仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2023.08.03
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カテゴリ: 仙台
今日の仙台も猛暑だ。35度を下まわると穏やかに感じるほど異変の夏だ。そんな昼下がり、水の森の丘に佇む、明治15年コレラ流行の死者をまつる塚を訪れてきた。
■関連する過去の記事  仙台とコレラ流行の歴史 (2022年9月19日)
(そのほかの関連記事は最後にまとめて記しています。)



はじめて、 水の森市民センター にお邪魔する。プールや児童館も併設され、夏休みの子どもたちも来ているようだ。明治のコレラや碑について、ホールに何も解説などはなかった。この市民センターは 水の森公園 のちょうど南端に位置する(昭和の頃はスケートリンクがあったと思う)。

館を出て市道沿いの敷地の南角が、広い公園全体の南端であり、公園内の長い園路の出発点がある。車止めがされ、林の中に進んでいく散策路なのだが、そもそも古くは秀衡街道(別名を古街道、義経街道)と呼ばれ、伊達政宗公が七北田を通る新街道と七北田宿を整備するまでは重要な街道だった。江戸時代は新街道の大名行列を避けるため、そして戦前は難を逃れるため、戦後は買い出しや病院通いのため、人々は秀衡街道を往来した。( 仙台市サイトの解説


そんな秀衡街道だが、この辺は明治の頃は相当寂しく暗い峠だったろう。下の地図の赤い印の場所が、叢塚の場所だ。


さっそく、散策路を進んでいく。阿曽沼先生の言うとおり(上記の前回 記事 です)、150歩ほど北進すると左手に叢塚が現れた。碑文は三面にわたって刻まれている(写真は一面のみ)。解読文は前回記事のとおりだが、目にすると、仙台に現実に起きた災禍の重みと、碑を建てて後世に伝えた意気に押される。


(↑左が市民センター。市道から入っていく散策路の入口。往時の秀衡街道だ)




(↑碑の左面の刻文)

さらに緩やかに上り坂を進んでいくと、すぐに三叉路に出る。なお、東西の二本に分かれる散策路は、三共堤の外周をまわり、北のキャンプ場で合流するのだ。東(北に向かって右)に延びる園路が秀衡街道だろう。この三叉路の山側(北)斜面に、上部が欠けた自然石の「焼場供養塔」(コレラ塔)がある。276人の供養碑だ。








吉岡方面からやってきて秀衡街道を仙台に向かう人は、この峠を経て、現在の荒巻小学校の方向へ降りて行ったのだろう。コレラ供養塔のある三叉路からは、住宅が密集する東勝山の風景を見下ろせる。






秀衡街道を引き返して、市道から公園の散策路に入る地点に戻る。


(↑秀衡街道が荒巻方面に下っていく。尾根沿いの山道だったろうが、今では陸橋だ)


(↑同じ陸橋部分を、散策路入口地点から。市内中心部のドコモビルが見える)


(↑公園散策路入口地点から、西側住宅地を望む。桜ヶ丘や中山か)





(↑水の森市民センター。右側の園庭の奥の法面の上が散策路だ)


■関連する過去の記事(仙台・宮城と感染症)
仙台とコレラ流行の歴史 (2022年9月19日)
芋峠
芋峠(仙台市)と感染症 (2020年11月28日)
鈴木重雄と唐桑町 (2016年6月19日)
宮城の民間医療伝承 (2011年9月4日)
明治のコレラ大流行と仙台市立榴岡病院 (10年9月3日)

■関連する過去の記事(疫病や感染症に関する民俗)
世界に誇る東北の郷土芸能(西馬音内盆踊り、鬼剣舞など) (2022年12月14日)
疫病と向き合う東北の民俗伝承 (2022年6月8日)
民俗信仰と東北 (2022年6月4日)
鬼剣舞と念仏踊りを考える (2022年6月2日)
魔よけと東北を考える (08年2月10日)

