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秋の1日の出来事。昼過ぎ、日本語教室に行くついでに、まだまだ頑張ってホスピスを往復し、時には寝泊まりして看護を続けているお隣さんをホスピスまで車で送って行った。もう何回か危機を迎え、その都度、西宮の息子さんは飛行機で、小田原の娘さんは車で飛んでくる生活。娘さんとの交代での看護もかなり疲れが出てきた様子だ。患者である旦那さん、家族が行っても寝てばかりでうんともすんとも言わない、目も開けないんだとか、男性の看護師さんの時も同じ。ところがところが、女性の若い看護師さんが声を掛けると目を開き、時には何とか口を開けて話をしようとするらしい。「まったくやんなっちゃうわよ。」とお隣さんは車の中で言う。「先日しゃくだから、すごくかわいい猫なで声で、『こんにちは、私は誰でしょう』って言ったの、そしたら目を開けたのよ」後で日本語教室の看護師志望の若い子にその話をしたら、「そうなんですって、男性の患者さんは皆、若い女性だとすごく元気になって驚かせるようよ」という。お隣の旦那さんの生命力はそこら辺にあるのだろうか。見舞う母もホスピスにはいないし、ホスピスのスタッフにとってはいなくなったものより、今現在、一生懸命戦っている者たちの事でいっぱいだろうからと、お隣さんを降ろして車を出した。今夜は夫の北海道土産のシシャモといくらの醤油漬をお隣さんの晩御飯に届けることにしよう。
October 28, 2011
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とても不思議に思うことが有る。日に何回となく回診に来られるホスピスの先生方はほとんどの場合、丸いパイプ椅子を持って病室に入って来られるのだ。付き添いの看護師さんも同様だ。皆で椅子を引っ張って歩かれる光景はちょっと面白い。立ったまま患者を見下ろして診断するでもなく、ベットに寝ている患者の目線に一番近い高さで、付き添う家族の目線と同じ高さで、まるで悩み相談でも受けるセラピストのようにゆったりと座って症状やつらさの悩みを聞いて行かれる。そして診断が終わると、椅子を畳みまたその椅子を持って次の病室に移動するのである。忙しい先生なのにホスピス病棟に流れる時間のようにゆったりと移動される。いや、そのゆったりの時間をそうやってホスピス病棟の中に作り出しているのかもしれない。↑先々週ロンドンから母に届いたスコットランドのお土産。ホスピスの家族室で目覚め、母の病室に様子を見に行き、前夜買っておいたパンをほのぼのと開けて行く陽の光を窓から感じながら、毎日ボランティアさんの手で取り換えられる花が活けられた談話室でかじる。同じ状況のお隣の奥さんと一緒に、タクシーを飛ばして家に帰りお風呂に入り、洗濯をし、会社に行く前夫が干してくれた洗濯を取り込み、朝夫が明けてくれた雨戸を閉め、ゴミ当番の掃除をして。一時間でまた二人でホスピスに取って返す日々を繰り返した。今日、自宅のソファに座って所在無げにあたりを見回し、あの忙しさを遠い昔のように思い浮かべる。あの生活をまだ続けている彼女に身体を気遣うメールを打って、「ふっ」とまた溜息。心にちょっぴり開いた穴埋めに少し時間がかかりそうです。たぶんほんの少しの時間。たっぷり出来てしまった自由になる時間で海でも眺めに行こうかな。それとも秋の海は寂しいからやめて買い物に行こうかな。映画でも見てがははと笑おうかな。電車に乗って知らない街で降りて、果てしなく一日歩くのもいいかな。
October 6, 2011
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今日はちょっと重い話。長い話。この暑いのに。まず状況説明。我が母とお隣のご主人は同じ病気で現在闘病中。そして私と奥さんはただいま看護の真っただ中。1月の時点でそれぞれの主治医から告げられた余命は全く同じものだった。そして現在その余命を超えて2人の患者は闘病を続けている。だが、その後の状況には大きな差が出来た。取った道も違ったし、病状も違ってきたのだ。母はご存じのようにホスピスの道を探し、余命をそこで送るべく入ったが宣告を超えて3か月になろうという今、病状が安定し、症状が進まなくなったのでいったん退院を迫られ、自宅看護に切り替わった。今、私の家で療養中。自分の足で歩ける。お隣さんの場合本人の希望で大学病院入院を選択。空きベット待ちの自宅介護だった。その間、非情に速いスピードで病状が進行し、介護保険の種類もどんどん上がり、デイケアー、ヘルパー、看護師、ショートステェイが追加された。そしてちょっと前の救急車入れ歯事件が発生。あの後、寝たきりになってしまった。日曜日、奥さんから電話がかかってきた。(このところ毎日のようにだが)「時々呼吸が止まるの、50秒以上止まったら救急車で来てくださいと言われたけど、行った方がいいかしら」すっ飛んで行く。うーん、痛み止めが聞いて寝ているようにも見えるけどな。確かに呼吸は少しとまるようにも見える。様子を見るように言って、頼まれたものを買いにスーパーへ出かけた。追いかけるように携帯に電話が鳴った。「やっぱり心配だから病院に救急車で連れて行く」そして何とか大学病院に入院させてもらった。そして帰宅後、お茶を飲みながらの結果報告。1日3万もする特別室なら入っていられるけど、ケアだけの患者は置いておけない。ほかの看護専門病院に入ってと言われたとか。やっぱりね。この節、病院は変わってしまった。病院は今じゃ病気を診るところじゃなくて治す所なのだ。結果が出ない患者はいられないのだ、お金でもたくさん持っていない限り・・・。大学病院も然り。そうでなくても長い自宅看護と毎日出入りする他人の応対で疲れているのに、パニックになっている奥さん。「ねええ、もしも、もしも病院で死んだ時は。どうするのかしら」うん?「そうか、そこか」思いあたった。彼女は怖いのだ。身近な人の死を看取るのに恐怖を感じているのだ。平気な人なんていないだろうけど、聞けば、彼女は親の死の瞬間にも、誰の死の瞬間にも立ち会ったことがないのだそうだ、人が死ぬときどうなるのかわからない恐怖。わたしだって怖いよ。だけど、私は自宅で義母の最後を看取った。義父は残念ながら病院だったがほとんどその瞬間に近かった。父は私の家で私の腕の中で息絶えた。死の瞬間の経験があるものとない者の違い。彼女は私よりずっと年輩だけど、その経験においては私が先輩なのだ。その時が訪れるまで毎日相談に来ていいよ。死を語ることは不謹慎でもなんでもないと思う。残されるものの準備だって必要なんだ。母の退院後からこの方、再開する介護保険の申請の契約のため、毎日やってくるケアマネさん、ヘルパーさん、看護師さん、デイケアの職員さん。ありがたいけれど、こちとらだって休養がほしいよ。適当な性格と適当な息抜きを知っている私。隣の部屋の母には内緒でお土産に頂いた八つ橋を食べ、お抹茶を入れる。独りでこっそり。私のための時間。責めてくれるな。
July 6, 2011
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