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お酒のみに行きたいなぁ・・・。これが今の正直な気持ち。嫌なことがあったから憂さ晴らし、という訳じゃないけどね。このところ、夫ばかりが飲み会に出かけてて、私のほうはさっぱり無い。つまんないなぁ。妹のようなYちゃんが「良い店教えて」と、飲み会の場所探しをしていたので、地元の「安い。おいしい。女性好み。」という私のお気に入りの店の電話番号を教えてあげた。けっこう前から予約で一杯になってしまう店なのだが、幸いにも予約することができたという。いいなぁ。私も行きたいなぁ。そういえば、小学校のすぐそばに新しい店ができたっけ。いつもの面々に声をかけてみようかな。
2003.02.27
昨日、久しぶりに息子&娘と一緒にお風呂に入った。おしゃべりで一日中私に話しかける娘とは違って、ゲームやテレビのせいなのか、なかなか息子とゆっくり話をすることが少なくなったこのごろ。お風呂に入ると、自然とあれこれ話が出てくる。子「お母さんは何かを説明するときに、しゃべって説明するのと、書いて説明するのと、 どっちが得意?」私「う~ん。どっちも同じかなぁ。」子「ボクは書くほう! 図とかで書いたほうがわかりやすいよ。」私「へぇー。お父さんと似てるかもね。」子「そうなの? じゃあお母さんとはどんなとこが似てる?」私「そうだねー、あ、そうそう。自信がないと何かをすることができない所かな。」子「あ、そう。ボク、そうだよ。自信がないと授業中に絶対に手を挙げないもん。少しわかってても、 全部ちゃんとわからないとダメなんだよね。」私「へえー。自分で、そういう性格ってわかってるんだね。」子「うん。そうだよ。性格ってわかってないとダメなんだよ。自分のと違うことしちゃうとダメなんだ。」私「えっ? そうなの?」子「例えばさ、ラッキーマン(TVアニメのキャラクター)がラッキーじゃなくなったり、 努力マン(同アニメキャラ)が努力しなくなったり、スーパースターマン(同)が目立つことしなく なったりしたらヘンだよ。」私「なるほどね。ヘンなんだ。」子「そう。それと同じなの。無理しちゃダメなんだよ。自分は自分のとおりじゃないと。」なるほどなぁ、と思う。もうすぐ9歳になる我が息子。幼いと思っていたが、「自分らしさ」なんていうことを考えているなんて。驚いた。○○になりたい。そういう理想を掲げるのは素敵なことだけど、自分が自分らしく生きることも、とても大切なこと。子どものアニメキャラの例えは笑えるけれど、息子は息子なりに、「自分が自分らしく生きることは良いこと」という気持ちがあるんだなぁと感じた。自分も、家族も、お友達も、みんながそれぞれの「自分らしさ」を持っていて、それぞれ違う「自分らしさ」を持っていて、その「自分らしさ」の通りに生きることを認めあえること。そんな気持ちが育ってくれればいいなぁと思う。なんかいいなぁ、息子って。ときどきそんな風に感じる。
2003.02.25
今日、カルテの整理をしていました。その時に偶然手に取ったのが、包茎手術で16万円支払ったという患者さんのカルテ。ウチの医院に来た理由は「もらった薬を塗っていて、本当に大丈夫なのか。傷は大丈夫なのか。」といった心配から。話によると、某クリニックで手術する際に承諾書に記名したらしいが、記名するときには金額欄は空欄になっていたらしい。手術後に承諾書の控えのようなものをもらったところ、金額欄に「16万円」の記載があったとか。そのことで、「あそこは、イカガワシイ病院なのではないか」と思ったらしい。そう思うと、手術のことも薬のこともみんな不安になってしまったらしく、その相談にウチの医院に来たということのようだった。患者さんは「ここの医院で手術をしたら、いくらなんですか?」と聞いたらしいが、先生は「聞くとショックを受けると思うので、お話しません」と値段は言わなかったらしい。