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観音霊場記図会メモの追記。 冒頭の「諸悪莫作 衆善奉行」の読みと意味。 ○読み しょあくまくさ しゅうぜんぶぎょう ○意味 悪をなすことなく あらゆる善を行う 『法句経』七仏通誡偈にあるお釈迦様本人の言葉とのこと。 諸悪莫作(しょあくまくさ) 衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう) 自浄其意(じじょうごい) 是諸仏教(ぜしょぶっきょう) 意訳は「悪をなすことなく あらゆる善を行い 自ら心をきれいに整えておくこと これが過去・現在・未来の仏の教えです」。 (『空海はすごい 超訳 弘法大師のことば』より)
2021年04月03日
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○第三十一番 近江国蒲生郡長命寺 推古天皇二十七年開基。 推古天皇は聖徳太子の御祖母公。 天皇の体調が悪く、医者が色々治療したがちっともよくならなかった。 太子はひどく心配して、病気治癒を願って、自ら柳で聖観世音を刻みになった。一週間のお祈りで像が光を発し、天皇の体調が速やかに回復した。これが延命観世音の由来。 天皇が太子に命じて堂舎を建立、延命観世音を本尊とし長命寺と名付けた。 弘法大師が空海と名乗り東寺に居た時、腫れ物を患われていた。夢に白髪の老翁が現れて加治なさると、たちどころに治癒した。空海がどちらの方か尋ねると、江州の浜辺に居る者ですと答え、去って行った。 その後数日で全快したので、琵琶湖の辺りを尋ねたが10日探しても会えなかったので、都に帰る途中、琵琶湖の辺りで金づち研ぐ老人を見た。老人に名を尋ねると、あなたが探しているのは私だ、と答えた。 自分は、ここに住んで八千年の白髭の神。ここの水底に五十年前の火事で失われた、聖徳太子が自ら刻まれた観世音がある。あなたの法力で救いだしなさい。私も助力する、と言って白鳩になって飛び去った。 空海は飛び去った方向を拝んだ後、熱心に水底に向かって祈ると、水面が二つに別れ、水中から光とともに観世音が現れ、空海は衣の袖で受け止めた。 村人にこのことを伝えて再び本堂を建立し長命寺の本尊とした。また、空海自ら千手観音を刻んで腹内に尊像を納めた。 天和の頃、疱瘡が流行したが、長命寺に参拝すると観音の霊験で子どもの命が助かった。 心が強く常に観音を念じていた武江の佐々羅三八という浪人が、娘に取り憑いた痘神を屈服させ、証文を取った話。 ○第三十二番 近江国神崎郡石場寺村観音寺 聖徳太子は甲斐の黒駒に乗って、調子丸、秦川勝、跡見市位を連れて、仏法を広めるため全国をまわっていた。 神崎郡の葦原で、聖者様、情けをかけて私たちを苦しみからお救いくださいと、声がした。見回したが姿は見えなかった。助けて上げるから姿を見せなさい、とおっしゃると、畏れ多く、また、見苦しい姿なので姿を現すのはお許しください、お情けをかけてください、と言った。 どんなに見苦しくとも構わないとおっしゃったので、そうであればお許しください、と出てきたのは、身長三尺、頭は人間の女、体は魚だった。この姿を見て、川勝と市位は驚いたが、太子はこれは人魚で珍しくはない、と言った。功徳をもって助けたいので前世を話なさい、とおっしゃった。 恥ずかしながら、私は堅田の浦の漁師で日々殺生をしており、疑いの心があったので神仏三宝を信心することもなく、生死のことも考えず一生暮らした。その報いで海中で、色々な魚や蛭、虫などが集まって私の鱗の間から血を吸いとられ苦しいので、聖者の弔いを受け助かりたいと言った。 どんな法事でもするので望みを話しなさい、とおっしゃっると、それでは千手観世音の像を造って菩提を弔いください。ここに堂舎を建て、後の世に殺生をした者がどうなるのかの見せしめにしてください。御弔いの功力で、将来は観世音の眷属となれるようしていただきたいと、お願いしてそのまま姿が見えなくなった。 それから太子は三尺の千手観世音を刻み、人魚のために御堂を建立し、観音寺と名付けた。太子が近江国に十二ヶ寺建立した寺の一寺である。 救世観音の御化身である太子がご自身で刻まれた本当の大慈大悲の像がこれである。 この功徳で人魚は仏の御加護を得て、死んだ後に観世音の眷属となった印として死骸を浜辺に浮かべたと、太子に夢を見せた。浜に出て見ると人魚の死骸が波で打ち寄せられてきたので、掬い上げて寺に納め、第一の宝物とした。 若狭国風土記にある八百比丘尼となった人魚を食べた者の話。 ○第三十三番 美濃国谷汲山華厳寺 延暦二年開基。 豊然上人開山。 豊然上人がこの地で水に浮かぶ油を知り、質素な庵を構えた。 奥州の大蔵信光が西国三十三所を満願した後、修行し霊木を手に入れた。都で仏師を探していると、旅の宿に童子が尋ね来て身の丈七尺五寸の観世音像を刻んでくれた。奥州に運ぶ途中、美濃国谷汲の辺りで観世音像がひどく重くなり野宿することにした。明け方この山中の出家に託すよう、お告げがあった。辺りを探して出会った僧に十一面観世音像を渡し、僧がいた質素な庵の後ろに堂を建て像を安置した。ここが三十三番の霊場となった。 ・日本三文殊 大和安倍文殊(安倍文殊院) 丹後切渡文殊(天橋山知恩寺) 奥州永井文殊(松高山大松寺) 華厳寺の観世音像は文殊化身の作。 ・西国順礼十ヶの徳 一 火難、水難、横死の難、盗賊の難をのがる 二 悪畜、毒虫、全ての獣にあい死する事なし 三 毒薬、無実の難をまぬがる 四 雷電、落馬の死をせず 五 厄難、熱病、全て流行病を受けず 六 海川、船に乗て風波の難をたまぬかる 七 寿命長久子孫繁盛を守り給ふ 八 諸神諸仏応護し給ふ 九 所願成就せずと言うことなし 十 諸の罪障滅して極楽浄土へ向かうべしとの御誓也 ・普門品に寄せる古歌 観音霊場記図会 大尾 十句観音経 主要参考文献類
2021年03月05日
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○二十八番 丹後国与謝郡成相寺 齋遠禅師は山口県出身。京都の東寺にいて後に故郷に帰ったが、常に観世音を念じていた。 その後、霊場を探して諸国を巡り、丹後国にいたった。天橋立の風景が世にも稀なので、有縁の霊地だと思い、中村郷の世屋山に質素な小屋を建て法花経を読誦した。 ある年著しい大雪で里との交通が途絶え、庵の食料が尽きた。庵の近くの空地に鹿が一匹死んでいた。食べるべきか否か悩んだが、殺生には当たらない、食べて生きて人びとを済度すれば鹿の菩提を弔うことにもなると、鹿の太腿を切って鍋で煮た。 一箸食べるとたちまち元気になったので、後のためと一切れ鍋にとっておいた。 春になって里人が飢え死にしているのではないかと、様子を見にきたところ、いつものように読経の声が聞こえた。何を食べて生き延びたか尋ねられたので、禅師はありのままを話した。里人はそんなはずはない、鍋の中には箔の付いた木屑があるだけだと言った。 禅師が鍋を見ると確かに木屑だけだったので、はっと気付いて仏堂を開くと、聖観世音の腰の下に二寸ほどの切った疵があった。禅師が餓死するのを不憫に思い菩薩が我身お与えになったと考えて、残りの木屑を疵のところに当てると、観世音は元通りになった。 これを見た里人は、禅師の尊さを知りそこに堂を建立し成相寺と呼んだ。 本尊の聖観世音は禅師の念持仏。 常に信心の誠のある家には、病気災難の憂いが少ないものだ。 ○二十九番 若狭国鴻浦松尾寺 一条院と鳥羽院が建立。 鴻浦の長、結城宗太夫は観世音信仰が篤く、一寸八分の馬頭観世音像を常に身につけていた。慈悲深く、陰徳ある人柄で村の庄官として敬われていた。 ある時全ての漁船が遭難し、宗太夫も亡くなったと思われ、親類縁者が集まり百ヶ日の法要をしている最中、宗太夫が一人帰ってきた。 宗太夫は顛末を語った。羅刹鬼国に流され鬼女に捕まりそうになったが、観世音が現れて早く逃げなさいとお告げ下さった。白馬が嘶くのが見え、その馬に乗れと声が聞こえた。馬に乗ると雲の上を飛びいつの間にか若狭の浦に着いた。馬の尾は木に変わり白馬は山の方に行ったと語った。 それは馬頭観音だろうということで皆で山に行くと足跡だけで姿はなく、鳴き声のする方に行くとさっきの木があった。その木で馬頭観音像を刻み山に安置した。 この話が都に伝わり、一条院の勅命で御堂が建立され、宗太夫に下されたので、その子孫が堂の主になっている。 堂内には宗太夫の像もある。 信濃国都熊の湯で起きた馬頭観音の不思議。 ○第三十番 近江国浅井郡竹生嶋 本業寺と号 観音堂は行基菩薩が建立。 弁財天女鎮座の霊地。 祭神は稲倉の魂命の御子神。 社僧は天台社領三百石。 昔役行者が来て竹を投げたところ、竹が生えてきたので竹生嶌と名付けられた。 聖武天皇の夢で竹生嶋の弁財天が宝殿をお建てくださいとおっしゃった。夢から醒めると白蛇が守護していた。このため、行基菩薩に命じて勅願として宝殿を建立した。あわせて、忍穂耳尊、大己貴尊の三社をお祀りした。 弁財天のお告げにより、行基は一刀三礼して千手観世音像を自ら彫刻した。 弁財天は観音二十八部衆の内であり、西国三十三札所となる。 日本六ヶ弁財天霊所というのは 相州江の島 奥州金華山 江州竹生嶌 安芸厳島 駿州富士 和州天の川 仲算上人とその時稚児。 紀州より札打ちして竹生嶌に渡ろうとした者たちに起きた不思議。
2021年03月04日
