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新しくブログを開設しましたので以下にリンクを残しておきます。「Naoya、フランスで社長修業!!」 皆様のご来訪をお待ちしております。Naoya
March 4, 2012
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2月2日未明のパリ地方の気温はマイナス13度。私が今自分の新たなる門出に対するイメージにぴったりだと思う。生ぬるい風よりは、自分の目を覚ますような冷たい風を好む。風向きがころころ変わるのは、フランス人の性格そのもののよう。「自らの羽で羽ばたいていく。」 独立する時にフランス人が好んで使う表現。人生はよく航海や演劇に例えられるが、私には「道」という言葉が相応しい。「もうここから先はお前独りで歩むんだ。」 荒野のような場所に辿り着き、師フィリップは少し脇へと歩いていった。42年間の闘争の日々、その荷をようやく降ろし、技術の伝承の役割を終えた他のメートル・ダールの方々と合流した。「ゆっくり休んでいいんだよ。『時代の流れのためにバラバラにされた職人たちのかつての結束力を取り戻す』という使命を続けたいなら好きにしていい。後は残された人生を奥さんをはじめ家族のためにできるだけ使って欲しい。もうすぐ生まれる新しい楽しみがあんたを待ってるから。あんたが創った『アトリエ フィリップ・ロウ』は俺が守る。10年間育ててくれてありがとう、師匠。」 この職業に出会って以来職人のあり方を貫き通した師の背中に私はつぶやいた。「職人の役割は技術の伝承というバトンを渡すようなもの。」 私にはそれは終わりのない駅伝やリレーをするようなもののように思える。そして私の右手には一本のバトンが握られている。手放すわけにはいかない、この国の楽器製造の伝統技術が詰まった重いバトン。「やるしかない」と決めたとき、そのバトンの重さと感じていたプレッシャーは少し軽くなった。「厳しいだけでは師足りえず。」映画「ミリオンドラーズベイビー」より。「師なくして弟子はなく、弟子なくして師にはなれません。」メートル・ダールの弟子の一人、ヴァレリー・コラ・デ・フラン。 前を見れば、険しい山も深い谷も迷宮のようなトンネルも、藪も深い霧も見える。曲がりくねって障害だらけの道。それが私の門出のイメージ。ところで「急がばまわれ」に類似する格言は世界中にあるらしい。「迂をもって直となせ(中国の格言)。」「回り道が最も近道(イギリスの格言)。」フランス語でまだこのような格言を見つけていない。この国は多くの人がお金も苦労もかけずに成功する道を探しているが、そんなものはありえないというのが、私が10年の修業で得た答え。その他の言葉はあるようなので以下に抜粋。「成功に王道なし。」「全ての道はローマに通ず(意訳:成功する方法はひとつだけじゃない)。」以上、白水社仏日辞書『Le Dico』より。そして、「自分の道は広いと思え。」弘謙兼史氏の言葉を思い出した。 休む暇も無いが、少しだけ後ろを振り返った。自分の過去が見えた。「怒鳴られながらの修業時代」と自ら称した10年間はたくさんの思い出に満ちていた。 そして音楽を始めるずっと以前の頃が見えた。そこには膝を抱えてうずくまっている一人の少年がいた。楽器に出会う前の私自身だ。もし過去に戻れるなら自分自身に言ってやりたい。「うずくまってすねて、泣いてばかりいないで立ちなよ。世の中には面白いことがたくさんあるから。」そう言って手を取って立ち上がらせてあげたい。2008年、職業見学に来たエリアスという一人の少年がアトリエを訪れた。自分に全く自信を持てない少年だった。私の少年時代と違う点は「プロのドラマーになりたい」という夢があるだけ。自分の夢を語ったときは顔を輝かせたあと「でも僕自信ないから」と顔を曇らせた。私はその少年エリアスに言った。「君が15歳というその年で夢を諦めるなんて早すぎる。」かつての自分のようにしてはいけないという想いに駆られ、無責任かもしれないがこの少年を焚きつけた。「この見学の内容をクラスで発表するんだろ?そのレポートの書き方と発表の仕方は俺が教えてやる。君はそこで最高点を取って先生やクラスメイトを見返してやれ!」小さなことでもいいから何かこの少年に自信というものを与えたかった。そして数ヶ月後。「企業見学の発表で、クラスで最高点を取りました。40点中38点です。」「ブラボー!よくやった!!」後にこの少年はフランスのプロのドラマー養成専門学校に入学し、私たちに挨拶に来た。身長は180cmに達するほど成長し、気力に漲った顔になっていた。「お前には競争相手が多い。でも負けるなよ。いつか有名になったらうちのアトリエを宣伝してくれ。」「そうだ、打楽器製造もしくはヘッドの交換はぜひ『アトリエ フィリップ・ロウ』にご相談くださいって言うんだぞ。」師と私はこの少年の未来を祝った。 ひとつだけ私が誇りを持って言えることは、「ドジで不器用」ということを自他共に認めていて、「努力のどの字も知らなかった」と実の母親に言われた私でもここまでは来れたということです。私の技量ぐらい誰にでも辿り着けます。「努力は才能を凌駕する。」小学館少年サンデーコミックス「史上最強の弟子ケンイチ」より、ふたつ名「ハーミット」こと谷本夏。 10年間という時間、思い出すことはあっても、もう振り返ることはないだろう。 前に向き直った。いくつかの言葉を思い出した。「あなたはまだ人生のスタート地点に立ったばかりです。」大前春香(遥?)「ハケンの品格」より。 そして昨年京都タワーの一階のお土産コーナーで買った一枚のTシャツに綴られた言葉。筆で書かれた「道」という言葉の後に以下の文章が続く。「この道を行けばどうなるものか 危ぶめむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せば その一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けば分かるさ。」 何かの道を志す方には必須のTシャツ。京都観光の折には購入されたし。 私は右足を一歩前に出し、反対の左足をさらに前に進めた。「2世代目の進路は?」誰もいないところから声が聞こえた。かつて大学の構内で卒業後の進路について思い悩んだ時にある声を聞いた。後にそれは自分の心の中から来る声だと気付いた。「進路は、自分の夢を叶えるための道。」私は自分の中に住むもう一人の自分に答えた。「創造の女神に再会しに行こう。後継者探しとその育成はその後だ。」「・・・。」 かつて夢の中で自分の夢にうなされたことがあった。目覚めるとびっしょりと前身に汗をかいていた。「いつになったら俺をこの世に生み出してくれるんだ?」という問いかけに聞こえた。「だったら、私に作ってよ。」 2001年に夢をくれた女の子はそう言った。「アトリエの屋台骨の修理、あと少し残ってる免許皆伝のための課題、打楽器製造強化、楽器開発資金と時間の捻出、やることがたくさんあるぞ。」 多難であろう道を歩み始めながら私は笑った。「自分が本当になりたいものになりにいく。そしてこの世で最高の褒め言葉をもらいにいく。」その時は、私の夢実現の証明となるだろう。「夢、それはこの世で最も強くて純粋なエネルギー。自分を見失いそうになったときの道標。」目を凝らして前を見た。私より先に独立して自らの道を歩く「フランスの人間国宝メートル・ダールとその弟子たちの会」の仲間たちが見える。皆困難な情況の中、独りで、あるいは二人、もしくはグループを組んで歩んでいく。 弟子「エレーヴ」たちの定義を考えた。一人一人がフランスという国の伝統技術の次世代への継承を託された「次代を継ぐ者」だと思う。 そしてこの国で出会った、夢追う人たち。そのような人たちの中にいることを誇りに思うと共に、まずは彼らに見習おう。 ある歌のフレーズが頭に浮かんだ。「ハイホー、ハイホー、行けばいい、自分の選んだ道を」: 読売テレビ「グッと!地球便」主題歌、カラーボトル「ハイホー」。 私の道は楽器がくれた道。「俺をはじめ、皆が見ているぞ。」 師はきっとそのように思っていると思う。私が2代目の役をどのように演じるのかを皆が観察している。何年か前に放映された映画「ラ・モーム」、歌手としてそして女として名を馳せた往年の歌手エディット・ピアフの人生を主題にしたこの映画のポスターを思い出した。おそらく舞台に立つ直前の舞台袖の場面だろう。カーテンの隙間から漏れるスポットライトが彼女のシルエットを映し出していた。横顔はどのような表情であったのか。 私は、「2代目」を凛々しい顔で演じたい。モデルは、宮崎駿監督の作品「風の谷のナウシカ」のトルメキア王国のクシャナ王女、あるいは別の作者の作品で銀河を駆け抜けた二人の女傑。現実世界のモデルは、フランスのラグビー選手であるモルガン・パラー。国際試合では背番号10番を背負うキッカーであり司令塔。左足での美しいフォームによるペナルティキック成功率80パーセントを誇る。特に私が惚れ惚れしてみるのはキックのフォームに入る前の「必ず決める」という自信にあふれた顔。かくありたいと私は思う。聖飢魔II EL・DO・RA・DO この話を終えるためにこの曲を選んだ。「速く行け、速く行け、見失わないうちに辿り着け、消えてしまわないうちに辿り着け。」何度も繰り返されるフレーズが自分の心の中から聞こえてくる声とぴったり合致するから。自分の胸の内にあるものがその誕生を待っている。「あなたの夢はすばらしいものですから是非叶えてください。」大阪在住のプロのトランペット奏者から励ましのお言葉を頂いた。多くの人を待たしているのかもしれない。「夢に、世界に、そして未来に追いつくにはどうすればいい?」そんなことを思いながら駆け出した。そして一瞬だけ脇に目を遣った。ずっと横に置いているものが見える。「いつの日か、あれが獲れるようになりたいな。」再び前を見て私は駆け出した。『2世代目』はもう始まっている。「それは遠い海の向こうの、ある一人の若者の物語。そして彼が出会う、夢追う者たちの物語。」『ひとつの終わり、ひとつの始まり』編、終了。私の人生の第一章、『例外なる人事』あるいは『怒鳴られながらの修業時代』終了。次回「あとがき」をもって、「Naoya,フランスでブラス!!」を終了いたします。「日出ずる国から来た弟子」と名乗るのも今回が最後です。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。
February 5, 2012
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『中谷章宏名言集』以下抜粋、「世の中には運が良い人と悪い人がいるんじゃない。運が良いと思う人と悪いと思う人がいるだけだ。24歳の時に書店で初めて中谷章宏氏の著作を手にしたのは『20代でしなければならない50のこと』でした。それから同氏の文体に引き込まれて100冊以上は読んだと思います。そのうち1冊を選びました。『カーネギー名言集(創元社)』以下抜粋「恐怖と悩みを克服するには、脇目も振らず働くことだ。」デール・カーネギー「幸福になる義務ほど過小評価されている義務はない。」 ロバート・ルイス・スティーブンソン2010年の夏には日本に帰れませんでしたが、この本に出会いました。 以下の二冊はこれから留学を志す方には必読の書です。『留学で人生を棒に振る日本人』栄陽子著 扶桑社 700円+税『パリ症候群』太田博昭著 トラベルジャーナル 1600円 2冊とも留学、海外滞在に関する危険性を説いた著作です。私のフランス滞在は計画的に考えられたことではなく運が大きく左右したことは認めていますが、下手をすれば自分の人生を棒に振っていたでしょう。後者に書かれている「和魂洋魂、日本刀とサーベルの二刀を使いこなせ」という言葉は私にとって生涯覚えておくべき言葉。 最後に、『一流たちの修業時代』野地秩嘉著 光文社新書 760円+税「世に認められるのに必要なことは何か?認められるまでひたすら描くことです。」千住博「自分で自分のスポンサーになるのが一番いい。」横山剣Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。
February 4, 2012
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「You Tube」にたくさんの名言集がありますが、少し真似をしてみました。私のお好みのBGMは以下の2曲です。強く生きる者たちの言葉 vol.3Lord of the Rings ~ Arwen/Eowyn もしくは皆様がお好みの曲を選びならお読みください。「青年よ、大志を抱け。」 歴史の教科書より。私も数年前にこの言葉をある少年に贈った。「君たちの人生の主人公は君たち自身です。」(1991年)高校二年時の担任の先生の言葉。「スペシャリストを目指せ!!」(1993年) 1993年春に入部した花園大学吹奏学部の先輩。「現代は模倣と創造の時代だ。」(2010年) その花園大学吹奏学部の同回生であったY君。良いでいてくれよ。「働く場所は日本だけとは限らない。俺は世界に舞い戻る。」(1997年)専門学校時代に出会った異質の同級生の言葉。あんたと同じ志を持った人に一人出会った。「不言実行と言うけれど、これからは有言実行の時代だ。自分の夢を堂々と語って自分にプレッシャーをかけて夢を叶えていくんだ。」(1997年)専門学校時代の恩師。先生、ありがとうございました。初心に帰れましたよ。初志貫徹ですね。「もし君が望むのなら私は君に対して優しくも冷たくもなるよ。(1998年)」 フランスのある楽器店の主人の言葉。私にとって最初のフランス人の友人。「直也がフランスにいる間に、一度でいいからフランスを見て見たかったなあ。(2000年)」 病床の父がつぶやいた最後の言葉。そして翌日、もと同僚の方から次の言葉を聞いた。「君のお父さんは君の決意を大変喜んでおられたよ。」私に勇気という遺産を残して父は天に召された。父へ。生きている間にフランスは見れなかったかもしれませんが、今天に召されたのでしたら、そこから地球を見渡せますよ。怒られてばかりいる愚息ですが、今は世界で一番好きな会社の社長です。「じゃあ、Naoyaはフランスに残るんだね。」(2001年) 2001年フランスのリヨン、私は一人のフランス人のトロンボーン奏者に出会う。思えばこれは予言だったかもしれない。そしてこの言葉の後に夢が生まれた。「お前の夢は10年もしくは15年かかるものだ。だから絶対に諦めるんじゃないぞ。良く働く手、好奇心、観察眼、尽きせぬ体力、それが職人の宝だ。(2002年)」後に私の師となるフィリップ・ロウ。「1年という限られた時間を死ぬ気で燃焼してみろ。そうすれば道は開ける。(2002年)」 専門学校時代の恩師。「職人という人たちはなあ、自分の作品のためにその命を懸けるんだ。だから人を感動させられるんだ。自分の職業と自分自身に誇りを持て。」(2002年)パリの親友ミッシェル。公務員で、数多くの異性と色恋に明け暮れる、自分とは全く対称的な人に出会い、6年半をともにすごすことになりました。落ち込んでいた私を叱咤するためにこの言葉を言った時には、ミッシェルの目に涙が浮かんでいた。投げ出さずにここまで来れたのは、5週間のパリでの住居探しが私の人生で最も地獄のような時期だったから。「夢、それは最も強くて最も純粋なエネルギー。人が自分を見失いそうになったときの道標。」(2003年)2003年4月25日金曜日、パリのフランス語学校での最後の授業で発表した文章の一節。「ほら、あなたは自分で答えを出せるじゃない。(中略)直也、私はね、あなたに本当に強い男になって欲しいの。解る?!(2003年)」2000年にリヨンで知り合ったクラスメイト。男勝りの体力と精神力。その強さを見習いたい。この人に何度も精神的に救われた。そして、この人から男女間の友情が成り立つことと嫉妬への対処法を習った。いつか成功したら美味しい酒をおごるよ。「楽器を作るなんてたいして難しいことじゃない。もっと難しいことは、どんどん苦しくなる社会状況に対して闘うことだ。」(2003年)師フィリップの言葉。「どうせなら、一流と呼ばれる人になりなさい。」(2004年)母の言葉。後に母の本心を知った。それは守れないけど、この言葉に込められた母の思いだけは叶えられるようになりたい。「お前が本来あるべき姿に戻るんだよ。」(2005年)私がどうして無口なのか、その理由を説明したときの師の返答。「どうかあなたの息子さんを私に預けていただきたい。立派な職人に育て上げて見せますから。」「宜しくお願いします!」(2005年)「一度でいいからお前のお母さんをフランスに連れて来い。ぜひともうちに招いてお礼を言いたい。」 至上命令を2004年に受けた翌年、母は初めてパリの観光旅行に来た。メゾン・ラフィット町にある師の家に母を連れてきて私が通訳を務めて師や奥様との会談の後、上の師の言葉に対してフランス語は「ボンジュール」しか知らない母は日本語でお願いした後師に深深と頭を下げた。「あなたは何度生まれ変わっても厳しい修業に身を捧げる宿命にあるのです。」(2006年) 故郷大阪心斎橋にある占いのお店「ルビーの館」で出会った龍霞先生の言葉。宿命を知ると少しは楽になった。「世知辛いこの世の中を逃れるために仏の道に入るものが多い。だがそんなものは修行でも何でもない。どんなに辛くとも自分の想いを叶えることが本当の修行だ。」(2007年)吉川栄治氏の作品『宮本武蔵』より。舞台は席柄の合戦の後の江戸時代初期。混沌とした世界という点においては17世紀初頭も現在の21世紀初頭も何一つ変わらない。この言葉は現在にも通じる。「私の主は私自身だ。」(2008年)「技の伝承とは模倣から始まるのだよ。」(2008年)小学館少年サンデーコミックス『史上最強の弟子ケンイチ』より、南条キサラと甲越寺秋雨。「日本人である前に、あなたは職人という名の地球人ですよ。」「一本道を行け。」(2009年)読売テレビ。「グッと!地球便」より。「乗り越えられない試練はないよ。」(2009年)母の言葉。「神様ってのはな、乗り越える力のない奴に試練なんて与えないんだよ。」(1999年?)集英社少年ジャンプコミックス「ホイッスル」よりおでんの屋台の親父さん。「あなたが御自分の夢に着手されるときはぜひ私を呼んでください。協力は惜しみません。」(2010年)プロのトロンボーン奏者。「失敗しないで済む修業時代があるとは私は思わない。」(2010年)クラリネット奏者の友人。「他人を変えることは出来ない。変わるのは自分です。」(2010年)この国の現代の「愛と性の女神」ブリジット・ラエ。「寒い北風が屈強なヴァイキングを作った。」(2010年)『カーネギー名言集より』「今やり直せよ、未来を。きっと10年後、20年後、50年後から戻ってきてるんだよ!」(2010年) どこのどなたか存じませんが、「読み人知らず」さんへ、とてもかっこいい言葉です。「真似されるということはそれが良いものである証拠だと思いますよ。」(2010年)友人のサックス奏者Makiさん。またしても自分の価値観を破壊する人に出会った。「君なら出来るよ。」トロンボーン奏者の友人。「私には工具が手に従っているように見える。しかしそれを導くのは手ではないだろうか?」ラ・フォンテーヌ。以上。Naoya皆様の清き1クリックをお願いします。
February 3, 2012
