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https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2021/03/10/kiji/20210310s00021000255000c.htmlスポニチ 2021年3月10日 12:40武居由樹×八重樫東氏 楽しみな元K-1王者とボクシング3階級制覇王者の“化学反応” 元K-1ワールドGPスーパーバンタム級王者の武居由樹(24=大橋)がプロボクシングに転向し、11日に東京・後楽園ホールでデビュー戦を迎える。その武居を担当トレーナーとして指導しているのが元世界3階級制覇王者の八重樫東氏(37)だ。 昨年9月に引退を表明した八重樫氏だが、トレーニングを継続しており、全く衰えていないことは先月11日に行われたチャリティーイベント「LEGEND」で実証済み。武居は連日、そのスピードやテクニックなどを体感しながらデビュー戦に向けて練習に励んでいる。昨年12月にボクシング転向を表明し、まだ3カ月だが、自分が想像していた以上に成長していることは間違いない。 “激闘王”の異名を持つ八重樫氏は、そのファイトスタイルから気持ちの強さがクローズアップされることも多いが、長いキャリアを支えてきたのは高い技術と確かな理論。自らの肉体を“実験台”として積み重ねてきたトレーニングや減量を含むコンディショニング方法はトレーナーとなった現在も財産として残されている。 先月下旬、武居について八重樫トレーナーに話を聞く機会があった。仕上がり具合を尋ねると、こんな答えが返ってきた。 「良い調整ができているかは分からないですね。まだ、デビューしてないので。今回やっていることが、今後の指標にはなると思いますけど」 ボクシングの試合は初めてとはいえ、武居はK―1で25戦している選手。八重樫トレーナーは自身のやり方を当てはめるのではなく、武居の自主性を尊重する姿勢に徹している。 「聞かれればアドバイスはしますけど、武居が自分で経験して自分で考え、自分なりカスタマイズしていけばいいかなと。失敗して試行錯誤すれば、答えは出る。それが不正解だったとしても違うということが分かれば、成功のもとになるはずですから」 八重樫トレーナーは、キックボクサー特有の重心の高さなどボクシングでは致命的になりそうなクセについては早い段階で修正させる一方で、その特性を残すことは否定していない。武居は「良い意味でK―1のスタイルを残し、僕にしか出来ないボクシングをしたい」と話しており、新たなスタイルの構築を目指している。 大橋秀行会長(56)が「2年以内に世界が獲れる」と期待する逸材が、元3階級制覇王者との出会いでどんな“化学反応”を見せ、どんなチャンピオンロードを歩んでいくのか? まずは54・5キロ契約6回戦で高井一憲(34=中日)と対戦するデビュー戦に注目したい。
Mar 10, 2021
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https://kahoku.news/articles/20210309khn000005.html河北新報 2021年03月09日 09:26デスク日誌(3/9):慈善試合 プロボクシングの元世界3階級制覇王者で、昨年9月に現役を引退した北上市出身の八重樫東(あきら)さん(37)が2月11日、3分3ラウンドのスパーリング形式による試合を東京で行った。 相手は現役世界王者の京口紘人選手(27)。対戦が決まった時には「練習相手になるぐらいには調整したい」と話していたが、中途半端にできないところが八重樫さんらしい。体をきっちり絞り、パンチのスピードもなかなかだった。 最終の3回には、代名詞だった激しい打ち合いも見せた。足を止め、打たれたら打ち返す。現役最後となった試合から約1年2カ月。多くのファンの心をつかんだ、激闘王の戦いぶりを思い起こさせた。 試合は新型コロナウイルスの克服に向け、収益の一部を医療従事者らの支援に充てるチャリティーイベントとして開催された。「世の中がすごく落ち込んでいる。それを盛り上げるためなら、何度でもリングに立ちます」と八重樫さん。 現在、トレーナーとして世界を狙う選手の育成に励む。「逃げない、投げない、諦めない」。彼が大切にしてきた思いを、次代を担う選手の中に見たい。
Mar 9, 2021
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https://hochi.news/articles/20210305-OHT1T50103.html2021年3月5日 13時51分 スポーツ報知ボクシングの社会貢献賞はグリーンツダジムの本石昌也会長 日本ボクシングコミッション(JBC)は5日、2020年度のダイヤモンドフィスト賞はグリーンツダジムの本石昌也会長(45)が受賞したと発表した。同賞は社会貢献に対して贈られるもので、2017年度に設置された。第1回受賞者は元東洋太平洋&日本ライト級王者の坂本博之SRSジム会長(50)。本石会長は、大阪・枚方市の新型コロナウイルス感染症対策応援基金として100万円を寄付したことなどが評価された。 また、故・大槻穣治コミッションドクター(享年62)と元WBC世界スーパーバンタム級王者の故・ロイヤル小林さん(享年71)に特別賞が贈られた。 すでに年間最優秀選手などの年間表彰選手は発表されており、昨年度のMVPはWBA&IBF世界バンタム級統一王者・井上尚弥(27)=大橋=が選ばれている。年間表彰は以下のとおり。【プロ男子の部】▽最優秀選手賞 井上尚弥(大橋)=3年連続4度目▽技能賞 井岡一翔(Ambition)=2年連続2度目▽殊勲賞 中谷潤人(M・T)=初▽努力・敢闘賞 堀川謙一(三迫)、福永亮次(角海老宝石)=ともに初▽KO賞 井上尚弥=2年ぶり4度目▽新鋭賞 三代大訓(ワタナベ)=初▽年間最高試合賞(世界戦) WBO世界スーパーフライ級タイトルマッチ(12月31日) 井岡一翔―田中恒成(畑中)▽年間最高試合賞(世界戦以外) WBOインターコンチネンタル・ライト級王座決定戦(12月12日) 中谷正義(帝拳)―フェリックス・ベルデホ(プエルトリコ)【プロ女子の部】▽最優秀選手賞 多田悦子(真正)=11年ぶり2度目▽年間最高試合賞 WBO女子世界ミニマム級王座決定戦(12月3日) 多田悦子―宮尾綾香(ワタナベ)【特別賞】粟生隆寛氏(元WBC世界フェザー級&スーパーフェザー級王者)、八重樫東氏(元WBA世界ミニマム級&元IBF世界ライトフライ級&元WBC世界フライ級王者)
Mar 5, 2021
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https://www.ytv.co.jp/kenmin_show/backnumber/20210304.html次回のケンミンSHOWは3月11日 夜9:00~放送!不屈のパワーで立ち向かう!東北6県・みちのくケンミン魂SP中村雅俊たち東北ケンミンスターが集結!アノ名物鍋の秘密とは?激ムズ!東北弁の発音レクチャー&春を待つケンミンの今を追跡出演司会:久本雅美(大阪)、太田光[爆笑問題](埼玉)ケンミンスター古坂大魔王(青森県)、八重樫東(岩手県)、中村雅俊(宮城県)、森公美子(宮城県)、岡部大[ハナコ](秋田県)、橋本マナミ(山形県)、箭内夢菜(福島県)
Mar 5, 2021
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https://boxmob.jp/sp/special/interview.html?iid=5002258ボクモバ[特集]インタビュー 2021.3.2元K-1Sバンタム級王者 武居由樹(大橋)3/11(木) 後楽園ホール54.5kg契約6回戦武居由樹VS高井一憲武居由樹のボクシングを確立する 元K-1ワールドグランプリ王者の武居由樹(24=大橋)は、3月11日(木)に後楽園ホールで開催される「フェニックスバトル.76」セミファイナル54.5kg契約6回戦で、高井一憲(34=中日)を相手にボクシング転向デビュー戦を迎える。 K-1でトップファイターに上り詰めて敵なしとなった武居は、ボクシングの世界に飛び込み頂点を目指す。 名門・大橋ジムに入門した武居は、元世界3階級制覇王者の八重樫東氏とコンビを組み、拳のみで戦うボクシングのファイトスタイルに取り組んでいる。 なぜ、K-1の世界からボクシングへ転向したのか、そしてK-1とボクシングの大きな違いについて語ってもらった。■デビュー戦がいきなりセミファイナルとなりました。ジムの期待の大きさを感じますね。武居 はい。デビュー戦にも関わらず、大役を任せてもらったので期待に応えたいですね。■K-1からボクシング界への転向ですが、雰囲気は違いますか?武居 大橋ジムに入門したのも、昨年11月に入ったばかりなので何とも言えないですが、K-1よりもボクシングの方が覚えることが多いですね。■覚えることとは?武居 これまでは、攻撃面は雑にやっていたのですが、ボクシングではさらに突き詰めていかないといけません。■K-1で実績を残しましたが、ボクシングに転向した理由を教えてください。武居 このままK-1でチャンピオンとして続けることも大変です。ただ、戦う相手がいなくなりました。自分はそこまで体が大きくないのでなかなか階級を上げることができない。それなら、ボクシングに挑戦することで自分の価値をさらに上げようと思ったからです。ボクシングは高校の時にアマチュアでしていたのですが、あまり良い結果を残すことはできませんでした。そのリベンジの思いもあります。■最初にボクシングをしていたのでしょうか?武居 いえ。10歳からキックボクシングを始めて高校入学と同時にボクシングを始めました。高校を卒業して再びキックボクシングにいきました。■大橋ジムに入門したきっかけを教えてください。武居 K-1の時にお世話になっていたジムの会長と大橋会長が知り合いであったこと。世界チャンピオンをはじめ多くの強い選手がいる、良い環境に身を置きたかったからです。ここしかないな、と思いました。K-1でチャンピオンになったので、軽量級でレベルが高いボクシングでもチャンピオンになりたいです。■キックボクシングとボクシングの違いについて教えてください。武居 パンチとキックがあるかないかもそうですが、攻め方やリズム、スタミナ配分、スピードとか全部違います。今は覚えることばかりです。■他の競技に例えると、どのくらい違いますか?武居 まったく違いますね。野球とソフトボール、サッカーとフットサルくらい違うかなと思います。似ているけど違う。距離感が違いますね。■どちらの方が距離が遠いのでしょうか?武居 キックボクシング(K-1)の方が遠いです。足が届く分、遠いのです。■どの辺にボクシングの難しさを感じていますか?武居 K-1は、3分3ラウンドで長くても延長で4ラウンドでしたので、スタミナ配分ですね。そこを変えていかないといけません。■3ラウンドだったら初回から飛ばしていけますが、ペース配分も考えないといけませんね。武居 はい。ただ、1ラウンドで倒してしまえば関係ないかなとも思います。これまでも初回KOが多かったので、ボクシングでも初回KOを狙っていきたいです。■ボクシングファンの「武居はどんなものなんだろう?」という視線は感じると思いますが。武居 そうですね。まだ、受け入れてもらっていない感じはします。試合で見せて全員をファンにするくらいの意気込みでリングに上がります。■八重樫東トレーナーからは、どのようなことを言われていますか?武居 キックボクシングをしていた頃の長所を伸ばしつつ、ボクシングの大事なところを採り入れていこうと。他のボクサーにはないスタイルを作り上げていこうと言われています。頭を使ったトレーニングばかりで、体の使い方を一つひとつ細かく教えてくださるので、しっかり勉強ができています。■他のボクサーにはないスタイルとは?武居 それはまだ秘密です(笑)。試合で見てもらえたらと思います。他のボクサーとは違う"武居由樹のスタイル"を見てもらいたいです。■拳を交える高井選手の映像は見ましたか?武居 はい。サウスポーでリズムが取りにくそうなタイプだなと思いました。自分もサウスポーで左利きとの対戦経験は少ないのですが、スパーリングで慣れてきました。ここを勝たないと先はないので、一戦一戦しっかりとクリアして自分自身のレベルを上げていきたいです。■自身のアピールポイントを教えてください。武居 パワーもありますが、キックボクシングのリズムを混ぜた戦い方ができることでしょうか。それは実際に見ないとわからないと思います。■同じジムに井上尚弥選手がいますが、見ていて感じることはありますか?武居 はい。K-1もレベルが高いですが、ボクシングは競技人口が多くて、井上さんはその中でずっと頂点にい続けている方です。見ていてすごいな、怪物だなと思います。■以前、「ボクシングのチャンピオンになることでK-1もすごいということをアピールしたい」と聞いたことがあります。武居 はい。ボクシングファンにもK-1の良さを知ってもらい、K-1のブランドを汚さないように結果を残していきたいです。■そういう意味ではプレッシャーはかなりのものだと思います。武居 そうですね。ただ、これまでも結構プレッシャーを力に変えてきましたので、今回もしっかりと見せたいなと思います。■デビュー戦は、どのような内容を見せたいですか?武居 ボクシングではまだ自分のことを知らない人が多いと思うので、インパクトを残せるように良い勝ち方をしていきます。KOを狙うとか大きなことは言わず、しっかりと勝ちます。■どうもありがとうございました。
Mar 2, 2021
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https://kahoku.news/articles/20210302khn000001.html河北新報 2021年3月2日河北春秋(3/2):プロボクシングで世界3階級を制した北上市…2021年03月02日 06:00 プロボクシングで世界3階級を制した北上市出身の八重樫東(あきら)さんは現役時代、試合前の1カ月間に10キロ近い減量を強いられた。3週間で6キロ以上の脂肪を落とした後、汗をかいても水分を取らない「水抜き」をした▼己の体を隅々まで知り尽くし、計画的に臨んでも、水抜きは過酷だという。何よりも大切なのは我慢。思うように体重が減らなければ、これだけやっているのにと、焦りも出てくる▼新型コロナウイルスの新規感染者を減らすのは減量に似ているかもしれない。緊急事態宣言が出されている首都圏1都3県の新規感染者数は減る速度が鈍り、東京都は先週末、前週よりも増えた。病床使用率が高止まりしている県もある▼政府は6府県の緊急事態宣言解除を決めた際、一部の慎重論を押し切った。4都県も7日に解除したい考えだが、専門家の間には、現状では感染再拡大というリバウンドが起こりかねないと否定的な意見が多い。経済回復を焦る菅義偉首相の前のめりの姿勢が垣間見える▼八重樫さんは試合前日の計量をパスした後、暴飲暴食がたたって体重が1日で8キロ近くも増え、試合に負けたことがあった。ボクシングもコロナも、気の緩みがリバウンドにつながる。減らすのは大変でも、戻るときはあっという間なのも同じだ。(2021・3・2)
Mar 2, 2021
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https://www.iwanichi.co.jp/2021/02/27/4665461/岩手日日新聞社 2021年3月2日10月に北上マラソン 20回⽬も今大会で幕 実行委4年ぶりとなる開催と今大会での終了を決めた2021いわて北上マラソン大会実行委員会2021いわて北上マラソン大会実行委員会は26⽇、北上市相去町の北上陸上競技場で開かれた。台風と新型コロナウイルスの影響により3年連続で中止となった⼤会。4年ぶりの今回は、10月10日に北上総合運動公園を発着点にしたコースで実施する予定とした。一方、北上を全国にPRするという当初の目的が達成され、⼀定の成果を挙げたとして通算20回目となる今回で大会を終了する。関係者約20⼈が出席。冒頭、大会長の髙橋敏彦市長は「さまざまな事情が重なり3回連続できなかったため、各地から『今年は何とかなるんでしょうね』という声がある。それでもコロナ禍の状況がどうなるか、特にもワクチンがどうなるか。しっかりと見極め、感染防止対策をした上で開催できるものと思っているので、ぜひ前向きに進んでもらいたい」と呼び掛けた。大会は国や県、周辺自治体が定める新型コロナの感染防止対策を順守するほか、日本陸上競技連盟が策定するガイダンスに沿ってランナーの安全・安⼼に万全を期す。ただ、新型コロナの状況によっては中止や内容変更を行う場合もある。種目はフルマラソン、10キロ、5キロロードレースの3種⽬40部⾨を予定。これまで兼ねてきた全日本マスターズマラソン選⼿権大会は廃止し、前回実施予定だった「ペアリレーファンランマラソン」も行わない。ゲストランナーにはプロボクシング世界元3階級王者・八重樫東さんを迎える。ランナーの募集範囲について「県内在住者」と提案されたが、実行委員から「今回で最後なのであれば県内という枠は寂しい」といった意見もあり、今後早急に開催する幹事会で再検討した上で、書面議決により募集範囲や最終的な参加目標を決める。エントリー開始は4月中旬を目指す。大会はマラソンを通じて北上を全国にアピールしスポーツ振興を図ろうと、2001年に県内初のフルマラソン大会として始まった。目的の達成や県内における先駆けとして他の自治体に影響を与えることができたこと、さらにはコースの公認が終わることを踏まえ、今大会をもって終了とする。今後は楽しく走ることを主眼に置いたランニングイベントを模索していく。
Mar 2, 2021
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https://twitter.com/east8boxジャンクSPORTS 特別編イレロ2021.2.21:19:00 fuji TVゲーム企画「イレロ」ルールは “ゴールに入れるだけ”八重樫東さんボクシンググローブが「磁石をイレロ」に挑戦
Feb 21, 2021
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https://www.tokyo-sports.co.jp/fight/boxing/2661537/東スポweb 2021年01月30日 10時00分【ボクシング】元世界3階級制覇王者・八重樫東氏 引退後は指導者&運送会社社長の〝二闘流〟【The インタビュー~本音を激白~(6)】昨年9月に現役を引退したボクシング元世界3階級制覇王者の八重樫東氏(37)は現在、所属した大橋ジムのトレーナーとして元K―1王者の武居由樹(24)と、アマ8冠の中垣龍汰朗(21)を指導するとともに「運送会社社長」として奮闘中だ。連載「The インタビュー」今回は、激しいファイトスタイルでファンを魅了した「激闘王」が新たな挑戦の意義について語った。 ――改めて現役生活お疲れさまでした。現在の肩書は「大橋ジムのトレーナー」でいいか 八重樫氏(以下八重樫)確かにそうですけど「軽貨物配送会社社長」でもあるんです。 ――実業家として飲食業に進出したのは有名だが、なぜ運送会社か 八重樫 ボクサーの仕事というと、飲食業が多いですけど、試合前に「1か月休みたい」と言うと(店側に)嫌がられる。仕事をしないとお金はもらえないし、一生懸命働くと練習時間が減る。「どっちを取る?」となってボクシングをやめる子を見てきました。 ――そうした悩みはよく耳にする 八重樫 知り合いから「アスリートの支援ができないか」との申し出があって軽貨物運送のドライバーをボクサーにやらせることにしたんです。アスリートはフレックスの勤務形態で自分でスケジュール管理し、練習の時間をつくらせます。時間のコントロールができれば引退後にどこに行っても“時間軸”をうまく使えますから。 ――引退後も立派な社会人になれる 八重樫 ボクサーは“潰し”が利かないと言われるのが嫌。本当は、何かに打ち込んできた人は何でもできるはず。 ――だが、他競技でも現役引退後、うまくいかないケースは多い 八重樫 選手を終わってポン、と社会に放り出されるから右も左もわからず「いい年して何もできない」とか言われてしまう。僕たちは勝ち上がっていけば、それなりの対価を与えられたので頑張った。運送業もやったらやった分だけもらえる。環境はつくるから頑張ろうというのが(ボクサーに)ピッタリと思って始めたんです。 ――多くの人とも交流できる 八重樫 それが大事。他の業界の人と話すと、ボクシング界とギャップがあることがわかる。それをわかってないと、社会に出たときにすごくバカにされることになりますから。 ――現在、八重樫社長のもとには何人いるか 八重樫 大橋ジム以外の選手も含めて8人です。ボクシング界を変えたい? そこまで大層なものではなく、ジムと大橋(秀行)会長(55)への恩返しの気持ち。夢を持って頑張っている人間がそれに向かっていけない現状を少しでも何とかしたい思いですね。 ――トレーナーとしては元K―1王者の武居とアマチュアで国内外8冠の中垣を指導。3月11日にデビュー戦(後楽園)を控える武居はどんな選手か 八重樫 ボクシングファンって最初は“よそ者”扱いするかもしれませんけど、性格もいいし、実力もあるので愛される選手になると思います。 ――本人は世界王者を目指すと言っている 八重樫 僕は辛口に評価するんです。バンタム級戦線なのでそんなに甘くないですし、試合をしてないから、試していないものが多過ぎます。今の時点で言うとまず(目指すの)は日本王者かな、という感じです。 ――世界にたどり着くには自身の3階級制覇の経験が役立つ 八重樫 世界王者になるには何が必要か、ある程度自分にはわかっています。だからこそ甘くないのもわかっています。 ――元K―1王者への期待は大きい 八重樫 ものすごく期待感があるのは愛されているからこそ。重圧を背負って苦しむかもしれないけど、そこはカバーしていくつもりです。 ――師弟で世界を狙うのは中垣も同じだ 八重樫 ボクシング経験が長いので自分で考える力がある、頭のいい子です。練習でも「八重樫さん、こうした方がいいです」と言ってくることがある。話し合いながら練習をつくっていくのをさらに精査し、いいものをつくっていきたい。 ――日本ボクシング界は、WBAスーパー&IBF世界バンタム級統一王者の井上尚弥(27=大橋)、WBA世界ミドル級スーパー王者の村田諒太(35=帝拳)、かつては拳を交えた4階級制覇王者の井岡一翔(31=Ambition)らが輝いている。現状をどう見るか 八重樫 世界に通用する選手が出てきたのは、いいなと思います。バスケのマイケル・ジョーダンやテニスの錦織(圭)君みたいに、スポーツを始めるきっかけって誰かへの憧れが多いと思うんです。そういう象徴に尚弥たちがいるのは、すごくいいことですよね。 ――憧れの存在がいれば裾野の拡大になる 八重樫 なので尚弥たちにはまだまだ輝いてほしい。その傍らで自分が何かできるのは、幸せなことですよ。 現役時代と同じように語り口は穏やかだが、行動の内容は熱い。ボクシング界のために様々なことに「激闘」する八重樫氏の今後に注目だ。 ☆やえがし・あきら 1983年2月25日生まれ。岩手県出身。アマチュアでは高校総体、国体を制覇するなど通算成績は70戦56勝14敗。拓殖大を卒業後に大橋ジム入りし、2005年3月にプロデビューした。ミニマム級で日本&東洋太平洋王座を獲得。世界タイトルは11年10月にWBAミニマム級、13年4月にWBCフライ級、15年12月にIBFライトフライ級で3階級制覇を果たした。プロ通算成績は35戦28勝(16KO)7敗。20年9月に現役を引退した。161センチ。
