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僕は、基本的に公衆トイレの大の方で、並んで順番を待つということが出来ません。公園・病院・デパート・娯楽施設・サービスエリア・コンビニのトイレに、先に人が入っている場合、くるりとUターンしてトイレを出ます。さっさと諦めて、別のひと気のないトイレを探します。並んで待つということは、個室から出て来る彼とすれ違わねばならず、個室に入れば、さっきの彼の残り香を嗅がねばならず、便座に残った彼の温もりを感じねばならず、最悪の場合、便器にこびり付いた彼の思い出を、何気ない週末を、否が応でも目撃せねばならず、ついさっきまで、ここに脂汗をかいて座っていた彼の姿が、彼の残像が、いつまでも僕を悩ませるからである。だから僕は、外出中に便意をもよおすと、いつも前のめりになりながら、清潔で、使用後15分以上は経っていて、便座がひんやりしている、そんなトイレを探し、徘徊する。ちなみに、僕は潔癖症ではねっす。ただ、一度気になりだすと、とことん気になる性格みたいです。イオンなどで、家族でショッピングをしている時に、便意をもよおすと、僕は妻に「・・・僕、行ってくる」と告げてから、トイレに行く。妻は、僕の全てを知っているから、「がんばって!自分を信じて!」と声援を送り、僕を見送る。「・・・ダメだった」トイレが混んでいたり、汚かったりで、僕がこうべを垂れ、即引き返してくると、妻は「そーか、そーか、しゃーない、しゃーない、次がんばろ、二階のトイレ行ってみよっかね」完全に足らん子を諭すように、やさしく慰めてくれる。「どーしたの? パパ、何があったの?」 移動中、子供達が僕を心配する。「・・・相手にしちゃダメ」 妻の言葉を背に、二階のトレイに行ってみる。「・・・ムリだった」「・・・そーか、そーか、しゃーない、しゃーない、そこいらの土手で盛ってらっしゃい」さっきと同じトーンで、ただし目が全然笑っていない妻が、やさしく慰めてくれる。そんなだから、普段から外出中に便意をもよおさないよう、努力はしているのであるが、それでも、お腹の調子がタワー・オブ・テラーの日はある訳で、先日も、前の日に食べた台湾ラーメンが、地上38mから落下するような勢いで僕の腹部を襲うので、致し方なく、最寄りのコンビニに飛び込み、使用中の個室の前に並んだのである。洗浄音の後、中から出て来たのは、スーツ姿の若いビジネスマン。入れ替わりで僕が個室に入ると、案の定、便器には彼の熱いメッセージがこびりついてやがる。こういった場合、煙草や空き缶のポイ捨ての撃退法に倣って、まだ店内にいる彼に向かって、「すいませーーん!落とし物でーーす!」と言ったほうがいいのか。それとも、第三者に承認を得るため、店内の誰かをとっ捕まえて、「これ!僕のじゃなあああああい!」と半狂乱で叫んでから扉を閉めるのがよいのか。恐らく、どちらも通報されてしまうであろう。黙って扉を閉めるしかないのだ。とほほ。問題は、僕が用を終えてトイレから出た時、入れ替わりで次に入る人に、便器にこびりついたメッセージを、僕のメッセージだと勘違いされてしまうことだ。それだけは絶対に避けねばならない。濡れ衣だ。僕は、熱いシャウトはするが、便器に残るメッセージ性は無い。ひとまず立小便スタイルで、落ち着いて的を定め、彼のメッセージを尿で高圧洗浄してみる。多少取れた。んが、完全に落ちきる前に、悲しいかな、水源が枯渇してしまう。備え付けの便所ブラシや、洗浄ガンがあればよいのだが。うーん、何もねー。しゃーねー。トイレットペーパーで拭き取るしかない。悔しい。泣けてくる。いっそ自分がシャウトし終わってから掃除しようかとも思ったが、それでは、彼のメッセージと僕のメッセージが交じり合い、いったい何を伝えたいのか分からなくなってしまふ。ソニンと後藤真希の弟の「おーととっと夏だぜ」みないな、ぐちゃんぐちゃんな作品になってしまふ。そんなのは嫌だ!僕が僕であるために!僕は僕だけの世界観を、この便器に描きたい!・・・と言う訳で、僕は昼下がりのコンビニのトイレで、若いビジネスマンのメッセージを拭いた。店から出ると、さっきの若いビジネスマンが、携帯電話で話している。「はい、例の案件、今月中には何とか契約に持ち込めそうです。難攻しましたが、前向きに頑張った甲斐がありました。」・・・若者よ。前向きに頑張るのはよいことであるが、トイレで用を足した時ぐらい、おのれを振り返ってみても、人生、損はないと思うぞ。にほんブログ村↑ポチッと一枚!時に憐れむように僕を見る、妻のルーム。