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もう2月になってしまいましたが、まだ書き終えていない思いが幾つかありますのでもうしばらくお付き合いください。 昨年下旬。「気分はどうだ、Naoya?もうすぐ独立するんだぞ。」「うん。」「なんだ、嬉しくないのか?」「嬉しさの前に、緊張感でいっぱいで・・・。」実際、一昨年ほど前から毎朝強烈なプレッシャーに襲われていました。(まだ免許皆伝にもなってないし、ユーロ経済危機が騒がれているし、外国人への風当たりももっと強くなるかもしれないし・・・) 新年が明けて、ヴェルサイユ市商工会議所に提出した書類に記載されたとおり、今年1月1日に個人会社を設立して社長に就任。「アトリエ フィリップ・ロウ」の使用権を得て師の業務を継続する旨をまずは「フランスの人間国宝メートル・ダールとその弟子たちの会」に通知。「Naoyaへ、10年間の修業を終えたことに対してまずはおめでとうと言わせてもらいたい。そしてこれからはもっと長い道のりになるから、心してかかりなさい。(からくり人形製造家のメートル・ダール、レナトー・ボアレット師)。」「これから未来への長い航海が始まるんだ。頑張れ、新艦長!(ピアノ・フォルテ製造家のメートル・ダール、クリストファー・クラーク師)」「困ったことがあったら、いつでも言いたまえ。君には私たちがついていることを忘れるな(ブーツ製造家のメートル・ダール、レイモン・マッサロ師)。」 様々な祝辞を頂いたとき、ようやく皆様が言う「おめでとう」という言葉の意味を理解しました。10年という一定の修業期間を終えたことへの祝辞と未来への門出への励ましであることを。皆様からの祝辞をメールで読んだとき、ふたつの目から涙がこぼれていました。「これからもいい仕事をして音楽家たちを喜ばせてくれ。」昨年の夏から始めたfacebookで頂いた応援です。「あなたの勇気に敬意を表します。この国の伝統技術のひとつが生き続けるのですね。」先日新しく設定した料金表と共に「アトリエ フィリップ・ロウ」の業務継続の旨をお客様へお伝えしたところ、お褒めの言葉を頂きました。勇気なんていうたいそうな言葉を頂くような身分じゃない、ただ自分の我がままを通しただけなのに。 つい先日、二人の人物が残してくれた言葉を思い出しました。 2002年8月前、大阪。「何を怖気づいている。君の本当にやりたい事が目の前にあるんだぞ。死ぬ気で食らいつけ。そうすれば道は開ける。」 師の下での1年間の研修を始める前に、かつての専門学校時代の恩師にご挨拶に伺った時のこと。1年どころか期せずして10年を過ごしてしまいました。 1993年12月某日、京都市のある市民会館のコンサートホールの袖、午後6時25分。「どうした、緊張して泣いてんのか?みんな同じだ。誰だって不安を乗り越えて舞台に立つんだ。お前が一年間学んできたことを見せてやれ。」 花園大学吹奏楽部第二回定期演奏会の舞台袖での出来事。その年初心者として入部した私には初めての定期演奏会。舞台に上がる緊張が高じて涙が止まらなくなったとき、当時の副指揮者の先輩が勇気づけてくれたことを今でも覚えています。 ぎりぎりのところでまた踏みとどまることができました。プレッシャーは無くなりませんが、「もうやるしかない」という心境です。 2011年9月末日、「アトリエ フィリップ・ロウ」にて。「一応書いてくれ、まあ形式的なものだから。」師から言い渡されたのは「不本意な」辞表届け提出。同年12月30日をもって師は定年退職。私は事実上退職ということになりました。「2012年1月1日付けをもって個人会社を設立して独立するために退職します。」というのが理由です。幾つかの漫画で新社長就任という場面を見たことがありますが、なかなかそのようにはいきません。「12月30日をもってフィリップ・ロウは定年退職。『アトリエ フィリップ・ロウ』は閉業。そして10年勤続した三宅直也は解雇処分、新たに会社を設立し2012年1月1日より『アトリエ フィリップ・ロウ』の商標使用権を得て業務を継続する。」以上の内容に二人は署名。私は「フランスの人間国宝メートル・ダールの弟子」の証であるスタンプを初めて押しました。事実上この世でたった1日だけ『アトリエ フィリップ・ロウ』は業務を停止したことになります。師は技術の継承というひとつの役目を終えました。外国人を弟子にするという賭けに勝ちました。そして、一人の職人がつきに何十本の楽器を製造するという時代もまた終わりを告げたのです。そして、「アトリエ フィリップ・ロウ」の2世代目が始まります。 技術継承という名のバトンは手渡されたのです。「それにしても、住み込み弟子のまま社長就任って変じゃない?」 ある友人の言葉。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。
February 1, 2012
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時は2001年暮れの12月上旬。ル・マンにある楽器分野就職技術訓練機関ITEMM(イテム)に一年間在籍し研修を行う傍ら2度の3週間にわたる企業内研修が義務付けられていた。研修願いの手紙を方々に送ったもののどこからも受け入れられず、学校側に研修先探しを相談したところ、後に私の師となるフィリップ・ロウのアトリエを紹介される。それは12月第2金曜日、約束のアポイントの時間は午後4時、遅れないようその日の午後にフランスの新幹線TGVを使いパリに到着、首都圏高速鉄道RERのA線を使いメゾン・ラフィット町に到着。駅から並木通りに入るともう空は暗くなり始めていた。「こんな住宅街に楽器製造のアトリエが本当にあるの?」疑問を抱きつつも地図を頼りに並木通りを進むと右手に鉄格子上の門が見え、その傍には狩猟用ホルンが描かれた看板がかけられていた。「ここか。」深呼吸をしてインターフォンを押し門のあとに続く石畳の通路を進むとガラス張りの扉に手をかけた。その向こうには一人の男が事務机に座っていた。フィリップ・ロウ氏であった。絵に描いたような気難しい職人というのが私の第一印象だった。 フィリップ・ロウは事務室の緑色の扉を開けて私を導いた。約9m2の工具整理の部屋には古くは19世紀前半から生き続けている工具が壁にかけられ、その奥にある入り口をくぐると、約150m2の広さを持つ金管打楽器製造修理工房に導かれる。天井にはトランペットのベルが数十本吊り下げられ、奥の床には曲げられる前のベルが林立していた。失礼にならないようにフィリップ・ロウの仕事の様子を私は声を発することなくじっと見つめていた。約4時間の間ごく僅かな会話しか交わさなかったことを覚えている。時刻は午後8時をすぎようとしていた。「ところで日本から来たっていうお兄さん、あんたいつからうちに来たいんだい?」フィリップ・ロウはおもむろに口を開いた。「は、はい。年開けの1月2日からお願いいたします。」二人は思い出したかのようにITEMM(イテム)側に提出する研修契約書にサインをした。 まだ初歩的な技術しか知らず、フランス語の会話力もまだまだであった私には簡単なことしかさせてもらえなかった。ほとんどフィリップの傍に立ってその仕事を見ているだけという日々が続いた。そんなある日。「お前さん、ITEMM(イテム)での研修が終わったら、やっぱり故郷の日本に帰るのかい?」「いや、そうじゃなくて、この次の4月の研修はコルトワ(正式名アントワンヌ・クルトワ、フランスの金管楽器製造メーカーの老舗)で研修を受けるつもりで、いつかトロンボーン製造技術を習いたいです。」「・・・。」予想外の返答を聞いたのか、フィリップ・ロウはしばし無言であった。そして一言、「そりゃ長いことかかる夢だな…。」この後、フィリップ・ロウは私に対して饒舌になった。そちらが本来の性格であるということを後から知った。 2月中旬、「俺が働く場所は『アトリエ フィリップ・ロウ』にありますか?今年の6月にITEMM(イテム)での実習が終わったら、『アトリエ フィリップ・ロウ』で働かせてください。」フィリップ・ロウに頼み込んだ。「お前の意思は評価する。だがそれとお前が俺にとって利益になるかどうかは別問題だぞ。」 2002年9月より1年間の無給の研修生時代が始まった。同年11月25日、フィリップ・ロウはフランス文化省よりフランスの人間国宝「メートル・ダール」に任命される。ところが自分の後継者として目していた21歳の若者は師の厳しさのために泣いて辞めた。フィリップ・ロウは後継者として育成する弟子の必要性のため翌日私に白羽の矢を立てた。フランス文化省を4ヶ月かけて説得し、たった一つの条件と共にその意向は承諾された。「メートル・ダール、フィリップ・ロウの技術を完全に習得し、そして次の後継者を私自身が育成するまで日本には最終的には帰れない。」2週間悩んだ末決断した。『怒鳴られながらの修業時代』が始まった。 まず最初に悩まされたのは工具や材料の名前と用途を覚えることだった。日本でも普段日常会話では登場しないものばかりだった。ペンチという言葉一つでも何十種類に分類するほどあった。「何度言ったら解るんだ、お前俺を馬鹿にしてんのか!!」怒鳴り声がすぐとんだ。 前述のコルトワ社から30本のトランペットのベル製造の依頼が入り、ようやく金管楽器製造の修業に入った。師フィリップが手本を見せて私がまねるというものだった。人一倍不器用で怖がりな私の動きはおどおどしていてぎこちなかったに違いない。「お前いったい何を見ていた、寝てんのか?何だその動作は!!」間違った動作をするとすぐ手を止められた。材料を無駄にしないためにもう一度師の動作を見て真似をした。それでもできない。何度も手は止められ、手に持っていた工具は奪われた。悔しくてあふれる涙を必死にこらえていた。電話が鳴り事務室に師が事務室に戻っている時間が練習時間だった。 とにかく反復して体に覚えこませるしかなかった。しばらくして振るわれるハンマーに呼応して真鍮板と鋼鉄製の工具が心地よい音を奏でるようになった。心も体も震えていた。「これや、これが俺が探してた職業なんや!」遮二無二手を動かし、ハンマーを振るった。疲れて握力が無くなりハンマーが手からすべり落ちるまで続けた。「アトリエ フィリップ・ロウ」の売り上げの6割は金管楽器修理で成り立っている。私にはまず戦力になるように金管楽器の修理を習得することが急務であった。修業を始めた頃、練習台はいつも物置に放置されていた19世紀後半から20世紀前半のコルネット。いつもベルは凹みだらけ、マウスピースや転調用のクルークはもとより現代より多い抜き差し管やピストンは乾燥した唾液や汚れで固着、支柱は折れていて交換が必要、大半を分解して凹み直しを行った後組み立て直した。このようなコルネットを1本修理するだけで金管楽器の修理の基礎のほとんどが習えた。ただ覚えるまで相当の時間を要した。 修業を始めて3年目のある日、付けられたコルネットのオーバーホールを行った。師に何度も駄目だしされてはやり直した。2週間経っても終わらなかったある日、いつものように師に怒鳴られたとき、ついに忍耐に限界が来てフランス語で叫んだ。「自分の実力に誇りなんて持てるか!!」涙がボロボロとこぼれた。「もういい。今日は帰れ。明日また来い。」翌日。「夕べは良く眠れなかった。お前の涙のせいだ。」「・・・すみません。」普通の企業だったら即座にクビだったと思う。社会人として恥ずかしかった。 それから数日後そのコルネットの修理は終わり、お客様の手に引き取られていった。「おい、Naoya見てみろ。」師は一通のメールを私に見せた。そのコルネットの持ち主の女性からだった。「良い仕事をしていただき、ありがとうございました。」師は続けた。「俺もお前みたいに最初は勝手が解らなくて、師である親父から良く怒られたもんだ。尻を何度も蹴られた。泣いて出て行った事もあった。独立してからもな、ある日60本の楽器のベルの加工の最後の行程を外部に依頼したときだった。返事が返ってきて愕然としたよ。60本中良い状態のベルはたった2本だけだったって。はらわたが煮えくり返った。あの時の悔しさは生涯忘れん。」 師フィリップの師であるジャン・ロウ氏の修業時代を聞いたことがあった。「14歳で楽器の道に入った。最初は銀製のクラリネットのキーの製造だった。組み立てていく行程の中で100分の1ミリでも誤差があったときは容赦なくゴミ箱に捨てられた。あれは悔しかったぞ。」自分が苦しんでいる状態なんてまだまだ甘いことを知った。修業30年目を超えた頃、師はジャン・ロウ氏から初めて褒め言葉らしい言葉をもらったという。その時は驚きで膝が震え、その場に座り込んだという。後にメートル・ダールに任命されたときよりも嬉しかったそうで、通知を受けたときは真っ先に自分に厳しく接したジャン・ロウ氏に報告したという。「なあ、Naoya、俺はおそらく仕事に関しては自分の子供よりも厳しく接しているかもしれん。だがそれ以外はお前の友でありたいと思う。頑張れ。」「はい・・・。」 ナチュラル管の金管楽器の中で最も簡単な構造である軍隊ラッパ・クレホン。金管楽器製造の練習として40本を自分で作ったが半数以上ができが悪く、中古品として売られた。マウスピースリードパイプの製造で溶接がうまくいかず、何度もやり直していると師がやってきて悪い出来であるそのパイプを膝で折って地面に叩きつけ足で踏み潰した。そんなことが何度もあった。「修業って、やっぱり厳しいものなの?」「修業を始めて最初の3年間は、一年間のうち、休日、休暇を除いて怒鳴られなかった日なんて指折り数えるほどしかありませんでしたよ。」 今では笑い話として語られる、私が犯した最も恥ずかしい失敗。 2006年にパリで開催された「音と音楽の展示会」、その準備をしていたとき、展示用の楽器にふき取り用の布がベルの内部に入り込み放置されたまま展示会へと運ばれた。展示会中、その楽器をお客様が手に取り、マウスピースを取り付けて吹き込んだとたん、お客様の頬が膨れ顔が真っ赤になった。中を覗き込むと布がベルの置く深くまで押し込まれていた。「バカヤロウ、さっさと取り除け!!」毎日聞いている怒鳴り声が展示ホール全体に響き渡った。「お前って、本当に不器用だな。」あるとき師にしみじみと言われたことがある。「知ってるよ。自分でも嫌になることがある。でも俺はもう自分の不器用さと一生付き合っていくことに決めている。」「・・・。」「お前、よく笑うようになったな。」 約2年前からお客様を向かえる役目、電話の応対、メールの応対、見積もりの計算などなどが私の責任になったとき、どうすればお客様と旨くコミュニケーションが出来るかを考えた。師のユーモアや話すときの勢いは持つことも出来ないかもしれない。師のような持って生まれた性格は持ち得ないのなら、せめて笑顔を浮かべて心地よく私たちのアトリエに足を運んでいただこうと考えた。その結果、「私はもう引退する身です。ですがアトリエは生き続けます。私の下で10年の修業を続けた弟子のNaoyaが引き継ぐからです。ご安心ください。私とは違って丁寧な対応をしてくれるいい男ですよ。」と師は周囲に言うようになった。それにしても自分の欠点をよくも揶揄できるものだ。「偶然とはいえ、私は師フィリップの弟子となった。数え切れないほど怒鳴られ、反対に人前では褒めすぎというほど褒められた。そして理不尽な事を言う行政に対しては何度守ってもらったか判らない。怒鳴りながら育ててくれたようなものです。もし師のように人を育てるには時間がかかるということを理解している人に出会わなかったら、今の私は無かったでしょう。そうでなければ私はどこに行っても3日でクビにさせられるような男です。この10年は私の誇りです。」「怒鳴られながらの修業時代」は終わろうとしていた。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。
January 30, 2012
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フランスの金管楽器職人の人間国宝、フィリップ・ロウ。1949年11月19日、父ジャン・ロウと母ドゥニーズの間に生まれる。他の赤ん坊とは違って、「母親の体から取り出されて産声をあげるまでに30分を要したらしい」。「後にその話を両親に聞かされたときに、俺は思ったよ。俺の人生は生まれた瞬間から困難に立ち向かうことを宿命づけられたとな。」その時のエピソードを語るたびに師フィリップは最後に言う。 青少年時代はサッカー少年であったらしい。今はプロのチーム「パリ・サンジェルマン」の熱烈なサポーター。 1969年、18歳の時、大学受験に失敗。師のご両親は1年間だけなら大学受験のための浪人生活を許可したが師は拒否。勉強に見切りをつけて働きたいと話したところ、師の父ジャン・ロウ氏は提案した。「お前が働きたいというのなら、明日俺のアトリエに連れて行ってやる。丁度今見習い弟子が欲しかったところだ。」翌日、現在パリの11区ペール・ラシェーズ墓地の北にかつてあった「職人の界隈」という300人から400人の職人たち集う場所があり、ジャン・ロウ氏はそこで4人の職人を率いていた。そこに一歩足を踏み入れた瞬間、師フィリップは職人の世界に魅了されジャン・ロウ氏の楽器製造のアトリエで修業を始めた。ジャン・ロウ氏の下で15年の修業を積んだ。「親父は相当厳しかったよ。一回しか俺に手本を見せてくれず、見せてもらったように俺ができなかったら尻に蹴りが飛んできた。泣いて出て行った事もあった。修業時代に『にいちゃん、良い仕事してるじゃねえか。その調子で頑張れよ。』といわれるのが嬉しかった。」当時そのアトリエでは毎月百本以上の楽器を製造していたらしい。そして1984年独立。パーカッションのヘッド製造会社「Mori’s Plastic」を買い取り独自にヘッド製造にも着手。1986には自分のアトリエを生まれ故郷であるメゾン・ラフィット町に移す。それが後に私が修業を積む場所となる「アトリエ フィリップ・ロウ」。 笑いを絶やさない、独特なユーモアを持つ人だと私は思う。2008年4月1日にフランスのテレビ局TF1の5分間のルポルタージュのために同年2月にアトリエの中で撮影が行われた。師は作業台の上に敷かれていた畳一畳の大きさの厚さ0、3mmの真鍮板を両手で持ち上げた。「ほら、こうやって持ち上げただけで真鍮版はしなってビヨンビヨンと音を鳴らすじゃないですか。わざわざ苦労して楽器を作る意味なんてないでしょう。」師はカメラに向かって笑った。10年間の修業中未だに理解できない師のユーモア感覚のひとつ。 誇りの高い人で誰に対しても思ったことを口にせずにはいられない性質。苦境を理解してくれない取引銀行の担当者をアトリエに呼びつけて怒鳴りつけたこともあった。 その道のりは順風満帆なものではなかった。かつては7人の従業員と事務員まで雇ったことがあるという。だが90年代に入り次々と苦境が襲った。91年の湾岸戦争を境に景気は後退、軍縮により主要な卸先であった軍楽隊の減少、かつて村にも必ずひとつはあったというオーケストラの減少、そして世界にも名が知られている某音楽隊は楽器の発注先を1994年を境に師ではなくスイスの業者に発注。そして90年代終盤、師は背中の病に冒された。「無理の利かない体になっちまった。銀行の借金がかさなって、しかも働くのは俺独り、にっちもさっちも行かないときに思ったよ。せめて体に負担の少ない打楽器製造の注文がたくさん舞い込んだらなって。そんなある日、打楽器数十台、ヘッド数百枚の発注の仕事が入った。願ったり叶ったりだったが、俺一人ではできない仕事なので旧友の楽器店の店長が『俺の弟を使ってやってくれ』と申し出てくれた。1ヶ月半後にその商品を発注し赤字から黒字へと盛り返した。俺の元に送り込まれたその男は一切の金を要求しなかった、俺は無神論者だが、常に誰かが見ているものだと思う。」 約5年間独りで働いたという。今私が経験している情況だが、およそ350m2もの空間に独りというのはたしかに寂しいと思うときがある。1997年、先のTF1より取材を受けた。「今日も良く働いたと思いながら眠りに着く。そして明日はどうなるんだと思う。」今とは見違えるほどその頬と体は痩せこけていた。TF1のナレーションは続けた。「フィリップ・ロウ氏は自分の後継者となるべき人物が現れることを願っている。」「フィリップ、残念ながらお前がこの職業をする最後の一人かもしれんぞ。」「いいや、俺が最後じゃない。きっと俺の後を継ぐ者が現れる。」かつて父ジャン・ロウ氏と言い争ったことがあるという。 1994年よりフランス文化省は日本の「人間国宝」の称号を例に取り、卓越した技術であるとともに次代の流れに消え去りつつある職業に従事する職人を「フランスの人間国宝」メートル・ダール」に任命しその技術を後世に伝承するために支援することに決定。師は2002年11月25日に金管楽器製造職人の「メートル・ダール」に任命された。その日私は研修生として師に随行していた。「その時師の傍らにいた俺が跡継ぎ?『日出づる国から来た弟子』?偶然としか言いようがない。」後に1997年に放送されたTF1のビデオを見せてもらったときには不思議な気分だった。後継者不足に悩む師と後にそれを見る弟子である私。今週の月曜日、師の最後の事務処理の手伝い。「フィリップ、ひとつ質問。」「何だ?」「42年以上のキャリアを終わらせて引退するのはどんな気分だ?」「ふむ・・・。」師は書類にサインをして手を止めた。「いとつの役目を終えた満足感かな?最後に、Naoya、お前という後継者を育てた。残念なのは、景気の後退で売り上げが落ちたことかな。」師は続けた。厳しい司令官という顔つきであった。「心得ておけ。優しさ、実直、誠実、それは良い事だ。俺もなるべくそうしてきた。優しすぎたかもしれん。だが甘えは見せるな。お前を利用しようとする相手には手厳しく接することも覚えろ。」「・・・心得ておきます。」自分は優しすぎたと師は評しているが、その優しさに奥様を始め多くの人が救われたはずである。私もその一人。「良くも悪くも人間的、絵に描いたような職人気質、そして懐かしさ。」 これが10年間師の下で修業をした私の師に対する評。 冒頭の写真は、昨年の9月15日に発行されたフリーペーパーのために撮影されたもの。残念ながら掲載されなかったためこの場を借りて掲載させていただきます。撮影したのは、友人のサックス奏者であるMakiさん。 今回の記事は師に捧ぐもの。そして次回は「三宅直也、怒鳴られながらの修業時代」。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。
