2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全30件 (30件中 1-30件目)
1
最低気温マイナス15.7℃で堂々の日本一だった今日(富士山も同じ最低気温だったが)。外はたくさんの轍が残ったまま凍り、もうおっそろしい道路で走りにくかった今日(冬太郎にやられた~)。町のコンビニに行ったら「クリスマスケーキ予約! 今日までだったら200円引きぃ~」でついつい予約してしまった今日。もう11月も終わっちまうんだなぁ…と思っていたら、今日届いた、ダンナの英語検定の結果通知!いちおう私信だから私は勝手に開いたりはせず、それを明るい所へ持っていって透かして見ようとした。ところどころ黒い文字が見え、「枚数が必要な場合は…」などとあったので、これは合格証明書の枚数ってこと? じゃあ合格したの? などと半信半疑だった。帰ってきたダンナが、中身を開いた時の最初の一言。「えぇーウソだぁ!」やはり、2級合格していた。いやぁ~めでたいじゃないか~! なにせ、1発で1次2次を通って合格したのだ!!!それにしても、「?」という気持ちが残るのはなぜだろう…。たしかに、英語の力はついていたと思う。英検関連の参考書や問題集は解いていたし、インターネットでの英語サイトを読んだり聴いたり、それからEnglish Journal系のCD付き雑誌も買って、読み聴きしていたし…。2級といえば、履歴書に堂々と書ける資格、らしい。だから、別にアヤシイ資格ではない、と思う。20年ほど前、私は現役の高校生で2級に合格した。けっこう珍しがられたが、とにかく、当時は英検よりも大学受験。英検など受けてなくても英語の成績がすごく良い同級生が何人もいた。で…私は大学に現役では不合格だった。英語だけ出来てもうまくいかないのだった。そして現在。私の英語力は下降の真っ最中。ひゃらららら~~~準1級や1級のことはよくわからないが…。2級というのは、合格点の範囲がけっこう大きく設定されているのではないか。単語を覚えるなど、ある程度のことをやり、ある一定のレベルをクリアできていれば、誰でも合格できるのではないだろうか。英検にはパターンがある。「試験はパターンが決まってますから、そのやり方に慣れれば、合格できるんですよ。大丈夫ですよ。」これは、英検のことを誰かに相談された時の、私の答え方である。もともとは、フランチャイズの塾で教わった言葉だったが・・・。パターンに慣れれば合格できる。そんな語学、あるだろうか。私たちは機械語をやっているの?どうしても英語の検定を取りたい、と考えたら、英検よりもTOEICやTOEFLの方が人間らしいかもしれない。それでも最近は、どうにかしてパターンを構築しようとしている“TOEIC対策”の参考書なども出てきているようだが…。生身の人間と相対する時には、『語学の資格』なんてどうでもよいのだ。---------------------------------------------------------<今日の公募!>H団体 手紙文以上
2004/11/30
私の実家は、太平洋側の都市の市営アパート。団地が建てられている場所は地盤が軟らかいという話もあり、地震の時は計測された震度以上に揺れるようだ。今朝、強い地震があったのは道東方面。実家はずっと西の方で震度2だったようだが、かなり揺れたらしい。「あんたの所も揺れたんでしょう?」と母親に聞かれた。ここも震度2くらいだが、私はそれほど感じなかった。パソコンを打っていたからだろうか?私が現在住んでいる場所は、比較的地盤がしっかりしている、という話を聞くのだが…気象台の人の話によると、近くに活断層が2本あるらしい。そして、日本各地でまだ発見されていない活断層も多数あるようなので、どこが安全でどこが危険なのか、なんてみんな分からないのだろう。だから…もしもの時に失ってはいけないもの・・・。自分の冷静さ。パニックに陥らないように、現在の状況を確認すること。そして、大切な人たちが今どうしているのか、確認しようとすること。-----------------------------------------------<今日の公募!>S社 短編小説以上
2004/11/29
ライター講座でお世話になった安藤房子さんと、ときどきメールをやり取りさせていただくことがある。講座を修了してもう1年経とうというのに、今もなお相談できる“師匠”がいるのは、ほんとにありがたいことと思う。先日、メールであることを話していたら、安藤さんが「なにかひとつでも“コレ”というのがあれば、きっとだいじょうぶだと思いますよ」と返信してくださった…。そうなんだよなぁ。。。。私の「コレ」っていうのはなんだべなぁ・・・。つまり、「私はこれには自信があります!」と堂々と胸を張って言えるもの、ということだろう。これにかけては知識!が豊富だったり、特別の才能があったり、性格的にふさわしいものだったり…。私にとっての「コレ」って・・・。うーん、うーん。専門分野! だとしたら…うーん。もうちょっと時間をかけたら「コレ」にできる分野はあるかもしれないが…。今現在、わたしの「コレ」というのをしいてあげれば…物事をいろいろな角度から見るようにしている、こと?北海道出身なのだが、幸い、本州に行く機会に恵まれ、東京を見ることもできた。そして、今は小さな町に住んでいるのだが…こういう場所にいても、世の中のことをいろんな視点から見ようと努力している、と思う。あぁ・・・どっちかというと、“田舎的視点”がまだまだ足りないのかもしれないなぁ。「都会ではこうだった、ああだったのに」と都会的偏見が尾をひいているかも。最近の私は、エッセイなどを中心とした公募中心になっているかもしれない。来年からはもうちょっとフットワークを軽くして、調査や取材のようなこともやってみたい。車の運転はおっそろしいのだが、きもをすえて、とにかく運転しなければ。(雪のある時は、冬太郎に負けずにね。)なんだかんだ自分のできることを少しずつ積み重ねていれば、そのうち「コレ」がハッキリするのだろうか。。。-----------------------------------------------<今日の公募!>U社 エッセイ以上
2004/11/28
どっちかというとキム次長の方が良いのだが、やはり、テレビで成田空港やホテルの人だかりがみんな「キャー!」なんて言っていると、私もオホーツク空港から飛んでゆくべきだったかなぁと後悔してしまう。行ったとしても、本人はきっと米粒大にしか見えないんだろう。でも、でも、「ヨン様と同じ空気を吸っている!」あの一体感はみんなと一緒に味わうのだろう。キャー!それにしても…あれはフィーバーしすぎだと思う。毎度毎度こんなフィーバーだったらしゃあないか、と思うけれど、後に、日本人特有の興ざめ(?)となってしまい、ファンたちが集まらなくなった時に感じるとてつもない寂しさとのギャップがあれば、とても悲しいことだと思う。それでも、ヨン様は将来的にも活躍する方だと思うけれど。ヨン様がニュース番組で『ペ・ヨンジュンさん』になってしまった日。写真展の内覧会に出席するためにホテルを出発したところ、外で待っていたファンたちが車に殺到し、けが人が多数出てしまったらしい。出席予定だった写真展のテープカットやトークショーは中止。ヨン様はインチョン空港を出発する時に「成田空港にたくさんのファンが集まっていると聞き、心配しています。怪我をしないことを祈るばかりです」と発言していた・・・。やっぱり、気の毒。会見なんかわざわざしなきゃいけなかったし…。写真展にも5,000人集まり、そのうち1,000人は会場に入れず、泣く泣く帰ったらしい。そんなに…いちどきに行かなければいけないものなのだろうか…。空港やホテル、写真展に集まったのは何千人もいるようだが、そういった場所に行けなかったファンの方が…きっと多いのだろうなぁ。テレビ観ながら「ヨン様のファン、な~にやってんだか」なんて、全国各地で呆れているのかな。。。-----------------------------------------------<今日の公募!>A社 エピソード以上
2004/11/27
新札が出てから1か月経つらしい。小樽の日銀の資料館では、新札の9番券の展示を始めたり、某所の社員さんが新札の特定の番号を自分のお金と取り替えたり、ある人はオークションに出したり…新札に関するいろいろな話題が出ているようだが…。別に困っちゃいないのだが…私はまだ、新札を1枚も見たことがない。町内の郵便局でATMを何度か利用したが、全然出てこなかった。そして、ダンナの給与は振込ではなく、封筒に入った現金を直接もらって来るのだが、その中に新札は1枚も混ざってはいなかった・・・。やっぱり…日本のはじの方まで新札が来るのには時間がかかるのだよねぇ。地元の金融機関よりも、オークションに出品されたのをゲットする方が早かったりする??? いや、そんなムダな行為はしないけどね。そのうち、忘れた頃に「あ、これ新札だ!」と気づくのだろうなぁ。とりあえず、気長に待つことにするよ。5年先、10年先…? ああ、そんなに待っていては、旧札が使えなくなってしまうだろうけど。セキュリティの方で最新技術を施しているらしい、前評判の高い新札だったけれど、海外で新札のテスト版が発見されたってこと自体、この新札はまずいのではないか? 偽造の技術を、今頃ていねいに研究されているかもしれない。大丈夫なの? そして、日本国内で、造幣局の方から簡単に盗み出される手口があるってことでしょう。大丈夫なの?○番だから、ぞろめだから、と浮かれている場合じゃないと思うのだけれどなぁ。-----------------------------------------------<今日の公募!>N社 短編小説(ちょっと出してみました…)以上いちおう、ロシア語リハビリもやってるじょ♪
2004/11/26
