明治9年6月16日、郡山に着いた明治天皇一行は、郡山中学校に休息。そのあと、西に2km進み、新開拓地の桑野村の開成山に着く。中條政恒が窮乏士族を救うために開成社を結成して切り開いた村である。天皇は、墾田の中央にある開成館の3階欄干に立って風景を楽しみ喜んだ。以上が、同書の記載である(当ジャーナルで若干の要約と編集)。
翌17日、郡山中学校の校庭で生徒たちが天皇に体操を見せる。中学校では、巡幸に内閣顧問木戸孝允が来るというので、千載一遇のチャンスとばかり、校名の扁額に揮毫を願い出たところ、木戸は快く筆を取って、金透学黌の四大字を書いて渡した。精神を集中して励めば、あらゆる困難を乗り越えることができるという思いを込め、端正にして躍動感あふれる書体である。
・明治6年4月 盛隆舎(せいりゅうしゃ)と称して小学教育をなす・明治7年11月 郡山小学校と改称するとある。大正2年に正式に校名に金透の文字が入ったようだ。
・明治9年6月 新校舎竣工、明治天皇御巡幸、木戸孝允「金透学校」と命名する
(中略)
・大正2年6月 郡山金透尋常高等小学校と改称する
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