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甲州街道はだいたい20号線に沿って続いている。いや逆だ。甲州街道に沿って20号線が作られた。 しかし、高尾口から勝沼までは山の中だ。歩く道と車の道ではおのずと違ってくる。20号に付かず離れずのところと、大きく離れてしまうところとある。 「ほらその先から20号離れて左に降りて」 「え、こんなとこ降るの?川に落ちるよ」 「あ、しまった。一本手前だった。やり直し」 なんていう会話をしながらの珍道中。 高速道路からも一般道からも取り残された野田尻宿の郵便局 いつもの中央高速で休む談合坂登りSAを上から望める位置では富士山が見えた。 一本手前の道を間違えて降りてしまったが、無事に発見した猿橋。 大月宿の手前
November 18, 2020
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さて、前回の記事の写真、あれは超小型水力発電。 徳島堰第一発電所 ただ今0kw。まあ、見た時には稲のない冬で、堰に流れる水が少なかったから。 韮崎市のホームページから。 こんなんなってるらしい。 それにしても田園地帯にしては流れる用水路が大きい。気になって調べてみたら、この地域が昔からすごい夢と工夫の宝庫だった。 まず、発電所が点々とある堰。 今から340年前、信州、甲州、静岡を舟運で結ぼうと徳嶋兵右衛門という人が資材を投げ打って作ったのが未完成で運搬には使われず、結局その辺りの美田の開発と発展に寄与した。3州にまたがる運河、なんとも壮大だ。 そして実は隣の北杜市は日照率で太陽光発電の宝庫であるが、この新田地域にはこの奇妙な発電所の他に太陽光パネルでの発電所もあるのだった。 韮崎市のホームページから借りた写真。 うーん、人と違うことに挑戦する引き継がれた歴史。 甲州街道の旅もまた面白い。
November 15, 2020
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これは何でしょう? 毎日歩いて、その距離を甲州街道の地図で辿る。現在、相模湖を越えて藤野辺り。 うーん、地図見ているだけだと、実感が湧かない。周りの風景も見たい。 ということで、今回の山の家行きは、相模湖まで高速使用、そこから先は徒歩地図にできるだけ忠実に旧甲州街道を車で走るというのをやった。 幸い途中までは山の家に行く方向なので時間はかかるが目的地には着く。いつ着くかわからないけれど。 できるだけ忠実にでは有るが、そこは徒歩道。車の入れない、はたまた入ったが最後出られない道だって有るだろう。試行錯誤の昔旅。 で、途中出会った写真のこれである。幹線道路から外れた田んぼの中の道を走っている時これを見つけた。500mぐらい間隔に5基見付けた。 明日に続く
November 14, 2020
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甲州街道歩き、再開した、と言っても実際に甲州街道を歩いているわけではない。実際に現地に行くと、トイレや食事の場所など今は気を張り過ぎてしまう。 だから、街道の地図を印刷して、現地に思いを馳せながら家からそう遠くない所を歩く。 そして、今日歩いた同じ距離を地図に印し、繋げていく。 最後に歩いたのは日本橋から高尾駅まで。 そして再開2日目で高尾山を回り込んで小仏峠を越え小原宿を通り、相模湖を左手に見て、今日はちょうど相模湖畔の山道で次回に繋ぐ。 この方法、良いことは帰りの電車の駅まで日が暮れないうちに到達できるか、電車があるかと時間を気にしないこと。 しかし、景色が代わり映えしなくて、新鮮味がない。 甲州街道は家から山の家に行くほぼ同じルート、最後の方の下諏訪までは山の家のテリトリー。想像出来なくもない。
October 14, 2020
