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2006.09.11
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阿部謹也『ハーメルンの笛吹き男
~ちくま文庫、1988年~

 昨日アップした感想の続きです。

第一部

(第一章~第三章)→ 紹介第一回

(第四章 経済繁栄の蔭で)

 まず、都市の下層民について言及されます。<笛吹き男>についていった市民たちが、どういう状況にあったのか。第二章で少し隷属農民などがふれられていますが、ここでは下層民について詳しく論じられます。
 下層民は、一般的には、「経済的に自立出来ず、都市内部で最も貧困な層」を指します。大部分は市民権を持たない人々ですが、没落した市民も含まれます。具体的には、徒弟、賃金労働者、貧民、乞食、婦人、賤民などです。
 この賤民層が、下層民のなかでも最も軽蔑されていた、といいます。賤民とは「名誉をもたない者」であり、具体的には刑吏、墓堀人、遍歴芸人、司祭の子(聖職者は妻帯禁止だから、子供ができるはずないですものね!)などでした。


 このように下層民の背景を見た後、仮説(3)子供の十字軍[前記事参照]、仮説(1)舞踏病について検討されます。
 子供の十字軍。ほぼ同時期に、フランスとドイツで同様の現象が起こったのですが、この記事ではフランスの事例を紹介します。 1212年、羊飼い少年シュテファンが、自分にキリストが現れ、十字軍に行くよう説かれた、とサン・ドニ国王に告げ、数千人の少年・少女を集め、さらに若い司祭や年配の巡礼も加わり、出発します。マルセイユまで行進しましたが、運送船に乗り込んだまま、行方がわからなくなってしまった、というのです。子供たちは、アフリカで売られた、という説があります。
 また、子供たちが夢中で踊り歩いた事例も紹介されます。これら、子供の十字軍や舞踏行列の背景には、祭がありました。謝肉祭(カーニバル)などの祭りでは、それはもう羽目を外してはしゃぎます。司祭なんかもはしゃいだみたいですね。なお、ここではキリスト教的な祭とゲルマンの民族的な祭りの関係についてもふれられていますが、記事では省略します。
 この後の話との関連で重要なのは、6月24日のヨハネ祭です。この日、ドイツのほとんどの町や村で火が燃やされ、老若男女がみな集まり、歌い踊るのですね。

 さて、ここでヴォエラー女史による、遭難説が紹介されます(169-175頁)。
 彼女は、ヨハネ祭(失踪事件の二日前です)の際、町から2マイルほど離れたポッペンブルクの崖の上に火を点す習慣があったことから、子供たちは祭りの興奮のあまり火をつけに出かけ、その湿地帯にある底なし沼にはまりこみ、脱出できなくなった、と結論しています。 ヴォエラーの指摘で重要なのは、当時は<笛吹き男>が属する遍歴芸人の階層は社会から差別されており、あらゆる不幸な事件の責任を転嫁されていた、ということです。したがって、彼女は、この事件自体には笛吹き男の存在は不要だった、というのです。史料(2)『パッシオナーレ』に笛吹き男に関する言及がないことも、これで説明されます。
 なお、後の伝説で<笛吹き男>が<鼠捕り男>に代わられるのは、15世紀末から遍歴芸人の社会的地位が高まったため、事件を彼らのせいにするのは不都合だと考えられた、という説があげられています。
 ところで、なぜこの出来事が伝説として残ってきたのか。ヴォエラーは、難を免れた少数の子供によって出来事が説明されたにもかかわらず、幼い子供の説明がたどたどしく、また自分の子供の安否を気遣う親たちの激しい問い詰めに、恐怖のあまり黙ってしまった、と説明しています。事件発生当初から事件の全貌をつかむことが困難だったため、様々なファンタジーを生み出した、というのです。
 阿部さんは、ヴォエラーの説に具体的な批判を挙げていません。むしろ、「沼地に沈んだという単なる事故のように見える事件でも、犠牲者が多数である限り、その背後には必ずその時代の庶民がおかれていた生活の厳しさがあったのではないだろうか」(175頁)と述べていて、現段階ではヴォエラー説を支持するように読めました。

(第五章 遍歴芸人たちの社会的地位)
 ここでは、遍歴芸人の起源、その構成者などについてふれられた後、キリスト教によって非難され、社会的に差別される様子が述べられます。たとえば、遍歴楽師になんらかの損害が加えられた場合も、遍歴楽師は加害者の、地面に映った影に報復することを許されていただけでした。こういった描写の中で印象深かったのは、次の一節です。「このような愚弄は遍歴楽師の社会的地位の低さや差別の実態をまざまざと示す、というよりは彼らを差別する側の二人々の頽廃と貧しさをぞっとするほど明瞭に示している」(189頁)。

 さて、ハーメルンの笛吹き男伝説と関連して、ここでの結論は次のようなものです。
 芸人たちは祭の中で、興奮を盛り上げるなど、大きな役割を果たしました。彼らは祭りには関係あっただろうが、 1284年6月26日の「歴史的事件」自体にはほとんど関わりを持たなかった、というのです。祭りに彼らが関係していたとしても、それは事件の直接的原因ではなかった。だから、中世史料においては歴史的な存在としての<笛吹き男>は、その具体的な姿を現していないのだ、と。

 以上で、第一部が終わり、第二部「笛吹き男伝説の変貌」に移りますが、今日の記事はこのあたりで。

 紹介第三回(第二部)の紹介は こちら です。





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Last updated  2006.09.12 21:25:02
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のぽねこ @ Re:銀色夏生『流星の人』(05/16) スパイシーチューリップさんへ コメント…
スパイシーチューリップ @ Re:銀色夏生『流星の人』(05/16) 流行りましたね!キラキラ系、あまり知ら…
のぽねこ @ シモンさんへ コメントありがとうございます。 なにぶん…

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