのです。 その芸能人は少し考えてからこう言いました「タレントと芸人はカテゴリーが違う、タレントは職業で芸人は生き方や エンジニアが職業で職人が生き方というのと同じやで」 ちょっと意外な答えでした、私の中では芸人は漫才師や落語家といった専門職の総称だと思っていたからですその答えに興味を持った私はもうひとつ質問を投げかけました「具体的にどんな生き方ですか?」彼は焼酎のお湯割を一気に飲み干しこう言いました「自分を表現して、周りを楽しませる雰囲気を作って 笑わしたり、感動させる そうやって人を喜ばせることを生きがいにしている生き方とちゃうかな」その答えを聞いたあと 自分の仕事に対する考え方が今までと少し変ったような気がしました 私自身も大きなくくりで考えたら芸人なのかも知れない・・・そう思ったのです自分を表現することで人を喜ばせることを生きがいにするそう考えると 色んな職業の中に芸人魂を持った人はいる、営業職、販売職、教師、人と接する職業の人に中にはそういうプロ意識を持って仕事に取り組んでいる人はたくさんいるはずだと思えてきたのです・・もっと言えば専業主婦の人だって近所や家族のためにそういう意識をもっている人もいるのかもしれないと・・そういった意識を持つと、 少し毎日が楽しいような気がしました お金を儲けるための仕事も大切だけれど それだけではストレスも溜まるしやりがいも無い、しかし私はディレクターという職業をしている芸人 演出と言う芸を披露して人に幸せを与えているんだ、そうやって仕事にとりくめば 自分の生き方に自信が持てる、 タレントさんと対等にものが言える、 そう思えるようになったのです たかが酒の席の会話 そんな日常にも意識を変える一言がある そう感じることの出来た大切な時間でした。
Nov 8, 2002
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先日、あるタレント事務所の若いマネージャーが新人の売り込みにやってきました その新人はリポーター志望の女の子、プロフィールを見せた後、自己紹介をはじめました 礼儀正しく、はきはきとした可愛い女性だったのですが 残念なことに何故かいい印象ではなかったのです。後になってから、なぜ彼女に好印象を持てなかったのかを思い返してみると ひとつ思いつくことがありました目線です。彼女は私と話をしている間、常に私の目を見続けていたのです。おそらく事務所の教育で「人と話をするときは目を見て話しなさい」と教えられていたのでしょうしかし私が持った印象は 「感じの良くない子」と言うイメージでした 目線の使い方は テレビのリポートやドラマの演技でも大きな演出ポイントになります 特にカメラ目線の場合、使い方によってはチャンネルを変えたくなるくらいの嫌悪感を与えることもあるのです 取材リポートの場合、カメラ目線は、はずすところと合わせるところを微妙に織り交ぜながら喋っていきますずっとカメラを見ながらのリポートは 何故か嫌な気がして見ていられません 例えばおいしい料理を食べるときは ずっと食べ物を見ていて「おいしい」という言葉をいう少し前に、カメラ目線を送りますドラマなどで愛を告白するシーンでも相手に目線を送るタイミングは 大切な言葉を言う数秒前か数秒後です ずっと相手を見ているシーンはあまり絵になりません人は視線を送られると胸に何かを感じるようですが、見られ続けると言うことにはあまりいい印象を持たないようですニュースもカメラ目線で喋っているようですが10秒も続けてカメラを見ながら喋っているものはありません、現場の映像を入れるか微妙に目線をはずしています 情報番組のインタビューもカメラ目線ははずしているものが多いです 目線は難しいですでもいえるのは視線を送った瞬間は必ず人の心に何かを感じさせます モノを伝えたいときはこの前後数秒に言葉を添えると伝わりやすいような気がしますタッキ-や翼が 女性から「キャー」言われるのは、いつもカメラに視線を送った瞬間や群集に目線を向けた瞬間ですよね
Nov 7, 2002
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タレントと仕事をする上で、まず注意しなければいけないのは「タレントの名前は絶対間違えてはいけない」と言うことです。まあ失礼だからと言うのは当然のことなんですが タレントは特にこの名前と言うものに異常なくらいこだわりを持っているモノなのです というところからこの名前に関してスタッフもナーバスになります。つい最近も、若いADが「ルー大柴(るーおおしば)さんの楽屋にルー大紫(るーおおむらさき)様という張り紙をして 鼻血が出るほどディレクターから殴られているのを見ましたし私自身も昔、ADのころに漫才トリオ「レツゴー3匹」を「レッツゴー3匹」と台本に書き込んだことで、こっぴどく説教されたことを覚えています。 有名人というくらいですから名前と言うのは大切な意味を持つものなのです「藤岡弘、」さんは「、」までが名前です。これが抜けると 事務所からクレームが来ます 「モーニング娘。」が「。」までが名前と言うのと一緒です。当初、なぜ名前がそんなに大切なんだろう?と疑問に思っていましたが 仕事を続けていくうちに 精神面を大切にするタレントが「名前」にこだわる意味が少しずつわかってきました「名前」には人をやる気にさせる力があるのです。