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明日は村民登山の下見です。といっても、私は登りません。パンフレットなどを作るのに必要なので、登山口まで様子を見に行くだけ。目的地、新潟県糸魚川市の明星山(みょうじょうやま-1188.5m)です。岩登りがお好きな方は、御存知ですね。熟年者参加が多い村民登山は、もう2~3時間の登りしか無理ですし、第一引率していく会員がロートル化していてね…。そちらの方が心配ですよ。一昨年登った雨飾山のそばの大渚山よりさらに海に近付きました。海なし県の長野県人にとって、山頂から海を見るというのは、なんとも気分のいいものなのですが…石灰岩の明星山からは、明星セメントの材料も掘り出されています。かつて、お父と行ったとき、双頭のまむしを見て、びっくり仰天した所でもあります(????)石灰岩の山には、かたつむりなどが多く棲息する…するとそれを餌にするヘビ、特にまむしが多い…なんだそうです。ゾー!他の人が登っている間に、私は、ヒスイ峡に行き、原石を見たり、糸魚川-静岡構造線の学習でもしています。下見あとの生ビールも飲めないのにぃ~くっそーッ?**************昨夕の夕飯時の天ぷらです。根曲がり竹の子以外は何もなく、お父の畑にくっついて行って、その辺にあった葉っぱを揚げました。下中央・根曲がり竹の穂先のみ(時計回りに)うどの葉/みょうが/柿の葉/桑の葉竹の子は文句なしの絶品!おいしかったのが、うどと桑の葉です。お蚕さんの気持ち、わかりますねえ。柿の葉は、まあ食べられるだけってとこ。アメリカシロヒトリの気持ちはわからないってことです(笑)。
2006年06月27日
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間もなく88888アクセスを迎えます。末広がりに、良いことがたくさんあるように、プレゼントを用意(まだ決めてないんだけど)!アクセス数が本人以外には見られないのが、ちょっとネックですね。対象は今までと同じで、1度でもコメントを頂いたことのある方です。では、お待ちしてますねー。
2006年06月27日
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《根曲がり竹の子》私のふるさと・志賀高原では、今、根曲がり竹の最盛期。正式名称は「ちしま笹」と言うらしいけど、地元では「根曲がり」で通る。へそ曲がりではないからね。業者が集団でごっそりと採りにくるらしく、今は入山禁止。地元の地権者のみが、許可の鑑札をもらって指定された場所で、指定された日に採る。志賀高原の大地主は「和合会」で、ほとんどのエリアが和合会のもの。でも、私の実家のある地区も「共益会」という地主で、エリアは狭いものの、鑑札さえ借りれれば採れるのだ。私が実家で甘えていたときに、母の友人が「biranjちゃん、来てるんでしょー。今採ってきた根曲がり持ってきたよ。すぐこしらえて食べて」「うわー、うれしいなッ!」(実はもしかしてって期待してた)まだ露のついた根曲がり竹をむいて、さば缶詰といっしょにみそ汁にした。いただいた根曲がり竹の子節の部分は固いから、思い切って切り捨てる。もったいないと思って恩情の心を発揮すると、いざ口の中で、筋を噛むことになる。さばの水煮の缶詰めとお味噌を入れてできあがり。いくら好きでも母と私では食べ切れず、「まあ、しゃーないかー」とお父にもお土産に持っていってやることにした。****************************《日本で一番山の多い都道府県は?》山国長野、海なし県長野、三つのアルプスを持ってる県長野…当然、長野県だよなーところが、意外や意外。長野県は4位なんだそうです。(信濃毎日新聞社『信州検定-参考問題集』、25000分の1の地形図に記載されている山)。1位=北海道・1281山2位=新潟県・943山3位=岩手県・887山その次にやっと我が長野県で、866山なんだそうです。ちょっと山国として自意識過剰だったのだろうか?うん、北海道は面積が広いもんなあ。ダントツ1位でもしゃあないかあ。でもなあ、新潟や岩手に負けるなんて…(両県の皆さん、ごめんね)高さの1位は静岡県の富士山(3776m)だし、2位は山梨県の北岳(3192m)…やっと3位に奥穂高岳(3190m)、5位に槍ヶ岳(3180m)。奥穂高の頂上に石積みをして北岳より高くしたという笑えぬ話もある(やっぱり笑おう)。詳細は日本の高い山ベスト10。きゃー、10座のうち、私は1位の富士山とあと3山(赤石、悪沢、大喰岳)も登ってないよー。富士山?登りたくないもん。悪沢も大喰岳も、多分もう行けないだろうなあ。量より質の登山をめざして…なんて書いても、もしかしたら主稜線まで上がれなかったらどうしよう…確かに山は逃げないけれど、山は年齢を待っていてくれないもんなあ…
2006年06月26日
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《補助続行にまだ望みあり》血小板 10.5万台会計(注射、血液検査、薬2週間分) 30,630円3週めは採血しなかったので、ウィルス数は不明。今週は4本採血したから、30日が楽しみだ。どうか10を切っていてくれますように。私の前に隣の処置室に28週目という男性がいた。先生との会話が聞こえてきて…「輸血はしてないからいつ感染したのか。多分、蓄膿症の手術をしたときしか思い当たらないんですよ」「産婦人科は輸血が多いんだけど、外科手術の時は結構止血剤使うんですよね。多分その時でしょう。証明するカルテがなくても、状況的に使ったと思われる時は、今のカルテにそれを書けば補助は続けて受けられますよ」そう言えば、保健所からの通知になんかそんなような事が書いてあったけど、今の医師の判断も生きるのか…で、私が持っていった母子手帳を見ながら女医さんが言われた。「これは、多分使っているねー」「F産婦人科も公表リストに入っているんです」「日赤の内科にこちらからもう一度聞いてみますね。ありさえすれば、F産婦人科の処置も記入されてるはずだし」残ってますように…万が一残っていなくても、今の医師の判断も生きるとしたら、もしかしたら補助は続行?最後の望みだなあ。