2021.01.31

鬼はァそーと!このご時世、されるべくして発売された節分の豆っすな。あ、さて、全集中。妻が、用事や習い事などで車を使いたい日、僕は自転車で通勤している。僕は、GIANTのマウンテンバイクに乗っています。基本的に車道は走らず、自転車の通行出来る歩道を走る。だって、車、怖いんだもの。自転車に乗っていて一番困るのが、歩道の真ん中を人が歩いている時です。だって、通れないんだもの。最近の自転車は車輪の音も静かだし、耳にイヤホン突っ込んで音楽聞いてる歩行者も多いから、なかなか後方の自転車の気配に気が付いてくんねー。てか、おま、なー抜かしとん。ベルを鳴らせばよかろう。ベルを。って話なんすけどね。いやいや、みなさん、自転車のベルって鳴らせます?僕、はばかられるわあ。 最近の自転車のベル、極力鳴らしたくない。もうね、かん高く響き渡る、あのチーーン!チーーン!っていう警笛音がね。僕には、どけー!どけコラー! としか聞こえないのよね。チーーン!(どけコラー!) チーーン!(ジャマだオラー!)チーーン!(ドタマかち割って!)チーーン!(ストローで!)チーーン!(血ちゅーちゅー吸うたろかー!)やめてよ、もう。何でああ威圧的に戦闘的に鳴るかねえ、あーた。天下の歩行者様が、ほんの一瞬でもご不快になられたら、どーすんのよ、あーた。その点、昭和のベルは謙虚だったよ~。ジリンジリン。(きゃはっ、すいまっせ~ん)ジリンジリン。(うはっ、しがない軽車両が通りま~す)これ鳴らしてる意味あんの?って感じで、実にいい味出してた。そんなこんなで僕は、道の真ん中に人がいて自転車が通れない時は、① とにかく、先ず一度自転車から降りる。② 次に、歩行者が僕に気付くまで、後で無言で自転車を引いて歩く。③ あとは、歩行者の横を自転車を引いて静かに通り抜けるタイミングを、ただひたすら伺う。まあ、大抵の人は、すぐに後ろの僕に気付いて、道を譲ってくれるんすけどね。もうね、耳にイヤホン突っ込んで音楽聞いてる人なんか、笑っちゃうほど気付いてくんねーから。あんなもん、内側がスクリーンのメガネかけて、映画見ながら歩いてるみたいなもんだから。聞こえてねーって、見えてねーのと同じぐらい危険だと思うけどな。んで、歩道が少し広くなったタイミングで自転車を引きながら横を通り過ぎるとさ、ぎゃ!つって、すんげーでっけえ声でびっくりされんのね。イヤホンの音量で発するからね。不自然に声がでかい。そりゃんぎゃ!つって、こっちも負けじとびっくりするっつーの。そして、去り際に、・・・こわ。 なんつって後ろから聞こえてくる。ぎゃ!んぎゃ!・・・こわ。ぶわ!ぬわ!・・・キモ。はが!はべべ!・・・死ね。出社も、帰路も、とんだ珍道中さ。でさ。最近の自転車のベルは、鳴らしにくい。という上記のようなエピソードを会社で話したら、けっこう賛同する社員がいてさ。ほ~らやっぱり、人類みな、変なところで小心者なんだと調子こいてたら、そん時、ある社員が、ボソッとこう言ったのよ。あのね部長、ベルは、近くで鳴らしちゃダメなんですよ。歩行者を確認した15m~20mほど遠くで鳴らすとよいです。ずいぶん罪悪感は薄れるし、相手にも不快感を与えません。・・・な、な、なるほど。・・・ぐうの音も出ねえ。不意に放たれた完膚なきまでの正論に、その時の僕は、素直な返事をするとが、何故だか無性にはばかられ、ふーん、あっそ。などと、実にそっけない、実に味気ない、実に邪険なリアクションをしてしまったのよね。僕の心に、鬼がいる。鬼はァそーと!にほんブログ村↑ポチッと一枚!お暇なら来てよね。妻のルーーーム!
