野口体操教室
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私は視覚障害をお持ちの方々を用件先にご案内する視覚障害者ガイドヘルパーという仕事をしている。この仕事のお陰で生活の中に常に歩く時間が持て、他者と共に歩くことで一人で歩いている時には得られなかったからだの発見がある。 ガイド中移動の際は私達ガイドの右肘(左利きの方は左肘)を持ってもらい歩くのだが、個人差はあるものの大抵の方は「持つ」というより「触れる」に近い感じだ。しかも歩き出して暫くすると私の腕と同化しており、そこに腕が置かれていることを忘れてしまう感じだ。脚は私の肘やからだから伝わってくる情報を的確に感じとりながら進んでいく。このようなからだの在り方に気付く様になってから、野口先生が書かれた「重さに貞く」の一文が私にとって説得力を持って感じられる様になった。 「からだの動きからいうならば人間の脚は魚の尻尾であり、腕は魚の胸鰭である。したがって動きの主エネルギーは脚から伝わってくるのだが、その先端は薄く柔らかく筋肉はないということが原理であることを忘れてはならない」古生物学の分野でヒト科の生物の起源を太古の昔迄遡ると魚であった事が認められている。私がガイド中に感じた視覚に頼らないからだは、視覚を中心としたからだの在り方よりも原初的なからだの要素を内包しているのではないだろうか。私達も自分自身のからだの進化の歴史に目を向けてみることで、今迄気が付かなかった自分のからだの在り方に気付くかもしれない。このような経験からこの日のレッスン担当者として「脚を魚の尻尾のように、腕を魚の胸鰭のように」というテーマで取り組んでみた。私が最初に取り組んだのはマッサージである。自分自身の重さの流れを味わうにはからだの中が空いてないと難しい。からだの中の詰まりをほぐす為、二人組になりマッサージを行った。 暫くすると、「わぁ~」「あぁ〜」「う〜」など、日常ではあまり耳にすることがない声が聞こえてくる。このような声は自分のからだを自分でマッサージする時には発しないものだ。他者の手や腕が体の中に入り揉みほぐす事でからだがほどけて隙間が出来、その解放感が声となって現れる感じを受ける。親しい間柄でない限り他者とこのように素直に触れ合う機会は日常にはなかなか無いものだ。「日常生活の中で身につけてしまった不要なものを剥がし合う語りかけ」と言っても過言ではないだろう。更に興味深い事は、相手の呼吸をからだで感じながらマッサージするとしている側も共に開放されていく感じがするから面白い。私は以下の野口先生の言葉が好きだ。「体操は自分でやるマッサージ、マッサージは人にやってもらう体操、と言ってもよいほど本質的には共通なものである(原初生命体としての人間より)」次に寝にょろに取組んでみた。寝にょろとは、二人組になり、一人が仰向けに寝る。なるべく力を抜いて楽に、すべてを地球(床)にまかせ、空気に浸りきった感じで。もう一人が片脚、或いは両脚を色々な方向にゆすりながら引っ張る。ゆすり方や引っ張り方のテンポ、リズム、強さ、大きさなどを変え、引っ張る方向を色々に変えてみる。二人の協力によって、生身の人間のからだの動きの原初の在り方を味わうという動きであるが、この日は仰向けでなく、マッサージからの流れで、うつ伏せの姿勢のまま始めてみた。うつ伏せでと思ったのは、背中を上にすることで、魚の気分でやってみたいと思ったからだ。うつ伏せは、顔や胸が圧迫されて苦しい感じもややあるが、その流れが後頭部を伝わり頭の先に抜けていく感じを味わえる。皆さんの動きを見ていると、足の先から小さく始まった波が、からだの中を通り頭から抜けていく様は、魚、或いはウミヘビが水の中で泳いでいるようであった。 次に寝にょろで重さの波を感じたからだの感覚の中身をイメージしながら目を閉じて歩いてみた。私は時々外を歩いている時、「右足(脚)にのる、左足(脚)にのる」と、自分のからだに語りかけながら重さを味わい歩いてみるのだが、のっている方の足に地面に対して垂直に重さを流し込めている時には、次に歩みを始めるもう一方の脚は踵→土踏まず→指先へと重さの波が順々に移動していく心地よさを味わえる。 更に指先が最後に地面から離れる瞬間の足のしなりは、例えるなら魚の尻尾だ。ほんの一瞬ではあるが、ヒラヒラした尻尾の感じが心地良いし、脚が軽くなる。私が実感した事を皆さんに試して貰おうとしたが、残念ながら終了時間がきてしまった。 野口先生の魚の動きの原理のお陰で歩くことが楽しくなり、長い距離を歩いても以前より疲れを感じなくなった。水の中を泳ぐ魚の尻尾をイメージしながら歩くと、例えアスファルトの上でも、気持よく歩ける瞬間がある。 36億年前の生命の誕生から、多細胞生物→魚類→爬虫類→哺乳類と進化し、現在ヒト科の生物である私達が今ここにいるのだから、私達は、ご先祖様のからだの在り方に思いを馳せ、まだ眠ったままになっている感覚や機能を自分のからだに貞(き)いていきたい。益田俊子
Jun 18, 2022
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