仁志・多喜馬の戯言日記&戯言通信

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2008年07月01日
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 私が毎日見ている日経オンラインに書籍紹介のコーナーがあり、今日は私の趣味である落語の話が載っていた。最初が時節からもあっている「柳田格之進」から入ってくるあたり、この批評家もけっこう落語通なのだろう。私も実際に古今亭



 その中で江戸時代の作法のことを言っているのだが、江戸時代にも一定の割合で左利きはいたにせよ「左利きのサムライ」は存在しなかったと言い切っているのだ。これは作法が決められているため、今のように左で箸を持ったりする子どもは、居ないと言うことなのだろう。(実は私も左利きで、子供の時に箸と鉛筆だけは、
親父とお袋に直されたのだ・・・)


 刀は、左の腰に差し、右手で抜く。人と座敷で対面する場合には、必ず自分の右横に置く。これらは絶対のルールであって、右側に置くのは咄嗟のときに抜きにくいから。つまり、争う意思はないと告げる意味があることは知ってもいるし、左利きなら右の腰に刀を差せばいいじゃないかと思ったが、実はそれは厳しくルールに
よって規制されていたのだ。(命のやりとりをするくらい厳しく・・・)

 例えば「鞘当て」と言うことになると、こうなると真剣で命のやりとりをしなくてはならなくなるため、刀の左差しと右差しがあっては、武士のけんかを助長することになるのだ。とかく現代とはものの考え方が違っていて、その逸話をみているとこの本を買ってもいいかなと思えてくる。


 相撲のことも書かれているのだが、土俵入りするだけで相撲を取らない大関もいたということも紹介されていた。観客も観客で土俵に上がった力士を、ぼぉーっと眺めては、「でっけーなー」「大きうおますなあ」と感嘆するわけで、それこそ奈良の大仏さんを見上げる感覚だったらしい。土俵上で注目されるだけで十分、大関
の役目を果たしたことになる。そういえば見せ物として大きな赤ん坊が、土俵に上がったこともどこかの本で見たことがある。(こうなると見せ物以外何ものでもないが・・・)



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最終更新日  2008年07月01日 13時45分32秒
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