仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2023.08.02
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カテゴリ: 東北




気仙沼街道は、気仙沼市新町から千厩を通り一関市花泉町金沢までの約42kmで、当時は千厩から一関に向かうには北上川を越えなければならず、川崎村の蛇行した浅瀬を使って弥栄を越えていたものとみられる。

金沢宿に近い清水原はキリシタンが住んでいたとの記録がヨーロッパで見つかった。宮城県北部の涌谷や米川は藤原文化から伊達政宗の仙台領となり、九州から移住のキリシタンが活動し、地元の砂鉄や鉄鉱石と木炭で還元する「たたら製鉄」で栄え、蘭学等の草分けとして、ヨーロッパのトップクラスの文化と技術がこの地域に伝えられたと推測される。

すなわち、金沢宿付近は、まさに伊達政宗が憧れた平泉文化の入口として構築された地域だった。

主要な街道として使わていた当時、金沢宿から出発すると、最初の難関である長い上り坂に、前鹿野一里塚がある。春には雪をいただく須川岳が遠望できる。気仙沼方面からやってきた旅人は、金沢宿を一望し、石巻街道との合流地点を眺めて確認し、安堵して坂道を降りて行ったであろう。



■関連する過去の記事
気仙沼街道(金沢-薄衣)のルート (2011年10月22日)
平泉繁栄の理由 北上山地の砂金
平泉への道 (06年1月11日)
またまた「東北の街道を行く」 (05年10月14日)
再び地図上で東北の「街道を行く」、各県の地図ランキング発表! (05年10月12日)
地図上で東北の「街道を行く」 (05年10月10日)





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最終更新日  2023.08.02 10:15:54
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