昨日と今日。町内の小学校や施設を回り、読み聞かせをした。幸い、雪はあまりなくて、車がスリップすることもほとんど無かった。ほっ。私が読んだのは『ゆきがくる』(あさいたかし作)で、数十年前の、雪を迎える準備をしていた風景が出てくる。ストーブを置いてえんとつをつないでいったり、冬の間に食べる野菜を調達したり。その中で、石炭屋さんがたくさんの石炭を売りにやってきて、石炭小屋がいっぱいになるまで石炭が入れられるシーンがあった。今は石油ストーブや暖房のスチームを使うのが多くなったかもしれないが、数十年前はみんな、石炭ストーブだった。学校では各教室で石炭ストーブをたいていた。そのための石炭を、その日の日直が石炭の部屋から缶に入れて運んできていた。石炭ストーブはたいてい、教室の前の戸口の近くにあった。真冬は一日中、ストーブはたかれた状態だ。しかし、長方形の教室では部屋全体が均等に暖かくならないのだ。石炭ストーブに燃料の石炭をスコップで入れることを「石炭をくべる」という。石炭をくべるのは、たいてい、ストーブの近くの人間である。「さみぃぞぉ~! もっと石炭くべろよ~」教室内の寒帯、亜寒帯に座っている人間たちからクレームがくる。“亜熱帯”の人間は、しぶしぶ立ち上がり、石炭をくべる。自分はもう、くそ熱いんだ。もう、顔が焼けそうにヒリヒリする。授業はつまらないが、こう熱いと居眠りするわけにもいかない。こんな席にすわりたくなかった。嗚呼・・・。亜熱帯は、自分の運命をひたすら呪う。休み時間になる。寒帯、亜寒帯の野郎がストーブの前に集まり、暖をとる。亜熱帯が自分の体を冷やすために外に出ている間、寒帯、亜寒帯が、ストーブに思いっきり石炭をくべている。みるみるうちに、燃えすぎて煙突も真っ赤になるほどだ。休み時間が終わり、授業が始まる。戻ってきた亜熱帯は、ストーブのありさまにショックを受ける。「こんな熱いの、もういやだぁ~」男子であれば、学ランを脱ぎ、Tシャツになる人もいた。女子は水着姿…いえいえ。いくらなんでもそこまでは…できなかった。石炭ストーブは地獄の思い出ばかりではない。石炭ストーブの上には、大きな器で水がかけてある。それは時間が経つとお湯になって蒸発し、室内の乾燥を防いでいた。いつだったか、昼休みに、そのお湯で“カレーパーティー”をしようぜ、ということになった。レトルトのカレーをストーブの湯で温めて食おう、ということだったのだ。その日、ほとんどの人が持ってきたのは普通のボンカレーだったが、ある友達が当時新発売だったカレーマルシェを持ってきていた。すんごく羨ましかった。その後、大学に入学してビックリしたこと。大学には石炭ストーブがない。といっても、仙台だったから比較的暖かく、もともと必要なかったのかもしれないが。大講堂でもスチームが部屋全体にゆきわたっているのを見たときは、すごく感動したっけなぁ。講義中に石炭をくべなきゃならないヤツはいないんだぁ~---------------------------------------------------<今日の公募!>S社 童話(初めてです…)以上
2004/11/25
川崎市高津区の“みぞのくち”。“みぞのくち”と言っても、溝口と書いたり、溝ノ口になったり、溝の口としたり。いろいろな表現をされるが、つまりは、JR南武線と東急田園都市線が交差した周辺地域のことだ。高校生たちが「おい、“のくち”に行こうぜ」と言いながら、連れ立ってやって来る地域だという。残念ながら、私は誰かが「のくち」と呼んでいたのを聞いたことがないし、私もここを「のくち」と言ったことはなかった。私が仙台から上京することになった時、住む場所を探していた。東京に行く、と言っているくせに、東京都内に住む勇気がなかった。やはり、ちょっと怖かったのだ。アパートの家賃がべらぼうに高そうだし、悪い人がたくさんいて危険が多いだろう、と心配していた地方人だった。「溝の口だったら東京に近いし、物価も安い」ということをチラッと聞き、私はある日、このあたりの不動産屋に入った。駅から20分程度歩くアパートだったが、予想以上に安い物件が見つかり、即決した。住んでみてあらためて、溝の口はとても便利な所だと実感した。街を歩く人たちがとても庶民的。私の生活レベルや感覚に合い、新鮮で安い品物を買いものできた。ちょっと食事を…と思うと、無理しない金額でお腹がいっぱいになる。古くて小さな店がとても多かったが、店員さんたちには活気があり、私は用がない時でも街中をぐるぐる散歩して楽しんでいたのだ。そして、溝の口から電車に乗って数分で都内に入る。多くの芸能人がショッピングを楽しむニコタマがある。渋谷までは電車で30分程度で行ける。派遣会社に登録した私は、半蔵門線、山手線、そして東急線沿線で仕事をすることが多かったので、溝の口に住まいがあることはとても好都合だった。田舎者の初めての都会生活。溝の口に住んだことで、ずいぶん快適に感じられたのである。その後、私は都内に移って一時“東京都民”になった。「都内も安全なんだ」ということがなんとなくわかったから。ところが、数年後、公団の賃貸マンションが当たり、神奈川県内に移った。ただ、その時は川崎市民ではなく、横浜市民になったのだった…。「あ、ここから溝の口に行けるじゃん!」横浜市の地図を広げ、自宅周辺をいろいろ見ていた時だった。公団といっても、最寄り駅からは遠かった。いちおう、公団が終点の『サンヴァリエ日吉』というバスがあるのだが、本数はそれほど多くなくて、私は駅の方から上り坂を歩いて帰って来ることがよくあった。歩いて20分、30分なんて都会では慣れっこだ。ここから遊びに行けそうな街は他にないかな、と思って地図を見ていた。駅とは逆に、西の方角に歩いてゆくと、綱島方面に行けるバス通りがあった。そのバス通りを綱島とは逆の方向にたどってゆくと…蟹ヶ谷という場所があった(『梶ヶ谷』ではございません)。そこから、なんと溝の口方向にバス路線が続いていたのだ。私にとって、大発見だった。私はさっそく出かけた。蟹ヶ谷までは徒歩で20分。住宅が続く、寂しい通りをひたすら歩いた。そして、蟹ヶ谷に来て、出会ったのが『溝の口』という名前の入った東急バスだった!私はここから、30分もバスに乗り、溝の口にたどり着いた。。。。しかし…溝の口は姿を変えていた。そういえば…私が住んでいた頃、再開発の話があったんだっけ…。目の前にあったのは、再開発後の溝の口だった。○l○lのロゴでおなじみの丸井のビル。そして、「のくち」から由来したんだろうと思われるノクティ(NOCTY)というビルが空に向かって伸びていた。どこかの宇宙都市がここに舞い降りたようだった。「のくち」が“ノクティ”になった。。。。こんなに変わってしまっていいの? 私はちょっとガッカリした。その反面、新しいビルはとてもウキウキ気分になったのだけれど。道路は位置を変え、舗装しなおしたようだった。そういえば、東急の駅舎の下にあった数軒の小さな店は…。前の姿を想像できないほど、駅舎周辺には新しい店舗が並んでいた。JRの駅は2階建て。天井がとても高く、ヨーロッパの駅舎を思わせるような雰囲気だった。週末に府中競馬に向かう人たちが乗車する南武線、だよね? 前の駅舎とはあまりにも違いすぎていた。私はよそから移ってきた人間だから、溝の口がこんなに変わったといってもそれほどの思いはないのかもしれない。それよりも、ここにもっともっと長く住んできた人たち、そして、ここで生まれ育った人たちにとって、とても寂しい再開発になったのだろう…。街の変わり様にはガッカリしたのだが、それでも私はたびたび『ノクティのある街』に通った。仕事の帰り、東横線から途中で南武線に乗り換えて来たり、わざわざ川崎市内の派遣の仕事を探して働いてみたり。何かと口実を作り、ちょくちょく足を運んでいたのである。そして、バスで30分、終点の蟹ヶ谷から徒歩20分かけて、家に帰るのだった。なぜなんだろう。遠回りしても、この街に寄るとなぜか安心できたのだった。キザな言い方だが“都会の中のふるさと”なのだろうか。ノクティではたまにしか買い物しなかったが、献血ルームにはよく通った。「献血ルームは飲食自由」というのを知り、私が献血をおこなった最初の場所だった。成分献血にはハマったなぁ・・・。ノクティのある街、今も元気ですか?--------------------------------------------------------<今日の公募!> ようやく復活ぅ・・・T社 エピソード以上
2004/11/24
まずいっちゃ~(なぜか仙台ことば)!ずっとごぶさたしております。死んでるのか生きてるのかどうなっているんだべと思われるかもわかりませぬゆえ、ここにちょっと参りました。先週でロシア語講座は終わり、再び独学の日々。。。?昨日はADSLの工事があって、私は再びネットに接続できるのかヒヤヒヤしておりましたが、無事ネットに復活ぅ~~。パソコンも暖かい場所に移し、本来の自分に戻って(?)これからバリバリ打とうと思っちょります。。。雪はすっかりなくなってしまい、小春日和となっております。青空。雪が積もってどうなるんだべと思っていた水道工事は復活したようで、祭日ですが、ドンゴラゴッゴと音を立てております。うちで飼っている小動物は、そんな音にもめげずに寝ております。(もともと夜行性だし。)続きはまたあとで。ほいさっさー。 -----------------------------あらよっと。祭日ですが、外にはトラックが数台、目の前に集結しております。パワーショベルが土砂を持ち上げたり、おおぜいの作業員たちが動き回っています。家の前はすっかり“工事中”です。さきほど、お隣の家に回覧板を持って行ったのですが…通常20歩も歩けば行ける距離なのに、私の家の前がふさがっているため、車を出し、ぐる~んと路地を回り、5分もかけて行ってきました。隣って遠いべさぁ。。。生協の協同購入の品物をもらって帰ってきたら、『もっと知りたい冬のソナタ』が放送! ゲストでキム次長などがいらっしゃいました!やっぱり、私はヨン様よりもキム次長の方が良いなぁと思います。ヨン様は美しすぎると思う。どっちかというと、私は一癖有りそうな雰囲気の方が好きですね。実はキム次長ファンも多いようだよね。演技でも定評ある方のようですよ。雪がなく、このまま暖かい日々が続けばいいなぁ。今週中にまた白い世界になるらしい。明日とあさってはまた読み聞かせでぐるぐるでっす。私は『ゆきがくる』(あさいたかし著)を持ってぐるぐるです。---------------------------あちゃー公募!送る!という心の準備はできているのに、なかなか送れません。近々公募も復活いたしまっす。公募でいっしょにがんばる皆さんをどんどん募集♪
2004/11/23
ADSLを使った感想です。8月末のパソコンリカバリのこともあり、回線が変わることにいろいろな不安もあったが、午後、工事の人が1人来て下さり、30分程度でつながってしまった。うちは同じプロバイダで回線を変更しただけなので、IDやパスワードなどは変更にならず、ルーターの設定画面をパソコンで出し、IDなどを入力したら、あらよっと、すぐにネットにつながった。そのあと、たくさんのケーブルがじゃまにならないよう、たばねたりまとめたりをやっていた。画面が出てくるのに10秒もかかっていたものが、ADSLだと2、3秒でビュン!と画面が飛んでくる感じ。速さには本当にびっくりしている。しかし、これまで動きが遅いのがあたり前だと思っていた広告のアニメがビュンビュン動くので、そういうのがチラチラしすぎて乗り物酔いの気分になってしまう。ただ…カンドーしたのはインターネット放送などの映像。ISDNだとボケボケが普通だったのが、ずっと鮮明になった。『ブロードバンドニッポン』を観たりすると、私の知っている有楽町の風景が広がっている!!! テレビだったら、せいぜい渋谷か新宿、あるいは横浜の港くらいしか映してくれないから。でも…他の地域のADSLだともっと良質なのだろうなぁ。この町のADSLは8Mが使えるだけ。。。隣の都市は光ファイバーにするという話もあるが。。。そのうち、時代が進むとパソコン上でもハイビジョンみたいに、そばにあるような鮮明さが出るようになるのだろうなぁ。わぁ、その頃はもう、私はババァだなぁ。きったねぇババァになっているんだろう。きったねえばばぁも全世界に発信してしまう。毒蝮さんにババァ呼ばわりされてみたいなぁ。(まむしさんはずっと年上じゃん!)