私が日赤から離れずに、ずっーと通院していれば当然残っていただろうに。数字が低いのと、自覚症状がないのとで、もうこれは医師の診察はいらないだろうとの素人判断がいけなかった。皆さん、素人判断は絶対にいけないよッ!《C型肝炎シンポジウム》松本市で行われたC型肝炎シンポジウム「C型肝炎と肝移植」に、いっつも心配ばかりしている母といっしょに参加した。会場の文化会館では入場口にセンサーによる身体検査を一人ずつさせられた。会場内も職員かSPか、目つきのするどい人がぐるりと取り囲み…なんで、C型肝炎シンポにこれだけ厳重な警護がいるんだい?裁判で判決がおり、何かのおどしがあったのか?理由は衆議院議長の河野洋平さんと、衆議院議院の河野太郎さんの講演があるから。さすが、大物は違うねえ。というわけで、開会は10分遅れ。河野洋平さんは4年半前に信州大学で生体肝移植を受けた。あの頃もヘリが病院の周囲を飛び交う映像がテレビに流れたっけ。「親の自分が健康な息子の腹を切り裂いて、肝臓をもらうなんてことは受け入れられなかった」と、洋平さん。しかし、子どもたちが「母親を何もできずに死なせてしまったから、せめて父親には」と説得したのと、信州大の医師たちが「河野さんが移植手術を受けるということは、社会的にも多大な影響力がある。現在肝臓の病で苦しんでいる人のためにも」という説得で移植をしたそうだ。で、今では衆議院議長。話し方はさすが政治家、迫力があって引き込まれるようなおもしろさがあった。河野太郎さんは、実際に腹を切ってみて、とても苦しかったそうだ。「腹を切ることだけが、ベストではない。それは最後のどうしようもない方法であって、別の選択肢があればそれにこしたことはない」というわけで、現在、脳死からの臓器移植法案を議員立法で成立させようとしているが、議員立法は常に後回しで、このままだと成立は望めないので、別の方法を考え中なのだそうだ。太郎さん、なかなか意志の強そうなハンサムな人ではあった。河野親子はこれからも、厳戒体制の中で、機会あるたびに、臓器移植の必要性を訴えていくんだろうな。母が、妙に熱心にメモをとっている姿を横目で見ながら心配になった。延命拒否カードを持っている母、「私が死んだら、肝臓を娘にやってほしい」なんていうドナーカードを作るつもりじゃないだろうなあ…いらないからね、ああちゃん。私はウィルスを絶滅させるからさ。※一つ、不勉強だったこと 「レバーや鉄分の含んだ食品をあまり食べないこと」 「たんぱく質を多くとる必要はないこと」 レバーは嫌いだから絶対食べないけど、そうかほうれん草やお肉なんかもあんまり食べちゃいけないんだ。 そう、ヒジキもいけないんだってさ。まっ、適度にバランスは必要だけど。 少し前の食事療法とは変わってきているんだ。
2006年06月25日
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田中康夫さん、知事選出馬表明良かったー。さて、情報発信を願うだけでなく、自分としても発信していかないといけないよねー。***********************ワールドカップ日本代表敗退悔しいに決まってるじゃない。誰も彼もが。だけどさー、インタビューに答える中村の表情みてたらねえ。ピッチに倒れこんだままの中田を見るとねえ。成田に帰ったときに、水をかけられた城へのような対応は、決してしちゃあいけないよ。戦ったのは選手たち。一番悔しい思いをしてるのも彼ら。私の好きな柳沢がシュートをはずして、でも、彼は最終戦出られなかった。その事実を彼はどうとらえるか。みーんな次回をねらって伸びてほしいな。*****************5回めの注射へまもなく5回めの注射に行きます。先週は採血してないので、ウィルス数は出ません。今夜は実家で甘えん坊。明日は、肝炎治療シンポジウムに行って勉強してきます。
2006年06月23日
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カルテ保存は5年間が義務づけ。戦争中の強制連行訴訟のネックになっている「除斥期間」と同じ時間の壁が、自分にも立ちはだかってくるなんて思ってもいなかったよなー。まず平成14年に発表された「フィブリノゲン製剤によるC型肝炎ウィルス感染に関する調査報告書」を検索して、その中からその製剤を納入した病院一覧表を見た。私の出産時に関与した2つの病院にも納入されていたのは、発表時に知った。個人病院のF産婦人科から長野○十字へ転院。どちらかで止血剤を使ったか、使わずに輸血のみで感染したかは全くわからない。私の大量出血は、後産がうまくないからと子宮内部の掻爬をしての出血。転院先の医師から「動脈が傷ついています」と聞いた。勇気を奮って長野○十字へ電話をした。C型肝炎訴訟が昨日判決が降りたばかりで用心されたのか、受け付けから4回回されて、担当につながった。しかも回すたびに電話の内容を伝達しているのか、かなり長く待たされた。私は「訴訟云々でなく、補助金の打ち切りをされたくないから調べている」と弁明して話したけれど、どう弁明しようが、訴訟にもつながっていくものだよね。ただ、昭和60年以前だから、敗訴組になるんだけれど。担当者は「該当年代のカルテは残っていない」と説明した。「今、手元にあるカルテの一番古い方を見てみました。でも昭和59年のがほんの少しあるだけなんです」と補足した(担当だから資料がいつも手元にあるんだなーとちょっと感心しながら、待たされている間に用意したかな…とも)。「入院したのは56年なんですけど、そのあとも通院で5~6年は通っているのでもしかしたらと思ってお聞きしたんです」担当者は「また、何か聞きたいことがあったら、いつでもお電話ください」というやさしい言葉で締めくくった。けんもほろろでなくて、少しホッとした。長野○十字産婦人科に転院して、肝炎にかかってから内科にかかるようになり、担当医になったM医師に、わらにもすがる思いで電話をした。私の知人にこの医師の義兄弟がおり、知人に訳を話して連絡をとってもらった。転院の様子は見ていなくても、もしかして何か聞かれているやもしれぬという一縷の希望で。5年間診ていただいたけれど、そのあとこの先生は別の病院にいかれたから、私のことをはっきりとは覚えてはいなかった。うろ覚えの元の患者さんのことを話すことは無責任。また何か聞いていたとしても、カルテに書かれたものがなければそれは証拠にならないと言われた。当然の返事だと思う。今、通っている女医さんの元でインターフェロン治療を始めていることを話すと「彼女は私の同期生です。肝臓の専門家だし、技術もしっかりしてますよ。彼女に診てもらっていると聞いてちょっと安心しました」とも言われた。F産婦人科には電話をする勇気がない。夫が一命を取り留めたと報告しに寄った時から、用心してカルテも絶対見せなかったという。「医療ミス」と判断されるのを恐れたのだろう。今にして思えば、それを突いた方が良かったのだろうか…。というわけで、C型肝炎訴訟に触発されてほんのちょっと調査したけれど、敢え無く潰れました。ひたすら治療に専念しなさいってことなんでしょうか…でもねー、なんかねー、今日はやけに悲しくてねー
