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今日は、ミッキーのおもちゃをブルンブルン振り回しながら、とっても楽しそうに遊んでいました。給食、完食です。
January 25, 2006
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今日は積み木で遊びました。色んな色の積み木を『あか』『あお』『きいろ』ト圧しえていたら、横に来て、じっと見ていました。興味津々でした。
January 24, 2006
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ネクタイ嫌いのあの男。容疑者になったと思ったら、社長まで辞めてしまっていた。株で持っていた会社が、株価急落、元幹部の死亡、強制捜査。こうなると、本当にこのグループ全体が、最悪の事態を迎える日も近いかもしれない。近年の企業不祥事で倒産を免れた会社が無いわけではない。しかしそれは、巨大財閥のバックアップや、本業がライフラインであるとか、本来がトップクラスのメーカーであるという理由だ。言い方は悪いが、時の経営者が多少の不正をしたところで、消費者にとって、必要とされるものを提供している企業は、ダメージを負うことはあっても、倒産までは至らない。経営者は責任を負うが、その他大勢の真面目な従業員が築きあげてきたものはそう簡単に失われるものではない。しかし、素朴に考えて、あの会社が無くなって、損をする人はいても、本業が提供されないことに、困る人がどれだけいるだろうか。ポータルサイトにしても、証券会社にしても、ブログにしても、あの会社じゃないと困るということは、好みを別にすれば、特に無いように思える。結局のところ、あの会社の原動力は、世の中で最も流動性の高い『お金』でしかなかったし、唯一の独自資産は、あの男をめぐる『夢』だったのに、それが崩れた今、その存在意義がどこにあるのか、私にはわからない。本来ならば、社長が変われば、どうにかなりそうだが、あの会社の場合、社長がブランドの体現者だったのだから、それが変わったら、単なる普通の会社となってしまう。『地に足をつける』というのは、結局そういうことなのではないかと思う。問題が起こったとき、マスコミは容赦しないし、離れていく人も大勢いる中で、それでも信じて見守ってくれる人がどれだけいるのか。それは人間関係における『友人』の在り方に通じるものがある。一般的な見方では、存続自体の危機に立ったあの会社だが、今でも、あの会社の明日を信じるファンはいる。存続はひとえに、彼らをどれだけつなぎとめることが出来るかに掛かっている。そこにあるのは、もはや株価の時価総額などの損得勘定ではない人間としてのメンタルな部分だ。。幹部はそのことを忘れてはいけないと思う。
January 24, 2006
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私の一日は娘を保育園に送ることから始まる。車で送る途中、九州共立大学前の横断歩道は、やけに高校生の姿が多く、『あ~、今日は入試の日なんだなぁ』と、一瞬思ったけれど、そういえば、今日はセンター試験の日だったことを思い出した。と、何故だか急にココロが切なくなってきた。もう10年以上も昔のことなのに、自分が受験生だった頃の思いが、急速に蘇ってきたのだ。1993年。私が大学を受験した年は、今から考えても、空前の『受験生受難』時期だった。旺文社のデーターによると、18歳人口が200万人、短大を含む大学志願者が90万人を超えたのは、3年間しかない。このデーターで見る限り、私は過去20年の中で2番めに厳しい大学受験に臨んでいたことになる。今年の受験生人口は70万を切っているということは、今の1.7倍だったわけだ。そんな時代だったから、受験に関するプレッシャーというのは、今とは比較にならなかったと思う。『一流大学』ではなく、聞いたことがある程度の『有名大学』に入るのでも、とにかく『一浪人並み』と呼ばれていた時代。親の仕事の都合で東京の都立高校から、福岡の私立高校に転校した私は、男子校ということもあり、『女にモテたい』『東京に帰りたい』というそれだけで、受験勉強三昧の3年間を過ごした。当時、世の中は週休二日制の過渡期だったと記憶するが、私立高校にそんなことは関係なし。朝は7時40分の課外授業から始まり、放課後も1時間の課外授業。そんなわけで平日は8時間土曜も6時間びっちり授業があった。夏休みも終業式の翌日から課外授業。40日のうち、本当の休みは10日ほどしかなかった。家に帰っても、通学途中も、とにかく勉強。これが本当にデキの良い優秀な生徒の集まる学校であったなら、勉強は本人の自主性に任せ、部活もやって、行事にも熱中し、恋もしてと、それなりに楽しく、『本来の』高校生活も送れたのかもしれないけれど、公立高校を落ちた人間の集まりだった私の高校は、そんなわけにも行かなかった。『高校受験の悔しさは、大学受験で晴らす』という、至極単純なスローガンを誰も疑うことなく、ひたすら勉強あるのみだった。今、こんな風に書くと、悲惨な高校生活を想像される方が多いだろうし、実際、当時はとても辛く、卒業式があんなに嬉しかった学生時代もないのだけど、今思えば、あの頃の日々は、それはそれでまぎれもなく私の青春時代であり、誇りであることも事実だ。その証拠に、当時の私の心境は、決して暗いものではなかった。勉強はきつかったけれど、その先に見える未来は限りなく輝き、旧友も全く同じ境遇だったから、『運命共同体』の意識の方が強かった。元々偏差値50前後の人間しか入っていない学校なのだから、『クラスでトップ』になっても、それがそのまま合格を保証するわけではなく、本当に合格したければ、クラス全体のレベルを上げる必要があった。