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. 穂高岳登山(15) 「迷路の前穂高岳」 (画像は和田様ほかの御提供による、現地イメージ写真です)悪天候には迷いやすい、紀美子平より前穂の登りルート(左の○印):dh33-2紀美子平付近からの前穂と明神:dh33吊尾根から前穂:dh35さて、小生は前穂のピークに立とうか、それとも吊尾根から奥穂を目指そうか、思案しながら自分の体調に聞いてみた。 体調、コンデションはまずまずようであり、時間的にも充分余裕が有りそうなので前穂へのアタック・決行をすることにした。 それに以前、槍から奥穂への縦走、更に、吊尾根から岳沢へ下った折は、「前穂」は遠慮した経緯もあったので・・!。ただ、現実は前穂の頂は無論、ガスに閉ざされて全く見えていない。 叉、地図を見てもここより(紀美子平)の所要時間が一体どのくらいかかるか記されてもいない。 隣の人に尋ねてみた・・、「前穂はいかれましたか・・?」「はい、ここへ荷物を置いて身軽にして往復1時間といったところでしょう」丁重な返事にお礼陳べて、更に意を決した。 それに、もしかしたら前穂の頂上へは二度と踏む機会が無いかもしれないのだ。穂高連峰の一角を占める前穂高岳(3090m)へアタックを開始した。ゴツゴツした岩だらけの登行は相変わらずで、真っ黒い岩塊が圧倒するようだ。踏み跡や○、⇒を頼りに進むのであるが、時折、そこから外れてしまうときもある。 そして悪いところ出てしまったようだ。 完全に行き止まりで、ここから先は断崖になっている。 困った・・!!。上の方で人の声がしたので・・、「すいません、チョッと悪場に来ちゃったみたいで、この先ルートは有りますか・・?」「そうですね、戻ったほうがよろしいでしょう」仕方なく、今来た道筋を確かめながら戻ることにした。 惜しい気もするが安全のためであり納得する。慎重に数10m戻ると、確かに踏み跡らしいのが現われて薄いペンキ印も見つかった。 確かめると、身体一つ分の岩の狭い割れ目がルートようで、足場も何とか確保できそうであった。 ホールドとスタンスを慎重にとりながら、ホンの7~8mの登攀で、しかも身軽な出で立ちであるが妙に疲れ、苦痛な程だ。 更に、上部は壁のような岩が立ちはだかって、かなり難儀しそうである。 小さな割れ目に指を突っ込み、叉、岩の凹みや裂け目を探して何とかスタンスを確保する。危険極まりない、おまけに見通しがうえに小雨と急風が身体を打つ。それにしても前穂のルートは此れほど難所なのであろうか・・?、それに人気のある前穂にしては人の姿が見当たらない・・?。妙な疑問を抱きながら、ヒョッとしたらこのルートも間違って・・?。 “無理するんじゃなかった”自問しながら、引き返すにも最早不可能の状態に陥っている。 とにかく上へ向うしかなかった。 前穂の頂上は直ぐそこに有ることは確かなのである。更に、手元と足場を充分に確かめながら前進する。最後の指力、腕力を使ってどうやら急峻な岩場を抜けたようである。 続く・・、尚、今後の写真掲載の大部は和田様、ほかの御提供によるものです。和田氏ホームページへ http://www.tok2.com/home/pokopoko110/newpage172.html【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観ハワイ旅行2007 九州旅行2008 沖縄旅行2008 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 北ア・槍-穂高(1968年) 上高地・岳沢・穂高(1979年) 上高地・明神(2008年) 南ア・北岳(1969年) 八ヶ岳(1966年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 谷川岳(1967年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 奥秩父・金峰山(1972) 《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」《スキー履歴》「スキー履歴」.
2010.08.31

. 穂高岳登山(14) 「重太郎新道; 紀美子平」 (画像の大部分は和田氏提供による、現地イメージ写真です)紀美子平の道標:dh32紀美子平の様子と道標2:dh32-2この僅かな平坦地は「紀美子平」といって奥穂と前穂の分岐点であり、この先、吊尾根を経て奥穂高へ、そして、ほぼ正面の前穂高の基部に当たるところでもある。 ゴツゴツした如何にも男性的な岩の殿堂に、可愛らしくも「紀美子平」と女性の名前が付いているところが微笑ましい・・!。紀美子平のその名は、重太郎新道を開いた故・今田重太郎氏が、一緒にその手伝いをしていた娘の紀美子さんが若くして亡くなられたのをきっかけに、その名づけられたそうである。 重太郎新道は、5才の紀美子を遊ばせながら道づくりをしたといわれている。余計ながら、今田紀美子氏は今田重太郎氏の姪で、後に養女になっている。 重太郎氏亡き後、暫らく穂高岳山荘を管理していたが、重太郎氏の甥で紀美子氏の実兄・英雄氏が妹の紀美子を助けながら、更に小屋の跡継ぎにと嘱望 され、後に今田家の養子となっている。 現在(昭和50年代)も2代目オーナーとして活躍中である。尚、紀美子氏は昭和45年、23歳という若さで病死している。 因みに、この穂高周辺に紀美子平と対極にあるのが、同じく男性の人名を使用した名称で「長谷川ピーク」というのがある。槍⇒穂の稜線上にある大キレットに位置する鋭く尖ったの岩稜ピークにことで、長谷川恒夫氏の名を付けたものである。彼は日本を代表する世界的なアルピニストで、奇しくも小生の住んでる(神奈川県厚木市)隣町の愛甲郡愛川町半原の出身である。世界各地の登攀を達成し、特にヨーロッパの三大北壁、エベレストに情熱を傾けた。最後にパキスタン・ウルタル2峰を登山中、雪崩により遭難死している。決して平とは言えない、猫の額ほどの「紀美子平」であるが、其々の人々が其々の想いで休息をとっていた。 だが、霧雨の中、時折吹き付ける風雨の悪天候、人々は今ひとつ表情が冴えない。 これも仕方がないことでもあろう。紀美子平からの前穂高へのルート:dh34本来なら周囲の大展望が得られる所であり、特に、前穂及び明神の峻険な峰が至近に眺められるところであるが、本日ばかりは実に生憎である。ところで、重太郎新道から紀美子平までの標高変化は岳沢ヒュッテ:2170m、カモシカ立場:2450m、岳沢パノラマ:2600m、雷鳥広場:2750m、紀美子平:2910mであり、前穂高標高:3090m、奥穂高標高:3190mなどである。そんな中、大柄な外人が上がってきた。 続いて通訳の人でもあろうか可憐な女性が同伴してきた。 気が付くと二人とも3000m級の登山の服装ではなく、上高地をぶらつく普段着の格好であった。男はジーパンスタイルでズック靴、大きな背に小さなザックがチョコンと付けている。 女性はさすがにスラックススタイルであるが、驚いたことに手篭をもっていてショルダーバックのように肩に掛けていた。 更に、この雨の中雨具の所持もなく、濡れるにまかせている。 やや無謀とも思える登山者・・?である。ところが、両人は疲れている気配が全くないのである。 そして、休む気配もなく地図を出し、前穂と奥穂とを見比べて、結局、奥穂へ向うらしい。付近の登山者に二言、三言、声を掛け、確認してそそくさと歩き出した。外人の大柄な身体だけでも目に付くのに、装備のスタイルといい、その所作といい我等は呆気にとられた感じである。次回へ・・、尚、今後の写真掲載の大部は、「和田様」の御提供によるものです。和田氏ホームページへ http://www.tok2.com/home/pokopoko110/newpage172.html【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観ハワイ旅行2007 九州旅行2008 沖縄旅行2008 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 北ア・槍-穂高(1968年) 上高地・岳沢・穂高(1979年) 上高地・明神(2008年) 南ア・北岳(1969年) 八ヶ岳(1966年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 谷川岳(1967年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 奥秩父・金峰山(1972) 《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」《スキー履歴》「スキー履歴」.
2010.08.30