2006年06月22日
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C型肝炎訴訟で、大阪地裁は、国と製薬会社の責任を認めて、賠償を命じる判決をくだした。1981年から1988年に出産した際の大量出血に際して、「フィブリノゲン」を投与された女性たちだ。全国に150万人いると推測される感染者にとって、一筋の光が見えた思いがする。ただ、感染ルートを解明するには一体どうしたらいいんだろう。81年から88年なら、私と全く出産年代が重なっている。先日病院で、輸血した血液量を聞かれて答えられず、家に帰ってすぐに母子手帳を見た。もしかして出血や輸血の際の記録に、「止血剤」とか「フィブリノゲン」とかという文字がないかと。あれば、県の補助も打ち切られないし、上記の訴訟のように、国を訴えることもできるのだから。しかし、残念ながら、そういう文字は書かれていなかった。「双手圧迫法」ということばはあったが、これは両手で出血箇所を強く抑え込んで止血を試したということだろう。救急車で行くとき、抑えられた所がものすごーく痛かったもんなあ。カルテは5年間の保存は義務づけられているだけだから、私のはもう残っていないだろう。新鮮血から感染したのか、止血剤を使ったがための感染か…少し前に、その年代に止血剤を使っていた病院の名前が発表されたことがあった。該当者は早く検査をしなさいということで公開されたと記憶する。私はすでに感染していたからそれ以上詳しく知ろうとしなかったのだ。保健所に電話を入れてみようかなあ。
2006年06月21日
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2006年6月20日久方ぶりに比較的はっきりと鹿島槍が見えた。残雪、減ったね。でもまだ雪庇らしきものが、結構残っているよ。去年は、谷筋にわずかな残雪があるうちに、新雪が降ったっけ。さあ、今年はどうなるかなあ。小泉さんが、自衛隊撤退決定で会見をした。わずか10分くらいの会見。「イラク国民の国民による政治ができる状況になったと判断する」と、2回ほど話していた。「イラク国民のための」という一言が全く入らなかったのが、ひっかかる。まさか「アメリカのため」なんて言うわけない…か?「今、イラクに首相自らが行って、今後の復興援助を含め話し合う予定は?」という質問に「警備など、相手国に多大な負担をかけて行ってもそれだけの価値はないと思う」という意味合いの回答をしていた。「日米同盟に沿って、アメリカとも相談しながら、これからも支援はしていきたい」という意味の話もしていた。そうね、ブッシュさんがお忍びですでにイラクに行ってイラク首相と話しているもんね。小泉さんが身の危険を犯してまで行く必要はないし、行ってもあなたの存在に価値はないかもしれない。でも、自分の派遣した自衛隊員が、酷暑の中でどんな風に働いているか…はたまた、アメリカ経由のソースでないイラク人たちの実態を、自分の目で知りたくない?そしてだよ、「自己責任」だからと救出意志のないことを早々とマスコミで声明を出し、あたら若い命を散らせたイラクに、やっぱり貴方は行くべきじゃないのかなあ。プレスリーの故郷よりは…さ。そして、イラクの核の存在をはじめとして、きちんとした正しい公平な総括をしてほしいんだよ、国民としては。ねっ、あなたもそう思うでしょ?!・・・・「うん、そう思う」なんて賛意を示した人、「共謀罪」が成立しなかったからいいようなものの、成立してたら、アウトだよっ!頭のあっちこっちを移動していた頭痛が、今日は定位置に戻って軽くなった。うん、今週は調子が良さそうだッ。(もしかして、中敷替えた靴をはきたいの~ッ?)(こらえるもんねー、私だって知性はあるんだぞッ)
2006年06月20日
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金曜日、会社と家の裏にある桜の木に、網の巣があるのに気づいた。土尻川の対岸は、ひらひらひらひらと白いガが、もう2週間近く大量に舞っている。私はアメシロだと思ったのだが、その仲間ではあっても、アメシロそのものではないと、社員のIさんが聞き込んできた。まあ、どっちでもいいよ。そのひらひらが、時々川を渡ってこちらにも飛んできていたから、遅かれ早かれ、飛び火はするだろうと思っていた。日曜日、完全武装して、手の届く範囲の小枝を切った。高い所のは、お父がのび~る剪定バサミを買ってきて切り落とした。この時期の虫たちは網の巣に集団で入っていて、揺れようが落とされようが、網からは出てこない。だから、切れるんだよね。上からバラバラと落ちてこようものなら、私だって鳥肌が立ってしまうもの。落とした小枝を観察。これが私のすごい所でしょっ、ねっ。キャーキャー言わずにちゃんと観察するなんざー。糞ばっかりで、虫はもう巣から出て一家離散したのかもしれないと思いきや、殺虫剤をかけたら、出てきた出てきた、2~3センチの幼虫がうじゃうじゃと。もしかしたら、もう数日したら離散するところだったのかもしれないよ。良かったー!!!!万が一、離散してもくっつく草むらをなくしておかなければと、会社の裏の草取りした。約1時間半。くたびれた~ッ!アイスノンを頭に敷いて、1時間ほど昼寝。******************夕方、お父にくっついて長野のスポーツ屋さんへ行く。今年は山に登らないからと思いつつ、登山靴の中敷が動いてしまうので、交換しに行った。