Jan 30, 2021
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https://news.line.me/issue/oa-iwatenippo/h8frcegsb029岩手日報lineニュース 2021年1月28日 11:00「10年も引退も節目じゃない。八重樫東と被災地の終わりなき戦い」2021年1月、横浜市の大橋ジム。 緊急事態宣言下の昼下がり、誰もいないフロアで、小柄な男がシャドーボクシングをしている。 キレのよい動き。シューズが床をこする音がリズミカルに響く。 「彼はもう現役選手ではない」と言って、信じてもらえるだろうか。 八重樫東、37歳。 現役時代は世界3階級制覇の偉業を達成。「激闘王」の異名をとった伝説のボクサーだ。 八重樫はいま、トレーナーとして後進の指導に当たっている。 構えたミットが、派手な音を立てる。 その奥で光る目にもまた、現役さながらの殺気がみなぎっている。 「新しいボクサーを育てたい。僕のボクシング人生は現役だけではない」 引退の節目を迎えてなお、戦いをやめようとはしない。 その背中に、復興への歩みを止めない東北の人々の姿が重なる。歓喜の裏で…故郷への思い 11年10月24日。 八重樫は後楽園ホールのリングの上に、大の字になっていた。 KOされたわけではない。 世界ボクシング協会(WBA)ミニマム級王者・ポンサワン・ポープラムック(タイ)との激しい打ち合いを制し、TKO勝ち。悲願の世界タイトルを奪取したのだ。岩手県人初の世界王者に輝いた八重樫東=11年10月24日、東京・後楽園ホール レフェリーが試合を止めると、八重樫はリングに倒れ込んで喜びを爆発させた。 ホールは大歓声に包まれ、拍手と「アキラ」コールはしばらく鳴りやまなかった。 「勇気をもらったという人が、1人でもいてくれれば幸せだ」WBAミニマム級の王座奪取から一夜明け、記者会見で笑顔でポーズをとる八重樫東=2011年10月25日、横浜市の大橋ジム. インタビューでそう語った新王者の脳裏には、大きすぎる傷を負ったふるさと岩手のことがあった。リングに上がっていいのか 時をさかのぼること半年。 11年3月11日、東日本大震災が発生した。 八重樫が生まれ育った岩手は、甚大な被害を受けた。 特に沿岸部は、母淳子さんが中学校、高校時代を過ごした大船渡をはじめ、津波によって多くの死者、行方不明者を出した。津波によって破壊された地区。がれきとなった住宅に向かい、家族の名を呼ぶ住民の声が響いた=2011年3月12日、大船渡市 その瞬間、八重樫は神奈川県内の自宅にいた。 大きな揺れにも驚いたが、その後テレビのニュースが伝え続けた被害状況をみて、ぼうぜんとなった。 大変なことが起きた――。 岩手県内に住む両親とも、いつまでたっても連絡が取れなかった。 地元のみんなは、どうしているだろうか。かつてない不安がせりあがってきた。大津波から一夜明けた宮古市役所周辺。水は引いたが、大量の泥やがれきが残った=2011年3月12日、宮古市新川町 4月2日には日本ミニマム級タイトルマッチが控えていた。 試合があればリングに上がる。今までは当たり前のことだった。だが、大震災に加えて、3月26日に拓大時代の恩師が亡くなったショックもあった。 こんな状況でリングに上がっていいのか、ボクサー人生で初めて迷った。被災地こそ大変なのに… そのころ、岩手県内では自衛隊や米軍の合同部隊による行方不明者の集中捜索が行われていた。 この時点で、不明者は4500人を超えた。 4月とはいえ、北国岩手はまだまだ寒さが残っている。 被災地は気温が氷点下まで下がる。集中捜索を伝えるニュース映像からは、住民の気持ちが沈んでいる様子も伝わってくる。ゴムボートに乗り、湾内に浮かぶ養殖棚のがれきをくまなく捜索する海上自衛隊員=2011年4月1日、陸前高田市・広田湾 だがそんな中でも、八重樫のもとには岩手から、4月のタイトルマッチに向けた励ましのメッセージが次々と届いていた。 自分たちこそが大変なはずなのに…。自然と腹がくくれた。 試合開催が決まった以上、ボクサーとして万全な準備をしなければならない。初の快挙。得られた"実感" 哀悼の意は、トランクスに喪章を付けることで表した。 「大きな災害で大変な思いをしている人たちに、少しでも勇気、元気、希望を与えられる試合をしたい」日本ミニマム級タイトルマッチ 8回、田中教仁にパンチを浴びせる八重樫東(右)=2011年4月2日、東京・後楽園ホール 八重樫は挑戦者の田中教仁(ドリーム)を下し、3度目の防衛を果たした。 そして半年後の10月、初の世界タイトルを手にする。岩手県出身のボクサーとして、初めての快挙だった。 「こういう立場になって、できることはいっぱいあると思う。できる限りのことをやりたい。岩手出身者が世界王者になったことを多くの人に知ってもらえれば、モチベーションになる」 王者としての第一声にも、ふるさとへの思いがこもった。八重樫東がTKO勝ち。岩手県人初の世界王者誕生に喜びを爆発させる応援団=11年10月24日、東京・後楽園ホール 自分は被災地に元気や勇気を与えられるのか。疑念がなかったわけではなかった。 だが、チャンピオンになったことで、周囲の注目度は大きく変わった。 「影響を与えられる選手になったんだなと実感できた。頑張ってきて良かったと思った」メディアも騒然。世紀の一戦 震災発生から1年後の12年3月。 沿岸被災地にはがれきが山と積まれ、住民は厳しい生活が依然として続いていた。校舎が全壊した気仙小。校庭にはがれきが山積みされていた=陸前高田市気仙町=2012年3月3日 そんな被災地の人々を鼓舞するかのように、八重樫はあえて厳しい戦いを選びだす。 6月。ボクシングファンに留まらず、日本中が「その試合」の話題で持ちきりになった。 WBA王者・八重樫と、世界ボクシング評議会(WBC)ミニマム級王者・井岡一翔との王座統一戦。 井岡は、現役時代に世界王座2階級を制覇した弘樹さんを叔父に持つ。 その指導を受け、日本選手最短のプロ7戦目で世界王座に就いたボクシング界の「エリート」だ。統一戦の調印を終え、チャンピオンベルトを肩に静かに闘志を燃やすWBA王者の八重樫東(右)とWBC王者の井岡一翔=12年6月18日 日本人同士の両王座統一戦は史上初でもあった。 いったいどちらが勝つのか。事前からメディアでも連日大きく取り上げられた。なぜ?「強い相手に勝ちたい」 会場の大阪・ボディメーカーコロシアムには、開場前から長蛇の列ができた。 観衆は約8700人。井岡の地元とあって、井岡ファンが多かった。 だがリングに上がった八重樫には、地元岩手から駆け付けた人々の声援がしっかりと届いていた。 試合では、王者と王者の意地がぶつかり合った。 12回の激闘が終わると、満員の観衆がスタンディングオベーションで両者を迎えた。八重樫の腫れ上がった両目が、戦いの激しさを物語っていた。 0-3の判定負け。ジャッジは3人とも1~2ポイントの僅差で、内容的にも最後まで目が離せないスリリングな試合だった。八重樫は世界タイトルを獲得したポンサワン・ポープラムック戦に続いて、見る人の心をわしづかみにする戦いをみせた。 「激闘王」。 人は八重樫を、そう呼ぶようになった。WBC王者井岡一翔に判定で惜しくも敗れた八重樫東(左)=12年6月20日、大阪市・ボディメーカーコロシアム 初の世界王座防衛戦。 それなのになぜ、難しい対戦相手を選ぶのか。そう問われ、八重樫はこう答えていた。 「強い井岡に勝ちたい、という気持ちが強い」 長く、険しい復興の道のりを行く岩手の人々に、どこかで自分を重ね合わせていたのだろうか。初の沿岸部訪問。衝撃の光景 井岡戦から1カ月後、八重樫は被災地をようやく訪れることができた。 一関市の牧場から贈られた牛1頭分の肉を、陸前高田市の被災した住民らに振る舞うためだった。 心の準備はしていたつもりだった。 だがそれでも、被災地の現状を見た八重樫は衝撃を受けた。 「テレビで観た通りのひどい姿だった。復興にはまだまだ時間がかかる」飛び級での「挑戦」へ 震災から2年目となる13年。 岩手県沿岸部を舞台としたNHKの連続テレビ小説「あまちゃん」が、大きな反響を呼んだ。 岩手経済研究所が8月に算出したドラマの経済効果は約32億8400万円。 ロケ地となった久慈地域にとどまらず、近隣自治体や内陸部にも波及した。産直特産品の販売施設は来店者、売り上げが急増。新たな人の流れも生んだ。東日本大震災から2年。地震発生の午後2時46分に、犠牲者を思い黙とうする遺族ら=13年3月11日、大槌町小鎚・城山体育館 少しずつ前進する被災地。 30歳になった八重樫も、歩調を合わせるように新たな領域に入った。 同年4月、WBCフライ級のタイトルマッチに臨んだ。 ミニマム級から一気に2階級を上げての挑戦だった。「被災者を励まし続けたい」 王者はアマ時代に4戦して一度も勝てなかった五十嵐俊幸(帝拳)。 両者とも目の上を切って流血する壮絶な試合展開で、「激闘王」の声評は固まった。計量をパスし、本番に向けて握手を交わす八重樫東(右)と王者の五十嵐俊幸=13年4月7日、東京都内のホテル "飛び級"での世界2階級制覇。ベルトを手にした瞬間に涙を浮かべた。 打たれても、前に出続ける。 そんな戦いを終えた八重樫は、震災被災者に向けて「諦めなければ報われる。立ち向かい続けてほしい」とエールを送った。 「フライ級の相手は大きく強いが、自分が1日でも長く王者で在り続けることで被災者を励まし続けたい」WBCフライ級王座の奪取から一夜明け、記者会見でベルトを肩にポーズをとる八重樫東=13年4月9日、横浜市・大橋ジム「生きる伝説」あえて指名 長く王者であり続ける。 そう言いながらも、八重樫は防衛戦の対戦相手に、分のいい挑戦者を選ぶようなことはなかった。 それどころか、もっとも厳しい相手を選んだ。 14年。4回目の防衛戦の相手として、八重樫はローマン・ゴンサレスを指名した。調印式後にポーズをとる、WBCフライ級王者の八重樫東(右)と挑戦者ローマン・ゴンサレス ゴンザレスは当時、プロで39戦して全勝(33KO)。 アマチュア時代も含めると126戦無敗で「軽量級最強」「怪物」「生きる伝説」と称されていた。あまりの強さに、対戦してくれる王者がいないほどだった。 誰もが避ける相手との勝負を、あえて選んだ。 そんな同郷の英雄の戦いを、岩手では多くの人が仮設住宅から見守っていた。 その年の3月31日、岩手県内では大震災で発生したがれきと津波堆積物の処理が完了していた。島越駅に到着する三陸鉄道北リアス線の下り一番列車。島越漁港では復旧工事が進む=14年4月6日、田野畑村 沿岸部を走る三陸鉄道は、被災した南・北リアス線(総延長107・6キロ)が4月6日に全線で運行再開。 津波に耐え、復興の象徴となった陸前高田市の「奇跡の一本松」の復元作業もほぼ完了した。 だが、そんな「本格復興期」に入ってなお、岩手県内では3万人以上が仮設住宅での生活を余儀なくされていた。 恒久住宅の確保は進まず、被災者生活再建支援金の申請状況からみる個人住宅の再建率は33%にとどまっていた。捨て身の攻撃。止まぬ声援 八重樫は迎え撃つ王者の立場ながら「僕にとってチャレンジそのもの」と表現した。 言葉通り、挑戦者ながらゴンサレスに穴はなかった。 第3ラウンドに早くもダウンを奪われたが、それでも八重樫はひるまずに打ち合いを挑んだ。 両目を腫らしながら前に出る。 その背を押すように、大声援が会場を包む。ラウンド終了のゴングが聞こえないほどだった。ローマン・ゴンサレスと激しく打ち合う八重樫東(右)=14年9月5日 劣勢であることは明白だった。終盤、八重樫は捨て身の攻撃に出た。 第9ラウンド。右ストレートがゴンサレスをとらえた。だが次の瞬間、最強の挑戦者の波状攻撃が始まった。 八重樫は力尽きてマットに沈んだ。初めてのKO負けだった。 だが諦めない戦いぶりに胸を打たれた会場のファンは、試合後も涙ながらに「アキラ」コールを送り続けた。人生初の「屈辱」 ゴンサレス戦の直後。 八重樫は北上市の母校黒沢尻西小を訪れ、講演をしていた。児童と語らう八重樫東=2014年11月1日 「一生懸命戦ったが負けてしまった。だが心の中には、諦めずに頑張れば王者になれるという気持ちがある」 諦めなければ夢はかなう。 戦いを通して、岩手の子どもたちにそう伝えたかった。試合後に健闘をたたえ合う八重樫東(中央右)とローマン・ゴンサレス(中央左)=14年9月5日、東京・代々木第二体育館 八重樫はゴンサレス戦からわずか4カ月弱という強行スケジュールで、世界タイトルに挑戦した。 フライから階級を一つ下げ、世界3階級制覇を懸けたWBCライトフライ級王座決定戦。しかし、ペドロ・ゲバラ(メキシコ)にKO負けした。 人生で初めて、ボディーでダウンした。 「情けなくて涙も出ない」。ボクサーとしての屈辱を味わった。謝罪。迷い。 地元のヒーローの挑戦を見届けようと、会場には岩手から応援団ら約100人が駆け付けていた。 八重樫は試合後、彼らに「すいませんでした」と謝罪したという。 負けたから、なのか。 あるいは、前に出続ける姿を見せきれなかったから、なのか。ペドロ・ゲバラに敗れた試合後、観客に向かってあいさつする八重樫東(中央) 年が明けた15年1月3日。 故郷の北上市でトークショーに臨んだ八重樫は、率直に迷いを明かした。 「正直、このままボクシングを続けて良いか迷っている」再出発。戻る気概 この年、被災地では復旧・復興に向けた大規模土木工事が本格化していた。 宮古市田老乙部では243戸が入居する高台団地の造成が進み、釜石市鵜住居(うのすまい)町では19年ラグビーワールドカップ(W杯)の競技場建設地のかさ上げに向けた準備が始まった。のちにラグビーW杯会場となった釜石鵜住居復興スタジアムの建設地=15年3月4日、釜石市鵜住居町 野田村の十府ケ浦(とふがうら)海岸は高さ14メートルの防潮堤が姿を現し、大船渡市の大船渡湾には全国ブランドのカキの養殖いかだが戻った。 そして八重樫も、世界戦2連敗のショックをようやく払しょくしていた。 震災から4年となる同年3月「進退についてあやふやにしてきたが、もう一度世界チャンピオンを目指す」と宣言した。 5月に行われたスーパーフライ級8回戦。 八重樫は、ソンセーンレック・ポスワンジム(タイ)を2回2分5秒TKOで下し、再起戦を勝利で飾った。1回、ソンセーンレック・ポスワンジム(右)からダウンを奪う八重樫東=15年5月1日、東京・大田区総合体育館 「盛り上がるならもう一度井岡(一翔、世界ボクシング協会=WBA=フライ級王者)選手とやってもいい」 あえて厳しい戦いを。そんな気概も戻っていた。日本人初の「快挙」 15年12月。八重樫は国際ボクシング連盟(IBF)ライトフライ級王者ハビエル・メンドサ(メキシコ)に挑戦をした。 一進一退の攻防。中盤は相手の連打を受けて体がぐらつく場面もあった。 それでも八重樫は、足を踏ん張り耐え抜いた。判定。ジャッジ1人がフルマークを付けた完勝だった。12回、ハビエル・メンドサの顔面に左を打ち込み、一気に攻め込む八重樫東(左) 日本人男子3人目となる世界3階級制覇。 「メジャー団体の最上位タイトル」だけに絞れば、日本人初の快挙だった。それでも八重樫はこう言った。 「記録はあくまでおまけで、強い選手と戦うことが喜びであり仕事です」3階級制覇の偉業を果たし、妻の彩さんや3人の子どもたちと喜びを分かち合う八重樫東(中央)=15年12月29日夜、東京・有明コロシアム 翌2016年3月。震災から5年を迎えた被災地に、八重樫はメッセージを送った。 「自分のボクシングを見て、また頑張ろうという気持ちが芽生えるような試合をしたいし、しないといけない。岩手への強い思いは薄れることはないし、変わるものではない」八重樫東選手を囲んで記念撮影する金ケ崎小の児童=16年2月2日引退勧告も…前人未到への挑戦 頑張ろう、と思ってほしい。 その一心で戦い続けてきた。 だがさしもの激闘王も、徐々にベテランの領域に入ってきていた。 17年5月、ミラン・メリンドにまさかの初回KO負けを喫し、王座から陥落した。1回、ミラン・メリンドの左フックを受け1回目のダウンを喫した八重樫東(左)=17年5月21日、東京・有明コロシアム すでに34歳。大橋会長からは引退を勧められた。 だが「やらせてください」と懇願した。 すさまじい練習量で、再びリングに立つことを目指す。 それを見た大橋会長は「辞めろとは言えなくなった。心を動かされた」と振り返る。 あえて困難な道を歩くスタンスも変えなかった。 10月、2階級上のスーパーフライ級に転級し、日本男子初となる世界4階級制覇に挑戦することを表明。「前人未踏」の挑戦だった。迫る「決断の時」 一方、被災地も次の目標を見いだす時期に入っていた。 誰もがこれまでに経験したことがない複合災害からの復興。 こちらもまた「前人未踏」の挑戦が続いていた。鵜住居地区防災センターで犠牲になった住民の冥福を祈り、復興のまちづくりを誓う親子=17年3月11日、釜石市鵜住居町 住宅や店舗の再建が進む。 防潮堤や道路、鉄道などと併せ、「目に見える復興」のゴールが近づく。 同時に、避難生活を支えてきた仮設住宅や仮設店舗などの支援は廃止や集約に向かう。 それは、被災者が個々の生活再建と自立に向けた決断を迫られることを意味していた。解体を前に公開された旧大槌町役場庁舎。窓や壁が壊れ、震災当時のままがれきが残る=18年6月13日、大槌町新町 まちが負った傷も深く、産業や医療、衣食住の環境は完全には戻らない。 結果として「人とにぎわいを取り戻す」という復興の青写真と、現実の乖離(かいり)も広がり始めていた。 人口減少に歯止めがかからず、なりわいの先行きが描きづらい。 そんな中で、いや応なしに全ての人に「決断の時」はくる。八重樫の「決断」は… 18年3月、八重樫は約10カ月ぶりの復帰戦に臨んだ。 フランス・ダムール・パルー(インドネシア)とスーパーフライ級ノンタイトル10回戦を闘い、TKO勝利をおさめた。 しかし、世界4階級制覇への手応えは得られなかった。 フライ級の王座復帰に方針を転換。それでも「国内最年長でのタイトル奪取」という高いハードルを自らに課し続けた。 19年12月。36歳の八重樫は、メリンドに敗れて以来の世界戦に臨んだ。 IBFフライ級王者モルティ・ムザラネ(南アフリカ)に挑戦。途中までは互角の戦いだったが、終盤に被弾が増えた。そして9回、TKOで敗れた。TKO負けを喫して肩を落とす八重樫東(中央)=19年12月23日 それでもまだ、やれるつもりだった。すぐにでも世界王座に再挑戦したかった。 だがこの直後、世界をコロナ禍が覆う。タイトル戦どころか、試合自体ができなくなった。 被災地の人々と同じように、八重樫にも「決断の時」が訪れようとしていた。重なって見えた「歩調」 未曾有の津波災害からの復興という、誰も歩んだことのない道を歩く被災地住民。 年齢を重ねながら、それでもより厳しい状況に挑んできた八重樫。 震災から9年。その歩調はいつでも重なって見えた。 20年9月1日、八重樫は現役引退を表明した。 一足先に歩みを止めたように見えた八重樫だが「これは節目ではない」と首を振る。現役引退を表明し、大橋秀行会長と写真に収まる八重樫東(大橋ジム提供) 21年の年始。 八重樫は後進の指導を終えると、リングシューズのひもをほどきながら、熱っぽく語った。 「日本のボクシングは、部活の延長のようなところがまだある気がしています。1人の指導者のやり方に大勢の選手が合わせる。そうじゃなく、個々の選手に指導者が合わせていったら、もっと選手の可能性、競技の可能性は広がると思うんです」 顔を上げ、語気を強めて言う。 「難しいかもしれない。労力もかかる。でも僕はそれをやりたい。そういう勝負をするという意味で、現役を引退しても僕は自分が変わったとは思わない」変わり続ける 八重樫は今も、震災から10年の岩手を思う。 「被災地はまだまだ大変だと思う。被災地の方々は10年間、変化に対応しながら前に進んできたと思う」 八重樫も変わり続けてきた。 階級を変え、そのたびに頂点を極めてもきた。だが変わらなかったのは、岩手を勇気づけたいという思い。それは今後も同じだ。 「指導者としての立場に変わったことで、被災地でできることの幅も広がると思う。これからもいろいろな角度で被災地に関わっていきたい」 現役最後の試合になった2019年12月のムザラネ戦。実は八重樫は7回に左目を眼窩(がんか)底骨折していた。モルティ・ムザラネに敗れ、リングを降りる八重樫東(中央)=19年12月23日、横浜市・横浜アリーナ 相手の右パンチはほとんど見えていなかっただろう。 それでも前に出続けた。最後まで、激闘王の名にふさわしい戦いぶりだった。 震災10年が節目、と誰もが言う。 しかし実際は、そこで何かが完結したり解決するわけではない。先も見えない。だからこそ被災地の人々も八重樫も、これからも前に出続ける。 被災地岩手は、八重樫のように不死鳥のように何度でも立ち上がる。挑み続ける。 八重樫と岩手の戦いは、これからも続く。八重樫東(やえがし・あきら)1983年2月25日、岩手県北上市生まれ。黒沢尻工高3年時に岐阜インターハイ・モスキート級優勝。拓大に進み、2002年の高知国体で成年ライトフライ級制覇。アマチュアで70戦56勝14敗の成績を引っさげ、05年3月プロデビュー。06年4月にプロ5戦目で東洋太平洋ミニマム級王座を奪取した。スピードが持ち味のボクサーファイタータイプ。果敢に打ち合う戦法から「激闘王」と呼ばれた。プロ通算成績は35戦28勝(16KO)7敗。162センチ。大橋ジム(横浜市)所属。37歳。※この記事は岩手日報によるLINE NEWS向け特別企画です。