2004/11/22
飲み食いしながらパソコンやっている方! 飲食は中断されるか、のちほどお読みくだせぇ。我が家のトイレは汲み取り式である。汲み取り、といっても知らない方がいらっしゃるかもしれないので、ちらっと説明。つまり、毎日の“排せつ物”をトイレの大きな容器にためておいて、年に1、2回、業者さんにホースで吸い取っていただく仕組みのトイレである。なぁんて、まわりくどい説明だわ。つまり、ボットン式のトイレってことよ。ちなみに、私のばあちゃん(in北海道)の家は汲み取り式だった。鉄鋼の街にある私の小学校では、私が卒業する直前までボットン式だった。そうそう…私のダンナの和歌山の実家も汲み取り式だった。だから、私はこれまで汲み取りのトイレは何度も利用していた。最近はどこでも下水道が整い、水洗式が普及しているけれど、地域的にはまだ完全に水洗にできない場所も多いらしい。水洗は水洗でも『簡易式水洗』といって、トイレ用の水をいつもタンクにため、使う時にジャッと出すような方法もある。私が横浜から移ってきたこの町のトイレは…汲み取りだった。汲み取り式トイレというのを久しぶりに見て、私は強い衝撃を受けた。あたりまえなのだが、トイレの中に皿のような部分がない。奥深くまで続く、薄暗い穴になっていたのだ。夜、トイレの明かりをつけて入ると、ちょっと角度的に、中の物体が…見えてしまうこともある。。。そして、暖かい時期になると、中から新しいハエたちが飛び出す。旅立ちの季節が始まるのだ。穴の中には、自然にハエたちが生まれ育っている。ある時、トイレのドアを開けたまま、室内の掃除をしていたことがある。あとから気がつくと、白っぽい壁紙に茶色っぽい小さな点々がたくさんついていた。それは実は…ハエが止まった跡だった。そうそう、彼らはそのトイレの穴の中から出てきたのだから・・・。その事実に気がついた私は恐怖におののき、「トイレの個室からは、絶対にハエを出さない!」ということを誓ったのだった。夏になり、汲み取りをしてくださるよう、業者さんにお願いしてみた。しかし…「そのトイレは3月に汲み取りしたばかりだから、冬前になったらまた電話してよ」とおっしゃった。3月…それは前の居住者が引越しをする直前だった。「引越し直前には汲み取りをしてゆく」というのがこの町ではおきまりのルールだ。しかし…今、考えれば、3月というのはようやく暖かくなる頃だ。真冬はマイナス20度前後の気温がずっと続いていた。。。。だから、その時期はまだ凍り付いていて、中のものはすっかり取りきれなかったのではないだろうか?たぶん、おそらく、その夏は、例年よりもたくさん、残っていた夏。。。。そして、ハエたちも大いに活動する夏。。。。初めてここで過ごしたその年の夏は暑かった。30℃を超える日が何日もあった。私はハーブガーデンにバイトに出かけ、毎日留守にしていた。バイトから帰ってきて、いちばん怖かったのがトイレを開ける瞬間であった。窓は閉め切っていた。だから、トイレの個室にはウン十匹のハエたちが自由気ままに飛び回っていたのだ。私はドアをちょっと開け、急いで個室の室内に殺虫剤をかけ、あとから床に散らばった彼らを掃除機で掃除していた。そして、ダンナが無意識にトイレのドアを開けないように、ドアには『ハエちゅうい』と走り書きした紙を貼っていた。ようやく秋が終わりとなり、トイレの中身が徐々に増えて盛り上がってきたのが見え、ハエたちも活動も終わりになった頃…汲み取りの業者さんにお願いした。そして、キレイにしていただいた。汲み取りが終わったばかりのトイレは、カランカランと音を立て、とてもすがすがしかった。汲み取り式トイレの季節はめぐりめぐるよ。下水道の工事もかなり進んでいるようだが、うちはいまだに汲み取りトイレのままよ。でも、水洗トイレだと、真冬に水抜きしなかったら大変なことになるし、水道代はそれほどかからないよん。。。。。お宅のトイレはどんなトイレ?
2004/11/21
もちろん、私の頭の中でねっ。今度の月曜日にADSLの工事が来るので、今は、部屋の片付けでていいっぱい。これまでパソコンを置いていた部屋から、茶の間の方に移動し、ついでに、私の使っている資料や雑誌、ボロボロの本なども他の部屋に運んでいる。で・・・耳はとっても暇そうなので、ふたたびロシア語を流している。少しでも、自分で覚えてゆけるようにと思い。。。。ロシア語講座は終了したが、ひとりで毎日少しずつやってゆく方法を習うことができた。教材のテープもいただいた。私が聞いていたラジオ講座のCDよりも、ずっとずっとスピードが速い。やっぱり、この速度に慣れておかないとまずいだろうなぁ。昨年、この町にいらしたロシア民族舞踊の皆さんの会話なんか、早口でまくしたてていて、私はあっけに取られるばかりだったから。そして、悲しいことに私の発音はやっぱりいけないらしい。жは舌をスプーンの形にし、口蓋と舌の間に息をヒューっと通す。pはおなじみ巻き舌。口蓋のところで震わせる。これらの発音が特にダメらしい。「練習しかないですね」と先生はおっしゃっていたが、うまくなるのだろうか。。。小さい頃から日本語のら行が苦手だった。《らりるれろ》が《がぎぐげご》になってしまう。そんなことから発音というものに興味を持ち、放送部に入ったり、アナウンス教室に通ったりしたけれど、やっぱりら行は今も苦手。とりあえず、できるようにはなったけれど、厳密に言うと『ら行のごまかし方』がうまくなったんだ。まずい。もっともっと舌を使わないといけないロシア語。本当にリハビリみたいにやらないとできないぜぇ。テープを聞きながら、どなた様にもお見せできないような顔で「じぇー」「えんるるる」なんてやっている。しかし…なにごとにも「リハビリ疲れ」はあると思う。整形外科でリハビリやっている人たちも「ああ、もうやりたくない」と弱音を吐くのだろう。でも、そういうのを乗り越えて行かないとリハビリがうまくいかないのだよね。最近、私も“リハビリ疲れ”かもしれない。なぜなら、聞いているロシア語のテープの中で「日本語」と似た言葉を無意識に探している自分がいるのだ。まずい。聞こえてくるのだ。小中学校の女子生徒は「ほいさっさ」あとは、意味はまだよくわからないが、「がちんこ」「カニ食え」「ありがと!」「どーも」「まじぃ」など…。ああ、だめだ。ますます日本語になっちまう。。。。
2004/11/20
楽天じゃなくていいのかなぁ。。。。ダルビッシュさんは日ハムが1巡で指名。仙台だから楽天だろう、と思っていた私は、この意外な展開にビックリ。えぇ~~~いいのかなぁ。北海道に連れてきていいの? なんだか悪いよぉ~。車を運転しながらラジオを聴いていたら、リスナーが「ダ~ルちゃん、ダ~ルちゃん」なんて怪しい歌を歌っていた。もう、道民のおもちゃになっちゃうかもよ。って言っても…現段階ではまだ「考え中」だよね。でも、「宮城球場に行った時は、思いっきりプレーしたいです」とおっしゃっていたので、宮城球場→パ・リーグ→日ハム?という図式になったり。インタビューの端々から『ダルビッシュ=日ハムの意志』というのが見え隠れしているのだが。。。SHINJOとも仲良くなりそうだよね。同じように南から北へと流れてゆく者として。ゴレンジャーでもスパイダーマンでも、なんでもやってしまうかもしれない?仙台の皆さん、ごめんなさい。北海道にダルビッシュさんがいらしたら、道民がハッチャキになって、真面目にダルビッシュ投手を育てるからねぇ~~。安心してけさいん~。
2004/11/19
はじめまして! 冬太郎でっす!実験大好き冬太郎の、今日の実験始めるよん♪大雪降ったね。たくさん。僕は大喜びなんだ。今年は暖かいので、雪のシーズンでも雨が降ります。たくさん積もった雪の上から雨をパラパラ降らせてみま~す。ほーら、雪が解けてきてドロンドロンですよ~。その上を車が通るたびに、いろんな形のタイヤの跡ができるねぇ!!!そして夜になると~やっぱりさむーくなるんだねぇ。ねぇねぇみんな、凝固点って知ってるかな?そうだね、液体が固体になる温度のことだね。さあ、水の凝固点は何度だったかな? そう、0℃だ。漢字で零度とも書くよ。もう冬なので、夜になると~~気温が下がりま~す!道路はどうなってるでしょう。そうそう、そうだね。タイヤのあとがついたまま、凍っちゃうんだねぇ!はい、次の日の朝になりました! 気温が氷点下まで下がりました。道路はどうなっているでしょう?うう! わぁ、いろんな形の道路、その形のまま固まってるねぇ。面白いねぇ。その上を車が通ってゆくよ~!!車はあっち行ったりこっち行ったり、いろんな方向に行っちゃいそうだねぇ。わぁ、すげぇ♪パチパチパチパチ・・・・・“冬太郎ちゃん”というのは架空の人物です。私は、冬になるとどこかから“冬太郎ちゃん”がやってきて、毎日毎日いろんな形の道路を作り、ドライバーが困っているのを見て喜んでいるような気がしてならないです。「今日はこんな道路だよん。走ってみてね♪」こんなふうに毎日いたずらをする、困った奴だと思います。ドライバーはみんな、冬太郎のせいでヒヤヒヤしながら走るのです。なんとも腹立たしいやら悔しいやら情けないやら。。。。車を運転しないわけにもいかないし。---------------------------------------------------ロシア語は、簡単な(?)長文を聞きながら意味をつかんでいっています。登場人物は誰か、どんな話をしているのか、想像はするのですが、知らない単語ばかりなので頭の中で消化不良を起こしそうです。いずれは…覚えなけりゃいけない単語なのですよね。地道にやるしかないですね。それから、ニュース原稿や社説みたいなきちんとした文章を読み、辞書を引き、また聞いて、テープも練習して…とこれからも続きます。。。たぶん。リハビリは休んでしまうと元に戻ってしまうものね。ああ、ライターズ某の課題、出していません! 〆切はきのうだったのに…。これから出しても読んでいただけるかちら。。。
2004/11/18