. 穂高岳登山(13) 「重太郎新道;クサリ場」 (画像の大部分は和田氏提供による、現地イメージ写真です)確かに、この頃から下山の人達が目立つようになった。 やはり、このルート・重太郎新道は下山向きのルートが一般的らしい。上部へ到達するに従って、勾配、斜面も相当にきつくなっているようで、アルバイトが一段と強いられる。 時間的にも、そろそろ稜線に出てもよさそうであるが・・?、下山中の登山者におもわず声を掛ける・・、「あのー、吊尾根稜線はまだかかるようですか・・?」、「ああ、もうすぐですよ。 ただこの先、急なクサリ場が有りますので・・!」と色よい返事が返してきた。梯子の登り(紀美子平近し):dh29 その言葉を信じて、やや力を得て前進する。 暫らくすると、小さな岩尾根のピークに達した。 この後、彼が言っていたクサリではなく、先ず、ハシゴが現れた。 それも、当然の上りと思いきや、チョッとした下りにハシゴが架かっていたのだ。この場所を難なくクリアすると次に、凹みの場から、やはりと言うかクサリ場が現れた。 見上げるような、殆ど垂直と言っていいほどの岩礫帯で、しかも三連続けて延びているようだ。 紀美子平下部の最初の三連鎖:dh30紀美子平下部の最後の三連鎖(上方から望む垂直の壁):dh31 滑りやすい岩場のスタンスを確保して、クサリをしっかり握りしめ、注意しながら攀じる。 疲れた身体に鞭をうちながら、バランスよく登ってゆく。辺りを覗うと、岩場には他にも薄っすらと踏み跡が付いていて、必ずしもクサリを掴まなくても四つん這いの三点確保で上れないことはないようだ。 この鎖はどちらかといえば降り用と思えなくもない。 岩場の下りは、登りよりも危険であることは山家の常識でもある。尤も、普通のクサリ場を攀じる、叉は、降りる時は腕力に頼って体重を掛けるのでは無く、あくまでも主体は脚部のスタンス(足場のスペース)であり、腕は補助的なものとして扱ったほうが良いのであるが・・!。下山中の数人の登山者が上で待機していたようで、小生の苦闘する姿を見てか・・、「お疲れさんです」と声を掛けてくれた。 「いや、どうも」と小生も会釈しながら礼を返す。他人同士でありながら、ほんチョイの気遣いが心と身体を和ませてくれる。 これも山歩きの良さの一つであろう。三連鎖を上り終えて、ほんのチョイといったところで、小さな平坦地に着いた。そこには今にも朽ちそうな道標があって、三方向を記している。(今は立派な指導票が立っている)続く・・、尚、今後の写真掲載の大部は、「和田様」の御提供によるものです。和田氏ホームページへ http://www.tok2.com/home/pokopoko110/newpage172.html【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観ハワイ旅行2007 九州旅行2008 沖縄旅行2008 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 北ア・槍-穂高(1968年) 上高地・岳沢・穂高(1979年) 上高地・明神(2008年) 南ア・北岳(1969年) 八ヶ岳(1966年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 谷川岳(1967年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 奥秩父・金峰山(1972) 《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」《スキー履歴》「スキー履歴」.
2010.08.29

. 穂高岳登山(12) 「過酷;重太郎新道」 (画像の大部分は和田氏提供による、現地イメージ写真です)気が付くと既に森林限界に達しているようである。 高度が増すに従ってダケカンバなどの低木も疎らになってきて、白山シャクナゲや這い松に変わりつつある。 そして、花は終わったものの緑の高山植物の草付岩稜帯になっている。しかし、シャクナゲや高山植物に見とれる暇もなく、これより先も黙々と、ただひたすらに登るだけである。 dh27 這い松や高山植物帯とハシゴ場前穂の頂上や直ぐ隣に控える「明神岳」も、今確かめた限りでは、まだかなり高方にあったように思う。 しかし考えようによっては、すぐそこにあった様な気もする。dh28 先鋭・明神岳の雄姿先刻のガスの束の間の晴れ間じゃないけど・・、大展望を欲しいままにして登るのと、現況のように目先しか見えない闇の中に歩をとるのと、どちらが得策か・・?。変な自問自答をしながら、天然自然のことは意に沿わないことを承知しながらも、やはり悪天候が恨めしい・・!!。気持ちが次第に沈気に成ってゆくのも、やはり疲れが蓄積しているのであろう、気持ちに合わせるように、叉々小雨が降りてきた。dh26 岩場の登り(紀美子平近し)「重太郎殿、もうそろそろ勘弁して下さいよー・・、」と、泣き言の一つも云いたくなる。岩場に付けられた○、⇒のマークを頼りに行くのであるが、所々、風雨に洗われて薄く、見難くなっているところもある。 ただ、踏み跡ははっきりしているようだ。ところがよく見ると道は一方とは限らず、特にガレバの踏跡には二方、三方と付いている場合もある。 下山中のパーティが上方から声がして、間もなくすれ違うのかなと思ったが、かなり離れた場所を降りてゆく。 とこんな具合であるが、そんな時は自信をもって、はっきりした安全そうな道を選ぶのが肝心である。次回へ続きます・・、尚、今後の写真掲載の大部は、「和田様」の御提供によるものです。和田氏ホームページへ http://www.tok2.com/home/pokopoko110/newpage172.html【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観ハワイ旅行2007 九州旅行2008 沖縄旅行2008 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 北ア・槍-穂高(1968年) 上高地・岳沢・穂高(1979年) 上高地・明神(2008年) 南ア・北岳(1969年) 八ヶ岳(1966年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 谷川岳(1967年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 奥秩父・金峰山(1972) 《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」《スキー履歴》「スキー履歴」.
2010.08.28