January 29, 2012
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「フランスでの生活は気に入っている?自分の国とは違う文化圏で生活していて戸惑うことはないかい?」「おおむねは気に入っているんですが、役所での手続きが煩雑なのが困ったもので・・・。」 年配の方からよく質問されることなのですが、上のように答えると、「いや、それには同情するよ。何も君のような外国人だけの問題じゃない。我々フランス人にとっても同じことだから・・・。」という返事が返ってきます。「文化と芸術の国」と呼ばれるフランス(内情を知る者にとってはけっしてそうではありませんが)、様々な側面を持ち合わせていることが解ります。「職人の国」、「学歴社会の国」、「ストライキとデモの国」、「公務員の国」、そして「書類の国」。 パスポート一枚と航空チケットがあればフランスに3ヶ月以内なら滞在可能ですが、それ以上滞在するつもりで渡航する場合は日本のフランス大使館または領事館で渡航ビザを申請した後にフランスの滞在先の所定の警察署で「滞在許可証」を申請することになりますが、おそらくここでほとんどの外国人がカルチャーショックを受けることになるでしょう。なぜならここで「申請書類が通るか通らないかは窓口のお役人のさじ加減で決まる」ということを理解するからです。美しいイメージだけを抱いてこの国に来ないことをお勧めします。 2000年のリヨン、2001年のル・マンでの学生身分での滞在許可証申請は比較的スムーズに行えたのですが、2002年の秋からパリに在住してからは「悪夢」とも言えるようなことをしばしば経験することになりました。2002年の秋、パリの15区での住所変更を行った時には朝から警察署の前に並び、自分の順番が記入されたチケットを手渡され自分の番を待っていると正午には窓口の職員たちが昼食のために退出。2時間待たされた後で手続きが再会されるという有様。この間退出すると順番の一番最後に回されます。 忘れもしない2004年の春。師の弟子として、そして正式に給料をもらえる社員としての身分変更を労働省管轄化の外国人労働者担当局に師弟された約30枚の書類と同じく同数のコピーを持って同年2月にそれらを提出。外国人に対して正規の労働者身分を証明するための「労働許可証」申請後返事を待つことになりました。そして役3ヶ月後の5月上旬、「お役所はせかさないと動かない」と言われて再び外国人労働者担当局に出向き提出した書類の手続きが行われたかどうか確認に行ったところ、「あなたが提出した書類は無くなりました。」という、自分の耳を疑うような返答を聞きました。「捨てられた」と言われていたら、おそらく窓口の上に上がりこんで目の前の人の首をつかんでいるほどに怒りがこみ上げていたでしょう。結局3回目の提出の後の2004年の9月末、労働許可証を受け取る事になりました。 それから4年後の2008年2月、外国人労働者担当局にて更新された労働許可証を持ってパリの警察署で滞在許可証の更新手続きを行った後、受け取ったのは「1ヶ月以内の国外退去命令」。「自分は指定された書類を全て提出しているのでこの命令の撤回を願います。」という内容の手紙を6回にわたり裁判所に提出。約半年後の同年9月に撤回されました。 警察署に師弟の書類を持っていっても、窓口で突然指定されてもいない書類の提出を求められて、用意していないと申請が却下されてアポイントの取り直しなど日常茶飯事。そして書類の処理が遅いのです。10年以上の滞在で書類の処理が驚くほど早いうら若き女性に出会ったことがあります。しかもうっかりして書類が足りなかったにもかかわらず自分の書類申請が許可されました。外国人担当窓口に座らせておくにはもったいない人材です。 さて話は昨年の12月に戻ります。上旬に「アトリエ フィリップ・ロウ」の取引銀行に出向き担当者と相談。「まずはヴェルサイユ市にある商工会議所で商業登録番号を発行していただかないといけません。」 すぐさま商工会議所で申請手続きをするためにヴェルサイユ市へ直行。」「外国人であるあなたはまず個人事業主としての身分変更を行い申請手続き証明を持ってきていただかないといけません。」その後ヴェルサイユ市の警察署へ。「この電話番号に電話してアポイントを取ってからもう一度来てください。」私の滞在身分変更手続きを行う警察署にいるにもかかわらずその場でアポイントを取れず追い返されます。 同年12月27日、ヴェルサイユ市警察署。その日を遡ること約10日前に滞在身分変更に必要な書類のリストを郵送で受け取り、説明不十分なリストから必要と思われる書類を師と用意し、『悪夢再来』に備え、内容が複雑なので難癖をつけられたときに的確に説明できるように師に同行してもらいました。滞在許可証更新程度のことなら私一人でも構いませんが、煩雑な手続きの場合、フランス人の同行を願うと窓口の対応が「少しはまし」になります。 これは何もフランスの問題だけではありません。8年間日本に滞在したという韓国人のジャーナリストの女性が著した日本に関する書籍には成田空港の税関や外国人入国管理局の係員の態度が第一章に描写されておりましたが、下手をすればフランスよりも母国の入国管理局の態度の方がひどいように思えます。私は一度故郷の大阪関西国際空港で外国人窓口に並ぶように英語で誘導されたことがあります。菊の紋が入った赤い日本の10年パスポートを提示して「これは日本人が所有するパスポートですけど何か問題ありますか?」と質問するとその係員の人は謝りもせずそそくさと退散しました。 さて12月27日15時、師と私は15時に受付窓口に召喚状と必要書類とそのコピーおよそ80枚近くの書類を提出。少々複雑な事情であるため師が窓口で説明し始めた後でやはり窓口の係員の方が難癖をつけ始めたため師は頭にきて怒鳴り声を上げそうになりました。「まあまあ、フィリップ、ここは少しの間俺に任せてくれ。ムッシュー、私たちは何もあなたたちを困らせたくてここにいるわけではありません。師も悪気があるわけではないのですよ。必要書類は全て用意しておりますのでもう一度ご説明お願いできますか?私はただ商工会議所に提出するために必要な滞在身分変更届け申請中の証明が欲しいだけなのです。師を手で制すとこの間師は外で待つことになりました。外国人の手続きの同伴のために向く人と向かない人がいるようです。「いや、時折外国人の付き添いであるフランス人の方が無理難題を言うことがあって困らされることがあるのですよ。それにしてもムッシュー、あなたはとても辛抱強い方ですね。」忍耐は師と警察署で鍛えられましたが褒め言葉にはなりません。ちなみにその係員の方が預かった書類はたった10枚弱。 16時前、外で待っていたしと合流。個人事業主としての身分変更届け申請中という証明書を首尾よく受け取りメゾン・ラフィットへ帰ります。「俺が外国人であったとしてもあそこには居たくはない。外国人の子孫が外国人を窓口で裁いている。フランスの恥だ。」 何はともあれ29日には商工会議所に商業登録番号を申請、年明けには銀行で事業主用の口座開設を申請します。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。
January 27, 2012
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「一人の人間の人生を表すのはたった3行で済む。どのように生まれ、どのように生き、そしてどのように死んだか、それだけだ。」 私の好きな漫画家兼エッセイスト弘兼謙司氏の言葉だったと思います。昨年の10月19日に師と私はパリのフランス文化省庁に赴き1年ごとの修業の成果を報告するために呼ばれておりました。2003年に師フィリップの正式な弟子として承認されて以来約8年間の修業の成果を全て報告するために用意した書類はおよそ30枚。60年、70年もしくは80年の人生を表すのにたった3行で済むのに何十枚もの書類を用意することはないでしょうと、上の言葉を思い出したものでした。 それより約1年前の2010年11月17日、同じくフランス文化省庁に呼ばれたときは議題がある一点に集中したと書きました。その議題の焦点はいつ師が引退して後継者である私が独立できるかということでした。約1年弱という期間を経て私たち二人が協議した末に出した返答は、師が作ったアトリエに残り個人事業主として工具や機材そして材料を師から借り受けて事業を継続させることでした。一階と二階あわせて400m2近くの広さを持つアトリエをどこかに再現する資金が私には用意できないこと、私が師のアトリエを離れて独立した場合誰も使用しない空白の訓間が出来上がってしまうこと、自分の名で事業を行うよりは師のアトリエを継続させるほうがこれまで得たお客様の理解を得ることが容易であること、などが主な理由です。最後に付け加えるなら外国人排斥意識が高まっているフランス人の感情を逆撫でしないことも考慮したうえです。日本の製品が世界に進出し経済成長を遂げた1970年代もしくは1980年代、「我々の製品を真似し最後には我々の市場を奪っていく存在」として嫌われたそうです。一人の日本人として今更日本人が悪く言われるような材料を作りたくはありません。そして私自身はフランスの伝統技術を奪っていくためではなく次の世代にその技術を残す約束を果たすためにいるということを周囲にアピールするためでもあります。 師と苦心して考えた方法は、今ではとても合理的であることがわかるようになりました。そしてその後は手続きのために奔走することになります。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
January 25, 2012
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昨年の夏、7月下旬と8月上旬にヴェルサイユ市の商工会議所で行われた職人たちのための研修に5日間参加。会議室のホワイトボードに向かってコの字型に並べられた机には私を含めて男女14名が席に着きこの研修を受けました。 参加した人たちの職業を列挙すると、楽器製造・修理業(私です)、庭師、左官工、電気技師、美容師、惣菜店経営希望者、運送業、室内改装業などなど。奇遇にもピアノの前身であるクラヴサンの製造家である二人の知り合いと再会。 国籍を列挙しますとフランス人はもとより私日本人、中国人、セネガル人、チュニジア人、モロッコ人など国際色豊かな研修となりました。歴史上多数の移民を受け入れてきたフランスならではの光景。私はこのような様々な人種が入り混じった風景大好きです。 5日間の講習内容は会社の形態、銀行との取引の仕方、付加価値税、社会保険制度、年金積み立て、会計、マーケティング、環境問題、法律、商標登録の仕方などなど。各々の疑問や問題点を、講師陣を交えて熱い議論を交わしました。「ところでラジオでのコマーシャル依頼する場合、依頼料はどのくらい必要なのかご存知ですか?」 不思議なことにテレビやラジオというメディアにおける楽器業界のコマーシャルは皆無に等しく、自分の素朴な疑問を商工会議所代表の講師に投げかけてみたところ、広告を打つならインターネット上で、高速道路沿いに大きな看板を立てろなど様々な意見が飛び交い、数分後には議論の内容が環境問題に移行。分単位で議題が変わるのもフランス人の特徴。 失業率が常に10パーセント前後で推移するフランス。転職先が見つからない人もしくは独立を希望する人たちのためにこの国も様々な会社の形式を用意しています。私たちが受けた研修は独立して個人事業者になるためのものでした。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
January 24, 2012
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前回の記事にてお伝えしたとおり、1月31日をもって「Naoya、フランスでブラス!!」を終了いたします。「ひとつの終わり、ひとつの始まり」編、開始。 2011年4月~5月、「アトリエ・ドゥ・パリ」による20代から30代の芸術家や職人のための研修を5日間に渡って参加。研修内容はマーケティング、海外輸出、電話のコミュニケーション、予算計画表作製などなど。 この研修で最も印象的であったのはマーケティングの講習内容の一節。ある香水のブランドが低価格の香水を販売するために香水の質は落とさず容器をガラス製のものからプラスチック製に変えて手の届きやすい10-20ユーロという価格で小瓶にして販売したところ、全く売れなかったとか。「贅沢なものはその価格を維持したほうが良い」という一例。 自分に必要な内容の講習を選択した約5日間の研修、昼食時の休憩には参加者と講師全員がレストランで食事を取りつつ議論を継続していました。こういった様子は議論が大好きなフランス人の性質。「皆が皆インターネットを利用する時代になりましたが、ところで皆さん、そのインターネット上のみによる商取引の割合がどの程度か御存知ですか?」ある昼食の席で、電話によるコミュニケーション講座の講師がおもむろに私たちに質問を投げかけ、様々な数字を出す私たちを前にその講師はさらりと答えました。「たったの5パーセントです。」 考えてみればインターネットが誕生してまだ20年も経過しておりません。最終的には人間対人間ということをこの方はおっしゃりたかったのでしょう。そういえば私も毎朝毎晩メールからの広告をほぼ99パーセント消去してますね。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
January 23, 2012
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ここ数週間事務処理に追われブログを更新することすらままならない日々が続きましたが、一段落しましたので再開いたします。 さて昨年の暮れの最後の仕事となったのは好事家の方から持ち込まれた真鍮製のクラクション。1917年にイギリスで製造された自動車を買い取ったもの写真にあるクラクションだけが欠けていてインターネットでわざわざオーストラリアから取り寄せられたそうです。開口部の真鍮製の金網まで用意されたこのお客様の執念にはただただ脱帽。そういえば数年前には南アフリカの砂漠に放置されていた純銅製の船のランプを修理したこともありました。このような奇妙な仕事が舞い込むから「アトリエ フィリップ・ロウ」は面白いのです。 前回の記事に記載した依頼内容を果たすためにこのクラクションの大半を分解したのですが、楽器を鳴らすための振動媒体(クラリネットやサックスのリード、もしくは金管楽器のマウスピース、あるいは弦楽器の弦)にあたるものを発見した時には図らずも笑いがこみ上げてきました。その振動媒体は金管楽器と木管楽器の概念を足して2で割ったようなもの。知り合いの楽器奏者に見せたかったです。 全ての依頼内容を果たし、このクラクションを組み立ててノズルの先についたゴム製のポンプを押したときには、金網に覆われた開口部からはある種の動物の鳴き声に似た音が鳴り、この仕事を行った私自身とその様子を見に来た師も笑っていました。「このクラクション一つを見るだけで、どれほどの自動車を製造するために分業していた職業が現代では失われていったかが推し量れます。」 仕事が終了した後新年明けにこのクラクションを引き取りに来られたそのお客様はつぶやかれました。 世界で最初に流れ作業による自動車製造の大量生産化を成し遂げたのはアメリカのフォード社だと私は記憶しています。オートメーション化を薦めるという事は熟練工が要らなくなるということです。 楽器の世界においては1990年代にはやはり多くのメーカーでの熟練工がその地位を失ったという事実を専門誌「Pipers」の記事で読んだことがあります。 今月の初頭、フランスのニュースで日本の某メーカーがダンスをするロボットを開発したというニュースを聞きました。技術立国である祖国を象徴するようなニュースですが、もしロボットが人間と同等の人工知能を持ったら、SF映画のようにロボットは創造主である人間を滅ぼすのではないのでしょうか? さて皆様にお知らせがあります。今月1月31をもって私のブログ「Naoya、フランスでブラス!!」を終了いたします。新たなる物語を始めるためです。次回より「一つの終わり、一つの始まり」編を綴ります。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
January 22, 2012
