仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2009.10.30
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カテゴリ: 仙台
伊達という言葉は、政宗にとっては派手・風雅ということ以外に、人生における冒険・投機をも意味した。武将としてのかれは、細心の注意をめぐらすとともに、人取橋にせよ、摺上原にせよ、また小田原参陣、豊臣秀次事件にせよ、一身を投じて局面を打開してきた。まことにかれの人生は、文字どおり、伊達であり、華麗であった。

平重道『仙台藩の歴史1 伊達政宗・戊辰戦争』昭和44年、宝文堂 から
(上記は原文ママ)

政宗は京都に住んで桃山文化にふれ、華やかで派手に人生を享楽する側面があった。しかし、そうした外向的な面と同時に、一方では細心で注意深い。油断を戒め、また自分の生活を律し、他人に対して慈愛に富んだ。人の気心をはからないのは、政宗が最も嫌悪した心情であり、この内面の深さは、単なる武弁、単なる風雅の伊達男ではないゆえんだ。





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最終更新日  2009.10.30 07:20:12
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