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第五巻 ○廿五番 播磨国賀東郡新清水寺 開基は法道仙人。 都の清水寺と同じく、坂上田村麿の蝦夷征伐の時に建立されたので新清水寺と号した。 本尊十一面観世音は聖徳太子草創、光善上人が再興した。 播丹摂三国の堺五岳山と号した(現在は御嶽山)。 金堂は推古天皇、講堂は聖武天皇、薬師堂は池の二位(平忠盛の正室)、大塔は祇園女御(白河法皇の妃)、阿弥陀堂は源頼朝公が建立した。 金輪聖王天長地久国土安全の祈願所。 都の大仏妙法院の門跡の末寺、西国三十三所二十五番霊場。 「元亨釈書」に播州犬寺と記載されている。 播磨国に一人当千と呼ばれた陪夫という武士がいた。蘇我入鹿誅伐で都に上り、3年間の留守中、妻は召使と密通し妊娠5か月になっていた。二人は留守中、陪夫の殺害を計画していた。陪夫が帰宅し数日後、召使は陪夫を狩りに誘い出した。陪夫と召使と猟犬2匹(黒龍白龍)で山奥に着いたとき、召使が陪夫に弓矢を構えた。陪夫が殺される理由を聞き終わった後、猟犬2匹が召使に飛び着き、噛み殺した。妻を手討ちにしようと帰ると、驚いた妻を2匹が噛み殺した。陪夫は恩に報いようと我が子のように育て暮らした。2匹が死ぬと、畜生道から脱する思いで千手観音を作り一宇を建立したので、世で犬寺と呼んだ。 元亨釈書にある滋賀県の猟師が大蛇に襲われる寸前、犬に救われた話。 京都の親犬が子を守った話。 ○二十六番 播磨国賀西郡法華寺 一乗寺と号 山の峯が法花八軸の形をしているので、法花寺と名付けられた。 法道仙人は、雲に乗って空から見て法花経八葉の蓮華の形で、成仏の台がある山とみて、八つの峯の真ん中の岩に籠って、飛鉢の行をなさっていた。 年貢米を法力で移動させた不思議が関白を通じて天皇も知った。日本にこれ程神通力の高い僧がいるのは幸いとして、聖武天皇は、一宇を建立、金仏観世音を千手観音の御腹に納めて本尊とし、開山は法道仙人とした。 ○二十七番 播磨国かつ西郡書写山 圓教寺と号 開山の性空上人は、六根清浄の神通力を身につけた知道兼備の名僧。 性空上人の世俗の名は忠太小太郎で、藤原時朝中納言に仕える侍だった。家宝の硯を壊した罪を代わりに背負って死んだ若君の菩提を弔うために出家するよう命じられたので、その場で髪を切った。 諸国修行に出て、筑前国の背振山の岩窟で十二年間法花三昧の修行を続け、天下の名僧となった。厳しい修行で心身を磨いて六根清浄の身となって六神通を身につけた。 ある夜梵天帝釈王の使いが来て、観世音に仕えるならば播磨国の書写山が観音浄土の霊場なので行って修行しなさい、とお告げがあった。それから書写山に登り、柴の庵を結んで法花読誦を続けた。 ある夜天人が天下って、庵の脇の桜木は観世音の霊木なので、この木で観世音を作り、ここに安置すると末代終世の霊場となるとお告げがあった。お告げ通り実現したのが書写寺。 上人が正真の普賢菩薩を拝みたい願ったところ、江口の里に行きなさいとお告げがあった。江口の里は遊女の町で大きな家に通され、上人は真眼を開いて普賢菩薩を見、教えを聞いた。
2021年03月03日
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○二十二番 摂津国惣持寺 開基は越前守藤原高房。 高房が助けた亀に先妻の子(のちの山陰中納言)が命を助けられた話。 病気療養していた高房に観世音像造立を山陰中納言は命じられた。中国の霊木を購入したところ禁輸となったが、観音力で中国から日本の海に流れ着いた。 仏師を探して長谷寺に参籠したところ、夢のお告げ通り童子に出会った。童子が実力を示すため彫った十一面観音は、後に新長谷寺の本尊となった。童子は山上の仮屋に籠って亀の上に立つ千手観音を成就した。童子は観世音菩薩だった。 ○二十三番 摂津国豊嶋郡勝尾寺 開山は双子の兄弟、善仲と善算。 天王寺を出て山奥の霊地を探していたところ、摂津国豊嶋郡の山の峯に五色の雲がたなびく霊地を見つけ、柴の庵を結んだ地が現在の勝尾寺。 奥の院の後ろの般若が峯を訪れて、開成王子が修行しているのに出会った。この山のことを知った天皇は、堂塔を建立し、本尊は弥勒菩薩を安置し、弥勒寺と名付けた。年を経て、善仲と善算は成仏の時がきたと開成王子に挨拶し、西方に飛びさって即身成仏した。 その後、日向の国から沙門興日という僧が開成王子を訪ねてきた。興日沙彌は、日向に八尺の白檀の木があるので差し上げたいと申し出た。開成王子は、最近建てた講堂の本尊をどうしようかと思っていたので、観世音像を彫刻して本尊としたいと答えた。興日はあっという間に霊木と妙観という仏師を連れて帰ってきた。別堂をしつらえ7月18日に彫刻を始めようとすると、どこからともなく18人の童子が現れ、妙観と別堂に入った。8月18日、彫刻が完成したので奉りください、と告げられ別堂に行くと妙観が一人いた。御本尊を拝んでください、彫刻が終わったので妙観はお暇申し上げますと言って、合掌して眠るように死んでいった。 17日、18日を観音の縁日としたのは、勝尾寺のこの出来事がはじまり。 昔は弥勒寺と号していた。 六代目座主の行俊上人は名僧だった。山奥の般若が峯に籠ったまま、清和天皇の病の原因を特定し法力で治癒させた。平癒後弥勒寺に行幸されて、勝王子と勅号をくだされ勝王子の宸筆の額を下された。 後に、余りに恐れ多いので、額は宝蔵庫に納め勝尾寺と変えた。 泣薬師の話。 七代目聖如上人の時代の一向専修念仏者、教心の話。 二階堂は浄土宗の開祖法然上人の御遺跡。 ○廿四番 摂津国河辺郡中山寺 中山寺は観音霊場のはじめ。 奥の院は聖徳太子御建立の中山観音堂。 大仲姫のお告げにしたがって、聖徳太子が三鈷の形の山に十一面観世音を御堂を建てた。三つ山の真ん中なので中山寺とした。 観世音霊場のはじまりなので、昔は西国順礼の第一番だった。廿四番となったのは、花山院が仏眼僧正の案内で那智山を一番で順礼したため。 徳道上人が授かった西国順礼の御契約の證印は、境内の石の「からと」にあった。 観世音信仰に邪見を抱ていた多田蔵人行光の御台に生じた不思議。 7月10日の千日参りに邪見を抱いた、浦上左近親子に生じた不思議。 恵心僧都の作、目明の如来の由緒。
2021年03月02日
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第四巻 ○十九番 都革堂行願寺 行円上人開基。 猟師時代の殺生の念から発起し、鹿の皮着て修行を続けた。夢に現れた老僧のお告げに従い、下鴨神社の桑の霊木をいただき、一刀三礼をしながら千手観音を刻んだ。 その後、志願を募り本堂建立を成就した。 岡崎に住む大工が密通者による毒殺を免れる話。 ○廿番 山城国西山善峯寺 開山は源算上人。 比叡山で学んでいたが、母親の危篤の知らせで下山。自らの手で看病をし、臨終を見とり、葬送を行った。 無常を感じた上人は、西山善峯のほとりの庵に住み、念仏を唱え、世を観じる日々の送った。 峯に紫雲がたな引いていたのでそこで暮らしていると、老翁が現れ、この霊地に霊仏を造立し、堂宇を建立して世に霊場と知らしめるよう告げられた。本尊は、革堂行願寺の観音の残木を用いて千手観音を刻むと霊仏となると告げられた。老翁は阿知坂明神だった。 千手観音開眼後、夜半善峯から光明が輝き京の人々が参詣したが、庵に本尊が安置されていることを天皇が知り、本堂が建立された。 その後中絶したが慈鎮和尚が中興した。 悪人が生きて地獄の火に焼かれる話。 宇都宮だきとめ如来の由緒。 源算上人の御退隠の地は三鈷寺。 孝行娘二人が観世音の助けで地獄から母親を救う話。 ○二十一番 丹波国桑田郡菩提寺 俗に 穴穂寺 刀傷がある本尊、観世音像の由緒。 丹波、生野、桑田郡、穴穂の地名の由来。 亀山城下の金屋某の下女が、観世音の助けで熱病から救われた不思議。 インドの蓮華女が出家を決心する時の話。
2021年03月01日
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○十六番 山城国洛東清水寺 檀主は右大臣坂上田村麿。沙門延鎮が白髪の翁の教え通り、柳を刻んで観音像を成就し、勅命による蝦夷征伐を助けを得て果たした田村麿が延鎮との約束通り、観音が開いた地に堂宇を建立した。 勢州鈴鹿山の鬼退治の話は、田村麿ではなく一休和尚の財を得て山賊となった者の話。 清水寺と呼ばれる所以。 上総景清盛久、悪七兵衛景清が敵討ちに失敗したが、観音力に守られ助かった話。 楠木正成が観世音に守られた話。 三年坂と呼ばれる産寧坂の由来。 音羽の滝の三筋は、中は利右は智恵左は慈悲で、観世音の利智悲三躰。 ○十七番 山城国洛東六波羅蜜寺 六波羅蜜の意味。 空也上人の幼少期。 定盛が俗躰妻帯のまま上人の弟子となった経緯。 本尊十一面観音について。 本堂のしたには大般若経600巻が地に敷き納められている。 唐土多羅国の疫病での観音の功徳。 空也上人と松尾明神との出会い。 奇特。 本尊の右の鬘掛地蔵の由緒。 惣門が北面するのは六波羅蜜寺が日本初。 ○十八番 都六角堂頂法寺 六臂如意輪観世音は聖徳太子の守本尊。 摂津国天王寺を建立するための材木を見立てにまわっていた時、涼んだ森が六角堂の地。 水浴びをしている時、守本尊が数千貫目となりこの地を離れられなくなり泊まることになった。 その晩の夢で観音のお告げで、この地に六角の御堂を建てることが命じられた。 紫雲のかかる杉の神木だけで六角堂を建立した。 子どもの頃、手習いで書いた「南無観世音菩薩」の書を賽銭箱に入れ続けた女性の出産に際して起きた不思議。 閻魔王の鏡にうつることと観音のすくい。 生花の池の坊は、六角堂の寺内坊舎がはじまり。 ら
2021年02月28日
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第三巻 ○十三番 近江国勢田郡石山寺 東大寺の大仏造立に際して、聖武天皇より良弁に金調達の勅命が下った。 蔵王権現、比良の神に導かれた地に庵を建て、如意輪観音像に念じていると奥州より黄金の貢ぎものの知らせがあった。この霊地にお堂建立し、良弁僧正の小像を腹内に納めた丈六の大像を造立した。 良弁僧正の出自と経歴。母親との再会。鷲に拐われた子を30年間探した母親を祀り、東大寺大仏殿と指図堂の間に子安神社を立てた。 賀茂の社司の侍従の女が母親の尊弁僧正にあった、良弁僧正の身に起きたことに似た内容の話。 恵心僧都の宇治の説法であった念仏の話。 ○十四番 近江国三井寺 三井寺の開山は智証大師で観世音像も自作。 弥勒菩薩の化身とよばれた教待和尚が、新羅明神の言葉により如意輪観世音を奥の院から移すことで女人禁制が解け、女人が参詣できるようになった。 三井寺の鐘の由来。 ○十五番 山城国洛東今熊野 嵯峨天皇の勅願所。 後白河法皇は三所権現のお告げで頭痛が治癒したので、弘法大師が刻まれた十一面観音がある当地に権現の社を建て、熊野の土を入れて熊野詣でが都でできるようにした。 観世音の助けで愛欲に惑わず出家を続けることができた話、二題。
2021年02月27日
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○第十番 山城国宇治郡三室戸寺 上醍醐山の麓、炭山の岩渕という池の中から僧、宗休の前に八寸二分の千手観世音が出現した。この話しを聞いて観音に参詣した三井寺の隆明阿闍梨が天皇に堂宇の建立奏上し、自ら開基となった。御本尊は天皇敕封となった。 山城国長池村の火事の時に起きた不思議。 ○十一番 山城国宇治郡上醍醐寺 大蛇を退治し吉野から熊野への参詣道を切り開いた聖宝僧正開山。東大寺にいた時、上醍醐山に薬水ありと観音のお告げがあった。清水の涌出するところを探し当て醍醐水と名付け、そこで観音像を造立し醍醐寺を開いた。 聖宝僧正の出自。 日本最初の準提観音であることは「準提観世音霊験図会」に詳しく記載されている。 ○十二番 近江国勢田郡岩間寺 正法寺という 泰澄の幼少期から越路の大徳としての岩屋での修行期を経て、元正天皇の御脳平癒を果たし、岩間寺建立に至るまで。 岩間寺の雷消徐の由緒。 猫も雷獣のうち?