競争はしていたけれど、『このクラスで、一人でも多く、一つでもいい大学に受かって、 なんとかして自分達の高校の名声を広げてやりたい』と思っていた。そんな訳で、私の感覚は、単なる『受験生』というよりは、高校野球児のそれに近かった。目指す東京の大学には、文字通り、全国から受験生が押しかけてくる。定員に対する競争率は基本的に10倍以上。合格者に対する実質的な競争率も8.8倍。100人の受験生に対し、10人が受かるかどうかという厳しさだから、受けた学部は国公立あわせて13学部。『落ちるんじゃないか』というのより、『なんとしても一つは受かってやろう』という感覚だった。今に至っても、あんなに勉強だけをした時期は他にないから、本番になるのは怖くなかった。むしろ、『いよいよ全国大会か』という高揚感すらあった。その幕開けが『センター試験』だった。無論、第一志望は青学だったので、決定的な重要性はなかったものの、時期的にも、規模的にも、雰囲気からしても、申し分はなかった。第一志望でなくても、センター試験の出来如何でどこまでの国公立を受けられるかがわかるのも興味深かった。結果は結果だ。希望する大学に受かったとはいえ、夢見ていたような大学生活とはやや違っていたし、そこを卒業したからといって、明るい一生が保障される世の中でもなくなった。それは後になってわかること。でも、あの時点の心躍る気持ちは忘れない。自分の力と、明るい未来を素朴に信じ、晴れの舞台に挑む独特の高揚感。あの思いは、私の原点だし、受験生の姿を見ると、今も、身が引き締まる思いがする。受験は勝負事である以上、『結果が全て』ではあるけれど、一生懸命頑張った手応えは失われるものではない。『結果』は忘れるけれど、それ以上に残るものが、あるのも『受験』なのだと思う。
January 21, 2006
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今日はぬいぐるみで遊びました。洋服を脱がせて、また着せようと、ぬいぐるみに一生懸命押し付けていました。
January 20, 2006
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今日は巨大積み木で遊びました。巨大積み木で、汽車を作りました。最初ははなちゃんも汽車に乗って遊んでいましたが、すぐに飽きたみたいで、トコトコと歩いて行ってしまいました。
January 20, 2006
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今の仕事をしていて、常々感じるのは、『色んなことができる会社だな』ということ。百貨店の社員というと、売り場で物を売るとか、商品を仕入れるとか、せいぜいメーカーさんと交渉するくらいだろうと、思われるだろうし、実際、そんな人もいるのかもしれないが、入社以来9年。経験したことはそんなものではなかった。勿論、紳士服事業部所属という、王道もあった。しかし、今思えば、それはわずか3年そこらの経験に過ぎず、本屋になったり、経理をやったりする中で、様々な『副業』を経験した。ラジオに出たり、ミニコミ誌に出たり、祭に出たり。コーラス部では毎年大勢の前で歌うし。一つ一つは面倒ではあるけれど、色々あるから飽きないのだと思う。そして今回、私は『先生』を経験することになった。一応本業の経理がらみ。どこの会社でも、決算になると、『棚卸(たなおろし)』というものをするのだが、百貨店になると、物凄く大規模なものになる。その手間を少しでも省こうと、ハンディターミナルという機械を使って行うのだが、何せ老若男女が集う職場だ。操作に不慣れな方も多かろうということで、研修を行うことになったのだ。とはいえ、全社でやることなので、一度では終わらず、数回に分けてやることに。全社の棚卸を取り仕切る立場にある経理部主計担当として、私も『先生』になった。実は、『先生』という仕事には、以前から興味があった。たまたま入った大学の学部が、あまりそれには向いていないことを知ったため、早々と諦めたが、本当に『教師』になった友人もおり、それはそれで羨ましく思っていた。1回当たり約30人の『生徒』に、90分。手順に従って、みんなと一緒に、説明しながら練習し、本番に備えてもらおうというもの。やってみたが、やっぱり面白かった。『何が難しいのか』という点が、やる前に考えていたことと実際では、違っていたから。先生をする前、思っていたのは、『先生とは、教えること以上に知っていなければならない』というのが、一番重要だと思っていた。いくら分かっているつもりでも、『知っている』と『教えられる』には大きな隔たりがあるのだろうと。その辺に不安を感じていたわけだ。でも、実際やってみて一番難しかったのは、『落ちこぼれを作らずに、時間内に全員に カリキュラムをマスターさせること』。いわゆる授業経営だとわかった。考えれば分かることだが、同じような仕事をしている『初心者』であっても、理解力の度合いは様々だ。ハンディ端末のような電子機器の場合、携帯電話に慣れている若い世代は、まず分かってもらえる。しかし、孫がいるのではというような年齢の人の場合、同じように教えても、飲み込みは段違いに悪くなる。分からない人に限って人の話を聞かず、自分で勝手に操作しようとする傾向もある。また、分からないのに、分かっている振りをしている人も中にはいる。9割方の人はほぼ問題なく伝わっているようだが、こちらとしては、全員に理解してもらわないと、研修をやる意味がない。従って、どうしても『最も出来の悪い人』にレベルを合わせてやっていくことになり、若い人にとっては退屈なものになっただろう。考えたこともなかったが、公立義務教育の『学級崩壊』なども、こんな話なんだろうなと思った。実際問題として、人間にはいろんな資質があり、得意不得意があるのだけど、公立学校では、『習熟度別クラス編成』は、建前としてやりにくいに違いない。そうなると、相当の情熱を持って指導しないと、全体のレベルアップは望みにくい。そうなった時、先生はどうあるべきか。出来ない子を見捨てるのか。出来る子をスポイルさせるのか。『分からない人は塾へ行きなさい』というのは簡単だ。でも、プロである以上、『落ちこぼれは絶対作らない』という気概を持って取り組み、その上で、全体のレベルアップを図っていくことを目指してほしい。勿論、それが一番難しいのは分かっているが、王道とはそういうものだ。
