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きょう(9月16日)の朝、桜ケ丘公園付近で、車4台がからむ玉突き事故があった。川内トンネルの出口の脇にある側道で、仙台二高方面から立町小学校交差点方向に向かって、信号待ちをしていた車に最後尾の乗用車が追突したようだ。ところで、NHKのニュースでは「川内トンネル付近の※市道」と報じていて、わざわざ「※この記事を公開した際に、当初「国道」としていましたが、正しくは「市道」でした。失礼しました。」と付記している。訂正する姿勢は良いと思うが、あの地点を含む広瀬通から西道路にかけては、国道と市道の区間が複雑に入り組んでいることの反映だと思う。■関連する過去の記事 仙台西道路の謎を考える(2014年6月8日)立町小学校(桜ケ丘公園)交差点から以西の仙台二高(美術館)交差点までは、地上部分はすべて市道。路線番号「青葉1344」、路線名「仲の瀬橋路線」だ。地下のトンネル(立町T、川内T)と橋梁部分の下部層はR48(仙台西道路)で国管理になる。ちなみに、立町小学校交差点から晩翠通りまでの区間は、地下(立町T)も地上も、国道48号で国管理になる。おそらく、NHKさんも当ジャーナルのこの解説を参考にして、訂正記事を書いたのだ(と信じましょう)。
2026.09.16
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郡山市にある金透小学校の名について。だいぶ以前にも記事にしたが、下記文献を読んでいて、改めて納得した。■伊達宗弘『語り継がれる 明治天皇の東北・北海道ご巡幸』銀の鈴社、2023年■関連する過去の記事 明治天皇の六大巡幸(2026年09月15日) 金透小学校(10年8月13日) 安積疎水を考える(06年12月19日)=明治天皇巡幸と東北開発、中條政恒など 東北開発の具体像(2023年04月06日)=安積疏水明治9年6月16日、郡山に着いた明治天皇一行は、郡山中学校に休息。そのあと、西に2km進み、新開拓地の桑野村の開成山に着く。中條政恒が窮乏士族を救うために開成社を結成して切り開いた村である。天皇は、墾田の中央にある開成館の3階欄干に立って風景を楽しみ喜んだ。翌17日、郡山中学校の校庭で生徒たちが天皇に体操を見せる。中学校では、巡幸に内閣顧問木戸孝允が来るというので、千載一遇のチャンスとばかり、校名の扁額に揮毫を願い出たところ、木戸は快く筆を取って、金透学黌の四大字を書いて渡した。精神を集中して励めば、あらゆる困難を乗り越えることができるという思いを込め、端正にして躍動感あふれる書体である。以上が、同書の記載である(当ジャーナルで若干の要約と編集)。郡山市立金透(きんとう)小学校のサイト(沿革史)によると、・明治6年4月 盛隆舎(せいりゅうしゃ)と称して小学教育をなす・明治7年11月 郡山小学校と改称する・明治9年6月 新校舎竣工、明治天皇御巡幸、木戸孝允「金透学校」と命名する(中略)・大正2年6月 郡山金透尋常高等小学校と改称するとある。大正2年に正式に校名に金透の文字が入ったようだ。伊達さんの著作では、明治天皇が行幸したのは郡山中学校とされている。この時代にいう中学校とは、明治19年の中学校令に基づく(旧制)中学校ではなく、明治6年の学制によるものだろうが、地域によっては未設置や私塾も多かったようだ。郡山の場合はおそらく、小学校と中学校にあたる学校が共存していたのだろう。なお、安積高等学校の歴史としては、明治17年に福島中学校として発足し、同22年に桑野村(現在地)に移転、とされている。
2026.09.16
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近代日本の天皇巡幸は、明治天皇の六大巡幸と昭和天皇の戦後の巡幸に集約される。いずれも、政治的な危機の中で国民の心を一つにしようとする国家的一大イベントであった。下記文献は、明治9年の巡幸を詳しく説明するものだが、その冒頭部分をもとに、明治の六大巡幸について記す。■伊達宗弘『語り継がれる 明治天皇の東北・北海道ご巡幸』銀の鈴社、2023年明治の六大巡幸は、民情を知り国民の貧しい生活の実態を直にみていただくことであった。・明治5年 九州・西国巡幸・明治9年 東北・北海道巡幸・明治11年 北陸・東海道巡幸・明治13年 甲州・東山道巡幸・明治14年 山形・秋田・北海道巡幸・明治18年 山口・広島・岡山巡幸さて、次いで明治9年の巡幸である。