仁志・多喜馬の戯言日記&戯言通信

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2008年07月27日
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 昨日は「幽霊の日」だったのだが、幽霊というと夏に出るのがシーズンなので、暑さの盛りである7月26日を「幽霊に日」にしているのかというとそうではなく、今から180年ちょい前の文政8年に江戸の中村座で、怪談話では一番有名な「東海道四谷怪談」が、旧暦の7月26日に初演されたからだ。(太陽暦なら8月下旬くらいになるのだが・・・)

 この「四谷怪談」という狂言は、鶴屋南北のまったくの創作ではなくて、実際の事件をヒントにして書かれたものなのだ。その事件というのは不義密通をはたらいた男と女が、「戸板返し」の罰を受けて、神田川に流されたって事件だったのだが、江戸時代では不倫というのは今と違って大罪であり、この事件のことは江戸中の人の噂になっていたのだ。

 ちなみに、「戸板返し」と言う罪は、雨戸の両面に1人ずつ縛りつけて、これを川に浮かべる拷問なのだ。下になってるほうは身体が川の中なんだから、当然息ができない訳だが、そこですぐに殺したらつまらないので、刑士が長い竹竿で戸板の端をつっついて、戸板を反対にするのだ。こうして上下が逆になると、川の上にいたほうが今度は水中になるのだ。

 これを不倫をした男女二人が死ぬまで繰り返して、二人とも死んだらそのまま川に流してしまうという、拷問のような処刑方法なのだ。これは、「自分が息をしてる間は、自分の愛した相手が息をできずに苦しんでる」いう精神的な拷問の意味もあるわけで、不倫をした男女にはピッタリの刑だったんだろう。(晒し者にすると言う刑罰のあったのだが・・・)

 実際にこんな事件がありそれを元にして「鶴屋南北」が書いたのが、この「四谷怪談」だったのだが、この狂言のクライマックスは殺されたお岩が化けて出て、伊右衛門に復讐するラストのシーンなのだが、物語の中盤には毒殺されたお岩と、お岩殺しの罪を着せられた男とが、戸板に縛りつけられて川に流される「隠亡堀」のクダリも、重要なポイントになっいる。

 TVなどがなかった江戸時代に、このようなショッキングな芝居を見せられたら、江戸の人たちもビックリしたみたいで、この芝居は大当たりを取ったらしい。もっとも「東海道四谷怪談」と言う題名は、実際にはありえないことですがと言う作者の言い訳をつけるために、付けられた題名みたいだ。(本来なら「中仙道四谷怪談」になるところなのだろうが・・・)





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最終更新日  2008年07月27日 08時51分03秒
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