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何度か書きましたが、「アトリエ フィリップ・ロウ」では真鍮製、銅製、青銅製、錫製のオブジェを修理することもあります。「あのう、私は真鍮製の楽器のベルがついたクラクションを所有しているのですが、修理していただけませんでしょうか?」「クラクションなら修理したことがありますから私たちのアトリエへおこしください。状態を見たうえで見積もりをしましょう。」 昨年12月の中旬のある日の午前中に電話を受け取ったときには私の頭の中にはトランペットのベルの端にゴムのポンプが据え付けられたクラクションのイメージが浮かびました。実際一度そのクラクションの開口部を修理したことがありましたから。「パリのある楽器店に修理を申し込んだのですが、『これを修理できるのは私たちが知る限りメゾン・ラフィット町にあるアトリエだけです』と断られまして・・・。」「・・・。」その日の午後、電話してこられたお客様は赤い袋に入ったクラクションを持ってこられました。このクラクションは20世紀前半に自動車に取り付けられていたそうですが、そのお客様は20世紀初頭にイギリスで製造された自動車を購入し、欠けていたクラクションをわざわざインターネットで見つけてオーストラリアから購入したそうです。 さて購入したはいいものの凹み直しや壊れた接続部の交換するのに誰に頼めば良いのか見当がつかず、金管楽器の部品を組み合わせて作られた構造をしているこのクラクションをパリの楽器店に持ち込まれたそうです。そこは私たちが良く知るとあるパリの楽器店兼修理工房。修理に関しては私たちにとっては競争相手でもあります。その楽器店の修理工房の設備を把握している私にはこのお客様の依頼が断られた理由が理解されます。「ややこしい仕事はあそこにもっていってください。」と半ば厄介払いされたわけです。そのように他所で厄介払いされる楽器の大半が私たちのアトリエに持ち込まれるわけです。 さてそのお客様が依頼されたのは以下の内容。1. 破損した接続部分の交換。2. 目だった大きな凹み除去。3. シャワーのようなノズルの短縮。4. 開口部の蓋にある網目の交換。5. 仕上げのバフ掛け。その日の夜に見積もりを計算しメールでお客様に提出すると共に承諾を得たため仕事開始。複雑な構造のため様々な不確定要素を考慮したうえでのけっして安くない見積もりは通りました。時として楽器演奏者よりもその他の好事家の方のほうが予算と執念を持ち合わせておられます。「さあ、やるでー。」見積もりが通るか通らないか微妙なところであった、2011年最後の仕事。私はワクワクし指を鳴らしながら作業台に向かいました。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
January 5, 2012
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皆様新年明けましておめでとうございます。昨年も私のブログをごらんいただきありがとうございました。本年もご声援宜しくお願いいたします。2012年が皆様にとって良い年になることを心よりお祈りいたします。 さてヨーロッパではユーロ経済危機の真っ只中。そしてフランスでは5月には大統領選挙を控えており今年前半の話題はこの2点に集中するでしょう。そして個人的にですが私には大きな転換期が迫っています。今回の記事を書きながら次の曲を聴いておりました。Sir Edward Elgar - Pomp and Circumstance March No.1 Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
January 1, 2012
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もうすぐ2011年も終わろうとしていますが、私の中ではまだ新年を迎える気にはなれません。年内に済ませるべきであった行政上の手続きが年明けに持ち越されるからです。アトリエの大掃除も未完のまま。「欲しいものなんて簡単には手に入らない。」これが私の今年一年間の感想です。 昨年最後の記事に引き続き、私が最近知ることになった曲をここにご紹介いたします。Lord of the Rings ~ Arwen/Eowyn 映画「ロード・オブ・ザ・リング」に登場する二人のヒロインをモチーフにしたYouTubeの動画です。主人公であるフロドン・サッケを勇気づけるサム・ガムジーと、突撃を敢行するテオデーヌ王の演説が好きでDVDで何度も観たものです。 今年に起こった出来事の中ではやはり「3・11東日本沖巨大地震」のことを思うと胸が痛みます。改めて、亡くなられた方々へお悔やみ申し上げます。 それでは皆様良いお年を。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
December 31, 2011
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1ユーロコイン一枚の価値、長さ70cmほどのフランスパンが一本買えるかどうか。本日私は一枚の1ユーロコインであるものを買い取りました。もしそれが1万倍以上の価値があるとしても私はそれを買い取るために金策に走ったでしょう。 かつてニューヨークのマンハッタン島は1ドルで売却され、北米大陸の西端にあるアラスカ半島はロシア帝国か旧ソヴィエト連邦からかは忘れましたがはした金で売却されたといいます。私がコイン1枚で買い取ったものも後に価値が出るようにしたいものです。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
December 30, 2011
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「ノエル(フランス語でクリスマスのこと)のプレゼント選びって大変だよね。お金がかかるし。」「かと言って、呼ばれてるのに何も用意しないのは逆に失礼やろ。」ノエルのパーティーはフランスの場合は家族が集まってすごすことが多勢を占めます。そこに出席する人たちにプレゼントを用意するのが現代の慣わしです。リヨンに住んでいた友達に何度か呼ばれたときはシャンパンやチョコレートの詰め合わせを即席で用意しましたが、ここ数年来師のご家族の方々に呼ばれますので全員のプレゼントを用意するのも一苦労。ですが外国人である私を家族の一員のように扱ってくれる人たちに対する礼と思えば安いものですが、結構な出費です。 私たちがパーティーをしている傍ら、この日も働いている人たちのことを考えました。電車を運転する人、レストランを経営して料理を振舞う人、テレビやラジオを放送する人、路上生活を強いられるホームレスの人たちを受け入れる施設で働く人たちなどなど。本当は自分たちも家族と過ごしたいのかもしれないのに働いている人たちには頭が下がります。「自分が帰る場所があって、自分を待ってくれている人がいるって幸せなことでしょ?」 私の親友が言いました。家族とは最初のそして最後の味方であると思います。だから皆温かい家庭を築きたいと願うのでしょう。Facebookでは約一週間ほど前からクリスマスのお祝いの言葉が飛び交い、各々好きなクリスマスソングをアップロードしています。私が最も好きな曲はセリーヌ・ディオンの「So this is Christmas」。私が仕事中に聴いているポップスのラジオではワムウの「Last Christmas」が年中流れているのですが、少々しつこい気がします。「So this is Christmas」 フランスの歌謡曲界でこの曲に匹敵する曲が存在しないのは残念です。誰かフランス語ヴァージョンでリメイクしてくれませんかね? 私が今回の記事をアップロードしたときは午後10時。まだ日付けは12月25日。皆様に次の言葉を英語とフランス語で贈ります。「Merry Christmas!!」「Joyeux No?l!!」Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
December 26, 2011
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昨年の丁度今頃、私が所属しているパリの市民ブラスバンド「ラ・シレーヌ・ドゥ・パリ(パリのセイレーン)」よりバスドラムの修理の依頼が入りました。内容は破れた動物の皮のヘッドの交換。このバスドラムがアトリエに届けられたのは今年の夏期休暇直前。シェル(胴体)の大きさは直径およそ91cm。ティンパニを超える直径の打楽器のためのヘッド交換は初めてのことで、私たちに原料を供給してくれる業者の方に問い合わせてもこのような大型の打楽器のためのものは取り扱っておらず、別の業者を見つけるのに一苦労。 本来なら山羊の皮の方を好むのですが、原料が動物の皮であるため山羊からは大型のヘッドの材料は製造できず、使用したのは仔牛の皮。今回の仕事を終えてから、西洋諸国と祖国日本の打楽器の構造の違いを改めて考えさせられました。たとえば動物の皮を数多くの鋲を打って張る和太鼓の場合、皮が破れたときに交換するときはものすごく手間が掛かるのではないかと考えてしまいます。 この仕事が終了し、この大型のバスドラムは「ラ・シレーヌ・ドゥ・パリ(パリのセイレーン)」へと返っていきました。私は4年間在籍していたこの団体を今年の9月の新年度が始まるとともに退団。理由は仕事の責任がどんどん重くなりふたつの団体に継続的に参加することが不可能になったため。「Naoya,いつかシレーヌに戻ってきてくれるのかい?」先日私の脱退を惜しんだある一人のトランペット奏者から電話を受けました。オーケストラ全体のレベルも高く、指揮者ファブリスも良い選曲をしてくれて、多くのコンサートに参加しました。コンクールを含めた3度の演奏旅行も良い思い出になっています。ただ残念なのは団員の在籍期間が短く入れ替わりが激しいこと。僅か4年しか在籍していない私でさえも最も古参の団員の一人だったのです。 私がいたことが役に立っていたかどうかは判りませんが、いつかコンサート会場で再会することもあるでしょう。その日まで、さらばシレーヌ、また会う日まで。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
December 24, 2011
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2011年初夏、師に宛てられた真っ白い差出人不明の封筒が届きました。「差出人の名が書かれていない手紙は良くない知らせだ。」 封を開けると白い便箋には以下のような文章が。「親愛なる友人たちよ、私はみんなより一足先に旅立つ、チャオ(じゃあね)。」1996年、ハンマーによる打弦式ピアノの始祖であるピアノフォルテの修復家としてメートル・ダールに任命されたヨハネス・カルダス師の訃報を知らされました。その手紙の最後には差出人としてその奥様が。 去る11月28日、パリの中心部シャトレ演劇場小ホールにてヨハネス・カルダス師のための追悼コンサートが開かれました。師が修復されたピアノフォルテを演奏されたのは奥様であるロール・コラダンさん。師フィリップとわたしは「フランスの人間国宝メートル・ダールとその弟子たちの会」の代表として出席。 この日のプログラムは以下のとおりです。Concert Laure Colladant PianoforteWolfgang Amadeus MOZART- Fantaisie en Re min K 397Jan Ladislav DUSSEK Sonate op 39 n° 1 en Sol majeur- Allegro- Andatino ma moderato e con espressione/Allegro ma non troppo/Andantino/AllegroJoseph WOELFL Sonate op 28 n° 1 en sol majeur- Allegro- Andante- Allegro moltoFranz SCHUBERT Klavierst?cke n 2 現代の名工がその手で守った楽器を奥様がその手で演奏するとはとても素敵な関係であると思いました。ヨハネス・カルダス師について私に残っている記憶はただ一つ。2004年もしくは2005年に開かれたパリの展示会にて師の所有物として展示されていた、かつてモーツアルトが演奏旅行の旅に運んだといわれるピアノフォルテ。この日のプログラムの最後のシューベルトの作品は、ヨハネス・カルダス師とその奥様であるロール・コラダンさんお二人の人生をしのばせるような曲でした。Laure Colladant joue Woelfl au pianoforte小ホールの天井を見上げながら思いました。「自分の命が尽きても語り継がれていく仕事と楽器を残せるとは羨ましい。自分にもそんな仕事を残せるだろうか?」 1994年に設立されたフランスの人間国宝メートル・ダールという称号、現在その受賞者は100名を越える中、そのうちの幾名かの方がこの世を去られました。現代の名工の一人であるピアノフォルテ修復家、ヨハネス・カルダス師もまた星となられました。「演奏者の皆様へ、楽器を大切にしてくださいね。」私が世を去るときは間違いなくこの言葉を残すでしょう。そして身近に入るどなたかにヨハン・セバスチャン・バッハのある曲を流していただきたいものです。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
December 19, 2011
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「金管楽器製造に比べたら打楽器生存は子供の遊びみたいに簡単だろ?」(どこがやねん!)師に反論したくなります。ピストンヴァルヴやその他の変調機構を持たないナチュラル管の製造ですら数え上げれば100以上の注意事項があります。それに比べれば他所で製造されたパーツを組み合わせて作り上げるパーカッションは簡単かもしれませんが、前回申し上げたと同様に、問題点は私の経験数が絶対的に不足していること。注文の多いヘッドの製造のコツはつかめてきましたが、シェル製造のコツを完全につかむにはまだまだ修業が必要。しかもアルミニウム、真鍮、ステンレスと材質が異なると難易度が違ってきます。 このスネアドラムを発注したのはRobert Martin(ロベール・マルタン)。楽譜の販売で有名な同名の業者と同じ会社であるかは定かではありません。先日アトリエの資料を整理していると厚さ4cmに及ぶ同社からの依頼発注書の束が出てきました。職人の黄金時代は本当に合ったのですね。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
December 18, 2011
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1990年代までは売り上げの9割が楽器の製造、残りの一割が修理に夜物であったそうです。今ではその比率が完全に逆転し修理が9割、製造が一割という現状。言い換えれば修理の依頼があるため私たちのアトリエは存続を保っているという情況。しかし昨年度は金管楽器においては一本の注文もありませんでした。 修理においては師が求める精度や速度に達するに到りましたが、楽器製造の修業においては私が経験した絶対数はまだまだ足らず、製造速度の向上が次の課題となるでしょう。 写真の左はD管の狩猟用ホルン、右はE♭管野ナチュラルホルン。名称を区別する理由は、前者は現在でもフランスの伝統の音楽を伝えるためにその形と音楽が継承され、後者は後に替え管(クルーク)を備えて音調を変えられるようになった後でピストンから現在のヴァルヴロータリーが装備されるようになり現在は全く別の楽器になってしまったからです。後者も抜き差し間を備えてはいるもののその他の機能は搭載されておりません。それでもこの楽器の需要があるのはフランスという国が転調機能を持たない金管楽器で編成される楽団を数多く持つからです。ちなみにこのふたつの楽器のマウスピースの形は全く違います。 ふたつの楽器はある楽器店からの依頼のために製造したもの。製造用の材料が変質してあらたに注文し直し、予定以上の時間をかけてようやく発送。楽器製造のスピードを向上させるにはもっと多くの注文を受けなければなりません。絶対量をこなさないと体が動作を覚えないのです。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
December 9, 2011
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「今では職人たちのためにサロンが開催されるけど、1990年代の初頭はサロンなんて開かれなかった。職人たちはバラバラに分断され、みんな苦しんでいたわ。でも時代は少しずつ変わり、今私のアトリエでは何人もの人たちと共同作業を行えるようになった。」11月5日に私たちのブースを見学に来られた寄せ藁細工師のメートル・ダール、リゾン・ドゥ・コーヌさんは約20年前の状況を私に語ってくれました。彼女の職業を行う人はフランスでも10人いるかいないかという情況。それでも彼女は弟子であるヴァレリー・コラ・デ・フランさんを育て上げました。ひとつの技術の継承は達成されたわけです。 かつて1970年代のパリ11区には「職人の界隈」と呼ばれる区域があり、300名から400名の職人たちがアトリエを開いていたそうです。師はそこで父であるジャン・ロウ氏の下で15年の修業を行いました。その時代は毎月100本の楽器を製造し、ジャン・ロウ氏は田舎に小さな別荘を構えておられたとか。「あの頃は職人でも裕福になる夢を持てたものだよ。」昔を懐かしむ同氏の言葉を聞いたことがありました。その後楽器業界については湾岸戦争後に悪化、軍縮、そしてかつては小さな村にすらひとつは必ずあったというオーケストラの廃止により顧客層の縮小に見舞われたそうです。昨年度の一年間、「アトリエ フィリップ・ロウ」に関しては1本の金管楽器の注文もありませんでした。 時々職人技術養成学校の話を書きますが、分野によっては教育機関など存在せず後継者育成に苦労する分野も多数存在するそうです。金管楽器製造に関してはかつてリヨンに楽器製造技術養成機関が存在し、その名残からか「LYON」という刻印が刻まれた楽器を目にすることもあります。教育事業も供給先が衰退するとその存在価値をなくします。他の製造業同様楽器製造という分野も外国からの発注が増えておりますが、中には製造コストを削減した末に品質と評判を落とした企業もあります。そして信じられないほどの低価格の楽器を販売していたパリのある楽器店は昨年閉業。何が正しいのか判らない混迷の時代です。 フランスという国にも不思議な側面があります。大学卒業予定者の9割近くが公務員を目指す(フランスでは就労人口のうち20パーセントが公務員)なか、社会的地位としてはその対極にあるような職人分野を希望するような若者もけして少なくはない。共通点はどちらも職業希望者全員の受け皿が無いこと。特に前者は国家がその定数をどんどん削減する方向に向かっています。 職人分野は学業が苦手な人が消去法で選ぶもうひとつの選択肢ではありません。技術以外に一般教養も必要とされ、時には書類の処理に追われたり、現代ではインターネットも駆使する必要性があります。オフィスワークに就くのか手に職をつけるのかという選択についてはどちらが楽か私も断言できません。私が言えることはただひとつ、好きな分野の職業に就くこと。 展示会に参加するためにはその準備に追われたり期間中は収入が入らないなど下手をすれば赤字になりますが、もっとも効果的な営業は人に強烈な印象を与えることですので私たちもなるべく参加することにしています。100枚名刺を配っても反応があるのは数えるほど。見学に来られ多人たちが会場を後にしてから私たちの存在を覚えているかどうかなどは定かではありません。それでも私たちは集います。「私たちは存在する」と言い続けるために。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
December 4, 2011