2021年02月26日
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第二巻 ○第七番 大和国高市郡岡寺 35代舒明天皇の都、岡本の宮にあったので岡本寺だった。 本尊は一尺二寸だが、弘法大師が丈六の大像を作り胸に御本尊を納めた。 天智天皇の時代、この地に住む毒蛇を義淵大僧正が法力でした退治した。 退治した大蛇を池に投げ、弥勒菩薩様の下生される56億7千万年後まで出ることを許さない、と石で蓋をした。 この場所に寺を建て、本尊を弥勒菩薩とし寺を龍蓋寺と名付けた。 観音像は、弘法大師の入唐を助けた如意輪観世音様のお姿を三国霊場の土で作られた大像。 龍蓋寺、龍門寺、新福寺は義淵大僧正が建立した。 ○第八番 大和国城上郡長谷寺 長谷寺の御本尊と開山の由緒。 賢問子、芥子国父子が作った二丈六尺の観音像と台座の不思議。 法道徳道道明これみな同人也。 長谷寺をまた豊山という二つの名あり。 初瀬寺未来鐘の因縁。 今は昔都によしある者の娘の不思議。 百済国の后の信心。 ○第九番 南都興福寺南円堂 右大臣、藤原高麿が子孫繁栄の方法を弘法大師に尋ね、弘法大師が観音像を造り、それを本尊として建てられた御堂の開眼法要をしたのが南円堂のはじまり。 観音堂普請にあたり春日明神の助けがあった。 南都樽井の井筒屋の娘の不思議。 奈良の町の富家の娘の不思議。
2021年02月25日
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○第四番 和泉国巻尾山施福寺 施福寺は弘法大師が出家された寺であったが、その豊かさのゆえに僧が堕落した時期があった。 元々本尊が弥勒菩薩の施福寺に千手観世音菩薩が彫刻造立された由緒を説く。 御詠歌に吟われている「ひばら松ばら」 は、煩悩三毒の悪行に同じく、切り払い行かねばならぬもの。 ○第五番 河内国藤井寺 大阪の葛井寺の観世音像は、奈良の長谷寺と同木、同仏師(賢問子、芥子国父子)。 悪党の藤井安元が閻魔大王の沙汰で改心して、剛林寺が藤井寺になった由緒。 御詠歌は、凡人は他力本願によってのみ成仏できると示している。 ○第六番 和州高市郡壷坂寺 壷坂山に弘法大師がお作りになったと伝えられる五百羅漢と梵字がある。 法恩沙彌が桓武天皇の眼病を治し、法恩長老となって壷坂寺の開基となる物語。 壷坂寺のほとりの土佐町に住む座頭の沢一の目が、千日詣での末観音力で治癒した話。
2021年02月24日
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「西国三十三所 観音霊場記図会」沙門秀之 翻刻は、先達勉強会で使われていると聞く。 勉強会に出られないでいるが、「図会」を読みながら気まぐれにメモを取りる。 御詠歌の部分は要約困難と感じ、ほとんど省いた。 1冊にまとめていただいているが、元は和綴じ五巻なので、巻数が記載されている。 第一巻 ●源基定図会撰次 漢文で読み下しできず。 ●西国三十三所順礼の由来 徳道上人の頓死と蘇生に始まる話し。 一番を中山寺とする。 ●花山院御順礼 那智山を一番とした由来。 花山院は、石川寺仏眼上人に案内を頼んだ。 ○第一番 紀州室ノ郡那智山観世音 裸形上人開基。 仏教が広まる前、死は忌避されるばかりだった。 生仏上人梵天帝釈に命を助けられ中興。 ○第二番 同国紀三井寺 三井は、清浄水、吉祥水、養老水。 道光上人が助けた祇園午頭天王に説かれて、十一面観世音とした観音経普門品を刻み、御堂を建立した。 ○第三番 同国粉河寺 大伴孔子古による開山の由緒。 河内の国の左太夫夫婦による本堂建立の由緒。 紀州の紀四郎奉成の病が癒えた話し。
2021年02月23日
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令和3年の西国観音巡礼を記録する。 今年も「西国三十三所」巡礼も新型コロナウイルスの影響をうけている。・令和3年より再開を予定していた月参り巡礼を当面、延期。・草創1300年記念事業を令和4年3月31日まで延長。 特別印の押印も同日まで延長。 お土産物屋さん駐車場から徒歩で10分くらい上って青岸渡寺にいく。 1月15日第一番 那智山 青岸渡寺 御本尊 如意輪観世音菩薩 宗派 天台宗 開基 裸形上人 創建 仁徳天皇御代(313~399) 御詠歌 補陀洛や 岸打つ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬 久しぶりの熊野詣。 観光バスもなく、混雑、行列は一切ない。 続いてお隣の熊野那智大社に参拝。 田辺市の熊野本宮大社、新宮市の熊野速玉大社とともに熊野三山の一社。熊野那智大社 主祭神 熊野夫須美大神 創建 仁徳天皇5年 熊野那智大社拝殿、御縣彦社(みあがたひこしゃ)に参拝。 石段を下って熊野那智大社別宮飛瀧神社、那智御瀧に参拝。 石段を登り駐車場に行き、阿弥陀寺を目指し車で上る。 センターラインのない車道を注意しながら運転する。 は大型車がこなければ 幸い狭いところで対向車に出会うことはなかった。 駐車場には我が愛車1台。 熊野妙法山 阿彌陀寺 御本尊 阿弥陀如来の御詠歌 宗派 真言宗御室派 本尊 阿弥陀如来 開基 蓮寂上人 創建年 大宝3年(703年) 御詠歌 熊野路を ものうき旅とおもうなよ 死出の山路で 思いしらせん 奥の院 浄土堂に上る。 奥の院の御本尊は釈迦如来。 往復30分。 奥の院 釈迦如来の御詠歌 ここも旅 またゆく先も 旅なれや 鳥は 池辺の 木に宿る 魚は 月下の 波にふす 人は なさけの 袖の下 我には 宿る 家もなし いづくの 土に 我や なるらん 本堂境内、奥の院とも死と再生の地に相応しい静謐さが満ちている。 駐車場は1台のまま。 補陀落山寺を目指す。 熊野山 補陀落山寺 本尊 三貌十一面千手千眼観音 宗派 天台宗 開基 裸形上人 創建年 仁徳天皇治世(4世紀) 境内に渡海船がある。 中世日本では、遥か南洋上に「補陀洛」が存在すると信じられ、これを目指して船出することを「補陀洛渡海」と称した。 渡海船に造られた屋形に渡海する人が入ると、出入り口に板が嵌め込まれ外から釘が打たれ固定され脱出することができない。 その屋形の四方に4つの鳥居が建っている。これは「発心門」「修行門」「菩薩門」「涅槃門」の死出の四門を表す。 帰り道にある熊野速玉大社を目指す。 熊野速玉大社 主祭神 熊野速玉大神、熊野夫須美大神 創建 景行天皇58年 神仏霊場巡拝の道第1番札所 時間も遅いので、神倉神社は参拝せず帰路に就く。
2021年01月16日
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2020年、先達として2回満願。 これまで年1巡のペース。 2021年は中先達として巡礼を開始し、さらに勉強を重ねながら急がず大先達となることを目指します。 2月24日 第19番札所 南円堂(法相宗大本山興福寺) 不空羂索観世音菩薩 2月28日 第21番札所 菩提山穴太寺 聖観世音菩薩 2月29日 第16番札所 音羽山清水寺 十一面千手観世音菩薩 第17番札所 補陀洛山六波羅蜜寺 十一面観世音菩薩 2月末累計 4所 3月3日 第18番札所 六角堂(紫雲山頂法寺) 如意輪観音 第19番札所 革堂(霊ゆう山行願寺) 手観音菩薩 第15番札所 今熊野観音寺(新那智山観音寺) 十一面観世音菩薩 3月18日 第14番札所 三井寺(長等山園城寺) 如意輪観世音菩薩 *ご即位記念 秘仏御開帳 重要文化財 如意輪観音坐像 第13番札所 石光山石山寺 如意輪観世音菩薩 *御即位御吉例 御開扉 日本唯一勅封観音御本尊如意輪観世音菩薩 3月26日 第2番札所 紀三井寺(紀三井山金剛宝寺護国院) 十一面観世音菩薩 *開創1250年 秘仏御本尊御開帳 秘仏本尊・十一面観音菩薩像 第3番札所 風猛山粉河寺 千手千眼観世音菩薩 *西国三十三所草創1300年記念特別拝観 北面千手世音 3月末累計 11所 4月6日 第6番札所 壷阪寺(壺阪山南法華寺) 十一面千手観音菩薩 *二大塔(三重塔・多宝塔)同時開扉 第7番札所 岡寺(東光山龍蓋寺) 如意輪観世音菩薩 *本堂内々陣お扉特別開扉 第8番札所 豊山長谷寺 十一面観世音菩薩 *本尊大観音尊像特別参拝 4月末累計 14所 6月16日 第4番札所 槇尾山施福寺 十一面千手千眼観世音菩薩 *槇尾七福神 第5番 紫雲山葛井寺 十一面千手千眼観世音菩薩 6月29日 第10番札所 明星山三室戸寺 千手観音菩薩 第21番札所 醍醐山醍醐寺(深雪山上醍醐寺) 准胝観世音菩薩 第22番札所 岩間寺(岩間山正法寺) 千手観音菩薩 6月末累計 19所 7月12日 第20番札所 西山善峯寺 *千手観音菩薩 7月17日 第22番札所 補陀落山総持寺 千手観世音菩薩 第23番札所 応頂勝尾寺 十一面千手観世音菩薩 第24番札所 紫雲山中山寺 十一面千手観世音菩薩7月28日 第30番札所 厳金山宝厳寺(観音堂) 千手千眼観世音菩薩 7月末累計 24所 8月17日 第1番札所 那智山青岸渡寺 如意輪観世音菩薩 第31番札所 姨綺耶山長命寺 千手十一面聖観世音菩薩三尊一体 第32番札所 繖山観音正寺 千手千眼観世音菩薩8月31日 第28番札所 成相山成相寺 聖観世音菩薩 第29番札所 松尾寺 馬頭観世音菩薩 8月末累計 29所 9月21日 第25番札所 御嶽山清水寺(播州清水寺) 十一面千手観世音菩薩 第26番札所 法華山一乗寺 聖観世音菩薩 第27番札所 書瀉山圓教寺 如意輪観世音菩薩 9月末累計 32所 10月3日 第33番札所 谷汲山華厳寺 十一面観世音菩薩 10月末累計 33所 先達として二巡目満願 11月27日 観音正寺様で満願をご確認いただき、申請書をいただく。12月2日 中先達申請書郵送12月25日 中先達の授与品・名札到着 DVD「西国巡礼のはじまり」も同梱されていました。 たいへんありがたいことです。
2021年01月01日