ああ、今日は雪だよ~ん。すぐに解けてしまいそうな淡雪だけど、量がおおいぜぇ~~~。ロシアのプーチン大統領の見解では、1956年の日ソ共同宣言にもとづいて“2島返還”という。それは色丹島、そして歯舞諸島。しかし、旧島民や日本の大多数の人々は、それよりも100年前の1855年2月7日の日露通好条約により、国後島、択捉島を含めた“4島返還”を求めている。返してもらえるんだったら2島でもいいじゃん、という方がいらっしゃるかもしれない。しかし…そうなると、ほかの2島で生まれ育った人など、心底「島に帰りたい」と思っている人たちは納得いかないのだ。歴史的に…江戸末期の1855年2月7日に締結された『日露通好条約』では、両国の国境は択捉島と得撫島(ウルップ島)との中間とし、択捉島から南の島々(つまり4島)は日本の領土、得撫島から北の島々は、ロシアの領土となった。そして…第二次世界大戦後の1956年の『日ソ共同宣言』では、「日本との平和条約締結後に歯舞諸島、色丹の2島を引き渡す」という話になったのだが、日本側は「あくまでも4島」と主張したために交渉は向こうから打ち切られ、平和条約の締結には至らなかったのである。だから、日ソ共同宣言は無効!とは言わないまでも、“2島返還”なんてのは確定していない。それゆえ、プーチンさんが日ソ共同宣言を持ち出してきても説得力がないのだ。島民たちが故郷をあとにして、もう60年近く経ってしまった。国後島に住んでいた私の祖父や祖母はもう生きていない。母や叔父たちも年老いてゆく一方だ。叔父が数年前に墓参に出かけ、ロシア人家庭にホームステイし、小さい頃に覚えた(覚えざるをえなかった?)ロシア語で交流してきた、と言った。ああ、現地の人たちとそういう交流があるんだなぁ、と私は思った。そして、私が本州から引っ越してきたオホーツクのこの辺りも、ロシアと密接なつながりがあった。島に帰れない人々を見て、哀れんでいるだけではどうもやりきれない。逆に、長い月日が流れるうちに、現地で生まれ育ったロシア人もいる。もう60歳近くになる人もいるだろうし、歴史をほとんど知らない若い世代もたくさんいるだろう。そういった現状を見ている私たち子孫は、どうしていったらよいのだろうか。わたしが今、ロシア語を学んでいる理由のひとつがこれである。ロシアの若い人たちと、今後、どのようにかかわっていけばいいのだろうか。そのうち実際に島を訪ねていき、彼らといろいろと話してみたいのだ。あるHPで、2世の方が「私たちが直接ロシア人と会話し交流することが返還運動を更に強化すると考えます。通訳を通じての会話ではなかなか意思疎通ができません。地域のロシア語教育の充実を図り、新たな交流の拡大に努めることも課題と考えます」とおっしゃっていた。私など、返還運動については詳しく知らないので大きなことは言えないが、現在住んでいる人たちと交流することには興味がある。領土問題は別にしたとしても、隣接している国とはどうしても付き合わなければならないと考える。将来のためにも、だ。そして、親が住んでいた場所の現実を、もっともっと知りたいと思うのだ。------------------------------------------------ロシア語講座は、それぞれのロシア名が決まり(!)会話をする練習に入っています。簡単な会話しかできないのですが…。聞かれたロシア語を頭の中でゆっくり和訳し、なんとか返事ができる、という段階です。頭の回転が遅い自分にガッカリです。知らない単語も質問の中にバンバン出てきます。でも、ビックリせずにどういう意味なのか推測するのが大切なのだそうです。あれ、なんだっけ? と言葉を探す時は、ついつい発音は置き去りにしてしまいます。自分の発音、正しいのだろうか、と不安。。。
2004/11/17
私が大型スーパーが大好きなことを以前書いた。行けばなんでもそろっている。食材は新鮮で、日用品はアイディアが豊富。その上、書籍やグッズなど、いろんなものがそろっている場所。見るだけでも、歩き回るだけでも、ウキウキしてくる。私は就職活動をしていた時、ある大型スーパーから内定をいただいた。しかし、その直前に流通会社から内定をいただき、残念ながらスーパーの方は辞退した。。。ああ、その時、その大型スーパーに入社していたら、また違う人生を歩んでいたのだろうか。あの大型スーパーも再生機構に頼るような事態にならなかったか???小さな町に住んでいると「お買い物は地元で!」と言われるのだが、それでも…とにかく週に1回は出かけてしまう。たいてい、隣の都市のAスーパーである。Aスーパーはチェーン店で、道内各地に店舗がある。ここにできたのは7、8年前らしい。食料品、衣類、靴、かばん、レストランなどそろっていて、この都市でいちばん大きな店だ。ちらっと聞いた話によると、私の住む町の小売店の店主が家族とともに、品物の陳列の仕方を研究に来ることもあるらしい。しかし、今年の春、少し離れた場所にBスーパーというのができた。BスーパーはAスーパーよりも小さく、平屋建てであるが、バイパス沿いの大きな敷地にあり、隣近所には大きなドラッグストア、そして、ホームセンターが引っ越してきた。そして、都市の中心部まで行かないといけないAスーパーよりも、Bスーパーの方が距離が近かった。Bスーパーは食料品の見せ方に工夫があるようだ。細かく細かく積みあげるよりも、平たく、広範囲に並べている。通路もとても広く、客どうしがすれ違いざまぶつかることがほとんどない。手作りのお惣菜もとても充実しており(ちょっと高めの場合があるが)見ているだけでも楽しくなる。Bスーパーができてから、私もBスーパーに行くことが多くなった。やはり、中心部まで車を走らせなくても良い、ということで。できたばかりで真新しい、というのもあるかもしれないが。ある日、私はダンナとBスーパーの食料品売り場を歩いていた。すると、ダンナが、「ほら、Aスーパーの」とつぶやいた。あっ、と思った。ここはAスーパーだっけ? と勘違いしそうになった。Aスーパーの売り場でよく見かける年配の男性が、いかめしい顔をしながら歩いていたのだ。おそらく、Aスーパーの主任さんなのだろうと思う。そうか…Bスーパーにお客を取られたのか…。Bの勝因は何なのか、調べにきたのだろうか。Aはこの都市でいちばんの規模である。そして、Aからは毎日のようにカラーチラシが入ってくる。Bはカラーチラシがほとんどない。品揃えもAは申し分ないのに、なぜBの方が集客が増えたのだろう。どうしても納得がいかず、幹部の方が見にいらしたのかもしれない。。。。そして…今日から、Aスーパーは改装のお休みに入った。実は、昨日まで“改装前の処分セール”をおこなっていたのである。時間経過とともに品物の値段をどんどん下げ、そのたびに客が手に取り、売れてゆき、あちこちの棚はガラガラになった。空いてしまった棚を、店員さんたちが掃除してゆく。すでにビニールカーテンで覆い、改装工事に入ったスペースもあった。店内の案内放送は“生まれ変わるために”ということばを連呼していた。数日後、どんなふうに変わっているのだろう。BがAにケンカを売った。そして今度は、Aが売られたケンカに答える番だ。-------------------------------------------------今日は雪です。けっこう大雪です。あとからロシア語を習いに行きます。私の欠点が露出されてしまいました。巻き舌のpがまるでなっていないのと、女子学生という単語の中のTがЦになったりcになったりしています。(発音についてよく知らない方、ごめんなさい。私にとってはとにかく非常事態です。)単語をゆっくり言うとまあまあ正しくできるのですが、通常のスピードで速く言おうとすると違う発音になってしまう。やっぱり独学だけでは欠点ってわかりにくいものですね。こういう発音を直すのは練習するしかないそうです。テープに録って自分で聞いてみて、教材テープやCDと聞き比べてゆくのです。日本語のように文字を読んでゆくような言語とは違い、欧米の言語は“最初に発音ありき”なのです。やっぱり耳から…どんどん慣れて、できるだけ自分で同じように発音するしかないね。ロシア語講座は今日を入れてあと3日間です。ああ、公募もやりたいなぁ。。。。。。。
2004/11/16
私が所属しているMLでこういうものが出ておりましたので、皆さん、どうぞご協力をお願いいたします。------------------------------------------【大阪近辺の方ご協力をお願いします】 先日、起業WEB管理人の戸野竜秀さん(28)が 暴行障害事件に遭い死亡しました。 ふつうに歩いていたところを 無理矢理路地裏に連れて行かれ、 命を落とすまで殴る蹴るの暴行を受け死に至るという 悪質な事件です。 昨日似顔絵も公開されました。 http://www.kigyouweb.com/ この事件を風化させないため、 犯人逮捕につなげるため、 一人でも多くの方にお願いしています。 この事件の話をしてください、 このページの似顔絵を見てください。 http://www.kigyouweb.com/ 広める事で、犯人の知人に情報がいって、 少しでも犯人逮捕に繋がりますように、 みなさんの御協力をお願いいたします。==== 【注意】 事件の凶暴性から、もし見つけてもご自身で接触する事は避け、 すぐに警察に連絡してください。
2004/11/15
受けた皆さん、いかがでしたか?今日は英語検定の2次試験で、面接の日。1次では読み、書き、聴くの試験だったが、2次では“話す”をやらなければならない。試験官から手渡された英文と絵が書かれたカードを読み、それにもとづいた質問に英語で答えてゆくものだ。ダンナは無事に2次に進むことができたが…さ~てどうなんだべ。最初、部屋に入った時のあいさつはとりあえずI'm fine, thank you.程度のことは言ったらしいが、カードを読み、質問に答えたのはどう判定されるのか? ダンナは「ひとことずつくらいしか答えられなかった」らしい。その前の人は、けっこうたくさんしゃべっていたという…。受け取ったカードの内容は「木を植える話」が書かれていたらしい。 へ?検定申込の書類に職業欄はいちおうあるが、会社員、主婦、自営業…などの程度しか区分がなかった。カードをくださった試験官さんが、ダンナから林業の雰囲気を感じ取ったのだろうか??? なんだかちょっと不思議な気がしたが…。私が検定を受けた頃のことはよく覚えていないのだが、あの頃はひょっとすると単語をたくさん覚えていればなんとかなったのだろうか。2次試験の時も、それほどベラベラ話さなくても通ったような気がする。今は話すことの比重が高いのだろうか…。2次試験の判断基準は厳しいのだろうか。数日前、3級の2次面接を受けるという方から、2次面接の模擬みたいなことをやってほしいと言われたのだが…英検2次についてそんなに分析していない私が下手なことも言えないと思い、私はほとんどできなかった(というか、私は英語力がかなり落ちているため、英語でスパッと質問できなかったのだが…)。しかし、その方は問題集を見ながら、こういう質問が出たらこんなふうに答えようと、何通りも自分でシュミレーションをなさっていた。たぶん、本番で大丈夫だったのではないか。私って、頼りにならない…。とほほ。。。---------------------------------------------テレビのロシア語講座は毎週日曜日です。4~9月の再放送ですが、今観ると「ああ、これは!」と発見することが多く、隣の都市のロシア語講座と同様、点と点で存在していたものがピシッと線につながるような気がします。やっぱり、ダニエル・カールさんの英語と比較してロシア語を質問してくれるのが良いですね。違いを意識しながら学んでゆけるから。。。。来年度もダニエル寿司屋でやってもらえないかな・・・。