■関連する過去の記事(秀衡街道などに関して)
北根と七北田街道 (2011年10月24日)
近世までの東山道と中山古街道、七北田街道 (2011年10月23日)
中山道を考える(再び) (09年11月23日)
忘れられた宿場町 根白石 (09年11月4日)(奥州街道について)
中山(なかやま)道を考える (09年3月25日)(根白石街道)
中山道のむかし (09年3月23日)(根白石街道)
セントラル自動車が奥州街道を復活 (09年2月13日)

■(参考)関連する過去の記事(奇祭など。ほかにも過去記事ありそうですが)
ついに見た!米川の水かぶり (2023年02月09日)
中新田火伏せの虎舞 (2013年4月29日)
ハンコタンナと覆面風俗 (2015年2月1日)
塩竈の「ざっとな」 (2011年2月27日)
奇祭 鶴岡化けもの祭 (2011年1月3日)
民俗信仰と東北 (2022年6月4日)(弘前市鬼沢)
岩木山信仰とモヤ山 (2022年5月30日)

■(参考)関連する過去の記事(来訪神などに関するもの)
西馬音内の盆踊り (2012年8月5日)
ナマハゲやスネカの起源と神(鬼)の両義性 (2022年5月29日)
秋田美人を考える(再) (2022年5月11日)
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海の民、山の民 (2010年12月25日)
秋田美人を考える (2010年12月23日)
秋田ナマハゲは秘密結社か 再論 (2010年5月20日)
なまはげと東北人の記憶を考える (10年4月27日)
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最終更新日  2024.01.29 08:33:18
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Re:水の森公園の叢塚と供養塔(08/03)  
風小僧 さん
FF外から失礼致します
こちらの投稿をたまたま見つけまして、お伺いしたい事があり連絡しました
かなり昔ですが、荒巻本沢の消防署(今は特別養護老人ホーム)横道路脇の土手の下にお地蔵さんがおりました
今は土手もコンクリートで整備されてしまい跡形もありません
30年程前にはありました
最近このお地蔵さんのことを思い出して、何のお地蔵さんで、今はどこに行ってしまったのか、お分かりではないでしょうか?

突然の不躾なご連絡申し訳ございません (2025.07.17 14:36:47)

Re[1]:水の森公園の叢塚と供養塔(08/03)  
風小僧さんへ。コメントありがとうございます。

あの辺りは北山トンネルから桜ケ丘に至る道路で一変しましたね。私自身は1980年代に仙台に来て、友人のアパートを訪ねたりするときに、本沢三丁目交差点から、水の森や東勝山に登ったり(秀衡街道でしょう)、あるいは桜ケ丘や川平の方に行ったりした(途中に本屋さんがあった)記憶がある程度です。移動は自転車でした。

消防署が手掛かりですね、調べてみてなにかわかれば、お知らせいたします! (2025.07.19 22:22:22)

Re[2]:水の森公園の叢塚と供養塔(08/03)  
風小僧 さん
おだずまジャーナルさんへ

ご連絡本当にありがとうございます🙇
その書店は、とりたき書店 ですね。

そのお地蔵さんですが、
現在の特別養護老人ホーム せんだんの館から相田内科医院に向かう道にありました。

その場の感じですが、
お地蔵さんがおられた場所は土手のしたにきちんと石垣で囲われていて、幅も2メートルくらいはあったと思います。日影でいつも湿気ていてじめっとしている感じでした
いつの間にかお地蔵さんがいなくなり、しばらく囲いだけが残っていたと思います。もう30年以上前の話しです
(2025.07.20 13:38:42)

Re[3]:水の森公園の叢塚と供養塔(08/03)  
風小僧さんへ

規模の大きい囲いがあったとなると、由緒あるお地蔵さんでしょう。せんだんの館や大衡仙台線建設に際して丁重にどこかに移したのかもしれません。

とりたき書店の店名も覚えています。余談ですが、その道をさらに川平方面にのぼると、朴沢高校の三差路のあたりか、もう少し手前かと思うのですが、夜に屋台のラーメン屋が居て、職場の先輩に連れて行かれました。昭和の最後のころの思い出です。 (2025.07.20 16:06:22)

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