「良く使っていただいてますねー」と店長さんにほめられた。えっ、ほめられたのでなく、手入れの悪さを暗に指摘された?セットの中敷でなく、別売の中敷と交換した。1セットで4500円。下手な運動靴より高いじゃない!でも、具合がいい。下りなんかにかなり膝もカバーしてくれるようだから、マッいいか。おいおい、biranjiさん、今年は登らないはずだよね。えっ、えっ?????? もちろん登らないけど(つもりだけど)、私のお庭の山に行くくらいでも、運動靴より登山靴の方が脚にはいいもんねー。「この靴でスノーシューもやってるんですよ」と、ついこぼした言葉に、店長さん、敏感に反応。「これゴアテックス使ってあるんですけど、これだけ使い込んであれば水が通りますよね」「ええ、滲みてきます」「無雪期用ですけど、スノーシューにも使われるなら、この方がいいですよ」と見せてくれた全面ゴアテックスが入っている靴。30000円だってさ。ああ、目の毒、気の毒、ウィルス毒に、ほっけの太鼓。来年以降の話だー。それまでまたしこしことお金貯めようっと。でも、スポーツ屋さんであれこれ見るのって、ファッションのお店を見るより、やっぱり楽しいよ。
2006年06月19日
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父の日と言っても、私にとっての2人の父は既に他界。実父は65歳で亡くなり、すでに18年。生きていれば80代なんだ。80代の父の姿なんて想像できないよ。26歳で亡くなった弟と65歳で亡くなった父とは、そのままの年齢で多分天国にいるのだろうな。とにかくお酒の好きな父だった。外で飲んでは二次会、三次会と行き、冬の氷った道で転倒して顔から血を垂らしながら帰ったこともあった。一カ月分のお給料をそっくりどこかで落としてしまったこともあったそうだ。それが母の悩みの種でもあったのだけれど。で、当然私は母の味方…今なら、私もそのお酒につきあうだけの度量はあると思うけど、あの当時はまだ私も若かった。典型的なA型の私は、弟の遭難時でさえ凛としていた父が、お酒を飲むとグダグダと愚痴を言うのが許せなかったんだよなー。ごめんね、父ちゃん。弟の遭難時、捜索打ち切りとなって、私は、遠見尾根から対策本部になっていた鹿島部落に戻った。捜索打ち切りってことは、生存が望めないってこと。父の姿を見つけて私は涙を流し始めた。その時父は「biranji、今泣くな。皆さん、一生懸命やってくださったんだから、今泣くな」そう言って、私の肩に手を置いた。あの手の平の感触は、今もちゃあんと覚えているよ、父ちゃん。父は咽頭ガンを患った。まだ告知は一般的でなく、母の希望で告知はしなかった。でも、わかるんだよね、本人には。最後の方で私が付き添いしているときに、父は言った。「ああちゃん(母のこと)のこと、頼むなー」お酒が大好き、すぐ酔っぱらい、愚痴った父。でも、いっつも周囲の人のことばっかり考えていたような気がする。男の人ってそうなのだろうか。父親ってそうなのだろうか。今だに「ねえ、父ちゃん、どうしたらいい?」と墓前で相談ばかりの娘で、ごめんッ!
2006年06月18日
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先週のウィルス数は 「13」でした。先生曰く「5をねらっていたんだけど、そこまでは降りなかったね。でもこれだって立派なもんだよ。次は5を切ると思うよ」血小板11万台でちょっと少ないかな。白血球1万台はちょっと多いかな。間しつ性肺炎の結果は来週。先生「まだ我慢できるよね」我慢と言われても何をどう我慢すればいいのかな。「今週は頭痛が続いているんですけど」「血縁に脳卒中や脳硬塞起こした人いないよね」「ええ、いません」「じゃあ、痛いときは、冷やすか座薬を使ってみて。とにかくあんまり無理しないでね」「はーい」もう一つ低空飛行したものがあった。支払いがなんと10000円を切って9800円だった。薬がないのと、今週はウィルスの血液検査がないんだって。会計のお姉さんに思わず「わー、今週はうれしいな」と言って笑われた。毎週、注射をしたあとは、高速に乗って45分かけて実家に帰る。そして1晩泊まってのんびりさせてもらって、帰ってくる。
2006年06月17日
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さあ、これから4回めの注射に行きます。いくらかでもウィルスの数字が低くなり、そして白血球や血小板が減っていないことを願って…(結果は携帯からブログを書くか、明日書くか)私のお庭・飯縄山の花たちのアップがまだできません。名前のわからないのが結構あるのです。「おたずね者」にするには写真がぼけていて…とりあえず、ササバギンランだけのアップです。昨年別の場所で見たギンランと、あまりにもスケールが違ったギンランに出会い、びっくり。栄養の違いかとおもったけれど、この村にあるというFさんが教えてくれた他のランをチェックするうちに、ササバギンランと判明。村内某所のギンラン(2005.5.25)長さ5センチ、根はもっと長い。花の大きさ5ミリ×3ミリ村内飯縄山のギンラン(2006.6.13)長さ約20~25センチ、花もたくさんついて、1本、2本いっしょ、そして3本いっしょなど、集団で咲いていた。花の下に長い托葉があるかないかがポイント。
2006年06月16日