2004/11/14
なぜか、変なことばかり思い出すのです…。前の日記にパトカーのことを書いたが、そういえば、私が警察から呼ばれたことがあるのを思い出した。「呼ばれているので、行ってくださいね」と、役場の職員さんから言われたのだ。私は交番に出かけた。ここで<つづく>にしたら、せっかく読んでくださっている皆さんがわけがわからず、絶望のふちに追いやられるだろうと思うので、続きを書く。私は当時、町内のスキー場の管理棟でバイトをしていた。この町に来て1年目、自分で車の運転を練習し、なんとか運転できるようになったと思ったら、「スキー場でバイトを探しているんだけど」と声をかけられた。そして、大雪でも吹雪でも、泣いてもほえても、車で通ったのだ。おかげさまで、運転は多少上手になったのだけれど。バイトは、リフト券やカップめんを売ったり、細々した用事や室内のちょっとした掃除など、管理棟の全般的なことをやった。私の勤務は金土日月、そして、春のおまつりのバイトの時でお世話になったAさんが火水木という担当だった。ある時の深夜、管理棟に泥棒が入った。窓ガラスをぶち壊し、日中お金の管理をしている小さい部屋のガラスも壊し、金庫を荒らしたのだった。しかし、リフト券の売り上げや釣り銭は高額なので、私たちは毎回、きちんと計算してすべて持ち帰っていたので、そこには置いてなかった。ただ、カップめん販売用のつり銭500円だけが小箱に残っており、それだけはしっかり被害に遭ってしまった。その翌朝はAさんの担当の日だった。電話連絡があったので行ってみると、Aさんがブルブル震えながらほうきでガラスの掃除をしていた。少し前に警察が現場検証に来ていたらしい。そして、町の金物屋さんがガラスを入れている所だった。窓ガラスもけっこうな金額らしい。町の職員さんも数人現場を見に来ていた。そしてビックリしたことに、その深夜も再び、泥棒が入ったのだ。今度はバールで玄関口を破った。しかし、室内の被害はほとんどなく、外にあったジュースの自動販売機の売り上げが奪われてしまった。2日連続で、翌日はAさんの担当の日だった。Aさんはすっかり参ってしまい、「もうひとりでいるのが怖い…」とおっしゃっていた。その直後、私のバイトの日に、近辺の町のスキー場から電話がかかってきた。「そちらで泥棒に入られたんだってね。うちもなんですよ。」泥棒たちはオホーツクのスキー場をまわり、仕事をしていたようだった…。あれからもう4年ほど経っているが、まだ捕まっていない。スキー場でもセキュリティに配慮し、防犯カメラなども取り付けたので、その後、泥棒が入った話はないようだ。その泥棒が入った直後、「犯人たちの指紋を、職員たちのものと区別するため」ということで、そこで働いていた私たちも指紋を調べられたのだった。交番に出かけてみると、それほど時間はかかるものではなかった。特殊な白い粉を手指10本にすべてつけ(足指はやらなかった)、写真のネガのような特別の台紙に1本1本押し付ける。取り終わったあと指の粉をティッシュか何かでぬぐって落としたつもりだったが、まだ付着していたようで、車のハンドルも白くついてしまった。もちろん、私は犯人ではない。しかし、こうやって採取した指紋って…きっとしかるべき所に保管されているんだろう。そして、何かあったときに『オホーツクほいの指紋』ということで取り出されてくるのだろうな。そういうことを考えたら、やっぱり怖いというか、気持ち悪いものだ。。。20年ほど前、外国人の指紋押なつの是非について激しく議論されていたことがあったが…やっぱり「指紋を取られる」ってことは多少、「もしかしたら…」と疑われることなんだろうな。外国の方々のそれには耐えられなかっただろうな。相手はそんな気持ちはないかもしれないけど、やっぱり『指紋』は特別な感じがしてしまう。。。------------------------------------------------------ロシア語講座は今日と明日は休み。あらためて自宅のラジオ講座のCDを聴いてみると、発見!がいくつも出てきて面白かったです。やはり、少しずつでも単語が増えていると、徐々に見えてくるものがあるようです。地道な一歩ですが…。それから、筆記体を使えるようになった方が、やはり文字を書く時に書きやすそうです。しかし、英語とロシア語での筆記体は多少違うので注意。Tの筆記体が英語のmと同じだったり、いくつか不思議なことが出てきてしまうので…。
2004/11/13
追ってくるパトカーの物真似…上手なのは柳沢慎吾ちゃんですね。見たことありますか?今日は雨降り…こんな悪天候の日は運転したくないのだが、行くと決めたから行かなければ。路面が濡れていて、凸凹の場所ではタイヤがスリップしてヒヤッとする。道路工事はさすがにお休みのようだ。徐行のおにいちゃんも旗のおにいちゃんもいない。おや。少し先を、赤色灯をつけたパトカーが走ってゆくではないか。天候が悪く、走りにくい日なので、巡回パトロールをしているのだろう。パトカーの近くを走る車はスピードを出さないし、大型トラックが暴走してくる恐怖もなくなるので、こうやってパトカーの後ろをついて走ると安心だ。ホッ。でも…あのぉ…不思議なことなのだが…パトカーがどんどん先に行ってしまうのだ。私は法定速度で走っている(遅すぎるわけではない)。一定のスピードで走っているのだが…私の目の錯覚なのか、なぜか、パトカーが遠ざかってゆくのだ。。。それってなんでなんだべなぁ~~~。私は小さい頃、義姉に「パトカーがほしい」と言った覚えがある。なぜなのかよくわからないが…あの赤色灯が魅力だったのだろうか。『パトカーの思い出』と表題に書いたが、これまで生きてきた中で、私は幸い、パトカーにお世話になったことが数えるほどしかない。ものごころついた頃、私のパトカーのイメージは西部警察、あるいは踊るに出てくるような『正義の味方』的なものだった。それが…ここに来て、一変した。移住してきてまだ数か月だった頃。大雨の週末、車で隣の都市に出かけた。ひっきりなしに降る強い雨、前がとても見にくい。ワイパーはフル稼働だった。その時はダンナが運転していた。あ、その頃は私はまだ「自分がぜったい運転しない」と思っていた。ダンナはその前の年に福島県で合宿で運転免許を取ったばかりで、運転キャリアが浅かった。それほどスピードは出していなかったと思う。雨だけど、行かなくては。都市でいろいろと用足しをしたいから。そんな時だった。向こうからパトカーが走ってきた。そしてすれ違った。ザッバァ~~~ン!!!私たちの軽自動車は、思いっきり大水をかけられた。。。。その瞬間、前方が水しぶきでまったく見えなくなった。ひっでぇ~~~それでも警察かよ!!!言葉は悪いが、私はそう思った。。。。いやぁ・・・大雨だったとはいえ・・・失礼じゃないか!ちなみに私たちの車には、まだ初心者マークをつけていたのだ。ま、いっか。この話、もうやめよう。2年前、塾の研修があって、私は車を運転して旭川市に出かけた。峠を越えてゆくような2、3時間のドライブもできるようになった。研修にも高速バスでなく自分で運転してゆくのが可能になった。その研修の帰り道である。市内で、国道沿いに走っていた。。。ある交差点につきあたった。信号が黄色に変わった。まだ行けると思い、進んだら…私の車が横断歩道を横切ったあたりで赤に変わっていた。車の後ろにはパトカーが見えた。「まさか…」と思ったら、パトカーは急に赤色灯をつけ、私の車を追ってきた。まずい、でも、停車するタイミングを失ってしまったのだから、もうしかたない。追いかけてきたパトカーから、やさしそうな警官が降りてきて、「今、信号は赤でしたよね」などどおっしゃって、私はすぐそばの交番にうながされた。。。いや、もう“信号無視”といわれてもしかたない。100パーセント降参だ。言い訳をさせてもらえば、私の住む町には信号が2か所しかないから、信号で止まる、という訓練ができていなかった。目の前にお座りになられた警官は、私の住所氏名などお聞きになり、書類に記入していった。『会社名』を聞かれたが、私は言わなかった。「言いたくなかったらいいです」と言われたが…私は、車に乗せている塾の書類の、あの有名なロゴが見えていなかったか、とても心配になった。。。反則金は9,000円。私の初めての違反だったので、数か月したら点数は戻ったらしい?しかし、その直後の免許更新でゴールドカードを失った。とほほ。。。できれば、私は運転したくない。自分のために、鉄道をひきたいくらいだ。でも、こういう地域では、車がなければどうにもならないものね。。。。年を取ったら、どうするんだべ。------------------------------------------------語学を学ぶのは…リハビリのようなものだそうです。これまで使わなかった脳の部分を使うことになるのだとか。だから、苦痛がともなって当然なのだそうです。毎日15分とか30分とかやる。それも同じ時間に。10回テープを聴いて、10回その文を書いて、10回その文を見ながらテープを聴いて、さらに10回何も見ないで聴く…。これを繰り返すそうです。あとから教材テープをいただけるそうですが、そのテープを利用して、AさんBさんの会話の部分を抜いてみたり…自分でいろいろと編集した録音テープを作り、それで練習してゆくそうです。これはラジオ講座のCD教材を使ってもできる勉強法だとか…。やっぱ、ハードっすねぇ。まさに“リハビリ”だよね。外国語を知っていると、語学を通して別の視点から考えることもできるので、母国語と外国語と…2倍の人生を生きられる?ともいえるそうです。たとえば…朝のニュースでは、日本国内では「国籍不明の潜水艦をただいま追跡中…」という報道ですが、海外のメディアでは「日本は“中国籍の潜水艦”だと知っているのに、なぜ中国に抗議をしないのか?」という報道になっているそうです。日本の中にいてばかりでは知らないことも多いようで。。。。てなわけで、外国語の側面がわかってくるのも楽しいものです。皆さんも外国語をやりませう。それから、隣の都市のみなさんは、独自に海外の文化を勉強していたり、ボルシチなどの料理教室をおこなってみたり、活動が盛んなのにはビックリです。やっぱり、人口が多いと活動も増えるのだろうなぁ。。。。ちょっとうらやまぴー。
