仁志・多喜馬の戯言日記&戯言通信

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2009年01月25日
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 貴重な文化財である石垣の保存と活用を目的に「第6回全国城跡等石垣整備調査研究会」が松山市で開催されているのだが、二日目の土曜日は全国的にも評価の高い松山城の石垣と、それを生かしたまちづくりについて、基調講演とシンポジウムが行われた。今回の研究会で私が話しを聞きたかったのは、石積み構造物研究の第一人者で石川県の金沢城調査研究所の北垣聰一郎所長と、数ある石垣石積の中でも穴太衆積という技術を全国でも唯一継承している文化財石垣保存技術協議会代表の粟田純司棟梁(粟田建設社長で石工なのだが…)の二人だったのだ。

 全国の城郭石垣のルールと言われる穴太衆積は、自然の石をそのままに積み上げ、造形美と強固な石垣を特徴としており、石垣の内側にも水ぶくれによる崩壊を防ぐため、栗石や小石をつめて排水を良くする工夫が施されているのだ。このように目に見えない部分に穴太衆積ならではの秘伝の技が潜んでおり、それが何百年の風雪に耐え得るの堅牢さを生み出していりといっていいだろう。穴太衆は高い石工(石積み)技術を持っており、石垣の他にも、石仏や石橋も作っていたのだが、また、近江には安土城・彦根城など石垣を積んだ城が多いのだが、それは穴太衆の技術があったからできたことだといっていいだろう。私も石積みのルーツである穴太衆の石垣の特徴を勉強はしているが、自然石や粗割石を使い、大小バランスよく積み上げ隙間を小石で埋めるというものだが、会場で粟田棟梁本人から石積みの技術を聞くことが出来た。

 穴太衆の技術で施工した石垣の種類は原則として、自然石をそのまま積み上げた石垣を野面積みなのだが、見た感じもばらばらで不安定に見えるが、この野面積みが戦国末期に作られた古城の場合は、400年以上も持ちこたえているのは、自然石は石の奥のほうで上下の石が接していて、上の石の荷重を下の石の重心に近いところで受けており、見た目よりもしっかりと安定しているからなのだ。また、石と石との間に隙間があり、石垣の背後にたまった雨水を容易に排水できる(石垣に悪さをするものは、流入水と樹木の根なのだ…)という利点もあり、日本のように大雨の降る地方では水抜きは絶対条件なのだ。松山城の石垣のように四角く整形された切り石や割り石を使った石垣に比べると、野面石積みが粗雑で単純な方法に見えるが、実は非常に高度な技術が必要で、排水も良く崩れにくく堅牢な石垣になるのだと自慢していた。

 もう一人の技術書の著者としても有名で、金曜日のシンポジウムに参加していた、以前から文化財としての石積み技術の保存を訴えてきた石川県金沢城調査研究所長の北垣総一郎所長は、「石積みの技術は、江戸から明治にかけて衰退し、技能を持つ人も減った。工法は変化し、伝統技術を残すことは難しい」と言っていたが、この「全国城跡等石垣整備調査研究会」が「本物の石垣をより近い形で、手作りで後世に残す。技を受け継ぐ意味を感じ取ってほしい」と盛んに述べており、土木技術的な要素をもっと取り入れるべきだと提案してくれていた。

 今回の研究会ではこの二人の話が出来たことが一番の収穫だった。(多くの棟梁たち炉はなしたのも非常に勉強になったのだが…)






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最終更新日  2009年01月25日 01時05分54秒
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