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明日から又、四国へ行きます。更新しないのは「病」のせいではなくて私の「性格」の問題です。抑うつもなく、睡眠過多も今は有りません。陽性の症状もなく、特に問題は有りません。ただ、文章を書く「才能」は無くて、今はその気も余り出てないだけで、他に色々としてる事は有ります。ここに書けないことをしていたり、、、、結構活動的でも有ります。ただ、「だらしなさ」がどうにも問題で。帰ってきたら(木曜かな?)皆さんにレスします。色々と心配のコメント、有難う御座いました。多分木曜には更新してるでしょう。宜しく!大丈夫ですから、、、ちょっと、ブログから離れてるだけなので。
2007.02.23
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一寸散財傾向です。だらけてます。何かちゃんとした事に手をつけるのが、、おっくうです。友人のルポライターに校正してもらったこのブログの文章、アップする気力がわきません。と言うかここを更新する気力も。って、もう朝の6時です。徹夜です。何やってんだか、、、風邪引いたりして、四国行ったりして、、、何だか、、抑うつとは違って、症状とは微妙に違う、症状のせいにしたら、他の患者さんに悪い、、何か性格的なものが、、、、おりゃあぁぁぁぁさんにメールとかレスとかもしなきゃあとは思ってるのですが。どうにも、、、、、あ、電話代も払わなきゃ。友人からの指摘で解ったNTTの料金未払い。ふぅ。それに支払うお金を何に使ってる事やら、、、だらけてるし。だらけてるお陰で、それほどお金使っては居ないけど。うーん、何が書きたいんだろう。今は、駄目な時期です。それでは、、、、、、、、復活を待って。
2007.02.20
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高松に行ってきました。疲れてます。高速バスの旅でしたが。そのうち、更新、レスします。今は疲れてます。
2007.02.16
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一寸最近、何だか忙しいです。通院の事や友達の話を書こうとは想ってるのですが。それと「心の処方箋」についても。今日はもうお風呂に入って、これから寝ます。ちゃんとした更新は、明後日に成るかも、、、
2007.02.09
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今日は7時半に起きて、通院の時間待ちの時、友人と面会して、違う友人とお茶して、カラオケに行って、違う友人と焼肉食べて、これからお風呂に入ります。今日はもうメ一杯の日と言った感覚です。通院の様子については後日と言う事で。
2007.02.07
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お早う御座います。って、今は午前7時半です。久しぶりに早起きしました。何だか、トイレで目が覚めたのです。私には珍しい事です。今日は通院なのでこのまま起きていようと想います。さて、今日の通院、何を言おうかなぁ。特に変わったことは無くて、、って、「夢」を見るように成りましたが、最近は。で、今日はトイレで起きて。私は、病が酷くなってから後、寝るときは「死んだように」寝る事が多くて。酷い時は、寝た時の姿勢のまま12時間とか寝てました。途中起きる事無く。夢も見なくなって長かったです。それがここ最近、少し夢を見るように成って。まるで「夢」を見ること無くなった、、、、って、この「夢」は未来の希望の「夢」ですが。その代わり「寝た時の夢」を再び見るように成って。これは睡眠がだんだん普通に成って来たという事でしょうか?嬉しい事です。持つ「夢」だけでなく、寝たとき見る「夢」も面白かったりします。中には苦しい夢も有りますが。どちらの「夢」も無かったら、と想ってたのですが。さて、どうでしょうか、睡眠が浅いために寝た時「夢」を見るように成った、、、睡眠が浅い?トイレで起きるって、、どうなのだろう?トイレで起きるのは別に「夜尿」とかしてたわけじゃないから、、、一寸主治医に聞いて見ます。後は感覚的に「昔の感覚」も少し戻ってきました。なんと言うのか心が少し「自由」に成ったかのような。頭がすっきりとしていて、「のびのび」としていると言うか。