. 穂高岳登山(11) 「重太郎新道; 水分補給」 (画像の大部分は和田氏提供による、現地イメージ写真です)やや、疲れも出ているのだろう、進行が少々鈍くなっているようでもある。 それでも着実に両脚は前に移動している。 勿論、併せて高度もそれなりに稼いでいるようだが、ガスの動きが一層盛んになってきているようで、周囲を見比べることも出来ず定かでない。 右手から吹き上げてくる白い雲海は、幸いにして雨粒は含んでいない。重太郎新道の「パノラマ展望地」:dh23パノラマよりの上高地、焼岳の展望:dh24パノラマより吊尾根、奥穂の展望:dh25 岩場の突起があり、やや平坦な休憩に適当なところへ出た。岩の先端に「岳沢パノラマ」と記してあった。本来なら、岳沢から上高地方面が見下ろすことが出来、周辺は眼前に穂高山系の雄大な展望が利くところであろう。 そして、何より休憩に適地なところでもあろう・・!。 だが、本日だけはそうはいかなかった。幸い今は雨は小休止しているようである、小生もここらで小休止といこう。残りのオニギリをペロッと平らげた。 食欲はあるようだ・・!。思えば上高地から登行が始まって、余り水を口にしていない。 そのことは良いことなのか、はたまた悪いことなのか・・?。水分補給については疲労の予防、回復につながり、且つ安全に山登りが楽しむための重要な要素の一つである。登山において、一般的には高度の影響もあり、喉の乾きの感覚が鈍くなるともいわれ、 そのため水分を摂ることを特に意識する必要があるともいわれる。 ただ、汗をかくのと水分補給が激しくなると体の代謝も盛んになり、それによって余分なエネルギーを消費するようになり、逆に疲労が蓄積されることも考えられる。 要は疲れないように、余分な汗をかかないように心がけ、それには余分な水分をとらないように心がけることも肝心であろう。小生の場合、現在の状態を保っておれば良しと思われる。谷から吹き上げてくる風が心地よい。すると突然、全く突然真っ黒い霧が切れてグリーンの山肌が見えだした。その向こうは奥穂高へ連なる吊尾根の圧倒するような、どす黒い岩肌が見えていた。近くの登山者も思わず・・、「 おお・・!、霧が晴れたぞー 」と悲鳴に近い声がする。眼前には前穂のピークであろうか・・、威風堂々の峻立する岩峰が迫ってきている。 すぐ右隣の岩塊は明神であろう・・?。人々数人が、突然開けた視界を喜んで手を振っていた。 小生も慌ててカメラのシャッターを押す。そうこうしているうちに、あの忌まわしい黒雲は再び視界を閉ざした。 あの鮮やかなグリーンも闇の中に姿を隠してしまった。 一瞬の出来事だった。続く・・、尚、今後の写真掲載の大部は、「和田様」の御提供によるものです。和田氏ホームページへ http://www.tok2.com/home/pokopoko110/newpage172.html【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観ハワイ旅行2007 九州旅行2008 沖縄旅行2008 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 北ア・槍-穂高(1968年) 上高地・岳沢・穂高(1979年) 上高地・明神(2008年) 南ア・北岳(1969年) 八ヶ岳(1966年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 谷川岳(1967年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 奥秩父・金峰山(1972) 《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」《スキー履歴》「スキー履歴」.
2010.08.27

. 穂高岳登山(10) 「重太郎新道;下山者」 (画像の大部分は和田氏提供による、現地イメージ写真です)岩の小さな尾根を右へ横切ると猫の額ほどのテラス(水平のスペース)があったので小休止しながら雨具を装着する。 降雨は余り激しくはないが風に伴って吹き付けてくる。 冷たい雨で、やはり高所と季節柄でもあろう。小さなテラスをほんの少々行くとまたまた、絶壁を攀じるようになる。この辺りは崩れた岩くずの浮石が多いところだ・・!、ステップと落石に充分注意しなくてはならない。 岩肌が濡れて冷たく感じるので軍手を付ける。 四つん這いで、体調と自問自答しながら、慎重に慎重に登る、攀じる。 今のところコンデションはまずまずであり、自分のペースで地味にではあるが一歩一歩確実に進む。 進まなければ目的地には達しないのである。 当たり前であるが3000m近い高峰で、時節的にも風雨が冷たく、体力も限界に達したとき、その一歩一歩がままならず、所謂、疲労困憊による行き倒れ・・!!、何てことも起こりうるのである。 心して進まなければならない。dh22-2 岩場に取り付く登山者>この頃より下山の人達がチラホラ見え出した。 いずれの人々も雨具をがっちりと装着している。 やはり、上部は荒れ模様である事が覗われる。やや、歩きやすいコースに出たとき、女性を含む数人のパーティとクサリ・ハシゴ場のところですれ違うことになった。全員が下り降りるのを待って・・、「こんちは、 お疲れさん」 「おはようございます」と朝とも昼ともつない挨拶を交わす。仲間同士で懐かしい訛(なまり)の会話が聞こえたので、チョッと話しかけてみた。「吊尾根、稜線までは未だかなりありますか・・?」「そうだね、我等はここまで凡そ30分程かかっておりますのでね・・!」「ははーー、ところで、懐かしい言葉訛が聞こえたが、どちらからですか・・?」「俺らげ・・?、茨城は日立からだ」「ああ、やっぱし、 わだしは今は神奈川に住んでけっど、出身は“いわき”です」「ああー、いわきと日立だったら隣町(となりまぢ)みでなもんだね」「んだね・・、ところで今朝は穂高小屋からげ・・?」「んだ、 出たのは7時っころがな」「吊尾根では、やっぱし吹かれたげ・・?」「んだな、奥穂まではマアマア静かだったけど、吊尾根の途中がら降ってきたね」「いろいろどうも、下りは危なっかしいどころがいっぱいあっがら気をつけて」「ああどうも、登りも結構急などころが有るんで気をつけて、そいじゃ・・、」お互いに一息入れて、出発である。ゴツゴツした岩の登り、ザクザクとしたガラ場の歩き、いずれにしてもかなりの急斜面で胸付き八丁の登行であり、相当なアルバイトを強いられる。ところで、この穂高名物・重太郎新道は「北アルプス三大急登」の一つとも言われる。 他のアルプス急坂は、中房温泉から燕岳の“合戦尾根”、信濃大町から烏帽子岳の“ブナ立尾根”と言われるが、岩稜の急登、急降下はこちらの岳沢・穂高ルートの重太郎新道がダントツではなかろうか・・?、 尤も、「三大○○」というのは、規定や規約の取り決めで決まるものではなく、“おらがのところが、日本の三大○○だべ・・”と、勝手に自称で名乗っている場合もあるようだ。北アルプス三大急登は他にも、笠ヶ岳の笠新道なども上げられる。因みに、小生の知る関東周辺の名だたる山岳地の急坂は、北ア・烏帽子岳へのブナ立尾根、南アルプス・赤石岳の椹島(さわらじま)コース・高度差にして1500m以上、同じく南アの甲斐駒ヶ岳への黒戸尾根、谷川岳への西黒尾根や鳳凰三山の御座石鉱泉から尾根道の鳳凰山(地蔵岳)へ至る道であろう。身近なところでは、丹沢山塊の塔ノ岳 (1491m)へ至る大倉尾根で、ベースの大倉(290m)から1200mの高低差を延々と上り、通称「バカ尾根」でも知られる。いずれにしても、疲れきった身体での岩場の上り下りには、クレグレも要注意で慎重さを要求される。次回へ・・、尚、今後の写真掲載の大部は、「和田様」の御提供によるものです。和田氏ホームページへ http://www.tok2.com/home/pokopoko110/newpage172.html【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観ハワイ旅行2007 九州旅行2008 沖縄旅行2008 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 北ア・槍-穂高(1968年) 上高地・岳沢・穂高(1979年) 上高地・明神(2008年) 南ア・北岳(1969年) 八ヶ岳(1966年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 谷川岳(1967年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 奥秩父・金峰山(1972) 《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」《スキー履歴》「スキー履歴」.
2010.08.25