2021.01.28

割り込まれの多い人生を送って来ました。思えば隙だらけの人生でした。コンビニのレジなんか、頻繁に割り込まれまくりの刑。原因は分かっている。いつも僕はレジに並ぶ時、意識を土星近辺まで飛ばし、極端にボーーっとしているか、うまい棒・よっちゃんイカなどの駄菓子に目移りし、挙動不審でキョロキョロしているかのどちらかなので、周囲からは、恐らく並んでレジを待っている人に、まるで見えていないのではないかと思われる。もう少し「私、並んでます!」オーラを醸し出さねばと反省しつつ、ついついサボってしまう。誰のせいでもありゃしねえ。みんなオイラが悪いのさ。ちんぽこちんぽこりんちんぽこちんぽこりん。割り込んでくるのは、ほぼお年寄り。ありゃ悪気はねーな。年齢と共に周囲への注意力が低下しているだけだ。最近のコンビニは、並ぶ位置を床にテープで印し、ソーシャルディスタンスを確保しているのだが、コンビニの出入り口から見て、そのフォーク並びのフォークの根本になる先頭の位置が、商品棚で死角になりがちなのが、そもそもの問題ではないかと思う。入店してすぐ近くのレジに直行する公共料金を支払いに来たお年寄りなんかは、まずこちらに気が付いていない。とは言え、たとえジジババに割り込まれても、大抵の店員さんは気を利かせて、後ろで待っている僕に向かい、大きな声で「次のお客様どーぞ!」と、目の前の相手の不正をあからさまに諭して下さったりする。さて、ここからが、コンビニのレジで割り込まれた時の、僕の対処法。僕は漏れなく「お先にどうぞ」と言って、順番を譲て差し上げる。まあ、これを会社などで話すと、大概思いっきり引かれ、愕然とされるのだが。何も解決しません。自分の為になりません。相手の為にもなりません。ひいては世の為人の為になりません。なんつって、周囲に厳重注意されるのだが。てか、正直言って、僕は割り込まれても、全然苦じゃない。まるで腹も立たない。ただ「ああそうなんだ」と思うだけです。物理的にも、一刻一秒を争うほど急いではいない。いつも時間にゆとりをもって行動している。それでも、やはりがんばって腹を立て、がんばって注意するべきなのか、いつも悩むところだ。先日も、昼下がりに、あるコンビニで手指消毒をした後、カレーパンと温かい紅茶を持ってレジで並んでいると、やはり男性のお年寄りが入店して、僕に気づかずすぐレジに並んだ。見事なまでの割り込みっぷりだ。問題は、この日は僕の後ろにも四~五人並んでいたことだ。ああ、どーしよう。正直言ってぼかあ全然苦じゃないぞ。全然腹も立たないぞ。でも、先頭の僕がこの爺さんを注意しないと、後続の人達にご迷惑をかけてしまうパターンじゃないの、これ。どーしよう僕。どーしてくれよう僕。「あの、自分が行きますんで・・・たはは」結局僕は、後ろに並んでいたおば様にそう声を掛け、自ら列の最後尾に移動した。割り込み爺さんも、僕の後ろの人達も、誰も損していない。これでいいじゃないか。ところが、僕の後ろにいたおば様は、僕が移動した刹那、「すみません!並んでますけど!」と、その爺さんにまくし立てていた。僕が譲ったんだから、もういいじゃないか。やめてくれ。と、思った。んが。おば様的には、そういう問題じゃないのであろう。まあ、色々な人がいるし、おそらくそのおば様の行動こそが世間的には正しいのだろうけど。ふと、太宰治の小説の、主人公・葉蔵と堀木という人物との、やりとりを思い出した。「これ以上は、世間が、ゆるさないからな」「世間というのは、君じゃないか」という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。(それは世間が、ゆるさない)(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)(世間じゃない。あなたでしょう?)(いまに世間から葬られる)(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)なんだかこの空間にいることが、とても苦痛に感じられ、僕は一度手にした商品を、申し訳ないと思いながら棚に戻し、消毒をして店を出た。食べるのが面倒くさくなり、その日の昼飯は抜きにした。ああ、早く家に帰って、妻が焼いたパンを食べたい。一刻も早く妻のパンが食べたい。あとはただ、呆けたように、そんなことを考えていました。人間失格。にほんブログ村↑ポチッと一枚!パン焼きグッツも紹介してます。妻のルーム↓