Jan 29, 2021
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https://www.iwate-np.co.jp/article/2020/11/29/88359岩手日報 2020年11月29日(日)19面「激闘王」感謝の拳後楽園ホールで八重樫さん引退報告トレーナー始動「世界王者育てる」 特別スパーリングを終え、声援に応えるハ重樫東さん(左)と桑原拓=後楽園ホール 【東京支社】9月に現役引退を表明したフロボクシング元世界3階級王者の八重樫東さん(37)=北上市出身=は23日、東京・後楽園ホールで 特別スパーリングを披露し、ファン に引退を報告した。 大橋ジム所属の桑原拓(日本フラ イ級9位)と2ラウンド拳を交え、 現役時代さながらのワンツーやスピ ード感あふれるステップで会場を沸かせた。ゴング後には多くの名勝負 を生んだ「激闘王」に温かい拍手が送られた。 八重樫さんはリング上であいさつ。「コロナの状況下で集まってい ただき感謝している。これからジムを盛り上げていきたい」と声援に応えた。 引退後は同ジムで後輩の指導に当たっている。この日はトレーナ ーとしてのデビュー戦で、リングサイドから指示を送った。「いろいろ勉強させてもらった」と感慨深げに語った。アマチュア8冠のホープ、中垣龍汰朗を担当。「彼を世界 チャンピオンにすることが次の一夢」と決意を新たにした。
Nov 29, 2020
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岩手日報 2020.11.15(日)朝刊1面 風土計プロボクシング界に世界三階級制覇の足跡を残した八重樫東さんは黒沢尻工高入学時、バスケットボールをやろうと思たが、入部希望者があまりに多く断念したという▼そのバスケ。八重樫さんと同年生まれ(学年は一つ下)の元プロ選手2人が高校教師として、指導者の道を歩む。母校盛岡南高を率いる斉藤資監督と大東高の指揮を執る新井靖明監督▼ボクシングに転じた八重樫さんが8強入りした1999年岩手インターハイ。1年の斉藤さんはベスト16入りした。東京の中学から名門能代工高(秋田)に進んだ新井さんは翌2000年から全国2連覇。3年時の1試合73得点は今も伝説だ▼ともに日体大に進んだ2人は寮も相部屋だった。卒業後、斉藤さんはbjリーグ大阪で1季プレー後Uターンして母校の教員に。新井さんは同リーグの埼玉・仙台で5季過ごして14年、妻の郷里岩手へIターン▼2人のバスケ人生が再び交差した。先月斉藤さんは母校を県王者に導き、2度目のウインターカップ切符を獲得した。指導者の実績で一歩先を行く▼新井さんの大東高は部員3人の小所帯。合同チームで臨んだ新人戦は地区予選で敗退した。辛酸をなめてなお「今いる場所でベストを尽くす」。過去の栄光と決別した指揮官に願う。いつの日かbjリーガー監督対決を見せてほしいと。
Nov 16, 2020
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https://news.ibc.co.jp/item_41025.htmlibc岩手放送ニュース 2020年11月03日 19:00ボクシング元世界王者 八重樫東さんに日報文化賞特別賞文化やスポーツの分野で優れた功績を残した、個人・団体を表彰する岩手日報文化賞・体育賞の贈呈式が3日、岩手県盛岡市で行われました。今年は9月に現役を引退したばかりの、ボクシングの元世界チャンピオン、八重樫東さんが文化賞特別賞を受賞しました。戦後まもなく創設された、岩手日報文化賞・体育賞は今年で73回目。今年は文化賞を「動物いのちの会いわて」など1人と2団体が。体育賞を不来方高校カヌー部の小野幸一監督など、3人と1団体が受賞しました。また文化賞、体育賞の枠を超えて、県民に感動を与えた個人・団体に贈られる文化賞特別賞は、県人初のプロボクシングの世界王者で3階級を制覇、9月1日に引退を表明した北上市出身の八重樫東さんが受賞しました。文化賞特別賞の受賞は去年のスキージャンプ、小林陵侑選手に続き4人目です。受賞のあいさつで八重樫さんは2011年秋、世界タイトルに挑む際の、岩手のファンの応援を振り返りました。(八重樫東さん)「岩手県の方々がボクシングを通して、俺たちに勇気をくれと、頑張る力をくれと、だから戦ってこいと言ってくれました」「僕はボクシングでしか恩返しできないんですけど、そういう形であっても何らかの形で、恩返しをしていきたいと思います。すごく楽しいボクシング人生だったなと思います」様々な分野で功績が認められた受賞者たちは、今後のさらなる活躍を誓っていました。https://api.ibc.co.jp/streaming/video/41025/640/360/
Nov 4, 2020
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https://ameblo.jp/hideyuki-ohashi/entry-12633999466.htmlフェニックスバトル74! 2020-10-26 14:12:52 第74回フェニックス・バトル11月28日(土) 後楽園ホール 10:15開場 11:00試合開始WBOアジアパシィフィック フェザー級タイトルマッチ 12回戦 森 武蔵(チャンピオン、薬師寺) vs 溜田 剛士(挑戦者,大橋)エキシビション スパーリング 八重樫東 vs 桑原拓スーパーフェザー級 8回戦 室田拡夢(T&T) vs 岡田誠一(大橋)スーパーライト級 8回戦 利川 聖隆(横浜光) vs 小林 孝彦(一力)スーパーライト級 8回戦 木村文祐(JM加古川拳) vs 遠藤健太郎(大橋)チケット 指定A席20,000円 指定B席15,000円 指定C席10,000円 指定D席6,000円
Oct 27, 2020
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https://lineblog.me/goro15/archives/13267035.html五郎丸歩オフィシャルブログ October 26, 2020 2020/10/26 20:30世界チャンピオンの八重樫さんにご指導頂きました。ありがとうございます😊#八重樫東 さん#世界チャンピオン#ボクシング#ラグビーhttps://rugby.yamaha-motor.co.jp/photo_report/2020/10/006370.htmlヤマハ発動機ジュビロ(ラグビー)ラグビーヘッドライン 2020年10月26日(月)ボクシング八重樫さんが特別指導 2020年10月26日(月)に元プロボクサーの八重樫東(やえがし あきら)さんが磐田市の大久保グラウンドにてヤマハ選手に特別指導を行いました。 八重樫氏はボクシングの元世界3階級制覇王者で、今年9月に現役を引退したばかり。このたび、大久保ヘッドコーチと長谷川ハイパフォーマンスコーチの働きかけにより、「臨時コーチ」としてヤマハラグビー選手への指導が実現しました。 練習前のスピーチにて「誰にでも恐怖心はある。そこから逃げずに、できる準備をしっかり行うことが大切」と自身の経験を語ると、早速、室内練習場にて、ボクシングでの体の使い方やパンチなどを熱血指導。そして通常のラグビー練習の時間になると、今度は八重樫氏が選手に混ざり、ラグビーの練習メニューを一緒に行いました。 練習を終えて八重樫氏は「とにかく楽しい時間でした。競技は違っても、通じ合えるものがあり、お互いに良い刺激を受けた日になったと思います。ヤマハの選手たちからはチームスポーツならではの一体感や結束力を感じました」と充実した様子を見せていました。 この特別指導は2日間行われる予定です。https://www.nikkansports.com/sports/news/202010260001300.html日刊スポーツ 2020年10月26日23時14分八重樫東氏がラグビー・ヤマハ発動機に激闘王魂伝授ボクシングの元世界3階級制覇王者で、先月現役を引退した八重樫東(あきら)氏(37)が26日、静岡県磐田市のラグビートップリーグ・ヤマハ発動機をサプライズ訪問した。今季第2段階のタフな練習に入るチームのコーチ陣要請に応えて実現した。冒頭で30分ほど講演。15年の現役生活で、少しずつ恐怖心をコントロールできるようになったことなどを振り返った。対戦カードが決まると、試合の2~3カ月前から心や体をつくっていき、「1日1日を悔いのないように過ごした」。その言葉に堀川隆延監督(47)は「世界を取るために準備してきたプロセスは、我々と同じ。しんどい局面でいかに1歩前へ出られるかなど、八重樫さんの姿勢は非常に勉強になった。あとは1人1人がどう受け止め、フィードバックするか」と話し、選手らの今後に期待した。チーム練習に移ると、八重樫氏は、ボクシングの基本的な構えやフットワーク、パンチを選手らに伝授。1セット3分のトレーニングを繰り返し、動きの鈍くなった選手には「動いて。止まらない」とゲキを飛ばした。初めてサンドバッグ打ちを体験した元日本代表FB五郎丸歩(34)は「3分間やり続けるのはきつかった。八重樫さんが来てくれたのはいい刺激になり、明日(27日)もあるのでいろいろ吸収したい」と意欲的だった。https://news.biglobe.ne.jp/sports/1026/spn_201026_6469731617.htmlスポーツニッポン 10月26日(月)22時28分五郎丸もパンチ!ラグビーヤマハ発、ボクシング元世界王者・八重樫氏からサプライズ指導 ラグビートップリーグ・ヤマハ発動機が26日、ボクシングの元WBA世界ミニマム級、元WBC世界フライ級、元IBF世界フライ級王者・八重樫東氏の指導を受けた。 来年1月の開幕を見据え、フィジカルコンタクトの強化を目指して大久保直弥ヘッドコーチ、長谷川慎ハイパフォーマンスコーチが「オファー」。選手にはサプライズでこの日から2日間の「臨時コーチ」が実現した。 チャンピオンベルトとともに、静岡県磐田市の練習場を訪れた八重樫氏は、世界戦に向けての心身の準備などについて講義を行い、パンチの打ち方やフットワークなどボクシングの基本練習を指導した。 昨秋のラグビーW杯優勝の南アフリカ代表フランカー(FL)のクワッガ・スミスは「世界一を目指す上で、メンタル面は共通するものがあると思いました」と共感。拓大の後輩に当たる昨秋ラグビーW杯日本代表のFLヘルウヴェも「リカバリーの方法など参考になりました」と歓迎し、ロックの大戸裕矢主将は「恩返しとしてトロフィーを持って優勝報告を」と決意を新たにする。堀川隆延監督も貴重な経験を喜ぶ。 ラグビー未経験で他競技の指導は初めてという八重樫氏だが、母校・黒沢尻工(岩手)は高校ラグビーの名門。「選手一人一人の熱量の高さが印象に残りました。自分にとっても刺激になりましたし、(ボクシング練習が)今後の練習に生かされれば」と意気に感じている。
Oct 27, 2020
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https://www.iwate-np.co.jp/past-newspaper岩手日報 2020.10.24あの日のしんぶん、この日のしんぶん2011年10月24日
Oct 24, 2020
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https://twitter.com/xiwatenippo/status/1319820339157688320岩手日報さんのtwitter 午前10:57 · 2020年10月24日ありがとう不屈の激闘王。今日10月24日は八重樫東さんが岩手県人初のボクシング世界王者になった日。2011年のことでした。倒れても敗れても何度でも立ち上がるその不屈の姿に私達は多くの勇気をもらいました。その八重樫東さんを讃える新聞広告を今日の岩手日報に掲載しました。 #懸命に悔いなく13面14・15面
Oct 24, 2020
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https://bunshun.jp/articles/-/40672文春オンライン 2020/10/04“ごくフツーの兄ちゃん”八重樫東はなぜ世界王者になれたのか――大橋会長が明かした進化「人間って、これだけ変われるんだ、と思いましたね」 所属ジムの大橋秀行会長がこう語るのは、9月1日に引退を発表した3階級制覇の元世界チャンピオン・八重樫東(あきら)のこと。「妥協しない練習をするボクサーの鑑でしたけど、最初からそうだった訳じゃないんです。16年間見てきましたが、デビュー当時のイメージからすれば誰も3階級制覇するなんて思いませんよ。正直言って、一生懸命やっているようには見えなかった。ごくフツーの兄ちゃんだったんです、アキラちゃんは(笑)」 最初のキッカケは怪我だった。07年6月、最初の世界戦(12回判定負け)で八重樫は顎を2か所、骨折してしまう。入院した八重樫のところに大橋会長は、本を持っていった。「『これを読むことが練習だ』と言ってね。僕は現役のとき、よく本を読んだんです。プロボクサーって結構、暇な時間があるので、そこで何もしないでいたらダメ人間になっちゃうと思ったんですよ(笑)。アキラちゃんのところには自己啓発本を持っていったんですが、それを境に前向きな言葉だけ口にするようになりました。それまでは『どうせ自分なんて……』という言葉を口にするタイプだったんです。大学ではエリート中のエリートってわけじゃなかったからでしょうね」あの試合で「ボクシングに取り組む姿勢が変わった」 怪我から再起して2試合目(08年7月)、八重樫は辻昌建選手と戦って負けている。その辻選手が翌年3月、別の選手との対戦でKO負けしてリング上で意識不明となり、急性硬膜下血腫で3日後に亡くなってしまった。大橋会長は「あれで八重樫のボクシングに取り組む姿勢が本当に変わりました」という。「辻選手に、死んでもいい、というくらいの“気迫”でこられて、負けて、自分に足りないモノが、よくわかったと思うんです。その辻選手が亡くなってしまったわけで……。 世界チャンピオンになるような選手には最初から気迫があります。僕の大橋ジムで最初に世界チャンピオンになった川嶋勝重(WBCスーパーフライ級)もそうでした。八重樫のデビュー間もない頃、僕と川嶋と八重樫の3人でいたとき、『10億円くれたら負けるか?』って話になったんです(笑)。もちろんボクシングに八百長はありません。あくまで例え話ですが、僕と川嶋は『そんなんじゃ負けない』と即答し、八重樫の答えは『ちょっと考えます』……。僕も川嶋も、コイツはチャンピオンになれないな、と(笑)」「やっぱり、やらせて下さい。何とかお願いします」 同年6月、八重樫は日本ミニマム級王座を獲得したが、最初の防衛戦の約2週間前、今度は目を痛めて練習ができなくなってしまう。網膜剥離の一歩手前だった。「僕が『引退しろ。身体を壊してしまうから』と言うと、八重樫は『分かりました』。で、コミッショナー事務局に連絡して『(王座を)返上します』と伝えると『暫定、ということでも大丈夫ですよ』と言って貰えたのですが、丁寧にお断りしていたところにキャッチホンが鳴り……八重樫からでした。『やっぱり、やらせて下さい。何とかお願いします。覚悟を決めました』と言うんです」 土壇場で懇願して引退回避した八重樫。3階級制覇どころか一度も世界を制することなくリングを去っていたかもしれなかったのだ。もっとも現実は彼の覚悟を試すかの如く厳しく、第1ラウンドからダウンを喫してしまう。「ぶっつけ本番だから勝つなら前半、と思ってましたから……ちょっと無理かな、早目にタオル投げないと……と思いました。だけど、そこから辻選手に教わった“気迫”で段々盛り返していって逆転勝ち……あの諦めない気持ち、お見事、でした」 八重樫の現役時代は怪我との戦いだった。「怪我をしない身体を作るための練習を、最初は僕がアドバイスしてやりましたけど、あとは自分で色んなことを見つけてきて取り入れてました。たとえばサプリメント。八重樫の知識量はボクシング界随一でしょ。練習前、まるでお菓子屋さんみたいに色々なサプリメントを並べてて、若い選手から質問されると『これは~で』と、摂り方まで丁寧に説明してました。間違えたら大失敗する“水抜き”という減量の仕方も『塩分濃度が~』とか詳しくて完璧にやってましたし、それを、うちのジムでアマデビューした子にも教えてくれて、完璧に仕上げてくれてました」“綺麗なスタイル”から“真っ向勝負スタイル”に変化 そういう、ボクシングに取り組む“意識”だけでなく、実はボクシングの“スタイル”も変わっていく。パンチを貰うことを厭わずに攻め込んでいく真っ向勝負スタイルで試合後は顔をボコボコに腫らし、“激闘王”と呼ばれていたが、最初からそうではなかった。「以前の彼は尚弥のように足を使って相手に打たせない、奇麗なボクシングスタイルだったんです。それを、相手に近付いていくスタイルに変えていきました。日本チャンピオンになった頃には反応が鈍くなってましたから、網膜剥離で落ちた視力をカバーする意味もあったんでしょう。相手との距離があればそれだけ強いパンチが出せるけど、距離が短ければ強いパンチを出しにくい……そうやって相手の良さを消し、自分は、引き付けて強いパンチを打てるようにしていった……彼が本来やりたいボクシングではなかったはずですけど、そうやって勝っていったわけです」腫れ上がった顔で笑いながら「はい! 楽しいです」 変身後の八重樫は11年10月にWBAミニマム、13年4月にWBCフライ、15年12月にIBFライトフライと三階級の王座を獲得した。「華があるタイプじゃないのにファンからの支持が絶大で、戦績以上に記憶に残るボクサーでした。大橋会長が『負けた試合の方が歓声が多かった』と言ってたように、負ける姿がファンの心に響くボクサーだったんです」(ボクシング記者) 何と言っても印象的なのは、壮絶な打ち合いとなった14年9月5日のローマン・ゴンサレス(以下ロマゴン)戦だろう。「ゴングが鳴ってインターバルに入ると観客が涙ぐんだりしてて、それまで見たことのない雰囲気でした。〈大変なことをやっちゃってるのかな〉と思ったのを憶えてます。で、インターバルで僕が『次、思い切り行け。ダメなら止めるから』と声を掛けると、彼は腫れ上がった顔で笑いながら『はい! 楽しいです』と答えたんですよ。そんな八重樫を目の当たりにして、あのロマゴンが怯んでるのが分かりました」(大橋会長) だが結果として八重樫は初のKO負けを喫する。「勝った瞬間にロマゴンが号泣し、まるで八重樫が勝ったような大歓声が起きたのが印象的でした」「常に納得できる練習をしていた」 引退会見で八重樫は「常に納得できる練習をしていたから諦めない心を作ってこれた」と語っていた。ボクシング界に限らず、“諦めない心の作り方”なんてことを言い切る人間は、そうはいない。「7月頃、ジムでムチャクチャ練習してたのを見ました。2月に会長から引退勧告されて受け入れたってことなので、引退を決めてから随分経ってた時期です。普通ならモチベーションがないはずですけどね。彼には『常に納得できる練習をしていた』という資格があるんです」(同前) 東京五輪が新型コロナの影響で1年延期となり、開催自体が未確定である今、各競技の代表選手の多くがモチベーションを保てずに苦労していて、ベテラン選手の中には引退してしまう者さえいる。八重樫のメンタルは一体、どうなっているのだろう?「本当にやる気があるか、ないか。やる気があればモチベーション云々という言葉は出てこない、と八重樫は言ってました。僕もそう思います」(大橋会長)“最後の試合”の翌日も練習 ボクシング記者が、こんなエピソードを教えてくれた。「結果的に彼の最後の試合になった去年12月23日の対ムザラネ戦(9回TKO負け)の翌日も走ってて、大橋会長から『何やってんだ。休め』と言われてました(笑)。普通ならダメージを抜くために少なくとも1週間から2週間はオフですからね。彼が試合翌日から練習してたのはこのときだけじゃありません。井上尚弥が『何やってんですか』と驚いてたこともありました」 この話を大橋会長に振ると「いやいや、それは変わってからの八重樫。かつての彼は試合後、平然と2、3週間はジムに来なかったですから」と笑う。 ジムの後輩でWBA・IBF統一バンタム級チャンピオンである井上尚弥の、延期されていた世界戦が10月31日に行われると発表された。会場は、世界ボクシング界の頂点と言われるMGMグランドだ。「尚弥は別格の選手ですけど、八重樫の存在はプラスアルファに作用していると思います。中学生のときから出稽古でうちのジムに来て八重樫とスパーリングして、八重樫の執念とボクシングへの取り組み方を長いこと間近で感じてきてますからね。もっとも尚弥が高校を出てうちのジムに入ってからのスパーリングでは世界チャンピオンの八重樫が、負けてましたけどね(笑)。 八重樫は去年の12月の試合でTKО負けした直後、リングに入った僕に抱きかかえられた瞬間、何て言ったと思います? 『尚弥なら勝てます』ですよ(笑)」「尚弥で終わりたい」最後のスパーリング そんな八重樫は引退発表の前月、井上尚弥選手と最後のスパーリングをしたという。「本人が『尚弥で終わりたい』と言ってきたんです。尚弥は試合用のトランクスを履いてやってくれました。で、最後に僕が八重樫のグローブを外して『お疲れ~』。涙のない、たった数人の引退式でした」(大橋会長) 今後は後輩を育てる立場になる八重樫。自身が大橋に言わせたように「人は変われるんだ」という指導者になれるだろうか?
