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親になるということは大変なことだ。いくら気をつけていても、子供は体を壊す。そして、子供はなかなか話せないし、一人ではどうすることも出来ない。娘は、数週間前から妙な咳き繰り返していた。基本的に途方もなく元気なので、あまり気にはしていなかったのだが、そのうち呼吸が出来ないのでは?と思うほどの咳きになり、こりゃヤバいだろうと、小児科にかかったところ、小児科にもいろいろあって、最初の病院では、『大したことない』という診断で、気休めのような薬を貰っただけだった。その割には咳きは収まらず、病院を変え、様子を見たが相変わらず。そのうちに大きな病院の紹介状を頂くに至り、連れて行くも、良くならず。走行するうちに、かなりの日数がたち、私達も病院側も、『これは気合を入れて治さねば』という気になり、とうとう入院することになった。厄介なのは、夜中の『咳き』を除けば、娘は他のどの子より、元気そうなところだ。熱もなし、ぐったりした様子もない。先日の誕生日会の写真を見ても、それはお分かりいただけるだろう。でも、咳きは治らない。かくしてはなは、入院し、24時間点滴を受けるという極めて過酷な日々を余儀なくされた。しかし、過酷なのは、嫁も一緒だった。なにせ患者は赤ちゃんだ。適当に見舞いに行って、『調子はどうね?』というわけにはいかない。病院は、病気は診るが、保育園ではないのだ。よって、嫁も一緒に24時間の看護体制に入らねばならなくなった。ここで厄介なのは、何度も言うが、娘が極めて元気であるということだ。本当に元気がないのであれば、大人しくベットで寝てくれるのだろうし、実際、ほとんどの入院患者は概ね大人しい。しかし、娘は、物凄く元気なのだ。恐らく、自分がなぜ四六時中ベッドで過ごさねばならないのかは、全く理解できていないだろう。だから、当然病室でも、全く大人しくはしない。考えうるありとあらゆる悪さを試みる。しかし、それを許すわけにもいかず、とても辛い日々が続く。そうでなくても、小児科病棟なんて、阿鼻叫喚の修羅場である。入院生活は、本当に大変なのだ。そして、そんな日々が4日続き、ようやく明日、退院できることになった。難病を抱えた方には失礼なくらい元気な娘だったが、それゆえの大変さというのがあった。とはいえ、そんな状態でいるうちが花というものだろう。明日二人が帰ったら、ゆっくりと休ませてあげたいと思う。病室の母娘。点滴の管は、本日ようやく取れた。これで入院だから、複雑な気分になる。見舞いの帰りに、久々に夜景を撮ってきた・・・
October 31, 2005
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忙しい一日だった。午前中は経理の仕事。昼から『大京都展』の福引応援。(デパートに勤めていると、こんなこともするのだ)その後、会社のOB会でコーラス部として出演。(私は会社のコーラス部の代表をしている)その後、経理部主計担当(私の所属部署)の飲み会に合流。2次会のカラオケで盛り上り、終電に乗り遅れる。帰ったら、1歳の娘は入院していた。5日間24時間の付き添いが必要という。今夜は嫁が行っているが、明日は私が交替に行かねばならない。にもかかわらず、いつになく、ここのお客様が多かったので、コメントのお返事を忘れないうちに書く。おい、私はいつ寝るんだ?