何かに執拗に囚われる事無く、尚且つ集中力も有って、、、で、読書が出来るように成ったり。ただ、日常の基本的な生活がどうにも駄目ですが。って、これは性格の部分もあるのかも。「いい加減な人」で、「ずぼら」ですから。そうそう、耳鼻科には行って来ました、おとつい。何やら血行が悪くなってるとか何とか。ビタミン剤と、代謝を上げる薬と、ホルモンステロイドを貰ってきました。ホルモンステロイドって、耳の聞こえが悪くなっても使われる場合が有るのですね。後は風邪の薬です。一寸、どう成ってるのかちゃんとは説明を聞きそびれてしまいました。少し心配です。さて、これから少し読書です。うーん、その前に少し今日の焼肉の準備かな。今日は友人を招いて焼肉です。楽しみです。そして、、その前かな、少し、物想いにふけると言うか。考えたい事が有るのでその事について、考えます。「夢」についても少し考えたいです。本当の将来の夢。ちょっと、調子が良くなってきた最近。「夢」も見ていいのかも。
2007.02.07
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今日は、友達の家のわんちゃんの写メをアップします。ランちゃんと言います。これからたびたび出演するかもしれません。どうぞ宜しく。えー、読書は、、、進んでないですねぇ。一寸、最近忙しくて。予定では明後日、水曜日通院です。又、報告します。どうぞ宜しく。
2007.02.05
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ブログランキング、登録抹消になりました。原因は今のところ不明です。が、鈴木さんの不正クリックが有効だったと言うか、「不正」だったのだと推察されます。真面目にクリックしてくださっていた方には申し訳ないです。さて、今日はもう寝ます。自分の責任でないのに、、、、とか少し落ち込んでたりしますが、忙しい日でした今日は。それ以上に嬉しい事も有ったり、駄目だった事も有ったり。今日はもう風呂に入って寝ます。
2007.02.04
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二・三日前から喉が痛い。そして、昨日は音楽を聴いていて左耳が可笑しい事に気が付いた。どうやら風邪だろうか。インフルエンザ?熱は出てない、と思う。最近はタバコをすうと咳き込む事が多かったのだが。今回はどうにも「痛み」も感じるし、左耳が可笑しいのが気に掛かる。耳鼻科に行かなくては。って、土曜日だった。月曜日、福祉に電話して近所の耳鼻科に行く手配をしなくては。さて、何冊本を買ったのだろう、今回。読書出来ないと嘆いていたのだが、読み出すと読める。どうやら10冊を越すほど買ったようだ。あー、咳が出て苦しい。風呂は入れないな。食事は無理して摂った。今日は節分と言う事で、太巻きの安売りを買って食べて。さっき、この前のヘルパーが来てくれた日に作って貰ったカレーを食べた。一寸食べ過ぎの感覚が有るのだが。最近、どうにも胃が小さく成った感覚が有る。1日1食で十分。基礎代謝量が歳を取ってきて減ってきてるんだろうな。つまりは太りやすいと言うことだけど。運動、しなきゃぁ。今日はこれから読書です。早めに寝たい(もう1時だけど、最近5時とか普通だったから)と想ってます。
2007.02.03
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「人の心など解る筈が無い」河合隼雄博士はここで、「人の心が如何に解らないか」を確信を持って知っているところが臨床心理学の専門家の特徴である、と言ってます。以下、先ずは殆ど引用から始めます。「悪い人」や「優しい人」などと顔つき等から解ったように判断する間違いを指摘し、さらに専門家に期待されてる事を否定します。それには、非行に走った少年とかを連れてきて、その子の心を分析したり探りを入れたりして、さらには親にまで同様の事を行い、非行の原因を明らかにしてどうすれば良いかと対策を立てる、事例を出してます。本当の専門家はその様なことは「しない」のだそうです。これには私自身少しびっくりしました。私が今少し期待しているのは、統合失調症と言う病に成る心の動き、心理を分析してその原因を調べそれに対して対策を立てる事、だったりするのです。一体分析して対策を立てないで何をするのか?それは、この「非行少年」と言うレッテルを貼られている少年に対し、果たしてこの少年は根っからの非行少年で回復不可能なのだろうか?