2021.01.23

「鍋」。長女が描いた。まったく子供がのびのび描いた絵はいいもんだ。特に上の方、鍋が画用紙からはみ出してるところがいい。描き直さないところがいい。はみ出したまま描き切るところが、僕は好き。ずいぶん前、とある芸術系の学校で改修工事をしたことがある。んもお、大変だったよ。何が大変って、とにかく教授も学生も、ほら、アーティストだから。みなさん、掴みどころがない方々ばかりでね。例えば、草刈り機でブインブイン除草してるとさ。「すみません。今、降りてるところだから、一時間だけ静かにして下さい。」っつーんだよ。学生がタバコ咥えて、彫刻刀持ってウーンなんつって唸っちゃって。「降りてる」って何だよ。恐山のイタコじゃねーっつーんだよ。ったく、こっちゃあ、何週間も前から工事告知してんだけどね。ははは。そこは、ほら、アーティストだから。感性の人だから。従うしかない。ぶはは。あと、給水管を埋設するので、敷地内の道路を三日間だけ車両通行止めにした時も、教授が、夜中に急に何や知らんでっかいオブジェを持ち出したくなったから、車通してくれっつーんだよ。施設側が「言い出したら聞かない人なので、何とかお願いします」っつーんだよ。たまんねーよ。もちろん事前に施設に許可取って、入念な告知をしてんだけどね。だはは。つくづくアーティストってのは、僕のような工事屋の頭では図りかねる人種だと思ったよ。僕の経験上、学校の工事で一番難儀だったのがその芸術学校の改修工事。次に難儀だったのが、工期が受験シーズンと重なった進学高校の改修工事。ちなみに、逆に一番工事がやりやすかったのは、工業高校。先生も生徒も、涙が出るほど協力的だった。学校側にお願いするモノの移動とか雑用とか、アンタら職人かよ!って感じでテキパキと動いてくれた。自分自身でおありなさい。僕の大好きな詩人・中原中也が、かつての恋人・泰子に送った言葉。自分自身でおありなさい。弱気のために喋ったり動いたりすることを断じておやめなさい。断じてやめようと願なさい。そしてそれをほんの一時間でもつづけて御覧なさい。すればそのうちきっと何か自分のアプリオリというか何かが働きだして、歌うことが出来ます。女優志望の元カノ泰子が、自己の表現に悩んでいる時に、中也が書いた長い手紙の一文である。もちろん、中也はこの言葉を有言実行した詩人だった。自らの心を、自らえぐり取るような繊細な詩を多く発表し、波乱の人生の末、最期は心も体もおかしくなって、三十歳という若さで死んだ。十歳になるうちの長女の将来の夢は「芸術家」。保育園の頃からの変わらぬ夢だ。どーぞどーぞ、なれるもんならなってちょうだい芸術家、ってな感じよ、僕としては。少なくとも親の経済的な理由で挫折だけはさせたくないので、がんばるしかない、父としては。てかさ、詩人であれ、画家であれ、音楽家であれ、その作品に世間の需要がなければ、当然芸術活動だけでは生活していけないのだけれど。だからと言って、みんなが「いいね」と評価するような、世間に媚びた作品だけを作り、いつしか他人の評価そのものが活動の目的と成り果て、そしてその思惑が作品から世間へ露骨にダダ洩れしてしまうことで、結果として、逆に評価を下げてしまうなんてこともあるにはある訳で。重ねて言うが、アーティストってなあ、まったく不可解な人種だなあ。自分自身であることで、世間の評価を得るのだ。自分自身であり続けることが、仕事みたいなもんだ。芸術を生業とし続けられる人ってのは、はるか昔に、そんな感性をどこかに置き忘れてきた僕にとっては、いやはや、やはりどこか図りかねる人達なのだよ。兎にも角にも、長女よ、君の夢が夢ならば。どうか自分自身でおありなさい。一生涯絵筆を片手に、自分自身であり続けることが、さて、君には出来るかな?ちなみに、先ほどの手紙を、中原中也は「芸術の動機」と題した。な~るほど、これから書くことに迷った時は、僕は僕なりに「芸術」を「発信」にちょいと置き換えて、自分自身でおありなさい。これを「発信の動機」とするのもアリかも。ベキかも。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2021.01.20