この東北・北海道巡幸に先立ち、明治9年5月に内務卿大久保利通が現場を訪れて、県関係者と休泊や視察順路などの段取りを練り上げた。地方産業の視察、功労者や名士との接触、戊辰戦争の敗者と勝者への配慮などが、大久保によってプロデュースされた巡幸だった。明治9年6月2日、明治天皇は赤坂の仮皇居を出発。右大臣岩倉具視、内閣顧問木戸孝允、宮内卿徳大寺実則、侍従長東久世道禧ら200名を超える人々が供奉した。同書には当時の民情、天皇を迎える各地の様子、またハプニングなども織り込まれており、非常に興味深い内容となっている。ここでは、東北に入ってからの行程の概略を(行在所を中心に)記す。(赤坂ー千住ー日光ー宇都宮ー芦野)、白河、須賀川、桑野村、二本松、福島、白石、岩沼、仙台、松島、塩竈、仙台、吉岡、古川、築館、一関、中尊寺、水沢、花巻、盛岡、沼宮内、一戸、三戸、五戸、三本木開墾地、七戸、野辺地、青森、(函館ー横浜)■関連する過去の記事 安積疎水を考える(06年12月19日)=明治天皇の巡幸と東北開発
2026.09.15
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たまたまミステリーを読んでいて、出てきた。瞬間、一昨年訪問した、亘理町大隈蕨の薬師十二社を思い出した。文中の十二神将の説明を以下に、記載しておく。十二神将は薬師如来を守る十二神で、いわゆる如来様を守る護衛の将軍である。薬師如来は東方に住む瑠璃光浄土に住む如来様で、反対側の西方極楽浄土に住むのが阿弥陀如来だ。浄土宗や浄土真宗はこの阿弥陀様を奉り経典に阿弥陀経を用いる。(中略)実は仏様の世界にはいわゆるヒエラルキーのようなものがあり、如来様がいちばん上である。薬師如来や阿弥陀如来のほかに、大日如来や釈迦如来などがいて、釈迦如来とはむろんあのお釈迦様のことである。よくみる観音様は菩薩といって、如来になるために修行をしている仏のことを言う。弥勒菩薩はお釈迦様が亡くなった後56億7千万年後にこの世に現れて人々を助けてくれると言われているありがたい存在だが、実はこの方もまだ修行中の身らしい。薬師如来は密教系、つまり真言宗や天台宗などの寺に、そして阿弥陀如来は浄土教系の寺のご本尊であることが多いが、(中略)禅宗はいったいなにを奉っているのかというと、(中略)なんでもあるのだ。(以下当ジャーナルで適宜要約)もともと禅宗は修行者の最高位である仏の弟子16人の十六羅漢を重視するといわれるが、大仏さんに如来も菩薩もいて、信仰の対象は時代でけっこう変わっている。十二神将にはそれぞれ元の姿(本地)があり、菩薩や如来などの仏が方角を守護するために姿を変えているのだという。地蔵菩薩(本地)は帝釈天に、十二神将では因達羅大将になる。文殊菩薩(本地)は、十二神将では波夷羅大将となる。■高殿円『戒名探偵卒塔婆くん』KADOKAWA、2018年■関連する過去の記事(十二神将) 傑出した会津の僧徳一(2026年08月14日)=日本の仏教のはじまり 黒川神社(大和町鶴巣北目大崎)(2024年04月04日)○薬師十二社を訪れる(亘理町逢隈蕨)(2024年03月30日)■関連する過去の記事(亘理町、薬師十二社、独特の地名命名法など) 名生館から西古川へ(大崎市古川大崎、古川斎下)(2024年06月19日)=戦中地名の地域を歩く○薬師十二社を訪れる(亘理町逢隈蕨)(2024年03月30日) 大崎市の戦中地名(2024年03月20日)=耕地整理で振り付けた地名 合併と広域地名(名取市、柴田町、本吉町、宮城町など)(2024年03月19日)○十二支と天地人(亘理町)(2024年03月12日)=蕨薬師堂周囲は方角地名か 亘理町を知る(地域区分、大字など)(2024年03月10日) 地名(市町村名)の付け方の類型論(2024年03月05日)=方角地名、瑞祥地名など
2026.09.13
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一関市で10月31日に、リアルケイドロ in 一関 なるイベントが開かれ、参加者募集中。テレビでお馴染みの佐々木成三さんが企画・監修なのだが、佐々木さんは一関市出身だそうだ(河北新報の記事)。■イベントのサイト佐々木さんは、一般社団法人リアルケイドロの代表理事となっている。防犯意識の向上や、街の魅力発見を目指すということなのだろうか。去年は235人が参加したとある。また、佐々木さんは、刑事コメンテーター、元埼玉県警察刑事。いちのせき大使にも任命されている。
2026.09.12
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