と、言うような気持ちを持って、この少年に接する事だそうです。「悪い少年」だと決め付けて掛からない事が大事だ、と。もっと言うと、「非行少年とは一体なんだろう」と言う疑問まで持って接することが大事だと。そして、例えばその子が訴える「母親が怖い人だった」と言う事に対して、それは「その少年にとっての」真実であり尊重しなくてはいけない事と前置きし、しかしその事ですぐに「母親が怖い人」だと言う事には成らないし、ましては「母親が原因だ」と即断等出来ようが無い、と言ってます。基本的に全ては「決め付けないで」物事を進める事が大事だ、と。そしてその様な気持ち、態度で接していく過程が大事なのだと河合博士は言ってます。何よりも「未来の可能性」を見ながらその少年と接していく事で、今まで解らなかった可能性が明らかに成り、人間が変化していく事が素晴らしい、と。「解った」と、あたかも分析したことが確かだと言うのは簡単で楽なのだと。決めてしまって「札付きの非行少年だから更正不可能」とか「母親が原因」等と言うのは、実は責任逃れの楽な方法なのだ、と。このような「決め付け」等の為に心理学が使われてばかりいるとたまったものではない、と嘆いています。最終的には、「心の処方箋」は、現状を分析し、原因を究明してその対策としてそれが出てくるのではなく、むしろ、未知の可能性の方に注目してそこから生じてくるものを尊重しているうちに、おのずから処方箋も生まれてくるものだ、と締めくくってます。私の考察に入ります。どうにも「私は統合失調症だ」と言うのは決め付けで駄目なのでしょうか?違いますね。駄目なのは「私は統合失調症で”治らない”」と言う決め付けですね。「私は統合失調症だ」と言うのは、私の場合、ほぼ確かです。「病識が無いのがこの病気の特徴です」と、私に説明した医師の言葉を以ってして、今、私は病識が有るから病気ではありませんと言うのは、詭弁にさえ成らない話です。さて、少し話が脱線します。摂食障害などの場合、精神医療はどのような処置を取るのでしょうか?私の場合の摂食障害は、障害と呼べる程の物じゃなく、食欲減退と言う程度でしたので、特に処置は、「私が入院を希望して」三食が出される病院での食事を摂る事、でした。陰性の症状が酷くて、抑うつ的に成り、何も出来ない状態では?私としては「坑うつ剤」の使用とか「カウンセリング」しか知りません。「ECT療法」と言うのが有るそうですが。効果が出ている「らしい」です、一部では。私が見たHPでは何回も短期間のうちに「寛解」を繰り返す報告が有りました。どうにも、それほどの短期間のうちに寛解と再発を繰り返すなんて、それでは「寛解」とは呼べないのではないか?と想いました。「寛解」は「完治」とは違いますが、精神医療では「完治」と言う言葉は事実上使わなくて「寛解」と言う表現をとる筈です。どうにも「寛解」の大安売り、と言った感じで、いかにもこの療法は治る、と言いたいのだけが見えて。そして、どうにも「承諾」と言うか、この治療を受ける場合の患者本人の承諾に対して、疎かな所が有るHPの報告とかも見ました。患者本人が、「病識が無い」為に、その承諾は患者自身によって行われるのではない実態。私は、絶対と言って良いほどこの療法は受けたくないです。しかし、患者自身が、もうどうしようもなく、薬物治療も他の療法にも期待が持てないと感じて、療法の説明を理解できる時に承諾して、その上で、この療法を受けるなら、、、私が何も反対する理由は無いと言うか。実は、反対を言いたいのですが。どうして脳の仕組みが解ってないのに、それに対して何処にどれだけのどの様な電流を流せば、どの様に脳が変化して、そしてその結果として「心」、病がどの様に変化するのか?と言った「科学的な事」が解明されてない、、、事は明らかだと思えるのですが。ここに於いては、「脳の仕組み」から始まって「電気ショックの脳に与える変化」そして肝心の「心」に対する電気ショックの影響、これらが分析されて原因が解明されてなければ、と想うのです。私の「心」に与える「脳への電気ショック」と言うのは「傷つく事」の方が大きいと想うのです。ただ、この療法で、「リセットされたように」頭が白紙に戻ったようですっきりとした、事例なども知ってます。本人がその効果を納得できるなら、敢えて反対する力は私には有りませんが。どうにも「科学的、分析的」でなければいけない場合に、それが十分ではない、と考えてる私は、間違えているのでしょうか?結果オーライに近い、昔の古い医療を引きずっているに過ぎない、と言うのは言い過ぎでしょうか?