October 28, 2005
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面白いね。これだけ色んなテーマがあって、あれだけ騒がれているテーマがないというのは、何か規制でも入っているのだろうか。楽天とTBS。当事者にとっては真剣勝負だけど、それ以外にとっては対岸の火事というやつで、どのマスコミも喜んで報道している。私にとっても正直どうでもいいが、せっかくなので、考えを整理しておこう。ホリエモンのときにも書いた気がするが、彼らの手法は直感的に好きになれない。結局のところ、自社株の高い時価総額に物を言わせれば、何でも出来ると勘違いしているとしか思えない。TOBというのは、別に最近に始まったことではなく、それ自体は私が学生時代からあった言葉なのだが、彼らが反感を買うのは、元々インターネットという実体が訳の分からない物を本業にして、たまたま得たあぶく銭のようなもので、他人が長い間苦労して作り上げてきたものを簡単に買おうという安易な発想に問題はある。三木谷の親父は、『ルールに則った行為がなぜ悪いのか理解に苦しむ』とのたまうが、当たり前ではないか。いくら『業務提携』と言ったところで、頼みもしないのに、大量の株を買い占めるというのは、『乗っ取り』と言うのではないか。一番大事なのは、『頼みもしないのに』というところにある。バブル崩壊以後、非常に多くの企業買収が行われてきただろうが、私の憶えている限り、一番多いのは、『救済型合併・買収』だ。例え買収側が考えていることが同じでも、破綻しかかっている(若しくは破綻した)企業をそうするのであれば、経営者にしたって、『どうせ潰れてしまうのであれば』と、諦めもつく。そうした場合、買収コストは相当な安くつくことは言うまでもないが、一度壊れた事業を、力のある企業が立て直すというのは、雇用維持の観点からも歓迎されやすい。しかし、TBSの経営が傾いているなどという話は聞いたことがない。本人たちも全く望んでいない話を無理やり進めるというのは、何と言い訳しようが、『乗っ取り』なのだ。『インターネットとテレビの融合による新たなビジネス』というのは、そりゃ本人にしてみれば、面白かろう。結局のところ、いつの時代にも、ハードが進めば進むほど、ソフトの充実が求められるわけだし、結局のところ、今回目指しているのは、ハードとソフトの融合なのだから、悪い話ではないだろう。どうしても乗っ取りたければ、お金がある今のうちに、いくらでも株を買って、好きにするのも勝手だ。しかし、金さえあれば何でも出来ると思うのは、端から見ても、頭が悪いと思う。北風と太陽ではないけれど、飲みたがらない馬に水を飲ますことは出来ないし、ダイエーとかを思うと、いつまでもお金があるとは、どうしても思えない。そんなことより先に、去年作った野球チームを、もう少し強くしてやれないのかと思う。選手も監督も頑張ってはいたけれど、この一年、あまりに気の毒に見えて仕方なかった。
October 27, 2005
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4連勝。あっぱれである。ここまでの圧勝は誰も(特にマスコミは)、予想していなかったのではないかと思う。ただ、一年間、ホークスを応援してきた者として、今年のロッテはやけに強いと思っていた。ロッテとのプレーオフにさえ勝てれば、日本シリーズは何とかなるというのが本音だった。元々有名な大型選手はいない。だから、ホークスのような、一発で試合を決める豪快さは見られない。今までずっと下位に甘んじていたのは、無理もない。しかしだ。豪快さがない分、攻守にわたり、物凄く手堅い野球をしてくる。人はそれを畏敬の念を込めて『ボビーマジック』と呼ぶが、なんのことはない。バッターが打ち、ランナーを確実に進め、少ないチャンスを確実にものにする。野手は確実に守り、ピッチャーは確実に仕留める。ホームランは打たなくても、ダブルプレーにはならない。三振は撮らなくても、四死球は出さない。ファインプレーはしなくても、エラーはしない。そんな、基本中の基本を完璧にこなすだけで、これだけ強いチームを作ることが出来るということを、彼らは証明したように思う。派手なことは必要ない。あくまで当然のことを確実に。そんなスタンスで一人ひとりが無理なくプレーした結果、いつの間にかどこにも付け入る隙のないチームになってしまった。