ちなみにウチの医院だと、包茎の手術は6万円だ。これは初めの診察から、手術後の通院まで含めての値段である。そのクリニックと、うちの医院とで、包茎手術の何が違うのだろうか。差額の10万円分の違いとは、一体・・・。あちこちの医院やクリニックを歩いて、納得のいくまで検討する・・・というのは、包茎というものの性質上なかなか難しいものかもしれない。けれど、せめて電話での質問ぐらいはしてみたらどうだろうか。ウチの医院にもよく問い合わせがくるが「手術の所用時間。術後の通院日数。費用。」といったことについては、良心的な普通の医療機関であれば、電話でも答えてくれるのではないだろうか。もし答えてもらえなかったとしたら、初めの診察のときに確認する必要があるのではないだろうか。この患者さんの場合で言えば、この法外(と、私が思う)値段のことを知らなかったのではないかとも思える。なんとも気の毒な話である。
2003.02.24
今、なかなか面白い本を読んでいる。タイトルは『いつから私は「対象外の女」』というもの。なんとなく予想がつくとは思うけれど、女が恋愛対象外になること(主に年齢的に)ということに関してのエッセイである。筆者は古典文学を研究している女性なのだが、源氏物語に登場する女性達を例に挙げながらの話だ。本の内容については、全部読み終えてから本の紹介欄に書くことにする。途中まで読みながら私が思ったことは、「自分は対象外だ」と思ってしまう気持ちが、その人を「対象外」にしてしまうのではないだろうか、ということ。自分を「対象外」ということに繰り入れてしまうことで、自分から対象を求める気持ちを捨ててしまっているような気がする。そういう人はやはり「対象外」になってしまうだろうと思う。例えば主婦でも、周囲にいつも「浮いた話」が漂っている人と、家庭を守り良妻賢母になっている人とがある。(そのどちらでもない人が本当は一番多いのだけど)浮いた話が漂う彼女は、やはり常に対象を求めている雰囲気がある。良妻賢母の彼女は、日々の家庭の暮らしと真剣に向き合い、対象を求めるという臭いはしない。人は求められたいものだろうと思う。だからこそ、対象を求める彼女の周りには、求められたい男が自然と惹き付けられてくるような気がする。対象を求める目(心)を持つことこそが、対象外にならないための方法なのではないかと思う。ところで、私は対象外? それとも・・・?
2003.02.22
ときどき思うことだけど、私は言葉を無駄に使っている。無駄というのは、「言っても無駄だった」という意味ではない。「一つのことを表すために、たくさんの言葉を使いすぎる」という意味。今日もカウンセラー養成講座だったのだが、その講座でもそう思った。話す人は誰もみな、自分の気持ちを少ない言葉でよく伝わるように話せていると感じた。それに比べて私ときたら・・・。説明がまわりくどいというのか、なんというのか。わかりやすいように、ていねいに話そうと思っているつもりだが、それがかえって「言葉の無駄」を生んでいる。そう思う。一言でいえば「くどい」。もっとすっきりと、簡単な言葉で、数少ない言葉で、自分の言いたいことを表現することはできないものだろうか。言葉数の少ない人、というのがいる。私はその逆で、言葉数の多すぎる人。簡単にいえば「おしゃべり」。言葉数の少ない人というのは、同じ一言でも私の言葉よりも重みがあるように感じる。私の口からは、軽いことばがサラサラと無限に出てくるような気がする。そして一番大切なことを落としてしまっているような。人前で話すことは苦手ではない。むしろ好きなほうだと思っている。でも、話した後に必ずというほど後悔する。「ああ、また言葉を無駄に使ってしまった」と。これも訓練すれば治るものなのだろうか。おしゃべりな自分を嫌いではないけれど、もっと重みのある、適切な数少ない言葉を話せないものかと、時々思う。
2003.02.18