だからね。モモちゃん。パパは思うんだ。僕たち、家族は、たとえ、死に別れてしまっても、また、必ず生まれ変わって、きっと、必ず、また巡り会えるんだよ。これまでだって、きっとそうだったんだよ。モモちゃんに出会った時の、あの「不思議な懐かしさ」は、きっとそういうことなんだよ。僕たちは、これまでも、これからも、何度も何度も、生まれ変わって、巡り会って、永遠に、家族を、繰り返すんだよ。三年前のちょうど今頃、こんな日記を書いた。モモがいなくなって、もう三年かあ。はええ。モモと妻と僕、三匹で過ごした16年という月日は。そのどの瞬間も、誰に恥じることなく。そのどの思い出も、誰にも汚されたくない。僕にとっては、そんな栄光の日々なのです。それは、途中でズカズカと割り込んで来た、娘っち達も同様で。モモと妻と僕、三匹が頑なに守り抜いたその「理想のかたまり」は。そう簡単にオメエらごときにゃあ分けてやらないぞぃ。みたいな、ちょっと意地悪な感情さえ沸いたりする。娘っち達には、この二代目と、そして妻と、そんな関係を築いて行って欲しい。子供たちの番でいい。僕は正直、少し離れて見ていたい。思い出すよ。君の、あのいつも困ったような顔、鳴き声、臭い、温もり。今でも、ありありと思い出す。目、鼻、口、舌、毛、爪、肉球、手、足、シッポ。生々しく、よみがえる。うっかり忘れていた方向で。おーい、なんて君を呼べば。まだ認めない方向で。仕事帰りの玄関先で君の名を呼べば。今日だってあの扉の向こうから。君がかけてきてくれる。そんな気がしてならないよ。君は今、どこにいるの?はやく近くに来て下さい。ダメだこりゃ。会いたい。抱きしめたい。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2021.01.15

これ、妻の手作りパンです。ユニホームをかするぐらいの暴投なら、まあケガもないし良しとすっかってな感じで、もともと味覚のストライクゾーンが鬼広い僕なんかが言うのも何ですが、妻のパン、とても美味しいです。なんか昔の「もちっ子」みなたいなパン焼き機と、あとはオーブンを駆使して作ってますよ。時々食パンとかも作ってくれます。これがまた美味しい。どうっすか画像? 美味しそうに撮れてますか?僕ね、料理の写真を撮るのが苦手っつーか、何つーか。アップする時、いつも迷います。とほほ。SNS上で拝見する料理の画像を、あくまで個人的な見る側のスタンスでいうと、やっぱり「映える画像」と「美味しそうな画像・食欲をそそる画像」ってのは、まったく別ものかなと感じます。映える画像だからといって、美味しそうとは限らない。食欲をそそるイコール、いわゆる映える画像かというと、必ずしもそうではない。僕的には「美味しそうな画像・食欲をそそる画像」の方を、がんばって撮りたいんすけどね。うーん、なかなか難しいっすね。ちょいと前まで、楽天ブログのトップページには、「大酒飲みブログ」が二つあって。まあ、今は更新が途絶えていたり、別の場所で拝見したりで、本当に寂しい限りなのですけど。そのお二人のブロガーが撮る「店の外観の画像」とか、どれもこれもすんげーシブくてね。風情があってね。なんかアートなのね。もうそれだけで飲酒欲そそるっっちゅーか。写真集出たら俺ぜってー買うっちゅーか。もちろん、酒や料理の画像も、こんれがまたそそるのよ。シュっとした画像もあんだけどさ。飲みかけのグラスとか、食べかけの缶詰とか、がんがんアップしててね。ははは。広げたティッシュの上にばらばらっと置かれたスルメとか、すんげー美味そうなのね。たはは。あれぞ「美味しそうな画像・食欲をそそる画像」だと思いますね。ぶはは。ああいう「男のブログ」が少なくなるってのは、やっぱりね、重ねて寂しいっすね。とある休日の朝食。「美味しそうな画像・食欲をそそる画像」。・・・深いねえ。まんだまんだ修行がたらんねえ。にほんブログ村↑ポチッと一枚!料理上手は、食べ上手。食べるのも大好きな妻のルーム↓
2021.01.13