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絶好調のはずの水曜日夕方から木曜日になっても頭痛中。原因は明らかだよね。はい、動き過ぎ!13日夕方の飯縄山ウォーキング(登山とは言い難い)と14日昼からの地下壕取材。身体の中で、ウィルスと闘ってくれているもう一人の私の存在を忘れてはいけないね。外側の身体が退屈を感じるくらいでないと、内側の身体の援護射撃にはならないのかもしれないよ。深~く反省…昨日の日記を詳しく書こうとしたけれど、結局昨日のアップ分が私の感じた全てかもしれないなー……という前置きをして…第56回盲人伝道協議会全国(東部)集会が長野市で行われ、2日目の午後、地下壕を見学した。北は北海道、西は兵庫県(西部大会というのもあり、それは近畿以西だとか)からの参加。視覚障害者とそれぞれ1人ずつ付いた介助者、合計56名を案内したのは、松代生まれ、保存をすすめる会創立時からのメンバーのFさん(女性)。彼女は毎月行われている定例見学会の中心人物のお一人でもあり、その案内ぶりは、わかりやすく、しかし内容は深く、沈黙して語らない地下壕の代わりに60年の歴史を見学者に伝えている。実は私はまだ視覚障害者の案内は全くしたことがない。ということで、取材を兼ねて皆さんの周辺をうろちょろさせてもらいながら、写真を撮ったり感想などを聞かせていただいた。地下壕を丸ごと理解するには、目で見ることに負う率は結構高いと思う。視覚障害者にそのハンディーを超えて、地下壕を理解してもらうにはどうしたらいいのか…Fさんも前夜から悩んだという。皆さんは前日夜、『松代大本営』『キムの十字架』(共にビデオ)で事前学習をされてきた。Fさんの話の中味自体は、健常者の人たちに対する中味と全く変わらない。これはむしろ当り前のことで、相手によって中味が変わってしまっては、地下壕に叱られる。ただ、一言一言がゆっくり、はっきりしていて、だから、いつもよりは時間がかかっていた。ハッとさせられたことが、何気ない言葉なのだけれど「ではここの説明は終わりです。また少し歩きましょう」普段なら、案内ツールを閉じたり身振りで示して次の説明ポイントへ移動することも多いのだが、Fさんの細かい配慮が出た言葉だと改めて感心した。イラストや写真が理解を助ける大きな要因ではあるけれど、言葉はかなりの部分を補える、いや補っても余りあるかもしれないってことも改めて自覚。そして自分の口下手を「私は話すことよりも書くことの方が好きだから」なんて言い訳することの卑怯さも自覚。わー、もっともっと言葉選びをしないといけないし、言葉を紡ぐ基本を醸成しないといけないなー。地下壕の大きさを実際にはわからなくても、壕の目的や経過や関係した人々のことを話せば、自ずと地下壕は頭の中に浮かび上がってくるのだろう。一度、案内ツールなしで、言葉だけでやってみるのも、私にとっては勉強になるかもしれないな。かなりの人が、杖の先や手で岩盤に触れていた。ひんやりした壕内の空気を肌で感じていた。北海道から単身で参加された男性は「長野に行くなら、松代の地下壕をぜひ見学したかった」愛知の女性は「今回で2度め。今日も犠牲者の冥福を祈ろうと思ってきたが、何回きても心が重くなる。戦争はどんな犠牲をどれくらい生むかわからない。『運動』と『祈り』で戦争をなくさなければ。松代も観光コースでなく、広島や長崎のように学習の場であってほしい」富山県の男性は「岩に触ってみた。すごいッ!堅い岩だった」などと、感想を話してくれました。言葉での意思疎通が一番多いだろう視覚障害者の人たちは、反応も言葉や歓声で返ってくることが多く、健常者に案内する時よりも、打てば響くような手応えが、ずっとずっと多く感じました。
2006年06月15日
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午後から視覚障害者(全盲のクリスチャン)と介助者それぞれ10人、計20人の案内を先輩のガイドFさんがされるということで、私は会報の取材も兼ねて参加した。地下壕は目で見てその規模やすごさに納得する部分が多い。視覚障害者にそのハンディーをクリアーして、地下壕を理解してもらうにはどうしたらいいのか…先輩も前夜から悩んだという。でも生れたときから視覚のない方たちは、その他の4つの感覚と第6感で、健常者よりも敏感に地下壕を感じ取っておられたように思う。Fさんのガイドも心がこもり、簡潔明瞭な言葉選びをされて伝えていた。聞く側の反応が、健常者よりも遥かにはっきりとしていて、「言葉」の大切さを改めて感じた次第。詳細は明日。これから村民登山を話し合う山岳会の例会に行ってまいります。
2006年06月14日
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アメリカシロヒトリ(毛虫の嫌いな人はヒットしないで!)が西山地方で大発生しています。西山3町村のあちこちで、白い蛾(モンシロチョウよりも一回り小さく、飛び方もフワフワと無目的に飛んでいるように見える)の集団に出合います。県道沿いや19号線沿いの長野市では確認できませんでした。柳は丸坊主。柿もそのうち坊主になってしまうでしょうね。少し前ならば、アメリカシロヒトリが発生すると、自治体では消毒液を噴霧して退治したと思うのですが、今はそんなこともしないようです。道の駅「中条」の駐車場にもフワフワが乱舞してました。ここは去年だったかその前だったか、大発生した記憶があります。2~3年前はクスサン(白髪太夫or白髪太郎)の大発生でクリやナラなどが大被害を受けました。今回それらの樹木にはアメリカシロヒトリはいないようです。結構「大発生」という現象が最近多いですね。えっ、ヒトの大発生?いえいえ、少なくても日本だけは少子化ですけどね。
2006年06月14日
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やまぼうし(おたずね者はこれじゃないよ。最後の方にありますので)発熱がウィルスを減らしたという事実を知って、実は心配なことがあった。同じ頃に、頭痛なんかといっしょに、太股から下の脚の筋肉がビンビンとしびれるような痛みを伴っていた。調子が良くなるにしたがって「私の脚の筋肉はもう萎え始めているんじゃないだろうか」って…お父のお伴の畑仕事では、脚の筋肉はあんまり関係ない。というわけで、本日夕方、「今日は畑に行かないよー」と一方的に宣言して…行ってきた。私のお庭の山…飯縄山へ。3月のスノーシュー以来だから3ヶぶりだ。歩きたいという欲求の他にも、いくつか目的があった。その2 シジミチョウのゼフィルスがそろそろ見られるやもしれぬ。その3 シロバナエンレイ草を見たい。その4 あちこちで大発生している蛾の正体を見極めたい。そしてしーちゃんや、こたやんさんの登山姿を見て、私も里山でもいいから山の中を歩きたくなったのだーッ!てなわけで、夕方5時20分に家を出て、歩き始めたのは5時40分。もうすぐに、筋肉の衰えを感じたあ~ッ。やだなー、3週間くらい歩かないだけで、すぐに衰えてしまうなんて。仕方ないから、休み休み、写真を撮りながら登る。