. 穂高岳登山(9) 「重太郎新道;カモシカの立場」 dh21 カモシカの立場dh22 カモシカの立場展望この時期になって、遂に頬に冷たいものが当たりはじまった。 雨だ・・!!無常なもので、悪い所でやってきたもんである。ハシゴを終わって一登りしたところで、或るピークに着いた。 今にも朽ちそうな看板が立っていて、「カモシカの止まり場」(カモシカの立場)と記してあった。 カモシカもこれ以上は進めなかったので、その名が付いたのだろうか・・?。もしかしたら、今田重太郎氏は、ここまでカモシカを追ってきて遂にこれを捕らえたのだろうか・・?!。因みに、後で調べてみたことだが岳沢ヒュッテから紀美子平(前穂の山腹:吊尾根部)までの距離は約2370mとあり、カモシカの立場は距離的には重太郎新道の中間地点に当たるらしい。 但し、高低差は重太郎新道のみだと凡そ740mあり・・!、 基点からカモシカの立場までは、まだ340mしか稼いでないので、残りの距離で高低差400mを稼がなければならない。つまり、カモシカの立場から紀美子平までの区間が、尚、相当キツイ勾配という事になる。従って、カモシカの立場までは体力的にも余力を充分残し、これは想像してより楽勝に行けるのではないか・・?と甘い考えを持つことは禁物であろう。更に、恐らく勾配が更にキツイなる上に、標高が2500m以上にもなので空気がやや薄くなり、疲労度にも影響してくるのである。いずれにしても、ここから1100mの距離を標高にして400mもあるので、実際の勝負はこれからである。 小さな尾根の向こう側から、冷たい風雨が吹き上げてくる。今では想像するしか仕方がないが、この辺りは奥穂高から延びている吊尾根の大岩壁が、間のあたりに眺められ筈である。 全く残念である。このことは、ほぼ10年前に「槍・穂高縦走」( http://orimasa.kan-suke.com/index.htm )を試み、この岳沢・重太郎新道を下った当時の記憶でもある。時計を見ると10時半を回っていた。 岳沢ヒュッテから1時間少々で、ほぼ地図上の歩行時間と合っているようである。次回へ続く・・、【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観ハワイ旅行2007 九州旅行2008 沖縄旅行2008 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 北ア・槍-穂高(1968年) 上高地・岳沢・穂高(1979年) 上高地・明神(2008年) 南ア・北岳(1969年) 八ヶ岳(1966年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 谷川岳(1967年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 奥秩父・金峰山(1972) 《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」《スキー履歴》「スキー履歴」.
2010.08.24

. 穂高岳登山(8) 「今田重太郎氏」 それにしても、よくもまあこの断崖絶壁のような岩稜地帯に登山ルートを付けたもんである。このルートを「重太郎新道」と呼んでいる。今は穂高岳山荘の主人・今田重太郎氏がこのルート直下でカモシカを見つけ、追っているうちに見逃してしまった。 だが、途中でカモシカの糞を発見、この糞を探しながら登っているうちに、“もしかしたらこの場所は人間が通れるかもしれない”と気がついたという。 何とか整備すれば山道として、もっと楽に登り、降りが可能かもしれないと思いつき、これを実行に移して出来上がったのがこの登山ルート・“重太郎新道”であったという。 在りし日の「今田重太郎氏」(穂高岳山荘提供):dh18「今田重太郎」氏は穂高に生涯をささげ、「穂高の名ガイド」と呼ばれた男であり、標高2,996mの奥穂高岳山頂直下に建つ「穂高岳山荘」の礎を築いた人物である。その生涯を通して登山客の命を守り、登山客が安全に体を休めて英気を養える快適な山小屋造り、 登山に慣れない女性・子供でも安全に通れる登山道造りを目指した。そして、穂高周辺に新に登山ルートを開拓し、そこで出来上がったのが穂高の中枢に建つ山小屋・「穂高岳山荘」であった。今田英雄氏(今田重太郎氏の甥で穂高岳山荘2代目当主、紀美子氏の実兄)は重太郎氏のことを、「人の倍力があって、人の3倍仕事をする。何かやろうとしたら、ものすごい情熱を持ってやりとげる人でした」と語っている。二本脚と4本脚を交互に繰り返しているうちにクサリ場に到った。 一枚岩の上にダランとしたクサリで、頼りなげである。 鎖を突っ張りながら一枚岩の上を滑らないように慎重に這いずる。多少、疲れが出ているのだろう、なかなか軽々とはいかないようで、おまけに岩は夜露に濡れている。気が付けば、辺りはすっかり閉ざされていて、黒い霧の中をさまようようになっていた。 先刻まで見えてい岳沢ヒュッテや上高地は既に闇の中に消えていた。 それどころか今は全く視界0の状態になっている。尤も、先刻まで山麓から山頂部を眺めると黒雲が覆っていたのが、今は高度を上げていて、いつしか雲塊、濃い霧の中に突入したのかもしれない。急峻な岩場の登りルート:dh20垂直に近い岩場に取付けられた鎖とハシゴ:dh19鎖場を過ぎると、今度は梯子(はしご)である。 岩の壁を二つのはしごが繋いでいる。鉄製の梯子はかなり頑丈に取り付けてあり、この悪険路での工作を施した今田重太郎氏、或るいはその仲間たちの労苦が偲ばれるし、心から感謝する次第である。次回、「重太郎新道・カモシカ・・、」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観ハワイ旅行2007 九州旅行2008 沖縄旅行2008 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 北ア・槍-穂高(1968年) 上高地・岳沢・穂高(1979年) 上高地・明神(2008年) 南ア・北岳(1969年) 八ヶ岳(1966年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 谷川岳(1967年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 奥秩父・金峰山(1972) 《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」《スキー履歴》「スキー履歴」.
2010.08.23