January 20, 2006
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改めて述べるまでもないが、近年、わが国の社会構造の変革は激しい。いわゆる『勝ち組負け組』の二極化構造がいよいよ顕在化され、後者に至っては、数も増え、前後の差も開き、それが常態化することで、『希望格差社会』とも『下流社会』指摘され、そんな本を書く人は人を不安な気持ちにした挙句、印税収入で『勝ち組』になるという、実に嫌味な時代風潮となっている。みんな言われなくとも分かっているのに、わざわざそんな嫌な社会について書く人は、新聞社の人間も含め、本人は安全な立場に守られ、そのくせ本気で心配しているような口ぶりで書いているところが本当に厭らしい。そんな中また1冊の本を見つけたので、よせばいいのに読んでみた。『しのびよるネオ階級社会』著者の林信吾という人を私は知らなかったが、どうやら、10年ほど英国在住の経験がある人らしい。そして、その経験から、日本は英国と同じような『階級社会』に移行している気がしてならず、この本を書いたらしい。著者は私と同じB型なのか、具体性を欠く直感的な分析が多かったのだが、彼の紹介するイギリスの『階級社会』というもの自体は、なかなか興味深いものだった。それによると、イギリスには王室のような貴族階級は別にしても、中産階級と労働者階級のようにかなりれっきとした区別がある。階級が違えば、住むエリアから学歴、愛好するスポーツ、読む新聞、酒の飲み方、言葉遣いといった、ライフスタイルが全て異なるという。それは単に所得があるとかないとかではなく、世襲的性格を帯びたものであるという。勿論、所得の格差もあるのだが、それは日本とは比較にならないらしい。日本のように、勉強して東大に行ったら貧乏人でも出世する可能性があるというわけでもないようだ。たとえば、ケンブリッジとか、オックスフォードといった名門大学も、小学校から私立という特別な教育を受けてきた良家の子女出身が大半を占め、彼らはコネなどで比較的容易に進学できるのだが、高校まで公立で行っていた人が受験しようとすると、入試の難易度までが物凄く高いという。そもそも両者はそれぞれの階級的プライドを持っており、自分が生まれた階級を変えるという発想は、殆どないらしい。この制度の決定的な問題点は、労働者階級の考え方がとても刹那的であり、向上心が生まれにくいことだという。そのため、地下鉄のダイヤは当てにならなかったり、社会の基本的な部分で、かなりいい加減なところが多くなっているらしい。そんな様子を見てきた著者なので、日本もそんな風になりつつあるように見えてならないのだろう。言われてみれば、思い当たる節は多い。教育に関していえば、東大生の親の年収は多大生のそれに比べても高いということは有名な話だし、私の出身大学も、お金持ちの人は幼稚園から通わせていれば大学までストレートで行けるものの、授業料は小学校が一番高く、大学が一番安かった。金持ちの息子ではなかった私は、高校の頃、他人に話すのが恥ずかしくなるくらいの猛勉強をして、やっと入学した。教育問題というのは本当に重要で、一流の教育を受けるための費用が高くなると、『格差の世襲化』というのが進むというのは当然の話だ。結局のところこの手の本の欠点は、未来に対して悲観的にならざるを得なくなることなのだが、この本も例外ではない。事実として受け止めなくてはいけないのもあるのだろうが、考えても仕方のない部分もある。私に出来ることは、毎日、精一杯家族を愛することと、余計なことを考えず、きちんと仕事をすることだけなのだろうか。
January 19, 2006
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洒落にならない状態になったようだ。ライブドアの粉飾疑惑。一昨日のヤフーの掲示板あたりで最初にネタが上がり、性質の悪い冗談かと思いきや、本当だった。捜査当局も馬鹿ではないので、捜査して何も出てこないということは無いだろう。となると、疑惑は証明され、グループ全体が上場廃止にもなる。連結で資産総額3,300億、自己資本比率58.6%の企業グループが簡単に崩壊するとは経理の感覚からすると思えない。でも、そもそも彼らが今までにやってきた事業というのは、別に何か特別なものを作っていたわけでもなく、素晴らしいものを売ってきたわけでもない。単純にいえば、ひたすら、潰れかけた会社の株を買収し、その繰り返しによって株式市場での時価総額を吊り上げ、その利益で成長を遂げていた。普通に何かを作ったり、売ったりして挙げられる利益ではなく、成長率でもない。そもそも『金融』という金転がしのバブルだったわけだ。だから、いくら資産があっても、金融資産が主だから、今回のような事態になると、その根底が揺らぐことになる。あの会社の関連株だけで、1日にして1,000億も時価総額が下がったという。ホリエモンは下手すれば警察の厄介になることになるし、会社も厳しい状態になる危険は十分考えられる。と、ここまでは、粉飾決算が見つかった企業なら、仕方の無いこと。西武もカネボウも、やってきた。ただ、洒落にならないのは、今回の場合、日本の株式市場全体にその影響が広がっていること。