FAとかには元々縁のないチームだから、それだけに生え抜きの選手が揃い、チームワークが良くならないはずがない。そもそも派手なプレーで勝ってきたわけではないので、大舞台に立っても、それほど気負いはない。スター選手に頼るのではなく、一人一人が当然のことを普通にやるだけで勝てる力を、彼らは一年かけて身に着けてきた。満員のヤフードームでのアウェイを勝ち抜いた彼らにとって、甲子園球場の声援も、それほどの脅威ではなかったに違いない。彼らの優勝は、ここ数年マネーパワーに牛耳られてきた大鑑巨砲主義的なプロ野球界の潮流へのアンチテーゼに思える。ひょっとすると、来年以降もロッテの黄金時代は続くかもしれない。
October 26, 2005
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娘はとうとう1歳になった。えっもう?というのが正直な感想だ。大人になると、一年がなんとなく過ぎていく。でも気付いたら、秋も深まり、ホークスのシーズンも終わって、勤務先の中間決算発表も終わっていた。会社で入っているコーラス部の年に一度のステージも終わり、ほっと息をついた頃、娘は生まれた。一つ一つ思い返すと、感動としか言いようのない一年だった。生まれたばかりの頃、目を開けることすら出来なかったのに、娘は自分で、誰に教わるでもなく、一つ一つ着実に成長を遂げた。寝返りをして、ハイハイをして掴まり立ちをして、もう歩いている。保育園に行けば、言葉もしゃべれないのに、年上の子から、『はな、おいで! 』と呼びかけられている。聞けば、1歳の誕生日会というのは、殊更盛大に祝うのが慣わしだという。特に、『一升餅』という大きな餅を背負わせると、食べ物には一生困らないという、『いかにも』な言い伝えがあるらしい。昨日は私たちが結婚式をしたホテルにお互いの両親を呼んで、誕生日会を行った。↑みんなから生まれて初めてもらう『お誕生日プレゼント』を前に、とっても嬉しそうな娘。↑早速一生餅を背負わせてみた。張り切って歩こうとしたが、少し重そう。↑それでも何とか歩いてみる。↑ご馳走を前にして、離乳食なんて食べていられない。特にケーキの食べっぷりは、とても『赤ちゃん』とは思えない。↑ホテルのロビーでも得意になって歩く娘。写真映りも堂々としている。それにしても、この1年で、何枚の写真を撮っただろうか。この日記同様、いつの間にやら、撮るのは娘ばかりになってしまった。歩くのが早くて、近くでは撮れそうにないので、高倍率ズームのデジカメを買い直す始末。独身の頃のように、映画に行ったり、お洒落なカフェに行ったり、旅行に行ったりは出来なくなったけど、この笑顔を見るたび、生まれて来てやっぱり良かったと思う。何歳になっても、どんな子に育っても、この気持ちを大事にしていきたいと思う。
October 24, 2005
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この日記をいろいろごらんになられた方なら、薄々想像つくかもしれないが、実は私はクレーム魔である。『店長or責任者を呼んでください!』と怒鳴ったことが、この1年で少なくとも3度はある。その一つ一つをいまさらここで披露する気はない。好きでクレームをしたことなど、一度もないから。ただ、買い手・ユーザーである立場に立って、このままでは納得できないと思った時、我慢や泣き寝入りするつもりにはならないだけだ。クレームの難しいところは、人によって許容範囲基準が異なってくることだ。売り手がそれなりに注意していても、ふとした呼吸の違いでクレームは起こりうる。(実際、起こされた側に立ったことも何度かある)私がクレームを起こす際のキーワードは、『スピード』と、『嘘』だ。何も、写真屋や宅配ピザ屋のように、とにかく急げといって言いたいわけではないが、店側の不手際や怠慢でお客の時間が不当に奪われたと感じるとき、私は黙ってはいない。嘘というのは、在庫がないものを特売商品にしていたり、(売切れではない)連絡を頼んでいたはずのものが来なかったりした場合だ。どこでも、クレームを言えば、それなりの言い訳が用意されている。『人が足りなかった』『表現がが悪かった』尤もらしく言う。そう。クレームに遭うような店の場合、多くは簡単に自分たちの非を完全に認めない。それが場合によっては更なるクレームとなる。