. 穂高岳登山(7) 「重太郎新道へ」 (画像の大部分は和田氏提供による、現地イメージ写真です)岩ヒバリであろうか、チチ・チチとさえずり音が耳に心地よい。気が付くと頭上のどす黒い岩峰が時折、ガスの切れ間より伺うことが出来る。 やはり天下の穂高である。 これからあの峻険な岩稜、垂直に近いと思われる岩場をこの脚で踏むと思うと、緊張の気脈が心身を走る・・!。大休止の後、大きく深呼吸して、靴紐を締めなおし、イザ・・!、出発である。 これから先は山道をただ単に歩いて登るというより、岩場を両手両足をつかって岩を登る。 つまり、岩登りの範疇に入る「登攀」(よじのぼる)といっても過言ではあるまい。 岳樺(ダケカンバ)に囲まれた岳沢ヒュッテを出た。 時に9時45分であった。先ほど渡った石川原を上流で渡り返して再び山道に入った。 大きな川原であっても、殆ど水の姿が無かった「岳沢」であるが、ココに至って清霊な沢水を見た。 先般、岳沢ルートには“水が無い”と記したが、そうではなかった・・?、 存外、一時的、或いは季節性のものかもしれない。それに、現在のような湿性模様の様気には、水が現れるのかも知れない。岳沢の貴重な水場(一時的なものらしい・・?):dh17気が付くとこの辺りはキャンプ場・幕営地であるらしい。 赤青黄色の天幕がそこかしこに見受けられる。 だがテント周辺には人の気配が殆ど感じられない。 いずれも穂高方面への頂上アタックへ向かったものと思われる。暫し、樹林の中のジグザグの登りを繰り返す。見受けられる岩壁上部は同様に黒い霧に閉ざされているが、下部は行く手を阻むが如く灰色の岩場が立ちはだかっているのが判る。 30分位もたったであろうか、綴ら折の道を喘いでいるうちに往き止まった。 いよいよ岩稜地帯の急登の始まりである。 チョット一息入れて気持ちを新たに早速取り付いた。 岩場に身体を寄せて、ホールドとスタンスを充分に確かめながら攀じることになる。 小生の場合、特に両腕には自信があった。 山歩きに来て、腕に自信があるとは聊か妙であるが、元々、山歩きの絶対条件である足腰は余り強い方ではなく、多少の不安も無いわけではない。そこに腕の力をかりれば、より身軽に登攀出来ると思うのである。先程、岳沢ヒュッテを先行していた若者二人(この頃は小生も若いが・・、)に追いついた。様子を伺うと相当に難渋しているようである。 未だ山慣れしていない感じが見て取れるのである。 小生も特別急ぐ気持ちは無いので、(尤も、急ごうと思っても急げるものではないが・・、)ほぼ一定の間隔をおいて付いていった。断崖絶壁のような急勾配であり、気が付くとルートには“浮石”が多くなっているようでもある。 後から来ている登山者はいないようであるが、落石には充分気をつけねばならない。殆ど四つん這いの状態の攀じりであるが、今のところ足元はしっかりしているようである。 落石に注意しながら、脚部は勿論、手と指の感覚に万全を期しておけば、特に危険な場所ではない。印岩場の登り:dh15重太郎新道より奥穂方面の壮絶な景観:dh16岩肌の所々に、○印や⇒印が記されていて、時には×印も見受けられる。 道程を案内してくれるのであり、実に有り難い事である。 勿論、見誤って×印を進行してしまうと途中で行き止まってしまう。 それだけならよいが、戻るに戻られなくなってしまう恐れもある。 用心用心・・!!。次回へ・・、尚、今後の写真掲載の大部は、「和田様」の御提供によるものです。和田氏ホームページへ http://www.tok2.com/home/pokopoko110/newpage172.html【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観ハワイ旅行2007 九州旅行2008 沖縄旅行2008 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 北ア・槍-穂高(1968年) 上高地・岳沢・穂高(1979年) 上高地・明神(2008年) 南ア・北岳(1969年) 八ヶ岳(1966年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 谷川岳(1967年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 奥秩父・金峰山(1972) 《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」《スキー履歴》「スキー履歴」.
2010.08.22

. 穂高岳登山(6) 「岳沢の山小屋」 (画像の大部分は和田氏提供による、現地イメージ写真です) 画像上から・・、雪崩倒壊前の「岳沢ヒュッテ」:dh3雪崩倒壊後、整地されたヒュッテ跡:dh4 本年(2010年)より営業の新装成った岳沢小屋:dh5今日の山小屋の周辺は、全く静かである。同様に、これから穂高へ向かうのであろうか・・?、数人の登山者がのんびり休息している。小屋の娘さん(・・?、)が、せっせと動き回っているのが対照的で面白い。眼下には、今登ってきたばかりの白い岳沢の川原が、帯状になってなだれ落ちている。 その先に上高地の様子がぼんやりと望める。岳沢は、上高地の河童橋などから真正面に見える代表的な絶景ポイントであるのは、大方はご存知であろう・・!。 穂高連峰の表側の・・?中腹にある渓谷で、上高地内のハイキングだけでは物足りない方には、お薦めの軽登山コースでもある。 当地は叉、穂高連峰への登山基地でもあり、「岳沢ヒュッテ」がある場所として登山家たちには愛されているようである。 岳沢ヒュッテは標高2170メートルのところ、沢筋が行きずまった尾根の傾斜地に在り、石組みで台地を造って設えた山小屋である。(涸沢は標高2309m)ところがである・・、2005から06年の冬季、この年は雪が異常に多く大規模な表層雪崩が発生、その影響で小屋が全損壊してしまい、今のところ復旧のめどは立っていないといわれる。2007年は売店とトイレが使用できるのみであった。更に、2008~2009年には売店も営業されず、トイレは10月までのシーズンのみ設置されているようである。 そして2008年12月には再建を断念し廃業する旨が報じられた。「岳沢ヒュッテ」跡地の立て看板:dh12このルートは「岳沢ヒュッテ」が無くなった現在、それまでは渓谷沿いのコースでありながら、この岳沢、重太郎新道、前穂、吊尾根から奥穂高岳を過ぎ穂高岳山荘まで水場がないため、登山者は水を十分に確保、持参する必要に迫られる。だが、嬉しいことに2009年4月に槍ヶ岳山荘などを経営する会社、「槍ヶ岳観光」が小屋を再建することを発表している。 それは、2010年のシーズンから営業を再開する予定とのことである。(2010年7月23日より「岳沢小屋」として営業を開始)次回へ・・、尚、今後の写真掲載の大部は、「和田様」の御提供によるものです。和田氏ホームページへ http://www.tok2.com/home/pokopoko110/newpage172.html【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観ハワイ旅行2007 九州旅行2008 沖縄旅行2008 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 北ア・槍-穂高(1968年) 上高地・岳沢・穂高(1979年) 上高地・明神(2008年) 南ア・北岳(1969年) 八ヶ岳(1966年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 谷川岳(1967年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 奥秩父・金峰山(1972) 《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」《スキー履歴》「スキー履歴」.
2010.08.21