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西国三十三所第16番札所音羽山清水寺は、日本の観光地のなかでもトップクラスの有名な地。 訪日外国人客も修学旅行生も、団体観光客もいない今日、驚くほど空いているので、特に平日は参拝、観光の空前絶後のチャンス。 もちろん御朱印をいただく行列もない。 公共交通機関は空いているし、駐車場の空きもそこら中にある。 ま、京都に限らず日本の有名観光地はどこも「密」ではないので、「今がチャンス」なのだが……。 広々とした清水寺の境内で、その七不思議にゆったりとした気持ちで思いを馳せるのも一興かと思う。 解明されてないナゾばかり。京都・清水寺に隠された「七不思議」英学(はなぶさ がく)2020/06/27 TRip EDiTOR 京都を代表する観光スポットのひとつ「清水寺」には、いくつもの見どころがあります。 しかし、実は「七不思議」と呼ばれるような不思議なスポットがたくさんあることをご存じでしたか? 清水寺に行ってもなかなか七不思議を見て回ったという人は少ないのではないでしょうか。 そこで、今回は清水寺観光がもっと楽しくなる、そんな七不思議をご紹介していきたいと思います。 いくつ知ってる?「清水寺」が持つ七不思議 清水寺の参道を上ると朱塗りの仁王門が目に飛び込んできます。 まずはこの手前にいる狛犬にぜひ注目してみてください。1. 清水寺の狛犬 …(略)…しかし清水寺の狛犬は、どちらも「阿」「阿」と口を開けています。 …(略)… 2. 仁王門 …(略)… 片方に耳をあて、もう片方を誰かが叩くと「カンカン」と透き通った音が聞こえてきます。 …(略)… 3. 鐘楼 …(略)… 鐘楼は通常4本の丸柱で支えるのが一般的とされています。 しかし、清水寺の鐘楼は6本柱。 4. 三重塔 …(略)… 通常は塔の四隅に鬼瓦が施されていますが、東南の角だけは「龍」が飾られています。 鬼瓦は厄払いの意味を持ちますが、龍は水神であることからこの瓦は火除けとして用いられているのです。 …(略)… 5. 八方睨みの虎 清水寺の西門の石段を下がったところに灯篭があります。 正面に虎が彫られていて、どこから見てもその虎と目が合う「八方睨みの虎」です。 この虎が夜な夜なこの灯篭から抜け出し、池の水を飲みにいくという伝承が…。 近くで見るとその眼光の鋭さに驚かされます。 6. 朝倉堂の前にある石 朝倉堂の前にある一尺七寸(約50cm)もある大きな足型が刻まれた石があるのをご存じですか? こちらは弁慶のものとする説が有力でしたが、平景清(たいらのかげきよ)のものとする説があります。 しかしこれは、お釈迦様の両足をかたどったもので、仏足石とのこと。 …(略)… 7. 大舞台の地獄組み …(略)… 当時の知恵と工夫が凝らされ、高い技術力が感じられます。しかしこの舞台、何のために造られたのか明確な理由は分かっていないそうです。 …(略)… 七不思議を詳しく見ていくと、昔生きていた人の神仏との関わりかた、日常の習慣などが垣間見えてきます。 そこには、昔の人が未来に伝えたかった知恵や思いを感じ取ることができることでしょう。 ― 引用終り ― 坂上田村麻呂や、故郷を離れて京の地で没した阿弖流為に思いを馳せるのにも、静かな清水寺は相応しいと思う。
2020年08月11日
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2020年4月6日(月)4番札所施福寺に参拝しようと愛車フィット3で出掛ける。 寺の麓までの車道は徐々に道幅が広げられ、車の難所感はだいぶ減った。 施福寺は麓から30分から1時間程度、連続する上り坂を徒歩でゆくしかない難所。 約3時間半かけて。施福寺の駐車場に到着。 『両界曼荼羅』の特別拝観(3月26日から5月6日まで)が楽しみだ。 さあ、上るぞと、軽く気合を入れて車を降りた。 降りてすぐに駐車場内で、親切な方が私に声をかけてくれた。 袈裟を着けていたので、参拝者と分かってのこと。 「施福寺は入山禁止ですって」。 「エッ……。ありがとうございます。」 丁寧にお礼を述べた(つもり)。 動揺は隠せなかったかも。 約3時間半かけて来たので、とりあえず山門の方にむかう。 施福寺は大阪府和泉市。 東京、大阪は武漢肺炎が猖獗を極めている地域(だいぶ大げさ)。 山門の遥か手前、トラロープに看板が下がっていた。 「入山禁止」 「納経所閉鎖のお知らせ コロナウイルスの感染防止 拡散防止の為ご協力ください」 納経所は年配の方々が務めていることが多い。 武漢肺炎の脅威は大。 今日(4月6日)から急遽入山禁止となったようだ。 手前にある万願寺も閉鎖されていた。 駐車場の前のお土産物屋さんが参拝者と「今朝、福井から来た人もいて、呆然としていた」と話していた。 翌7日に安倍首相が7都府県を対象に新型コロナウイルスに伴う「緊急事態宣言」を出すと報道があった。 緊急事態宣言前に、難所で有名な西国三十三所4番札所槇尾山施福寺はロックダウンならぬロックアウト。 次に行く予定だった大阪府の葛井寺参拝は中止。 奈良の壷阪寺に向かった。 桜は満開。 武漢肺炎の流行、人心の乱れと関係なく、桜は美しく咲いている。 緊急事態宣言の期間は「1か月程度」と発表された。 大阪府と兵庫県の札所の寺々は、明日から入山禁止となるのだろうか?
2020年04月07日
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2020年3月17日から6月30日まで、14番札所、長等山園城寺(三井寺)で秘仏・ご本尊・如意輪観音坐像御開帳が行われている。 黄不動像(絹本著色不動明王像、国宝)、唐院大師堂の木造智証大師像2躯(中尊大師・御骨大師、国宝)、唐院大師堂の木造黄不動立像(重要文化財)、新羅善神堂の木造新羅明神坐像(国宝)、観音堂の木造如意輪観音坐像(重要文化財)、護法善神堂の木造護法善神立像(重要文化財)など三井寺には秘仏が多い。 3月18日(水)に参拝した。 団体客がないせいか、じっくりと静かに参拝できた。 三井寺 ご即位記念『秘仏御開帳』「令和」特別ご開帳 西国第14番札所のご本尊・如意輪観音坐像(平安時代)は、当山開祖智証大師(814年~891年)が感得されたご尊容を伝えるといわれ、のちに後三条天皇(1034年~1073年)が病気平癒を祈願された霊仏で重要文化財に指定されています。 本来は33年に1度しかご開帳されない秘仏ですが、このたびのご即位を記念し、令和の時代が平和で幸福な時代となることを願い、両脇に安置されている重要文化財・愛染明王坐像(平安時代)、毘沙門天立像(平安時代)とともに特別にご開帳されます。 ― 引用終り ―
2020年03月31日
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西国第13番札所大本山石山寺に参拝。 この日11時から「御吉例御本尊御開扉大法会」が行われていた。 巨大な御本尊の裏手では胎内仏も展示されていた。 本堂隣にある国の天然記念物の「石山寺硅灰石」、境内の奥の静謐な「無憂園」、「石山寺八大龍王社」を訪れるのも毎回楽しみにしている。 全国唯一天皇の命令で封印された「勅封秘仏」石山寺で4年ぶり公開2020年3月18日 毎日新聞 石山寺(大津市)の本尊で重要文化財「如意輪観世音菩薩(にょいりんかんぜおんぼさつ)」が18日、天皇陛下の即位を記念して一般公開された。 全国で唯一、天皇の命令で封印されている「勅封(ちょくふう)秘仏」で、33年に1回と天皇が即位した翌年に「御開扉」される。 前回は2016年に御開扉されており、今回は4年ぶり。 如意輪観世音菩薩は国宝の「本堂」にある厨子(ずし)に安置され、高さ約5メートル。 奈良時代に造立された初代は火災で焼け落ちたと伝わり、平安後期に作られたという2代目が現存している。 この日は法要が営まれ、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、関係者のみが参加。 天皇陛下のお使いが封印を解き、石山寺責任役員の鷲尾龍華さんらが扉を開いた。 鷲尾遍隆座主は「昨今の自然災害や新型コロナウイルスなど国難とも言える時代だからこそ、観音様の慈悲の心が必要だ。 生きとし生けるものが調和の道を歩むことができるよう、日々祈る」と話した。 訪れた松山市の会社員、増尾美穂さん(44)は「めったに見られるものではないので、ありがたい。荘厳な感じがした」と話した。 一般公開は6月30日まで。 初代の塑像の断片や、本尊内から発見された小さな仏像「胎内仏」4体(いずれも重文)なども、本堂内陣で特別公開されている。 特別拝観の入場は午前9時~午後3時45分。 ― 引用終り ―
2020年03月31日
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西国三十三所でご宝印(ご朱印)をいただくと「散華」がいただける。 私は最初、「散華」について全く知らなかった。 単純に「綺麗な札をくださるな」と思っていた。 「これは何だろう」と思いながらありがたく、いただいていた。 札所で、台紙が販売されているのをみて、一文字ずつ集めて三十三所一式とすることを知る。 そのありがたさを知るのは、その名を「散華」と知って調べた後のこと。 三十三所巡礼でいただく「散華」は、各札所の山主様が観音経の一字を揮毫なさったもの。 満願し台紙に貼りつけると観音経の一節となる。 現在の散華の様式は、平成26年(2014年)5月から始まったとのこと。 散華台紙は各札所や通販で購入できる。 散華だけを貼るもの、台紙中央に観音菩薩像が描かれているものなどある。 【散華】 散華は寺院で法要を巌修する時に、諸仏を供養するために撒かれる花。 蓮弁をはじめとする生花が使われていたが、次第に蓮の形をかたどった色紙が代用されるようになった。
2020年01月02日