売る側には売る側なりのやり方や論理がある。しかし、それをお客に押し付けるようなやり方は、他に競争相手がいないから仕方なく諦められていただけで、納得されていたわけではないということに気付く必要がある。これからの時代は基本的に通用しない。商売では、営業や宣伝といった『攻め』は大切だ。しかし、それに付随するサービスの円滑な履行(約束したことをきちんと守る)という『守備』が出来なかったとき、その商売は根底から揺らぐ。クレーム魔は決して意地悪ではない。いたずらや嫌がらせをするほど、人は暇ではない。だから、本気で商売する気があるのなら、クレームには正面からぶつかってきてほしい。(そんな気概があれば、そもそもクレームは起きにくいのだが・・・)
October 21, 2005
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この秋始まった二つのドラマ。前者はせっかく結婚したものの、可愛い顔とは裏腹に、自分勝手で亭主の立場がない。後者は一生懸命会社を定年退職するまで、家族に尽くしたと思いきや、その途端に嫁から離婚を言い渡される。はっきり言って、男性から見たら、どちらもゾッとするような内容だ。しかし、嫁は思いのほか、『鬼嫁日記』を気に入っている。また、母と話をしていると、『熟年離婚』の松坂慶子とダブってくる。思えば私の両親も、離婚すれすれの危機に何度となく遭遇してきたように思える。冷静に考えたら、今まで、男性側が勝手過ぎたんじゃないかと思う。『夫婦で力を合わせて』とは言うものの、仕事にかこつけて、家庭のことをあまりにも妻に押し付けていた。実際のところ、私の父の時代は、何処も似たようなものだったんではないかと思う。激しい競争社会で、やればやったなりに旦那の給料は上がり、実際家計はそれのみに依存するという、専業主婦の家庭では、それはそれで何とか機能したのだと思う。でも、時代は変わった。具体的な話をすればキリがないが、今の時代、それは通用しない。端的に思えたのは、松坂慶子が、昔の恨みつらみを、今になっても忘れていないということだ。母も嫁もそうだが、彼女たちは、自分が納得できなかったエピソードは、決して忘れない。夫婦がまともに続くヒントは、ここにあるのではないかと思う。いくら好き同士で結婚したとはいえ、元々性別まで違う他人同士が一緒に住むのだから、多少の不満は否めない。その一つ一つに対して、その都度きちんと解決していくことが大事ではないかと思う。特に、女性の気質として、言葉にはっきり言わないと、納得がいかないという部分がある。男性はともすれば暗黙のうちの解決に逃げたがるが、それが一番いけないような気がする。すべてを相手の思うようにすることは現実的に不可能であっても、その一つ一つを聞いて、自分たちなりに話し合うことができれば、結果としてどうなっても、納得はしてもらえるのではないかと思う。そうして日々を積み重ねていけば、間違っても熟年離婚なんてならないのではないかと思う。ひどいドラマは多いけれど、今のところ結婚して良かったと個人的には思っている。
October 20, 2005
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今日の本はいつもと勝手が違う。何しろ、私の勤務先の会社の本なのだ。今年、私の勤務先は創業70周年を迎えた。70周年。微妙な数字ではある。決して馬鹿にできる歴史ではないけれど、途方もない歴史ではない。その年に生まれてまだ健在な方も多いはず。しかし何はともあれ、70周年。様々な形で記念事業、セール(今ちょうどやっている!)が行われたが、その一つとして、なんと、文庫本を売り出すことになった。『株式会社・・・70周年記念社史』という企画は、今時どこもやらないだろうが、そこは百貨店だ。新聞に広告を出して、一般の方から、お店にまつわる思い出話や写真を募集し、それを文庫本にしてしまった。それが本日発売になった。正直、社員というものは、自分の働く会社を結構斜めから見ていたりする。(またまたこんなことしてから・・・)という思いは拭えるものではない。どこの会社に、自分の創業70周年を記念して本を売る会社があるだろうか。プロ野球チームのように、選手が売り物ならともかく、たかがお店である。誰が考えたか知らないが、神経を疑いたくなるのが普通ではなかろうか。