何にしろ私なら、脳への電気ショックは怖いし、避けたいと言う心が強いです。非科学的?さて、どちらがなのでしょう?データ、が全てなのは今の精神医療全てですが。もう少しちゃんと分析されたものを以って、治療されたいです。話は飛びました。が、今の話を少し流れに当てはめると、未来への可能性を考えながら、と言う点が注目に値します。患者本人がその治療を素晴らしいものだと想い、そしてその結果として、例えば「すっきりとした」と言った実感が持てたなら。それはそれで意味の有る「治療」なのでしょう。ただ、私がそれをされたなら、とても残虐な事をされたと感じ、心は卑屈になり、余計に閉ざしてしまう結果しか出ないと思います。「無痙攣療法」が最近のECTだそうですが、麻酔を使わないと骨折してしまう場合も有った、昔の酷い状況を少し変えただけです。麻酔を使わなければ、、、縛り付けていても腕の骨とかを折ってしまう場合が有った。さて、脳の何にどのような影響を与えているのでしょう?ちゃんとした説明を聞いてさえ、どうにも私には怖い話です。と言うか、体にまで無理な負担を掛けている、、、、、この話はここまでにしておきます。話が脱線しすぎるので。ただ、未来へも不安が残る療法だと私には想えるのですが。と言う事で、少しまとめを。ここ「心の処方箋」と言う本で河合博士は「分析しない」と言うような事を書いてますが、「指標」と言うか「サイン」のような物がユング心理学では使われます。原因を追究しない、、、と言ってもやみくもに、未来へ向けて、と言うのではないのです。何かしらの「道しるべ」を使いながら、つまり、「手法」が有るのです。その根底には「分析」も意味を持ち、様々な事例をデータとして経験則、経験則は意味を持たないと言う経験則まで含めて、が有ります。その「手法」の違いに於いて心理学は様々な派閥に分かれています。その派閥の余りにも多さに心理学は科学ではないとも言われています。しかし私が捉えるこれからの心理学は、「現象学」等の科学が現れてきた背景、「ゆらぎ」「不確定性理論」と言ったように、一意に決める事は出来ないけど、、、時間と座標の4次元世界、、、そう言った言葉の並びで何か浮き出てくる新たな科学、とも結びつきやすい物に成って行くのではないか?そう想ってます。これはとても私見で、これに対する学説の裏づけなど無いに等しいですが。何にしろ、データの積み重ねの中からある手法を用いて物事を推察する方法は科学とも呼べる、と。そしてここに於いて、心理学も人の心の様々な物を見つめて、それを時系列も取って眺め、、それに対して”上手い”操作を加える手法、として、科学の一部を為す事が出来るのではないだろうか?と。さて、最終です。「人の心など解るはずが無い」と言う前提の下に、未来に向かって歩む、進んでいき、人間形成というものを為す。自己形成、自我の確立を目指し、自己実現に向けて進む事。これが何よりも大事なのだ、と。統合失調と言う自らの中にある病を見つめ、それでも尚、存在する自己、自我を伸ばし、自己を実現させる。「生かされている」と言う自分を感じるのも良し。「生きている」と言う実感を味わうのも良し。何よりも自分が幸せに。それこそが究極の目的では?そこには「妥協」などもどうしても含まれるだろうが。自分「だけ」が幸せは、果たして本当の幸せか?そこに妥協も入る余地はどうしても出てくるが。そして「病」と言う、天が下した運命の下生きている精神病患者。様々に障害があるが、それを乗り越えて生きていこうとする気持ち、志向、それが大事なのではないだろうか?ただ、うつの場合などのように、本人自身がその気に成れない病「統合失調でも陰性の場合など」、それを克服するのはとても大変な事だ。しかし!希望を持つ事は何よりも大事なのでは?このように締めくくりたいと想います。1日1回、クリックお願いします。P.S腕などの骨折も有ると聞いたのですが、脊椎圧迫骨折 舌損傷の危険が有るらしいです、古い無麻酔下のECT療法では。そして逆行性健忘症も有るそうです。って、副作用は何にでも有ると言えますが。ただ、健忘症が可能性が有ると言うのはどうにも怖いですね。結果として効けば良いのですけどね。ただ、私は怖いです。ちなみに、統合失調症の妄想にも効くらしいです。「らしい」です。まぁ、心臓の電気ショックとか有りますけどね。一寸何か抵抗感が違います。ちなみに今日のブログはどうにも詰め込みすぎですね。私はこの傾向が強くて。簡潔に文章を書けないで困ります。まぁ、狙いは持って書いているので、その狙いが当たれば良いですが。ルポライター(プロ)の友人からは酷評を頂いています。そのうち又、詩が書けたら面白いけど。一寸最近は詩の心境じゃぁないなぁ。