そうかあ、今日は成人の日かあ。思い出すなあ、成人式。懐かしいなあ、成人式。瞳を閉じれば、まぶたの裏に、今でもはっきりとあの日の風景が・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あれ、思い出せねえ。・・・・・・・・まるで記憶がねえ。・・・・・・・・・・・・だって、僕、成人式、行ってないからね。家でぐーぐー寝とった。ははは。やっぱあれだね、生まれた赤子が二十年生きたというだけで、成人すると思ったら大間違いだね。かつての僕みたいに、自分は成人するに値しない人間だと自ら判断して、出席を自粛するひねくれ者もいる。そのくせ夜の同窓会だけは、片っぱしからタダ酒飲んでやるってんで、友人の集いから、まったく知らねえ連中の集いまで、五軒もはしごする大馬鹿野郎もいるのだ。たはは。今年は、例年の成人式を中止するところが多いんだってね。コロナでね。例年のいわゆる「荒れる成人式」の当事者たち、諸先輩方は、自分の後輩たちをどう見ているのだろう?よかったねえ。僕や君たちの時代には、たまたま成人式があって。式がなければ、荒れることも出来ない。式がなければ、出席しないという選択も出来ない。せいぜい、当時式を開催してくれた地方自治体や、それを警備してくれた警察や、君たちが殴った大人や、君たちを白い目で見てくれた日本中に感謝だね。式がなければ、悪ふざけすら出来ないからね。今思えば、呆れるほど、平和な時代だった。恥ずかしいね。反省しようね。最近は2分の1成人式ってのがあるにはあるらしいが。うちの長女が十歳だから、ちょうどそれにあたるのだけれど。まあ、うちは取り立ててお祝いはしていません。写真屋さんで写真ぐらいとも思ったけど。なんとなく、それもしていません。だたもう、なんとなくです。しっかし、もう十歳かあ。あと十年なんて、あっという間なのでしょうね。でしょう?あははははははは。うちの娘たちが成人する頃には、この日本はどうなっているのだろう?十年後もまだ、成人式は中止されているのかな。十年経ったらきっと、我が子の眩しい振袖姿が見られるのかな。十年経ってもまだ、悪ガキどもが悪ふざけ出来る式典はあるのかな。そのころにはもう、成人式なんて無くなってるのかな。・・・がんばらなきゃ。二十歳になる若者たち。昨日までの「当たり前」が、目の前ではらはらと、まるで砂の城のようにもろく崩れ去ってゆきます。今日の「あたり前」だって、明日になればハッキリ言ってどーだか分かりません。そんな何だかもう第三次世界大戦のような毎日のなかで、今日まで、なに不自由なく君たちを育ててくれた、君のまわりの立派な大人たちに、せいぜい感謝することだよ。よい服を着させてくれた、おいしい料理を食べさせてくれた、温かい部屋を与えてくれた、君の親に、親に代わる人に、惜しみなく感謝して下さい。感謝しろっつーの馬鹿野郎。大変な時代になっちゃったけど、もう散々って感じだけど、否が応でも、今日から大人の仲間入りになっちゃったわけで、ま、とりあえず、ご成人おめでとうございます。あと。パパ、ママ、お疲れさん。がんばった。あんたらぁ、よくがんばっただよ。ちなみに、先日長女が、「パパは、私がどんな人と結婚して欲しい?」と聞くので。しばらく考えた末、本を読む人。そう答えておきました。よかったかな?ま、これでいいのだ。にほんブログ村↑ポチッと一枚!子供大人化計画はまだまだ続く。僕の妻のルーム↓
2021.01.11

今回の首都圏一都三県への緊急事態宣言は、主に感染リスクの高い飲食店などを対象として、限定的に対策を講じる方針だ。槍玉に挙げられた飲食店業界はいよいよ、てか、んもお~とっくの昔に死活問題であろう。生まれてこの方飲食店から多くの素晴らしいサービスを受けてきた我々としては、今後も感染防止対策を講じつつ粛々と個人利用を続け、あとは政府の惜しみない助成を望むばかりだ。そんなこんなで、この新型コロナ渦中にて、「飲食」という文化が、これからどうなっていくのだろうかと考えてたんすけどね。ふと、昔読んだ漫画を思い出したっす。不二子・F・不二雄の短編SF漫画、タイトルは「気楽に殺ろうよ」。ある平凡なサラリーマンが、ある朝パラレルワールドに迷い込んでしまう。何とその世界では、「食文化」と「性文化」の価値観が、この世界と真逆であった。食事は秘め事。親しい者だけが、カーテンを閉め、部屋を暗くして行うべきこと。妻が、顔を赤らめ囁き声で「お食事が出来ました」などと言う。方や、性はあけっぴろげ。昼間から公園のベンチで若者が人目をはばからず行為をしていたり、子供の絵本の「こうして、シンデレラと王子様は結婚して幸せに暮らしましたとさ。おしまい」の場面で、シンデレラと王子様が思いっきり行為をしていたりする。