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2005.09.08
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アンリ・ピレンヌ(増田四郎監修/中村宏・佐々木克巳訳)『ヨーロッパ世界の誕生―マホメットとシャルルマーニュ―』


 本書は、自主ゼミのテキストにしていました。邦語文献を読む自主ゼミのテーマは、有名だけどなかなか読まない(読んだことのない)文献を読もう、ということで、第一回が本書です。
 中世ヨーロッパの勉強をしていて、ピレンヌの名前は何度も聞いていました。「ピレンヌ・テーゼ」という言葉も何度となく聞いているのですが、それが批判されていることはわかっていても、はてどんなものか今まで私はよく分かっていなかったのです。今回、本書を読めて、とても勉強になりました。
 本書の簡単な目次は以下の通りです。

第一部 イスラム侵入以前の西ヨーロッパ
 第一章 ゲルマン民族侵入後の西方世界における地中海文明の存続
 第二章 ゲルマン民族侵入後の経済的社会的状況と地中海交通
 第三章 ゲルマン民族侵入後の精神生活

第二部 イスラムとカロリング王朝
 第一章 地中海におけるイスラムの伸展
 第二章 カロリング家のクーデターとローマ教皇の同家への接近
 第三章 中世の開幕
 結論

 ピレンヌは、ローマ世界の特徴を「地中海的性格」と述べています。
 中世は、従来西ローマ帝国滅亡を目安にはじまる、とされてきました。しかしピレンヌは、西ローマ帝国滅亡後(これには、ゲルマン民族の侵入が大きな役割を果たしています)も地中海的性格は存続している、と指摘します。
 フランク人による二つの王朝、メロヴィング朝とカロリング朝があるわけですが、彼は、前者にはまだローマ的性格が残っていたとしています。ゲルマン民族の「ローマ化」、商業の性格などの分析から以上のことを言った上で、彼のひとつの結論は、ゲルマン民族の侵入は古代世界にピリオドをうったのではない、ということです。
 第二部で、イスラムの侵入を論じ、それが東方世界と西方世界の分離をもたらした、と指摘します。第二部第一章第三節「ヴェネツィアとビザンツ」の終わりで、それまでの整理がなされるのですが、ここはテンション上がりました。かつてのキリスト教的地中海は東方と西方に分離され、キリスト教の海運が活況を維持したのは東方である。西方世界は、海賊の跳梁する舞台となり、海への出口をふさがれた。こうして、西方は純然たる内陸国家となり、西欧文明の枢軸は北方へ移動した、というのです。「古代の伝統は砕け散った。それは、イスラムが、古代の地中海的統一を破壊し去ったためである」(261頁)
 ですから、結論のもう一つは、イスラムの急激な進出により古代の伝統が断絶され、地中海的統一にピリオドがうたれた。歴史生活の枢軸が、地中海から北方へ移された、ということです。
 こうしてピレンヌは、中世への転換期は650-750年にあるとし、それが完成したのは800年(シャルルマーニュ戴冠の年)だと述べています。


 次回からのテキストはホイジンガの『中世の秋』。3,4年前に買ったのですが、やっと読む機会が訪れました…。





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Last updated  2005.09.08 11:05:25
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のぽねこ @ シモンさんへ コメントありがとうございます。 久々の再…
シモン@ Re:石田かおり『化粧せずには生きられない人間の歴史』(12/23) 年の瀬に、興味深い新書のご紹介有難うご…
のぽねこ @ corpusさんへ ご丁寧にコメントありがとうございました…

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