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夏日が続く中、今日は空気もひんやりと涼しく、火照った地上のエネルギーを、やんわり鎮静化させてくれているようです。一人静かに、部屋に座っていると、様々な鳥たちの歌が・・・また、ゆっくり外を散歩していると、咲きこぼれる花々が・・・それらの美が、内に沁みわたって行くのを感じます。それらと一つに溶けあい、静かな喜びに包まれます。早いもので、もう5月も終盤ですね。ご自分をとりまく状況が目まぐるしく変化し、どんどん葛藤と直面させられている方。反対に、まったく状況が動かず、先も見えず、焦りや不安で居たたまれない方。また、眠くてたまらない方や、体調を崩されている方も多いようです。いずれも、大いなる解放・変容のプロセスでありそれぞれの方にとって、最善のタイミングで体験されていることですからどうぞ、その「大いなる一つ」の顕れを信頼してみてください。私たちは「大いなる一つ」のひとしずく、として今ここを生きています。感じるべきでないこと、感じてはいけないことなど、何一つありません。体験すべきでないこと、体験してはいけないことなど、何一つありません。ネガティブ、悪、闇、いじわる、不道徳、非生産的、不合理・・・どんなラベルを張り、どう分別してもかまいませんが、そのように「良くないもの」と判断する、感情・思考、言動や体験であってもそれは、ただ、体験したかったから体験した。それだけです。ですから、ご自分を咎め続けるのは、否定し続けるのは、気づかれた方から、もう充分体験された方から、卒業して行きましょう。楽になりたいから浄化をする。もう不快なエネルギーを味わいたくないから浄化をする。苦しみから解放されるには悟りしかないから、そのために浄化をする。この「浄化」という言葉を例えば、「瞑想」とか「修行」とか「魂磨き」など他のものに置き換えてみてもいいでしょう。そのような、藁をもすがる思いで、そのような動機で、浄化にご興味をもたれ、スタートされることは、素晴らしいことです。まさにベストなタイミングであり、お導きなのでしょう。ですが、そのまま続けられていくと、やはり行き詰ります。「こんなに一生懸命浄化をしているのに、まだ不快な感情・思考が消えません」「浄化してもしても、次々に湧いてきて、きりがないようで、不安になります」「どれだけ浄化をすれば、安らぎを感じられるようになるんでしょう」よく伺う、ご相談です。これは、例えば「こんなに瞑想に時間を費やしてきたのに、まだ覚醒体験ができない。」「こんなにつらい修行に耐えてきたのに、まだ光明が得られない。」そんな苦しさ、悔しさ、焦り、いら立ちと同じ感覚でしょう。なぜ、そこにはまり込んでしまうのか?それは今この瞬間、今ここのありのまま、今のご自分を否定し続けているからです。今の状態ではダメだから、苦しいから、目標を設定します。悟りでも、安らぎでも、平和でも、それを目指すべき聖域に祀り上げます。それは、「今ここには、それはない!」と宣言していることです。いつかはそうなれるかも。いつかはそうなりたい。いつかはそうなってやる。でも、それは、いつまでたっても今ではありません。その「目指している」「待ちわびている」「夢見ている」状況を、今は、ただ表現しつづけることでしょう。繰り返します。感じるべきでないこと、感じてはいけないことなど、何一つありません。体験すべきでないこと、体験してはいけないことなど、何一つありません。何を感じようと、何を考えようと、どんな体験をしようと、OKです。どんなカルマ、どんなトラウマ、どんなブロックがあろうと、OKです。どうぞ、他の何かになろうとしないでください。より善いもの、より崇高なもの、より偉大なものであろうとそんな目標、そんな型に、ご自分をはめようとはなさらないでください。そのままの、ご自分を受け入れ、認め、向き合ってあげてください。繰り返し上がってくる、ネガティブな感情・・・大丈夫です。何の問題もありません。ただ、そのままを見つめ、感じてあげてください。全然進歩、前進しないことへの焦りや不安・・・大丈夫です。何の問題もありません。ただ、そのままを見つめ、感じてあげてください。もうこれ以上苦しみたくない、楽になりたい・・・大丈夫です。何の問題もありません。ただ、そのままを見つめ、感じてあげてください。これまで、散々苦しんできた、頑張ってきたご自分を認め、ねぎらい、感謝し、愛で包んであげてください。「もう、あんな思いはしたくない」その恐れや不安、「まだ、こんな思いが湧いてしまう」その失望や自責の念、「いつになったら、安らぎを得られるのか」その焦りやいら立ちもそれらの起きてくる反応、感覚、すべてを咎めず、裁かず、ただまっすぐ、見てあげてください。弱い自分、変われない自分、評価に値しない自分醜い自分、意地悪な自分、臆病な自分、妬む自分そんな自分の一面を受け入れられず、嫌っていることに気づいてください。今許せないなら、今認められないなら、そのままでOKです。あるがままの自分を許せない、今の状態を、許してあげましょう。今の自分じゃダメなんだ!と感じる、今の気持ちを、認めてあげてください。「そうか、わかったよ。そのままでいいんだよ。いつもありがとう。大好きだよ。」まるごと包み込み、抱きしめてあげてください。今をあるがままに、受け入れていくこと・・・それが、扉を開く鍵です。