チョコの数は、いくつですか?もらった人、あげた人。どうだったでしょうか?ちなみに私は、5個あげました。夫・息子・娘・父・母・・・すべて血縁筋。たとえ義理でも、少しの緊張やドキドキ感があったものだけどなぁ・・・と、ちょっとサミシイ気持ちでした。でも、ドキドキ感はなくても、喜んでもらえるのは嬉しいですね♪子どものピアノ教室で、ウチの前に習っているお子さん(小6女子)と、いつも一言二言話をします。その子が「今日は疲れた」と言うので、「どうしたの?」と聞くと・・・「学校で参観日があったの」 「ふーん。それで疲れちゃったの?」「あとね、チョコあげたんだぁ」 「えっ。好きな人に?」「うん。」 「スゴイねぇ。頑張ったね。」「うん!」 「その後どうなったか、また教えてね。」「うん。」笑顔で手を振って帰路についた彼女。かわいいなぁ。バレンタインデーに、お父さんでない男性にチョコをあげたのは、いつが最初だっただろうか?・・・中2の時だった。どんなチョコを選んだら良いのか見当もつかなくて、店にいっぱい並んでいるチョコの山を前に、悩んで悩んで・・・。結局選んだのは、こともあろうに「チェリーボンボン」だった。そう、アルコール入りの。自分が一番好きな果物「さくらんぼ」の絵柄が入った、外国製のちょっと大人びたオシャレなチョコ。バレンタインのチョコの中に、アルコール入りのものがあるなんて、全然知らなかったウブな私。相手はボーイフレンドのF君。F君は「あれって酒が入ってたよ。だから、1個しか食えなかったよ。」と、からかうような口調で電話してきた。その言葉を聞いて、恥ずかしくて、申し訳なくて、それこそ“穴があったら入りたい”気持ちだった。そのF君には、その後もいろいろと失敗をやらかしている。焼きリンゴの作り方を聞かれて、料理の本に書いてあることを電話で読み上げた・・・「上手くいかなかったよ」と言われた。風邪のお見舞いにシュークリームを焼いていったが、「外側が少し焦げてたけど、うまかった」と言われた。都心の某ゼミナールに一緒に通い、帰りにハンバーガー店によったが、「トイレに行きたい」の一言が言えなくて、死ぬ思いをした。どれもみんな懐かしい思い出だ。その時々の私の慌てぶりが、オロオロした思いが、今でも昨日のことのように甦る。恋の思い出にひたるのは、ときにはとても楽しい。もちろんとても苦いときもあるけれど。いろんな恋をして、いろんな人生を学んできたような気がする。いろんな人に出会えて、真剣に語り合ってきたような気がする。恋心はいつも持ち続けていたいなぁと思う。
2003.02.14
誰でもそうなのだろうけれど、私の心にも波がある。いろんなことを、まるで菩薩のように、すべてを受け止め許せる日もある。けれど、その逆に、些細なことが心にチクチクと棘のようにささってしまって、一つ一つに苦い思いをかみしめる日もある。一昨日の私は後者のほうだった。心電図にまつわるセクハラ発言はともかく、そのほかに冗談としては聞き流せない言葉に、心の奥がズキンと痛んだ。だから、そのせいで今日は仕事に行かなかった。・・・といっても、もともと今日は保育園の行事があって午前中は休みになっていた。午後は都合がつけば、雑用をこなしに行こうかと思っていたのだが、それを取りやめてしまった。行けば行ったでやることは山ほどある。でも足を医院に向けることができなかった。なんとなく疲れたような、だるいような、何とも言えない嫌な感じが心の底に沈んでいて。それを抑えてまで仕事に出かける気力がなかった。だから、持ち帰っていた「棚卸表」の仕事を自宅でやることにした。家にいても医院の仕事をしているのだから・・・と自分に言い訳して。家にいたおかげで、少しだけど家が片づいた。そうしたら何となく気分が良くなった。だから、たぶん明日はまた元気に仕事ができるだろう・・・と思う。たまには休憩も必要さ。な~んて言ってみたりして。さて、明日は菩薩の私になれるだろうか?