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今回の展示会はパリの職人の登竜門でもある「エコール・ブール」との合同展示。現在私が入学したい機関のひとつ。ナポレオン3世の治世の頃に家具製造職人の学校として誕生し、後にフランスの人間国宝メートル・ダールとなる職人のうち何名かの方がこの学校を卒業していると言われればその名声とカリキュラムの質の高さは推し量れるでしょう。10以上を数えるコースがあるそうですが、入学試験には通常の義務教育の素養のほかにデッサン能力も問われるそうです。2年から3年のカリキュラムの後は職業適性証明CAPを取得しその後は伝統工芸技術免状BMAのための2年のカリキュラムが待っています。そしてその間最低年一回の外部での研修が義務付けられています。この「エコール・ブール」に夜間学校を設けてほしいと常々願っています。私が興味を抱いているのは金属加工技術のふたつの学科とその図書館に蓄積されている資料の閲覧。「アトリエ フィリップ・ロウ」も今まで数人の生徒を研修生として受け入れたのですからなんらかの協力関係を築きたいものです。 4日間の展示会期間中何人もの生徒から質問を受けましたが、皆私の説明を一生懸命に聞いてくれました。私が関心しているのはその意識の高さ。最低10年から15年の修業期間が必要であるということに誰もが納得しています。自分は将来何者かになるんだという強い思いを皆持っています。私も話をしていて気持ちが良い。 2009年に研修生として1ヶ月間「アトリエ フィリップ・ロウ」に通った赤毛の少年アルノー。185cmという長身と腕力に恵まれている彼の将来の志望は指輪やアクセサリーを創る彫金師。もっとも手先の器用さが問われ、そしてもっとも競争相手が多い分野。私が知る限り何名もの日本人女性がこの職に就いています。「お前、自分の体格を活かすことを考えないのか?お前ならもっと体力が必要な職業にも向いてるぞ。」「いえ、でも僕は彫金師になりたいんです。」私が知り合った片手で数えられるぐらいの数少ない無口なフランス人の一人である純朴な少年アルノー。全ての人に与えられているわけではない資質と本人の将来の志望が全く別であることが非常に残念です。「いつかお前がどこかで修業することになったら、猫背にならないよう働くときの姿勢に注意しろ。」頑固で寡黙、どの伝統工芸分野に就職しても成功する素質を秘めたこの少年、風の噂では後に彫金師養成のカリキュラムへ進級したとか。 続いて2010年6月に研修をした少年オクターヴ。これまた180cmの身長の持ち主。「うちで研修をしたいのならその邪魔な長い髪を切ってこい」という、師が出したたった一つの条件を受け入れ髪を短く切ってきました。前年のアルノーとは対称的によく喋る(本来この国ではこちらの方が正常)少年オクターヴに、「仕事に関する質問なら俺はいつでも受ける。だがお前はおしゃべりをするためにここにいるんじゃない。」と私は何度か注意したものでした。この少年の場合、その資質は素直さと稀に見る真面目さ。惜しむらくは彼がまだ自分の道をひとつに決められないこと。「早いうちにひとつの道を決めてそれを目指せ。そうすればお前はもっと強くなる。もし職人の道に嫌気がさしたときは別な道を考えろ。」その別な道を歩むには彼の性格は邪魔になるのですが、何十年か後に彼がその道に就いたときは私は惜しみない賞賛を贈りるでしょう。 来年の1月もしくは2月には「エコール・ブール」の一般公開が設けられるはずですから、私が担当した元研修生たちに会いに行きたいものです。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
December 4, 2011
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さて前回に続いて印象的であったもうひとつの例。むしろ久しぶりに目が点になった1日。「あのう、あなたはどのように唾を回収するんですか?」「は???」同じく11月4日の金曜日の朝、展示会場のブースでトランペットの修理を行っているとき初老のご婦人から質問を受けました。私の方から丁寧に質問をし、この方の質問の趣旨が楽器の掃除の仕方についての質問であることが解りました。普段一般の方たちに認識されていない職業を紹介する立場ですから何百回も似たような質問を受けることは慣れていますが、この瞬間私の目は点になった。私の後ろでガラス工芸のメートル・ダールの息子ステファンと共同で工房を経営するファビアンはその一部始終を聞いていた。 同じくその日の午後。「あのう、私の娘の進路について相談に乗っていただきたいのですが。」そのステファンとファビアンと共に展示会の話をしていると、また中年のあるご婦人が。「私の娘はもうすぐ15歳になります。できれば私は娘に手に職を持ってもらいたいと考えているのです。」子供をお持ちのご父兄のご心境を一応私は察しているつもりです。この方はどうやら娘さんのために職人分野の仕事の情報を探しに来られたご様子。そして話を続けるにあたりこの方のテンションはどんどん上昇。「絵画、彫刻、靴職人、家具職人、とにかく何だっていいんです。私の娘はきっととんでもないことをしでかすはずです!!」このご婦人が発した言葉は「どんなことでもする」という意味のフランス語。ただその言葉は多くの場合「とんでもないことをしでかす」と解釈されます。「マダム、とんでもないことをされてもそれでは娘さんのためにはなりません。まず娘さんがどのような職業に興味を持たれているかをじっくりとお聞きください。幸いにも私たちの隣では職人の道への登竜門であるエコール・ブールのブースがありますので、そちらで質問されてはいかがでしょうか。」矛先を逸らすようにその後婦人を隣のブースに誘導し振り返ると、羽飾り職人であるエミリーが自分のブースで必死に笑いを噛み殺していました。 何でもいいからという理由で伝統工芸分野に職を希望されても本人のためになりません。それではとにかく有名な大学に進学するという動機となんら違いはありませんから。 最後にその日の正午。自分のブースの周囲を監視していると、作業台の傍にいた一人の中年男性と一瞬目が合うとその口が開かれました。「あなた方は拷問道具でも作ってるんですか。」私はそれに答えることなく、ステファン、ファビアンと共に昼食を獲る順番の相談を始めました。ブラックユーモアの発祥地であるフランスで生活していても、この手の質問ににこやかに応対するユーモアセンスは私にはありません。これが師フィリップであったら「イライラするから消え失せろ!!」と怒鳴って力ずくで追い出しているでしょう。昨年のある展示会ではあまりにも態度の悪い見物客を警備員ではなくメートル・ダールの方の一人が文字通り力ずくで追い出しました。 ちなみにパーカッションのヘッドを製造する機械がアトリエにありますが、その前身は何人もの人の首を吹っ飛ばしたギロチンの骨組み。師が15年の修業を経て独立した後に買い取ったヘッド製造会社にその機械があったとか。その会社があった場所はパリの郊外の町の「ダントン通り」。拷問ところか人の命を奪える工具がたくさんあります。「30回以上展示会を経験したけど、今回ほど変な質問を受けたことはない。お前あの発言どう思う、ファビアン?」「そんな時はお前、その男の手を取って、ご自慢の95Kgの万力で挟んでやればよかったのさ。理解させるのに効果てきめんだろ?」けして実行しませんが人間の手は簡単に砕けるでしょう。その日の夜、同じブースを分かち合うみんなと羽飾り職人エミリーとその夫である若き建築家殿が住むアパートで夕食(主にお酒)。お酒が進むと話題は展示会で出会う変な人という点に移りました。「お前のブースは必ず何かが起こるから下手なコメディー映画より面白い。」ハリウッド映画が優勢のフランス映画業界ですが、人間の機微を描いたコメディーに関してはフランス映画の方が面白いことは確か。そしてこの社会では日常がコメディーのようなもの。「着飾ったオバちゃんたちが私のブースを遠巻きに取り囲んで、『まあ、羽飾り職人なんてまだいたのねえ。』なんて言ってるの。だから何だっていうの!!何も買わないくせに。」酒がまわってきたのか、エミリーは弾けだした。そして夫である若き建築家殿も日ごろのストレスを発散するために腹の立つクライアントの話を始めた。 翌日5日土曜日、部屋の片隅には空になった2本のワインと12本の750mlのビールの空き缶が並んでいました。展示を続けるステファンとファビアン、そしてこの日私は自分のブースをギター製造家のメートル・ダールであるジョエル・ラプランヌ師にブースを譲り監視役。3人とも開場時刻である10時には間に合いました。「イザベル、変な質問を受けませんでしたか?」「変な質問??」漆工芸家マリーに代わってその日展示会に参加しておられた彼女の師であるイザベルさんに私が受けた質問を説明。「そんなのは相手にしないで無視した方がいい。」後日師にこの話をすると同じ意見が返ってきました。フランスと日本の社会での大きな違いのひとつ、それはこの国では必ずしも「お客様は神様」ではないことです。後から気付いたのですが、4日間の展示会開催期間中アナウンスでは必ず「親愛なる見学者の皆様…」という前置きで始まっていましたが、最終日の閉会時のアナウンスからは「親愛なる」という言葉が消えていました。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
November 27, 2011
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去る11月上旬の展示会、ある意味今回ほど印象的だった展示会も過去にはありえませんでした。今回はその一例。「あのう、すみません。楽器について質問があるのですが。楽器って脆いものなのですか?」11月4日金曜日の午前中、見学中のある男性から質問を受けました。「私の子供がフルートを始めたのですが、ベッドの上に楽器を置いたまま寝転がり、誤って楽器が頭の下敷きになって歪んでしまいました。金属ってもっと頑丈ではないのですか?」 私は一呼吸おいて説明を始めました。「たとえば金管楽器という言葉から、金属とは固いというイメージを持たれるかもしれません。しかし金管楽器の材料として真鍮(イエローブラス)が選ばれた理由のひとつは加工が容易であるからです。そしてその利点は衝撃に弱いという欠点をも兼ねているのです。そして真鍮より強度がある金属で楽器を作ると今度は楽器が響きにくくなります。」これは楽器における金属学の初歩。「・・・、解りました。これからは子供には楽器の扱いに注意するように躾けます。」 この国でいったいどれだけの楽器が不注意による事故に遭い、そして修理代が高いという理由で廃棄されていくのかを考えると頭が痛くなります。楽器は、たとえソフトケースの中に収められていてその上に誰かが座っても(ベルが右に約15°~20°傾いていました)、子供たちがトロンボーンのスライドでチャンバラ遊びをしても(真っ二つに折れた状態で「アトリエ フィリップ・ロウ」に運び込まれました)、高さ1メートルにも満たないベッドの上から落ちても(製造国籍が記されていない、脆い楽器を製造する某メーカー)、怒りに任せて膝に打ち付けても(2011年度の「思い出に残った仕事 第1位」より)へこみひとつできないようには設計されておりません。そんな事態に対しても耐久力のある素材で楽器を製造するとより楽器の値段は高くなり、楽器を吹くという行為が拷問になってしまいます。演奏者の楽器に対する扱いまではメーカーの責任ではありませんのであしからず。ある架空の高校の吹奏学部を舞台にした小説「ブラバン」では中低音楽器が「空を舞い」ました。さて結果はいかに?【送料無料】ブラバン価格:620円(税込、送料別) 人間は金管楽器というとても矛盾した存在を生み出したと思います。楽器に息を吹き込めば楽器の内部で水滴となり、ほおっておくと金属を内部から腐敗させる。金属にとって致命的なのは水が起こす錆。 そして「吹奏楽」という言葉、文字どおり吹き込む息により楽器を奏でるという行為。管楽器を演奏する行為がもし「息を吸って」行われていたら、金属内に水分が原因で生じる「緑青」という有害物質を体内に吸い込んで大多数の人が命を落としているでしょう。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
November 26, 2011
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「この職業で一人前になるには最低限10年もしくは15年の修業期間が必要です。人によっては20年かかるでしょう。」何年くらいの修業が必要かとよく尋ねられるので師や私は上記のように答えます。「忍耐が必要なんですね。」そして驚嘆と共に必ず返ってくる言葉です。この国では忍耐という言葉は損することであり悪のよう。3・11東日本沖巨大地震の後、暴動ひとつ起こさず被災者の方たちがきちんと整列して順番を守ってボランティア団体からの食料配布を受けている様子が世界に報道され、その姿をもっとも驚異的に感じ取ったのはフランス人たちだったそうです。私にはその理由が推測できます。まずこの国で震度1の微震すら滅多に起こらないこと。そして誰でも自分が考えていることを述べていい社会であり、そして自分の感情を口にせずにはいられない国民性。最後に自分たちをエピキュリアン(快楽主義者)と称していること。良くも悪くもラテン系の民族は自分に正直な民族であると思います。皮肉にもフランスはヨーロッパ圏内ではもっとも精神科医の数が多く、もっとも精神安定剤を消費する国。「忍耐は最大の避難所」という言葉を残したのは彼らの祖先であるガリア人を統治したローマ人たちなのですが。 フランス人である師フィリップと日本人の弟子である私。「お前の忍耐にだけは感服するよ。」と言われたことがありましたが、個人的には師の方が忍耐力があると思います。何の職業経験も無く言葉も不自由であった私を10年もの間養成したのですから。この国の人たちも我慢をしないわけではありません。ただ我慢をする前に不平不満を全部口にしてからですが。「必要なのは情熱であり目標です。それが必要な忍耐を養うのですから。」私たちはこのように返答します。忍耐は必要条件ですがそれは人生の主題ではありません。夢も希望も未来もない世界で我慢するためだけに生きようとは誰も思わないはずです。私も好きでも何でもないものを嫌々行う忍耐力はありません。 残念ながらこの国では「楽で楽しそうなもの」を求める風潮がはびこっていますが、それは幻想です。楽して手に入るものは達成感を伴いません。労働時間35時間だけで手に入る職業的成功も、食事制限も運動もせず一切の労力も金銭も払わずに成功するダイエットも存在しないことを認識してほしいものです。 今回の主題とは全く関係ありませんが、この国で見習うべき点はふたつあると思います。ひとつは政府の政策に不満があるときは抗議デモを頻繁に行って訴える事。もうひとつは家族関係を大切にすることです。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
November 25, 2011
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「国際文化遺産のサロン」と銘打つだけあって、展示者側もフランス人に限らず僅かながら外国の方も参加していました。そして見学者の方たちも同様です。「皆さんの中で、自分たちの職業を英語で説明できる方はいらっしゃいますか?」11月4日金曜日の午前中、主催者側の方がアメリカからの見学者を引率してこられ、「フランスの人間国宝メートル・ダールとその弟子たちの会」の共同ブースの前で私たちに質問されました。世界中から旅行者もしくは移民たちが集まる国の一つであるフランス、フランス人が英語を話すことは苦手でもその必要性が問われることがあります。私は練習のために名乗りを挙げました。 幸いにも日本での金管楽器用語は英語が多く用いられているため楽器用語を話すのに苦労はしませんが、私が気をつけたのは「弟子」という言葉の解釈。私たちは「弟子」という言葉をあらわすのにフランス語で「Eleve(エレーヴ)」と言いますが、フランス語では広く「学生」と訳され英語では「Student」と解釈されてしまいます。もっとも相応しい言葉は「Disciple(ディシプル)」で英語でも「Disciple(ディサイプル)」という言葉が存在するため英語圏の人たちにも通用します。ちなみに師という言葉は「Maitre(メートル)」、英語では「Master(マスター)」となります。ちなみに日本からつたわり「メートル・ダール」の称号を創るきっかけとなった言葉である人間国宝の称号はこちらでは「Living national Tresures」と訳されていますが、そのアメリカからの見学者の方たちには通じませんでした。解釈が間違っているのか、それともその役目を私が正しく説明できなかったからなのか? 外国語を話すときに必要なのは相手が理解できるニュアンスで話すことであり。必ずしも文法的に正しく話すことではありません。私は通訳家でも翻訳家でもありませんがそのい点だけは言えます。「いったい何語で話したらこいつらは理解できるんだ?」パリであるホームレスが地下鉄に乗り、車両の中で十分の窮状を訴え施しを願っても誰一人として耳を貸さず、その捨て台詞を吐いて出て行きました。これはパリやその周辺の電車では日常茶飯事。言葉というのは不思議です。何を言っても伝わらなければ母国語であろうと外国語であろうと全く意味を成しません。外国人である私に求められているのはフランス人と互角以上にフランス語を話すことではなく、それ以外のもの。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
November 20, 2011
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11月2日正午、パリのルーヴル美術館の地下入り口の脇にある展示会場「カルーゼル・ドゥ・ルーヴル」に師フィリップと共に展示会用の工具を持ち込み、ブース設置を行いました。事前に展示会場側の担当者との折衝は私が進め、この日師の自家用車に積み込める範囲の工具および楽器を持ち寄り、翌日から4日間開催される展示会のために師と共に現地に到着。 例によってまずは60Kgの作業台の配置を決め、そして95Kgの万力を据え付けます。「ハンマーなどの工具類は作業台の横に釘で固定しろ。」「ウイ。」黙々と師の指示どおりに工具の配置を行う私。「その他の工具は?」「ベル加工用の工具は台の上に配置しろ。あとは工具箱の中にしまっておけ。4日間の展示会の最中はあまり散らかさないように必要なもの以外は用意されたロッカールームにしまっておけ。」 このとき私の脳裏によぎっていた思いは、今回の展示会が師と共に行う最後の展示会であるかも知れないということでした。途中師が関係者各位との会話に熱中しながらも、この日師は私たちのブースの展示の準備を終えることを最優先に考えていたようでした。師の心境が私と同じであったかどうかはわかりません。私が抱いていた一抹の寂しさは別にして、僅か2時間で準備は終了。「フランスの人間国宝メートル・ダールとその弟子たちの会」の一員として参加する展示会「国際文化遺産のサロン」の開幕とあいなりました。 時に今回の記事を書いている11月19日は「ボジョレー・ヌーヴォー」の解禁日、そして師の62回目の誕生日です。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
November 20, 2011
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去る8月に帰国中、一冊の小説が目に留まり思わず購入してしまいました。『ブラバン』津原泰水著 新潮文 590円(税別)【送料無料】ブラバン価格:620円(税込、送料別) 近年、音楽という本来言葉にできないものをどのように文章で表現するかというテーマに大変興味を抱いております。そんな中見つけたのがこの一冊。 主人公は1980年大初頭の日本の架空の高校のブラスバンド部に所属する青少年。その主人公が初めて手にする楽器である弦バス(コントラバス)を苦労して弾く様子を上手く描写しています。物語はそれから25年後に当時のメンバーの一人の結婚式での演奏のために再結成という話が持ち上がり現在と過去、青少年と大人の心境が交錯します。 この書籍を購入してからフランスに戻り読み終えました。作品中、ある楽器が「宙を舞い」ました。それはある低音楽器。そして学園祭のために主人公が所属するブラスバンドの弦バスは改造されるはめに。フィクションの世界ならともかくノンフィクションの世界でこのような出来事が起こらないことを願います。 個人的にはブラスバンド、そして楽器との出会いで私の人生は変わりました。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