. 穂高岳登山(5) 「岳沢ヒュッテ」 周囲はいつの間にかダケカンバの多い林に変わっている。道端の両側には、ところどころ、「ホタルブクロ」(山ホタルブクロ)などの亜高山性植物が目を癒してくれる。亜高山性植物が繁る登山道:dh14岳沢を左に見ながら登る登山者:dh6 小石だらけの不安定な道中をジグザグに登りを繰り返していると、「岳沢ヒュッテ20分」という標識が目に付いた。 気分的にも何となくホッとする。 やがて、岳沢ヒュッテの建物の屋根が見え、がぜん元気が出て来る。時計を確かめると、歩きはじめて約1時間半である。 本来なら上高地から岳沢ヒュッテまでは2時間半から3時間の所要時間であるから、かなり早めに調子よく進んでいるようである。連峰は相変わらずガスの中である。これから、あの濃霧の中に突入するのかと思うと憂鬱感を抱かざるをえない。岳沢ヒュッテが、いよいよ頭上に迫ってきていて、既に河原の端に「岳沢ヒュッテ」の表示板が立っている。 山小屋は石の川原を渡った高台にヒッソリと構えていた。何を燃やすか、大きな煙突から薄煙がたなびいていた。 9月の下旬ともなると山中は既に暖房の時期に入っているいるのだろう・・?。時間は丁度九時を指していた。 上高地から短い休憩を含めても2時間であった。周辺は緑の世界から秋の気配に変貌しつつあるような色模様である。 その樹林帯に囲まれたヒュッテは上下二段に分かれて二棟立っていた。既に10年以上にもなろうか・・?、穂高登頂を終えてこのルートの下山途中、猛烈な雨にたたかれて、まるで水の中から湧き出たような格好で、夢中になってこの小屋に飛び込んだのであった。 上下のどちらの棟か定かでないが、小屋の主人に「 イヤー、大変な目にあったね、ユックリ休んでいきな 」とやさしく声を掛けられ、熱いラーメンを夢中になって啜ったのを懐かしく思い起こされる。今回はあの時の下りと登りが逆の状態であるが、しかし、天候はやや類似しているのが気にかかる。 もしや、同様に吹かれるのでは・・??次回へ・・、【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観ハワイ旅行2007 九州旅行2008 沖縄旅行2008 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 北ア・槍-穂高(1968年) 上高地・岳沢・穂高(1979年) 上高地・明神(2008年) 南ア・北岳(1969年) 八ヶ岳(1966年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 谷川岳(1967年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 奥秩父・金峰山(1972) 《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」《スキー履歴》「スキー履歴」.
2010.08.20

. 穂高岳登山(4) 「岳沢カール」 (画像の大部分は和田氏提供による、現地イメージ写真です)徒歩時間にして凡そ1時間くらいであろうか・・?、初めての大休止をとる。 一汗かいた跡の、レモンの酸っぱい味がジーンとしみて心地よい。 山歩きでレモンは、小生の必携品でもある。地図を見つめるとこのルートに「休憩適地」とある。時間的にも丁度この辺りだと思われるが定かではない。 実際の、この地も休憩適地であるかどうかは不明であるが、河原の開けたところなので、或いはそうかもしれない。岳沢から西穂の尾根:dh7涸れた沢の正面は吊尾根、そして左は西穂の岩稜が連なっているはずで、この辺りがヒョットしたら西穂の本峰が頭上に聳えるかもしれないが、無論、今はガスに閉ざされて残念な光景ではある。 岳沢カールは、この正面の吊尾根の向こう側に存在する涸沢と同様、氷河期の氷河によってできた渓谷だといわれる。 中央部は氷河が削ったと思われる礫岩がゴロゴロと数10mも谷を埋め尽くしているのである。このため広大な沢で当然水量も豊富のはずであるが、水は全て伏流水となって、表面では涸れた沢となっているのである。雄大な岳沢カールと涸沢(dh9 dh11)絶え間ないガスは盛んに動いていて、上方へ移動しているのが判る。 しかし、晴れることの無いガスの流れである。 山腹辺りから次から次と湧き出しては、上方へなびいていて何やら不思議な光景を見ているようである。 気が付くと、この沢の上流の天辺は奥穂になるが、こちらは微動だにしない黒い雲海が纏わりついている。 この辺りは、もしかしたら雨の模様かもしれない。 六,七人のパーティが下りてきて小生の直ぐ横に陣を取り、一時周囲が騒がしくなったが、すぐに立ち上がって去って行った。 一陣の風が通過したようである。休憩してても晴れない気持ちで、次のステップを進めることにしよう。さすがに、この頃より勾配がきつくなっていて、しかも、ほぼ直線的に登るようである。しばらく進むと、年配の御夫婦らしい両人が山道にどっかりと腰掛けて談笑しているようである。だが、御婦人の方は両肩が落ちていて、チョットお疲れのご様子・・!、聞くと、これから穂高をやるそうである。 これから先の峻険な「重太郎新道」を登るには少々無理があるような気がするが・・どうであろうか?、 無難を祈るのみである。続く・・、尚、今後の写真掲載の大部は、「和田様」の御提供によるものです。和田氏ホームページへ http://www.tok2.com/home/pokopoko110/newpage172.html【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観ハワイ旅行2007 九州旅行2008 沖縄旅行2008 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 北ア・槍-穂高(1968年) 上高地・岳沢・穂高(1979年) 上高地・明神(2008年) 南ア・北岳(1969年) 八ヶ岳(1966年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 谷川岳(1967年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 奥秩父・金峰山(1972) 《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」《スキー履歴》「スキー履歴」.
2010.08.19

