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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあいと娘3人との5人暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。

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2008/04/30
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カテゴリ: 生活

皆さんにも、こんな経験、あるでしょうか。
 最近、わたしに起こったこと、ちょっと聞いていただこうかな、と思います。



             *



 ああ、もう、終わりかな、と思った。
 最近は、ずっと崖っぷちにいた。
 ここで、かなり長いあいだ踏みとどまっていた。
 つよい風でもひと吹きすれば、すぐさま、ころがり落ちてしまいそうで、かなりチカラを入れて踏ん張っていたのだった。
 わたしを踏ん張らせたものは、この数年友だちだった彼女の、魅力だと思う。
 彼女から受ける刺激が、わたしには新鮮に感じられた。いつも、少しちくちくしたが。
 しかしながら、一昨日のわたしは……、「皮を剥かれた白うさぎ」だった。剥くのも、そこにすりこまれた塩も、みんなコトバでのこと。
 わたしが、ひとには決してしないと決めていることが、あとから、あとから、降ってくる。
「これは、もう刺激という域を越えている……撤退」
 と密かにこころを決め、決めた現場から、終電で帰る。



 撤退。
 友だちだった彼女からの。 深夜、ぼんやりしながら、駅からの道をふらありふらありと歩く。
 ひとりで、もう少しのあいだ、ぼんやりしたかった。



「あのひとのところへ」
 そう思いつくやいなや、気持ちがゆるむ。 あ、わたし、泣いてる。
 道端の電灯が、泣き顔を照らすのなんかは、平気。この際だ、ちょっと泣こう、そう思っていた。



「あのひと」とは、こぶしの大木。
 今年の3月この項にも書かせてもらった( 「春愁」 )、あの、こぶしの木なのだ。
 春先、ほんの少ししか蕾をつけず、その蕾も硬いままで、ほとんど咲かなかった。わずかに花と呼べそうなそれも、薄紙を、くしゃっと小さくまるめたような花だった。



 あのときわたしは、この木に向かって、「がんばって」と声をかけた。花も咲かせないこぶしが、心配で、祈るような気持ちだった。
 それからひと月半のあいだに、幾度かこぶしを見舞ったが、この日ばかりは、見舞いどころか、すがる気持ちで訪ねた。
 弱っている者同士、より添いたかった。
「どうしてこんなに悲しいんだろう」
 と言って、泣きたかった。



 こぶしは、クログロと茂っている。



 葉っぱがクログロとして見えたのは、深夜のせいで、昼間見上げたなら、青青と見えるだろう。
 こぶしのほうは、再生を果たしていた。
 ううっと小さくしゃくり上げながら、目を見張る。木を仰ぐ。



 励ましていたはずが、励まされている……。
 なんともいえない気持ちで、家に帰る。 来年、花を咲かせて見せてくれるかどうかということまでは、わからないにしても。
 ともに、寿命の尽きる日まで、と想う。





 わたしは、いまはもう元気です。
 こぶしや、友だちや、近しいひとびとの存在のおかげで。
 こんな話を、静かに読んでくださる皆さんのおかげで。 ふ


Photo



ほうら、こんなに葉っぱが……。







1



「すっかり元気になりました」
とはいえない状態のはずですが、
ひとつの再生を果たしているこぶし。
……励まされます。






Photo_2





軍手が、こぶしの柵に、
こんなふうにひっかけてあったんです。
この木のお医者さんが、昼ごはんに
出かけたのじゃないでしょうか。
軍手にむかって、
「よろしくお願いします」と。







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最終更新日  2008/04/30 10:00:00 AM
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