2007.02.02
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アドレスV100、もうエンジンがオーバーヒートしてからどれ位、経つだろう。駅前の駐輪場に止めて、もう3ヶ月の駐輪券が2回必要と成った筈。半年前から?うーん、何時だったのか?最近は記憶力が悪く成っていてどうにも何時の事、とか思い出せない事が多い。約半年前から、もう修理してないスクーター、アドレスV100。もういい加減に修理しなくては。金銭的な問題が大きいのだけど。このアドレス、水冷化したいとか想ってた時期が有った。しかしスクーターを水冷化するとラジエターの場所の問題が出る。フロントのかごの中にでもラジエターを置かなくてはいけない。どうにも見栄えが悪い。このアドレスV100は,フリーページに書いているように様々にチューンして最終的には120Kを越す最高速を出すようになったのだが。いかんせん、1リングのピストンでは長いトンネルの下りでは焼付けが起こってしまっていた。アドレスにはオイルポンプの問題も有ったりして。一部混合オイルとして使わなくては無理が有ったりした。さて、結局、空冷でカメファクのパーツで纏める事にした。って、未だ予定なんだけど。カメファクにした所で、混合オイルを使わなくてはいけないのは変わりないだろう。何故、今の時期に?今乗ってる中国製のスクーターを4月1日までには廃車にしたいから。軽自動車税は4月1日付で登録されている車両に掛かってくる。今乗ってるスクーターは150CC.税金も割高なのだ。そしてもうボロが来ていると言うか、150CCの癖にアドレス100より遅いのだ。高速道路に一応入れるのだが、とても怖くて入る気に成らない。こちらのスクーターの最高速は90Kいかない。90Kも出れば、と想うかも知れないが瞬間的にでも100Kは出ないと高速では怖い。私はそう想ってる。ただ、走行安定性はそれほど悪くないのだが、この中国製スクーターは。高速の、となると微妙に違って来る。本当に90Kが限界って車では高速道路は怖い。どうしてアドレスで高速が走れず、この中国製スクーターで高速が走れるのか不思議だ。さて、肝心の予算は?借金の予定。大丈夫かぁ?->自分。だって、借金しかどうしようもないんだから。もう、アドレスの任意保険料は1月25日に年払いで払ってる。中国製スクーターには任意保険は掛けてない。もったいないでしょ。ただ、友達が言うには、アドレスに変わったらスピード違反で捕まって金が要るでぇ、との事。安全運転してれば良いのさ。って、坑精神薬を飲みながら?たまに副作用も来るけど、バランスが取れなくなるほどの物じゃないし、危険な運転はしないようにしてる。って、最高速120Kも出しておいてよく言うわぁ→自分。まぁね、120Kなんて出すのはトンネルの見通しの良い所だけだから。って、今度修理したらオーバーヒート二度としないようにスピード制限自分でしようとは想ってます。危険ですからね、何よりもスピードの出し過ぎは。って、どうにも半年も修理出来ないなんて、遅すぎ!何事もするのが遅いおっちゃんでした。1日1回、クリックお願いします。P.S鈴木さん、もう偽書き込みは無さそうなのでコメントしてくれても良いですよ。反応は私も欲しいので。ただ、掲示板と日記へのコメントは出来たら使い分けて下さいね。クリックは1日1回。宜しくお願いします。
2007.02.02
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先ず初めに今読んでいる書籍を紹介します。心の処方箋、新潮文庫刊です。この本は今日読み始めたのですが、大変感動を覚え、その上、現在の私の心の支えとも成り、自らの心を深く見るために役に立っています。さて、処方箋、、、、何に必要なのでしょうか?現在私はある人の動向にとても心を奪われています。この前のブログはその事と関係した物でした。で、その事に対する関わりについて、一寸悩んでいます。で、この本は今回、私が何冊か買った河合隼雄博士の本の中の一冊です。たまたまこの本が単行本で読みやすそうだったから読み始めたのですが。ちょうど私の今の気持ちに合い照らす物が多い文章で、今の私の心境を変化させるのに十分な力を持っていました。現在もこの本を読み返しては、このブログを書き進めています。未だ、私には事の理解と言うか、様々に自分の中にある気持ちに整理が付いてないのです。