スタッフの間でも「照明さん」「音声さん」「カメラさん」と呼び合いながら仕事をするのと個人の名前で呼び合うのでは、明らかにそれぞれのやる気が違うのです。仲良くなった雰囲気が良い訳ではありません、おさらく「個」が尊重された喜びからでるやる気ではないかと思いますADがタレントに名前を覚えられるようになってから急に仕事が伸びるということもよくある話です「名前」には不思議な魔法があるようです夫婦間でも名前を呼び合わなくなり「お前」とか「お父さん」「お母さん」と呼び合うようになると、愛し合っていると言う実感が薄れ、恋愛感情がなくなると聞いたこともあります子供の場合、兄弟の上の子が「お兄ちゃん」と呼ばれだしてからしっかりするどころか逆に甘えたになったりすることもあるそうです。ビジネスでも同じようなことはいえると思います。そんなことから、他のことは忘れても人の名前だけはしっかり覚えておこうと思うんですが、いつも「ここまで出かかってるのに、この人の名前忘れた」と言うことが多いことに反省する毎日です
Nov 6, 2002
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以前 書き込みの中にこんな質問がありました「なぜドラマの回想シーンはその人の目線ではなく客観的なのですか?」確かに理屈では人が思い出しているのにその人までその画面にいるのはおかしいと思うのは当然です この素朴そうに思える質問なんですが 実はこの客観、主観と言うのは映像表現にとってかなり大切な問題なのです。人は目でものを見て目で他人を認識し 風景を記憶しますしかし自分自身は自分の目では認識できませんところが自分のファーストキスの思い出を回想してみると彼女の顔だけではなく 自分を含めた映像が出てきます聞くところによると人は自分を認識するための 客観的な目を心の中に持っているそうです「こんな格好で歩くと恥ずかしい」とか「人前でイチャイチャするのは大嫌い」と言う言葉が出るのは 客観的な目が自分を見ているからだそうです。 当然ドラマなどは心で観るものだと考えれば全てのシーンを客観的目線から表現するのは当然のことなのです ドキュメンタリー番組を見ている人がカメラマンやディレクターではなく物語の主人公に感情移入できるのは この客観的な目がモノを観ているからです この客観的視力と主観的視力のバランスを実際の生活の中でうまく活かせれば 毎日も少しドラマティックになるかもしれません恋愛中「好きで好きでたまらない」という女性は実は「好きで好きでたまらない」と言っているいたいけな自分という女性を客観的に観て その自分という主人公を好きと思っているのかも知れません 喧嘩しているときその自分を客観視して余計に興奮することもあります キスシーンは主観と客観の映像が交互に切り替えられながらときめきます。客観的視力を意識することで 毎日の自分が生きている何気ない平凡そうな生活が 全く違うものに見えて来るかもしれませんね 自分でも意識せずにテレビの映像を演出しながら 掲示板の書き込みで考えさせられました
Nov 5, 2002
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バラエティー番組の現場で大切なことの一つに テンションを上げるということがあります。テンションを直訳すると緊張感と言うことになりますが バラエティーの現場では少し意味合いが違います。簡単な言葉で言うと 仕事をする元気、やる気 勢いみたいなもののことになります。このテンションはスタジオに入った第一声で上がったりも下がったりもするんです。でもやはり私生活でブルーなことがあったときはどうしてもテンションは上がらないものですよねスタッフの中に1人でもテンションの低い人がいると、恐いことにそれはすぐに伝染します ほうっておくと全体的にテンションの低い現場にすぐになってしまうのです。そんな状況を防止するために 僕たちの現場では、「テンションを下げるダメ言葉集」というのを作っています 「ツイないわあ」「だるいなあ」「しんどそうやなあ」そんな中に、なぜっていう言葉も一つあります「頑張れ」って言葉です この言葉はいい言葉で人を応援する言葉なのになぜダメなのという人も多いですがこの言葉を あるタレントに言って、かなりテンションを下げてしまったことがあったので それ以降禁句集に入れたのです普通に考えると励まされるように思うのですが 自分が一生懸命に物事をやってるときとか 落ち込んでいるときにこの言葉を掛けられると 「ああ自分はまだまだ頑張っていないんだ」と逆にテンションを下げることが多いのです これをちょっと言い方を変えると「一生懸命やれよ」ということになり説教されているような気分になります もし使うなら「頑張ってるね」とか「肩の力抜いていこう」 「頑張りすぎと違う?」と言う方が「よしやろう」という気がするみたいです 結構テンションをお互いに上げ合うというのは難しいことです 言葉の使い方一つ笑顔の使い方ひとつで変わるテンションいいテンションでいつも仕事がしたいモンですね
Nov 4, 2002