彼は、自分はいよいよ気が狂ったのだと思い、精神科医のカウンセリングを受ける。その時、その世界の精神科医は、彼にこう言うのだ。性欲、食欲、ともに最も根源的な欲望ですね。どちらが欠けても人類は滅亡する。ところでこの二つのうち、恥じすべき行為はどちらでしょう?食欲とは何か? 個体を維持するためのもの。個人的、閉鎖的、独裁的欲望と言えます。性欲とは何か? 種族の存続を目的とするもの。公共的、社会的、発展的欲望と言えます。さて、恥じすべきは? 隠すべきは?その世界の彼は、深く考え込んでしまう。ははは。んで。この世界の僕も、今、ちょっくら考え込んでいるのである。命あるものを殺戮して自らの食糧とし、それを大勢で集い、騒ぎ、喰らい、食べ物に感謝することもなく、その挙句大量に食べ残す。この世界で、ごく当たり前とされる行為は、たしかに少し見方を変えれば、大変恥じすべき行為なのかもしれない。そもそも「食」の根本的な目的は、個体を維持すること。ところが僕たち人間は、縄文とか弥生よりもっと昔、遥か古の時代から、どうせ食べるなら美味しく!どうせ食べるなら楽しく!どうせ食べるなら大勢で!てな感じで、「食」というただの個体維持行為を「文化」にまで高めてきた訳である。さて、いよいよこのコロナ禍で、そんな飲食の文化が根本からくつがえろうとしている。忘年会が無いなら無いで、今まで何故あんな無駄なことしていたのだろうと、逆に思う。帰省が無くなり、会いたくない親族との楽しくない宴が無くなり、ほっとしている主婦も多い。その食べ物は、行列になって何時間も並び、ぎゅうぎゅう詰めで相席までして食べなければならないものか?この会話は、食事の席でしか話せないことか?この気持ちは、酒の席でしか伝えられないことか?料理は、ワイワイガヤガヤ食べるのが一番美味しいってのは、本当に本当に本当か?飲食の目的とは、本来は個体維持。であるならば、基本的には単身で、または本当に親しき限られた者たちと、大地の恵みに感謝し、命をくれた肉や魚に感謝し、作ってくれた人に感謝し、静かに、ゆっくり、食に集中して頂くというのが、本来の姿ではなかろうか?と、このコロナ渦中にて、個人的には、はんなり気付き始めているのである。だから外食も、少人数で、静かに、安全に、味も雰囲気もゆっくりと味わえる店であれば、これからも是非行きたいし、きっとこれから、そういう店が増えていくような予感がする。パラレルワールドに迷い込んでしまった彼じゃないけど、今日までの僕たちは何故、恥ずかしげもなく、当たり前のように、何時間も大勢で唾を飛ばし合いながら、だらだらとメシを喰い、酒を呑んでいたのであろう?そう考えてみると、探せども、探せども、そのもっともらしい理由が、この世界の僕にも、見付けられずじまいなのである。にほんブログ村↑ポチッと一枚!僕の胃袋を掴んで離さない妻のルーム↓
2021.01.10

僕は今日まで仕事が休み。妻は今日から仕事。長女は学校。只今、次女を守りしながらこの日記を書いている。それにつけても寝正月。いやあ、我ながら今年はよく寝たなあ。てか、普段から僕、よく寝る子です。毎晩午後10時にはとっとと寝る。んでもって毎朝6時には起きる。実直に律儀に8時間睡眠。最低でも7時間は寝たい。さもなくば翌日眠くて仕事にならない。正直、睡眠時間を削り夜中まで残業することを「がんばり」と感ずる、そんなサラリーマンの魔の術中にはまっていた時期が僕にもあった、とほほ、昔の話だ。今は、現場作業が押すのはさておき、書類関係がいかに建て込んでいても、午後7時にはさっさと帰宅し、愛する家族と幸せな時間を過ごし、その代わり翌早朝に1~2時間早出して、全集中で書類を片付けるようにしている。はっきり言って夜9時を過ぎた事務処理は極めて効率が悪い。やってる本人が一番分かっている筈だよね。集中力が散漫し、間違いも多く、それにすら気が付かない。いわゆる「何しとったかよ―分らん残業」ってやつだ。無駄に長い夜の残業を「がんばり」と勘違いしてしまう。これ、サラリーマンの初歩の過ち。快眠後のシャッキーンとした脳ミソで処理をすれば、経験上、夜中のそれの半分の時間で終わる。且つミスもない。まあ、僕は勤務時間が不規則な建設業界の人間だし、毎日タイムカードは押してはいるものの、個人的に残業時間や休日出勤にあまり縛られない雇用形態で会社と契約しているので、皆が僕のように自由に早朝勤務が出来るかというと、難しい問題のほうが多いのかもしれない。