November 11, 2011
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フランスのリヨンに在住している私の友人宮本千安紀さんが始めて出版された書籍「恋してフランス~絵本と旅とリヨンの暮らし~」を以下にご紹介いたします。【送料無料選択可!】恋してフランス 絵本と旅とリヨンの暮らし (単行本・ムック) / 宮本千安紀/著価格:1,785円(税込、送料別)フランス・リヨンで活躍する絵本作家・宮本千安紀さんのフランス生活をかわいいイラストと文章で構成した1冊。大阪でデザイン会社に勤務していた千安紀さんが再びイラストを学びにフランスに渡ったのは25歳の時。リヨンの美術学校を卒業し、フランスで絵本作家として活動することに。本著はフランスで絵本作家としてデビューする大変さや、リヨンの生活をかわいいイラスト(一部写真)と文章で綴った1冊です。フランスでデビューするまでの苦労話やアトリエのこと、モントルイユでの初めてのサイン会など、宮本さんがどのようにしてフランスで認められたかを、イラストを多用して紹介しています。フランス全土で開催している子供たちに絵を教えるワークショップで訪れた地方の紹介も。ローヌアルプ地方、ブルターニュ地方、ノルマンディ地方、プロヴァンス地方、ロワール地方オーベルニュリムー地方、ピレーネ地方、ピカルディー地方、パリ。リヨン生活12年の著者が、リヨンで暮らす楽しみを、「歩く・買う・食べる」に分けて魅力いっぱいに紹介。フランスで絵本作家、イラストレーターとして活動の夢を描いている方、フランス大好きのあなたにぜひ読んでいただきたい1冊。 友だちの間では「紅茶サロン」と呼ばれるような甘い雰囲気で連載されるブログを元に編集された書籍。これからも宮本千安紀さんの御活躍を期待します。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
November 10, 2011
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10月10日、シャルトル展示開催期間の最後の日、午後4時、私たちの共同ブースの脇ではフランス・ロシア共同のコーラス団体による30分間のコンサートが行われました。人間は楽器を持たなくとも歌が歌える、鼻歌すら音楽になりうる、人間そのものが最高の楽器ですらありえます。このときだけはご来場のお客様がこのコーラス隊に注目するように仕事の手を止めて私もコーラスに聴き入っていました。「展示会はお祭り騒ぎみたいなもんだよ。」シャルトル展示会ではいつも調停役を務めるステファンが展示会をお祭りと形容しました。「それで俺たちはサーカスの出し物の一つのようなものさ。」この展示会から約一ヵ月後の現在、パリでほとんど同じメンバーと共に展示会を行っているのですが、つい先日出展者側の心境を語りました。 何か面白いものが見れるかもしれないというお客様の期待に応えなければなりません。そして私たちは観衆を楽しませ、そして私たちの会の存在を覚えてもらわなければいけないのです。それにしても「サーカス」とは言いえて妙だなと思いました。私たち「フランスの人間国宝メートル・ダールとその弟子たちの会」には観客に飛びかかっていきかねない「猛獣」のような性格の持ち主が少なからずいます。 午後5時から少しずつ片付けを開始。展示会の終了時はいつもある種の寂しさを感じざるをえません。撤去作業は非常にあわただしく同じ時間を共有した仲間とはまた離れ離れとなる瞬間ですから。 午後7時、主催者側が用意した大型トラックに全ての荷物が搬入されるのを確認し、展示会場を後にしようと振り返ると、おそらく20歳前の年齢の女の子が二人、私の後ろに立っており、私に話しかけてきました。「君たちは確かこの地方の伝統工芸技術養成学校の・・・。」「はい、タペストリー製作科と家具製作科に在籍してます。」この4日間の展示会中、私たちの隣のブースで展示会の名を冠したTシャツを着て学校の紹介をしている10代後半の男女を何度も目にしていましたので、そのうちの二人と数分間お互いの職業を話しました。「私、あなたのブースを4日間ずっと見てました。あの、とてもカッコよかったです。」家具製作科に在籍している女の子から予期せぬ褒め言葉を頂きました。裏方役に徹するような仕事に就いている私の人生においてそれはもっとも縁遠い言葉のはずでした。「私たちはC.A.P(職業適性免状)を取得し、現在はその上の位である高等技術免状取得のために勉強中です。来年もこの展示会に参加します。だから来年も来てくれますか?」「いいよ、約束しよう。シャルトルの展示会は面白いからね。」「じゃあ、来年また会えますね。」その二人から靴紐で編んだ編み物を頂きました。約束の証として大事にとってきましょう。どうやらファンを作ってしまったようです。「じゃあ、また来年。」その二人の女の子は引率の先生に率いられて帰って行きました。 若者たちの無気力感が時々批判されますが、私は必ずしも全ての青少年たちがそうではないことを知っています。難しい分野の仕事に果敢に挑む人たちががっかりしない社会を作るのは大人たちの役目のはずです。 午後8時50分、ローカル線の電車に乗りパリへの帰途に着きました。「職人とは技術の伝承。リレーのバトンを渡す役目のようなもの。」展示会の熱が覚めやらぬ私の脳裏によぎったのはある人の言葉。 午後10時半、帰宅。師と奥様の愛犬ディラン君がガラスの扉越しに私の帰宅を待っていました。「ただいま、ディラン。」師が今回の展示会の開催期間中不在であった理由はふたつ。ひとつめは今回の展示会が弟子たちが中心であったこと、ふたつめは師が奥様と共にヴァカンスで旅行に出かけていたからです。私は野不在中は御息女ティファニーが留守番を務めてくれました。翌日師と奥様が帰宅。私は16日間非常に静かな時間を過ごしたのでした。「シャルトル展示会編」終了。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
November 4, 2011
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「兄ちゃん、あんたいい万力持ってるねえ。」「いいでしょう。もう誰も作りませんよ、この万力。」地方の展示会に出展すると、ご年配の職人の方からこのような褒め言葉をもらいます。職人の分野に携わる方々には「アトリエ フィリップ・ロウ」は宝の山に見えるかもしれません。職人分野が衰退すると工具や材料を供給している卸業者もつぶれてしまい、上質の材料や工具を入手することが困難になります。 95kgの万力を60kgの作業台に据え付けるわけですが、アトリエには重さ10kg~20kgの鋼鉄製の工具が数多く存在し、それらを扱いこなすにはこの頑丈な万力と作業台が必要で、またそれらが無いと良い仕事ができないのです。「あの、少しお時間いただけますか?」 10月10日の午前中、他の職人の方との会話が終わるのを見計らって、眼鏡をかけたおそらく私より一回り年上の方が話しかけてこられました。「隣のブースでこの地方での職人技術専門学校の紹介をしている者です。」展示者であることを証明するカードを首から下げたその講師の方と職業訓練の話になりました。「楽器の修理もしくは製造の技術をどこで習得されたのですか?」「2001年にル・マンにある楽器分野の職業技術養成機関に入り、卒業単位必須課程のための企業研修で現在の私の師と出会いました。」「現在、楽器業界の景気はいかがですか?」「芳しくはありません。毎年何人もの人が私が卒業した学校の職業適性免状(C.A.P)を取得して卒業しても、職場が無いという状況です。完全に需要と供給がアンバランスを起こしています。」 実際何人もの人が手紙もしくはメールで履歴書を送ってきますが、現在それら全てを断っている状況です。もし私が彼らの立場で運良く「アトリエ フィリップ・ロウ」に入ったら、修理の技術だけを身につけて何年か後に出て行くでしょう。「お前の競争相手を自ら作るようなまねはするな。」という師の警告を元に全ての就職希望者をお断りしています。現実問題として私たちには他の誰かを雇う余裕はありません。もっとも、インターネットで簡単に私の立場と役目を知ることができるにもかかわらず私にとって代わろうという意思の持ち主は未だに現れておりませんが。「では、あなた方の学校の卒業生たちの就職状況はいかがですか?」「遺憾ながら全く同じ状況であると言わざるをえません。」私たち「フランスの人間国宝メートル・ダールとその弟子たちの会」が設置したブースの隣には、家具製造、フラワーアーティスト、靴修理工、服飾などこの国の主だった職人分野の技術を習う学生たちが各々の分野のブースで作業を行っています。ちなみに一昨年より参加しているこのシャルトルの展示会では美容師を希望する研修生たちによるヘアカットのコンクールが開催されます。「芸術と文化の国」フランスの内面は隣国ドイツに負けず劣らず「職人の国」、そして日本に負けず劣らず「学歴社会」の国。「食べていけるように手に職をつける」、ご父兄の方々もしくは本人の希望によりその分野に進みますが、卒業後その全員に就職先が約束されているわけではありません。そして、後から次々と自分たちの競争相手になる人たちが生み出されるのです。そして職人の世界は手で行う仕事だけではなく机に向かって行う学業とも無縁ではありません。「物が作られては捨てられていく消費社会。私たちの社会はかつてあった大切なものを忘れ去ってしまったのかもしれません。」その専門学校の講師の方が私のブースの元を去る前に残された言葉です。 先日お話したとおり、20世紀前半に作られた家具はとても頑丈で向こう何世代にも渡って使用されるでしょう。ところが現在フランスでは某外国企業の破格の家具が市場を占めている状況です。品質よりも安さ重視という市場となってしまったフランス。高いものにも安いものにもそれなりの理由があるということはなかなか理解されません。 職人の分野に従事する人が幸せになるためには各々の技術向上や独自性の追及はもちろんのこと、周囲の方々のご理解も必要です。学歴以外の分野の振興を保たなければ、この国でその他の才能の持ち主が葬り去られてしまいます。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
November 2, 2011
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シャルトルの展示会に参加して今年で3回目。過去2回の参加でどのような方が見学されてどのような質問を受けるのか熟知したつもりでした。そして今回私が待っていたのは13~15歳の中学生の団体。彼らが私に投げかけてくるはずの質問を予想しその回答を用意していたのでした。「あのう、質問に答えていただけますか?」 土曜日の午前中、社会見学の一環としてやってきたような二人組の男子中学生が私のブースの前で立ち止まりました。手には白紙のアンケート用紙に自分たちが手書きで書いた質問要項を持って。「あなたは自分の職業が好きですか?」 職業の名前などから始まったありきたりの質問から始まって、今までのパターンには無かった質問を受けたことに私の方が意表を突かれました。「19歳の時に楽器を始めて、それから楽器の分野の職業に就きたいとずっと思っていた。だから好きだね。」「特に難しい仕事って、何ですか?」「簡単な仕事なんて何一つないというのが本音。トランペットの修理だろうとテューバの修理だろうと、もちろんその他の楽器であろうと突き詰めれば難しいことには変わらない。」先日は2本のフルートの修理に苦戦してしまいました。「この職業の現状はどうですか?」「景気が悪くなると芸術や伝統工芸の分野は真っ先に影響を受ける。だれでもまず食べなきゃいけないから。そして近年格安の楽器が売られていて、それらを買った人は一見得をしているように思うかもしれないけど、すぐ壊れる脆い楽器を買わされて結局損をしている。製造された国すら記されていない楽器は買う前にまず疑ってくださいといつも言ってるんだけど。」二人の中学生は一生懸命ノートをとっていました。彼らが書き終わるのを待って、「一番嬉しいときは、自分がした仕事に対してお客様が喜んでくれることが一番嬉しいな。」 彼らの質問に対してもしかすれば全く関係ないことを私は付け加えたかもしれません。小学生でも夏休みのヴァカンスの後の新学期にはクラスメイトの前で夏休みにしたことを発表するという機会が設けられるというお国柄。彼らが見学したことはきっとクラスで発表される機会を得るでしょう。私が伝えたいことは将来しっかりと考えて職業を選んでもらいたいということです。「我慢が必要なんですね。」かつて2年前にある少年はこの展示会で私に予め用意された質問を読んで、収入に関する質問に私が回答した後その言葉を言って去って行きました。「この職業は収入が少ない。」という発言をこの少年の発表で聞いた後、彼のクラスメイトはどのように感じたのでしょう。そして彼らの担任の先生はその後どのように職業の説明をするのだろうかとずっと疑問に思っていました。そのような質問が来た時の回答を用意していたのですが、幸い今回はその回答の必要はありませんでした。「ありがとうございました。」 その二人の少年は私のブースから去って行きました。彼らもあと数年のうちに大学入学資格のための試験を受けるか、もしくは技術分野の専門教育機関に入るでしょう。今回の展示会で見聞きしたことが将来職業選択の理由を見つけるのに役に立つことを願うばかりです。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
October 31, 2011
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「師匠の性格に振り回される弟子の立場も大変だよな?」 昨年の冬、新種楽器製造者のメートル・ダールであるジョルジュ・アローロ師の弟子ゴントランは冗談とも愚痴ともつかない言葉を私に言いました。たしかに大変です。ですが正直なところ、彼の師に師事しなくて好運だったと私は個人的に思っています。その頭脳から生み出される楽器は常軌を逸したものばかりですから。 怒鳴り文句を書き綴るだけで一冊の本になるほど怒鳴られている(先日も怒鳴られたばかりです)私ですが、仕事以外では一人の人間として扱われているつもりです。なぜ10年近くの厳しい修業に耐えてこれたのか理由を挙げれば、この職業を続けたいこと、自分には叶えるべき夢があること、そしてやはり師の言うことが正しいと思えるからです。 そして、自分が身を置く環境が大変恵まれていることを改めて知ることになったからでもあります。師弟関係、最低限二人の人間が形成する関係、もちろんうまくいかなかった例もあります。 展示会開催中のある日のレストランでの弟子たちとの夕食。前菜、メインディッシュを食べた後で飲んだワインがまわってきたのか、食後のデザートが運ばれてくるまで私は外へ涼みに行きました。ワインの平均アルコール濃度は12~13パーセントと強いものです。「Naoya、大丈夫?」「大丈夫だ。フランスのワインは美味しいけど少し強い。」少し後になって展示者の一人であるエミリーも外に出てきました。「いつも言ってることだけど、俺の道のりは好奇心と偶然のなせる業だと思ってる。フィリップの後継者になるべき弟子が辞めて、研修生であった俺に白羽の矢が立った。」私たちが集まるといつも互いの道のりや職業の話になります。師と私の出会いについては師がいつも周囲に語っていますが、今回師がいない場で周囲は私の心境を聞きたかったようです。別に何一つ隠すことはありませんが。「でもNaoya、偶然とはいえあなたはそこにいた。そしてフィリップの下で修業を続けて今のあなたがいる。」私の周囲にはアーティストの友達がたくさんいますが、どうも運命論者が多いのが特徴です。 さて今度はそのエミリーの身の上の話。「エミリー、今の君は幸せかい?」「うん、幸せよ。吹っ切れたわ。」師より聞かされたのですが、彼女の場合は自分の師との関係がうまくいかず結局師事していた人の下を去ることになりました。辛い目にもあったとか。彼女が選んだ道は、アーティストとして独立して羽飾りの創作を続けること。「私は新しいページをめくるの。」フランス人が過去を捨てて新しい道を歩むとき、「ページをめくる」という表現を使います。その言葉を唱えたエミリーはみんないるテーブルへと戻り、私もその後に続きました。そこにはデザートが待っていました。 彼女がめくる真っ白なページに共に新たな物語を綴る相手は、夫である一人の若き建築家。 よく髪型と表情が変わるエミリー、その性格に悩まされたことが一度ありました。 昨年の12月上旬、パリの展示会に参加する人たちのために師はアトリエのスペースを提供し、展示台のペンキを塗り替えることになりました。出展しない私は裏方役。そして皆の昼食を調達することに。「私はサンドイッチが食べたい。Naoya、サラミソーセージとピクルスがはいって、バターがたっぷり塗ってあるのがいいな。」他の人はピザということで一致した中、私は特注のサンドイッチを作るパン屋さんを探すことになりました。毎日共に暮らす若き建築家殿の苦労が伺えます。 さてそのエミリーが最も行きたい国は私の故郷日本。ヨーロッパとは全く違う文化圏である国を見てみたいそうです。ちなみにマリーは一度日本に行ったことがあるそうですが、コンビニにでもどこにでも売っているあるものが買えなかったとか。個人的にはいつも共に展示会をする仲間たちと共に日本に行く機会を望んでいます。その時にはそのあるものの買い方を教えましょう。 さて私もある物語のページが止まったままになっています。また再開しましょう。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
October 30, 2011
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さて4日間の展示会に参加していたフランスの人間国宝メートル・ダールの弟子たちを紹介いたします。 ガラス工芸ミッシェル・プティ師の息子にて弟子でもあるステファン・プティ(写真右)。展示会の開催地であるシャルトル出身で主催者側との連絡役を務める。そして私たちの会の役員の一人。その友人ファビアン(写真左)。かつてステファンやその友人たちとともに私のコンサートを聴きにきてくれたあとでなかなか鋭い批評をした時には「なかなかの切れ者」と評したものの、今回の展示会開催中の雑談では時々よっぱらった時のような冗談を私に投げかけた。「Naoya、ほおっておけ。こいつはいつもこんな感じだ。」私たちの会の男連中は皆酒好き。フランスはワインをはじめシャンパン、コニャック、ブランデー、その他食前酒、食後酒がたくさん生産される国。ステファン・プティの作品。現在ある教会のステンドグラスを修復中。 漆工芸家イザベル・エムリックさんの弟子マリー・ドゥ・ラ・ルーシエール。書き忘れました昨年のメートル・ダールの称号授賞式ではイザベル・エムリックさんの夫であるジャン・ピエール・バッケール師が選ばれ、史上初のメートル・ダールの夫婦が誕生しました。 羽飾り工芸家ネリー・ソーミエさんの弟子、エミリー・ムータール・マルタン。昨年よりシャルトルの展示会に参加して前述のマリーとは仲良し。 マリーとエミリーの作品。 彫刻家ミッシェル・ロレンズィ師の弟子、マリー・アニック・ブルッソンさん。2006年のパリの展示会で私は知り合いました。彫刻技術の一つである鋳型を使っての動物を模した作品は子供たちに受けていました。 金糸織工芸家シルヴィー・デシャンさんの弟子、マルレーンヌ・ルーアーさん。彼女の師であるシルヴィー・デシャンさんは昨年40歳にしてメートル・ダールの称号を受賞された最年少の方です。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