. 穂高岳登山(3) 「岳沢の河原」 (画像の大部分は和田氏提供による、現地イメージ写真です)岳沢風穴:dh8 先ほどの四人グループが、まだ歩き始まって間もないというにニコニコ顔で休憩を取っていた。 聞くと、ここには「風穴」があるらしい・・!、風穴は、洞窟の中に夏でも氷が解けずに残っていて天然のクーラーのようになっているらしく、信じられないぐらい涼しい風が吹き出している。岩を触っても冷たく、休憩するにはぴったりの場所である。一息入れて、小生は先を急いだ。又々、若者たちに遭遇した。 ハリモミの木の根っこの周りを何やら探し回っている。 「何ですか・・?、」と伺うと「“木の子”が有るんですよ、シメジですけど、ラーメンに入れて食べると美味しいですよ・・!」 と、のんびりしたもんである。「そうですか、 ところで今日はどちらまで・・?」「はい、岳沢ヒュッテでデポ(荷物を一時置いておく)して、前穂を往復します」と、軽く言う。 いくら「前穂を往復」といっても、これから先はやはり相当な長丁場であるが、若者たちは山慣れしている様子で、全然気にしてないようだ。「それでは、お先に・・」と挨拶を交わして、先へ脚を進める。又、黙々と自分のペースを乱さないように、一歩一歩と歩を進める。 今のところ別段、呼吸の乱れもなく、汗もかいてはいない。風穴から10分ほどで、ガレ場(登山道の上に岩石がごろごろ積み重なっている場所)があり、この広い河原が遥か上方にまで延びている。この河原がルートになっているらしく、岩石の上を注意しながら登ることになる。 一頻り(ひとしきり)ジグザグの急登を上りきると、やがて視界が開け、休憩地としては適地な平坦なところへ出た。岳沢ガレ場(上部は吊尾根稜線):dh13この地も賽の河原を思わせるような大小の岩石が累々としている。 本来なら眼前上方には穂高連峰が見えるはずであろうが、残念ながら本日は雲に遮られていて、その姿は無い。 ガスが動いている、結構、激しい動きで移動しているのが判る。 しかし、晴れることの無い濃い雲の動きである。 山腹あたりから次から次と発生しては上方へ導かれ、留まることを知らないようだ。 何か不思議なものを観るようである。休憩しながら気が付くと、この地は、太古の昔、氷河の浸食作用によって造られた“カール” (氷河の浸食によって山地の斜面に生じた半円形の窪地。日本では第四紀の氷期に形成され日本アルプス、日高山脈の頂上付近にある。圏谷ケンコク)というもので、その見事なまでに美しい斜面が見わたせる。 無論、雪渓は既に消えて無く、それどころか水の姿は全く無い。 そう言えば、このルートは沢歩きにしては、水場がないことでも知られている。 下方は上高地のバスターミナルや帝国ホテルの赤い屋根が静まり返っている・・?。次回へ続く・・、尚、今後の写真掲載の大部は、「和田様」の御提供によるものです。和田氏ホームページへ http://www.tok2.com/home/pokopoko110/newpage172.html【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観ハワイ旅行2007 九州旅行2008 沖縄旅行2008 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 北ア・槍-穂高(1968年) 上高地・岳沢・穂高(1979年) 上高地・明神(2008年) 南ア・北岳(1969年) 八ヶ岳(1966年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 谷川岳(1967年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 奥秩父・金峰山(1972) 《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」《スキー履歴》「スキー履歴」.
2010.08.18

. 穂高岳登山(2) 「上高地から岳沢」 思い起こせば、しょうせいが山の味を覚えて間もなく、 いきなりこの上高地から槍-穂高を縦走したものであった。 恐怖に震えたアノ大キレットを走破し、更に、奥穂から前穂へ、更に、重太郎新道の地獄のような急降下をやりぬき、岳沢から上高地へ下山したが、本当の無我夢中であった。 その時ばかりは肉体も精神も綿のごとく疲れはて、脚の関節は折れんばかりの苦痛を伴い、そして、梓川の畔に立った時はよく生きて帰ってきたと、シミジミ思った程であった。これからの道中、あれから10数年ぶりで訪ね歩くのであり、感慨もひとしおである。河童橋を渡って10分ほど行ったところに「岳沢橋」とう、岳沢ルートへの登山口があり大きな道標が「 中部山岳国立公園・穂高=岳沢登山路・岳沢ヒュッテ2時間、前穂高岳 8km 6時間、天狗のコル 7km 5時間 」と記されてあった。道標(岳沢ヒュッテ閉鎖中の頃):dh2 これから岳沢沿いのルートを岳沢ヒュッテ、そして前穂高岳をアタックして奥穂高岳から奥穂高山荘まで向かう予定である。 ジックリ行って8時間からそれ以上は掛かるであろう・・?、足元をしっかり固めて、腹を据えて、そして道中の無事を祈って出達する。今までの車道らしき立派な歩道から離れて、躊躇なくやや薄暗いカラマツ林の樹林帯の山道へと分け入る。 道は、誰かが執って付けた様な石畳の上を調子よく進む。 すぐ横に岳沢の水流が小川のように流れ落ちていく。 岳沢登山道:dh10 しかし、水量、川幅共小さく、大穂高の連山を奥に抱いているような流れではない。 意外なほどの小規模な流れに、やや驚く・・!。徐々に高度が増すに従って、その沢水もいつしか消えて無くなっていた。若い男女の四人のパーティが、賑やかにおしゃべりしながら、元気よく追い抜いていった。 小生はたった一人である。 否、小生にぴったり寄り添っている、もう一人の人間がいた。小生の分身である。 その人物と無意識の内に会話を交和(まじわ)していた・・、「今日の体調はどうだい・・?」「久しぶりでやや緊張しているが、調子の方はマズマズのようだね」「焦らず、じっくり行きなよ・・、 先は長いぞ・・!」大きな石の河原を渡る。 そして、暗い森林帯を更に進む・・!。次回へ・・、尚、写真掲載の大部分は、「和田様」の御提供によるものです。和田氏ホームページへ http://www.tok2.com/home/pokopoko110/newpage172.html【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観ハワイ旅行2007 九州旅行2008 沖縄旅行2008 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 北ア・槍-穂高(1968年) 上高地・岳沢・穂高(1979年) 上高地・明神(2008年) 南ア・北岳(1969年) 八ヶ岳(1966年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 谷川岳(1967年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 奥秩父・金峰山(1972) 《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」《スキー履歴》「スキー履歴」.
2010.08.17

, 穂高岳登山(1) 「出発」 上高地久しぶりになった。 実に久しぶりになったものだ。穂高への登山は小生が未だ独身の頃、数回試みたが、生活環境が変わってからは初めてになる。所帯を持ち、子供もそれなりになって口も達者に利けるようになった頃である。「お父さん、一人で山に登るの」 「そうだよ」「山って、何日もかかるの」 「うん」「いいな・・!、 ネーッ、私も山に連れてって」 「もう少し大きくなってからな」上の娘の会話である。上さん(妻)に駅まで送ってもらって別れ際、子供たちの目がいかにも名残惜しそうであった。このところ、秋雨型の天気模様で前線も停滞気味である。 お天気の予報は、やはり芳しい予報は出していなかった。 従って、入山しても余り好天には恵まれないかもしれない。 しかし、以前より計画していたため、余程のことが無い限り、今になって変更することは適わなかった。 山友の某君にもそれとなく声を掛けてみたが、仕事の都合で今回だけは否定の返事をいただいてしまった。従って、今回は単独の山行となってしまった。上高地へ着いたのが9月23日・午前6時15分頃であった。清烈な山の空気を吸い込んだ瞬間、夜来の寝不足で霞がかった頭の中は晴れわたった。 しかし、実際の上高地の上空は当初の予報どおり低く垂れこめていた。妻のお手製の「おにぎり」を頬張って、早々に俗界の上高地を後にした。バスターミナルより少々行ったところで、上高地の名物である「河童橋」が現れた。お馴染みの光景である。 ココから眺める穂高の景観である山並みは、観光ポスターに紹介されている程有名である。 だが、今朝の空模様では、その風情は望むべきも無い。 岳沢の賽の河原のような風光が微かに望めるが、その上方は暗雲に閉ざされて澱み、視界は完全に遮られていた。その視界の知れない「岳沢」に向かって歩を進めるのである。次回へ・・、尚、今後の写真掲載の大部は、「和田様」の御提供によるものです。和田氏ホームページへ http://www.tok2.com/home/pokopoko110/newpage172.html.【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観ハワイ旅行2007 九州旅行2008 沖縄旅行2008 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 北ア・槍-穂高(1968年) 上高地・明神(2008年) 南ア・北岳(1969年)八ヶ岳(1966年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 谷川岳(1967年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 奥秩父・金峰山(1972) 《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」《スキー履歴》「スキー履歴」.
2010.08.16