Oct 6, 2020
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岩手日報 2020.10.06「激闘王の軌跡」20日発売岩手日報社は20日、岩手日報特別版「八重樫東引退記念激闘王の軌跡」=写真=を発売します。日本男子3人目のプロボクシング世界3階級制覇を果たし、「激闘王」と呼ば れた八重樫東さん(37)=北上市出身=の戦いぶりをオールカラーで振りかえる完全保存版です。 黒沢尻工高時代に全国制覇をした八重樫さんは2005年プロデビュー。11年にミニマム級で悲願の世界タイトルを獲得し、フライ級とライトフライ級でも王者となりました。敗れたとはいえ日本人同士よる王座統一戦や、軽量級最強といわれたローマン・ゴンザレスとの一戦など、ボクシングファンの記憶に残る戦いを繰り広げました。特別版は世界14試合すべてを取り上げ、迫力ある写真と当時の岩手日報記事とともにまとめました。 タブロイド版32ページで本体価格500円、県内のローソン、ファミリーマート、お近くの岩手日報販売センターでお求め下さい。全国の地方新聞でつくる通販サイト「47CLUB(よんななクラブ)」内の岩手日報47ショップからも注文できます。 お問い合わせはコンテンツ事業部(019-601-4646平日午前9時~午後5時)岩手日報社
Oct 6, 2020
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https://www.bbm-japan.com/boxing/17395721ボクシング・マガジン編集部 2020-09-27井上尚弥、調整順調。「最高の出来です!」 10月31日(日本時間11月1日)、アメリカ・ラスベガスのMGMグランド“ザ・バブル”で、ジェイソン・マロニー(オーストラリア)の挑戦を受けるWBA・IBF世界バンタム級チャンピオン井上尚弥(大橋)の調整ぶりが、大橋ジムから届いたのでお伝えしよう。 自身が「第2章の始まり」と公言する、聖地ラスベガスでの初めての試合までおよそひと月。新型コロナウイルス対策のため、われわれメディアは立ち入ることができないが、“モンスター”の現況は俄然、熱を帯びている模様だ。 試合の正式発表は今月9日。試合決定からようやく本腰を入れる選手も多い中、黙々と日々積み上げることで、「強さを手に入れた」と言ってはばからない井上のことだ。一気に力を入れるのではなく、彼にとっては普段の状態からギアを上げた程度のことかもしれない。が、その“通常”でさえ、とんでもなく強いのだから、われわれの想像をはるかに超えるコンディションなのかもしれない。 26日は、先ごろプロデビューを飾った“ミライ☆モンスター”松本圭佑と4ラウンドのスパーリングを行い、その後はジムの6階にオープン(10月10日)する高地トレーニングスタジオ『Green Terrace』で、約30分ほど汗を流したという。低酸素状態の中でトレーニング「スパーリングも順調にこなし、最高の出来になっています。また、標高3000メートルの低酸素トレーニングでお世話になり 大変な効果が出ています。試合2週間前にラスベガスに出発しますが、残りの日にちを全力で練習していきたいと思います」と、本人のコメントからもその充実ぶりは伝わってくる。 井上は10月18日に日本を発ち、11月2日に帰国予定。国内での調整は残り20日弱。牙を磨げるだけ研ぎ澄まし、本格的なアメリカ進出に向けて、悠然と乗り込むつもりだ。
Sep 27, 2020
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https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1785150645018475&id=100005706703814大橋秀行会長のfacebook 2020.09.24 12:5011月28日フェニックスバトル75!WBOアジアフェザー級タイトルマッチ森武蔵VS溜田剛士 先程 引退した三階級制覇 世界チャンピオン 八重樫東日本フライ級9位 7戦7勝(4KO) 桑原拓EX2ラウンド最後に八重樫に挨拶させて頂きます 宜しくお願いします
Sep 24, 2020
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https://www.fujitv-view.jp/article/post-171347/フジテレビュー!!編集部 2020年9月24日バラエティ9月24日(木)19時~『VS嵐』9月24日(木)19時から放送のフジテレビ 『VS嵐』は、児嶋一哉(アンジャッシュ)、アンタッチャブル(山崎弘也、柴田英嗣)、狩野英孝、小島瑠璃子、八重樫東ら番組出演回数が多い豪華顔ぶれが一同にそろい、チーム準レギュラーとして参戦。…
Sep 24, 2020
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https://number.bunshun.jp/articles/-/845103Number Web posted2020/09/23 11:01「最後は転んでゴールすると思いますよ」激闘王・八重樫東が語っていた“引退を決断する日”全勝中のローマン・ゴンサレスと対戦し、果敢に打ち合うも玉砕。だが代々木第二体育館を熱狂させた激闘王は評価を上げた 9月1日、激闘王と呼ばれたボクサー・八重樫東が現役引退を発表した。 これまで多くの激闘を見せてきた八重樫だが、その中でも「KOされた日」について三浦隆司とともに、2019年に本誌で語っている。その記事を特別に公開します。「倒された。だからこそ」 倒す者がいれば、倒される者もいる。KOは決して勝者だけのものではない。かつて壮絶なKO負けを喫したふたりは、そこでなにを味わい、なにを見たのか。【初出:Number990号(2019年11月14日号) <ボクシング総力取材>KO主義。「倒された。だからこそ」《八重樫東》/肩書などはすべて当時】 拳の交錯を幾度か重ねて、八重樫東は、眼前の敵に感心していた。「こいつ、うまいなあ」 王者の細い目を見開かせたのは、ローマン・ゴンサレスだ。2014年9月の対戦当時、戦績は39戦全勝(33KO)。3階級制覇を期してフライ級に転向したものの、圧倒的レコードが足枷となり試合のオファーはなかなか実らなかった。その挑戦を受けて立ったのが、WBC同級王座を3度防衛中の八重樫だった。 パンチの組み立て。距離感。防御。ボクシングのクオリティの高さを見せつけられながら、八重樫は打ち合った。ロマゴン相手の善戦に観衆も沸いた。だが――。「周りが騒いでいるほど当たってないんですよ。柔らかいものを打っているような感じ。それが逆に怖かったりもして」 もとより「逃げ回って判定」の選択肢は持ち合わせていなかった。「戦前から、片道燃料で突っ込んでいくしかないだろう、と思ってました。戦争の話をしてるみたいですけど」 勝機が見えた瞬間は「全然ない」。第9ラウンド、セコンドから「玉砕してこい」と送り出され、事実、玉砕した。 24戦目で初のKO負けだったが、勇敢なファイトは八重樫のプロボクサーとしての評価をむしろ高めたと言っていい。なればこそ、わずか3カ月後には再起の機会が世界戦の舞台に設けられた。引退もちらついた屈辱的なKO負け 空位のWBC世界ライトフライ級王座を、同級1位のメキシカン、ペドロ・ゲバラと争った。徐々に優位に立ったのはゲバラだ。動きが鈍り始めた八重樫に、第7ラウンド、左のボディブローを突き刺した。 一拍置いて、わき腹を猛烈な痛みが襲う。四つん這いになり、悶絶し、その状態のままテンカウントを聞いた。「顔で意識を飛ばされるならまだしも、お腹で倒れて。恥ずかしかった」 屈辱に塗れたKO負け。ロマゴン戦ほどの話題性も評価の材料もなかった。 現役続行と引退を秤にかけた。結果、前者の側に傾いたのは、敗北の原因が明確に見えたからだ。「(計量後の)リカバリーミスなんです。フライ級の時と同じようにすれば元に戻ると思っていたのに、そうはならなくて、試合当日のコンディションがよくなかった。自分の失敗だって完全にわかってるんだから、これを修正したらまた違う結果になるんじゃないか。その思いは拭えなかった」 2戦連続のKO負けから歩み直すと決めた八重樫は1年後、再びライトフライ級で世界戦に臨み、王者からベルトを奪う。 2度の防衛を経て、次戦の相手はフィリピンのミラン・メリンドに決まった。暫定王者との統一戦という形ではあったが、八重樫の勝利は固いと見る向きが多かった。 だが、正規王者はあっけなく負ける。試合開始のゴングから3分ともたなかった。「KO負けって、出し切らないまま終わるパターンが多い」 今度こそ、天秤は揺れに揺れた。敗戦直後の悔しさに駆られて練習を始めたが、やがて熱は冷め、ジムに姿を見せなくなった。 そうしてゆうに半年以上が過ぎ去ったころ、八重樫は戻ってきた。 なぜか。ひとつには、初回KO負けという結果がそうさせた。「KO負けって、出し切らないまま終わるパターンが多いと思うんです」 メリンド戦にすべてを出し尽くせたかといえば、答えはノーだ。12ラウンドの戦いを見据えた準備の1割も生かせず、時が経てば「勝って当然」の空気に油断があったと思い当たった。 遡れば井岡一翔との激闘で顔と名前を売り、ロマゴンとは真っ向から打ち合って、負けてなお八重樫は評価を高めてきた。そうしたキャリアのせいだろう、いつからかこんな思考が形成された。「『八重樫は負けてもおもしろい試合をする。だから次もがんばれ』って言ってくれる人が多かった。その人たちに『ああ、あいつはもうダメだよ』って言われたら、自分自身の価値はなくなってしまう」 ボディ一発でリングマットに沈められたゲバラ戦、1ラウンド終了のゴングすら聞けなかったメリンド戦のKO負けで、八重樫の価値はずいぶん薄れた。ロジックのうえでは、決断すべきタイミングだった。屁理屈すらひねり出せない“完膚なき負け”まで それでも復帰を選んだ根底の理由は「ボクシングが好きだから」。ただ、さすがにそれだけでは虫が良すぎると八重樫は考え、周囲を納得させる理由をつけた。メリンド戦では、もろさを露呈した負け方ゆえ「もう壊れている」との評にさらされたが、それを逆手に取ることにした。「そういう人たちを黙らせたい。また1ラウンドでポコンと倒れるのを見てから言ってくれ、と。屁理屈ですけどね」 プロボクサーでいられる時間は残り少ない。そう悟っているからこそ、八重樫はわがままになった。これまで大事としてきた自らの商品価値をあえて小事とした。「天邪鬼な性格だから」と多少の強引さを承知のうえで現役生活を引き延ばし、そこに、自分のために戦う余地を用意した。「いつまで経っても辞められないじゃないかと思われるかもしれないけど、線引きは自分でする。それがプロとしての最後の仕事だと思ってます。どんなふうになっても、最後は転んでゴールすると思いますよ」 屁理屈すらひねり出せない完膚なき負けが終焉の合図だ。ただ倒されただけでは、この偏屈な男の心は折れない。
Sep 24, 2020
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https://www.kahoku.co.jp/column/kahokusyunju/20200922_01.html河北新報トップコラム 2020年09月22日火曜日河北春秋 何発もパンチをもらい、まぶたを大きく腫らしながらも、懸命に立ち向かっていく姿が目に焼き付く。プロボクシングの元世界3階級制覇王者、北上市出身の八重樫東(あきら)選手(37)。9月1日、15年にわたる現役生活に終止符を打った▼一番の思い出に挙げたのは2014年のローマン・ゴンザレス戦。あまりの強さに誰もが対戦を避ける中、王者として受けて立った。命の危険を感じ、生命保険の額を上げて臨んだ覚悟の一戦だったという▼結果は9回TKO負け。だが、試合が終わっても大声援は収まらなかった。打たれたら打ち返す、彼らしさを貫いたからだ。試合後の言葉にもぐっときた。「自分の試合を見たいという人がいる限り、何度でも立ち上がる」▼12年の井岡一翔(かずと)戦もボクシング史に残る名勝負。世界初挑戦から4年、ようやく手にしたタイトルだというのに、初防衛戦として他団体王者との統一戦に挑んだ。壮絶な闘いの末に判定で敗れたものの、強さを求める真っすぐな姿勢がファンを引き付けた▼「逃げない、投げない、諦めない」。心に刻んだ言葉は最後まで色あせなかった。世界戦8勝6敗。「誇れるのは、世界王者になれたことではなく、負けても立ち上がってきたこと」。記録にも記憶にも残る「激闘王」がリングを下りた。(2020.9.2の記事)
Sep 23, 2020
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https://www.bbm-japan.com/boxing/17393421ボクシング・マガジン編集部 2020-09-17【ボクシング】「現役でなくなっても、なくならなかった」記録にも記憶にも残る男・八重樫東、引退── 競技歴20年超。プロ生活15年。世界3階級制覇という偉大な記録を成し遂げただけでなく、数々の熱戦、激戦を繰り広げ、日本ボクシング史に永遠に語り継がれる漢となった八重樫東(37歳)が9月1日、現役引退を発表した。決しておごることなく、ひたすら求道者然として走り続けた姿は、常に感動を呼び、そして誰からも愛された。発売中の『ボクシング・マガジン10月号』では、肌身に染み込んでくるような、引退会見での彼の発言を、そして自身による2パターンのベスト5試合選出、歴戦の思い出を掲載。上写真=それまで身体能力を生かしたアウトボックスで戦ってきた八重樫が、“激闘型”に変貌したのは、最初に世界チャンピオンとなったポンサワン戦からだった。その思い出の後楽園ホールをバックに リモート、オンラインによる会見は約1時間にもおよんだ。1度でも彼に接した記者は、誰もが彼の人柄にも虜になった。それは、彼を応援してきたファン同様だ。代表質問に続き、各社が次から次へと質問を投げかける。彼の口から何かを引き出したい。それだけでなく、記者たちの名残惜しさの表れだったように思う。「代表質問でなにを訊かれるかは事前に聞いていたんですが、答えは敢えて考えないようにしました」。八重樫は後日、こう明かしてくれた。その瞬間に自然とにじみ出てくる想いを語りたかったから──。だから、みんな心をつかまれた。そして、「ありがとう」。口にせずとも、リモートだろうと、そこに集ったメディアの雰囲気は充分に伝わってきた。鮮烈のプロデビューを飾った中垣龍汰朗のチーフトレーナーとなった八重樫は、現役を退いても自らのトレーニングを続けていくという「どの試合にも思い入れがあるので……」としみじみと振り返った八重樫だが、一般ファン向けの世界タイトルマッチベスト5に加え、極私的ベスト5を選出。独白というかたちで構成した。「これ(現役生活)がなくなったら、何もなくなってしまうって思ってた。けど、なくなっても、なくならなかった」『懸命に悔いなく』。ひとつたりとも妥協せず、その瞬間瞬間を燃やし尽くしてきた彼だからこそ──。八重樫のボクシング道は、まだまだ続いてゆく
Sep 22, 2020
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https://bunshun.jp/articles/-/40178文春オンライン 週刊文春 2020年9月17日号「人間ってこれだけ変われるのか」 八重樫東、“戦績以上に記憶に残るボクサー”の凄み“激闘王”と称されたボクシングの元世界3階級制覇王者・八重樫東(あきら)(37)が9月1日、引退を発表した。「所属する大橋ジムの大橋秀行会長が『負けた試合の方が歓声が多かった』と話してましたが、被弾上等の逃げない姿勢がファンの心に響き、『俺も明日、頑張らないと』と思わせてくれた稀有なボクサーでしたね」(ボクシング記者) その大橋会長に思い出深い1戦を聞くと、2014年9月、ローマン・ゴンサレスとのWBC世界フライ級防衛戦を挙げた。当時のロマゴンは39戦39勝33KOで軽量級最強と恐れられた怪物だった。「インターバルの間、観客が涙ぐんでいて、見たことのない雰囲気でね。ダウンを喫した後のインターバルで『次、思い切り行け。ダメなら止めるから』と告げたら、腫れ上がった顔で笑いながら『はい! 楽しいです』と。そんな八重樫に対して相手が怯んでるのが分かりました」(大橋会長)ロマゴンのパンチに立ち向かう八重樫 ©共同通信社 壮絶な打ち合いの末、八重樫は9回2分24秒で初のKO負けを喫した。「勝った瞬間にロマゴンが号泣し、まるで八重樫が勝ったような大歓声が沸いたのが印象的でした」(同前) ロマゴンの挑戦を受けたこと自体が八重樫というボクサーを象徴していた。前年には井岡一翔にWBAから対戦指令が出たが、「準備期間が短い」と陣営側が拒否。しかし八重樫は二つ返事で「やります」と答えた。「興行であり、王座を防衛することでファイトマネーが上がるプロボクシングでは、強い選手との対戦を『メリットがない』と避けるのは珍しくないこと。八重樫は、そんな大人の理屈を感じさせないボクサーでした」(スポーツ紙デスク)八重樫が「妥協しない練習」をするようになったある出来事 引退会見で「常に納得できる練習をしていたから、諦めない心を作ってこられた」と語った八重樫。「今年2月に会長から引退勧告されて受け入れたはずなのに、7月頃にもジムでムチャクチャ練習してたんです(笑)。最後の試合になった去年12月の敗戦翌日も練習してて、『何やってんだ。休め!』と会長から止められてました。そういう選手です」(前出・記者) 大橋会長に言わせると、「デビュー当時はフツーのボクサーでした」。それが、試合で顎を2カ所骨折して入院したことと、かつての対戦相手がその後の試合中に意識不明となり、後に亡くなるという出来事を経て、「妥協しない練習をする、ボクサーの鑑になった。16年、間近で見てきて、人間ってこれだけ変われるのかと思いましたね」(同前) 35戦28勝(16KO)7敗の戦績以上に、記憶に残るボクサーだった八重樫。今後は後輩を育てる立場になるという。
Sep 19, 2020
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https://www.47club.jp/06M-000082tqk/goods/detail/10145423/47clubメッセージを送ろう不屈の激闘王に岩手から心からの感謝を贈ろう ありがとう八重樫東 【直筆サイン入り生写真付き】先日9月1日、現役引退を表明した世界3階級を制覇した「不屈の激闘王」八重樫東さん。わたしたち岩手県民は、八重樫さんの挑み続ける姿に、倒れても、敗れても、何度でも立ち上がるその「不屈」の精神に、勝敗を超えた「不屈」の岩手県民の誇りを見ました。数々の困難にも負けず、震災の悲しみからも立ち上がり、歩み続ける「不屈」の岩手県民。その象徴としての希代の名ボクサー「八重樫東」。その勇敢な姿に、わたしたちは前へと進む勇気をもらい、そして不死鳥のようなその姿に、心を震わせました。…後援会のみなさまの応援ありがとうございました。地元北上市、岩手・宮城・秋田・、青森・北海道・福島・山形、そして東京・横浜・神奈川・埼玉・千葉・茨城・群馬・新潟・静岡・兵庫・大阪・四国・九州・沖縄、(全国のみなさまに応援していただきました)ありがとうございます。「八重樫東選手後援会会報」は今作成中です。岩手日報が会見当日の号外、翌日の紙面は1面他複数面掲載されました。ありがとうございました。今回のメッセージ企画は「岩手日報」さんからの企画提案があり「八重樫東選手後援会」とタイアップで進めることとなりました。もしよろしければ、メーセージをお願い致します。八重樫東選手の全国フアンのみなさま、八重樫東選手後援会員のみなさま、そして地元岩手のみなさまもよろしくお願いいたします。
Sep 18, 2020
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岩手日報 2020.9.6(日)風土計 日本ボクシング史上最強とうたわれた元世界王者ファイティング原田さん最大の敵は減量だった。水をロにしないよう、水道の元栓を閉められたという逸話がその過酷さを物語る▼それとは逆に先日、引退を表明した八重樫東さん(北上出身)は黒沢尻工高入学当初、軽すぎて困ったといつ。背丈は160センチに満たず、体重はアマ最軽量のモスキート級でも下限に届かない30キロ台▼友達に誘われ、ボクシング部の門をたたくと「おまえたちには無理だ」。当時指導した辰柳祐司さん(黒沢尻工高教)はあえて厳しい言葉をけた。ただ「小学生のように」小さく細い八重樫さんに対しては半分、本音だったと明かす▼それが世界3階級制覇を遂げる。その栄光以上に負けても果敢に打ち合い、怖がらず、逃げないスタイルがファンを魅了した。試合後、大きく腫れた両まぶたがその証しだった▼コロナの影響で4月、県校総体の中止が決まると、辰柳さんが珍しく弱音を吐いた。「もういいや」。 地元インターハイに向け、汗水流した3年生の努力がフイになり嫌気がさした▼間もなく 教え子から電話があった。「1、2年生が いるじゃないですか」。諦めたら終わり。 何度倒されても立ち上がればいい。不屈の激闘王のファイトに勇気を得た人は多かっ ただろう。それだけに引退が惜しまれる。 (※今日の日報の1面には菊池雄星選手・大谷翔平選手も載っていした。)
Sep 6, 2020
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https://twitter.com/serishunya/status/1301999783272476672せりしゅんや / Shunya SeriさんのTwitter 午前6:45 · 2020年9月5日@serishunyaこの写真も16年も前の関東大学リーグ戦会場。自分がアマチュアボクシングを追う初期の重要人物だった八重樫東さんがプロボクサーをとうとう引退されました。拓殖大学時代は距離を取るサウスポーにとことん弱かったけど、プロの世界王座を3階級制覇する過程でそれも完全克服!やえちゃん、お疲れさま☕八重樫東@yaegashi0225@serishunyaさんせりさんありがとうございます!またよろしくお願いします!
Sep 5, 2020
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https://www.nikkansports.com/battle/news/202009050000157.html日刊スポーツ 2020年9月5日13時0分全力で相乗効果も…松本トレーナー語る八重樫の強さ<ボクシング、「激闘王」八重樫東を語る~4>元世界3階級王者・八重樫東(37)が現役引退を発表した。激しく打ち合うスタイルから「激闘王」と呼ばれた名王者を、選手、関係者、歴代担当記者などが語ります。デビューから15年間コンビを組んできた、元東洋太平洋フェザー級王者の松本好二トレーナー(50)は、類い希な精神力の強さが、世界王者につながったと振り返りました。 ◇ ◇ 世界の舞台で、これだけ長く一緒に戦ってこられたのは、僕にとっても最高の財産です。あらためて思い返してみると、大橋ジムに入ってきた時は、今のように、「とことん頑張る」というタイプの選手ではなかったんです。それが川嶋(勝重)の練習への姿勢を見たり、後輩に(井上)尚弥が入ってきたりする中で、どんどん良い方に変わっていきました。尚弥は、階級も近く、比較もされますし、「自分」を持っていない選手だったら、気持ち的にもぶれる環境だったと思いますが、八重樫は最後までぶれなかったですね。激しい打ち合いの連続で、身内からしたらハラハラする選手でしたが、無事に引退を迎えられて、寂しい半面、トレーナーとしても、キャリアをまっとうさせてあげられたのかなという自負もあるます。忘れられないのは、日本王者時代ですね。けがの連続で、万全の状態でリングに立つことがほとんどできませんでした。実際、会長は「引退」も考えていましたし、2度目の防衛戦の初回にダウンした時は、「厳しいかな」と思いました。でも、その試合を逆転で勝ちきって、そこから、吹っ切れたように世界が近づいていった感じがします。八重樫の練習を受けるのは、こちらも真剣勝負です。普通の選手は、トレーナーとのミット打ちは、だいたい1日に3~4ラウンド程度なのですが、八重樫は多いときは、10ラウンドを超えます。僕も体力的に相当きついですが、八重樫がすべてのラウンドを全力でくるから、こっちも、少しでも良いコンディションにしてあげたいと、相乗効果が生まれるんです。その姿勢は、世界王者になっても変わらなかったですね。八重樫のボクシングへの向き合い方は、後輩ボクサーの手本になると思います。負けても一生懸命頑張ればチャンスがくるんだというのを背中で示してくれましたし、試合の結果がすべてではないということを伝えてくれました。世界王座を取ったポンサワン戦の前に、実は別の世界王者に挑戦する話がほぼ決まっていたんですが、東日本大震災で試合が流れてしまったんです。僕も現役時代に世界に3度挑戦させてもらっていますし、何年も待ってつかみかけたチャンスですから、その悔しさは分かります。なので、会長に「1週間ぐらい休ませたい」とお願いし、リフレッシュするように八重樫に伝えたんです。ところが、「他にやることがないんで、練習してもいいですか?」と言ってきました。自分の現役時代と比較し、「こういうやつが世界王者になるんだろう」と、その時に思いました。いろんな激闘がありましたが、やはりロマゴン(ローマン・ゴンサレス)戦は特別でした。前半は足をつかう作戦だったんですが、1ラウンドを終えてコーナーに戻ってくると、八重樫が「打ち合いたいです」と言ってきたのです。わずか60秒のインターバルですから、長く話すことはできませんし、相手と向き合って八重樫が感じた「風」が正解なんだと僕も覚悟を決めました。「行くのか?」「行きます!」「止めてもいくんだろ?」「はい!」。そんな短い会話をかわした、八重樫は楽しそうな笑顔でした。そのシーンが写真で残っていて、それは僕にとっても特別な1枚ですね。その試合で結果(9回TKO負け)は残せませんでしたが、世界戦が決まれば、2人で作戦を立てて、何カ月も前から、その日に向かって作りあげていきます。八重樫が世界を獲って以降は、「俺は教える立場かもしれないが、ずっと一緒に戦ってきた同士だと思っている」と言ってきました。あらためて、15年間、ありがとう、お疲れさまと伝えたいですね。これからは、八重樫の持っているトレーニング方法や減量の知識を1人でも多くの後輩に伝えていってほしいですね。