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テレビの映像表現では人の条件反射をよく利用します例えば興味を引くものを表現したいとき ズームインを使います 人の眼球は、興味を持ったものを見るとき気づかないうちにカメラのズームインと同じ動きをしているのです おいしそうな食べ物を見たとき、高価な宝石を見たとき 人の眼球と意識はその対象物にズームインします その人間の生理を逆に利用し、ズームインしたものを見せることで人にその対象物が興味の無いものであっても興味があるように感じさせることができるのです。インタビューの時の顔アップもそうです その話に興味があるとき、人はその話をしている人の顔を真剣に見るという習性があります。逆に話をしている人のアップの顔を見るとその内容を聞こうとする気になったりもするのです。これが映像演出の基本になります。錯覚をプラス方向に使うのです人の条件反射というものは使い方によっては 気持ちを明るくしたり 暗くしたりもできます。 例えば 人はうれしいとき、感謝したとき、いい思いをしたときに「ありがとう」と言う言葉を使います それを逆に取って考えると、普通のなにげない電話や、会話終わりで「ありがとう」と言う言葉を使うことで、少し得をした気分が味わえるということもいえるのです。いい言葉を使うと明るくなり ネガティブな言葉を使うと実際に落ち込むという経験は誰もがあると思います 錯覚もプラスに使えば いいものなのかもしれません言い換えれば「思い込み」という言葉にもなります 自分の身の回りに起こる出来事はすべて興味のあることや楽しい事ばかりではありません そこをどうプラスに錯覚させるかが楽しく生活するコツなのかもしれません これからも素敵な錯覚をどんどんしていきたいものです
Nov 3, 2002
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どんなディレクターも一度はADの頃に「前説」という仕事を経験します 公開録画のときスタジオ観覧のお客さんにタレントが入るまでに拍手の仕方や諸注意などを説明するといった仕事ですただ単にたんたんと説明だけをするなら簡単なのですが それだけでは別に演出サイドの人間がする必要はありません大切なのはタレントに会わせるまでにいい空気を作ってをかなければいけないと言うことです一体どんな空気がいい空気なのでしょうただ面白いことを言ってお客さんを笑わすだけなら 若手芸人を呼んでくればことは足ります ここで行われる演出とはお客さんに参加意識を持ってもらい 自分も番組作りの一員だということを感じてもらうことなんです笑わしてもらおうとか楽しませてもらおうという意識では番組は盛り上がりませんタレントに面白いことを言わす雰囲気にしてやろうとか笑ってやろうとか この場を盛り上げてやろうと言う気持ちがあってこそ 現場の空気は良くなるのです恋愛でも人間関係でもそうですが どちらかが受動的な態度でいるかぎり決してその間にいい空気は生まれません感じたいではなく 感じさせたい 気持ちよくなりたいではなく気持ちよくさせるように相手を盛り上げたいその能動的な気持ちがあってはじめて自分が感じれるような気がするのです 自分が楽しみたいから楽しませてという感覚は感動を半分以下にします 楽しみたいときは 楽しませてくれる相手に楽しませたくなるような自分を演出することで 本当に楽しめる空気が生まれるのです 本当に敏感な部分は自分の中にあるのではなく 相手のどこかに潜んでいるのかも知れませんね
Nov 2, 2002
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秋になると自分が初めてディレクターとして、生放送の指揮をとった日のことを思い出します 収録番組と違い生放送は独特の緊張感があるものです やり直しができないと言うだけではなく 失敗するとそれが100万人近い視聴者に晒されるという恐さです。スーパーも電話番号が間違っていたりすると テレビ局に抗議の電話が殺到するのです。その中でもディレクターとして一番緊張する瞬間は コマーシャルのきっかけを出すQボタンと呼ばれるものを押す時ですそのボタンは全てにつながっていて それを押せば3秒後に必ずコマーシャルに入ります。 このタイミングがずれて何秒かコマーシャルが欠けると スポンサーに対して1秒につき何百万円という弁償をしないといけないのです ましてや放送事故と言う形でコマーシャルの15秒が入らなかったりすると何千万円の損害がテレビ局にかかることになるのです このボタンを押す瞬間 正直背筋がゾッとするものです しかし不思議なものですねそういった「これを失敗すると大変なことになる」というものは最初は苦痛ですがそのスリルはやがて快感になるものなんです責任ある仕事の充実感とはちょっと違うような気がするんですもっと本能的な、野性的な血が騒ぐというような快感です人は平穏、平和、安らぎを求める反面違うところで ギリギリのスリル 追い込まれると言うことを本能的に求めているのかもしれません 少し自分の性格の中に隠された恐い部分だと思いますそんな快感を味わったことは無いですか?
Nov 1, 2002
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