2015.05.29
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ゴールデンウィークいかがお過ごしですか?29日は、初の青空交流会を開催することが出来ました。初夏の爽やかな日差しの中、広い芝生の公園で、海を見ながら身体を動かしてのボディワークや、グランディングのイメージワークそして皆さまとの楽しいシェアタイム。貴重な体験・気づきについてのお話しや、それに対する質問がポンポン飛び交いとてもイキイキとした、のびやか、おおらかな交流会となりました。ご参加くださった皆さま、ありがとうございました。また今後も、このような場を設けていきたいと思います。さて、私のゴールデンウィークは・・・夫が、子供たちを実家に連れて行ってくれているのでのんびり休日を楽しんでいます。何時に起きて、何時にご飯を食べさせて、そんな思考が一切起こらない(笑)何にも縛られていない、とても自由な感覚。逆に言えば、普段は、日常では、そのような思考に追われ、そのような不自由さに縛られているということですよね。気づくたびに、はい。浄化です(笑)私たちは、「無意識」に「無自覚」に滑り込むことが、とても上手ですよね。これは意識的でない状態、エゴや肉体の反応と同一化した状態と言えます。それは、「役割」や「立場」といった仮面をつけて、さも当然のようにやってきます。母親、父親、妻、夫、子、経営者、先生、上司、部下etc…親と居れば、「子」としての振る舞い、反応が起こり子と居れば、自然と「親」の立場で思考・行動してしまう。パートナーと接する時、また上司や顧客と接する時ではそれぞれ演ずる役割は違ってくるのではないでしょうか?それらは、いつもお馴染みの感覚であり、「無意識」に「無自覚」に、とにかくず~っと続けてきた習慣であり、まさに自動的・反射的な反応なのです。あまりに慣れ親しみすぎて、それらの反応が「私」「自分自身」であると思いこんでしまっているほどです。それが、本当のストレスの原因であるにもかかわらずそこに安心を見出し、執着を感じています。外側の状況、関係が際限なく続き、巻き込まれたままではその習慣、思い込みから離れ「意識的」でいることは、なかなか難しいかもしれません。ですから多くの先達が、瞑想を勧めているのですね。まずはもろもろのしがらみから離れ、一人になること。一人静かな時間と空間を、自分に与えるのを許すこと。そして常に外を向いている肉体の目を閉じて内なる目を開き、内側に広がる宇宙を感じ、向き合うこと。これが「意識的」な状態です。観察者の視点であるということです。瞑想でその感覚が体感できたら、これまでの日常に、どんどん観察者の視点をもたらしていきましょう。続けていると今度は、この「意識的」な状態が習慣となってくれることでしょう。でも、油断すると(笑)すぐ「無意識」に「無自覚」に引き戻されます。それは、ただ単に、長年染みついた習慣だからです。あせらずに、取り組んでいきましょう。引き戻されれば、ストレスや不快感・違和感が感じられ思考のお喋りが騒がしくなることでしょう。そこでハッと我に還り、また「意識的」であることを選択すればいいのです。浄化は、そのプロセスを強力にサポートしてくれることでしょう。内側を見つめ、どうしようもなく起こる反応、そのエネルギーを一つずつ見つめ、感じ、手放していってあげましょう。「子」としての自分が感じている哀しみ・無力感を「親」としての自分が感じている苛立ち・責任感を「社会人」としての自分が感じている怒り・束縛感を「パートナー」としての自分が感じている不満・欠乏感をそして、そんな風にいつもいつも反応してしまう「弱い自分」「醜い自分」を嫌悪している、許せない、認められない・・・そんな思いもまるごとやがて、今まで「私」「自分」と認識してきたものがいかに限定的な矮小化されたものであったかがわかるでしょう。それが夢のような儚いものであったと理解するでしょう。同時に、困難と葛藤に満ちたそれらの体験も、愛であったと大いなる受容が、解放が起こってくることでしょう。
2015.05.05
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