2003.02.12
「裸になってベッドで待ってるから。」薄く太陽の光さしこむ診察室で、先生はそう私にささやきました。「・・・はい。」こういう時の先生はいつも強引。私の都合などおかまいなし。もちろん私が「NO」と言うなんて考えてもいないみたい。そういえば先生のは久しぶりかもしれない。そう思ったら少し緊張して、心臓が高鳴る。どうしよう。もしも・・・。・・・・。「はい、終わりました。お疲れさまでした。う~ん。判定には『不完全右脚ブロック』って出てますけど? あー、そう言えばそうかもしれませんねぇ。でも大したことはないのでは?」私は今とったばかりの先生の心電図を手に、そう先生に語りかけた。「ああ。昔からそれはあるから。知ってる。うん。別に異常はないみたいだな。」と先生。そう。先生は最近少し体調がすっきりしないということで、念のために血液検査やら心電図やらをやってみたのだ。つまり・・・。上記の「裸でベッド・・・」のセリフは、私に「心電図をとってくれ」という言葉の後に続いたセリフなのでした。(何かを期待してた人、ゴメンナサイ!)それにしても、知り合いの心電図をとるというのは少し緊張します。女同士でも、やっぱり緊張します。もう私は、上半身の裸に照れるような年齢じゃないはずなのだけど・・・。ん? そういえば、去年は職員検診ってやったっけ?忙しいことにばかり気が向いて、忘れてたような・・・。
2003.02.10
今日は仕事は休み。なんだか長いようで、あっという間の1週間でした。昨日の「昼抜き、午後3時半まで」の仕事がとどめを刺して、とって~も疲れた1週間のように感じてしまいました。毎日いろんな患者さんが来ますが、昨日一番笑えたのは・・・「クラミジアのチェックをしてください」と言った人。半年ぐらい前に一度受診したことのある50代の男性です。前回も、そして今回も、「前立腺肥大症が心配なので、検査してほしい」というのが主な訴え。まあお年から言っても、検査するというのは賢明なことかもしれません。「はい。では、尿検査があると思うので、トイレに行かないでお待ち下さい。」とお話しすると、「わかりました」とおっしゃって、待合室の方へ歩き始めました。ところが、すぐまた振り返り、「あ、それから・・・」と話を続けます。「クラミジアのチェックもしてください。たぶん大丈夫だとは思うけど。」・・・。大丈夫だと『確信』する人は、クラミジアの検査なんて希望しないと思うけど・・・。その後、検尿でお呼びしたときにも、「今日は2つの検査をお願いしたけど、これでいいですか?」と確認されます。う~ん。もちろんどちらも検尿良いですけど・・・。そこまで確認されてしまうと、「本当の目的はどっち?」と疑いの目で見てしまいます。心当たりがあるななら、他の検査をくっつけなくてもクラミジアの検査だけでも良いのにね。この前の「疲労が強い」の人と同じにおいを感じてしまいました。素直になろうよ!※・・・※・・・※・・・※・・・※・・・※・・・※・・・※・・・※・・・※・・・※・・・※月曜日に息子のスケート教室があるので、今日は「一大決心」をして、子どもたちをスケートに連れていくことにしました。なぜ「一大決心」かって?だって私は全く滑れないんですもの。滑れない母親が、これまた全然滑れない子どもを連れてスケートになんて行って良いものか?息子は喜び、娘まで「私も行く!」と言うし。ふぅ・・・。これから出かけます。同じスケート場でスケートを楽しんでいる方々にかけるご迷惑は、最小限になるように努力します。ケガしないように気を付けます。トホホ・・・。
2003.02.08
患者さんの中で、杖にこだわる人がいます。杖というからにはご老人です。そんな杖にこだわる患者さんの1人Tさんをご紹介しましょう。初心の時、どなたにも必ず「保険証」を提示していただきます。けれどTさんは、保険証を忘れてしまったのです。そして「国民健康保険だ。」と言い張ります。保険証がないと診察しないわけではなくて、一度自費で全額お預かりして、後日、保険証を提示していただいたときに、自己負担額との差額を返金することになっているのです。その事を丁寧に説明しても、Tさんはどうして納得がいかない様子。しまいには「免許証ならある。それでいいだろう。」とおっしゃる。免許証と保険証は全く別物であることは、もう説明のしようもありませんでした。しかたなく免許証をコピーさせていただき、Tさんがおっしゃるように「国民健康保険」として扱わせていただきました。(保険証は、後日お持ちいただきました。)そのTさんが、保険証と共に気に入らなかったのが、「杖を拭く」という私たちの行為でした。ご老人にとって杖は、なくてはならない大切な物。Tさんは足が痛いとおっしゃって、杖にすがるようにして歩いています。