2004/11/12
隣の都市に毎日、車で通うことになった。毎日行くというのは初めてだろう。これまで、そちらの方面でバイトもしたことがない。たいてい、週末に買い物や用足しに行くくらいだったから。“片道40分”は私にとってけっこう遠い。4年以上運転していても運転はそれほど上達してないし、大型トラックなど他の車がスピードを上げて追い越してゆくのはビクビクするし。追い抜かされても、ムリしないように走るしかない。なんだか…左手や左足がしびれる感じ、感覚がちょっとおかしい感じがあるので、できれば運転したくないのだが…こればかりはしかたない。塾をやっていた時はひんぱんにこんな状態だったので「塾のことで気を遣っているから?」と思っていた。でも、塾をやめて2か月以上経った今も、そんな感じがある。今も何かしら続いている緊張感…。緊張してないと物事が進まない気がしてしまうし。。。自分がキンチョーしたがる性格だから?もっとリラックスできれば、そういうしびれ感は消えてくれるのかもしれないなぁ。外の景色は晩秋である。畑は収穫物を終えたあと、全体に堆肥をまいて掘り返したあとが見られる。牛の放牧する様子も少なくなった気がする。山々はカラマツの葉がオレンジ色に変わり、その葉が次々と落ち、枝がむき出しになりつつある。いずれ、近いうちに、全体を雪が覆うようになる。トドマツは濃緑色の葉をつけたままだが、その葉にも砂糖菓子のように雪が降り積もるのだろう。もう冬が近い。今年は暖秋といわれ、初雪(10月23日)のあともけっこう暖かい日が続いているが、いずれは雪が降る。風景には見るものが無くなり、寂しくなっているのだが、かえってそれがすがすがしい感じもする。そんな風景の中で車を走らせていると、おにいちゃんが“徐行”の看板を持っている。通り過ぎてその先へ少し行くと、また別のおにいちゃんが頭を下げながら赤い旗を振っている。私は停車するしかない。雪が降る前に、あちこちで道路工事をしているのだ。工事現場は交互通行なので、警備員の人たちが交通整理をしている。都会でもよく見かけた道路工事。たしか年末だったと思う。ここは今、“雪が降る前に”急ピッチで工事が進められている。今は、私が運転していく約40分の距離の間に、5、6か所で工事しているのだ。スムーズに走っている時に急に止められてしまうと、運転するリズムが狂う。とくに、坂道で止められると怖い。坂道発進は苦手だ。すぐ後ろに車がいるとキョーフのみそしるである。ロシア語講座が終わって帰る時、4時過ぎというのはけっこう暗くなっていて…。ある時、道路にぬっと人影が現れ、私はビックリして停車した。その人は…赤い旗を持っていた。薄暗いのでよく見えなかった。ああ、こわかった。私の住む町の中も、観光バスがターンしやすいように道路の拡張工事をやっている場所があり、交差点のその場所は土や砂利だらけになっていて“サファリ”状態だ。わぁ、ボコボコの道路で車がどうにかなってしまいそう。この交差点の近くの方々は、道路拡張に対し、自分の家の前の土地を町に提供したようだ。そのため、玄関が二重の戸になっていたのに表側の戸を撤去しなきゃいけなくなった家も…ちょっと気の毒だ。早く道路工事が終わってほしいなぁ。。。。と思うが・・・終わった頃はすっかり雪道になってしまうんだろうなぁ・・・。---------------------------------------------------ロシア語は、挨拶の言葉など単語の綴りを交えながらやっています。男性、女性、中性、複数形で格変化がありますが、変化させることによって韻をふみ、文章が全体的に美しく聞こえるしくみになっているのだなぁとカンドー。やっぱりロシア語は美しい。でも、綴りはやっぱり書いて覚えるしかないのかも。。。。これはあたりまえなのでしょうが、語学をやるにしろ、なににしろ、こういった田舎には「地方都市の共通点」というのがあるそうです。その価値の置き方にはまってしまうと、「マスターするぞ!」と始めたことも続かないのだとか…。<地方都市の共通点>○車(スピード出すのが大好き、新しい車に買い換えたくなるなど)○ギャンブル(パチンコ。地方には大型パチンコ店が多い)○異性交遊(カラオケ?)つまり「今が楽しければそれでいい」という価値観だそうです。田舎…ああ、あるなぁ、あるある大事典だよ。。。。“自分だけは例外”なんて言っていられないんだよねぇ。。。
2004/11/11
いよいよ今日から始まったね。ロシア語講座。隣の都市まで習いに行ってます。土日を除き、来週の木曜日までです。車で毎日行くとなると、ガソリン代が…ちょっとつらい…。レギュラーが先週まで119円だったのに、今週はなんと、121円になったなんて(泣)。ちょっとだけでも、先週中に給油しておけば良かったなぁ。数年前は100円を割っていたのにねぇ。全国的にこんな感じなんでしょうか?なにはともあれ、通い始めました。この講座は通年ではおこなわれず、例年この時期に1週間程度開かれるようです。通訳さんが講師ですが、自分で独学しながらロシア語の力を高めてゆく方法を、この期間にみっちり伝授してくださるそうです。以下、講座の中から…(自分でも忘れちまいそうなのでチェック♪)人間が言葉を習得するのはどんなふうにおこなわれてきたでしょう。たとえば、日本人の赤ちゃんはどうやって日本語を話せるようになったでしょうか。それは、まわりから日本語の刺激をたくさん受けてきたからです。まず『聴く』ということで学んできたのです。そして、成長とともに『話す』『読む』『書く』を学び、大人になった今では、不自由なく日本語が使えるようになっているのです。英語であれ、ロシア語であれ、この順序で学んでいけば、習得可能!だそうです。だから、たくさん聴くことができればよいのですね。英語のヒアリング某という教材は1000時間も聴くようになっていますが、やっぱり聴くことは重要なのでしょう。テープでもCDでも、100~150回聴けば、いやでも頭に入ってしまうそうです。それでは、話す、読む、書くは…?いうことですが…たとえば、ロシア語を学習する期間が3年間あるとして、その間『聴く』の割合が2年間だとしたら…3年後、ロシアに行ったとしたら…それでも大丈夫!3か月くらいで『話す』『読む』『書く』も可能になるそうです。やはり『聴けたら大丈夫』なのだそうです。「聴けるものは書ける」ともいうそうです。これでちょっとホッとしました。聴く量さえ多ければ、私のロシア語も何とかなる???でも、聴くものには注意。ロシア語講座のCDばかり聴いていても上達しないのだとか。やっぱり、ロシア語のニュースや天気予報などが良いのです。ちょっと早めに話しているものをたくさん聴いて慣れてゆくこと。日常生活でも役立ちますね…。深夜、AMラジオをつけているとアトランダムに飛び込んでくるロシア語放送があります。放送局がいくつもあるようです。アトランダムだから…ハングル語放送の電波も負けてないし…雑音が気になることもありますが、できるだけ聴くようにしたいなぁと思います。初日は、ロシア語の文字の発音をやりました。やはり、直接教えていただくとわかりやすいです。Ж 舌をスプーン状にして、口蓋と舌の間に息を通す(有声音)Г ケロッグのグЦ OK牧場のガッツのツЧ マッチのチなど。明日からは実際の会話とその中で使われる単語が出てくるようですが…どうなるでしょうか。。。----------------------------------------------------------今日はやっぱり公募はお休み。許してちょ。先週送った『ありがとう浜村淳です』への投稿が、今日の番組で読まれちまいました♪はーさん、番組の皆さん、ありがとうございます♪
2004/11/10
おなじみの連続テレビ小説。視聴率が下がっているといっても、毎日必ず8時15分にNHKにチャンネルを合わせる人がいる。この時間までに家事を終わらせてしまおう、と頑張る主婦がいる。職場で仕事が始まる前にテレビをちょこっとつける人だっている。あたりまえの毎日。何時に何をする、というのが決まっている毎日。平凡だけれども、それがいちばん幸せ。こういうことを強く思っているのは、おそらく、被災地の方々だろう。被災地にはテレビはありますか?ご自分のおうちのテレビ、つけることができましたか?お子さんたちは学校に出かけてしまう時間ですよね。チャンネル争いなどほとんど発生せず、連続テレビ小説はたいてい、優先的ですね。阪神・淡路大震災からもう10年だから、ということで始まった『わかば』だが、別の地域で大地震がおこってしまい、まさに今、励まされている人々が多いのだろうと思う。福山の「泣いたりしないで…」で、「あ、始まった!」とテレビに走りよってくる人々。おおげさだけれども、「今日も自分は生きていた」とホッとするお年寄りたち。わかば役の原田夏希さんはどこから見ても美しいし、爽やかだし、いつも頑張っているけれどイヤミな感じがまったくない。今日の放送で、偶然出会った木之下から「なぜ自分を気にするのか」と問われ、ドギマギしながら「死んだ父さんに似てるんです!」と言うわかば。今後の展開はどうなるのだろう。そして、いずれは宮崎から準一もやってきて、なんだか複雑な関係になってしまいそう。あれ…「~~に似てる」って、どこかの韓国ドラマにありませんでしたか???あんれまぁ。お昼の再放送の前に『お昼ですよ!ふれあいホール』という番組があって、今週は「熱々お鍋大集合」で今日は「キムチ鍋」。若手落語家たちの“キムチ鍋争奪大喜利合戦”では「ヨン様になって一言」。カツラ、メガネ、マフラーは同じだけど、ほんと、いろんなタイプのヨン様がいたよねぇ。-----------------------------------------------------<今日の公募!>○某S団体 短文募集以上(明日からはお休み???)