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西国三十三所巡礼を一巡、三十三所専用納経帳に各所で宝印をいただき、三十三所札所会に申請すると先達になれる。 申請書は満願の納経帳を札所(お寺)で確認していただいて、その札所でいただける。 満願の札所で人気なのは、札所中唯一岐阜県にある「谷汲山華厳寺」。 一巡目、私は華厳寺で満願、先達の申請書をいただいた。 先達としての1巡目も10月21日に華厳寺で満願した。 先達は、本来巡拝案内、おつとめの導師などを勤められる方、だった。 現代は、私のように「自家用車で巡礼しても立派な先達様」とのこと。 先達になり、家族や友人を連れて、再び西国巡礼を行い仏心を広めることが札所会の狙いらしい。 先達として三十三所を二巡すると「中先達」を申請することができる。 【先達の特典】授与品・名札(番号と氏名が記載されている)・袈裟(首にまとう)・頭陀袋(蝋燭、線香などを入れる肩掛け式のカバン)・軸装納経帳(札所番号が後の方だと広げるのに時間がかかる、紙質は墨が乾きやすいものに変更になったようだ。 巻末に3か所納経印の欄が設けてあり、何も書かれていないがここに番外札所の納経印をいただけるようになっている。 番外札所は法起院(豊山法起院)、花山院(東光山花山院菩提寺、華頂山元計慶寺)。 これらの授与品一式を纏って「先達」として巡礼する。 代理巡礼があるためか、名札の着用を確認する札所もある。 他人事ながら、自分で巡礼せず満願をお金で買っても何だかなあと思う。 その他・ご詠歌護符の授与(護符と散華を複数いただける)・札所会主催の行事案内(三十三所の外に住んでいると行事の会場が遠い) わが父母は浄土真宗本願寺派。 私は巡礼をするうちに「般若心経」を詠むようになり、「般若経」について学び、真言を唱えるようになった。 妻の実家は法華宗なので、義父母のためにはいいかな。 宗派の教えに忠実な方には正されることだ。 週2日の休みの1日を利用して巡礼しているので、さほど早くは巡礼できない。 また、各札所参拝後、周辺の寺社に参拝している。 神仏習合の色濃い札所もあり、神仏参拝は悪くないと思っている。
2020年01月02日
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2018年西国三十三所巡礼開始。 会社の旅行で青岸渡寺に参拝後、西国三十三所草創1300年を知ったことが巡礼開始のきっかけ。 ◆巡礼を初めて感じたこと1.マイカーで参拝しやすい 駐車場が整っていることがほとんど。 山道は嫌いではないので、けっこうドライブを楽しんでいる。 狭い山道、峠道が得意でない方には、自家用車は一部難所。 道の駅ではないが、駐車場、トイレなどが整っていることがほとんど。 2.よい運動になる 山寺が多く、坂道、山道、長い石段を歩くことになる。 足、ひざが健康であれば、極めて健康に良い。 歩き回るのは基本的に腰に良い。 山登の入門編という寺もある。 天候などにより足下が悪いこともあり、トレッキングシューズ、山ファッションも多く見かける。 3.歴史に興味がわく それぞれの寺の由緒は大きく歴史に絡んでいる。 既にある歴史の知識に新たな知識が加わり、歴史のロマンが広がった。 4.仏心が養われる 基本、一番大事なことである。 様々な宗派、本尊も観音菩薩ばかりではなく、幅広い仏教の知識が身に着く。 実に実に有り難いことである。 『般若心経』、『観音経』についても当然学んだ。 観音の真言も唱えられるようになった。 5.巡礼のステップアップシステムの魅力 家元制度など、日本人はステップアップシステムが好きだ。 巡礼・交通の困難さが減った現代は、様々な情報あふれる時代。 関心を保ち続けるためにステップアップシステムは重要。 1回で終わりのスランプラリーではなく、2回、3回と繰り返し巡礼する価値を感じる。 ・先達 三十三所1巡 ・中先達 先達として2巡=通算3巡・大先達 中先達として3巡=通算6巡 ・特任先達 大先達として5巡=通算11巡・特任権中先達 特任先達として6巡=通算17巡・特任中先達 特任権中先達として6巡=通算23巡・特任権大先達 特任中先達として6巡=通算29巡・特任大先達 特任権大先達として5巡=通算34巡 先達として33巡 観音力の御利益はどこにあるだろうか。 私は西国三十三所を巡る環境にあることが、とても恵まれている、有り難いことと思っている。 いろいろあるが、社会が平和で豊かでなければ霊場巡りは覚束ない。
2019年09月30日
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先達の授与品に頭陀袋があった。 気になって言葉を調べる。 ずだぶくろ【頭陀袋】 出典:大辞林 第三版の解説(1)頭陀行を行う僧が、僧具・経巻・お布施などを 入れて首にかける袋。頭陀。 (2)死人を葬るとき、その首にかける袋。 (3)雑多な品物を入れて運ぶ、簡単なつくりの布製の袋。 物は現物をみて分かる。 名前の由来が気になった。 名前の由来と用途 出典:Wikipedia 今日では一般的に、ずた袋と濁らずにいわれる場合も多いが、漢字で“頭陀”と表記されることから、本来はずだ袋と濁るのが正しい。 また“頭陀”(ずだ)とは、梵語のDhūta(ドゥータ意味:払い落とす、棄捨)の漢訳音写であり、仏教の僧侶が行う修行(頭陀行、乞食の行)のことである。 したがって、頭陀袋とは、本来この頭陀行を行う僧侶が、携行用に用いた袋のことであった。 別名として三衣袋(さんえぶくろ)、衣嚢(えのう)打包(だほう)ともいわれる。 これらは、もと比丘が山野を行脚する時に、僧伽梨(そうぎゃり)・鬱多羅僧(うったらそう)・安陀会(あんだえ)という3つの衣(三衣)が塵や埃、土で汚れないように入れたものである。 したがって本来の用途はこれらの僧衣を入れるための袋であった。 しかし時代を経ると、これらの衣だけでなく行乞で供養してもらった物などや仏具なども入れるようになった。 したがって、今日、運搬用で雑多な物を入れる袋を“ズタ袋”などというのはここに由来する。 また後世になって、仏式葬儀の際、死者の首から提げる袋も“頭陀袋”というようになった。 これは、これから仏教修行の旅に出るという意味合いであり、白い布製の頭陀袋の中には、紙に描いた六文銭を入れる。 …引用終わり… 納経帳、御朱印帳の類を入れるのは適切なようだ。 肩掛けの袋は難所には不適だろう。 背負子スタイルがよいな。
2018年10月19日
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2018年4月14日、西国三十三所霊場巡礼開始。 青岸渡寺で西国三十三所の納経帳をいただき、巡礼を始める。 草創1300年であること、西国三十三所巡礼の起源、今年の1月10日に参拝した青岸渡寺が一番札所であること、これも何かのご縁と考えたこと始めるきっかけと記憶している。 最初は御朱印とともにいただく散華が何を意味するかも知らなかった。 愛車フィット3で観音霊場尋ねる。 けっこうな山寺が多いことに驚き、大汗をかき、道々楽しみながら巡礼、参拝した。 車や各種交通機関がない時代は、さぞ大変だったと想像させる。 番外札所の法起院、花山院、元慶寺番も参拝を終え、 8月13日、三十三番札所谷汲山華厳寺にて結願。 ちょっと嬉しい。 小さなことでも「やり遂げた」感がある。 散華の台紙も綺麗に埋まった。 先達の申請書をいただき申請書の郵送、申請料の郵便振替を終えたのが8月20日。 先達として登録され、授与品(袈裟、頭陀袋、軸装納経帳、名札)が届くのを心待ちに過す。 9月13日、授与品到着。 全くたいしたことではないのだろうが、名札に自分の名をみて、ちょっと晴れがましく感じる。 巡礼の旅の「先達様」になったななら一段と精進した方がよいのだろうな、と考える。 先達会のご案内 西国三十三所巡礼の旅先達とは? 古来より巡拝案内、おつとめの導師などを勤められる方を先達様とおよびしています。 巡拝を企画された方、自家用車で巡礼をされる方も現代では立派な先達様です。 あなたも先達様になれます。 札所会では現代にマッチした先達様を募集しています。 ご家族や友人をお連れして再び西国巡礼に旅立ってください。 …(略)…
2018年10月19日
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【西国】 西国の指す地域は、時と場合で使い分けられている。 「西国三十三所」の西国は近畿地方。 現代日本や鎌倉時代など、行政の中心が関東地方(東国)にある場合に、それに対する近畿(関西)地方(畿内)の呼称。 京都からみて、東国は武力に頼る武士たちの東夷(あずまえびす)の地。 西国は文化、信仰の地ということになる。 西国のいろいろは下記の通り。・中国地方 特に山陽地方。 かつて西国街道があったことに由来。・九州地方 かつて西海道と呼ばれたり、鎮西府がおかれたこ とに由来。・中国・四国地方・西日本 日本国の西半分。・畿内(近畿地方)より西方にある地域。 中国・四国・九州・沖縄地方。・関東地方より西方にある地域。 中部・近畿・中国・四国・九州・沖縄地方。・東京より西方にある地域。 神奈川県・中部・近畿・中国・四国・九州・ 沖縄地方。 西国三十三所に算えられる寺院は、番外三か寺を加えて36。 鎌倉時代に編纂されたとされる『寺門高僧記』以来、変化が無いとのこと。 【観音菩薩】『観音経』などに基づいて広く信仰・礼拝の対象となた。 『般若心経』の冒頭に登場する菩薩で、般若の智慧の象徴。 大慈大悲を本誓とする。 日本では現世利益と結びつけられて、時代・地域を問わず広く信仰されてきた。 【三十三】 妙法蓮華経観世音菩薩普 門品(観音経、以下普門 品)では観音の普現色身三昧より示現する三十三種の 変化身により、衆生の悩み に応じて済度すると説かれる。 観音経が普及とともに、観音の三十三変化身の数字に意味を持たせて、観音と三十三とが結びついた。 【六観音】 六観音は六道輪廻(ろくどうりんね、あらゆる生命は六道、6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれた。 真言系 聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、 如意輪観音、准胝観音を六観音。 天台系 聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、 如意輪観音、不空羂索観音。 天台系の准胝観音に代えて、不空羂索観音を加えている。 六道とそれぞれの観音の組合せは、 地獄道 - 聖観音 餓鬼道 - 千手観音、 畜生道 - 馬頭観音 修羅道 - 十一面観音、 人道 - 准胝観音 天道 - 如意輪観音 西国三十三所のうち、馬頭観音は松尾寺、准胝観音は醍醐寺、不空羂索観音は興福寺南円堂だけ。 西国三十三所 巡礼の旅