医院に来るまでの道のりも、その杖に頼ってやってきました。なので、杖の地面に接地する部分は、泥などで汚れていました。それはTさんに限ったことではなく、杖をつく患者さんはどなたも一緒。うちの医院は、玄関でスリッパに履き替えていただくようになっているので、外の杖を中でもついてもらえるように、杖の下部を拭かせていただくのです。「杖を拭かせてくださいね。(雑巾で拭く)はい、中でもどうぞお使い下さい。」そうするとたいていの方は「使ってもいいんですか。すみません。」とか「ありがとう」とかおっしゃいます。(もちろん無言のかたもいますが。)でもTさんは怒りだしてしまったのです。私たちの対応が気にさわったのかもしれません。とにかく「そんなことしなくていい! 杖は使わないから!」と怒ってしまったのです。そして次の診察のときからTさんは杖を2本持ってくるようになりました。1本は愛用の杖。もう1本は木の枝(?)。木の枝をついて医院に入って来て、スリッパを履くときに愛用の杖に持ち替えるのです。「あの枝の強度は大丈夫なのだろうか?」と、Tさんが来るたびに、とても心配になってしまいます。今日Tさんは隣に座ったSさんに、しきりに杖を勧めていました。「これがあると、歩きやすい」と。しかも自分の杖を、Sさんに試着(?)までさせて。その便利な杖を、外でもついてほしいなぁと思います。杖の下部を拭くぐらい、なんともないことなのに。スリッパに履き替える作りになっているウチの医院がいけないのかもしれないけれど。(車椅子の車輪も、松葉杖も拭きます。下足のままで良い、というほうが本当は良いのかもしれませんね。)
2003.02.05
今日はカウンセラー養成講座の日。いろいろと思うこと、心に刻まれたことが多い時間を過ごした。すべてを書けるほど私の気持ちが整理されていないので、今日は手短にポイントだけ。何かを決めつけてしまうことは、結局は自分を苦しめてしまうことになる。例えば・・・「夫の○○○という性格は決して治らない」「普通の家庭というものは○○○であるはずだ」「妻と夫の関係というものは○○○であるべきだ」「自分は○○○という生き方をしなければならない(すべきだ)」人生に目標はあっても良い。生きる上で理想はあっても良い。けれど、「~でなければ」ということにとらわれ過ぎてしまうことで、そこからはずれてしまう全てのもの(人)を許せなくなってしまう。許せなくなってしまうと、心の中には苦しみばかりが増していく。その苦しさにがんじがらめになってしまう。「~であるべき」という枠をはずして物事や人を見てみれば、案外全てのもの(人)を受け入れることができるものかもしれない。「~でなければ」という思い込みを緩和すれば、もっと自分を好きになれるかもしれない。ありのまま、そのままの物事。ありのまま、そのままの人。ありのまま、そのままの自分。それをそのままで受け入れることで、人はもっと楽に生きられるのではないだろうか。
2003.02.04
今日も来た。「子どもができるかどうか、調べてほしいのですが・・・。」そういう新患さんが。最近多い気がする。どうしてなんでしょ?少し前までは、産婦人科からの紹介でくる人がほとんどだった。でもこのごろは自主的にやってくる。だいたいは「結婚して2~3年経つが、子どもができない」という人。かつては結婚しても子どもができないのは、妻のせいだと言われてきた。既婚で子どもを生まない女性を「石女」なんて言ったものだ。すべては女が悪い。子宮が悪い。そう言われたものだ。「三年子なきは去る」とまで言われ、子どもが出来ないことを理由に離婚されたことすらあった。それを考えると、男性も「自分に問題があるのかもしれない」と思えるようになったのは、時代が進んだということなのかもしれない。今は医療が進んでいるから、男性側・女性側のどちらに原因があるのかがわかる時代になっている。調べてみるのも、調べてみないのも、どちらを選ぶのも個人の自由。子どもがでない理由を知るために夫婦間で犯人探しをすべきなのか、それとも、子どもを授からないのは夫婦ふたりの運命として受け止めるべきなのか。さて、どっちが良いのでしょうねぇ。
2003.02.03