Sep 5, 2020
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https://www.daily.co.jp/ring/2020/09/01/0013655671.shtmlデイリースポーツ 2020.09.01“激闘王”元3階級制覇王者・八重樫東が引退「誇れることは負けても立ち上がってきたこと」 ボクシングの元世界3階級制覇王者の八重樫東(37)が1日、オンライン上で会見を開き、この日で引退することを発表した。今後は現在手がけている飲食店などの事業、評論家、タレントのほか、大橋ジムのトレーナーとしても活動していく。 “激闘王”と呼ばれた不屈の男が、04年9月1日に大橋ジム入りしてからちょうど16年がたった日、ボクサー生活にピリオドを打った。昨年12月にIBF世界フライ級王者モルティ・ムザラネ(南アフリカ)に敗れたのが最後の試合となった八重樫。引退の考えを固めたのは今年の2月25日だった。「体力に限界を感じた訳ではない」と話しながらも、所属ジムの大橋会長、松本トレーナーとともにキャリアを築いてきたことで「自分一人で現役を続けることはできない」と考え、大橋会長に「やる気はありますが、チャンスがないのなら引退しようと思っています」と伝えたところ、「もういいんじゃないか」と言われ、受け入れたと説明した。 28勝(16KO)し、WBA世界ミニマム級。WBC世界フライ級。IBF世界ライトフライ級の王座を手に入れた輝かしい戦績を残す一方で、7つも敗北を喫している。恐れることなく強敵に真っ向勝負を挑み、何度敗れてもはい上がることで、“激闘王”と呼ばれるようになった。八重樫は「打ちつ打たれつボクシングなのでボクシング的にはあまりいい物ではないかも知れないですが、すごく親しみのあるニックネーム。激闘王という言葉はこれからも自分の宝物」と大いに気に入っている。 最も印象に残っている試合は、14年9月の、後に4階級制覇を達成するローマン・ゴンサレス(ニカラグア)戦。WBC世界フライ級王者として挑戦を受け、打たれても前に出る壮絶ファイトを繰り広げて9回TKO負けに終わったが、「あんな楽しい試合はなかった」と振り返った。 だが、3人の子どもの話になると、こみ上げるものを抑えきれず。何度も声を詰まらせながらも「あいつらがいなかったら世界チャンピオンになっていなかった。ローマン・ゴンサレスと試合が決まったときも、こいつらのために生きて帰るんだと思って命をかけて試合をして、負けましたけど、あんな風にファイトできたのは3人の力だと思っています」と感謝した。 ボクシング生活に悔いはないかと問われると、「はい。十分すぎるものをいただきました」と返答。日本人2人目の4階級制覇はかなわなかったが「希望していましたが、そこまで執着していなかった。自分が現役を続ける理由として掲げていたので」と未練はない。 最後は「引退しても大橋ジムの八重樫東として生きていきたいと思っていますし、みんなに恩返しをすべく活動していきたいと思っています。7回も負けているんですけど、ボクが誇れることは、世界チャンピオンになったことではなくて、負けても立ち上がってきたことだと思っています。だから、ボクシングじゃなくても、仕事でも、勉強でも何度負けても立ち上がることが大事なんだよということが伝わればいい」と今後への決意を表明した。https://www.daily.co.jp/ring/2020/09/01/0013655035.shtmlデイリースポーツ 2020.09.01ボクシングの八重樫が現役引退世界3階級制覇 ボクシングで世界3階級制覇した八重樫東(37)が1日、オンラインで記者会見し、現役引退を表明した。「決して体力の限界を感じたわけではないが、自分一人で現役を続けることはできない。(大橋秀行)会長に『もういいのでは』と言われて受け入れた」と説明した。今後は大橋ジムでトレーナーを務める。 岩手県出身の八重樫は拓大を経て2005年3月にプロデビュー。11年に世界ボクシング協会(WBA)ミニマム級、13年に世界ボクシング評議会(WBC)フライ級、15年に国際ボクシング連盟(IBF)ライトフライ級で王座奪取に成功。日本選手3人目(当時)となる3階級制覇を果たした。
Sep 3, 2020
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https://hochi.news/articles/20200902-OHT1T50273.htmlスポーツ報知 2020年9月2日 22時39分現役引退の八重樫東氏がオンラインサロン開設 “激闘王”の第2章スタート プロボクシングの元世界3階級制覇王者で1日に現役を引退した八重樫東氏(37)が2日、ボクシングファンのためのオンラインサロン(gekitoo.com)を開設した。同日、八重樫氏がトレーナーを務める大橋ジムの大橋秀行会長が明らかにした。 「八重樫東オンラインサロン 激闘王」で、八重樫氏は「様々な角度から見たボクシングのすばらしさや奥深さ」を伝えたいと企画した。これまでのキャリアや生活の中で思ったことや、ディテールにこだわった技術解説などを、同氏が「激闘王の考え」として投稿した記事を読めたり、毎週水曜日(予定)にこのサロンでしか見られない動画を配信する。また、不定期ながら、同氏や会員同士の交流を目的としたイベントを行う予定。激闘王が生解説する試合観戦イベントやゲストを招いてトークショーなども企画するという。 「LIVE配信を使って皆さまと交流する機会をたくさん作っていきますので、質問やこんな事やってほしい! とか、一緒にこんな事やりたい!というご意見もお待ちしています」と呼びかけていた。会費は月3300円(税込み)。 また、この日、ジムの後輩らボクシング関係者はSNSなどで、引退した八重樫氏をねぎらうコメントを寄せた。WBA・IBF世界バンタム級統一王者・井上尚弥と前WBC世界同級暫定王者で弟の拓真はそれぞれツイッターなどで、ツーショット写真とともに「15年間の現役生活本当にお疲れ様でした!」とアップした。https://hochi.news/articles/20200901-OHT1T50357.htmlスポーツ報知 2020年9月2日 6時0分八重樫東、負けても輝く男…元担当記者の証言 プロボクシングで世界3階級制覇を果たした八重樫東(あきら、37)=大橋=が1日、現役引退を表明した。オンラインで記者会見し、「ボクシング人生に悔いはありません」と語り、家族の話に及ぶと声を詰まらせた。けがとの苦闘を乗り越え、倒されても果敢に挑む姿から「激闘王」の異名を取り、同門のWBA・IBF世界バンタム級統一王者・井上尚弥らにも大きな影響を与えた。今後は飲食店経営、テレビ解説者のほか、大橋ジムのトレーナーとして後進の指導に当たる。 * * * 逃げない男だった。八重樫は11年10月にプロ17戦目でWBA世界ミニマム級王座をTKOで制した瞬間、キャンバスに大の字になり喜んだ。苦労して得たチャンピオンベルトは一日でも長く手元に置いておきたいもの。ところが翌12年6月に行われた戴冠後初の試合は、先に同じミニマム級で君臨していたWBC王者の井岡一翔との統一戦だった。 初防衛戦に相当する試合が王者対決とは、あまりに過酷と思えた。それでも「井岡君の方が重圧はあるのでは。自分はむしろ楽しめる」と言ってのけた姿が頼もしかった。大一番は激しい打撃戦の末、小差の判定負け。両まぶたを大きく腫らし、世界タイトルを1試合で失いながらも、あの時の八重樫には勝者然とした輝きがあった。 フライ級王者時代には、「軽量級最強」といわれた怪物、ローマン・ゴンサレスの挑戦を「負けることに恐怖心はない」と堂々と受けた。強打を浴びて壮絶に散っても「八重樫株」が下がったとは思わなかった。 イーグル京和にあごの骨を砕かれて始まった八重樫の世界王者への歩み。3階級制覇の偉業以上に、怖がらず、めげずに突き進む姿勢は、やはりオンリーワンなボクサーだった。https://hochi.news/articles/20200902-OHT1T50026.htmlスポーツ報知 2020年9月2日 6時0分八重樫東引退…内山高志氏、佐藤洋太氏ら元世界王者がねぎらった プロボクシングで世界3階級制覇を果たした八重樫東(あきら、37)=大橋=が1日、オンラインで記者会見し、現役引退を表明した。八重樫にゆかりの深い人々がねぎらいの言葉を贈った。 八重樫の母校・拓大で所属したボクシング部の先輩にあたる元WBA世界スーパーフェザー級スーパー王者・内山高志氏(40)は「ズタボロになりながらここまで良く頑張ったと思う。現役時代はあいつの試合を見て、俺も負けられないと気持ちを入れてくれた」と振り返り、「後輩だけども一人のボクサーとして尊敬できる選手だった」と話した。 八重樫と同郷の岩手県出身で、元WBC世界スーパーフライ級王者・佐藤洋太氏(36)は「体の心配をしていたので、ちょっとホッとした面と寂しく思う面もあります」と複雑な胸中を明かした。自身は2013年に引退したが、長らく第一線で奮闘していた八重樫を「高校時代からずっと世界を追ってきた先輩でもありました。自分の世界戦の時にはスパーリングの相手も務めて下さり、感謝しかないです」と懐かしそうに語った。 そして、長年トレーナーと選手の関係でタッグを組んできた大橋ジムの松本好二トレーナー(50)は会見に同席し、「世界王者になる前からケガの連続で辞めた方がいいと思ったこともあった。頑張ってチャンピオンになってくれてトレーナーとして全うできた」と改めてまな弟子に感謝を伝えた。https://hochi.news/articles/20200901-OHT1T50354.htmlスポーツ報知 2020年9月2日 6時0分八重樫東「転ぶ時もあれば休む時もある。それでいい」…一問一答 プロボクシングで世界3階級制覇を果たした八重樫東(あきら、37)=大橋=が1日、現役引退を表明した。オンラインで記者会見し、「ボクシング人生に悔いはありません」と語り、家族の話に及ぶと声を詰まらせた。けがとの苦闘を乗り越え、倒されても果敢に挑む姿から「激闘王」の異名を取り、同門のWBA・IBF世界バンタム級統一王者・井上尚弥らにも大きな影響を与えた。今後は飲食店経営、テレビ解説者のほか、大橋ジムのトレーナーとして後進の指導に当たる。 ◆八重樫に聞く ―引退表明の心境は。 「チャンスがないのであれば、やめるしかない。一生懸命にボクシングができたことを誇りに思う」 ―3階級制覇を果たした。 「強い相手に勝ちたいという気持ちが一番の理由。それに3階級制覇がついてきた」 ―「激闘王」の愛称は? 「大好きです。打ちつ打たれつのボクシングで、すごく親しみのあるニックネーム。かけがえのないもの」 ―まさに激闘続きのボクシング人生だった。 「常に前を向いてやることが最善と思い、明日がいい日になればと思って進んできた。人間だから転ぶ時もあれば休む時もある。それでいい。たくさんの人の協力があって、長いマラソンを五体満足で完走できた」 ―今後はトレーナーとして後進の指導に当たる。 「恩返しをしていきたい。自分の知識を生かしたい」https://hochi.news/articles/20200901-OHT1T50165.htmlスポーツ報知 2020年9月1日 15時13分元世界3階級王者・八重樫東が現役引退 「ボクシング人生に悔いない」 今後は後進の指導にも尽力 プロボクシング元世界3階級制覇王者・八重樫東(あきら、37)=大橋=が1日、横浜市の所属ジムからリモートでの記者会見を開き、現役引退を表明した。今後は飲食店経営、解説者のほか、同ジムのトレーナーとして後進の指導に当たる。 「たくさんのファンの方々の応援を受けて、ボクシングができました。決して体力の限界を感じたわけではない」と話した八重樫は、同席した大橋会長、松本好二トレーナーらと話し合った末に決断。ジムに入門した9月1日(2004年)を選んで引退を発表した。 「会長に言われなければ、続けていましたよ」と笑ったが、「ボクシング人生に悔いはありません」とキッパリ。「ボクシングは八重樫東の人生をすごく豊かにしてくれました」 八重樫は岩手・北上市出身。黒沢尻工―拓大と進み、アマチュア戦績は56勝(15KO・RSC)14敗。05年3月、プロデビュー。06年4月に東洋太平洋ミニマム級王座を獲得したが、常にケガとのたたかいだったという。だが、周囲の励ましで、その後世界3階級制覇を実現したが、話が家族におよぶと声を震わせる場面も。息子に「負けると思ったら負ける。勝つと思ったら勝つ、と励ましてくれた」というエピソードも披露した。 今後は大橋ジムのトレーナーとして8月のデビュー戦で勝利した「アマ8冠」中垣龍汰朗らを担当。さらにパーソナルトレーナーとしての活動も10月から行うという。「大橋ジムにはすごい後輩がたくさんいるし、井上尚弥という宝もいる。応援していきたい」と決意を示した。
Sep 3, 2020
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https://www.sanspo.com/sports/news/20200902/box20090223320004-n1.htmlサンスポ 2020.9.2 23:321日に引退した八重樫東氏がオンラインサロン「激闘王」を開設 プロボクシング元世界3階級制覇王者で、1日に現役引退を表明した大橋ジムトレーナーの八重樫東氏(37)が2日、オンラインサロン「激闘王」を開設した。同ジムが発表した。 八重樫氏は自身のSNSで「ボクシングを通して学んできたメンタリティーやボクシングの魅力、奥深さ、技術をファンのみなさまと共有できる完全オリジナルの、楽しいコミュニティーの場を提供していきたいと思います!」とコメントした。 月額3300円(税込み)で会員になれば、独自の記事を読むことができ、オリジナル動画を視聴できるほか、イベントやトークショーなどに参加できる。詳細はhttps://gekitoo.com/を参照。https://www.sanspo.com/sports/news/20200901/box20090115420001-n1.htmlサンスポ 2020.9.1 15:423階級制覇の八重樫東が現役引退「一人では続けられない」/BOX ボクシングで世界3階級制覇した八重樫東(37)=大橋=が1日、オンラインで記者会見し、現役引退を表明した。2月に大橋秀行会長から受けた引退勧告に従ったそうで「決して体力の限界を感じたわけではないが、自分一人で現役を続けることはできない。悔いはない」と話し、家族の話になると涙ぐんだ。今後は大橋ジムでトレーナーを務める。 岩手県出身の八重樫は拓大を経て2005年3月にプロデビュー。11年に世界ボクシング協会(WBA)ミニマム級、13年に世界ボクシング評議会(WBC)フライ級、15年に国際ボクシング連盟(IBF)ライトフライ級で王座奪取に成功。日本選手3人目(当時)となる3階級制覇を果たした。果敢に打ち合う戦法から「激闘王」と呼ばれ、昨年12月にIBFフライ級王者に敗れたのが最後の試合となった。 井岡一翔(Ambition)とのミニマム級2団体統一戦、一番の思い出に挙げた世界的強豪ローマン・ゴンサレス(ニカラグア)戦は、ともに敗れながら名勝負と評価され「強い相手に勝ちたいという気持ちが一番大事。負けても立ち上がってこられたことを誇りに思う」と語った。通算成績は35戦28勝(16KO)7敗。
Sep 3, 2020
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https://www.chunichi.co.jp/article/113763中スポ 2020年9月1日 19時55分現役引退の八重樫東、実は1カ月前からトレーナーに アマ8冠・中垣龍汰朗のチーフで「世界チャンピオンになれるよう指導したい」 ボクシング元世界3階級制覇王者の八重樫東(37)=大橋=が1日、現役引退を発表した。八重樫は今後、トレーナーとして8月24日にデビューしたばかりの大橋ジムのホープ、中垣龍汰朗(20)のチーフにつく。アマ8冠の20歳と元世界3階級制覇の豪華コンビは、実は発表の約1カ月前から始動済みだ。 「自分の長所に、八重樫さんの経験を生かしてプラスアルファを加えてくれる。イメージもしやすくて、本当にありがたいです」と中垣。 八重樫も「中垣はものすごいポテンシャルのある選手。世界チャンピオンになれるようしっかり指導したいと思います」と、気合を入れる。激闘王の次の目標は一番弟子の世界奪取だ。https://www.chunichi.co.jp/article/113774中スポ 2020年9月1日 20時06分‘’激闘王‘’八重樫東がついにグローブを置く「やれと言われれば全然やれるが、2月に大橋会長と相談し…」日本人3人目の世界3階級制覇 ボクシング元世界3階級制覇王者の八重樫東(37)=大橋=が1日、所属ジムでオンライン会見し現役引退を発表した。今後はテレビ解説、飲食店経営などに加え同ジムでトレーナーを務める。 「ここまで続けてこられたのはファンの応援や周りの方々の支えがあってこそ。体力の限界を感じてではなく、やれと言われれば全然やれるが、2月に大橋会長と相談し『もういいんじゃないか』という言葉を受けて引退の決意が固まった。これからは、後輩たちの指導を通じてボクシングに恩返しをしていきたいと思います」 世界戦だけで6敗を経験。だが、当時世界最強をうたわれたロマゴンことローマン・ゴンザレス(ニカラグア、帝拳)や井岡一翔(現WBOスーパーフライ級王者、Ambition)との死力を尽くす戦いは、敗れながらも「激闘王」と呼ばれ、ファンの心をつかんだ。 「僕が誇れることは世界チャンピオンになったことではなく、負けても立ち上がってきたことだと思う」と八重樫。家族や子供たちの支えに感謝して涙がこみあげる場面もあったが「十分すぎるボクシング人生でした」と、最後は第二の人生へ向けて笑顔を見せた。https://www.chunichi.co.jp/article/114383中スポ 2020年9月2日 21時32分現役引退の元世界3階級王者、八重樫東さん オンラインサロンを開設 ボクシングの元世界3階級王者で、1日に現役引退を発表した八重樫東さん(37)が、2日にオンラインサロンを開設した。 現役時代から所属し、現在もトレーナーを務める大橋ジムが2日に発表した。 記事や動画を配信するほか、オフ会やライブ配信も行う予定だという。URLはhttps://gekitoo.com/
Sep 3, 2020
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https://www.tokyo-sports.co.jp/fight/boxing/2134125/東スポ 2020年09月01日 15時38分3階級制覇王者の〝激闘王〟八重樫東が引退を発表 ボクシングの元世界3階級制覇王者の八重樫東(37=大橋)が1日にオンライン会見を行い、現役引退を発表した。 2004年9月1日にジムに入門したのに合わせて行われた会見で八重樫は「本日をもって引退します。ボクシングが僕の人生を豊かにしてくれた。感謝してもしきれない思いでいっぱいです」とコメント。 同席した大橋秀行会長(55)は「長いようで短い、とても中身の濃い16年間だった。井上尚弥ら若い選手がその背中を見て、教えてもらった大事なものがあると思います」と〝激闘王〟と呼ばれた八重樫がジムメートに与えた影響の大きさを語った。 拓殖大を卒業後、2005年3月にプロデビューした八重樫は、11年10月に2度目の挑戦でWBAミニマム級王座を獲得して世界王者に。翌年6月にはWBC同級王者の井岡一翔(31=当時の所属は井岡)と日本初の団体間王座統一戦を行った。 結果は判定負けで王座から陥落したものの、13年4月にはWBCフライ級王座を獲得。15年12月にはIBFスーパーフライ級王座を獲得して3階級制覇を達成した。 現役最後の戦いとなったのは、昨年12月23日にIBF世界フライ級王者のモルティ・ムザラネ(37=南アフリカ)に挑んでTKO負けした試合。 年明けの2月25日には大橋会長から「引退勧告」をされていたものの、その後の新型コロナウイルスの影響などで、この日の発表となった。 今後は大橋ジムでトレーナーを務めながらテレビ解説などを行う予定だ。https://www.tokyo-sports.co.jp/fight/boxing/2137410/東スポ 2020年09月02日 11時00分元世界3階級制覇王者・八重樫に引退を勧告した大橋会長の親心 ボクシングの元世界3階級制覇王者・八重樫東(37=大橋)が“節目の日”に引退を発表した。「本日(1日)をもって引退します。ボクシングが僕の人生を豊かにしてくれた。感謝してもしきれない」とコメントした一方で「(大橋秀行)会長に言われなければ(現役を)続けていました」と、未練を語る一幕もあった。 大橋会長に引退を勧告されたのは、半年以上前の2月25日のこと。「激闘王」と呼ばれ、どんな不利な状況でも引かないスタイルは感動を与えると同時に、顔が原形をとどめないほどのダメージを負うことも多かった。引退勧告は、3人の子供の父親でセカンドライフに向けて飲食業も始めているだけに、万が一のことがあってはいけないという大橋会長の配慮からだった。 2017年5月にIBF世界ライトフライ級王座を失った後、ノンタイトル戦で3連勝し、昨年12月にIBF世界フライ級王者モルティ・ムザラネ(南アフリカ)に挑むもTKO負け。世界王者に返り咲くには厳しい状況にあった。そんな中で引退勧告を受けた後に大橋会長からジムに入門した(04年)9月1日に引退会見を行う提案があり、八重樫は受け入れたという。 今後はジムでトレーナーを務める。大橋会長が「(WBAスーパー&IBF世界バンタム級統一王者の)井上尚弥(27)ら若い選手がその背中を見て、教えてもらった大事なものがあると思います」と言うように、熱い選手を育てるはずだ。
Sep 3, 2020