2018年09月04日
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8月13日、西国三十三所結願。 さてお礼参りはどこにしようか。 信州の善光寺など定番のお礼参りのお寺さんがあげられているが、「ここじゃなきゃダメ」というのはないらしい。 そこで三大観音巡りをお礼参り先にする。 Wikipedia によると下記の三観音。 浅草観音(金龍山浅草寺)@東京都台東区 大須観音(北野山真福寺)@愛知県名古屋市中区 津観音(恵日山観音寺)@三重県津市 日本三大観音 Wikipedia 自宅から近い順にお参りする。 8月14日、今日もひどく暑い。 津観音は一番近いのだが初参拝。 真言宗醍醐派。 本尊は聖観音菩薩と国府阿弥陀如来。 お伊勢さんの有名な三重県において、寺院では専修寺(浄土真宗高田派)に次いで2番目に参拝者の多い寺院。 創建は和銅2年(709年)。【津観音 再建の歴史】 1945年(昭和20年)7月28日、米軍の焼夷弾により、津市街の建造物の大半と共に観音寺の堂宇も灰燼に帰した。 1949年3月、河芸郡窪田の安養寺本堂を移築して仮観音堂とし落慶、1968年観音堂再建。 1980年、本格的な再建事業が始まり、同年仁王門完成。 1984年鐘楼堂、1986年手水屋形完成。 1989年(平成元年)収蔵庫、1994年護摩堂、2001年資料館と木造五重塔(三重県初)が完成。 8月15日、暑さは続く。 商店街のTV露出もあり、大須は少しは有名だと思う。 真言宗智山派の別格本山。 本尊は聖観音。 正式な寺号「北野山真福寺宝生院(ほうしょういん)」は、通り名の「大須観音」より知る人は少ないと思う。 創建は元弘3年(1333年)で 開基は能信上人。 この日は2階にある本堂からおりて1階の寺務所でご朱印をいただく。 8月17日、やっぱり暑い。 浅草の金龍山浅草寺に参拝。 聖観音宗の総本山。 本尊は聖観音菩薩。 創建は(伝)推古天皇36年(628年)。 開基は(伝)土師中知(眞中知)。 雷門から仲見世をすすみ宝蔵門に至る。 相変わらず海外からの観光客が多い。 何度か参拝した浅草観音だが、この日初めてその他の堂宇を巡った。 浅草神社も記憶にある限り初参拝。 主祭神は土師真中知命、檜前浜成命、檜前武成命。 読みは「はじのあたいなかとものみこと」、 「ひのくまはまなりのみこと」、「ひのくまたけなりのみこと」。 この三人の御霊をもって「三社権現」と称される。 三山とも西国三十三所納経帳にご朱印をいただく。 いずれ、奈良の東大寺二月堂も参拝するか。
2018年09月04日
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8月13日、華厳寺の納経所にて先達申請の用紙をいただく。 その後、奥の院に挑戦。 前日は雨だったがこの日は酷暑晴。 1時間ぐらいとどこかでみた。 前日の雨のせいもあり、靴は山歩き用の靴がいい。 満願堂の右手から登拝開始。 西国三十三所の観音様の祠が順番にありお参りしながら登ることができる。 最初は木の根道。 岩道、砂利道、水道(みずみち)とバラエティに富んでいる。 18番札所を過ぎたところで根元から折れた木が道を塞いでいた。 どけられる枝はどけながら登ってきたがこれは無理。 跨いでクリア。 水で抉られ段差が大きくなっているところもあった。 20番を過ぎてあと3分の2かと思ったら、斜度がきつくなってきた。 日頃、運動不測の私は心臓バクバク。 水分補給で2度立ち止まった以外はゆっくり歩いて、奥の院に到着。 十一面観世音菩薩が安置されている。 参拝し、景色を少々見て下山。 下山は傾斜、ところにより段差がきついこと、落ち葉などで滑り易いので、急ぐことができなかった。 9時23分から登拝を開始し、満願堂に戻った時は9時50分だった。 一歩一歩ゆっくりと登り、三十三所ごと軽く参拝しながらのゆったりしたペースだ。 気温は33度ぐらい(車載の外気温計)だったので、汗かき体質の私は、Tシャツからジーンズまで汗でビッショリだった。 いろいろなチョウチョ、トカゲやカナヘビ、カエルも沢山出会った。 クモの巣も少し壊したし、Tシャツに付いたヒルをらった。 登拝で肺腑の奥底から日頃の穢れを吐き出し、天然自然の聖なる気を取り入れることができた。 五体健全で少々元気があるなら、ぜひ奥の院に登拝した方が良い。
2018年09月03日
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8月13日、華厳寺に参拝する。 西国三十三所第三十三番札所の谷汲山華厳寺は、西国三十三所の札所寺院でただ一つ、近畿地方以外、岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積にある。 天台宗。本尊は十一面観音。脇侍は不動明王と毘沙門天。 【満願結願の寺院】 本堂に安置される本尊、十一面観世音菩薩は秘仏。 堂内右手に納経所。 本堂内左側に「戒壇巡り」の入り口がある。 正面向拝の左右の柱に華厳寺で満願した記念に触れる「精進落としの鯉」という名の銅製の鯉がある。 笈摺堂は本堂背後にある小堂。 巡礼を終えた花山法皇が、笈摺、杖と三首の御詠歌を奉納したとされる。 そこで今日も、西国三十三所巡礼を終えた人々が奉納した笈摺、御朱印帳等が置かれ、多数の千羽鶴が奉納されている。 満願堂は本堂から裏手に進み、笈摺堂、子安観音堂を経て、階段を三十三段上った先に建つお堂。 本尊は十一面観世音菩薩。 周囲に「満願」の文字の刻まれた狸の石造が並び、巡礼者はここで納め札を納める。【御朱印】 ということで華厳寺の御朱印は、本堂(観音堂)・満願堂、笈摺堂の3種。 観音堂は現世、満願堂は過去世、笈摺堂は来世を意味するとされる。 【三十三所巡拝後】 納経帳にて巡拝の確認後、納経所にある申請用紙に寺院名と確認印を押印していただく。 申請用紙に必要事項を記入して宛先に郵送、申請費用もゆうちょ銀行に払い込む。 西国三十三所の先達になることができる。 そして先達から次のステップが始まる。 先達会のご案内 西国三十三所札所会 公式サイト 先達とは? 古来より巡拝案内、おつとめの導師などを勤められる方を先達様とおよびしています。 巡拝を企画された方、自家用車で巡礼をされる方も現代では立派な先達様です。 あなたも先達様になれます。 札所会では現代にマッチした先達様を募集しています。 ご家族や友人をお連れして再び西国巡礼に旅立ってください。 …(略)…
2018年09月03日
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8月5日(日)、二条城見学、晴明神社、元慶寺参拝のあと宇治へ向かう。 昼過ぎであり、日中の最高気温に達する頃だ。 宇治に着いて平等院周辺のたくさんある上限設定金額のあるコインパーキングに適当に駐車。 で、下車して最初に向かったのは、宇治橋を渡って平等院と反対岸の宇治神社。 【宇治神社】 祭神は菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと) 第15代応神天皇の皇子で、異母兄は大鷦鷯尊(のちの仁徳天皇)。 手水舎がありますが、兎がモチーフ。 見返り兎みくじ、絵馬、御朱印帳など随所にウサギがいる。 【宇治上神社】 参拝後は宇治上神社へ参る。 明治以前までは、宇治神社が若宮、宇治上神社が奥宮で神宮の内宮と下宮と同じく二社一対だった。 宇治神社と同様、本殿の前に立派な拝殿があり、正面には一対の清めの砂が円錐状に盛られている。 宇治上神社の本殿は、一間社流造の内殿3棟が左右に並ぶ。 祭神3柱。 左殿:菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと) 中殿:応神天皇 第15代天皇。菟道稚郎子命の父。 右殿:仁徳天皇 第16代天皇。菟道稚郎子命の異母兄 参拝を終えて平等院へ徒歩で向かう。 ルートは川沿いを進んで人道橋を渡った。 【平等院】 10円玉で昔から馴染み深かったが、初めて訪れた。 朝日山平等院は歴史的経緯(寺社奉行の裁定)で、二寺で管理されている。 まず、浄土宗系の浄土院に参拝。 表に求世船乗観音像がお祀りされてる。 本堂の右手に羅漢堂、左手の書院や養林庵は非公開とのこと。 次に天台宗系の最勝院、不動堂、ご本尊不動明王に参拝する。 御朱印をいただく。 最勝院を出て歩をすすめると、鳳凰堂拝観の受付所がある。 14:30 からの拝観、5分前集合と告げられる。 拝観料は300円。 待ち時間が50分ぐらいあり、その間に御朱印をいただく。 扇の芝、観音堂を眺めて集合時間を待つ。 ミストも整えられているがひたすら暑い。 持参の水も尽きた。 鳳凰堂の拝観はガイドツアー方式で、ご本尊の阿弥陀如来様の前で、歴史や数々のトリビアが聞ける。 工事の足場が取れたら、また訪れたい。 鳳凰堂を真正面から眺め、六角堂、鐘楼の横を通って鳳翔館に入る。 まづは屋内の空調、冷気に感謝し、展示をじっくり見学。 平等院を出て、通ってこなかった表参道を通り、コインパーキングに戻る。 無事帰宅。 谷汲山華厳寺以外は、西国三十三所は番外にいたるまで集印を終えた。 第三十三番札所の結願まで、もう一歩だ。
2018年09月02日