昨日、バイアグラに関して「どんな診察?」というお声がありましたので、今日はそのネタでいきましょう。実は電話でも時々同じような質問を受けるのです。「EDに関して扱っていますか?」とか、「バイアグラは処方してもらえますか?」という患者さん。そういう電話の場合には「こちらでも診ています。診察や検査がありますので、診察時間におこしください。」と答えます。すると「どんな検査でしょうか?」と不安そうに尋ねられます。確かに不安ですよね。何をされるのだろうか? と、心配になることでしょう。バイアグラの場合、処方量が人によって違います。なので、問診や検査などで、先生がその量を判断するわけです。なので・・・まずは空いている病室にご案内して、ビデオや雑誌等を見てもらい、モノの元気度合いを客観的に判断するというこど必要になります。元気度合いの比較的良いかたには少ない量を処方し、だいぶ元気のないかたには少し多めに処方するわけです。ウフフ。そんなの、モチロン「嘘」ですよ!そんなことはしませんよ。(笑)本当の診察では・・・まず問診票に記入してもらいます。その答えから「元気度」を推測するわけです。中には「ビデオなどでは良くても、女性と直接行為の場合がダメ」という人もいます。これはバイアグラが必要な問題ではなくて、精神的なものが大きいと思われます。そうした情報を、問診票の中から先生は読みとるわけです。あとは医学的に、バイアグラを服用しても大丈夫な体であるかどうかを調べる必要があります。具体的にいうと、尿検査・血液検査・心電図、などです。問診票・検査の結果をふまえて、先生と直接お話してもらい(診察)、処方量を決めることになります。始めは少な目から、それでもダメなら量を増やしてみる。そういう感じでやっているようです。通販でも買えるそうですが、アブナイことも多いようです。70代の患者さんで「通販で買って飲んだ」というバイアグラを持参された人がいました。その量を見てビックリ。ウチで処方する4倍もの量だったそうです。先生がいうには「心臓がやられて、死ぬぞ」とのこと。体対しての負担が大きすぎるらしいです。外国人のような体格の良い人と日本人では適用量が違うので、輸入物は量が多すぎることがあるらしいです。クスリは薬ではあるけれど、量を間違えると毒にもなり得る訳ですから。ご注意を!
2003.02.02
今日はレセプト初日。いつも土曜日はお休みをもらっているが、今日は休む訳にはいかなかったのです。行ってよかった・・・です。レセプトになるとイライラするいつもの彼女が、「来てくれてよかった。とっても助かった。来てくれなかったら、どうなってたことか・・・。」と言ってくれました。その言葉を聞けただけで、すっかり嬉しくなってしまいました。彼女がそう言うほどに、今日は忙しかったなぁ。木・金と混雑状態は緩和されていて、このままレセプトならいいなぁ・・・と思っていたのです。でも見事に裏切られました。今日はしっかり混雑してました。混雑をさばきながらも、レセプト業務も手がける。11時を回る頃には、すでに疲労状態でした。そして疲労もピークを過ぎ、もう少しで帰れる・・・と思い始めた1時過ぎのこと。電話での問い合わせがありました。患「今日は午後はやっていますか?」私「いえ、今日は土曜日なので受付は12時で終了しましたが・・・どうなさいましたか?」患「・・・が高くて、注射をして欲しいと思ったのですが。」私「何でしょうか? 何が高いのでしょうか?」患「ヒロウです。疲労。あまりに疲労度が高くて、栄養剤か何か注射してもらいたくて。」私「こちらにかかったことはありますか?」患「いえ、初めてです。知人にそちらが良いと聞いたものですから。」私「しばらくお待ち下さい。確認してきますので。」・・・・先生に事情を説明する・・・・私「申し訳ありません。先生はこれから学会に出かけてしまうとのことです。疲労ということでしたら、内科のほうがよろしいかと思いますが。お近くの○○医院にご相談されたほうが良いでしょうと、先生が言っていますが。」患「あ、そうですかぁ。そちらの診察時間は・・・」私「診察は・・・(時間・曜日の説明をする)」患「ああ・・・、平日は仕事があって行かれないんですよねぇ。」私「土曜日も12時までの受付で診察しておりますが。」患「それだと来週になっちゃいますよねぇ。何とかなりませんか? 注射だけなので、先生がいなくても看護婦さんにやってもらえればいいんですけど。」私「注射は先生の処方がないとできないので、申し訳ありませんが・・・。」患「あー、そうなんですか。」・・・・・しぶしぶ電話を切ったようす・・・・でも1分ほどしてまた電話が鳴る。患「あの、今電話したものですが・・・、バイアグラだけでも処方してもらえませんか?」私「そちらのお薬の処方には検査が必要なので、診察時間内に尿検査ができるように準備してお越いただきたいと思います。」患「あ、検査が必要なんですか。・・・わかりました。」疲労のための栄養剤の注射、というのは名目だったよう。本当はバイアグラが欲しかったんですね。どうしてウチの医院に、初診で栄養剤の注射なんていうのかと思ったら・・・。本当のことを最初から言ってほしいなぁ、と思いました。医院のスタッフも疲れ切ってる土曜の昼、疲れる電話はやめてくださいね・・・とお願いしたいです。
2003.02.01
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