. 穂高岳登山 「はじめに」 期 日 : : 昭和54年9月22日~25日メンバー : : 単独登山コース : : 上高地⇒岳沢⇒重太郎新道⇒前穂⇒吊尾根⇒奥穂高岳 ⇒ザイテングラード⇒涸沢⇒横尾⇒上高地登山コース概念図(和田氏提供)「山の詩」 (山を歩く、登山を楽しむ・・!)上高地人生はよく山に譬えられる 人生、山あり谷あり、今まで晴れていたが、何時の間にか霧が発生して視界が遮られた、 地獄のように、こっぴどく吹かれた後の天国のような青天井、断崖あり落石あり、この先、前へ進もうか退こうか、一歩、踏み出そうか、止めようか、この時の一瞬の落差変貌が人生の命運を決する時もある。山は、登りも下りも辛くて苦痛の連続であるだが登りの苦痛は、快感にも変わる、マラソンと一緒だ・・!辛くて下山するのも良し、頑張って到達した山頂から、雲海を眺めるのも良し、総ては自分で選択する、それは人生そのもの結果として、脱落した者には後悔が残り、達成した者には満足感が残る、 躊躇して退いてから後悔を積み重ねる人生よりも、更に一歩踏み出して得られる満足感、達成感万感を重ねる人生の方がやはり素晴らしい。 山頂から望む周囲は夢世界で広大無限、 下界は人々がひしめき合うちっぽけな世界天上世界は人々の日常的な悩みなどは吹っ飛ぶ、登山することは、立体的な三次元の体験もさることながら、現実の世界で、夢を見れる場所でもある。さあ・・!、今日も夢を見に行こう、次回から穂高岳へ尚、今後の写真掲載の大分は、和田様の御提供によるものです和田氏ホームページへ http://www.tok2.com/home/pokopoko110/newpage172.html.【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観ハワイ旅行2007 九州旅行2008 沖縄旅行2008 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 北ア・槍-穂高(1968年) 上高地・明神(2008年) 南ア・北岳(1969年)八ヶ岳(1966年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 谷川岳(1967年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 奥秩父・金峰山(1972) 《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」《スキー履歴》「スキー履歴」.
2010.08.15
. 閑話休題 「山旅の記」 今から90年も前の英国の登山家・ジョージ・マロリーは、国威発揚かけて三度のエベレストへ挑戦していた。1924年6月、その第三次遠征において、マロリーはパートナーのアーヴィンと組んで頂上を目指したが、北東稜頂上直下で行方不明となった。マロリーの死因や行動は、不明後から75年にわたって謎につつまれていたが、1999年5月に国際探索隊によって、その遺体が発見された。 無線が未だ発達していなかった時期であり、マロリーが世界初の登頂を果たしたか否かは不明だとして、未だに論議を呼んでいるという。遠征の直前に、マロリーが「なぜ、あなたはエベレストを目指すのか」と問われて、「そこに山があるから(Because it is there.)」と名セリフで答えたという逸話はあまりにも有名である。 だが、マロリーのあの有名なセリフは取材陣の質問攻めに答えるのが面倒くさくなって、その場しのぎに適当に答えたセリフだというが・・?。マロリーの名セリフは兎も角として・・、神奈川県に住む(当時は東京大田区)小生にとって、「そこに山があるから」の“そこ”は神奈川の屋根といわれる「丹沢山塊」であった。 そして、先ず丹沢山系に取り付いたのが20代後半で、今から40数年も前のことである。 その頃は若者たちの登山ブームでもあり、週末ともなると有名な山岳は登山道は人で溢れ、宿泊の山小屋は岳人でごったがえした。 又、八ヶ岳やアルプスへ向かう新宿発の夜行列車は超満員であり、仕事帰りに遅れて出向いた場合など、始終デッキで立ちっぱなしで、翌朝、寝ずのままそのまま頂上へ向かった事なぞ4度や5度ではなかった。 当時は、このような多少無理しても平気な若年層が登山者の主流であった。小生もその内の一人で、丹沢山塊や近郊の山々、遠距離では上野や新宿より夜行列車に揺られて、月に数回の頻度で通ったものであった。現状は、どちらかといえば50代、60代の熟年層のハイカーが大半のようだ。 尤も、現在は「山ガール」とかいって、若い女性がグループで山を目指していることがニュースなどで伝えられているし、大いに結構な事だが果たしてどうであろうか・・?。小生、今は熟年となった今日(こんにち)ではあるが、頻度は少なくなったが相変わらず、低山歩きを楽しんでいる。叉、60歳の定年を迎えて登山を楽しむかたわら、現実的な夢であり、兼ねてより念願だった「日本一周旅行」も果たし、現在、その旅の紀行をつらつらと書き綴っている。 気が付くと、若年より足の向くまま、気の向くまま、登りに登った各地の山の雑記、雑文などが、机の周辺のソチこちに散らばっていた。ところで、若輩の頃から、本や勉強、新聞やTV等々から情報を「インプット」することばかり経験してきた。 しかし、自身から「アウトプット」という経験を積む機会はほとんどなかった。 現在ではP・Cとかを使用して過去のメモ、記録を集成し、編集し、保存することも可能になったようである。又、普通の人もNetwark・Webとかで自己を表現し、世間に発信する事ができるようになったようである。そんな訳で、いわゆる現代の機器を利用して、小生なりに、手持ちの記録集や雑文集を「備忘録」としてまとめ上げ、そして必要に応じてこれらを公表・アウトプットしようとも考えた。 しかし、何しろ定年後に多少なりともウルウルに覚えた電子機器なので、御見苦しい点や不可思議な面所(めんどころ)は多々あると思われる。 そこは是非、ご容赦願いたい。 先ずは、次回の「山旅」を楽しみに・・!!.【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観ハワイ旅行2007 九州旅行2008 沖縄旅行2008 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 北ア・槍-穂高(1968年) 上高地・明神(2008年) 南ア・北岳(1969年)八ヶ岳(1966年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 谷川岳(1967年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 奥秩父・金峰山(1972) 《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」《スキー履歴》「スキー履歴」.
2010.08.14
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