登山靴を止めて、足元が軽くなるように運動靴を履いてきたのは正解だったかも。頂上まで約30分。まあ以前とさほど変わらないけれど、これだけの距離だったからなんとか歩けただけであって、ちゃんとした登山するにはやっぱり体力落ちてるよッ、悔しいなッ。下り…何回か、ズズズーッと滑り尻餅をつきそうになる。あー、やっぱり下りは登山靴でないと危なかったなー。注射をする金曜日、そして土曜日・日曜日は大人しくしていることにして(ドライブは別)、一番調子のあがる火曜日から木曜日に、何とか仕事をさぼって、山もどきに行こうっと。仕事より自分の趣味もとい、生き様の方が大事だもん!登山口着 6時30分。下り20分。まっ、こんなところだろう。目的の結果その2 ゼフィルス: クヌギやナラの梢を首が痛くなるまで見上げるけれど、やはり夕方。 チョウたちはいたとしても、もう葉上で翅を休めているだろう。その3 シロバナエンレイ草: やっぱり遅かった。もう実ができつつある。 ここのエンレイ草は大きい。腐葉土のせいかも。その4 大発生の白い蛾: 飯縄山にはまだ発生していなかったけど、途中の道路端では丸裸の木も。 多分、アメリカシロヒトリではなかろうか。とにかく大量発生。 会社の裏にもひらひらと数百匹は舞っている。それでもいろんな花が私を待っていてくれた。アップは明日にでもするけれど、この花だけ名前がわからない。写真がぼけていてわかりにくいけど、知っている人いらっしゃったら、教えてくださいな。真っ白な筒状の花で、長さ3センチ。ツル状の茎に2~3個ずつ同じ所から出ていました。清楚だったなあ…。
2006年06月13日
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朝36度9分(微熱ってとこ)左頭部の頭痛『ハリー・ポッター』第6巻下を読み始めたが、頭痛で進まず。お父をうまく誘って、この村の辺境地「李平」までドライブすることにした。先日の地層のある川をずーっと遡り、稜線まで登り、長野市鬼無里と白馬村を結ぶ国道406号に合流。国道まではスーパー林道と呼ばれる鋪装道路を行く。李平という地区には4~5軒の人家があるが、今は夏の間のみ、畑の耕作のために住民たちが住む。ほとんどが年配者だけれど。晩秋には作物の取り入れを終えて、長野市や村の中心部にある住宅に移動するそうだ。このスーパー林道を作ったのは、バブルの頃なのだろうか。土建屋さんは大変だったのか、それとももうけが多かったのか…スーパー林道周辺を、別荘地として売り出したということもあったらしいが、今、その夢は潰えているのだろうな。鋪装された林道の所々は、アスファルトが剥げて本来の山土が顔を出していた。こうして、この道もいつかはまた山の中に踏み跡さえ定かでない凹みとして残るだけなのだろうか。李平へ行く手前、2箇所で道路端の草刈りを住人が出てやっていた。草刈り機を使っている人はやはり年配者が多い。腰を叩きながら、刈っている姿。沢の宮というお宮を境にして上部と下部とを別の地域が担当し、日を同じに設定して草刈りをやっているようだ。地域といっても、そのほとんどは廃屋になり、李平と同じように畑仕事に通うという家が主。それでもこうして道路が道路でいることを願って、草刈りをしている。のんきにドライブしている私は、ちょっと小さくなって挨拶した。人が常時住まなくなった地域を、維持管理していく大変さを垣間見たように思った。村の中では便利な地に住んでいる私になんか、その大変さも感じとしてしかわからない。「癒しの里づくり」ももちろんいいんだけれど、癒し以前の「里の存続」に、みんなで力を併せて対処している人たちに、今日はほんとに頭が下がる思いだったよ。「村を知る」ということは、地層だけでなく、そこに住む人の苦労や思いを知る機会にもなるんだなあ。
2006年06月11日
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第3回めの注射、昨日終了。注射自体は、もう馴れてどうってことありません。右肩、左肩、そして今回は右のお尻にブチュッでした。あのね、第2回めの注射前にやった血液検査の結果を昨日聞きました。(血小板とかはその場でわかるのですが、ウィルス数だけは保健所へ出しているそうで、3~4日かかります。)「すごいんだよ、biranjiさん!」「えっ、何がですか?」「50まで下がったんですよッ!」「えー、ホントですか?」私のはウィルスが結構多くコンスタントに5000を超えていたのに、1回注射しただけで50まで減ったのだそうだ。「高い熱の出た価値があったんだよ。普通、女性はね、なかなか数値が落ちないのに。 これはもしかしたら、とてもうまく行くかもしれないねえ。」高い熱のおかげ?じゃ、2回めからはほとんど熱が出ていないんだけど、数値に変化は出るのか?先生は「次回、5ぐらいまで減るといいねえ」あれっ、0にはならないの?という疑問はあとで起きてきた疑問。来週聞いてみよう。5000が50…これだけでうれしくて、母とお父に電話した。お父は予想通りの反応…「良かったなあ。でもお母は女じゃないんだぁ」当り前じゃん、もう。いや、先生の言うのはそういう意味ではないと思うんだけどさ。母もウィルスの数では安心したみたいだけど、とにかく顔を見ないと心配ということで、病院から実家に帰って一晩お泊まり。熱が出なかったから、母も安心してくれて今朝無罪放免となった。こんな年齢になっても、嫁ぎ先ではゆっくり休めないだろうと心配する母の気持ちが、うれしくもあり、悲しくもあり…でもさ、この激減で励みになる。来週、注射しに行くのが楽しみになってきた。あー、もっと早く治療を始めれば良かったなあ…
2006年06月10日