October 29, 2011
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今回のシャルトルの展示会に招待されたのはフランスの人間国宝の弟子6名のみ。開催の日にあたって私たち「フランスの人間国宝メートル・ダールとその弟子たちの会」の役員の一人であるジョルジュ・アローロ師が関係者各位の接待のために来られ、そして作品展示のために来られた方以外はその6名での合同スタンドを担当することとなりました。「Naoya,今回の展示会は師匠たち抜きで弟子たちが呼ばれたわけだが、フィリップ(私の師)抜きで独りで展示会に参加する気分はどうだい?」「不気味なほど静かな時間をすごしてるよ。」師フィリップに弟子入りして以来およそ30回近くの展示会に参加しましたが、今回を含め師が不在であったことはたった3回。一度は師が病気であったことと、ガラスケースの中に楽器を展示してその前で立っているというパリの展示会のみ。師が病気であったときは、「Naoya、お前独りなのか?フィリップは大丈夫なのか?」と周囲から大変心配されたものでした。師がいないのも気楽でいいのですが、休憩のために常にスタンドの監視役を誰かに頼まなければいけないので気を遣ったものです。持ち込んだ仕事を進めつつ、質問をしてくるお客様に応対しつつ、かつ展示した楽器の監視も怠ってはならず、独りで3つの役目を果たすのも大変でした。 初日の金曜日をのぞいては8時に展示会は終了し、昼食は交代で摂りましたがその後は皆が集まって夕食となりました。テーブルで大事なのは時として料理よりも会話というお国柄、会話の内容は今回の展示会の感想、各々の仕事、各々の師匠の話、そして世間話と話題が尽きることは無く、私にとっても楽しい席でした。私が知る限りフランスの人間国宝メートル・ダール野弟子たちの年齢層は男女とも20~50代、そして男女の比率は女性の方が多いそうです。この国では職人という分野は男女差別が無い分野のように思えます。 私にとって幸いなのは、誰一人として日本人である私の存在を批判しないことです。「フィリップの弟子ということなら、俺たちの同胞ということだな。」という感覚で皆私を受け入れてくれます。私もその好意に応えるためになるべく波風を立てないように努めています。皆が皆苦境に立ち向かうものですから理解しあうのが早いのです。「ところで今回初めてこの展示会に参加した女の子、それ相応の勉強や修業を積んでいるんだろうけど、それ以外はいたってごく普通の女の子のように思える。」私たちの会にいると、突出した個性の持ち主にたびたび出会います。そもそも自分は他人とは違うということを主張するこの国で無個性ということは存在しないことを意味します。その場にいなかったある一人の弟子の女の子に抱いた感想を私がポツリと漏らすと、「Naoya、わたしたちから言わせてもらえばあなたも普通じゃない。」一昨年に知り合って以来たびたび展示会でともに出展している一人の女の子から反論されました。「日本という何千キロメートル(正確には約一万キロメートル)離れた遠い国からやってきて、しかもあのフィリップの弟子を10年近く務めている人が普通の人だと思う?」良くも悪くも人間的で強烈な印象を与える師に弟子入りしていることはどうやら驚異的なようです。私は自分の職業以外の分野では全く無能な人間であると思っていますが。そして師との出会いは偶然の産物でしかないことも。「それも、本当に偶然だと思う?」またもや反論されてしまいました。偶然という以外考えられないことなのですが、もし神様が人の運命を決めるのなら、その神様はよほど私に試練を与えるのが大好きなようです。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
October 23, 2011
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「もしお前の手元に自由になる3000ユーロ(相場にもよりますが日本円にして30~45万円程度)があったら、楽器を買うかそれともヴァカンスで旅行に行くか、お前ならどっちを選ぶ?」「・・・」昨年の6月に研修に来た16歳の少年オクターヴに私は問いました。「俺だったらよろこんで上質のトロンボーンを一本買うよ。」その少年オクターヴが吹く楽器はフレンチホルン。3000ユーロ程度では良い楽器は手に入らないでしょう。楽器により値段の差もありますが、本来良い品質を誇る楽器というものは総じて高いものです。楽器という分野に従事していますからどうしてもこの分野を贔屓してしまいますが、一生一つの楽器を演奏し続けるならたとえどんな値段がつけられても楽器というものは高い買い物ではないと思います。 今年の5月、師の家の模様替えを手伝うことになりましたが、目にした家具はどれもこれも20世紀の前半に製造されたものばかりで、あと1世紀は使用可能でしょう。「古き良き物を大切にする」という精神は未だに健在であると思いました。師が頑丈なものを好む理由がわかるような気がします。この国のブランド中のブランドとして有名な「ルイ・ヴィトン」は本来手直しすれば何代にも渡って使用できる品質を保持していることが評価されて得た名声です。 今回の展示会で展示した楽器のなかで最も古いのは1900年のパリ万博展示用に製造されたクエノンのB♭管のテューバと19世紀初頭に発明されたとされるオフィクレイド。特に後者は好事家の目に留まれば50万円~100万円という値段で取引されます。これでも高くはありません。私に自由にできる100万円というお金があればオフィクレイドを一本買い取ってその奏法を習うでしょう。 さて今回の展示会の最中、自称楽器収集家を名乗る方が展示されているコルネットに目を付けて私にその値段を尋ねられました。「○○○○ユーロです。」「・・・??」私が提示した値段はおそらく法外な値段であったのでしょう、その方は私と交渉を続けることなくその場を去っていかれました。その値段があれば現在なら10本の新品のコルネットを購入できるかもしれません。しかしそのコルネットに刻まれている名は「F・BESSON(フレンチ・ベッソン)」、師が最も敬愛するかつて名を馳せたフランスのトランペットのメーカーの一つであることを私は知っています。現在、生産された国名を記されていない楽器がこの国の市場に出回っていますが、おそらくそれらの楽器が10年も使用されることはないでしょう。それらの楽器よりも100年以上生きている楽器のほうが価値があるのは当然です。これから楽器の演奏を始められる方は、まず楽器がどの国で製造されているかを留意すべきです。「安物買いの銭失い」という言葉を覚えておいてください。この国にはその言葉は存在しないからこそ、購入価格より修理代金の方が高くついて修理されずに捨てられる楽器が数多く存在するのですから。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
October 21, 2011
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シャルトルの展示会、開催者が私たちに求めているのは人目をひいて催し物の一つとして訪れた見物客の方々にこの展示会を覚えてもらうようにすること。私たち「フランスの人間国宝メートル・ダールとその弟子たちの会」の目的は私たちの存在を広く世の中に認知してもらうこと。両者の目的は一致するため一昨年以来この展示会に呼ばれています。 さて開催者側からは仕事の実演が求められていますので写真のように金管楽器のベル製造の最初の段階の実演を行ないます。なにも楽器製造の実演を見せなくても、仕事を進めるために持ち込んだトランペットを掃除しているだけでも同じく人だかりができたときには私のほうが驚かされました。家を掃除する必要性を理解していても、自動車にはメンテナンスが必要で自動車整備工の存在が必要だと理解していても、楽器にも同じく掃除や修理が必要だと人はなかなか思わないようです。 2007年に初めて眼鏡を注文したとき、眼鏡店の方からアンケートを求められ職業記入欄に「楽器製造」と記入したとき、「そんな職業がまだ存在するんですか?」と驚かれました。現在私たちが生きている社会はモノ作りから縁遠い社会になっていると痛感させられました。「あなたの仕事は、楽器を磨くことですか?」今回はこの質問が多かったものです。楽器をピカピカに光り輝くまで磨くバフ掛けという作業は楽器製造のための一作業にすぎません。それに次いで多い質問は何を使えば楽器がピカピカに輝くのかという質問が多いのですが、この質問は人に金を払わずに自分たちで何とかしたいという考えが見え隠れしていますので。「専門の機械がありますので。」と答えるようにしています。個人的には楽器の掃除やバフ掛けだけで生計が成り立つだけの依頼があってほしいのですが。 長い修業期間が必要で、しかも金銭的に豊かになれるかどうか定かではない職人という分野。各地でこのような展示会でも開催してくれなければその存在は忘れ去られてしまいます。また個人的な意見では自分たちでモノを作らない社会はつまらない社会だと思います。「みんなモノはひとりでに工場で生まれると思ってる。人は自分の手でモノを生み出せるのにね。」 友人の指輪彫金師の言葉はいつも私の頭の中に残っています。 フランスでは会社という形式を最初に創ったのは職人たちであるそうです。よくヨーロッパの社会を書いた書籍では職人は尊敬されている存在で社会的地位を得ていると書かれていますが、現実はとてもそうとはけして言えません。そしてそんな時代を危惧するからこそ、伝統工芸職人の代表である「フランスの人間国宝メートル・ダール」という称号が創設されたのです。 職人の社会的地位の復権というものを求めているわけではありませんが、モノをつくる商売がもう少し当たり前という段階にまで戻ってほしいと願います。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
October 17, 2011
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今年の1月メキシコ在住のフランス人女性に60年の禁固刑という判決が下り、実質的に終身刑に等しい判決が下された裁判はフランスとメキシコとの外交問題にまで発展。今年予定されていたはずの「メキシコの年」とフランスで予定されていた全てのメキシコ関係の催し物は中止となったはずでした。 しかし先週の7日の金曜日にはメキシコ人の職人たちが招待客としてブースを展示し、主にメキシコの民芸品を販売しているのでした。 赤道直下の国に住んでいるとカラフルな物を好むようになるのでしょうか?並べられていた商品には鮮やかな色をしたものが多数見られました。 そして今回の展示会開催中の4日間、民族衣装の帽子であるソンブレロをかぶり楽器を持った一団が4つの展示会場を回り、メキシコの音楽を披露するのでした。時々どこかのブースの前に止まっては歌と音楽を披露するこの一団、残念ながら私のブースの前で止まることはありませんでした。軽くてそして少し固い音がする二本のトランペットはどのメーカーのものか知りたかったのですが。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
October 15, 2011
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さて先週の金曜日に開催されたシャルトルの展示会。食品加工業者、建物内装業者、モード関係者、そして伝統工芸職人たちが集い、4日間で毎年平均約7万人の見物客が訪れるというこの地方では大きなイヴェントの一つ。今回は18回目の開催。主催者側も毎回一般の見学者の方々を飽きさせないように趣向を凝らすのに必死のようです。 8日土曜日の朝、自分のスタンドでトランペットの修理をおこなっていると、遠く離れたところからギターを奏でながら子供たちを連れた男性が私が設置した作業台の前で止まった。傍らにいた女性は歴史ある大聖堂のある街シャルトルでの催し物のために中世の女性の格好に扮していた。「みんな見てごらん。キラキラ光った楽器がありますよ。ボンジュール、ムッシュー。あなたはお仕事は何ですか?」「私の仕事は楽器の製造と修理です。」約数分間私は自分の説明をしました。「ところであなたのお名前は?」「私はNaoya MIYAKEと申します。」「Oh、ムッシューNaoya MIYAKE、その手はすばらしい楽器を創り出す、魔法の手を持つアーティスト!」 大げさに私の職業をギターで弾き語りながら、赤と青の服をまとった弾き語りの男性はハーメルンの笛吹き男のように少年少女を引き連れて他のスタンドへ消えていった。ちなみに私の手は普通の人間の手なのですが。ただ普通の人より親指が短いところを除いては。「親愛なるムッシューアーティスト、私のことを覚えていますか?」 週明けの月曜日、展示会の最終日に外で休憩しているとその眼鏡をかけた男性が私服で私のところに近づいて来ました。「展示者として楽しませてもらいました。私はシャルトルの展示会に参加するのは3回目なのですが、昨年はあなたのような弾き語りを見かけませんでしたよ。」「今年に始めたものです。子供たちに楽しんでもらおうと思って。」「そうですよね、私たち職人の仕事、普段目にしない職業を楽しみながら見学してもらいたいですね。」人を飽きさせないようにすることも難しい。来年この男性はシャルトルのマスコットキャラクターのぬいぐるみを着て(もし存在するなら)子供たちを連れて歩いているかもしれません。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
October 14, 2011
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10月6日午後2時半、シャルトルの展示会場に到着。一昨年より私たち「フランス人間国宝メートル・ダールと弟子たちの会」を招待し展示スペースを企画する若き女性担当者から参加者の配置の図面を受け取った。事前に聞かされていた配置と比べて少々変更があった。昨年はこの変更点に関して師が不満をもらして小約一時間もめたが、今回私はその点は気にせず配置を熟考。 約60m2の空間の一辺の中央に60kgの作業台を配置、そして95kgの万力を組み立てる。そしてその場で仕事をするためにアトリエより持ち寄った数々の工具を取り付ける。 続いて楽器の配置。空間と人の流れと視線を意識して配置を考えろと師から散々叩き込まれてきた教えを元に配置を考える。そして楽器に触れたがる人たちに対して監視の目が行き届くように遠くに置かないことも。背後の3枚の絵を観る人たちのための通路を確保し、人が楽器にぶつからないように考慮、作業台と壁の中間にバロックトランペットを配置、背後以外の3辺から人目をひきつけるように目立ち役であるオフィクレイドとテユーバをその脇に展示。そして周囲にフランス伝統楽器であるナチュラル管の楽器と修理済みの楽器を並べる。壁に吊り下げる予定であった狩猟用ホルンとトロンボーンは側面の壁の人の手の届かない高さへ。 配置した楽器たちを見ながらふと思った。名詞に男性型と女性型が存在するフランス語においてトランペットは女性型。線野細い王女とその家臣たちのよう。「さあ、4日間戦うわよ、あなたたち。」という声に、家臣たちがこたえるような声が聞こえそう。「新米ども、ぬかるなよ。」1900年にパリ万国博覧会に出展するために造られたテューバとそれより古いオフィクレイドは老練の将。「それで、私たちは主力とは別の遊撃隊というわけ?」「俺たちは側面で目立てばいいんだよ。アトリエのために。」 楽器の編成から言えば、B♭管6本、C管1本、D管2本、E♭管1本という構成。しかも金管ばかり。これで曲が演奏できるのかという疑問を抱いてしまいます。知り合いの若者たちが編成しているファンファーレバンドなら即興で陽気な音楽を奏でそうな気がします。 10月7日金曜日正午、第18回シャルトル展示会が開催いたしました。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
October 12, 2011
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10月6日午前11時半、パリのモンパルナス駅のローカル線の電車に私は駆け込んだ。11時33分に発車するはずであったその電車はその後30分後の正午に発車した。 パリ周辺地域であるイル・ドゥ・フランスを出ると見渡す限りの平原と点在する小村が見える。電車は森の中を分け入るように引かれた線路の上を進んだ。『ローマ人の物語』を記した歴史学者である塩野七生女史によれば紀元前ローマ人がフランスに入植した頃は見渡す限りに森が広がる地であったという。2000年以上の歳月をかけて人はこの地を開墾していったことになる。 土地の8割以上が平地で構成され、世界に輸出するほどの良質の地下水を有するフランスはヨーロッパ随一の農業国のはずですが、最近のフランスの農業は外国の輸出製品に押され芳しくない様子。もしこの国の農業が衰退すればこの国には広大で何の産業も生み出さない土地が広がることになる。 さて私が乗った電車は午後1時20分に大聖堂があることで有名な都市シャルトルへ到着。この地で開催される展示会に呼ばれ、18回目の開催に参加するためであった。「第18回シャルトル展示会」編、開始。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
October 11, 2011
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珍しい楽器が3本そろいましたので以下にその写真をアップロードいたします。 オフィクレイド 1817年にパリのアラリ(本名はジャン=イレール・アステ)が考案したもので1820年に特許を獲得。1916年のクエノン(キーノン、ケノンと呼ばれることがありますが、フランスでの正式名称はクエノン)のカタログにはこの楽器がまだ掲載されていた。9、10、11鍵式が主流。 以上、「金管楽器とその歴史」アンソニー・ベインズ=著 福井一=訳 音楽之友社発行より抜粋。 現在ではなかなか見られる光景ではありません。左から11鍵式B♭管(楽器コレクションをされているお客様が所有)、中央同じく11鍵式B♭管(師の友人でプロのトロンボーン奏者フランソワ・フェヴリエ氏が所有)、右は9鍵式(アトリエ フィリップ・ロウが所有)。残念ながら修復されていませんので楽器の調は不明のままです。ベルの開口部の真鍮が完全に腐敗しているため手が付けられない状態です。 3本並べてみるとなかなか壮観ですので思わず記念撮影をしてしまいました。 演奏するときはバッソンを構えるようにして持ち、金管楽器のようにマウスピースで演奏します。音もまたバッソンに近い音を奏でます。かつての低音楽器セルパンからの流れを汲み、現在のテューバ、サクソルン属の始祖となる金管低音楽器。ヴォーカル部分にはチューニングスライドが備えられています。「見たまえ、これは興味深いぞ。」左のオフィクレイドを修理した後、音程の確認のためにフランソワ・フェヴリエ氏にお越しいただき試奏をお願いしたところ氏は驚きの声をあげられました。「3つのキーの上にサックスのガードのような防護が施されている。製造年代が記されていないがおそらく19世紀終盤に製造された物だろう。私も初めて見た。」私たちが知る中で最も19世紀の楽器に詳しい氏は興味深々のご様子でした。氏はC管のオフィクレイドも所有され、パリ警察音楽隊を引退された後でも仲間と19世紀の楽器を用いた演奏をされています。 いつの日か、右のオフィクレイドを蘇生(この表現がぴったりなくらい破損しています)。した暁には氏に演奏法を伝授していただきたいとふと思いました。この時代の楽器の知識を継承していくのも、次代への役目の一つとなるでしょうから。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