『企業業績の回復』とか、もっともらしい理屈で、昨年後半から日経平均株価はおかしいくらい上がってきた。私の勤務先の株価も、業績と無関係に1.5倍近くも株価が上がった。それが、今回の事件で一気に下げに転じたのだ。実は私の会社だけかと思っていたのだが、そうではない。全体的な話で、最後には東証のコンピューターがショートして、全銘柄の取引停止にまでなった。これって、また、あの『バブル崩壊』の再現じゃないの?と思う。結局のところ昨年の株価上昇に関しては、ネットを通じた個人投資家の増大もさることながら、外国人投資家のマネーがかなり入っていたのに、今回の事件で彼らの日本に対する評価が下がり、一気に売られたということだろう。今のところ、困るのは株に手を出した欲深い方だけだろうし、この二日間だけを見れば、落ちたといっても、高が知れている。でも、これは何かの始まりのような気がしてならない。『ヒルズ族』のような人達の勢いがずっと続くとは思えなかったが、終わってしまうとあっけないなと思う。出来るだけ穏やかな自体の収拾を願うのみだ。
January 18, 2006
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園にくると、しばらくはじっとしていましたが、おもちゃが出ると、泣くこともなく、すぐやってきて、遊び出しました。給食も、いつも通り、よく食べました。
January 17, 2006
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病院からインフルエンザの予防についての通達がありました。家庭のほうでも、十分な休息、水分の補給、手洗いを強化してください。今日はブロックを手に当て、電話でもしているように、モゴモゴ言っています。給食、完食です。
January 16, 2006
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元気にブロックを振り振りして遊んでいます。先生たちの顔を覗き込んで、上唇をかんで、嬉しい顔をしています。
January 14, 2006
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今日は鼻水が良く出ていました。まだ本調子ではないんでしょうね。今日はままごと遊びをしました。はなちゃんはスプーンと皿で遊んでいました。
January 13, 2006
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さてさて。昨年頃から気になりだしたテーマのひとつに、『住宅』がある。現在、2LDK家賃6万のアパートに住む私。以前の日記を見ればお分かり頂けるように、かなり適当に選んだ割には、随分と住みやすい家となっており、風呂の『追い炊き』が出来ないことを除けば、文句は何もない。しかし、だからと言って、この借家に永住するのかといえば、さすがに疑問も残る。じゃあどうするのか。長男長女の夫婦で、どちらの両親も持ち家なのだから、わざわざ家を買う必要もない気がするが、なんとなく最近、嫁がマンション購入に興味を持っている。お金の面からいえば、このまま共働きを続けるのであれば、無理な話ではない気はする。貯金が全くないわけではないし、もう少し貯金が増えれば、何とかなる気もする。でも、正直言えば、私は怖い。昨年から問題となっている耐震構造の話は勿論だが、理由は色々ある。ひとつに、立地条件。一軒家にせよ、集合住宅にせよ、子供の頃から『団地』に住んできた経験からすると、マンションの立地はどれも環境的に悪い気がしてならない。もうひとつが、ローン。よく、『家賃払うよりは』と言うが、本当だろうか。ローンには金利が付く。買ったその瞬間から価値が下がるようなものに、30年もの金利を払い、固定資産税や管理費・修繕費などの諸費用を払い続ける方が、大変なのは言うまでもない。また、どんなによいと思って買ったものでも、飽きる気がしてならない。私はこの30年間、同じ場所に10年以上住んだ経験がない。買う時は惚れ込んでいたはずの車でも、あっという間に欠点ばかりが目に付き、5年ローンが終わる日が待ち遠しいくらいなのに、マンションなら飽きないなんて、私には思えない。『マンションを買わないと描けない夢』というのが、どうも私には持てない。予算的に何とかなるマンションは、それほど広いとも思えないし。とはいえ、嫁はどんどんその気になっているし。家を購入した人に聞いてみたい。みんなはどういう基準で選んでいるのだろうか。
January 13, 2006
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今日はお天気が良く、暖かかったので、園庭で遊びました。靴を履いて外に出ると、トボトボ歩きながら探検しているようでした。
January 12, 2006
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今日はぬいぐるみで遊びました。アンパンマンがお気に入りのようで、じっと握っていました。お友達から取られそうになると、必死に抵抗していましたが、取られてしまいました。でも、マイペースで、違うぬいぐるみを探しに行っていました。
January 11, 2006