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本日、第3回注射を夕方します先日のミヤマカラスアゲハの吸水を見に行った渓谷には、地層がきれいに出ている所が何箇所かある。もともと西山と呼ばれるこの地方では、はっきりとした地層が各地に露出し、理科の時間の地層の勉強ではずいぶん重宝したものだ。また、土尻川水系やそこに注ぎ込む谷筋からは、クジラや象、魚貝他、種々の化石が数多く発見されている。フォッサマグナが陥没した頃に、海底で砂泥と共に生物の死骸が堆積したもの。約2000万年から500万年前(新生代-新第三紀-中新世)とされる。 この写真は左側の地層もさることながら、奥の岩壁に、蓮痕(リップル・マーク-波の跡)が鮮やかに残っている(写真でははっきりしない)。当時海底だったそこに住んでいた貝や線虫たちのすみかや動いた跡なども残っている。残念なのは、崩落を防ぐ故か、コンクリートを吹き付けた部分が徐々に増えていること。前回観察に行った5~6年前は、その部分に手を触れることができたが、今は道路と壁の間に柵ができて近寄ることができなかった。やはり5~6年前には、道路の真ん中にちょっとした山が残り、そこで化石の採取なんかもできた。今回はその山ごとけずられてしまっていた。工事をする際に、土器などが発見されれば、工事は中断され遺跡の発掘をして資料として残してからでないと工事続行は許されないと聞いている。工事関係者にとっては、土器とか集落跡など、ヒト様の痕跡はとても厄病神だと聞いたこともある。ヒトがまだ住みつく前の、私たちの立つ足元が造られた頃の痕跡はどうなのだろうか。今、住んでいる人達が安全に暮らせるための工事だということもわかるんだけれど…でも、やっぱり、もっともっと悠久の時代の痕跡も大切にしてほしい。工事する際には、そういうことも頭にあって発注してほしいし、工事をしてほしい。またこの川には歐穴(おうけつ)と呼ばれる丸い穴があちらにもこちらにも見られた。 規模の大きいのは長瀞なんかにもあるけれど。急流に流された石がある所で止まり、その場所で回転しつつ、岩床に丸い穴をあけていくのだそうだ。この写真の穴は幅約1メートル、深さ約60~70センチだったけれど、他にも幅は60センチくらいだが深さが1メートル以上なんていう壷みたいのもあったしね。こんな歐穴も、知らなければ工事で簡単に壊されてしまうだろう。なくなる前に、一人でも多くの人に見てほしいなあ。チョウだけでなく、地球の歴史に触れるのもおもしろいもんですよ。見たい方は案内しますからね。おやきなんぞを食べながらいっしょに歩いてみませんか?
2006年06月09日
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頭痛なし、何もなしそろそろ6月定例村議会が始まるけれど、助役の内定はできたのだろうか。4月に接戦で自立をめざす新村長が当選し、5月の臨時議会で助役承認を図ろうとしたが、どういうわけか議会に名簿提出するまでには至らず、2ケ月間を助役と収入役(今までは助役兼務)不在で村政が行われてきた。「旧村長派の職員は打診されても受けないだろう」とか、「かつての同僚議員も足を引っ張るような行為をしている」とか、いろんな風評が飛び交っている。そのせいかどうかは知らないけれど、選挙戦のときのような笑顔とハイタッチするような明るさが新村長の顔から消えた。「村長がこうしろという明確な指示を出さないから、職員は動けない」と、某委員会の席で、村長を目前にしてかみついた(と私には感じられた)幹部職員がいた。確かに指示がないから動けないというのは、一理ある。でもさあ、これって結構公務員独特の考えだってこと、わかってるのかなあ。主役は「村民」だよね、確か。その主役にとってどうなのか、そこを考えてどんどん提案するのが、公務員の本分では?トップが代わっても、主役は変わっていないのだから…。アンケート然り、住民投票然り、村民は「自立」を主張していた、もうずっと前から。にもかかわらず、旧村長は「限りなく自立に近い合併」に固執していた。今回の村長選は3回めの決定的な村民の意志表示。それを今もって「自立は難しい」なんて言っちゃだめッ!村民の意志を「何にも知らないから選択できる」なんて言わないでッ!数年前に入庁した職員が、いつの間にか、役人らしさをどっぷりと身につけている…公僕とは言いつつも、公僕の何たるかをだんだん忘れていってしまう…おっと、それた。新村長さん、どうか笑顔を取り戻して、自信を持ってぶつかってほしいんだよね。定例議会、傍聴に行けたらいいなあ。
2006年06月07日
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本日、平熱頭痛両足太股より下、だるさあり何よりも、なによりも、体重が2キロ程落ちましたあ~!食欲はさほど落ちてないと思うのですが、今朝、体重計に乗ってにんまりしました。これも副作用の一つで、とてもとても期待していた副作用なのですよ。このまま、10キロほど減ってくれないかなあ。そうすれば、20代の若き頃の体重と同じになるんだけどさ…。さて、今日は、夜8時からNHKBSで中国映画「山の郵便配達夫」(でしたっけ?)を見ます。これにて。
2006年06月06日
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6月5日(月) 平熱 左側の頭痛と内耳痛(?) 午後2時~3時までお休み 母、帰る 熱さのせいでだるいのか、治療のせいでだるいのか、よくわからんわ。**********************************友人から少し前に「黒アゲハみたいでちょっと小さめで、ブルーに輝くチョウが7匹も同じ場所にいたんだけど、あれ何?」という情報が入っていた。場所は、小さな谷筋と聞けば、もう間違いないッ。ミヤマカラスアゲハの集団吸水だよ。行きたくて行きたくてうずうずしていたけれど…やっと4日の日曜日、お昼をねらって、母同伴で行ってきた。母はどうやらお目付け役のつもりらしい。一人で野放しにすると何をしでかすかわからない娘だと思われているのかも。小さな渓谷に沿って車で上がる。約20分。狭い谷がちょっと広くなり、川の周囲は草原となり、砂利の混じった砂地が半分、やさしい流れが半分といった所に出る。待つこと5分。きたきたきたッ!3頭のミヤマカラスアゲハの春型が飛来し、たわむれながら砂地に降りて、砂の中に口器を入れて水分を吸い出した。鮮やかな青紫の輝きがきらきらして…しかも、どこも傷んでいない新鮮な春型。そのうちにまたまた数が増えて、この日も7頭。春型と夏型の中間くらいの大きさのもいた。おっきな夏型が7頭も集まったら、これまた壮観だろう。この川べり、人家もなく、かなり奥まっているから、ちょっと気温が上がれば、チョウたちは必ず吸水に来るだろう。楽しみーッ!「水分を吸い上げてね、尻尾から出すんだよ。チョウたちはね、そうやって体温を下げているの」「よく知ってるなあ」「そりゃ、そうだよ。高校から大学にかけてチョウの勉強したんだもんッ!」母がよく言う。「最初は気持ちわるいと思っていたカラタチに付く幼虫も、姉ちゃんが飼っていて見慣れたら、かわいく思うようになったもんねー」この日も、もしかしたら、私があんまりうれしそうに「ミヤマカラスが集団で見られるんだよーッ」と興奮気味に話すので、お目付役兼ちょっとは見たかったのかもしれないな。(いえいえ、都合の良い解釈かも。母よ、ありがとう)お待たせ、これがその吸水するミヤマカラスアゲハです。写真よりも、本物の方がずっときれいでした。1頭だけ、羽を広げてあばれながら吸水するので、他のチョウがすぐに舞い上がってしまうのです。お水を飲むときは、もっと静かに飲みましょうね。口器が伸びて、砂地の中に突き刺しているのがわかりますか。