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甲州街道4回目は矢川駅から八王子まで。 途中日野宿には本陣も残っていた。新撰組の面々のホームタウンであったという事で、土方歳三とか井上源三郎の資料館が残っていて、そういえば若かりし頃新撰組に凝っていて、何冊も本を読んで京都の新撰組ゆかりの探訪なぞしたなあと思いながら見学した。土方歳三饅頭なんぞいうお饅頭をお土産に買って帰った。 年末の話である。 そして年も改まって、甲州街道5日目。 八王子駅から歩き始める。ほぼ平坦な道。明らかに歩いて回っている結構年配の人たちが街道をうろうろしている。よくみていたら彼らはどうやら地元の七福神巡りをしているらしかった。ああ、年も改まったんだなあ。 多摩御陵が見える頃。高尾駅でその日の歩きを終了にした。そこまで八王子から大体7km。これ以上歩き続けると小仏の山に進んで日没時は山の中でのリタイアになってしまうので次回にして切り上げた。 それにしてもまだ昼少し回ったところだったのでここまで来たついでと高尾山に登ることにした。 京王高尾線で高尾口駅まで行ってロープウェイで山頂駅まで登る。そこから山頂まで途中の薬王院の階段もありひいこら言いながら歩いた。甲州街道歩いた後だったので足がもつれた。 高尾山初登山。
January 24, 2018
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その日の朝食、夫が言った。 「今日はドイツ料理ね」 お皿の上にはミュンヘン風の白いウインナーと前日私が作っておいた紫キャベツのザワークラウトの温めたものが乗っていた。 冗談もスパイスのうちかな? そして電車に乗って甲州街道前回リタイアした柴崎駅から街道歩き復帰。 てくてく街道歩き開始。 調布には水木しげるの漫画のマンホールがあるとテレビでやっていたので楽しみにしていたが、残念ながら甲州街道上にはなかった。こんなポストはあったけど。 傘おばけ? 少しづつ少しづつ建物の高さが低くなり、街の喧騒も落ち着いて来た。高札場とか問屋場跡とか少しづつ名残が現れ始めた。 近藤勇ゆかりの寺など現れる。昔よく読んだ新撰組関連の本には、彼の育ったところは江戸郊外の田舎と出ていたから昔はその辺りはのどかな田園地帯だったのだろう。 草履は売っていたが流石に草鞋は売っていない。 その日はそれ以上歩くと鉄道の駅から遠ざかるのでJR南武線の矢川駅でリタイア。東京近辺は私鉄やJRの路線が入り乱れているのでどの線を利用するかで帰路が大きく違ってくる。まだ最初は東海道、中山道のように参考にしている人の利用電車やリタイア駅とは違ってくるのだ。
December 14, 2017
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東海道五十三次を踏破したのは遥か昔。そして中山道の旅の記憶も薄れてきた。 そろそろと、腰を上げる。 日本橋麒麟の像の前からまた再び始まる甲州街道の旅。 そこから銀座方面に歩き出せば東海道。反対の日本橋三越側に歩き出せば中山道、銀座方面に向いてすぐ皇居方面に向きを変えて進めば甲州街道の始まり。 東京駅の線路を越え、大手町、皇居をぐるりと回って桜田門、半蔵門から皇居を離れ四谷、そして新宿御苑の脇を通って新宿南口。 最初の宿場があった「内藤新宿」を通過してきたが、今は跡形もなく。どこがどこやら。 幡ヶ谷迄は先日の1回目の甲州街道歩きで歩いた。 そして昨日は2回目。幡ヶ谷から首都高に沿ってその下を延々と歩く。もちろん江戸の風情が残っているところもほとんどなく、僅かに一里塚跡とか牛窪刑場跡とか。 そういえば東海道には鈴ヶ森刑場が有ったなあ。ならばこの辺が江戸の外れかつては寂しい場所だったのだろう。 そうそう、ずっと蓋をされたり、地上に出たり見え隠れしている江戸の町の水事情を教える玉川上水や桜上水という名が江戸の旅をしているということを時々思い出させる。 天気予報通り、午後になって雨が降ってきたので、2回目の甲州街道歩きは柴崎駅で切り上げ次回に繋げる。
November 15, 2017
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