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今年初めての書評は『半落ち』。私が本屋で勤務していた頃、日本ミステリー界を震撼させた話題の本。いつの間にやら文庫で登場。10年ほど前、隆盛を極めていた日本の『ミステリー』。いつの頃からか売れなくなり、色んな意味で業界全体が白けていた時に、ポッと出てきたのがこの作品だった。作者の横山秀夫氏は、顔だけ見ると、指名手配の写真にいそうな地味な人なのだが、調子に乗ってどんどんベストセラーを連発し、『半落ち』も、いつの間にやら映画にまでなった。(そのうちドラマも?)そんな訳で読まずに入られなかった本書。読んだ感触は、『さすが』という他なかった。実直そのものの現職警察官が、アルツハイマー病の妻を殺害したとして自首してくる。妻は病気になって以来どんどんボケが進み、とうとう一人息子の命日までも忘れるようななった。「せめて息子の記憶が残っているうちに」という妻の言葉に従い、苦渋の思いで妻を殺した警察官。しかし、彼が妻を殺害してから警察に出頭するまでは、2日間の空白があった。素直な彼だったが、その2日間についてだけは、どうしても口を開こうとしない。その2日間、一体何があったのか。たったそれだけの謎を解くために、様々な人間が登場し、それぞれの方法でそれを探ろうとする。が、なかなか分からない。別に計が変わるわけでもない。知らなくてもいい謎なのだが、実直で穏やかな彼が、何故それだけを隠すのか。単純なだけに、スピード感は満点。最後に結末を知った時は、久々にミステリーの爽快感を味わった気がした。それにしても、アルツハイマー病はつらい。おととし亡くなった祖父が晩年罹っていたが、それまでの人生で得た思い出や記憶が徐々に薄れ、しまいには介護をしてくれる家族のことまでが分からなくなる。家族にしても、いつ終わるのか分からない介護を、誰のために、何のためにしているのかさえそのうちわからなくなる。嫁は、『そんな風になったら施設に行く』と言うが、施設もタダじゃないし、先日は火事で丸焼けになったりもした。だんだんそういう話も、無視できなくなってくるのだろうな。
January 11, 2006
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泣くこともなく登園してきて、すぐに給食でしたが、いつもどおりの食べっぷりで…よく食べてくれるので、助かりますね。
January 10, 2006
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嫁がインフルエンザにかかった。娘には予防接種をしていたのに、嫁は受けていなかったのだ。(当然私も…)昨日から高熱が続いて、それでも職場では平気なふりをして、今日も出勤するつもりだったようだが、どう見ても熱が高く、フラフラだったので、休ませることにして病院に行かせた。きっと私が職場復帰したので、少し気が緩んだのでないかと思う。思えば私の怪我による休職中、一番迷惑をかけたのは、嫁だった。職場にも当然迷惑はかかっているが、いざとなれば、何とかなる。でも、家に帰ったら、私の分は全て嫁が補わねばならない。仕事をしながら、家事・育児。元々責任感は人一倍ある嫁だ。心理的プレッシャーがかなりあったことだろう。また、仕事に行けば仕事に行ったで、会う人会う人知らない人にまで私の怪我のことを聞かされる。嫁はは知らなくても、相手は私のことを知っている。自分に責任はないのに、旦那の分まで謝らねばならないこともあっただろう。当然ながら、休職中、嫁は私に対し、決して優しくはしてくれなかった。『大丈夫?無理しないでね』などといった言葉さえかけない。『仕事をしてないんだから、出来ることは手伝ってよ』というのが基本スタンスで、掃除機、洗濯、子守、大掃除の手伝い。風呂掃除、庭の草取り…怪我の回復具合に合わせて、出来うる限りのことをさせた。基本的には『鬼嫁』だった。外に対しては決して弱音も不平不満も言わない『いい子』の嫁がぶつける相手は、常に私しかいないのだ。しかし思えば、あれだけの大怪我(前回は復帰に3ヶ月かかった)をしておきながら、3週間で曲がりなりにも復帰できたのは、そんな嫁のお蔭のような気がしてならない。休職中、正直一番つらかったのは、仕事が出来ないことでも、怪我の痛みでもなく、そんな嫁の様子を見ることだった。無理して色々な家事を手伝ったのも、結構きつかったが、結局あれが一番良いリハビリだった。嫁は文句は言うが、やることはやった。仕事もしたし、弁当も作ったし。申し分のない働きだった。だから、ここにきてちょっと疲れたのだろう。私はもう大丈夫。年末年始も家事やその他でゆっくり寝ることのなかった嫁。今回はゆっくり休ませてやりたいと思う。
January 8, 2006
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今日は私たちのエプロンをほどこうとしているのか、真剣に触っていました。出来ないとわかると、前に言って、『ばぁ』といっておどけて見せてました。かわいかったです。給食、完食です。
January 7, 2006
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いやぁ。それにしても、仕事がいつまで経っても片付かない。毎日忙しかったはずの仕事を3週間も休めば、それも仕方のないことなんだけど。そんな訳で、まだしばらくは休まずエンジン全開で仕事をすることになりそう。それにしても、さっきふとつけたナイナイのテレビでやっていた岩手県の一関というところ。餅を力いっぱい食べさせられそう。私は食べてもせいぜい2~3個。なのに矢部は20個近く食べていた。食文化って土地によって色々ある。こっちでもとんこつラーメンは全国的にも有名だけど、ごぼう天うどんも相当メジャーな存在。この辺の人はうどん屋に入ると、7割近くがごぼう天にしているような印象だけど、私の記憶では、東京でごぼう天うどんは殆ど見たことがない。そんなつまらぬことを考えているうちに、わけもなく極太麺の手打ちうどんが食べたくなってきた。仕事を復帰したばかりのせいかもしれないが、ここ数日ご飯がやけに美味しい。明日もがんばろう!