2006年06月05日
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6月2日、インターフェロン第2回。結果から言うと、今回は37度がその夜出ただけで、あとはほぼ平熱だった。1週目のあの熱は、一体なんだったのだーァッ!やっぱり、私の身体は鈍感なのかしらん。多少の頭痛や胸の疼痛なんかは、もう問題外だッ。これなら、遊べる~~~ッ。では、なんで皆さんに心配をかけているだろうに、日記を書かなかったのか…6月3日は、義父の49日法要。フル活動していた私は、夜になってもう疲れ果て、ブログどころではなかったのです。3回めも4回めもこんな調子で過ぎてくれるといいなと思います。医師が「結構熱出ましたね。効いてるっとことかな」と言ったけれど、熱が出ないと効いてないってこと?なんて素朴な疑問も残るけど、まあ、そんなことはないでしょう。取り敢えずのご報告です。
2006年06月04日
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「お父の畑」の横にある田んぼ(日没前)「お母、いるだけでいいから、畑、行くか?」という甘い言葉に誘われて、3日間にわたって夕方5時半頃から畑に行った。1日め、ほんとに何にもせずにお父を茶化したり、園芸用スコップで土塊を細かにしたり…2日め、隣にある他家の田んぼが夕陽に輝いているのに、ただただうっとり… 草の中に埋没しているニラを採るために、やむを得ず、チョコチョコッと草取り。3日め、カメラを持って、田んぼを撮ったり、お父を撮ったり。 退屈して鍬を持った(お父の誘いの狙いはこのあたりかな…笑)*********************ここは今まで「ばばの畑」と称して義母が作っていたけれど、改称なって「お父の畑」と相成った。義父のお葬式が済んで気持ちに余裕が出たのか、お父が鍬で畑を起こし始めたのは連休あけ。先ず伸び始めた草を刈った。次に、豆トラをまだ使う術を知らないので、力任せに鍬を振るって土を起こした。それを何度かくり返しながら、「お母、何、植えてほしい?」という質問が何回かとんでくるようになった。で、第一次作付けは、長ねぎ、なす、ピーマン、ししとう(以上、お父の好物)、トマト第二次作付けは、かぼちゃ(「ぼっちゃん」というかぼちゃなんですよ…笑、お母のリクエスト)、ゴーヤ、鷹の爪第三次:春大根、二十日大根(赤・白)、ニラ、さつまいも(お母…ほんとはじゃがいもを植えたかったのだけど、もう遅かった)ごぼうの種もまこうとしたが、説明書に「深く耕して」と書いてあり「多分、これじゃあ深さが足りない」そうで、保留。《傑作エピソード編》お父の畑仕事はつきあうと、とってもおもしろい。私の畑仕事だってかつて学校で学級園を作ったくらいの知識しかないが、そんな私に輪をかけて知らないのだ。「なあ、お母。長ねぎさあ、よその畑を見ると斜めに植えてあるんだけど、あれでいいんか?」「斜めに植えた方が、あとで土をかけるのが楽だし、白い部分が多くなる」と説明した。でもあとで見たら、1本ずつほぼ垂直にきちんと植えられていた…大根の種を播こうと畝を作った。そしてお父が播き始めた場所は……畝と畝の間の溝。「きゃー、違うよーッ。なんのために畝作ったん!」(実はこの話、お父の名誉にもかかわるからとアップするのは控えていた。でも、自分から来る客、来る客に話し始めたから、まあ解禁と解釈してもいいだろうと)「畑全体の植え付け計画、立てなきゃ」という割には、何を植えたらいいのかまだはっきりせず、結構行き当たりばったり。畑に行く前に、農協やコメリに行って、種や苗ものを選んで買い求める…こんなことが3~4回あったもの。で、畑の4分の1程の一等地はまだあいている。ここには、盆明け頃に届く予定の「聖護院蕪」を種を播くのだそうだ。パソコンでいろいろ調べると、「聖護院蕪」自体はそんなにデリケートな作物ではなく、昔は結構全国的に作られていたそうだ。信州などは気候的にも適しているとお父は言う。大量に千枚漬けを作って、友人やご近所にたっぷり食べてもらいたいんだって。《畑仕事のプラス面》ほとんど何も知らないお父と付け足しの私の作業は、お百姓のプロから見ると、ままごと以下だろう。でも、「ばばと行くと、お講釈ばっかでやだ」と夕食時に言っていたくらいだから、まあ、まちがえても、自由奔放にやってみる…それで今年はいいのかも。「近所みんなで、オレの畑作業監視してるわ」とお父は嘆く。そりゃ、仕方ないよ。今まで100パーセントやったことがないのに、急にやり出したんだから。「今年の異常気象は、オレのせいだってさあ」実は、私の頭の中もそんな思いがチラリと走った。お父には言ってないけど。それでも毎日少しずつの畑作業で、血圧が下がり、「後縦靱帯骨化症」による「脊髄狭窄症」から来る腕のしびれも軽くなっているそうだ。そしてそして、「行くだけでいい」お母も、2人だけの時間が自然の中で持てて、結構ストレス解消になっている。夜、お父が言った。「畑へ行って良かっただろ?明日も行く?」私「だめ、明日はインターフェロンの日ッ!」お父「あっ、そうか。じゃあ、オレ一人で水くれしとくからな」まあ、こんなお父は、私の好むところではあるのです(照れ照れ)。
2006年06月02日
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