2004/11/09
「宵越しのメールは持たない」とおっしゃっているのは大前研一さん(朝日新聞be2004.11.6より)。朝起きてすぐと昼、そして夜寝る前の3回はメールチェックするという。著名な方だから、メールの量も膨大だろう。それらに目を通す作業は大変だと推察される。私がいただくメールはたいした量ではないが、受信したらできるだけ早く読み、必要な場合は手早く返信する。メールはFDに保存、あるいは削除して、メールボックス内をほとんど空の状態に保つようにする。しかし、何かの用事でPCをあまり起動できない状況になると、受信メールにビックリするほどたまり、処理するのに苦労する。10月は私にとって『メルマガ読書月間』だった。友人の何人かがメールマガジンを執筆していて、お仕事としての報酬をいただいているという。“メルマガライター”という仕事があるようだ。どんなふうに書けたらメルマガで仕事を得られるのだろう、と思い、メルマガに関するハウツー的なメールマガジンを次々登録していった。一時期、登録数が30誌ほどになった。日刊もいくつかあるから、メルマガはじゃんじゃんメールボックスに入ってくる。ほうっておくとメールボックスはパンク寸前。だから、できるだけ早く読み終え、削除していった。いろいろ読んでゆくと、メルマガの性格みたいのがわかってくる。それで、○自分がどんなに頑張ってもこうはなれない、あきらかに自分とは方向性が違うと思われるもの○内容の半分以上がほかの人たちの相互広告になっているもの○ご自身の本(もちろん、紙媒体)の出版以降、本の宣伝がやたらと多くなったものそして、○メルマガを発行し、セミナーをおこなっているだけで、何百万、何千万もお金が入ってくる、と言っているものは解約していった。特に、いちばん最後のメルマガは、私にとってよくわからない。メルマガ(おそらく有料メルマガ)とそれに関連する本やCD-ROMを販売して、その売り上げがかなりの高額だから“儲かる”と言い切っているようだ。セミナーは大盛況。でも…同じことをやる人が増えてしまったら…これまでと同じようにお金が入らなくなるのではないか? メルマガで儲かる時代は終わった、と言う人もいるらしいし。現在、購読しているのは10誌ほど。私がほっとできるような心理関連のメルマガ、わかりやすく説得力がある哲学的なメルマガなど…。でも、まだ少なくするかもしれない。安藤さんのライター講座の時(昨年)、どんなメールマガジンが良いか考えてください、という課題が出たことがある。その時もいくつかメルマガを購読したが、結局「これと似た感じのメルマガを自分でも出してみたい」と思ったものが無かった。メルマガをまだ良く知らなかったからそう思ったのかもしれないが。その直後、ミニまぐで発行を始めたのが『やさしいことばでかたるよのなか』である。世の中や教育関連のことをわかりやすく語り、自分の意見なども伝えてみようとした。ケータイ向きの文章で改行など無く、漢字も多くて読みにくいだろう、と反省の嵐。でも、それなりに1年近く続いていて、ありがたいことに購読してくださる方々がいる。自分のメルマガに何か改良を加えたいと思うこの頃…。でも“メルマガライター”という職業になると…私は向かないかも???-----------------------------------------------------<今日の公募!>○R社 手紙コンテスト以上
2004/11/08
新潟県中越地震で天然ダムができてしまい、水没しつつある村。。。テレビカメラは毎日、同じ場所を撮影し、「こんなに水位が上がってきた」と伝える。映されている家屋は、日に日に水に飲み込まれてゆく様子が明らかだ。あの家は、私の家だ。今すぐにそこへ行きたいのに行けない。悔しさをかかえながら、毎日テレビを食い入るように見つめる人たちがいる。それはもちろん、その家の住人たちだ。家がすべてではないけれど、やはり、家族の心のよりどころがあの建物にあったはずだ。他人の家だったら「ああ、大変だねぇ。可哀想に」と何だって言える。しかし、自分の家であればどうなのだろう。真実を報道するとかなんとか言うが、テレビカメラは、あまりにも無神経ではないか。1977年に放送された『岸辺のアルバム』というドラマがある。ローンでようやく家を建てた平和そうな家庭が、実は家族の心がバラバラで、お互いに何をやっているのかわからない現実があった。それに気づいた息子が家族ひとりひとりに問いかけるのだが、ますます家庭崩壊が進むように思われた。しかし、多摩川の氾濫で“家”が流されることにより、家族ひとりひとりの心が家庭に戻る、というふくみを持たせて終了した。流される寸前の家で、母は「アルバムを取ってきて!」と叫ぶ。アルバムは家族の絆の記録だったのだ。水没寸前の家…その家の住人たちはどんな家庭生活を送っていたか、というプライベートなことは私たちは知る必要はない。しかし、その家の中で、たしかに家族の語らいがあっただろうと思う。その証となる何か…アルバムなどを取ってくることはできたのだろうか。-----------------------------------------------------<今日の公募!>○某社団法人 エッセイ募集(毎日ってキツイっすね♪)以上
2004/11/07
8月の終わりに、私はある地元の文芸誌にエッセイを送った。そう、パソコンリカバリー直前に、なんとか印刷できた作品があったのだ。そろそろ今年度の雑誌の発行されるだろう。さて、私の選ばれるのだろうか…? 毎年、とても上手な方々が書いているようだから……。今日、新聞にチラッと目を通したら…あれ? この本が発売になった、と書かれている。そして、紹介記事の中に『のど自慢予選・傾向と対策』という題名があった…。こんなアヤシイ題名、私しかいないよね。私が本名で書いた作品だと思うが…。私はのど自慢予選会場で『決戦は金曜日』を歌おうとしてリズムに乗れず、落選した。それでも「“傾向と対策”くらいは書いてやろう」と思い、参加者約250名の歌をずっと聞いて分析し、自分なりに文章にまとめたのだ。最初、新聞社に投稿したが、やはり長すぎたのだろう、結局ボツだった。8月8日(日)の日記では“ボツになったら楽天日記で発表”と言っていたが、加筆修正後、こちらの公募に送ってしまったのである。しかし…この団体から個別に「あなたの作品が載ることになりますから」というような連絡をいただいていない。これから連絡が来るのかな。とてものんびりしているが…。たしか「掲載された場合、作者は数冊購入する」ことになっていたので、必ず連絡があるはずだが…。やっぱ、違うのかな…。まったく同じ題名をつけた人が他にいるのかもしれないな。万が一、私の作品だったら、もしよろしければ読んでちょ♪(…アマゾンなどの販売ルートに載るのだろうか…。)-----------------------------------------------------<今日の公募!>○某社団法人 エッセイコンテスト以上
2004/11/06
アメリカ大統領選挙で、僅差でブッシュ大統領が再選された。ケリー候補は負けを認め、ブッシュ大統領に電話して祝福したそうである。私たちはアメリカ人ではないが、やはり、何かすっきりしない気持ちが残る。選挙の方法は過去何十年と続いてきたやり方を踏襲し、しかも、州によって方法が違うらしい。それでも今回は、無効票を投票した国民に対して「あなたの票は無効ですから、早く投票しなおしてください」などと呼びかけたり、より多くの人たちが投票するように働きかけた選挙だったが…結局、選挙結果はこうなった。日本にしてみれば、ブッシュでもケリーでも、不都合のようだ。ケリーは前のクリントン大統領と同じ民主党。クリントンは現役の頃、貿易関連などで日本をかなりバッシングし、日本に不利な条件を負わせたようだ。ケリーが決まればまたあの時のようになったのかもしれない。日本の総理大臣はブッシュ再選を大歓迎。これまでと同じ路線でやってゆけるから。もし、大統領が変わったら、また1から決めなければいけないことが山ほどあった。日本は黙ってしっぽを振りながら、アメリカさんについて行く。アメリカさんも「日本は絶対に我々を裏切らないだろう」なんて、甘く見ているようだ…。やはり…何か違う。日本政府の方針は、国民の多くの意志を反映していない。それから、イラクでは大量破壊兵器が見つからず、今ではイラク戦争の是非が問われるようになった。多くの国々がイラクから兵隊を引き上げようとするのに、自衛隊はまだまだ派遣延長するという。ああ、そんなにアメリカと一緒になりたきゃ、いっそのこと、アメリカと日本政府が心中すればいいじゃん!!!しかし、こんな不可解な状況にしてしまったのは、やはり私たちが悪い。いちばんの原因は「英語がうまく使えないから」ではないだろうか。日本人は英語で話しかけられてもuh-huh, aha などどいう相づちも満足に打てず、相手の言うままでなんとなく首を上下に振り、それで決定してしまう。笑っていればどうにかなる。OKを連発していればどうにかなる。だから、日本人は舐められるのだ。昔よりはだいぶ変わってきているだろうが…。私を含め、英語を10年も学校でやっている人も多いのに、ちょっとした自分の意見も英語で伝えられないなんて。民間レベルでも「違うと思う」「それはいやだ」「満足できない」などと自分の考えを相手のわかる言葉(英語)で伝えてゆけば、相手も日本政府の考え ≠ 日本国民全体の考えということに気づくのではないだろうか。しかし、みんなが英語でディベートできるようになるには、かなりの時間を必要だろう。それでも、あきらめずにがんばろうよ。私は今、ロシア語を学んだりしているけれど、やるからには…ロシア語で、ロシア語のネイティブに自分の意志を伝えられるようになりたい…。う~どうなるかわからないけれど…。-----------------------------------------------------<今日の公募!>○T社 エピソード○公募ではないが…MBS『ありがとう浜村淳です』に投稿(最近の迷惑メールについて…やっぱボツかな?)以上
2004/11/05
坂口憲二クンはすごい。視聴者や観客が予想もしない役をひょいっとやってのける。一昨年の『精霊流し』のまっさん役!にはとにかくビックリしたが、その後、構成作家、口のきけない教師、さんちゃんの息子(さとうきび畑のうた)、さらに、来週オンエアされる『弟』では渡哲也さんになってしまうらしい。格闘家の血が流れている人は、どんな役に対してもチャレンジャーになれるのだろうか。将来的には…ロバート・デ・ニーロみたいに、様々な人物になるため心も体も変えられるかも?そして、ただいま放送中のてごわい役は『マザー&ラヴァー』のマザコンの青年!「母親を大事にして何がいけないんだ!」と平気で彼女に言ってしまう。そして、何かにつけて母親のことが心配で、彼女を置いてけぼりにして母親の元へ。松坂さんがキレイで可愛らしいから、ま、いいかなぁ。。。というのはやっぱり違うらしい。坂口クンは今回「マザコンのイメージを払拭したい」とチャレンジしているそうだ。そう、世の中に“マザコン”の強固なイメージを植えつけてしまったのは、12年前の『ずっとあなたが好きだった』(TBS)だった…。主役は賀来千香子さんなのに、佐野史郎さんの過激な(?)シーンばかりがワイドショーでクローズアップ。何かにつけて野際ママにべったり。そのママも息子の世話のやき方が過度である。しかし、美和への思いが人一倍強い冬彦さんは、美和が洋介の元に行ってしまいそうになると、暗い部屋で「ウーウー」と悔しがる。美和が嫌がる方法によって、美和が逃げられないようにする。母親と一緒に仙台の一番町を歩いていた冬彦さん。冬彦さんの指先から血が…。驚いた母親は、慌ててその血を吸っていた…。そう、冬彦さんたちの実家は、仙台にあったんだ。私はすでに仙台にはいなかった。当時、東京で航空便の伝票入力の仕事をしていた。休憩時間が3時過ぎにあった。休憩室にはテレビがあり、たしか『3時に会いましょう』?が冬彦さん特集を立て続けに放送していた。主題歌はサザンのあのやわらか~い感じの『涙のキッス』。しかし、主題歌とともに脳裏をよぎるのは、あの表情、この表情の冬彦さん。そのギャップを視聴者たちはすごく楽しんでいた。美和が早く洋介の所に行ってほしいと思いながら、冬彦さんにはもっともっと過激になってぇ~!と願っていたのだ。私が友人たちに自慢していたことがある。仙台駅のペデストリアンデッキ(歩道橋)の上で、美和と洋介が話をしているシーンがあった。そして、少し離れた所から、ふたりの様子をうかがっている冬彦さん。「私、あの時に冬彦さんが立っていた場所、わかるよ~!」と、根拠も無く言っていたのである。数年前まで仙台市民だったから…ということで。美和と洋介は『仙台駅 SENDAI STATION』の表の看板をバックにして立っている。そして、冬彦さんはペデストリアンデッキの上ではなく、階段を2、3段下がった場所に立って、2人を見ていたと思う。カメラの角度的に、冬彦さんの立っていた階段は、青葉通りの、当時の丸光(今はVIVOでございますか?)の表玄関側の階段じゃないだろうか。あ…私のとんだ思い違いかもしれません。最近、再放送も、ビデオも観るチャンスがないので、確認できておりません。現・仙台市民のきんちゃんをはじめ、みなさま、間違っていたらごめんなさい。。。。-----------------------------------------------------<今日の公募!>○某M団体 エッセー募集以上