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8月5日(日)、夏の京都は暑い。 今年は格別に暑く、最高気温は39.5度。 【二条城】 日本の100名城、二条城見学。 暑くてもインバウンド客は多数。 日本人より日本文化に詳しい外国人が増えていくことだろう。 一通り順路を巡り、最後の大休憩所でスタンプ。 【晴明神社】 次に近所の晴明神社に参拝。 1007年創建で、主祭神は安倍晴明御霊神。 この日は我が人生2回目の参拝。 陰陽師安倍晴明に関心があり、前々から晴明神社の御朱印帳と御朱印が欲しかった。 御朱印付きで2000円。 奈良の安倍文殊院、大阪の晴明神社、信太森葛葉稲荷神社、名古屋の名古屋晴明神社、上野天満宮の晴明殿、東京の五方山熊野神社など晴明ゆかりの御朱印を集めたいと考えている。 【元慶寺】 駐車場から車を出し山科区、元慶寺へ向かう。 住所でセットしナビの指示通りに行ったが、どうも違う。 Honda純正インターナビは近所でセットし、道路の左右によく注意していたら、元慶寺入口の看板を見つける。 ラッキー。 看板のところ入って1車線分の道の正面に元慶寺。 看板からちょっと進んで右手に、元慶寺の参拝者用駐車場(2台分)があった。 知らなければ辿りつけない。 これも現代マイカー巡礼の難所か。 天台宗、華頂山 元慶寺は札所巡礼の中興の花山法皇が、おそらく意に反して落飾されたところ。 西国三十三所の四番、三井寺(円城寺)の次の番外札所。 コンパクトな寺院。 本堂の本尊、薬師瑠璃光如来に参拝。 本堂の右手にある庫裏で御朱印をいただく。 ありがたい気持ちを胸に、宇治に向かう。
2018年09月02日
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七福神巡りなど、古来より日本人は巡り参拝することが好きなようだ。 和歌山市で写し霊場巡り 三十三所1300年 2018年07月14日 和歌山新報 日本最古の巡礼路といわれる西国三十三所観音霊場は、本来は近畿2府4県と岐阜県にまたがる寺院を巡るが、有力大名らが居住地域で巡礼ができるように創建した「西国写し霊場」が和歌山市をはじめ各地にある。 ことしが三十三所の草創1300年にあたることを記念し、市内の写し霊場を巡るツアーが人気を呼んでいる。 南海電鉄和歌山支社が企画した全4回のツアーで、このほど第1回を開催。第一番札所の「鶴林山高松寺」(東高松)を皮切りに、第十番の「大寶山恵運寺」(吹上)までを、市語り部クラブの中島暁子さん(73)の解説を聞きながら巡り、10~70代の35人が参加した。 高松寺では、実際の二番札所である紀三井寺の前田泰道貫主による法話があり、参加者は熱心に耳を傾けた。 前田貫主は観音霊場の起源について、養老2年(718)に徳道上人が奈良県の長谷寺で病で死に瀕したとき、閻魔(えんま)大王から悩む民衆を救う霊場巡りを広めるよう言われ、預かった宝印を基に札所を開いたとされる逸話を紹介。 西洋の巡礼が聖地を一直線に目指すのに対し、東洋では巡回するという違いも語った。 …(略)… 何が「写し巡礼」にあたるのか分からないが、西国三十三所に範をとったと思われる巡礼だけでも様々ある。 新西国三十三箇所 1932年に正式に「新西国三十三箇所」としてまとめられた。 江戸時代から、西国三十三所観音霊場に隣接する観音奉安寺院を巡礼の途上で参拝していた記録がある。 他にもたくさんある。 日本における観音信仰の広がりと根強さがみえる。 現世ご利益のあるのだろうか。 播磨西国三十三箇所 和泉西国三十三箇所 坂東三十三箇所 秩父三十四箇所 佐野板東三十三箇所 中国三十三観音霊場 四国八十八箇所 摂津国八十八箇所 南和新西国三十三箇所 相模新西国三十三箇所 伊勢神宮があることから神社の地と思われがちな三重県にも三十三所観音巡礼はある。 伊勢西国三十三所観音巡礼公式サイト 伊勢西国三十三所観音巡礼 ―もう一つのお伊勢まいり― 伊勢西国三十三所霊場は、お伊勢参りと共に多くの 人々が訪ねる由緒ある古巡礼です。 皆様もぜひ、伊勢国の観音さまとご仏縁を結ぶ巡礼 の旅にお出かけください。 平安時代から続く神仏習合の歴史は、維新政府の神仏分離令を乗り越えて脈々と続いている。 観音菩薩の慈悲の心が遍く行き渡ることを願う。
2018年08月16日
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7月31日、丹後の国、舞鶴市の、真言宗醍醐派、青葉山松尾寺(まつのおでら)に参拝 本尊は珍しい馬頭観世音菩薩坐像(秘仏)。 拝観料は無料(紅葉時期は有料)で駐車場も有る。 京都府舞鶴市と福井県大飯郡高浜町との境にある青葉山の山腹に位置する。 仁王門をくぐり石段を登って本堂へ。 この日参拝したとき、本堂は無人。 境内を一巡りし、御朱印をいただきに、本堂から仁王門に下って右、本坊へ。 秋は二十八番の成相寺とともに紅葉が綺麗だろう。 山を降りて行きに気に掛かった金剛院へ向かう。 【金剛院】 真言宗東寺派で山号は鹿原山、寺号は慈恩寺。 本尊は波切不動明王。 本尊は当初は阿弥陀如来であったが、後に不動明王に変わった。 永保2年(1081年)、白河天皇が比叡山無動寺から相応和尚作の不動明王像を勧請し再興したとされる。 「千年ガヤ」を左手にみて室町時代に再建された三重塔へ。 三重塔の左手にある急な石段を登る、または九十九折れの「いろは坂」を登ると本堂と懸造の雲山閣(拝殿)。 本堂から下って「弘法の滝」へ。 もともと水量は多くはないとのことだが、豪雨で石が崩れたこともあるのだろう、滝つぼの裏側にあたる洞に流れている程度だった。 金剛院を含む地域一円は、平安時代後期には「志楽庄」と呼ばれた地域で、武士 平忠盛の子の清盛が支配したこともある地域。 金剛院の参道の入り口付近にそびえる、高さ約25mの巨大な「奉行杉」は、同院の造営奉行を命じられた忠盛お手植えとされる。 いよいよ、三十三番、谷汲山華厳寺、結願を目指す。 いや、その前に番外の巡礼中興聖蹟の元慶寺に参拝しよう。
2018年08月12日
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7月31日、丹後の国を訪問。 第二十八番札所、真言宗、成相山成相寺に参拝。 時折1車線になる道を本堂下駐車場まで山登り。 料金所から第一駐車場まで上る。 豪雨で土砂が流れ込んだ道は、市の手でいち早く復旧されたとのこと。 ナビの案内で最少に向かった道路は通行止めだった。 本堂は成相山の中腹に建つ。 駐車場からは石段をちょっとだけ登る。 本尊の聖観音、向かって左に地蔵菩薩坐像、右に千手観音立像が安置されている。 左甚五郎作の「真向の龍」も本堂内にある。 1998年に完成した五重塔は、木造塔で本堂、山門、駐車場より下に建つ。 かわらけ投げのあるパノラマ展望所4km上で、徒歩は40分と表示されていた。 もちろん車で登る。 私の他には誰も居なかったので、宮津湾の眺めを独り締め。 天橋立は少し下のところからの方が眺めがよかった。 丹後の国といえば、天橋立の付け根に建つ「元伊勢」籠神社。 神社の有料駐車場(30分以内無料)に車をとめる。 主祭神は彦火明命(ひこほあかりのみこと)、「天火明命」、「天照御魂神」、「天照国照彦火明命」、「饒速日命」。 本殿の鰹木は伊勢神宮と同じ10本。 神宮(内宮、外宮)の神々はここから遷ったということで「元伊勢根本宮」「内宮元宮」とも称する。 真名井神社は本宮の奥宮で北東に400m。 磐座主座の主祭神は伊勢神宮の外宮の豊受大神。 相殿神は罔象女命、彦火火出見尊、神代五代神 磐座西座祭神は天照大神(主神)、伊射奈岐大神、伊射奈美大神。 天橋立の反対側に車でまわり、臨済宗妙心寺派の天橋山智恩寺(てんきょうざんちおんじ)に参拝。 本尊の文殊菩薩は秘仏。 奈良県桜井市の安倍文殊院(安倍文殊)、山形県高畠町の 大聖寺(亀岡文殊)などとともに日本三文殊のひとつ。
2018年08月12日
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7月22日(日)、酷暑が続く。 お天道様に感謝し、巡礼できることに感謝し播磨の国を目指す。■清水寺(きよみずでら・播州清水寺) 兵庫県加東市平木1194 西国三十三観音第二十五番札所。 天台宗、山号は御嶽山。 根本中堂の本尊は十一面観世音菩薩(秘仏)。 西国三十三所の札所本尊は大講堂の千手観音坐像(大正時代作)は拝観可能。 創建年は(伝)景行天皇時代。 京都の清水寺より古いとされる。 開基は(伝)天竺から来た法道仙人。 スタンプラリーを開催しており、境内の主要な場所に導てくれた上、大層な記念品をいただいた。 感謝。 駐車場: 有 (乗用車340台、無料)、料金所から3km。 拝観料: 大人500円 ■上鴨川住吉神社 播州清水寺から一乗寺に行く途中にあり、参拝。 式内小社、村社。 創建は室町時代中期の明応2年(1493年)。 主祭神は住吉三神、息長足姫命。 摂社に国常立尊が祀られていた。 国の重要文化財の本殿は三間社流造、檜皮葺。 上鴨川住吉神社神事舞は国の重要無形民俗文化財。 神事能面は兵庫県指定文化財。 参拝の帰りは、ハグロトンボとカナヘビが見送ってくれた。 ■一乗寺(いちじょうじ) 兵庫県加西市坂本町821-17 播州清水寺から約36.4km 西国三十三所第二十六番札所。 天台宗、山号は法華山。 本尊は聖観音菩薩。 創建年は伝・白雉元年(650年) 開基は伝・天竺から来た法道仙人(孝徳天皇の勅願)。 境内は山間に位置し長い石段が続き、数段に分けて整地されている。 境内入口に山門はなく、正面に石造笠塔婆が立つ。 左に宝物館と本坊の地蔵院。 右は公園風に整備され、太子堂、放生池。 奥に見子大明神の社。 本堂(大悲閣、金堂)は懸崖造の本堂で三重塔を見下ろす。 本堂の山側は大岩。 本堂からさらに200mほど登ると法道仙人を祀る奥の院開山堂と再建した賽の河原がある。 駐車場: 有 (150台) 乗用車 300円 拝観料: 500円。 ■圓教寺(円教寺、えんぎょうじ) 兵庫県姫路市の書写山2968 一乗寺から約19.6km 西国三十三所第二十七番。 天台宗の別格本山。 山号は書寫山(しょしゃざん・書写山)。 本尊は聖観音菩薩。 創建年は伝・白雉元年(650年)。 開基は伝・性空上人。 【書写山ロープウェイ】 1958年に東坂に沿ってロープウェイが開通してからは、ロープウェイ山上駅から仁王門を経て、摩尼殿へ上る参道が主となったという。 カーナビは「書写山ロープウェイ駐車場」で検索。 「ロープウェイ書写山麓駅に無料駐車場が有る。 ロープウェイ:往復1000円、乗車時間4分、71人乗り のぼり便は、山上・圓教寺の参拝案内、くだり便は、姫路市内の観光施設案内を主に案内している。 拝観料500円 山麓駅と山上駅までの間には東坂参道(約1.5km、所要約40分)。 岩場が多く、滑りやすい急坂なので、登山に適した装備(靴、服装など)が必要とのこと。 山上駅から圓教寺摩尼殿までは、山道を約0.8km、約20分歩くか、寺運営の有料マイクロバスを利用。 もちろん歩いたが道の脇に三十三所の観音様(西国巡礼の道)があり、苦も無く摩尼殿に到着。 開山堂(奥の院)はさらに徒歩約0.7km。 開山堂でチベット語の御朱印をいただいた。 性空の来山以前から素盞嗚命が祀られていたという白山権現の参道の片方は大雨で崩れ気味だった。 林間学校の小学4年生で賑わっていて、良い雰囲気だった。 残すは、丹後の2寺と美濃の1寺。