とはいうものの、せっかくなので買って読んでみた。いや、意外なくらい、ジーンときた。私の働く店は、ほぼ北九州に活動を限定している、極めてローカルな会社である。しかし、だからこそ、そこに住む方々の想いは、強烈なのかもしれない。生まれて初めてエスカレーターやエレベーターに乗って感激したという話から、このお店でお見合い相手にスイカを買ったことがきっかけで、振られていたはずの見合い話がひっくり返ったという話…どの文章も、この店はこんなに愛されていたのかと、改めて思わされる有難い心温まるストーリーで溢れている。そもそも、独りよがりといわれても仕方のないこの企画に、1000通以上の応募があったというから、本当に胸がいっぱいになる。経理をやっている立場から言うと、正直、現在のこの会社は、一般的な意味で決して褒められた財務内容ではない。数字だけで見るならば、『ヒルズ族』の面々が経営しておられる会社の方が、はるかに優れていると言わざるをえない。給料も株価も、東証に上場しているのが恥ずかしいくらい安い。しかし、この本を読んで、地元の人々に、これだけ多くの思い出を提供したと言うことは、『お金にかえられない価値』であると言ってもいいのではないかと思った。会社の業績や株価はその会社に対する人々の評価のバロメーターだとは言われるし、それはそれなりの信憑性を持つ。しかし、お客様の想いだけで一冊の本になる会社は、そうそうあるわけでもない気がする。企業が存続する限り、歴史は続いていく。私の仕事は、これからの日々の中で、一人でも多くのお客様に、新しい物語を提供してあげることではないかと思った。この本が一般の方々にどのように受け止められるかはわからないが、もし興味をもたれたら、下記のリンクをご覧頂きたい。ネットでも購入は可能となっている。(1冊500円)http://www.izutsuya-online.co.jp/itemlist.asp?page=/html/izutsuya_story/index.html
October 19, 2005
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プレーオフが終わってしまった。結論から言って、我々ホークスファンにとっては、非常に残念な結果となった。昨年と同じく、会社帰りに勤務先のデパートの大型テレビで観戦。期待していただけに、帰宅の足取りはそれはそれは重いものがあった。ホークスは、3年連続でリーグ1位になりながら、2年連続で優勝を逃してしまった。たった5試合で1年間積み重ねてきた勝ち星が無意味と化すというこの仕組み。このことに対するファンや関係者の思いは、複雑なものがある。せっかくリーグで1位になったのに日本シリーズに出れないというのは、非常に寂しい。また、一年間応援してきた愛する球団の一年最後の試合を負け試合で終わらせなてしまった無念は本当にツライ。しかし、結局のところ、それだけのチームだったのだと、認めざるを得ない。本当に強いチームなら、それこそプレーオフだろうが何だろうが、勝てばよかったのだ。物事には、『ここで結果を出せなければ全てが無意味になる』という場面が幾度となくある。たとえ89勝もしたところで、そこで結果が出せないというのはそういうことだ。46本のホームランを打った松中選手。彼が只者ではない選手ということは、ファンならずとも、周知のことだろう。昨年の無念を晴らすため、彼がこの一年、誰よりも努力を重ねてきたことも、間違いない。しかし、この5試合で1本のヒットしか打てなかったというのは、気の毒だが、まだそこまででしかないということだ。3年連続リーグ1位通過したチームの力は、それはそれで価値あるものだが、今日でシーズンが終わってしまったというのは、現時点では、まだそこまでの力ということだと思う。あとひとつ勝つために、何が足りなかったのか。ロッテとの違いはどこにあったのか。答は人によって様々だろうし、誰もわからない。でも、2年連続の屈辱から脱するには、それに向き合う他はない。これから来年の春まで時間はゆっくりある。それぞれの関係者が今一度謙虚に現状を受け止め、来年こそ、何ものにも負けない最強のチームを作ってほしい。
October 17, 2005