October 3, 2011
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2000年当時、フランスで子供たちに音楽教育を施すために選ばれる楽器は第一位がピアノ、第2位がギター、そして第3位にフルートだったそうです。さてこちらフランスでは音楽教育のほとんどは国営もしくは市営の音楽学院コンセルヴァトワールが担当。授業が終わった放課後や土曜日に通うことができ、入学すると3つまで専攻する楽器を選ばせてくれるそうです(最後の3つ目の選択で好みに合う楽器に出会えなかったときはどうなるのかという話はまだ聞いた事がありません)。私の友人の中に、5歳でヴァイオリンを習いはじめ、その2年後にトロンボーンに転向した人がいます。職業柄、小さなお子様をお持ちのお客様からそのコンセルヴァトワールへの苦情を聞くことがあります。ソルフェージュばかりに偏った授業でその点数で生徒の優劣が決められるそうで、コンセルヴァトワールの授業が終わってお子様たちを迎えにいくと泣いて出てくるお子様が多いとか(特にフルートを習っているお子様のご父兄がこの苦情をおっしゃいます)。「そうは言っても不真面目な子供も多いよ。」市民ブラスバンド「アリアンス・ミュージカル・ドゥ・メゾンラフィット(メゾンラフィット町の音楽同盟)」の指揮者にしてメゾンラフィット町のコンセルヴァトワールのトランペット講師でもあるオリヴィエから講師側としての苦情を聞いたことがありました。「音楽とは『音が苦』ではない。楽しむことだ。」私が1993年に京都花園大学吹奏学部に入学したときの4回生正指揮者であった先輩の言葉を思い出します(お元気にしていらっしゃるのでしょうか?)。フランスは音楽活動をする環境が整っている国だとおもいますので、できればコンセルヴァトワール側のカリキュラムの改革を願うばかりです。楽しいはずのものが嫌いになって辞めてしまうのは音楽業界のためばかりではなく一人一人の人生にとっても大いなる損失です。 さて私が知る限りフランスでのブラスバンドの楽器で最も好まれるものと挙げれば、男の子に一番人気のあるのがトランペットとサックス。女の子はフルートとクラリネット(フルート奏者の9割は女性という国です)。たしかにトランペットとサックスはクラシックやジャズはおろかロックやポップスにも参加でき、しかも見栄えがします。その次に男の子に人気があるのがスネアドラム。そこからドラムを叩きたいからでしょう。 私の大学の吹奏学部の同期に初心者として入部した男の子はサックス志望でした。理由は「自分の好きな歌手の後ろで吹いていた楽器がかっこよかったからその楽器を吹きたい。」というものでした。「一番面白そうな部活に見えたから。」という理由で初心者として入部し、指揮者の意向で足りない楽器の人数を補充するためにトロンボーンにまわされた私よりも立派な理由だと思います。その数日後期せずしてトロンボーンには3人の同期が経験者として入部しました。それから2年後に私たちトロンボーンパートに入った後輩がトロンボーンを始めた理由は、「高校のときいじめっ子から無理やり一緒に入部させられた。」というものだったそうです。無理やりというわりには彼はHOLTON社の高価なトロンボーンを持っていました。時として吹奏学部に入部するのに、崇高な理由なんて要らないようです。日本の場合、学校の吹奏学部では初心者で入部したときは足りない楽器の補充に充てられるというケースが多いと思いますが、私は個人的にユーフォ二ウムを担当する人たちを尊敬しています。さて「アリアンス・ミュージカル・ドゥ・メゾンラフィット(メゾンラフィット町の音楽同盟)」に入団して以来今年で7年、2本のオーボエに加えてイングリッシュホルン、ユーフォ二ウム、テューバが一本ずつ加わったにもかかわらずクラリネットとサックスが減少という初めての事態に陥りました。編成的に人口が最も多いのはフルートとトランペット。初心者以外はどのようなレべルの人でも受け入れる私たちの市民バンド。初心者の人を足りないパートにまわすという状況はありえません。好まれる楽器の中で一番人気の楽器であるサックスにおいてアルトがテナーより少ないという状況です。ちなみにトランペットやフルートの人数は8から9本。クラリネットもほぼ同じ本数。吹奏楽をなさっている方ならこれがどのように偏っているかご理解いただけるでしょう。10月2日、午前10時40分、パリ市内および周辺を走る高速鉄道RERを使い凱旋門の地価にあるシャルル・ド・ゴール・エトワール駅に到着。地下鉄連絡通路を通り地下鉄駅構内へ出ると聴きなれた木管楽器の音が。長さの違う十数本の葦の管を並べたパーンフルート(ギリシャ神話にこの笛を吹く妖精が登場します)を吹く紳士が目に入りました。財布からコインを一枚取り出し、その紳士の前に置かれた箱の中へ。「ボンジュール、ムッシュー。あなたは確かテレビに登場したことがありましたね。」「私がテレビ番組のために撮影された?覚えがありませんな。どのような番組にですか?」「ある日本のテレビ番組のためにですよ。」 それは2008年の話。本日このパーンフルートを演奏する方に再会したとき、今回の記事の内容を思いつきました。今では南米の民族音楽のためだけに使用されるこの楽器。どのような理由でこの紳士がこの楽器を選んだ理由をいつか聞きたいと思います。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
October 3, 2011
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不思議なコンクールに参加するものだと思います。フランスの伝統工芸に関わる職種はおよそ200種類以上。さてパリのコンクールに参加するわけですが、参加した者のうち誰がグランプリ(フランス語のようです)に輝いてもおかしくありません。音楽や楽器などといった特定の分野なら戦略の立て方も違うのでしょうけど。 申し込み用紙を記入、出展するオブジェの写真もできる限り吟味して用意、郵便箱に投函。締め切りぎりぎりまで書類や写真のことを思いましたが現時点でこれ以上はできないと割り切ることにしました。「書類は投函された。あとは神のみぞ知る。」という気持ちです。 まず、書類選考は来る10月25日。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
September 30, 2011
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日々の仕事以外にも新年度が始まるこの時期には展示会の準備があったりします。10月と11月の上旬に2度の展示会出展。そして今年は伝統工芸職人のコンクールに私が初めて出展することになります。 職人の賞にも様々な種類がありますが、職歴3年以上の若者のためのコンクールがパリで催されますのでそちらに出展。ただいま書類と写真を準備中。他の人間国宝の弟子とぶつからない事を祈るのみです。「フランスの人間国宝メートル・ダール」は称号であり賞ではなく、フランスにおける伝統工芸職人の最高の賞といえば毎年授与される「最高の職人」と呼ばれる賞。メートル・ダールをはじめその弟子たちの中にもこの賞を獲得した人たちがたくさんいますが、私はまだまだそのレベルには及びません。それでも今回のコンクールを勝ち獲るためにただいま準備中。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
September 27, 2011
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4日前、メールにて何人かの友人からお祝いの言葉を頂きました。先日の9月22日は私の誕生日。日本からの何通かのメールの他、フランス人の友人から「otanjobi omedeto」という言葉を頂きました。お祝いの言葉をインターネットで翻訳したそうです。 お祝いの言葉を頂くのは嬉しいのですが、改めて月日が経つのは恐ろしいほど速いと感じたものです。自分はこのまま何も実現しないままこの世を去ってしまうのかという恐怖感が湧いてきます。 先月、大阪でプロとして演奏活動をされているトランペット奏者の方にある楽器を試奏を依頼し、その方はまだ専用ケースもなくダンボール箱に入っていた楽器を私が取り出すと2時間試奏してくださいました。独特な音がすると褒めていただきながらも、一つの欠点が見つかりました。「この楽器、正直言うといつ完成と言えるようになるのかわかりません。そしてこの楽器のために時間を費やすと、自分の夢はいつ実現するのかなと思うときがあるんです。」「いや、それでもあなたの夢は大切な物ですからぜひとも叶えてください。」私は自分の胸の内を晒してしまいました。自分で勝手に創りたいものを増やしていることもあるのは自業自得と言えるのですが。 ところで私のブログを応援してくださるある一人の女性の話を聞きました。その人はある時期自分が何をしていいのか分からなくなり、引きこもった時期があったそうです。それからアルバイトを始め、いまではある企業で働き、そしてかつて吹いていたトランペットの演奏も再開したそうです。この人にとっても楽器は楽器以上のもの。私も楽器に人生を救われている思うときが何度もあります。 私のブログで「ホッとします。」「癒されます。」というお言葉を頂いたことがあります。その女性は「毎日読んでます。励まされます。」というメールをくださいました。私はけして癒し系という性格ではないのですが、誰からの命令でもなく自分の活動と自分の生の姿を好き勝手に書いているこのブログが誰かを励ましているとは思いませんでした。コンテンツは何一つ変化していないのにアクセス数は一定数を保ち、そして少しずつ平均アクセス数が増えているという、我ながら不思議なブログであると思います。 最後に、私と同じく9月22日に生まれた10年以上の付き合いである親友と、今日誕生日を迎えるそのトランペットを吹く女性に次の言葉を贈ります。「お誕生日おめでとう、Happy birthday, Bon anniversaire」 私も、止まっているものを動かさなければなりません。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
September 25, 2011
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Bar あん Un〒604-8016京都市中京区先斗町四条上がる2丁目下樵木町201番地2Tel : 075-241-8016【十三番路地南側2F】 大学時代の後輩H君はある会社の営業職を経た後に一軒のバーを開いたと聞きました。先月に再会した折に名刺を頂きましたのでそのバー「あん Un(フランス語では1、アン、ドゥ、トロワのアンです)」の住所を記して起きます。 かつて後輩K君とともに楽しいお酒を御馳走してくれた後輩H君へ。 元気にしていますか? あの時野楽しかったお酒の礼に、君がくれた名刺の住所を私のブログに残しておきます。ところでもし君が自分のお店のことをインターネットサイトやブログで公開することがあるなら,このブログに知らせてほしい。先輩として、ささやかなお礼をしたい。 前回の休暇では君の店に立ち寄る機会を得なかったが、次はスコッチでも飲みによらせてもらいたいものです。 前回に引き続き、Bluesy + 1のステージの紹介です。 先月の下旬、He knows Jazz Orchestraのメンバーの方々に出会い、リズムセッションに2本のトロンボーンを加えての練習を聴かせていただきました。その中でベースを担当されている山内融氏がBluesy Four + 1というグループで来たる9月24日に演奏されます。そのステージの日時と場所は以下のとおりです。Bleusy Four + 1横田三男(Pf) 大橋恭(G) 山内融(B) 水島英幸(Ds) + 児玉康昭(Ts, Ss)9月24日土曜日 PM7:30~LIVE&BAR “WAZZ”TEL 06-6305-0230(大阪市淀川区西中島5-12-12)アクセス:JR新大阪(正面口)徒歩7分地下鉄新大阪駅(7番出口)徒歩5分地下鉄西中島南方(1番出口)徒歩5分WAZZ* ハンドチャージ:チップ制、テーブルチャージ:500円* 予約:“WAZZ”へ直接電話でご予約お願いいたします。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
September 21, 2011
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先月の下旬、He knows Jazz Orchestraのメンバーの方々に出会い、リズムセッションに2本のトロンボーンを加えての練習を聴かせていただきました。その中でベースを担当されている山内融氏がBluesy Four + 1というグループで来たる9月24日に演奏されます。そのステージの日時と場所は以下のとおりです。Bleusy Four + 1横田三男(Pf) 大橋恭(G) 山内融(B) 水島英幸(Ds) + 児玉康昭(Ts, Ss)9月24日土曜日 PM7:30~LIVE&BAR “WAZZ”TEL 06-6305-0230(大阪市淀川区西中島5-12-12)アクセス:JR新大阪(正面口)徒歩7分地下鉄新大阪駅(7番出口)徒歩5分地下鉄西中島南方(1番出口)徒歩5分WAZZ* ハンドチャージ:チップ制、テーブルチャージ:500円* 予約:“WAZZ”へ直接電話でご予約お願いいたします。 ジャズを聴くときはウイスキーが合うような気がします。少し奮発して、数えるほどしか味わったことのないコニャックを開けるのもいいかもしれません。 私がジャズを知ったのは23歳になる年。大学4回生の秋に自分の進路を楽器の分野に求めた私はある管楽器リペア専門学校の面接を受け、その日一人の受験生と出会いました。翌年そのリペア専門学校でその人と再会。その年約30名いた管楽器リペア実習生のほとんどが高校を卒業したばかりの生徒で占められていた中で、ロンドンを拠点にしてヨーロッパ各地やニューヨークを放浪し、ジャズの世界に魅了されサックスを習い始めたその人はまさに異色の存在でした。 管楽器リペア実習や一部の理論の授業以外は受けようとせず、とんがった生き方を貫くその異色の友人はいつの日か私を一軒のジャズバーに連れて行ってくれました。自分がいるブラスの世界を卑下するつもりは全くありませんが、ジャズの世界は未知の大人の世界のように私には映りました。「働く場所は何も日本だけとは限らない。食べていく技術を学んだら、俺は世界に舞い戻る。そして好きな音楽をやる。」 自分の生き方を貫きとおすその人は後にフランスのル・マンの音楽業界就職技術養成機関へ入るつもりで、その異質な友人の生き方に魅かれていくうちにその人の行き先であるフランスという国に興味を持つようになりました。出会いとは時として人生を変える力を持つと思うときがあります。楽器との出会いの次は異質な友との出会い。胸の内にある好奇心に突き動かされそ、2001年9月、そのル・マンの音楽業界就職技術養成機関へ日本人として初めて入ることになりました。後にその異質な友人と再会。その人は管楽器リペアを離れ、あるレコード会社に勤務の後、全く音楽とは関係のない世界にいました。「継続は力なりって本当なんやね。で、今の気分はどう?」「厳しすぎてとても他人様にはお勧めできひんわ。」 このブログを読んでいるとは思えませんが、そのかつての同級生へメッセージを送ります。「かつての同級生の異質な友人へ。俺が歩んだ道は、本来あんたが行くべき道だった。俺より何倍も才のあるあんたが。あれから10余年、俺は自分の道と、自分がいるべき世界を見つけたよ。あの当時あんたが教えてくれたジャズ、演奏することはできひんけど、今もっと聴きたくなった。あの時と同じく、自分の音楽を追求してくれていると嬉しい。俺はこっちで、あんたと同じく自分の音楽を追及する人を見つけたよ。 そして、ずるいよ。あの時あんたに勝ちたかったのに、あんたは先にこの道から離れてしもた。 最後に、世界というのを俺に教えてくれてありがとう。いつか再会することがあったら、旨い酒を飲もう。」Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
September 19, 2011
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さて新年度に入りブラスバンド活動も再開。「アリアンス・ミュージカル・ドゥ・メゾンラフィット(メゾンラフィット町の音楽同盟)」も2ヶ月の休暇を経て演奏活動を開始。そして例のごとく楽器の編成にばらつきがあります。イングリッシュホルン、ユーフォ二ウムが加わったもののクラリネットの人数が少々減り(トランペットに対して3倍の本数が必要)、ホルン、パーカッションに加えて今年はサックスの数が足りません。アルトサックスよりもテナーサックスの方が多いという状況です。見た目の格好良さという点でトランペットと同じく演奏希望者が多い楽器で、しかもSelmerを擁する国フランスで。これは大問題。 そんな状況で今年度最初のコンサートが行われました。演奏をしつつ周囲の音に耳を傾けてみると、舞台の反響版から跳ね返ってくるホルンの音とトロンボーンの列の前にいるサックスの音が足りません。そしてドラムセットのバスドラムの音量は少々物足りないのです。音の中にぽっかり穴が開いたよう。新年度の開始であるこの時期、どこのオーケストラも団員の補充には苦心する時期なのです。 引き続き、「東大阪こさかJAZZフェスティバル」の宣伝です。第3回東大阪こさかJAZZストリート開催地:近鉄奈良線河内駅、および布施駅・八戸ノ里駅周辺日時:2011年9月18日(日曜日)11:00~19:00主催:小阪商店連合会運営:東大阪こさかJAZZ実行委員会協力:稲田商店街振興組合後援:大阪府、東大阪市、東大阪小香会議所、東大阪観光協会出演者:東雲マリ(Vo)宮岡信夫(Tp) 滝川雅弘(Cl) ニューファイブラインズ、布施高校吹奏楽部、樟蔭高校吹奏楽部、大阪樟蔭女子大学吹奏楽部、大阪商業大学吹奏楽部他。メールアドレス:kosaka_jazz@yahoo.co.jphttp://kosakajazzstreet.jimdo.com 全8会場47ステージで催される第3回東大阪こさかJAZZストリート。先月に知りあうこととなったビッグバンド「He know Jazz Orchestra」のメンバーの方から宣伝を頼まれましたのでここに紹介いたします。開催日の前日17日まで私のブログにて宣伝させていただきますので、地元の方、ジャズが大好きな方はお問い合わせの上ぜひ足をお運びください。Naoya「日出ずる国から来た弟子 トロンボーン製造を志す者」皆様の清き1クリックをお願いします。全国から注目されているサイトが大集合!音楽
September 18, 2011
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