2018年08月11日
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6月30日、京都 清水坂観光駐車場から車を出し、同じく東山区の15番今熊野観音寺に向かう。 正式には、真言宗泉涌寺派、新那智山 観音寺。 赤い橋を渡ると、幅が狭いので本当に車で通ってもいいのかな、と思った。 5ナンバーの車が通ると、歩行者はいるところがない幅狭さだ。 渡ってすぐに駐車場で通ってよいのだと分かってひと安心する。 乗用車サイズで15台分。 まずは本堂に参拝。 多宝塔に上る坂道の方に三十三所があったので、巡礼。 多宝塔から石段で降りて、蛇口から出る霊水をいただく。 暑い日だったので森林の冷気が名残惜しかったが、次に向かう。 18番、天台宗、紫雲山 頂法寺(「六角堂」)に参拝。 六角堂参拝者用駐車場はあったが満車の表示。 周辺のコインPに駐車。 ビルの狭間に平面六角形の屋根を二重に重ねた本堂、池がありまさしくビル街のオアシス。 鳩がたくさんいた。 本堂東側、柵で囲われた中に平面六角形の平らな石が、「へそ石」。 この石が京都の中心であるとされる。 親切なことに六角堂の納経所に革堂への道が地図で示されていた。 真夏日の猛暑の中、徒歩で革堂へむかう。 19番、天台宗行願寺の通称が革堂(こうどう)。 本堂は通りのある西向き。 大きな壺で咲く蓮の花がきれいだった。 駐車場への帰り道は、行きにみかけた法華宗本門流の大本山 本能寺に参拝。 天正19年(1591年)豊臣秀吉の命で、現在の寺域(中京区下本能寺前町)へと移転させられた。 寺門の「丸結雁金紋」の御朱印をいただき、なぜか三つ足蛙のステッカーを購入。 大賓殿宝物館に入館することなく、帰路に就く。 残るは播磨(25番、26番、27番)と丹後(28番、29番)、美濃(33番)。 いずこも三重からは遠い。 元慶寺(番外)も参拝しようと思っている。
2018年07月31日
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6月30日、土曜日、地理不案内な京都市内をカーナビを頼って自家用車で札所巡りをするという「暴挙」に挑む。 まず目指すは「京都市清水坂観光駐車場」。 乗用車59台収容、土日は2時間/1000円。 8時に到着したので余裕で駐車できた。 駐車場前の坂を上って16番北法相宗大本山 音羽山清水寺に参拝。 高校の修学旅行以来2度目のはずなのだが、御多分にもれず、舞台から街の景色を眺めた記憶しかない。 名所なれば8時に開門したばかりの朝から参拝者を十分みかける。 本堂は改築工事中とは聞いていたが勝手に思ってたより大掛かりな工事のようだ。 再訪必須と思った。 本堂東側の納経所で御朱印をいただく。 その後、本堂の横の石段を上り京都地主神社に参拝。 明る華やかでコンパクトな境内に、参拝するところがたくさんある。 清水寺の境内に戻り、本堂の北東「阿弥陀堂」 <阿弥陀如来>、阿弥陀堂の隣の「奥の院(御朱印は本堂と同じ)」 <奥の院>、音羽の滝の売店(滝の堂)<不動明王>の御朱印をいただく。 霊水もいただく。 1994年に建立された東北の勇者「阿弖流為 母禮之碑」(アテルイ モレの碑)が印象深かった。 最後に、朝9時からはじまる「随求堂胎内めぐり」を拝観。 駐車場に車をとめたまま、徒歩で坂を下って、十七番、真言宗智山派の補陀洛山 六波羅蜜寺に参拝。 本堂で参拝をすませ、御朱印をいただく。 四柱推命をもとにした、当たると評判の開運推命おみくじは、いただかなかった。 本堂左脇の廊下を通り、宝物館で空也上人立像などを拝観。 折角の京都である。 行くときに気になった六道の辻の石碑が門前に建つ、大椿山 六道珍皇寺の山門をくぐる。 小野篁が冥界に行き来したと伝わる井戸があると知ってのこと。 寺の所在地は、平安京の火葬地であった鳥部野(鳥辺野)の入口で、現世と他界の境にあたると考えられ、「六道の辻」と呼ばれた。 井戸はのぞき窓から遠くに見ることができた。 ご本尊は薬師如来だが、閻魔大王と小野篁卿ばかりが印象に残る。 寄り道ついでとばかりに素戔嗚尊を祀る八坂神社(祇園さん)に参拝。 茅の輪くぐりの日であるが、開始は午後3時以降。 調子がよいので参拝を続ける。
2018年07月30日
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4月25日、再び三重県から和歌山県に向かう。 二番、紀三井山・金剛宝寺(紀三井寺)はとても景色がよかった。 寺の駐車場の至近の入口は裏参道。 御朱印を下さる方も親しみやすく会話できた。 好印象。 左右に参拝するところがある表参道をいったん下り、石段を登りなおす。 三番、風猛山・粉河寺。 本尊の千手観音は絶対秘仏で開扉なし。 お前立ちも一般公開されていない。 内陣背面に安置された「裏観音」と称する千手観音像が拝観可能。 寺の鎮守として宝亀元年(770年)に粉河産土神社が創建された。 和歌山は遠いので、気になっていた日前神宮・國懸神宮、伊太祁曽神社も参拝。 往復約400km。 4月26日、十四番、長等山・園城寺(三井寺)。 境内の様々なお堂を巡り、肝心の観音堂に参拝。 初歩的な仏像の知識も得るべきと考え、市川 智康(著)『仏さまの履歴書』を購入。 仏像の由来、特徴などが分かりやすく書き表わされている。 大観音像画、文化財収蔵庫もしっかり見学。 この日は三井寺のみ参拝。 往復180km。
2018年07月03日
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2018年4月14日、行く先は和歌山。 三重県の家を出て、愛車フィット13Gで一路、熊野の青岸渡寺に向かう。 「西国三十三所巡礼」の開始。 まず青岸渡寺に参拝した。 青岸渡寺でおきよめされた「那智山改訂 西国三十三霊場納経帖」をいただく。 青岸渡寺の納経帖は三十三所のご詠歌、般若心経、観音経偈文、光明真言、七観音真言などなどが掲載されていて超初心者の私にはとても勉強になる納経帖だ。 その後、熊野那智大社参拝、宝物殿を見学して、三重塔の中も見学。 思い切って坂を徒歩で下りて飛龍神社も参拝し。 徒歩で下ったので、徒歩で駐車場まで登る。 今年二度目の参拝だが、那智のお瀧は神々しい。 熊野本宮大社、日本一の大鳥居をくぐって大斎原、産田神社に参拝し帰途に着く。 往復360kmのドライブ。
2018年07月02日
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2018年1月10日、飛龍神社、熊野那智大社に参拝。 那智大社の「隣」の青岸渡寺にも参拝。 自分が今年は前厄であることを認識。 このときは「西国三十三所観音巡礼」を知らなかった。 昨年からあちこちの寺神参りを始めていた。 2018年4月1日には、呼ばれないと辿りつけないとされる、難所にある玉置神社に参拝。 これからどこに参ろうか、とは思っていた。 お寺については研究不足、常識不足で西国三十三所の一番が青岸渡寺であること。 2018年が草創1300年、歴史ある巡礼であることを始めて知る。 養老2年(718年)、長谷寺の徳道上人の病の床での夢に閻魔大王が現れ、「世の苦しむ人々のために三十三箇所の観音霊場を作って巡礼を勧めよ」と言い、起請文と三十三の宝印を授けられ、上人が宝印に従い三十三箇所の霊場を設けたのが、日本での巡礼の始まりであること、1300年の記念事業の一環で特別拝観も数多く開催されること、記念印があることなどを知る。 西国三十三所 草創1300年記念 今こそ慈悲の心を 般若心経も暗記していないが、これも何かのご縁と歴史ある西国三十三所にお参りすることを決心。 最初は一番札所の那智山・青岸渡寺から、と決める。 納経帖は通販でもいろいろみたが、も青岸渡寺でいただくことに決める。 不安なく山歩きできるよう、トレッキングシューズポケッタブル・パーカーも購入。
2018年07月01日
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2018年6月18日(月)午前7時58分頃、大阪府北部を震源とするマグニチュード5.9と推定される地震が発生。 大阪府周辺にも歴史ある寺社が多数ある。 茨木市の茨木神社の石燈籠が倒れたり、ずれたりしてる画像をみた。 関西の寺社で地震被害相次ぐ 平等院鳳凰堂や東大寺 2018/06/18 どうしん電子版 大阪府北部で起きた震度6弱の地震では、京都府宇治市の平等院鳳凰堂(国宝)中堂の壁に十数センチのひびが数カ所あるのが見つかったほか、奈良市の東大寺戒壇院にある四天王立像(国宝)の右手に載っていた木製の「宝塔」が落下するなど、有名な寺社でも被害が相次いだ。 京都府などによると、八幡市にある石清水八幡宮では、参道の石灯籠約40基が損壊した。 大山崎町では、寺院「妙喜庵」で、千利休の遺構とされる茶室「待庵」(国宝)の外壁に最大約2メートルのひびが数カ所に入り、書院(重要文化財)の欄間が外れた。 …(略)… 地震発生のメカニズムとして「有馬-高槻断層帯」が関与する可能性が指摘されている。 断層が上下にずれる「逆断層」の可能性がデータの解析から考えられるという。 兵庫県尼崎市の「本興寺開山堂」(重文)と「長遠寺本堂」(重文)は壁に小さな亀裂が入った。 先週訪れた、茨木市の総持寺は平野にあるが、山深い箕面市の勝尾寺や兵庫県三田市の花山院菩提寺は大丈夫だったのだろうか。 近畿地方では6月19日日夕方から雨予報。 山深いところにある寺社は、石段、取付道路、崖からの落石などに特に警戒が必要だ。
2018年06月23日
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