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そうそう。そろそろ娘のことも書いておこう。娘が生まれてもうすぐ一年。(10月25日が誕生日)その成長の早さには、いつも驚かされていた。変な話だが、可愛がった記憶はあっても、何かを教えた記憶はあまりない。にもかかわらず、娘はどんどん成長する。特に11ヶ月を過ぎたころ。待っていたかのように、自由自在に歩き始めたのには驚いた。嫌々通っていたはずの保育園に連れて行っても、最近は泣いたりしない。そして、娘は、保育園で、どうやら色々なことを身に着けているようだった。多分、保育園では娘は最年少の部類に属する。だとすれば、パッと見は似たような友達でも、みんな歩いたりしているわけで、娘は自分がハイハイするのが馬鹿らしくなったのではないだろうか。毎日先生が書いてくれる『おたより』を見ていると、9月に入園した当初は、『タッチの練習をしています』と書かれていたのに、いつの間にか、『あんよが上手になってきました』となっている。名前を読んだら、『ハーイ』と手を上げて返事をするようになったし、私たちが手拍子したら、真似するようにもなった。少し前まではほとんど興味を示さなかった絵本も、めくるのが楽しいだけなのかもしれないが、最近よく見るようになった。食べ物も、離乳食だけでなく、我々が食べているものをそのまま食べたりもする。少し前まで7キロくらいしかなかったはずの体重がいつの間にか9.3キロになっている。当然悪さもするし、手はかかる。でも、赤ちゃんの一年て、本当にものすごい変化なのだと、改めて感じた。さて、対する親のほうは何が変わったか。娘より一足先に31歳になった私は、今月から、会社の損益計算書作成を担当することとなった。今までは貸借対照表をやっていたのだが、しばらくは格闘の毎日だ。娘に負けてばかりはいられない。
October 14, 2005
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多忙と体調不良により、またしばらく更新から遠ざかっていたが、今日は書かねばなるまい。例によって前にいた本屋の人間からいたく薦められた本。珍しく何も知らなかったが、暫く前からとてもよく売れているらい。半端でない薦められ方だったので、騙され半分に買って読んでみた。いや、やられた。今年初めて泣いた。母と子(時々父)の話である。東京タワーというのは、その母がたまたま『東京タワーの麓にある病院』で亡くなったことに由来する。筆者のリリー・フランキーという人は、ドイツ系アメリカ人のその世界では有名な医学博士というのは嘘で、なんと私が今住んでいる北九州出身のコテコテの日本人。なんとなく名前を聞いたことがあるくらいの人ではあったが、非常に波乱万丈というか、放蕩三昧な人生を送っていたらしい。私より10歳ほど年上なのだが、大学は出たものの、なんとなくフリーター生活を続け、アパートの家賃は踏み倒し、借金をしては賭け事に使うようなひどい生活をしばらくしていたようで。しかし、どこでもそうだろうが、そんな生活が成り立つのは、殆どの場合、親の援助あってのことだ。本当に親が何もフォローしてくれなければ、そんな生活が出来るはずもなく・・・そんなこんなで無茶苦茶な人生を送ってきたらしい筆者とその親との絆というのは、とても強いものがあったようなのだが、『いつまでも、あると思うな・・と**』である。いつもとても元気だったはずの母に老いが見え、病がやって来る。物心付いたときから、母の臨終まで、さながら五木寛之の『青春の門』を髣髴させるエピソードのオンパレードながら、それを誇張するわけでもなく、ありのままをあるがままに淡々と書いた文体が、かえって自然と胸に染みてくる。いつの間にか馴染み深くなってしまった北九州弁と、この土地の人しか知らない固有名詞が満載で、いよいよ他人事とは思えない。一番心に響いた部分を引用してみる。『これまで苦労させたことも、迷惑をかけたことも、心配させたことも、 それはいつかお返しができるものだと思って、ほったらかしにしていた。 でも結局、それが出来ないばかりか、 ひとこと「ありがとう」とも言えなかった。 希望をこめて言う「いつか」はいつまでも訪れることが ないのかもしれないけれど、恐れている「いつか」は 突然やって来る…』なんだか久しぶりに母の顔をじっくりと見てやりたくなった。
October 13, 2005
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