で、これから幾つか「心の処方箋」からの引用を参考にして、今の私の気持ちを述べます。「善は微に入り細に渡って行わねば成らない」ここには、どうせ善を行うなら徹底的にやらなければいけない、と言った事が書かれています。ある施設にボランティアで訪問して、その老人に親切にするのはそれはそれで、善だろう。しかし、そのボランティアのお陰で、それまで自分でして居た事まで、施設の職員を頼む事に成れば、、、次々と問題が発生して来る事に対して、全てちゃんと面倒が、対応が取れなければそれは逆に「悪」とも成り得る。なまじっか、「善行」を行ってると言う形が有るだけ、尊大に成ったり、様々な問題が発生する事に気が付かなくなり易い。ちゃんとした「善」を行うつもりならば、きっちりと、「微に入り細にわたって行う」事が大事だ、と。何故、これを先ず挙げたのかと言いますと、これはここのブログの姿勢にも意味を持つからです。この言葉で私は少し悩んでいます。私は最近、自分の問題も含めて、精神病に対してどのように対処すれば良いか?この問題を考える事が増えています。先ずは自分の事に対してですが、友人の事、その悩みや苦しみとかも。それらにどう相対したら良いのか?友人から相談を受けたりする訳です。或る人は、最近「自殺予告メール」を貰ったそうです。私もそれに近い物、言葉とか聞いたりします。どう対処したら良いのでしょう?そして自分も、あのODした時の様な精神状態に戻らないために。この問題に対して答えを探すべく、河合隼雄博士の本を多数買って読み始めたのですが。いきなり、先ずこの問題が私を思考の渦の中に入れて離しません。「行うなら微に入り細に渡り」、、、そうですね、私が対応を受けるとしたらこれをして欲しいとも思うでしょう。「とも」と言うのは、余りにもお節介なのは嫌だと感じるからです。しかし「微に入り細に渡り」の中に、過ぎたるお節介は無駄、無謀、と言うのも含まれて考える事も出来ます。と言うか、この文章ではその様な事まで推察して「本当に」良い事を行う様に、と書かれてるのですが。その様な世話、されてみたいです。私が心理学とかを重要視するのは現状の精神医療に物足りなさを感じてるからです。今回心理学を勉強しようと思ったのは、もっと「善を微に入り細に渡り」して欲しいと願い、それを自らも探求したいからです。さて、ここで問題です。私はこのブログで、何かしらの問題解決を試みたいと想ってるのです。これは「自らの事」だけならそれはそれで「自己満足」と言う誹りを受けても、それで良いのです。しかし私には不当なと言うか、欲求が有ります。それは、他の方への参考にとか、自分が他者にどう出来るか?これを考えています。何かしらの参考や、共感を覚えてもらう事に何か楽しみと言うか期待してる訳です。どうにも、この「善は、、」と言う文章を見た時、私は自分の尊大さを感じました。確かに謙虚さを持っていたとは想うのですが、自らに。それは、こんな私だけど出来るだけの事をして勉強して、ここに書いて行って、様々な人へ発信出来たら 、、、少しでも何かの役に立てないか?と言う「試み」としてです。果たして私がどれだけの事が出来るのか?それは大した物でないにせよ、何かは提示できるのではないか?私は当事者としての「強み」を持っている、、、と、何処か何かが違ってるんじゃないか?そう感じてます。さて、では私が心理学を勉強することは止めた方が良いのでしょうか?どうにも私は最低でも自分の為にそれを勉強したいと想ってしまいます。そうです、結局は「自分の為に」なのです。一寸前のブログで皆さんの参考に成れば、と言ったような事書いた自分の尊大さを思います。私には結局は「自分の為の」心理学しか勉強できないだろう、、、そう想えてしまいます。自分がして欲しい「新たな精神医療」。これを追い求める。その為に、、、さて、ここで「二つ良い事さて無いものよ」と言う、「心の処方箋」からの引用を出します。どうにも私は、このブログの半ば頃から書いてるのですが、「科学」と「詩など」そして仕事としたいPC、これらの狭間で悩んでいました。仕事として、プログラマーは私にとっては一番最適な職業に思える。しかしどうにも、私には本当にはプログラマーの才能も無ければ適性も無いとしか思えない。ならば、何をするのか?で、「科学」と「人文」の間を揺れ動いたり。しかしどうにもどちらの才能も適性も矢張り無さそうだ。コメントで「プログラマーとして起業すれば」と言うアドバイスを頂いたが。とてもじゃないけど、今の私にはそれだけの力は無い。