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https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2020/09/01/kiji/20200901s00021000237000c.htmlスポニチ 2020年9月1日 14:55 “激闘王”元3階級制覇王者・八重樫が引退表明 プロボクシングの元世界3階級制覇王者・八重樫東(37=大橋)が1日、横浜市内の大橋ジムからオンラインで記者会見を開き、現役引退を表明した。「引退することを決めました。ボクシングには、感謝してもしきれない思いでいっぱい」と話した。プロ通算35戦28勝(16KO)7敗。 昨年12月23日、横浜アリーナで行われたIBF世界フライ級タイトルマッチで王者モルティ・ムザラネ(南アフリカ)に9回TKO負けしたのが最後の試合となった。中盤から得意の打ち合いに持ち込んだが、距離の長いワンツーと左ボディーを効かされ、打たれっぱなしとなってレフェリーストップ。「進退も考えなきゃいけない実感もある」と話していた。大橋ジムの大橋秀行会長から「もういいのではないか」と引退を勧められ、「体力の限界を感じたわけではないが、受け入れた」と明かした。 WBA(世界ボクシング協会)でミニマム級、WBC(世界ボクシング評議会)でフライ級、IBF(国際ボクシング連盟)でライトフライ級と主要3団体で3階級制覇を達成。王座決定戦ではなく、いずれも王者を撃破してベルトを奪った。本来はスピードとテクニックが持ち味ながら、試合後に顔が別人のようにはれ上がるほど打ち合いを演じ、「激闘王」と呼ばれた。ミニマム級時代に当時のWBC王者・井岡一翔(当時井岡)との統一戦に臨んだり、フライ級時代には軽量級で無敵の強さを誇ったローマン・ゴンサレス(ニカラグア、帝拳)の挑戦を受けるなど、敗戦のリスクも恐れずに戦い抜いた。 今後は大橋ジムでトレーナー、テレビ解説者やタレントを務めるほか、パーソナルトレーナー業もスタート。“激闘王”というニックネームについては「大好きです。激闘王という言葉はこれからも宝物になっていく」と語り、1男2女の父として「ロマゴン戦は“子どもたちのためにも生きて帰る”と。あのような試合ができたのは子どもたちの力」と涙ぐんだ。…https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2020/09/02/kiji/20200902s00021000049000c.htmlスポニチ 2020年9月2日 05:30“激闘王”八重樫、引退…37歳「限界感じていない」も勧告受け入れ 今後はマルチに活動 ボクシングの元世界3階級制覇王者、八重樫東(37=大橋)が1日、オンラインで記者会見し、現役引退を表明した。昨年12月にIBF世界フライ級王者モルティ・ムザラネ(南アフリカ)に9回TKO負けしたのが最後の試合となった。プロ通算35戦28勝(16KO)7敗。今後は大橋ジムでトレーナーを務めるほか、解説者やタレント、パーソナルトレーナーとマルチに活動していく。 04年9月1日、大橋ジムに入門した八重樫は16年後の同じ日、プロ生活に終止符を打った。大橋秀行会長から“引退勧告”されたのは今年2月25日。「体力の限界を感じたわけではなく、やれと言われれば全然やれる」自信はあったが、会長の「もういいんじゃないか」の言葉を受け入れて引退を決意。「悔いはないです」。新型コロナウイルス感染拡大の影響でタイミングを逃し、この日の発表となった。 貪欲に取り組んだ豊富な練習が不屈の男の支えだった。世界3階級制覇という偉業を達成する一方で、井岡一翔やローマン・ゴンサレスと死闘を演じ、世界戦だけで6敗を経験。「困難を乗り越えようと思っていたわけではない。自分を信じていただけ。僕が誇れることは世界王者になったことではなく、負けても立ち上がってきたこと」と胸を張った。 本来はスピードとテクニックが持ち味ながら試合後に顔が別人のように腫れ上がるほど打ち合った「激闘王」。穏やかな表情で会見に臨んだが、3人の子供の話題になると声を詰まらせ涙した。 「ロマゴンと試合が決まった時も“こいつらのために生きて帰るんだ”と思って命を懸けて試合をして…負けましたけど、あんなファイトできたのは子供たち3人の力だと思っています」 今後は自らの肉体を“実験台”として培ったトレーニング法や減量法など豊富な知識と経験を後輩に伝えていく。「自分にとってのボクシングは人生を豊かにしてくれたもの。これからもボクシングに関わり、恩返ししていきたい」と次の人生を思い描いた。 ▼大橋秀行会長 とても中身の濃い15年間でした。3階級制覇したこともそうだけど、八重樫のボクシングに対する姿勢は後輩たちに大切なものを残してくれた。今後は第二の八重樫をどんどん送り出したい。 《八重樫激闘VTR》 ☆井岡と統一戦(12年6月20日、大阪府立体育会館)11年10月にWBA世界ミニマム級王座を獲得した八重樫は初防衛戦でWBC同級王者・井岡一翔と対戦。当時、日本に世界王者が8人存在していた背景もあって国内初の世界2団体王座統一戦が実現した。序盤から互角の戦いで試合途中で目を腫らしながらも打撃戦を演じたが、1~2点の小差で0―3の判定負けし、王座から陥落。 ☆ロマゴンと壮絶撃ち合い(14年9月5日、国立代々木第2体育館)13年4月にWBC世界フライ級王座を獲得して4度目の防衛戦。V3戦のリングで「こんな僕ですけど、やってもいいですか?」と当時39戦全勝で「軽量級最強」との呼び声も高かったローマン・ゴンサレスの挑戦を受けることを表明。ダウンを喫しプロ初のKO負けで王座を失ったが、“ロマゴン”との激しい打ち合いは敗れても称賛された。https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2020/09/02/kiji/20200902s00021000061000c.htmlスポニチ 2020年9月2日 05:30八重樫、引退表明 子供たちには「特に何も言ってないですね」 ボクシングの元世界3階級制覇王者、八重樫東(37=大橋)が1日、オンラインで記者会見し、現役引退を表明した。 【八重樫に聞く】 ――一番印象に残っている試合は? 「ローマン・ゴンサレス選手と試合をした時。あんなに楽しい試合はなかった」 ――現役時代に後悔、やり残したことは? 「悔いというものは必ずあるので言ったらキリがない。常に前を向いて今日より明日がいい日になればと思って進んでいるので後悔はないです」 ――激闘王というニックネームについて 「大好きです。これからも自分の宝物です」 ――お子さんたちには引退を伝えたのか? 「伝えてないです。特に何も言ってないですね。試合がないのはそういうことなんだろうって」 ――一番つらかった時期は? 「ケガが多かった時期。日本王者の頃ですね。ボクシングができないことが一番つらかった」 ――4階級制覇への思いは? 「もちろん希望はしていたが、そこまでは執着していなかった。現役を続ける理由として4階級制覇を掲げていたので、ここまでやれて十分です」https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2020/09/02/kiji/20200902s00021000029000c.htmlスポニチ 2020年9月2日 05:30凄み感じた八重樫の“徹底ぶり”――敗れてもなお称賛したくなる存在 ボクシングの元世界3階級制覇王者、八重樫東(37=大橋)が1日、オンラインで記者会見し、現役引退を表明した。 【記者フリートーク 元ボクシング担当・中出健太郎】勝負の世界、特に格闘界では「敗者には何もやるな」が鉄則だ。安易な同情は血のにじむ努力や命も危険にさらす覚悟を、むしろ踏みにじる。だが、八重樫は敗れてなお称賛したくなる存在だった。 壮絶な打撃戦に持ち込み、勝っても負けても顔面はボコボコ。せっかく獲得した世界王座の初防衛戦でホープ井岡一翔との統一戦に臨み、世界中から恐れられたロマゴンの挑戦も受けた。その心意気以上に凄みを感じたのは、リングに上がるまでの戦略、体づくり、練習、コンディショニングの徹底ぶり。100%はないとばかりに常に工夫を考え、難しいと見れば切り替えて最善の手を探る。打撃戦もその選択肢の一つだ。忍耐や努力とは少し違う、心身ともに過程から最高の充実を追い求めた姿勢が激闘を生んだ。「ボクシングで人生が豊かになる」――。そんな人を見たら、魅了されるに決まっている。https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2020/09/02/kiji/20200902s00021000441000c.htmlスポニチ 2020年9月2日 21:57元世界3階級制覇王者・八重樫東さんが早くも“再始動” 会員制オンラインサロンをオープン 現役引退を表明したプロボクシング元世界3階級制覇王者・八重樫東さん(37)が2日、会員制のオンラインサロンをオープンさせた。前日に引退会見を開いたばかりだが、プロ生活を常に全力で戦い抜いた“激闘王”は休む間もなく、第二の人生を走り出した。 八重樫さんが立ち上げたのは現役時代のニックネームを冠した「激闘王 八重樫東オンラインサロン」(gekitoo.com)。八重樫さんの考えを共有するための記事、同じ時代を駆け抜けてきた選手との真剣勝負や対談、ボクシング技術のマニアック解説するオリジナル動画を配信するほか、会員との交流を目的としたイベントの開催を予定している。 八重樫さんは「僕の信念でもある『健全な精神は健全な肉体に宿る』という考え方のもと、様々な角度から観たボクシングの素晴らしさや奥深さを1人でも多くの方にお伝えしたいと思っています。昔からボクシングが大好きな人も、最近ボクシングに興味を持った人も、みんなが一緒に楽しめるサロンを作っていきたいと思います」と抱負をつづっている。https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2020/09/01/kiji/20200901s00021000258000c.htmlスポニチ 2020年9月1日 15:123階級制覇、井岡との統一戦、ロマゴン戦…八重樫激闘の跡 現役引退を発表したプロボクシングの元世界3階級制覇王者・八重樫東(37=大橋)。プロ35戦のうち世界戦は14試合にのぼったが、小柄な体で果敢に打ち合う姿は勝っても負けてもファンを魅了した。 ☆初挑戦 ▽WBC世界ミニマム級タイトルマッチ(2007年6月4日 パシフィコ横浜) 八重樫東(大橋) ●判定〇 王者 イーグル京和(角海老宝石) 当時国内最速記録となるプロ7戦目で世界王座を狙ったが、0―3判定負け。2回にバッティングで顎を2カ所骨折していた。 ☆世界初奪取 ▽WBA世界ミニマム級タイトルマッチ(2011年10月24日 後楽園ホール) 八重樫東(大橋) 〇10回TKO● 王者 ポンサワン・ポープラムック(タイ) 2度目の世界挑戦で戴冠。前年に結婚して引退を勧められていたが、ファイターに変身して打ち合いを挑み、試合前に「逃げないで出てこい」と挑発した王者を破った。 ☆井岡と統一戦 ▽WBA・WBC世界ミニマム級王座統一戦((2012年6月20日 大阪府立体育会館)WBC王者 八重樫東(大橋) ●判定〇 WBA王者 井岡一翔(井岡) 国内初の世界2団体王座統一戦が実現。113―115、113―115、114―115の小差0―3判定負けで初防衛に失敗し、王座陥落。ホープ井岡を恐れず統一戦に挑み、顔をはらしながら序盤から打ち合った姿が称えられた。 ☆2階級制覇 ▽WBC世界フライ級タイトルマッチ(2013年4月8日 両国国技館) 八重樫東(大橋) 〇判定● 王者 五十嵐俊幸(帝拳) 2階級上のフライ級に転向し、再起2戦目で世界挑戦。11回に五十嵐をダウン寸前まで追い込むなど5、7、9点差の大差3―0判定勝ち。“飛び級”での2階級制覇に成功。 ☆ロマゴンと激闘 ▽WBC世界フライ級タイトルマッチ(2014年9月5日 代々木第2体育館) 王者 八重樫東(大橋) ●9回TKO〇 ローマン・ゴンサレス(ニカラグア、帝拳) 3度目の王座防衛成功のリングで「こんな僕ですけど、やってもいいですか?」と2階級制覇王者ゴンサレスの挑戦を受けることを表明。ダウンを奪われプロ初のKO負けで王座を失ったが、当時39戦全勝と無敵だった“ロマゴン”と激しく打ち合い、敗れても称賛された。 ☆3階級制覇 ▽IBF世界ライトフライ級タイトルマッチ(2015年12月29日 有明コロシアム) 八重樫東(大橋) 〇判定● 王者 ハビエル・メンドサ(メキシコ) 階級を1つ落として三たび世界挑戦。14年12月にWBC世界ライトフライ級王座決定戦で7回KO負けし“限界”もささやかれたが、肉体改造に成功して6、10、13点差の大差3―0判定勝ち。日本男子3人目となる3階級制覇を達成した。
Sep 3, 2020
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https://www.nikkansports.com/battle/news/202009010000704.html日刊スポーツ 2020年9月1日18時41分両目腫れても「もともと細い」続行/八重樫3番勝負ボクシングの元世界3階級制覇王者・八重樫東(37=大橋)が1日、横浜市内の所属ジムで会見し、現役引退を発表した。<八重樫の激闘3番勝負>◆統一戦 12年6月20日(大阪府立体育会館)11年にWBAミニマム級王者となり、初防衛戦でWBC同級王者井岡一翔との日本男子初の2団体王座統一戦に臨んだ。序盤から互角も初回で左、3回に右目を腫らしながら打ち合い。左はほぼ見えなくなっていたが、ドクターチェックには「もともと目が細い顔」と訴えて続行。最後までリングに立ち続け、判定負けも1、2ポイントの小差だった。◆無敵相手 14年9月5日(代々木第2体育館)WBCフライ級王者のV4戦で、自ら名乗りを上げて3階級制覇を狙う39戦全勝(33KO)のローマン・ゴンサレス(ニカラグア)と対戦した。3回には左フックでダウンしたが、立ち上がると両拳を当てて、覚悟を決めて真っ向勝負に出た。リング中央でも打ち合って応戦したが、9回にコーナーに崩れ落ちてレフェリーストップされた。◆偉業達成 15年12月29日(有明コロシアム)3階級制覇に2度目の挑戦で、IBFライトフライ級王者ハビエル・メンドサ(メキシコ)と対戦した。初回から足を使ってリードも、7回に急に足が止まってロープを背負った。インターバルで亡き祖母の遺影を見せられて奮起。王者の反撃にも逃げずに打ち合って、結果的には大差の3-0判定勝ち。日本人4人目の3階級制覇を果たした。https://www.nikkansports.com/battle/news/202009010001058.html日刊スポーツ 2020年9月2日7時10分敗れてなお男上げた八重樫 ファンに思い伝わる激闘11年10月24日、WBA世界ミニマム級で新チャンピオンに輝いた八重樫(中央)は大橋会長(左)と彩夫人からキスの祝福を受ける。前列は長男の圭太郎くんと長女の志のぶちゃん14年9月5日、9回、八重樫(右)はゴンサレスの左アッパーをまともに受ける八重樫東のプロ全成績ボクシングで元世界3階級制覇王者の八重樫東(37=大橋)が1日、オンラインで会見し、現役引退を表明した。2月に大橋秀行会長から引退を勧められて決意した。05年3月にプロデビューし、11年にWBAミニマム級、13年にWBCフライ級、15年にIBFライトフライ級の王座を獲得し、日本選手3人目の3階級制覇を達成。どんな相手にも逃げずに激しく打ち合うスタイルから「激闘王」の異名を取った。昨年12月にTKO負けしたIBFフライ級王者ムザラネ戦が、最後の試合となった。通算成績は35戦28勝(16KO)7敗。16年前、大橋ジムに入門した9月1日、八重樫がグローブをつるした。昨年末に2年半待った世界戦で敗北。「限界は感じていない」としながらも、大橋会長の「もういいんじゃないか」という言葉に決意を固めた。「誇れるのは、負けても立ち上がってこられたこと。悔いはない」。大切にしてきた「懸命に悔いなく」の言葉通り、逃げずに、真っ向勝負を貫いてきた。思い出の一戦には「あんなに面白かった試合はない」と、14年9月のローマン・ゴンサレス戦をあげた。多くの選手が対戦を避けた強敵を、自ら挑戦者に指名した。どれだけ被弾しても、パンチを打ち返す姿に、会場は異様な熱狂に包まれた。12年6月の井岡戦と同じく、敗れてなお、男を上げた。大橋会長も、練習への愚直な姿勢などを評価し「この15年は奇跡に近い」とたたえた。実直な八重樫らしく、会見では、終始、丁寧な言葉で思いを語ったが、3人の子どもについて話を振られると、こらえ切れなかった。「あいつらがいなければ、世界チャンピオンにはなれていない…」。涙をぬぐうと、大切な思い出をかみしめるように続けた。13年4月のWBCフライ級王者五十嵐戦。アマ時代に4戦全敗の相手との一戦に向け、調子が上がらずにいると、当時8歳の長男圭太郎くんに言われた。「負けると思えば、負ける。勝つと思えば勝てるよ、お父ちゃん」。八重樫は「あの声があったから勝てた」と愛息への感謝を口にした。ボクシングを「自分の人生を豊かにしてくれたもの」と表現した。負けても、また、立ち上がればいい-。その思いは、多くのファンに伝わった。「一生懸命走ってきた。人間なので、転ぶことも、休むこともあった。でも、それでいいと思っている」。山あり谷ありの現役生活に終止符を打ち、今後はジムでトレーナーとして、後輩の指導にあたる。「激闘王」が多くのものを残し、リングに別れを告げた。・・・https://www.nikkansports.com/battle/news/202009010000921.html日刊スポーツ 2020年9月2日7時0分八重樫飾らぬ生き様 優しい笑顔の裏「反骨心」支えボクシングで元世界3階級制覇王者の八重樫東(37=大橋)が1日、現役引退を表明した。オンラインの会見では、15年間の現役生活について語ると同時に今後の活動などについても言及した。また、歴代担当記者が、八重樫との思い出を振り返った。 ◇ ◇ ◇頑固な人情派。そんな人だと思っている。16年5月のIBFライトフライ級王座のV1戦の2週間前の夜に突然、電話がかかってきた。「明日、時間ありますか? ついてきてほしいところがあって…」。翌日、指定された横浜の中華街に行くと、「引退です」と告げられた。もちろんジョークだったが、左肩甲下筋損傷と左肩関節唇損傷。医師から手術を勧められるほどの大けがを明かされた。左腕は痛みで横にも動かせず、打てるパンチはジャブのみ。それでも、八重樫は「試合は出ます。それは決めました」ときっぱりと言った。理由は、陰で「ボス」と呼ぶ、大橋会長への思いだった。14年に世界戦で連敗。引退報道も出る中「お前はジムの功労者だ」と再挑戦への交渉に奔走してくれた姿を見ていた。だからこそ「このタイトルだけは特別。興行に穴はあけられない」と腹を決めた。そんなやりとりを中華街の真ん中でしていると、携帯の画面にうつる、治療院の広告らしき文言を見せられた。「『神の手』でどんな痛みも治してみせます」-。怪しみながらも、八重樫のわらにもすがる思いを感じ、店舗探しを手伝った。だが、“ゴッドハンド”はすでに帰国していた。それでも、3日後には「ハリウッドスターの腰痛を、さするだけで治す人を見つけました」と連絡がきた。「しがみつく人間にしかチャンスはこない」。左肩をなでながら、自分に言い聞かせるように何度もつぶやいていた。結局、痛みを隠してリングに立った。格下相手に2-1の僅差判定勝ち。試合後の会見でもけがのことは言わなかった。人がいなくなり、記者を見つけると、にやりと笑った。「ひどい内容でも、ベルトが残れば僕の勝ちです」。忘れられない思い出だ。キャリア終盤、“エゴサーチ”をして、「八重樫はパンチドランカー」「壊れている」というコメントを見つけ、「ぼくのこと、ドランカーだと思ったことありますか?」と興奮気味に聞かれたことがあった。優しい笑顔の裏の反骨心が、「激闘王」の支えだった。好きな言葉は、努力、辛抱、覚悟。飾らない生きざまが、八重樫の魅力だと思う。https://www.nikkansports.com/battle/news/202009010000635.html日刊スポーツ 2020年9月2日8時0分八重樫はグッドルーザー、あご割れようが悲壮感なしボクシングで元世界3階級制覇王者の八重樫東(37=大橋)が1日、現役引退を表明した。オンラインの会見では、15年間の現役生活について語ると同時に今後の活動などについても言及した。また、歴代担当記者が、八重樫との思い出を振り返った。 ◇ ◇ ◇3階級世界制覇の偉大な王者の八重樫だが、自分の中ではグッドルーザー(素晴らしい敗者)という言葉が思い浮かぶ。激闘の敗戦後、想像を超えたダメージを負いながらも、さわやかさが漂う。そこに勝負師としての潔さを感じた。07年6月4日。24歳だった八重樫の世界初挑戦。全盛期のWBC世界ミニマム級王者イーグル京和の強打で、2回にあごを骨折。その後は口も閉じられず、9回以降はマウスピースの交換もできなかったが、セコンドに「最後までやらせてください」と、目で訴え、最終12回まで戦い抜く。試合後は、もちろん話せず、タオルであごをつった。それでも報道陣に笑顔すら浮かべ、あごを割られた王者には頭を下げ、敬意を示した。12年6月20日、WBA王者として迎えたWBC王者井岡一翔との王座統一戦。序盤に被弾した両目は中盤からみるみる腫れたが、あきらめない。試合を止めようとした医師には「僕はもともと目が細い顔立ちなんです。やらせてください」。判定負けの試合後、両目はほとんど開かず、異様なほど腫れ上がったが、6歳下の井岡に「ありがとう」。ファンにも深々と頭を下げた。翌日の一夜明け会見では、痛々しい見た目と違って悲壮感はない。「子どもたちにはい上がる姿を見せたい」と前を見た。リングでは「激闘王」の異名通り、絶対に下がらず、捨て身で愚直に前に出て攻め続ける。前述のような大けがと背中合わせだが、そのスタイルを最後まで貫いた。普段は子煩悩で、優しい性格。ボクサーとは思えない、癒やし系の雰囲気を醸し出す。そのギャップも魅力的だった。https://www.nikkansports.com/battle/news/202009010000842.html日刊スポーツ 2020年9月2日9時0分家族と一緒に…引退八重樫東の防具に3人の子供の絵3人の子供が描かれた八重樫のノーファウルカップボクシングで元世界3階級制覇王者の八重樫東(37=大橋)が1日、現役引退を表明した。オンラインの会見では、15年間の現役生活について語ると同時に今後の活動などについても言及した。また、歴代担当記者が、八重樫との思い出を振り返った。 ◇ ◇ ◇ボクサーが唯一身につけることを許された防具がある。ノーファウルカップ。急所を保護するためにつける。八重樫は拓大時代からのものを使ってきた。この愛用品にも家族愛が表れていた。モットーの「懸命に悔いなく」。その文字とともに、長男圭太郎くん、長女志のぶちゃん、次女一永ちゃんと3人の子供の絵が描かれている。いつからか、世界戦前は単身でマンション生活を送るようになった。練習、試合に集中するため。子供の絵は3階級制覇後の防衛戦を控え、マンション生活の合間に自らが描いた。1カ月以上家族と離れ、最初の頃は週末には家に帰っていた。終盤はそれも我慢して、テレビ電話での会話も封印した。「パパ頑張って」という、涙声の留守電が入っていたこともしばしばだった。試合中は長男の声援が会場にいつも響いていた。勝ったリング上では、彩夫人と一家5人の記念撮影も恒例だった。「子供に引退は言っていない。これからも。試合がなければ分かるでしょう」と素っ気なく言った。何よりもノーファウルカップが、家族を思い、家族と一緒に戦ってきたことを示していた。
Sep 3, 2020
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https://www.kahoku.co.jp/sports/tohokusports/20200902_01.html河北新報 2020年09月02日水曜日3階級制覇の八重樫選手引退 「夢実現する姿感動」郷里の岩手からねぎらいの声 ボクシングで世界3階級を制覇した八重樫東(あきら)(37)=大橋、岩手・黒沢尻工高-拓大出=が1日、オンラインで記者会見し、現役引退を表明した。2月に大橋秀行会長から受けた引退勧告に従ったと話し「決して体力の限界を感じたわけではないが、自分一人で現役を続けることはできない。悔いはない」。家族の話になると涙ぐんだ。今後は大橋ジムでトレーナーを務める。 北上市出身の八重樫は拓大を経て2005年3月にプロデビュー。11年に世界ボクシング協会(WBA)ミニマム級、13年に世界ボクシング評議会(WBC)フライ級、15年に国際ボクシング連盟(IBF)ライトフライ級で王座奪取に成功。日本選手3人目(当時)となる3階級制覇を果たした。 果敢に打ち合う戦法から「激闘王」と呼ばれ、昨年12月にIBFフライ級王者に敗れたのが最後の試合となった。 井岡一翔(かずと)=Ambition=とのミニマム級2団体統一戦、一番の思い出に挙げた世界的強豪ローマン・ゴンサレス(ニカラグア)戦は、ともに敗れながらも名勝負と評され「強い相手に勝ちたいという気持ちが一番大事。負けても立ち上がってこられたことを誇りに思う」と語った。通算成績は35戦28勝(16KO)7敗。 東日本大震災で苦しむ被災地を勇気づけた「激闘王」の引退表明に、古里の岩手県からねぎらいの声が上がった。 北上市の実家には関係者から連絡が相次いだ。父昌孝さん(72)は「『9月1日に引退会見をする』と東から8月27日に連絡があった。年も年。けがが付きものなので、ほっとした」と語った。 中学までバスケットボールに励み、「背が低いから」と黒沢尻工高でボクシングに転向。俊敏性を生かし、インターハイで優勝するなどすぐに頭角を現した。 恩師の黒沢尻工高ボクシング部の辰柳祐司監督(58)は「入学時は体重40キロもなかったが、実績のある選手に逃げずに向かっていた。スタイルは当時と変わらなかった」と振り返る。 拓殖大を経てプロ入り。震災が起きた2011年の10月、2度目の挑戦で世界王座を初めて獲得し、被災地の希望となった。 翌11月に北上市民栄誉賞第1号を贈った高橋敏彦市長は「諦めることなく目標に向かって前進し、次々と夢を実現し続ける姿は、復興を目指す全ての人々に元気と勇気、感動を与えてくれた」とたたえた。 達増拓也岩手県知事も「『激闘王』と呼ばれ、打たれても果敢に挑み続ける姿は、多くの人たちに岩手県人の底力を示した」とのコメントを出した。 後援会の城沢謙吉会長(81)は「倒されても起き上がり、最後まで戦う敢闘精神は素晴らしかった。激しい競技で16年もプロ生活を続けた。本当にご苦労さま」とねぎらった。 リング外でも、岩手県大槌町に漁船を贈る活動に取り組むなど被災地支援を続けた。飾らない人柄は多くの人を引きつけた。 母淳子さん(67)は「試合のたびに全国のたくさんの人に応援に来てもらった。私たちはどこにも足を向けられず、立って寝るしかない」とファンに感謝。トレーナーになる息子に「お世話になった方に恩返しできるよう頑張って」とエールを送った。
Sep 3, 2020