January 7, 2006
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子供に必要な『環境』とは?実は昨日、我家にある男性が訪れた。先日、娘の発育状況の診断をしてもらったらしく、その結果をわざわざ説明にやってきた。結果は概ね私の想像通り。運動神経や身体能力、探究心の発育は物凄く発達しているのだが、言葉の認知能力や、図形の認識力などがやや遅れているとのこと。子供の発育は、その環境に左右される部分が大きく、バランス良く伸ばしてあげることが大切なのだと。聞けば、彼は知育玩具の販売会社の人間だそうで、その玩具を使えば、非常にバランス良く、創造性にあふれた子育てになるのだと。確かに実際見せてもらったその玩具は、とてもよく出来ており、発達心理学の見地からも、文句の付けようのないものばかりだった。今すぐ使えて、小学校低学年まで、色々な遊び方が出来そうだ。聞けば、今の小学校は我々の時代のそれとはかなり異なり、入学前の段階でかなりの基礎力を付けておかないと、入学早々落ちこぼれになりかねない。実際、小学校一年生で使われる問題を解いてみたが、驚いたことに、大人の我々でも結構難しい。というか、言われるとおり、問われる内容・観点が変わってきているに思える。そんな訳で、いわゆる『お受験』とは別に、知育発達のための教育投資をする家庭が急増しており、その費用もかなりのもの(下手すれば総額100万近く)になっていると説明される。と、そこまで来たら、その商品のご案内だ。そもそもこの知育玩具、いくらぐらいだと思うかと質問される。『安くても50万くらいでは?』と答えると、ズバリその通りだった。とはいえ、その期間に対する総費用という観点で他の業者と比較しても、決して高くないという説明。さーて。結局のところ、これはとても上手く出来たセールスだった。もしも我々にそれなりの小金があったら、迷わず買っていたかもしれない。殺し文句は『子供は環境を選べないのだから、 親が最良の環境を整えてあげなくては』。しかし、ちょっと考えてみれば、この話はおかしい。まず、まだ子供が1歳そこらの親に対して将来の不安をいたずらに煽るというやり方。次に、あたかも小学校に上がるまでにはそれなりの教育投資が避けられないという前提条件。決定的なのは、どれだけ優れているとはいえ、子供が本当に興味を持つかどうか分からないものを『セットで』販売するというやり方。(当然分割は可能だが)以上のことを説明し、男性にはお帰り頂いた。(それでも、夜の8時に来て3時間近くもいたのだから、 大した度胸である)子供の様々な能力をバランス良く育てる環境を与えてあげるのは、親の務めというのは、正論であり、それ自体異論の持ちようはない。しかし、基本は本人の興味であり、資質だと私は思う。。その点で、環境に全ての原因を求める考え方には反対だ。例えば、習い事にしても、本当にその子に資質なり興味があれば、いつの日か自分からそれを希望するだろう。絵を描きたければ自分から絵を描くだろう。また、この歳から保育園に通わせているのだから、保育園でもさすがに『ただ預かっているだけ』というはずはなく、時期に応じて、それなりの教育はしてくれるだろう。私自身を思い返しても、本は言われなくてもどんどん読んだし、言われても運動は苦手だった。結果的にとても癖のある人間に育ったのは事実だが、一応まともな生活はできている。特別な何かを親にしてもらった記憶はないが、結局そんなものだ。恵まれた環境に育ったから将来の成功が約束されるわけでもなく、そうでないからといって、絶望する必要はない。一番大切なのは、人間としてのしつけと、安全の確保だと思う。良いことと悪いことを徹底的に教える。子供が困ったときには、どんな相手であれ、一番の味方になってやる。あとは子供を信じ、まかせる。出来る援助はするけれど、無理してまではしない。少なくとも、頼みもしないのに、他人からあれこれ言われてびびるような親にはなりたくないと思う。
January 6, 2006
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短いつもりが長くなった療養生活が、ようやく終止符を告げた。本日、会社の産業医からもお墨付きを頂き、明日から正式に出社だ。実際のところ、足は完治したとは言い難い。しかし、業務の都合を考えても、そろそろ限界。ある意味『見切り発車』だけど、曲がりなりにも歩けるようになったのも事実。そんなわけで、今日は久し振りに職場に行った。(夕方からは、仕事もした)机には、未処理の仕事が文字通り山積みで、どこから手を付けて良いかわからない状態だけど、不思議と気持ちがいい。少なくとも、休養は十分とっているはずだから、気力は充実している。今回のことで、いろんな人に迷惑をかけたけれど、精神的に利リフレッシュできたのは、とっても良かったのかもしれない。さぁ、しばらく、休みはないけど、頑張るぞ。
January 5, 2006
