立憲民主党の枝野幸男代表は保健所が 1994 年時点から半分に減ったことも安倍政権が推し進めた新自由主義の影響だとして、行き過ぎた「官から民へ」とか「小さな政府」・「自己責任論」・「効率性重視の医療」等のしわ寄せが国民の暮らしと命に来ているとしている。自民党政権が近年進めてきた市場原理重視の「新自由主義」路線が公的医療サービスの縮小を招き、政府の感染対策が後手に回る要因になったと分析したそうなのだ。次期衆院選での争点化を視野に路線の転換を主張しているのだが、記者団にも「競争至上主義は危機に直面すると脆弱さが明確になる」と語り、新型コロナウイルス感染収束後の社会像を議論するよう相次いで訴え「ポストコロナの新しい社会像を示すべきだ」と訴えたという。
これに他の野党幹部も呼応しており、共産党の志位和夫委員長は記者会見で「新自由主義の破綻は明らかだ。福祉・社会保障に手厚い国への転換が求められる」と強調しているし、国民民主党の玉木雄一郎代表はインタビューで「人が集中する場所は感染が拡大しやすい」との理由から「本質的な地方分権の議論が必要だ」と提唱したという。新自由主義路線について野党側は安倍晋三首相が自民党幹事長などとして深く関わった小泉政権で顕著になったとみているが、この考え方が日本不況の原因とすると繁栄ではなくむしろ衰退で、デフレ下なのにインフレ対策をしてきたことがボディブローのように影響しており、安倍政権の対応を追及することに加えコロナ危機を契機に自らの立場を有権者に浸透させる狙いがあるという。
新自由主義の基本は「選択と集中」なのだが、あらゆる社会活動を生産性・費用対効果・採算性などの数値的基準で格付けし、格付け上位者に資源を集中して格付け下位は切り捨てる。路頭に迷うのは当人の自己責任だという考え方でこれは「平時の思想」だとされている。国家の基盤が安定しているならその上でゼロサム的な競争ができるのだが、危機的状況ではその基盤そのものが揺らき、国民を格付けしたり競争させたりしている時ではなくなるのだ。安倍政権には今が「非常時」であるという危機感がなく、他の国々の政府が危機に際して「非常時モード」に切り替えて国民を守るためにさまざまな手だてを講じている時にも、日本政府だけは感染拡大に備えずその後も感染抑止のために効果的な措置をとらなかったというのだ。
感染症対策は新自由主義と相性がよくないみたいで、重症急性呼吸器症候群は世界に拡大したがなぜか日本だけは感染が広がらなかった。このため平時においては感染症のための医療器材や病床は「医療費の無駄」に見えることから、医療資源の効率的活用や病床稼働率の向上を優先させれば感染症関連予算は真っ先に削減される。そして不意に新感染症が広がって人が死に始めると「どうして感染症用の備蓄がないんだ」と騒ぎ出す。それは「無駄だ」という理由で削減したものなのだ。日本は必要なものがほとんど自給できない国にもかかわらず、世界の大勢に逆行してさらなるグローバル化を進めようとしている。それがどれくらいのリスクを冒すことかこの機会に慎重に点検すべきだというのだ。
確かなのはグローバル資本主義が大幅な修正を求められるということで、これまでは生産拠点を人件費の安い国に移し海外から部品を調達して海外をメインの市場にしてきたグローバル企業が「勝ち組」だったが、そういう企業の思いがけない弱さが露呈したのが新型コロナウイルス感染症だというのだ。必要なものを国内で調達でき国内市場で商品がはける「内向き」の企業の方がこの種の危機には強いということがわかったことから、米国は必須な医療品を国内生産に切り替える方向に舵を切っているという。危機に際しては「必要なものが金を出しても買えない」ということがあるということに気付いたわけで、これからは医療品だけでなくエネルギーも食糧もこぞって「自給自足」体制の整備に取りかかるということのようなのだ。
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