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https://www.nikkansports.com/battle/news/202009020000752.html日刊スポーツ 2020年9月3日13時0分できることは何でもやる…八重樫を成長させた貪欲さ<ボクシング、「激闘王」八重樫東を語る~2>元世界3階級王者・八重樫東(37)が現役引退を発表した。激しく打ち合うスタイルから「激闘王」と呼ばれた名王者を、選手、関係者、歴代担当記者などが語ります。第2回は、ボクシング担当記者が見た激闘王の裏にある一面、貪欲さについてです。ボクシングジムには似つかわしくないものが、窓の桟に置かれていた。八重樫の引退試合となった昨年12月の世界戦。その試合を控え、練習をのぞきに行った時に発見した。お手玉だった。「ボクが持ってきました。若い選手もやってみればと思って」と話した。試合前は家族と離れ、マンションで単身生活が恒例だった。練習、試合に集中するため。この時は部屋で暇な時間にテレビを横目に、お手玉で遊んでいたという。知り合いのインストラクターから教わり、今回採り入れた真剣なトレーニングの1つだった。右半身は言語や思考の論理の左脳、左半身はイメージや芸術感覚の右脳がつかさどる。現代は左脳中心の社会でバランスが崩れがちで、両手を使えば右脳の刺激になる。さらに右脳は空間を認知し、ボクシングに重要な距離感につながる。ボクシングに通じるならと取り組み、後輩にも勧めることになった。大橋会長は「中身の濃い15年間で、教えられることも多かった」と振り返った。「いろんな方法を採り入れ、日本で一番知識がある。科学的研究に熱心で、3階級制覇にもつながった」。激闘王の裏にある一面を高く評価していた。練習後よりも練習前の取材が多かった。普通はシューズを履き、バンデージを巻くと練習に入る。八重樫はプロテインやさまざまなサプリを飲むので、その合間にも話を聞くことができた。サプリメントは何十種類も使ってきたと聞いた。昔はロードワークとジムワークが練習だった。今はフィジカルトレーニングが必須で、体幹などの強化に不可欠だ。八重樫は拓大の先輩内山と同じコーチに指導を受けていた。それに満足できず、他ジムの階段トレにも積極参加。刺激を求めてフィジカルコーチを替えたこともある。ボクシングのためなら、できることは何でもやる。実に貪欲だった。世界初挑戦のアゴ骨折に始まり、ケガも多かった。左肩を痛めてパンチを打てずにぶっつけ本番。酸素カプセルに入っていて急性胃炎で救急搬送されたことも。数々の苦難もあらゆる手を尽くして乗り越え、ボクサーとして人として成長してきた。それが「ボクシングは人生を豊かにしてくれた」の言葉となった。最後の試合翌日も、八重樫はいつも通りジムに行った。あいさつで終わらず、体を動かしてから帰ったそうだ。練習の虫でもある。どんな八重樫2世を育てるか楽しみだ。
Sep 3, 2020
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https://genron1.blog.fc2.com/blog-entry-7768.html拳論!Boxing 2020/09/01元世界3階級王者・八重樫東、引退を発表! 元世界3階級王者の八重樫東(大橋)が引退を表明した。昨年12月、IBF世界フライ級王者・モルティ・ムザラネ(南ア)に挑むも9回TKO負けだった。P000003592.jpg 岩手日報は号外が!「体力の限界を感じたわけではなく、会長と相談して、もういいんじゃないかという言葉をいただき、受け入れて決意が固めました。15年のプロ生活で、たくさんのファンの方に応援してもらって一生懸命ボクシングができたことを誇りに思っています。いつも前を向いて、今日よりも明日がいい日になればと進んできました。ファンの方の応援で劣勢になってもパンチが出せました。激闘王の愛称は大好きで、これからも宝物になると思います。世界王者になれたことより負けても立ち上がったことが誇れること、強い相手に勝ちたいという思いが一番ありました」 八重樫は28勝(16KO)6敗、37歳。国体優勝などアマ活躍後、05年にプロデビュー、ミニマム級で東洋王座1度防衛後、7戦目の世界挑戦はWBC王者イーグル京和に敗北したが、日本王座3度防衛を経て、11年にポンサワンからWBA王座を奪取、初防衛戦でWBC王者・井岡一翔に敗れるも、14年にフライ級でWBC王者・五十嵐俊幸を下した。V4戦でローマン・ゴンサレスにKO負け。翌戦でペドロ・ゲバラとのWBCライトフライ級決定戦にもKO負けだったが、15年、IBF王者ハビエル・メンドサに勝って3階級制覇。17年のV3戦で暫定王者・ミラン・メリンドに敗れるも再起、向井寛史らに3勝してムザラネ戦に挑んだ。試合後、「進退を考えなきゃいけない実感もあるので、のんびり考えます」としていた。 出入りのボクシングができる高い技術を持ちながら、激しい打ち合いをこなす激闘男として人気を集めた。そのプロ意識があったからこそ敗れる度に再起への応援があったと思う。もっと見たかったという引退選手は多いが、八重樫の場合は本当に「もういいんじゃないか」と言いたくなるほど濃いボクシング人生で、寂しくはなるが大きな拍手で感謝を伝えたい。日本ボクシング史に残る素晴らしい選手だ。(片岡亮)八重樫東のやえちゃんねる 〜東と書いてアキラです〜都内ジムで8名が感染、うち2名が入院◆新型コロナウイルス問題9・6海外 ウガス×ラモス、WBAウェルター級2番目王座決定戦!ほかコメント コメント(33) [ 654073 ] いやあ~~~~~~、本人は悔いなく思い残すことはないボクシング人生と言ってるようですが、そらあれだけやりつくせばそうだろうなあと、見てるこっちが心底納得できるボクサーってのも珍しいくらいに、もう並みのボクサーの3倍くらい濃いキャリアでしたが(慰労まあもう最近は、普通にテレビ解説したり、中垣龍のコーチやセコンドっぽいことやってたり、何しろ内山先輩とガチスパーやってボッコ凹にされたりとか⦅爆、もうすでに引退した人間の空気感は出してたんで、引退の報を聞いても正直そこまでの驚きはないですが、でもやはり改めてこうして確定が出ると、長年見続けた側としては物寂しいものはありますが(寂寥でもあれだけのとんでもない激闘を長年やらかしてきたのに、動きや言語に何らかの後遺症が出てるようにも見えずに、今現在も非常に元気で健康そうなのが何よりですね。何しろあの仲良く幸せいっぱいのご家族とともに、今後もボク界の中で、充実した人生を送ってくれることを願ってやみませぬが。八重樫!!本当に本当にお疲れ!!☆私的ベストバウトはポンサワ戦で、ちょっともう見ててドン引きするくらいの凄まじい打撃戦でしたが(怖笑、本当に客の期待通りのカードや試合内容をやり続けたあんさんこそ、まさにキング・オブ・プロボクサーや!!☆(多謝宇弓 #LkZag.iM 2020/09/01 編集返信[ 654074 ] お疲れ様でしたアコム #- 2020/09/01 編集返信[ 654075 ] No title良い潮時だと思いますポンサワン戦の戴冠、井岡戦の激闘忘れられませんお疲れ様でしたとみい #5r6MUCOI 2020/09/01 編集返信[ 654076 ] 僕の大好きなトップクラスのボクサーであり非常に残念ではありますが、正直もう家族のために安心させてあげてほしいという気持ちの方が強いです…。強いものを避けず、ロマゴンにも向かっていき、そして決して逃げるような見苦しい試合はしなかった激闘王、男八重樫!ボクサー、格闘家、スポーツマンの鏡です!家族のために残る人生無茶をしないで頑張ってください。どこかの親父 #zuqzPF9. 2020/09/01 編集返信[ 654077 ] 第二の人生も、Fight!山 マサ #ziwa4Zsw 2020/09/01 編集返信[ 654082 ] 八重樫選手には本当に感動と感謝しかありません。引退は残念ではありますが、今後どのような形でボクシング界に携わるのか楽しみです。井岡戦、ローマンゴンザレス戦、そしてソーサ戦は最高でした!とくめい #- 2020/09/01 編集返信[ 654083 ] ポンサワン戦も最高でした!とくめい #- 2020/09/01 編集返信[ 654085 ] 八重樫選手、お疲れ様でした❗。やはり八重樫選手で1番はボンサワン戦ですね。八重樫×井岡は、はじめは井岡を応援していたんですが、試合が進むにつれて、八重樫選手を応援していた自分がいました。まさに激闘でした。ロマゴン戦。激闘とはちがった、一味ちがう内容で、相手を翻弄しきったソーサ戦。本当に激闘つづきのキャリアでしたね。御家族と一緒に第2の人生突き進んでいってください。ご苦労様でした。トクメイ #DUR24XiI 2020/09/01 編集返信[ 654089 ] 本当にあのポンサワ戦は、ポンサワがあの調子でろくにフットワークも使わずに、街のケンカみたいにつかつか歩いて寄って来ちゃ、ひたすら殴り掛かってくると、八重樫も最初は足使って捌こうとしてたんだけど、しまいにゃ自分も足止めて延々リング中央で殴り合いと、・・・あれミニマムじゃなく中量級以上だったら、絶対どっちかぶっ壊れてるだろってくらいの、いくらテレ東とはいえ、お茶の間ゴールデンでこれ生で流していいの??ってくらいの恐ろしい打撃戦でしたが(震撼メンドーサ戦も良かったし、あとはソーサ戦も良かったですね。もう12Rにわたって機動力を駆使して勝利して、トップアマだった八重樫は激闘じゃなく、やろうと思えば足使ったああいう試合もできたわけで、あっちを突き詰めればもっと勝率上がっていたのでは・・・・なんてIfの話をしても詮無いことですし、何しろ激闘モードを突っ走ったからこそ、あれだけフアンに愛されたわけで、・・・やっぱロマゴン戦とか、今見てもちょっとどうかしてるくらいの胸に来る感動がありますし(胸熱 何より八重樫のプロとしての意志や矜持が表れてる言葉に、メンドーサに勝って3階級制覇した時のリング上で、アナウンサーが3階級制覇という偉業を達成しましたね!!って盛り上がってる横で、「3階級制覇ってのはあくまでただのおまけで、ボクサーにとって最高の喜びは、 強い相手といい試合をして、フアンの方に喜んでもらうことだと思います」って言葉に、場内はただただ感動の渦と(号泣・・・・・八重樫よ・・・・・・15年以上もの間、本当にありがとー!!☆(崇称宇弓 #LkZag.iM 2020/09/01 編集返信[ 654090 ] 私も八重樫さんと同じく岩手県出身ということもあり、ずっと応援していました。ベルトを初めて奪取した試合はかつてないほど胸が熱くなったものです。井岡戦、五十嵐戦、ソーサ戦、ロマゴン戦、メンドーサ戦、どれも印象深い名勝負ばかりです。今後は第2の人生を邁進して、指導者として優秀なボクサーを育てる姿を見たいです。お疲れさまでした。ファイファン #- 2020/09/01 編集返信[ 654099 ] 獲得した王座は全て最上位の王座なので真の初の三階級制覇王者は八重樫だと思いますし、勝った試合も負けた試合も記憶に残る偉大なボクサーだったと思いますね。出来ればこれからも何らかの形でボクシングに関わって第二第三の八重樫を育てる事を期待したいですね。B.B #- 2020/09/01 編集返信[ 654103 ] 「お疲れ様でした」この言葉を贈るべき相手は、八重樫にこそ相応しいでしょう。いづれも激戦、熱戦でしたが、個人的に一番泣けたのはメンドーサ戦ですかね。 (全角スペース) #- 2020/09/01 編集返信[ 654105 ] 八重樫さん 本当にお疲れでした(*´▽`*)✨悔いはない‼️最高な言葉ですねヽ(*´∀`)八(´∀`*)ノ✨八重樫さんが闘いに向かう時、必ず松本トレーナーが笑顔で八重樫さんの頭をポンポンと よし‼️行ってこい‼️って、八重樫さんが押忍‼️ふん‼️ふん‼️ってするのが好きでした(*´∇`)ノ熱い試合を沢山魅せてくれた八重樫チャンピオン!その分、歴戦のダメージもあるかと思います、、、愛する奥様、お子さまの為にも、お父ちゃんは身体を大切に次のステージでも頑張って下さい✨✨八重樫チャンピオン‼️‼️お疲れ様でした(*´∇`)ノ✨✨白い羊 #- 2020/09/01 編集返信[ 654107 ] 残念だけど笑顔で井岡戦、「心が強い」とはこういうことなんだと見せつけられ、目を奪われ、息を呑み、心を掴まれた試合でした。何度も名勝負を見せてくれた偉大なチャンピオン、本当にありがとうございました。M #sqCyeZqA 2020/09/01 編集返信[ 654109 ] BBさんの言う通り決定戦なしの三階級制覇は価値があります。個人的にはポンサワン、ソーサ、メンドーサ戦がベスト3と思いますが、井岡、ロマゴン戦の負けた試合の方が印象に残っていますね。ササジ #- 2020/09/01 編集返信[ 654110 ] 八重樫選手 両国国技館でのソーサ戦が印象的です。あの時は村田戦 井上兄弟の登場(拓真選手の相手は福原選手でした) 椎野選手対岩佐選手の試合と非常に豪華で、仕事を早々に切り上げて会場に行きましたソーサ戦、素晴らしいフットワークで完封して、アウトボクシングが素晴らしいことに驚いたのを覚えています。井岡戦 ロマゴン戦なども印象深いですがソーサ戦のような試合をもう一度タイトルマッチで観てみたかったです。でも記憶にも記録にも残る素晴らしい選手で第二の人生も成功してほしいですサンストリート #- 2020/09/01 編集返信[ 654111 ] B.B様八重樫選手は最高のボクサーですがあの激闘をするボクサーは育てるなよ!って思うところもあります。彼のソーサ戦で見せたあのテクニックを伝授してほしいと思います♪激闘は見ていて面白いのですがファンになるとだんだん心配になってしまうので…。本当に最高のボクサー、男・八重樫!あの飲食店を失敗しないようにね(応援)どこかの親父 #zuqzPF9. 2020/09/01 編集返信[ 654113 ] 感動を有難う…‼︎本当に激闘王だったな〜。強者にも逃げない勇気が凄かった。記憶に残る名選手。特にロマゴン戦はTVの前に釘付けで、手に汗ビッシリかいてて、頑張り過ぎる姿勢に泣きそうだった。負けるな〜‼︎とか、もう無理だろ…‼︎これ以上頑張り過ぎるな…‼︎とか色々騒ぎながら応援してた。キャリア後半は歴戦のダメージから後遺症も心配になってたけど、引退するので少し安心したところもある。ナザロフは片目を失明し、渡久地も後遺症に悩まされてるし…。本当にボクサーは大変な職業…。少し湿っぽくなったけど…。にしても八重樫の試合は熱かった…‼︎今まで感動を有難う…‼︎お疲れ様でした…‼︎プレデター #- 2020/09/01 編集返信[ 654114 ] 日本タイトル持ってるとき怪我で大橋会長から引退勧告されたのにここまでよく頑張ったポンサワン、井岡、ロマゴン、メンドサ今見返しても面白い試合ばかりだ日本ボクシング史を語るときに世界タイトル取って防衛してるのに語られないチャンピオンがいるだろうけど八重樫は間違いなく日本ボクシング史で語り継がれる選手だったイーグル戦からずっと見てた最後の試合も横浜アリーナに見に行った第二の人生も成功するように祈ってる本当にお疲れ様でしたアコム #- 2020/09/01 編集返信[ 654115 ] 八重樫選手☆お疲れ様でした。やっぱ皆さん、ソーサ戦を挙げますね~( ゚∀゚)ノテレビでたまにやる、大橋会長とのコンビの小ネタが大好きです(笑)ありがとう八重樫!K8augPj6 #K8augPj6 2020/09/01 編集返信[ 654117 ] 『永遠(とわ)に輝く”殉難者”』八重樫の引退の報に触れ、いつかは訪れることであるのはわかっていたとは言え、やはり去来する惜別の痛みの感情を禁じ得ない。思えば”激闘王”と称された八重樫の苦闘の道程は、世界初挑戦のイーグル戦から始まっていた。偶然のバッテイングで顎を2か所骨折した八重樫は、それでも死に物狂いで判定まで粘った代償に、1年近いブランクを余儀なくされた。そして再び世界を目指した八重樫は、もはや両者の死すら超越したような、”石器時代の殴り合いと”世界で報じられ、海外で年間最高試合にも選ばれたポンサワン戦、両目を腫れあがらせ視界を失いながらの、井岡との初の日本人同士の統一戦、もはや問答無用の伝説的玉砕のロマゴン戦、そしてそのロマゴン戦のわずか3か月後に、階級を下げての明らかに無謀だったゲバラ戦、さらにメンドサとの打撃戦を制しての奇跡の3階級制覇、メリンドにまさかの1R負け、そして最後となったムザラネへの滅びの美すら感じさせたチャレンジと、まさに八重樫の辿った軌跡は、日本ボクシング界のこの十数年の軽量級の歴史と言っても差し支えないほどの内容と重みで満たされていた。そういう意味で八重樫は、明らかに同世代の他ボクサーとは違う価値観、モチベーションで試合に臨んでいたようにしか見えなかった。それは八重樫にとっては自分で言っていたように、ボクサーとしての喜びや己の存在意義が、客に喜んでもらうことが最優先だったからに他ならないと思う。他のボクサーが口ではファンのためにと言うことがあっても、真の意味で自分よりも客の方を優先させているボクサーは少ないと思う。それはボクサーも人間である以上、自分の成功や身の安全を第1に考えるのは当然であり、別にそれは誰にも責められるようなことではないだろう。だがその中でも、近年で最も己を犠牲にしてでも客のために試合をしていたのは、あの辰吉丈一郎だったと思う。辰吉はまさに勝敗に関係なく常に求められる戦いぶりを客に提示し、己の勝つ様も負け様もプロとしてその存在のすべてを客にさらけ出してきた。だからこそその身を投げ出したファンへの無償の愛が、ファンのあれだけの辰吉への愛として帰ってくるのも当然だったと思う。そういう意味では、昨今のトップボクサーたちのように、常に打たせずに打つ完全な勝ち方を目指す井上、堅牢なガードで防ぎつつ相手を攻略していく村田、卓越したポジション取りで完勝を狙う井岡と、より機能的でリスクを抑えた形で勝ちに向かうボクサーたちが多い中で、八重樫は明らかに辰吉の系譜を引き継いだボクサーのごとく、ファンのために身を投げ出して勝敗など二の次のような、常軌を逸したほどの魂を焦がすような激闘ファイトをやり続けた。そんな八重樫が辰吉と同じく、こうして今でもボクシングファンの心を捉え、愛され、惜しまれて引退していくのは当然のことだと思う。願わくばこれだけファンを愛し、ファンのために尽くしてくれた八重樫の第2の人生が、ボクシングをやって良かったと思えるような幸福で輝かしいものになってくれることを、八重樫が見せてくれた幾多のファイトに想いを馳せ、1ボクシングファンとして感謝しつつ祈りたいと思う。よう #ies1LsUc 2020/09/01 編集返信[ 654118 ] 八重樫店潰さんよう第2の人生も応援してるぞ千葉茂雄 #- 2020/09/01 編集返信[ 654121 ] ありがとうございました。お疲れ様でした。この選手を嫌いなボクシングファンは居ないだろうよ。ただ、寂しいなあ。涙が出てきます。リチャード・鉄 #- 2020/09/01 編集返信[ 654124 ] 八重樫お疲れさまでした。今の世界王者はどちらかというとスタイリッシュな王者が多い中で八重樫は数少ない昭和の匂いのする王者だったように思います。泥臭い感じのボクサーは個人的には好きで、八重樫以外だと河野公平もこのタイプ。八重樫が引退するとあとは世界王者候補も含めて誰かいないかな。寂しくなりますね。とはいえ、完全燃焼したと思います周りがもういいだろと言っても打たれ続けながら戦っていたように思いますし。八重樫は僕は井岡戦が大きなターニングポイントだったと思います。それまでは世界王者と言えど知名度は決して高くなかったですが、あの試合を転機に大きく知名度が上がった気がしますね。結構、ボクシングファンじゃなくても八重樫は知っている人いますし、テレビもバラエティーもボクサーの中では結構出た方では?僕は両国での五十嵐戦は生で見てましたが、八重樫に王座を取らせてあげたかったので見ていて嬉しかった記憶があります。全盛期の井岡、ロマゴンとどんな相手でも逃げない男でした。驚いたのはメンドサとの試合であの試合はこの掲示板でも圧倒的不利予想が多くてそれをひっくり返しての勝利。何度も不死鳥のごとく蘇る八重樫は本当に凄い男でした。本当にお疲れさまでした。光太郎 #- 2020/09/01 編集返信[ 654125 ] ようさんの辰吉論。おもしろかった。辰吉は後年は自分のためにボクシングをやってるといってました。だから彼は今も現役を続けて練習しているのだと思います。ただ、試合ではお客さんを引きつけるファイトをやってきました。自分では意識してなくともどこかで盛り上げる試合をしたいという潜在的な意識が普通のファイターよりも強かったからだとも思うし彼自身の性格からも影響があったのでしょう。八重樫は自分の中ではもう少し続けたかったんだと思います。周りから引退を勧められ、今も心残りがあるような気もします。人それぞれですが、まだやれるんじゃないかと思われても自らきっぱりやめた内山とは引退時のさっぱり感が違う感じがする。八重樫のボクシングは日本の伝統的ボクサー特有の殴られてもやり返すスタイルというある意味それが魅力のひとつだったわけですが。ロマチェンコ、井上や井岡そして近代ボクサー特有のまず防御ありきのボクシングスタイルとは対照的なスタイル。そういうスタイルに美意識を感じた僕らファンは漫画「あしたのジョー」、映画「ロッキー」、アリスの曲「チャンピオン」などからの影響もかもあるかなと思います。どんぞこから這い上がるって感じかな。危険であっても激闘(殴り合い)を目指すのか、防御主体の完璧なスタイルを目指すのか。時代とともに後者スタイルの方が増えてくるでしょうね。カリメロ #- 2020/09/01 編集返信[ 654126 ] ベストはハビエルメンドサ戦ロマゴンゲバラと立て続けに痛烈KO食った後のなポンサワン戦もロマゴン戦も会場観戦したがあのメンドサ戦、会場のカタルシスは八重樫劇場の真骨頂だ井上パレナス戦が瞬殺だったのもあるがそのインパクト以上に味わい深かった八重樫のための興行だったももクロなんてのが出てたのも懐かしい偉大なボクサーが去るのはいつでも寂しいが三浦の時同様特別な感情が沸く心底尊敬するボクサーだわいるだー #- 2020/09/01 編集返信[ 654127 ] お疲れ様でした。寂しくなるけど、近年試合を見るのが怖いと感じる部分もあったので、安心できるところもあります。何度も生観戦して、とても思い入れのあるボクサーです。本当に何度も勇気を貰いました。顎が折れても、目が見えなくても、鼓膜が破れてても、それでも向かっていく姿を忘れません。「闘う」という格闘技というコンテンツの根源的な魅力を持った選手だったと思います。リングの外で見せる温厚な姿と、リングの中で見せる狂気に満ちた姿。その強烈な二面性が魅力でした。強いボクサーにも、巧いボクサーにも、華のあるボクサーにも無い、唯一無二の存在感がありました。自分を奮い立たせたい時、キャリア前半で使っていた入場曲を聴きます。あの曲のイントロを聴くと、会場での緊張感と高揚感を思い出して、自分自身やってやるぞという気持ちになります。本当にお疲れ様でした。第二の人生も素晴らしいものになることを祈っています。生乾き臭の汚倉君 #- 2020/09/01 編集返信[ 654146 ] 怒りの王子打たせて打つスタイルでしたがそれが魅力的でしたロマゴンも八重樫が一番強かったと言ってましたねぇお疲れさまでした。怒りの王子 #jegkRXuI 2020/09/02 編集返信[ 654148 ] 本当にお疲れ様でした!好きな選手の一人でした名無し #- 2020/09/02 編集返信[ 654165 ] 3階級制覇直後のリング上のインタビューで『強い相手と戦うことこそがボクサーにとっての最大の喜びであり、またファンの皆さんへの感謝の表れであると思っています。だから3階級制覇はそのオマケとさせていただきます。』と答えていたこと、そしてその後奥さんに『メリークリスマス!』って言ってチャンピオンベルトを渡していたこと、今でも鮮烈に覚えています。本当にお疲れさまでした。リングサイドでうたを聞いた #PPd2i26I 2020/09/02 編集返信[ 654179 ] ありきたりなことしか書けませんがありきたりなことしか書けませんが、今まで凄い試合を見せて頂きありがとうございました。お体に気をつけて、これからも元気で御家族と仲良く幸せにお過ごしください。私的には、五十嵐に勝った時が一番痛快でした。タイトル名前 #E6kBkVdo 2020/09/02 編集返信[ 654251 ] なんか八重樫はさっそく引退後一発目の仕事として、オンラインサロン「激闘王」を始めたそうで⦅爆月会費払えば技術指導やらイベントやトークショーに参加できるとかで、この調子で引退後も幅広く頑張ってほしいものですが。宇弓 #LkZag.iM 2020/09/03 編集返信[ 654279 ] ベストバウトはやはりソーサ戦。初戴冠、王座統一戦と激闘のイメージが定着したが、あれは八重樫のスキルの高さを存分に発揮した試合だった。それと三階級制覇のメンドサ戦。元王者と互いに家族も含めて讃え合う姿も見ていて清々しかった。勿論、試合内容もソーサ戦を彷彿させる素晴らしいもので、ロマゴン等にKO負けしていてもまだこのボクシングが出来るのかと感服した。やり過ぎる位よくやってくれて、坂本博之にも劣らねェ熱い生き様をボクシングファンに魅せてくれた。長い間、お疲れ様。浪速のドサ拳 #- 2020/09/03 編集返信
Sep 3, 2020