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さてさて。正月も明け、東証も景気のよい大発会を終え、娑婆の人間はそろそろ本格的に新年の始動を開始した。『凶事』以来、一時的身体障害者及び無業者となっていた私も、いよいよ明日、職場復帰の手続きを行うことになった。それと関係してかしなくてか、今夜観たのは、『電車男』。主題歌を歌ったオレンジレンジのみならず、『邦画ブーム』を本格化させ、『アキバ』『萌え』など、社会的話題をさらい、昨年一大旋風を巻き起こした話題作である。単なるインターネットの掲示板のやりとりが本になっただけでもどうかしているのに、それが大ヒットし、映画化・ドラマ化など、プロの作家でさえ困難なことを一気にやり遂げた昨年最大の『奇跡』と言っても過言でない本作。観ない訳にはいかないだろう。それはさておき、『ウォーターボーイズ』、『世界の中心で愛を叫ぶ』『海猿』、『いま、会いに行きます』『1リットルの涙』等など、近年の《ヒット作》といわれる作品は、原作があって、映画があって、ドラマもあって、下手すれば漫画やラジオドラマ、舞台にもなってと、『作品内競合』が行われている。シェークスピアの戯曲や、ブロードウェイのミュージカル、忠臣蔵や太閤記、新選組モノを考えれば、この現象は今始まったことでもないのかもしれないが、再三指摘しているように、最近は限られた『売れるネタ』をとことん使い倒す手法が見苦しいくらい顕著である。無意識であるにせよ、多くの方々は、『作品内競合』状態がすなわち『観て損のない有力コンテンツ』の試金石であるかのような錯覚を覚えているのではなかろうか。というわけで、『電車男』。映画とドラマ(そして原作)、良かったのは、ドラマだったと思う。『世界の中心で…』でも感じたが、ドラマと比較すると、映画がとても淡白に見えてしまう。エピソードを色々挿入できて、作品世界を膨らますことの出来るドラマの方が、こうした状況では、基本的有利に思える。更に『電車男』に関して言えば、音楽の面白さが全然比べ物にならない。『オタクの魅力』というものに対して、スタッフが相当気合を入れて選曲したのだろうなと思われる。一つ一つの音楽が実に効果的で、テンションを盛り上げてくれる。それからすると、映画版は、実に淡白で、殆ど印象に残らない。また、オレンジレンジのテーマ曲も、エンディングに出てくるだけで、別になくてもいいくらいの使われ方しかされていない。山田君は演技自体は良く出来ているけれど、カッコ良くなるのが早すぎた感がするし、それに比べると、伊藤君のほうが、『オタクの切なさ』というのはストレートに伝わってくる。それにしても、『オタク』とか、『2チャンネル』とか、『引きこもり』というのは、本来、マイナーな世界にあるはずのモノなのに、このヒットをきっかけに、確実に『メジャーな世界』の仲間入りを果たしたのがとても奇妙に思える。しかし、時代の流れは、いつの間にか、多くのものがそうなりつつある。今、メジャーの視点は、マイナーなものにかなり向けられる方向にある。お笑いにせよ、昔は芸を重ねた『師匠』といわれる人がその名の通り偉かったのに、今は『若手芸人』の方が(少なくとも興行的には)台頭している。このブログにしたって、元々は素人でも作れるH.P.の代用品にすぎなかったのに、いつの間にか随分とメジャーになり、ちゃんとしたH.P.を作っている人までが、ブログに移行させたりしている。もはや、『マイナーとメジャーの逆転現象』としか言いようがない。(そういえば、昨年末に、かつて小売のメジャーであった百貨店がマイナーであったはずのコンビに・スーパーに買収されたりもした)それはともかく、私がなんだかんだ言って『電車男』を好きになったのは、オタク云々の話はともかく、私がかつて青い時代を送っていた頃、初めて好きな人に電話する時のドキドキ感を、久し振りに思い出させてくれるからだ。いくら普段饒舌でも、気になる人に初めて電話する時は、勇気がいるし、心が震える。勿論、『電車男』のように、うまくいかないときもあるけれど、全てはそこから始まる。大昔、『涙の数だけ強くなれる』と歌った歌が流行ったが、私を強くしてくれたのは、あの時のドキドキ感のような気がする。妻子持ちとなった今はそんな経験はする必要はないのだけど、あの時のテンションを、持ち続けていきたいと、思うのだ。さあ。明日から、気合を入れて、外に飛び出すぞ。
January 4, 2006
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スターウォーズに対する当てつけのようなタイトル。今更のトム・クルーズ。観る前から、インチキ臭さはタダモノではなかった。『映画館に行ってまで観るものではない』と思っていたが、昨夏の話題作であることは確か。DVDまで出てたら観ないわけにはいかないだろう。そんなこんなで、いつになく偏見の塊を抱きつつ観てみた本作は、意外にも結構楽しめた。同じようなタイトルでも、ジョージ・ルーカスのお話とはまったく違う。どちらかと言うと、『インディぺンデンスディ』や『アルマゲドン』といったパニックムービーのジャンルになる。前述の2作同様、ストーリーは圧倒的に強い異星人の攻撃に対し、なすすべもないアメリカ軍みたいな話が中心になる。敵はあんなに強いのに、味方はこんなに弱くてどうするの?という、もはやお決まりのパターンだが、町が破壊されるシーンは分かっていても迫力十分だし、お決まりだけに話も分かりやすい。で、結局、『宇宙戦争』というタイトルにしては『戦争』というのはそこまで大きなテーマではなく、その過程で絆を深める『家族愛』みたいなのがメインに据えられる。結末のあっけなさと、いくつかの都市が廃墟になる被害を受けながら『主要登場人物全員無事』というお目出度い展開にはアメリカの国民性を感じずにはいられないが、迫力ある映像を見るだけでもこの映画の価値はある。皮肉な話だが、出来れば『映画館で見たかった』。