ただ、その方向へ向かって努力したら?と言うのは言えるかも。「心理学」とても高卒の人間に、しかも精神病者に手に負えそうも無いものを相手にするより、良いかも。しかし、どうにも今の私には「病」の方が大きく立ちふさがってるのです。PCには嫌気を感じたりする致命的な「プログラマー失格者」だったりするのです。で、「コンプレックス」に関係する心理学の本を2冊ほど買ったのですが。「二つ良い事さて無いものよ」どうにも、心理学を勉強すれば私は仕事が出来るように成るのでしょうか?ここでこの文章は「二つ良い事は絶対無い」とは言ってない所が味噌です。そして、この文章の主旨としては、「良い事ばかりでもなく、悪いことばかりでもない」と言った様な事が書かれてるのです。これは私が昔「世の中良い事ばかりでもないし悪い事ばかりではないよ」と、友人たちに書いた言葉と同義です。ここで又引用。「物事は努力によって解決しない」え?そりゃあないだろう、、と言われるかも知れませんが、心の持ちようとして大事な事がここに書かれてました。じゃあ努力は無駄だから一切の努力を止めたら?「一切の努力を放棄して平静でいられる人はこれは素晴らしくて、何の言うことも無い。努力とか解決と言う次元はこの人にとって関心事でない」「われわれ凡人は努力を放棄して平静で居られない。いらいらしたりそわそわしたり。そんな状態に陥るなら努力でもしている方が、まだまし。ひょっとして解決でも訪れてきたら嬉しさこの上無しである。」と考えて努力をすれば、ぼやく事も無くなる、と言う訳です。さて、書きたい事は未だ有るのですが、後日に回します。この「心の処方箋」からの引用は暫く続けるかもしれません。私が今、感動しているから。さて、話を初めに戻します。私は今或る人の動向に心を奪われていると書きました。私は、ここまで「予定通り」と言うか心理学について少し書かれた「心の処方箋」からの引用をしてきました。「無計画の計画」って、「次郎物語」と言う下村湖人という著書に出てくる言葉なのですが。私を捉えて離さない言葉の一つです。計画通り、なのですが(推敲もするように成って)どう出るかは全く解りません。人生とはその様なものかも。と話を大きくしても訳が解らないのですが。私はここまで書いて来た事を以ってして、或る人の動向について出来るだけ語らない、と言う事を選びたいと想ってます。「悩んでる」事は確かです。しかし、どうにも「私には」何も解決策が出せないと思えます。私も渦中に入ってただ悩むだけに過ぎないでしょう。そして私などがしゃしゃり出ても、話を進ませる事が出来るほどの力が私には無い。と。しかし、、、、何かしら私も悩んでる、それだけは確かです。「二つ良い事さて無いものよ」ここには影に「悪い事ばかりが有る訳でも無し」と言うような意味が含まれてます。中国の故事にも似たような事を言った老人が居たそうです。何か良い事が起こると、「悪い事の前兆だ。注意しなくては」と言い。何か悪いことが起きると、「良い事の前触れだ。お祝いの準備をしなくては」と言ったそうです。一寸極端だと想いますが。何も出来ないだろう、、、けど何かには成るかも。そんな気持ちが大事だと今の私は想ってます。私が心理学について学び出した現在の気持ちです。では。P.Sどうにも一寸推敲したくらいでは、文章にとてもまとまりが出て、素晴らしい物に成るわけじゃなく、ただ、何だか長い文章で、まとまりの無い文章しか書けないなぁ。どうにも、「上手い文章」を書くには、上手く書こうとはしない事らしいけど、マダマダ私には努力が足りないな。そして「上手く」書きたい欲求が強いなぁ。プログラマーにも成りたいんだけど。その欲求だけじゃぁなぁ。心理学もマダマダ遠い。そしてどうにも、未だ何処か偉そうに書いてるのかなぁ。出来ないけど、何とか、、、って書きたかったんだけど。何か主題がピント外れですね。補足すると、私には私が出来る事しか出来ない。大きな事をやろうとは試みてるけど、どうにもその方向への努力、だけに成りそうだ。現在少し悩んでる、或る事に付いても私はどうこう出来る力は無い。何よりも、「私は善」ではない。私は私の為にしか動けない。その事を解った上で少しでも何かを。と書いた訳です。この文章は「心の処方箋」と言う書籍の引用を主にしています。そちらをどうぞ参考に。その中での私の考え方の一つとして読んでくださると意義の有る物と出来るかも。
2007.02.01
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