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https://efight.jp/news-20200902_458549eFight 2020/09/02(水)UP【ボクシング】引退した八重樫東「これからも激闘王として人生を戦う」引退を発表した激闘王・八重樫は人生でも激闘を続けると宣言した 9月1日(火)に引退を表明し、所属ジムで関係者のみのオンライン引退式を行った元プロボクシング世界3階級制覇王者・八重樫 東(37=大橋)が同日(1日)深夜にSNSで引退の報告と今日までの思い、そして明日からの意気込みを綴った。「勝ったり負けたりのボクシング人生でしたが、支えてくださる沢山の方々のおかげでここまで戦い抜く事ができました」と、まずは感謝を述べ、自身の所属するジムに多く所属しているファイターについて、「大橋ジムの後輩たちは、井上尚弥はもちろんの事、沢山の才能溢れる若い力が世界チャンピオン目指して頑張っているので、これからも大橋ジムを応援していただけたら嬉しいです」と、今後のボクシング界を盛り上げていく若きファイターにエールを送った。 そして「打ちつ打たれつのボクシングから“激闘王”と言うニックネームでボクシング界を多少なりとも盛り上げて来れたのは、強い体に産んでくれた両親のおかげです。そして、自分を世界チャンピオンにしてくれた3人の子供たち、本当にありがとう。これからも激闘王として人生を戦っていきますので、皆様これからもよろしくお願いします」と、今後の人生もボクシングと同じく、戦っていくと綴った。今後は現在の自身がプロデュースする飲食業の他にボクシングのトレーナーとして後進の指導を行っていく。♢八重樫東 1983年2月25日、岩手県北上市出身。37歳。プロ戦績:35戦28勝(16KO)7敗 高校時代にインターハイでモスキート級で優勝、拓殖大学時代には国体でライトフライ級で優勝し、卒業後、プロに転向して大橋ジムに所属した。 2005年3月にプロデビュー、2006年4月にOPBF東洋太平洋ミニマム級をKO勝ちで王座奪取、2009年6月には日本ミニマム級王座も獲得した。[初の世界制覇] 2011年10月24日、WBA世界ミニマム級王者ポンサワン・ポープラムック(タイ)に挑戦し、序盤から激しい打ち合いの末に10回TKO勝ちを収めて世界王座を獲得。 翌12年6月の防衛戦で、WBC同級王者・井岡一翔と統一戦を行い、判定負けし王座陥落するも、最後まで顔を腫らしながら戦い続けボクシング史にも残る大激闘を展開した。[2階級制覇]13年には階級をフライ級に上げWBC世界同級王者・五十嵐俊幸にダウンを奪う判定勝利で2階級制覇。14年9月の防衛戦では、当時39戦と無敗の快進撃を続けていた、ローマン・ゴンサレスと拳を交え9回で初のKO負けを喫するも、その激闘は多くの人々に勇気と感動を与えた。[3階級制覇]15年12月にはIBF世界ライトフライ級王者ハビエル・メンドーサ(メキシコ)との激闘を判定で制し日本人男子3人目となる3階級制覇を達成。2017年5月に暫定王者のミラン・メリンドと王座統一戦に敗れ王座陥落。[王座返り咲きへ最後の試合]王座返り咲きを狙い昨年12月23日、IBF世界フライ級王者のモルティ・ムザラネに挑戦も9回2分54秒で連打を浴び続けた八重樫をレフェリーがストップTKO負けを喫した。八重樫自身、この試合を“最後の戦い”と口にしていた言葉通り、これが最後の試合となった。
Sep 3, 2020
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https://the-ans.jp/news/125542/2020.09.02 THE ANSWER編集部八重樫東、“激闘王”の引退を米メディアも報道「21世紀のリングのヒーローの1人が…」ボクシングの元世界3階級制覇王者・八重樫東が1日、現役引退を発表した。数々の名勝負を展開し、“激闘王”の異名で知られた名王者の幕引きに、米メディアも注目。「21世紀最高のリングのヒーローの1人が引退を選んだ」と報じている。 ボクシングの元世界3階級制覇王者・八重樫東が1日、現役引退を発表した。数々の名勝負を展開し、“激闘王”の異名で知られた名王者の幕引きに、米メディアも注目。「21世紀最高のリングのヒーローの1人が引退を選んだ」と報じている。 37歳でグラブを吊るす決断をした八重樫。米専門メディア「ボクシングシーン.com」は「元世界3階級制覇王者、アキラ・ヤエガシが引退を発表」の見出しで報じている。 記事では八重樫の足跡に触れながら、「21世紀最高のリングのヒーローの1人が引退を選んだ」と決断を紹介。「2005年のプロ転向以降、ヤエガシが私たちの期待を裏切ることは決してなかった」と数々の名勝負を演じた“激闘王”のキャリアを称えている。 また、2022年に世界ボクシング殿堂入り投票への資格を満たすことも伝えている。 何度も敗北しながらも、そのたびに這い上がり3階級を制した八重樫。記録にも記憶にも残る名王者の引退を米メディアも惜しんでいた。
Sep 2, 2020
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https://www.nikkansports.com/battle/news/202009010000645.html2020年9月2日13時1分 日刊スポーツ井上尚弥、八重樫とのスパー「指標」に成長を実感<ボクシング、「激闘王」八重樫東を語る~1> 元世界3階級王者・八重樫東(37)が現役引退を発表した。激しく打ち合うスタイルから「激闘王」と呼ばれた名王者を、選手、関係者、歴代担当記者などが語ります。初回は、同門のWBA、IBF世界バンタム級統一王者・井上尚弥(27)です。八重樫さんとは、自分が高1の時から、2014年に世界王者になる頃まで、スパーリングをさせてもらっていました。スパーを始めた当初、八重樫さんは日本チャンピオンで、体が強く、当たり負けてしていたのを覚えています。当時は、試合では足を使うスタイルでしたが、スパーでは今と同じでファイターでした。打ち負けることもありましたし、父(真吾トレーナー)と、八重樫さんとのスパー映像を見返して、作戦を立て、次のスパーで試すという作業を繰り返していました。高2、高3年となるにつれて、少しずつ食らいついていけるようになったことで、「指標」ではないですが、自分自身の成長を実感することができました。僕が大橋ジムと契約したのは、八重樫さんと井岡さんの試合のタイミングでした。ロマゴンとの試合もそうですが、常に「激闘」を貫き、どんな試合でも、会場に来たお客さんは満足して帰る。そこに、プロとしてのすごさを感じました。八重樫さんから「現役の最後にスパーをやりたい」と言われ、8月に、約7年ぶりに拳を交えました。わずか2ラウンドでしたが、八重樫さんのボクシングへの思いが伝わり、僕自身、感じたものは少なくありませんでした。トップで走ってきた先輩の最後の相手を務めることができて、自分にとってもすごく良い経験になりました。八重樫さん、15年間の現役生活、本当にお疲れさまでした。そして、これからもよろしくお願いします!…
Sep 2, 2020
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https://boxingnews.jp/news/76883/2020年9月1日火曜日 Boxing News(ボクシングニュース)“激闘王” 3階級制覇の八重樫東が引退表明 ロマゴン戦「あんなに楽しい試合はなかった」 激しい打撃戦でファンを魅了し“激闘王”と呼ばれた元3階級制覇チャンピオンの八重樫東(37歳=大橋)が1日、オンラインで記者会見を開き、現役引退を発表した。大橋ジムの大橋秀行会長、チーフトレーナーの松本好二トレーナーが同席した。 八重樫は引退の理由について「体力の限界を感じたわけではない」と前置きした上で、「いつも会長と松本さんと話し合って積み上げてきたキャリア。最後の最後に会長と相談して、『もういいんじゃないか』という言葉をいただき、その言葉を受け入れて決意が固まった」と説明。これは2月25日のことだったが、最終的に大橋ジムに入門した9月1日(2004年)を引退会見の日に決めた。 最も印象に残る試合を問われると、「あんなに楽しい試合はなかった」と敗れたローマン・ゴンサレス戦を挙げた。激闘王というニックネームについては、「大好きです。打ちつ打たれつのボクシングなのでボクシング的にはいいものじゃないけど、激闘王というすごく親しみのあるニックネームですし、これからも自分の宝物になると思う」と話した。 15年間タッグを組んだ松本トレーナーは「僕の中で印象に残っているのは世界チャンピオンになる前。けがの連続で、もうやめたほうがいいだろうということもありました。そこで踏みとどまってがんばって、世界チャンピオンになってくれた。“懸命に悔いなく”というのをまざまざと見せてくれた」と語った。 会見では家族の支えに触れて涙ぐむ場面もあったが、いつも気さくな八重樫らしく最後まで明るい記者会見で締めた。引退会見では教え子の中垣から花束をもらった 今後は飲食店を経営しながら、フジテレビ「ダイヤモンドグローブ」の解説、タレント活動をやりながら、大橋ジムのトレーナーとして活動していく。一般向けのパーソナルトレーニングを行うほか、先日デビューした新鋭、中垣龍汰朗を担当することも明かされた。 大橋会長は「八重樫は精神力もすごいけど、いろいろなトレーニング方法を研究し、食事や減量方法も日本で一番知識があるんじゃないかと思う。精神面はもちろん、技術的な科学的なものを後輩たち、僕たちスタッフにも教えてもらいたい」とトレーナー八重樫に期待を寄せた。 八重樫は岩手県北上市出身。黒沢尻工高でボクシングを始め、2000年のインターハイ・モスキート級で優勝。拓大に進学して02年の国体L・フライ級で優勝した。 05年3月に大橋ジムからプロデビュー。日本最速タイ記録となる5戦目でOPBFミニマム級王座を獲得し、初防衛後に王座返上。07年6月、勝てば記録達成のプロ7戦目でWBCミニマム級王者のイーグル京和に世界初挑戦したが、これは判定負けに終わった。 日本タイトル獲得をへて11年10月、WBAミニマム級王者ポンサワン・ポープラムック(タイ)に10回TKO勝ちで初の世界王座を獲得。初防衛戦でWBC同級王者の井岡一翔と2団体統一戦を行い、敗れたものの激しい激闘を演じて評価を上げた。 13年4月に五十嵐俊幸からWBCフライ級王座を奪取して2階級制覇に成功。4度目の防衛戦で当時のパウンド・フォー・パウンド・キングのローマン・ゴンサレス(帝拳=ニカラグア)の挑戦を受けて9回KO負けを喫したが、この試合もその勇気あふれるファイトで人気をさらに高めた。 15年12月、IBF・L・フライ級王者ハビエル・メンドサ(メキシコ)から王座を奪って日本人男子3人目の3階級制覇を達成。3度目の防衛戦でミラン・メリンド(比)に敗れて王座陥落。昨年12月、IBFフライ級王者モルティ・ムザラネ(南アフリカ)に挑戦して敗れた試合がラストファイトになった。生涯戦績は35戦28勝16KO7敗。
Sep 2, 2020
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https://www.bbm-japan.com/boxing/173889672020-09-01 ボクシング・マガジン編集部「ボクシングが僕の人生を豊かにしてくれた」八重樫東が引退を発表 元世界3階級制覇チャンピオン八重樫東(37歳)が1日、所属する大橋ジムでリモート会見を行い、現役引退することを発表した。昨年12月23日、IBF世界ライトフライ級王者モルティ・ムザラネ(南アフリカ)に9回TKO負けを喫し、その去就が注目されてきたが、ついに決断することとなった。 9月1日は、八重樫にとって特別な日。2004年のこの日が、大橋ジムに入門した“始まり”だったから。以来16年、「山あり谷あり」のプロボクサー生活だったが、八重樫は「完走した」と万感を込めて表現した。プロ通算戦績は35戦28勝(16KO)7敗。獲得したのはOPBF東洋太平洋、日本ミニマム級王座。そして、WBA世界ミニマム級、WBC世界フライ級、IBF世界ライトフライ級王座。「ボクシング人生を全うしたい」──。八重樫が常々語ってきた言葉。「体力的には限界を感じたわけではない」と言い切るが、「ボクシングの師、人生の師」大橋秀行会長に引退勧告を受け、最終的には進退を自身に預けられての決断となった。「ボクサーとして人間として、教えられることがたくさんあった。井上尚弥をはじめ、後輩たちも彼の背中を見て、学ぶものもたくさんある。これからは“第2の八重樫”をどんどん出していきたい」と大橋会長。松本好二トレーナーは、「世界チャンピオンになる前のケガの連続を乗り越えたところに、彼の生きざまがある。本当によく諦めなかった。最初から最後まで、彼のトレーナーとして全うできて、“冥利”に尽きる」と、15年のプロボクサー生活を労った。 ジムや応援してくれた方々への感謝の言葉を何度も表した八重樫は、「誇りに思うことは、世界チャンピオンになったことでなく、負けても負けても諦めずに立ち上がったこと。ボクシングでなくても、何でも立ち上がることが大事。それが伝わってくれていたら」と、ファンへのメッセージを残した。 経営する飲食店、運送業に加え、すでにテレビ解説者としてもスタートし、活躍の場を広げているが、先ごろ鮮烈にプロデビューを果たした中垣龍汰朗のチーフトレーナー就任、大橋ジムトレーナーとして後輩たちを指導していくことも発表された。さらには、パーソナルトレーナーとしても動き出す計画があるという。「これまでの僕は、ボクシングに育てられ大きくしてもらった。これからは恩返しをしていきたい。ボクシングに人生を豊かにしてもらったので、これからの人生もよりよいものになるように、ボクシングに携わりたい」 引退を決意してからも、八重樫は変わりなくトレーニングを続けてきた。そして、それはこれからも「変わらず」だという。 座右の銘──「懸命に悔いなく」を実践してきた不屈の男とボクシングは、これからも相思相愛を貫いてゆくはずである。
Sep 2, 2020
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https://www.fujitv.co.jp/sports/fuji_boxing/index.htmlFUJI BOXING 放送内容 次回 | 8月16日(日) 25:55~26:55 放送FUJI BOXING-DIAMOND GLOVE<サンデーMIDNIGHT>日本フェザー級タイトルマッチ:佐川遼×竹本雄利▽ミライ☆モンスター最多登場の松本圭佑、アマ8冠の中垣龍汰朗のスーパールーキーが8・24プロデビュー戦へ番組紹介開局から半世紀以上の歴史と伝統を誇るフジテレビのボクシング中継番組。初めての世界戦中継は59年8月10日、世界フライ級の「パスカル・ペレス×米倉健司」(視聴率77.4%)でした。これまでファイティング原田、海老原博幸、輪島功一のレジェンド・ボクサー、現在では村田諒太、八重樫東、井上尚弥などの幾多の名勝負を手掛けてきました。命をかけて戦いに挑んだすべてボクサー、この番組に携わった全ての先人たちの努力、そして“ボクシング”という偉大なスポーツに敬意を払い、これからも質の高い番組を作り続けることをお約束します。出演者【解説】八重樫東【実況】田淵裕章(フジテレビアナウンサー)【ナレーション】バッキー木場
Aug 11, 2020
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https://bit.ly/3foNkhm最後の夏残したい、全国大会が中止となった中高生へ岩手日報 2020.06.14(18) 頑張ってきたこと、無駄にはならない #最後の夏残したい「頑張ってきたことは無駄にはならない」と中高生へメッセージを送る八重樫東さん=横浜市プロボクサー・八重樫東さん プロボクシングの元世界3階級制覇王者の八重樫東(あきら)さん(大橋、黒沢尻工高-拓殖大)は、地方紙連携プロジェクト「#最後の夏残したい!」に賛同し、目標としていた全国大会が中止となった中高生へ向け「頑張ってきたことは無駄にはならない」と激励した。プロボクサーとして試合が決まらずとも鍛錬してきた経験から、こういう時期こそ「自分を成長させる一番の時間帯」と助言。3階級制覇を果たした激闘王らしく、岩手の子どもたちへ熱いメッセージを寄せた。(聞き手は東京支社・斎藤孟) -コロナ禍で考えたことは。 「いつも応援してくれる人への感謝や、当たり前ではなくなった環境のありがたさを改めて感じる。それをしっかり感じられる人間は、きっとこの状況が明けた時にまた頑張っていける。現状から目を背けずに向き合っていくことが大切なことだ」 -インターハイ、全国中学校体育大会が中止となった。 「代わってあげられないので、言葉にならない。ただ、中学校、高校3年生が、何かに懸けてきた思い、頑張ってきたことは無駄にはならない。試合がなくなり表に出せなかったとしても、これからの人生で、それだけ懸けて頑張ってきたことはなくならない事実だし、その経験がいつか自分自身を助けてくれる。だからこそ、あの時試合がなくなったけれど、一生懸命懸けてやってきたという自負さえあれば、またそういう状況になった時に戦えるし、立ち上がれる」 -世界戦14試合を戦った。試合が決まっていない時はどんな気持ちで練習しているか。 「試合が決まっていなくてもトレーニングするのが基本。逆に言うと、試合が決まってからでは遅い。決まってない時だからこそやるべきで、試合が決まったら方向性を向けるだけ。自分が強くなりたいという気持ちがあれば、何もない段階こそ、自分を成長させる一番の時間帯だと思う」 「気持ちの浮き沈みで、やる気が出なかったりする時もあると思う。そういう時は、自分が本当にどういうふうになりたいかを考える。僕は世界王者になりたいと思ったら、試合がなくなったとしても、世界王者という目標は変わらずにある。いつの日か試合は来るから、その時に今より強くなっていたら絶対、世界王者に近づける」 「試合がないから練習しなくていいやと思ったら、その人はそこまで。だからこそ、自分の中のイメージを鮮明にすべき時だ。こういう時期だからこそ前を向く必要性をすごく身近に感じられる。自分のエネルギーを前に向けられるようにしていったらいい」 -インターハイで優勝経験がある。 「高校生の試合って大学に進学する大きなステップになる。僕もそうだった。それがなくなれば可能性を失うことになり、気持ちは落ちるかもしれない。だが他の可能性はゼロではない。この大会で結果が残せなかったら全部だめではなく、違う方向で可能性を模索してみよう。常に可能性を探していく思考さえあれば、何にでもなれる」 -中学校時代は。 「中学はバスケットボール部で、控えでほとんど試合に出られなかった。悔しいことしか思い出せない。だけど、練習すればうまくなると思っている自分がいて、それは疑う余地がなかった。漫画のスラムダンクに影響を受けた。誰よりもシュート練習したら絶対、うまくなるんだと信じて疑わず、ずっとやっていた」 「でもうまくならなかったし、選手にもなれなかった。しかし振り返ると、そこに向かって何も疑わずに頑張っていた自分は財産になっている」 「今は情報社会だから、ちょっと調べたらやり方が出てきて、自分を否定する情報も手に入って、自分の可能性を切り捨てちゃう。『自分を信じて』というのは簡単だが、今こういう状況だから、自分を信じる力を身に付けてほしい。それさえできたら、試合ができた時に今の自分よりもいい自分になれると思う」 「自分が一生懸命何かに打ち込んだ時間は、結果にかかわらず自己肯定感を生む。自分がこれでいいんだと、こんだけやった自分のことを好きになってあげられる。そうすると気持ちが前向きになり、くじけた時でも立ち上がれる」 「自分のことが嫌いな子は自分のことを好きになれる時間でもあるし、それくらい自分と向き合い、たくさんいろいろなことにチャレンジしてほしい」 -動画投稿サイトのユーチューブで「八重樫東のやえちゃんねる」を始めた。 「もともとユーチューブチャンネルはあったが、こっちは仲間とみんなで仲良く、楽しくやりたいと思って開設した。ボクシング以外にも、八重樫東がどんな人なのかを伝えたい。僕のイメージってあると思うがそれを壊していきたい」 ◇ ◇ 八重樫 東さん(やえがし・あきら)黒沢尻工高で全国高校総体、拓殖大で国体を制覇。2005年3月プロデビュー。11年10月にWBAミニマム級王座、13年4月にWBCフライ級王座を獲得。15年12月にIBFライトフライ級王座を奪取し、日本選手3人目の世界3階級制覇を果たした。右ボクサーファイター。プロ通算戦績は35戦28勝(16KO)7敗。大橋ジム所属。37歳。北上市出身。#最後の夏残したい
Jun 14, 2020
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https://bit.ly/2USRqFJ井上浩樹選手のTwitter 午後8:44 · 2020年3月31日Koki Inoue画伯の王様。おみごと!!
Apr 1, 2020
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https://bit.ly/2QfZ5MNトレンドニュースJAPAN 2020.02.28八重樫東 心境!引退はいつ?3階級制覇した時の試合動画を公開、試合内容をふりプロボクシングで3階級制覇を成し遂げた八重樫東選手が話題になっています。その内容は、所属する大橋ジムの大橋会長から引退勧告を受けたというものです。3階級制覇を果たした八重樫東選手はどんな心境なのでしょうか。この記事では、八重樫東選手の心境とともに、3階級制覇した時の試合動画を公開していきます。1 八重樫東 心境 引退はあるのか?2 八重樫東選手の3階級制覇激闘動画を公開3 まとめ八重樫東 心境 引退はあるのか?まずは八重樫東選手の心境についての内容です。大橋ジムの大橋秀行会長が27日までに、自身のインスタグラムにて、元世界3階級制覇王者、八重樫東(37)に引退勧告を行ったことを発信した。投稿された文章は「八重樫東には引退勧告しました。本人が考えて結論を出すと思います。これからも八重樫東を宜しくお願いします。試合の時タオルを入れるタイミングを逃しましたが、今日タオルを入れました」というもの。八重樫の37歳の誕生日となる25日に、八重樫東後援会の報告会が行われたが、その際、マイクを向けられ挨拶に立った大橋会長が、インスタに書き込んだような”公開引退勧告”を行ったという。THE PAGEより引用現在37歳の八重樫東選手ですが、年齢というのももちろんあるとは思いますが、その試合内容がまさに「激闘!!」と言っても過言ではありません。激闘王とも呼ばれている八重樫東選手ですが、試合後に顔が腫れてない姿をみたことがありません。それだけ壮絶な試合を繰り返しているので、大橋会長は体の心配もして引退勧告をしたのかもしれませんね。引退勧告を受けて八重樫東選手の心境です。「うーん、どうですかねえ。どうなんだろう。今は、ネットニュースだけが独り歩きしてしまっているように感じます。もう(どうするかの結論は)決まっていると言えば決まっていますが、行動に移すまでには至っていない。頭の中でぐるぐる回っている感じなんです」THE PAGEより引用まだ50%50というところでしょうか。気持ちの中では決まっている部分もあるがそれを行動に移すまでに至らない。またちゃんと整理ができていないようです。もし引退ということになったら激闘を見られなくなるという少し寂しいところもありますが、引退になったとしても、3階級制覇した経験でボクシング界にこれからも携わってもらいたいですね。八重樫東選手の3階級制覇激闘動画を公開2011年WBA世界ミニマム級の世界タイトルに挑戦した時の動画です。初めての世界王者になりました。八重樫東 VS ポンサワン2013年WBCフライ級の世界タイトルに挑戦した時の動画です。八重樫東 VS 五十嵐俊幸2015年IBF世界ライトフライ級の世界タイトルに挑戦した時の動画です。八重樫東 VS ハビエル・メンドーサこの試合で3度目の世界タイトルを奪取した八重樫東選手は、日本人3人目となる3階級制覇を達成し、WBA、WBC、IBFの3団体を制覇した初めての日本人となりました。最後に八重樫東選手の世界戦14試合をまとめた動画です。激闘王の名がつけられている意味がわかると思います。まとめ記録はもちろんですが、記憶に残る激闘をしてきた八重樫東選手ですが、引退勧告を受けどのような答えを出すのか、今後の動向が気になります。
Mar 14, 2020
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https://bit.ly/2QfhLwiボクシング・マガジン編集部 2020-03-13“レジェンド”八重樫東、現在の心境を大いに語る。八重樫東ボクシングトップボクサートレーニング公開昨年12月、IBF世界フライ級王者モルティ・ムザラネ(南アフリカ)に敗れ、王座復帰のならなかった元世界3階級制覇王者・八重樫東(大橋)。37歳の誕生日となった2月25日、地元・横浜市で行われた「報告会」で、大橋秀行会長に進退を一任し、引退勧告を受けた。敗戦直後からトレーニングを再開し、いまもなお、ジムワークを重ねる八重樫の胸中とは──。会長、ボクシング、尊敬する長谷川穂積さんへの想いなど、戦い続けてきた男の心をストレートに明かす。14日(土)発売、『ボクシング・マガジン4月号』に掲載。
Mar 14, 2020
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