January 3, 2006
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さて。お正月と2日目言えば百貨店の初売。私は負傷療養中の身なので留守番にしたが、嫁は娘を連れて、勤務先の百貨店に早速行ってきた。折りしも景気回復が叫ばれ、晴天の穏やかな日とあって、店内は戦場のようだったらしい。その戦果がこれ。5千円の福袋。コートにセーター、シャツが2枚と、ズボンが4枚。靴下が3つ。ずらりと広げ、娘も大喜びだった。優しい嫁は、私のためにもネクタイを一本買って来てくれた。年末年始の楽しみとして、高校・大学時代の友人CHYU夫婦の来訪がある。我々とほぼ同時期に結婚した彼らは、東京在住ということもあり、なかなか顔を合わせる機会もない。そんな中、昨年より、年末年始のいずれかに我が家を訪れてくれることが恒例となりつつある。いつの間にか住むところも離れ、活躍の舞台も全く別々となった彼だが、かつては共に学び、笑い、涙を流した間柄。彼らとの付き合いは嫁や娘とも長い。そんな間柄だからこそ、この行事は、出来るだけ恒例としていきたい。そして、その中の儀式となっているのが記念撮影。去年の写真今年の写真元々我家を訪れた方に関しては、出来るだけこんな写真を撮ることにしているのだが、こうしてみると、月日の移り変わりが結構楽しめる。我々に関しては多少太ったりやせたりするだけで、一年では殆ど変わらないが、娘の顔は全然違う。元々2人だけだった繋がりが、今は5人になっている。いつの日かこの顔ぶれの中に新たなメンバーが加わることもあるだろう。よく言われることだが、変わることと変わらないこと。どっちも大切にしていきたい。
January 2, 2006
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元旦というわけで、調子に乗ってもう一つ。『きみに読む物語』を観た。こっちは非常に良かった。いつも途中で寝てしまい、映画というものを最後まで殆ど見たことのない母も、ちゃんと見ていたし、嫁にいたっては号泣。まだご覧になっていない方は、何も考えずにご覧戴くことをお奨めしたい傑作である。嫌いじゃない程度だけど、将来性抜群のオトコを選ぶか、大好きだけど、貧乏生活覚悟のオトコを選ぶか。女性にとっては究極の選択だろう。普通の親ならば、間違いなく(なんとしてでも)前者を推すだろうし、当の本人も、殆どが前者を選ぶだろう。『苦労は買ってでもしろ』という言葉があるが、『しなくてもいい苦労をわざわざする必要はない』というのは私の座右の銘だ。結婚は現実だ。理想で生活は出来ない。しかし、結婚相手は、株や不動産物件とは違う。条件だけで選んでも、心が通じていない結婚は空しい。現実問題として、家柄が極端に違う者同士の結婚はかなり困難が付きまとうと思うけれど、一生に一度の決断を後悔しないために、正直になってもいいのではないか。誰もが成功を疑わないやり方が本当に成功できるとは限らない。そしてその逆も然り。この作品はそういう悩みに勇気を与えてくれる。それにしても、目下薄給を地で行く私との結婚を決断してくれた嫁には、改めて感謝したい。彼女の決断が失敗とならないように、これからの人生、頑張って生きたい。
January 1, 2006
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怪我をしているというのもあるが、年末年始、何よりも厭になるのは、どうでもいいバラエティー特番をダラダラ観ることだ。かといって、何かをするわけでもないお正月。どうせダラダラするならばというわけで、ビデオを観た。なにせ娘が産まれてからというもの、観ていない作品はいくらでもあるのだ。以前、『猟奇的な彼女』がとっても好印象だったこともあり、同じ監督・主演女優がやった『僕の彼女を紹介します』というのを観てみた。一言で言えば、ガッカリした。ジャッキーチェーンじゃあるまいし、いくらその女優の魅力がそこにあるからといって、前作と全く同じようなキャラにするというのはどうかと思う。そもそも役者の魅力というのは、作品によって幅を拡げるものなのではないか。そして、中盤以降のゴーストのようなストーリー展開。更に流れてきた歌が韓国の歌あり、洋楽あり、極め付けがX-Japanの『Tears』。何でも盛り込みたい気持ちは分かるが、あまりにもつくりが支離滅裂だった。そもそも主演俳優が、『僕が死んだら』という科白。体の具合がどこも悪くない普通の青年は、普通そんなことは言わない。常に危険が付きまとう警官役の主人公ならともかく、何故にあの人がそんな発想を抱くのか。後半への布石としてやむをえない部分はあるにせよ、その辺りの不自然さが、全体の説得力をなくしている。うーん。年頭にこんなものを観たので、しばらくは韓国映画を観たくなくなってしまった。
January 1, 2006
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新年あけましておめでとうございます。旧年中賜りました厚情に感謝致すとともに、皆様の健康と幸せをお祈りします。
January 1, 2006
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