とはいえ昨今の働き方改革や、コロナ禍の自宅勤務の流れに乗っかって、残業は夜から朝への切り替えが定着すればいいのにと、勝手に期待する。でもなあ、家事や子育てと並行してとなると、やっぱ条件的に厳しいよなあ。無理だなあ。でもなあ、朝の集中力や頭の回転の速さったら、馬鹿になんねえのになあホント。話がそれた。僕、よく寝る子です。昼休憩も大いに寝る。昼飯を10分で食べ、残りの50分はがーがー寝る。午前中の業務で熱を帯びた頭を、寝ることで冷やしている感じ。家電のコンセントをいったん抜いている感じっつーか。んで、午後1時のアラームと同時に、クールダウンした頭でシャキッと午後の業務に向かう。寝る場所も選ばない。どこでも寝る。どんな状況でも寝る。「うおーーい、部長!ど、どこで寝てんすか!」とか、時々びっくりされる。「段ボールのおっちゃんじゃないんだから!」「屋根の先端で寝るスヌーピーじゃないんだから!」とか、ちょいちょい言われる。寝つきも大変よい。ブーと、競る。のび太と、とんとん。おやすぐぴーーー。ってな感じ。A・B・Cそっちのけでゼットを連呼、ZZZZZZZZZ・・・・寝起きも、すこぶるよい。朝からとんこつラーメン、飲み干す。早朝ヘビメタ、ノリノリでヘッドバンキングする。田代まさしの気配に気づく。とはいえ、そんな僕にも、年に数回、眠れない夜がある。あるんです。仕事のことで猛烈に悩んでいたり、どうしても怒りが収まらぬことがあったり。まあ、僕のそういった眠れぬ夜の対処法は、いたってシンプルで。眠れない夜は、起きている。ははは。無理に眠ろうとしない。眠れないことを、苦にもしない。いっそのこと、とことん起きてやる。翌日の仮眠も避ける。酒や薬に頼らない。本でも読んで。二日でも、三日でも起きてやる。すると、いずれ、死ぬほど疲れて、よく眠むれる。したがって、今日まで不眠で悩んだことは、一度も無い。つくづく、僕、よく寝る子です。何だろう? よほど睡眠欲という欲求に素直な作りなのかな?まわりからすれば、極度のストレスと思われる状況下にあっても、昔から「べ~つに明日取って喰われる訳じゃなし」と半笑いで目をつぶると、気が付いたら朝になっている。ぶっはははは。我ながら、呆れるほど能天気な性分だ。密かに、ちょっとした才能ではないかと思っていぐぴーぐぴー・・・にほんブログ村↑ポチッと一枚!能天気な夫と違い、些細なコトでちょいちょい眠れなくなる妻のルーム↓
2021.01.05

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。Q輔とU子とP子とOちゃんとウリねえ、見て。うちの鏡餅。ほら、よーく見て。木で出来てんの。だは。食べらんねーの。だはは。妻が「嘉門工藝」さんから買いました。嘉門工藝とは茶道具や和風小物などを制作している会社です。しっかし、しっぶい逸品だね、こりゃ。ご覧なすって、ご覧なすって。ほんら、この通り。お餅も橙も精巧な曲線で削られた木です。ちなみに、この大いに歪みたる漆の高台盆は、妻がアンティークショップで掘り出してきたもの。U子さん、実は四年前から年の瀬になると、これを購入するか否か悩んでいたらしい。去年までは、鏡餅型のプラッチクの中に真空パックの切り餅が入った、いわゆる市販の鏡餅セットを飾っとったんだけどさ。僕が餅をほとんど食べないので、結局たくさん余っちゃってね。まあ、よくよく考えたら鏡餅の用途目的って「飾ること」が第一ですからね。これからはクリスマスツリーや雛人形のように、時期が来たら出し、行事が済んだら片付けるんだって。昨年はコロナで年末の家族旅行を自粛したので、どうやらその予算を充てたようですが・・・。ぼかあ、怖くて購入金額は聞いてねーだよ。よー聞かんわ。とほほ。あーあ、また我が家に「妻のお気に入り」が増えたがや。よーこそって感じだよ、ったくよー。ま、しぶいから、許す。君の、気品にゃ、負けたよ。そんなこんなで「家曜日」。今年もすっかり始まっちゃってまーーす。さて。今年は、どうなることやら。あ、さて。にほんブログ村↑ポチッと一枚!ぼちぼちやってます。U子さんのルーム↓
2021.01.01
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