2004/11/04
でも…なんとか無事に出せました…。祭日だったが、ダンナはウィークデーは出勤なのでいつも通り6時過ぎに出かけていった。そして…私は、朝8時から図書館まつりのお手伝いをすることになっていた。ひとりで茶の間の片付けなどしていた私は、茶の間の石油ストーブの煙突の上部で、何かがバタバタしている音を聞いた。「もしかすると」鳥かもしれない、と思った。でも、いずれ外に出ていくのだろう。しかし、バタバタという音が続いた後、急に「スルスルスル~」という、何かを引きずるような音が聞こえ、その直後、急に煙突の中がひどく慌しくなった。中で、必死でもがいているようだ。私は怖くなった。ストーブの中に、落ちてしまったのだろうか…。ストーブは少し前に消していた。まだそれほど寒くないので、私がひとりでいる時間はできるだけ消しているのだ。バタバタ暴れる音、そしてときどき、ピピピという声も聞こえる。鳥だったら…このまま中に入ったままだったら…ストーブをつけたら大変なことになってしまう。焼き鳥…という言葉を連想してしまい、気持ち悪くなった。煙突の中はまったく見えない。中にどんな鳥が入っているのか、どんな姿なのか、まったくわからない…騒がしい音がするばかりだった。私はうろたえていたのだが、とうとう図書館に行く時間になってしまった。できれば…出かけているうちに、煙突の中を引き返し、外に出ていってほしい。そう願いながら、私は出かけていった。おまつりがひととおり終わり、私は夕方帰ってきた。茶の間は静かだ。鳥は逃げていったのか…それとも…中で衰弱してしまったのか…。私は煙突の表面をコンコンと叩いた。音がしない…。しかし、しばらくすると、またバタバタと音が出てきた。私は少しホッとした。「煙突をはずして、逃がせばいいんだよ。」図書館にいた知り合いが、そう言っていた。やはりひとり、いや、1匹では屋外には出られないようだ。ダンナがあと1時間ほどすると帰って来る。手伝ってもらって、鳥を出そう。数日前、おりから飛び出した小動物をダンナは捕まえておりに戻していた。鳥ぐらいたいしたことないだろう。それじゃあ、煙突をはずす準備だ。とりあえず、私はストーブの製造会社のお客様相談室に電話した。祭日だったが、札幌の窓口で電話に出てくれた。「ああ、大丈夫ですよ。煙突をはずして、鳥を取っていただいて」担当の人は、とても簡単そうに答えてくださる。おそらく、煙突に鳥が入るなんてよくあるのだろう。私の実家の場合は、5階建ての市営アパートで集合煙突になっているため、鳥が家庭の煙突に入り込んでくることはなかったのだが…。ストーブ内部に隙間はあるが、とても小さいので、鳥が内部に入り込むことはないらしい。鳥は反射板というところに乗っているだろうから、それを出せばよい。そのあと煙突をつけて、ストーブを普通に使うことができるのだという。ダンナが山から帰ってきた。さっそく私は、「すいません、煙突から鳥を出してください」と頼んだ。驚いたダンナはさっそく煙突をはずしてくれたが、やはり相談室で聞いた通り、煙突を外したすぐの所の、反射板の上に乗っていた。ダンナがつかもうとすると暴れたが、やがてバタバタと窓の外に逃げていった。鳥はスズメだった…。朝から10時間近く入っていた。ああ、こんなに簡単に出せるのなら、もっと早く出してやれば良かった…。それにしても、ああ、怖かった。冷蔵庫に鶏肉があるが…しばらく食べられないかもしれない。-----------------------------------------------------皆様へ私の友人が一念発起して専門学校に入学し、日々コツコツと学業に励み、鍼灸師さんになりました。現在の勤め先でっす。http://www.muse-kampo.com/guide_s/index.html体調不良が気になる方、一度相談に行ってみてはいかがでしょう?場所は東京の麻布十番です。-----------------------------------------------------<今日の公募!>○B社原稿募集 エピソード以上
2004/11/03
Happy New Baseball! いよいよ…ライブドアか楽天か…とその決定を今か今かと待っていたのだが、楽天に決定!とのこと。ともかく、おめでとうございます。どちらの会社が…という話はいろいろな角度から議論されたのだろうが、様々な憶測や噂などが飛び交い、「これはちょっと…どっちの会社にも決められないのでは?」と私は思っていた。数十年先の未来となると誰にもわからないが、ともかく、数年先を見るとこの会社の方が良いのでは…ということで決まったのだろう。どうぞよろしくお願いします。期待しております。。。。私も旧仙台市民♪ニュースを見ていると、仙台の街中に、赤い帽子、赤いベストの人たちが大勢出て、祝い酒など振舞っている様子。もう、楽天イーグルスのユニフォームが決まったの?ということではないらしい。東北のプロ野球を応援する市民の会・宮城と仙台駅東口商工事業協同組合がそろいのユニフォームを身に付け、「仙台にプロ野球、歓迎!」とやっているようだ。地元にとっては、どっちの会社が来るのか、というのはあんまり問題ではないのだろう。ただただ、プロ野球が杜の都に来てくれるのが本当にうれしい。浅野知事をはじめとして(正確にいうと東北6県の知事かな)皆がオールウエルカ~ム状態♪高校野球はかなり強いのに、なぜかこれまでプロ野球がなかったという不思議。今年、札幌に球団ができ、ついでに甲子園の優勝旗には上空を横切っていかれて、悔しかっただろうなぁ。来年は仙台に注目がゆき、パリーグ大活躍も甲子園優勝も持ってゆかれてしまうかもしれない。道民よ、2年めは覚悟しなければね。それから…仙台の皆さんの“赤”のユニフォームが気になる。“赤”って…SHINJOの好きな色ではなかったか? SHINJOの移籍…という恐怖があったり…しないだろうか。やっぱり、私が仙台に住んでいた15年くらい前に球団ができていたらなぁ。。。-----------------------------------------------------<今日の公募!>○S社コンテスト エッセイ以上(無理なく1日1個ずつ?)
2004/11/02
今日から11月。テレビで「あと2か月は…」という言葉を多く聞いた。みんな、同じことを考えている。いろいろと悲しいこと、辛いことがあったけれど、今年も残すところあと2か月。これからはどうか平穏無事でありますように、という願い。。。今、辛い思いをしている人たちが、早く暖かい場所でごはんを食べ、お風呂に入り、眠れますように。。。ところで、私の楽天日記。おそらく、どなたもご存じないと思うが(言ってなかったしぃ)、ようやく、3月29日から本日まで、すべての日にちを埋めることができた! 全218日だぁ~! きゃはっ!私が楽天日記を始めたのは3月ではない。たしか6月だったと思う。始めてから少し経った頃、「過去の日付で日記をアップできる」ということを発見した。それで…私は某メジャー雑誌に送ってボツになった原稿を、3月29日~3月31日にアップした。ちょうとその時期に書いていた原稿用紙30枚だったから。。。今考えれば、加筆修正してまたどこかに送れば良かったのに、と思ったりするが…。そして、その時点で4月1日分からガランと空いている日にち…。この空白をどうするか…。「とりあえず、何か書いてどんどんアップしてゆけばいいじゃん」と私は安易に思った。この田舎で私が体験していることは、珍しいことが多いかもしれない。マイナス30℃の冬なんて、北海道出身の私であっても、オホーツクで初めて経験したことだった。そして、やっぱり田舎だなぁと思うことも数多く発生している。そして、私が見てきた東京のこと…。熟しきっていたバブル期を含め、私はとても熱い時代に東京にいたと思う。今、あらためて東京に行くと、おそらくまた変貌しているだろう。私の知っている東京は消えているのかもしれない。消えてしまっているならば書きとめておきたい、と思った。あれを書こう、これを書こう。いろんなことが頭をよぎる。しかし、それらを文章にまとめる時間がない。というより、私の能力不足のために(!)文章を量産することが予想以上に難しかった。後に『ボツ原稿放出キャンペーン』として、以前書いた原稿に加筆修正しながらアップも続けた。しかし、まだまだ埋まらなかった。10月中には全部埋めたいなぁと思っていたがなかなかできず…。そして、『やさしいことばでかたるよのなか』の文章を加筆修正してアップし、ようやく埋めた形になった。。。編集画面でカレンダーを見ると、3月29日からここまで、全部黄色く変わっている! ひゃー埋まってる~!『やさしいことばでかたるよのなか』は、私がミニまぐで発行しているメールマガジンである(PCでごらんの方! 画面左側にリンクがあります♪)。私が前に発行していた塾の『教室だより』、そして今は地域向けに発行しているフリーペーパー『さんぽみち』の“子ども向け”の文章を、週2回メルマガにしているのである。“子ども向け”なのに漢字が多く、改善しなければ…と思いながらメルマガは1年近く続いている。ありがたいことに、長期にわたって購読してくださる方もいる。楽天日記にアップする時には改行を入れ、できるだけ読みやすくしたつもりだが…まだまだ反省。。。。自分の書いた文章であっても、半年、1年も経つと他人様が書いたものに見えてくる。だからこそ客観的になれて、文章の欠点が発見できるものだ。こういった欠点を、今後に役立てたらいいのだが…。また明日からも、新たな気持ちで日記を書いてゆこうと思う。古いこと新しいことジャンジャンね。-----------------------------------------------------で、本日から、<今日の公募!>というコーナーを作ることにしました。勝手ながら、今月は“公募強化月間”として、とりあえず毎日公募しちゃおうと考えたわけさっ!と言いながら、明日は無かったらごめんなさい。。。。<今日の公募!>○K随筆文学賞 随筆○N社エッセイ大賞 エッセイ以上
2004/11/01
全30件 (30件中 1-30件目)
1
![]()

