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,※ 現在時間表示; 1分毎に美女と時刻が変わる ※ クリックすると都道府県の時計美人が見れます・・!!。 クリック=時計美人 美人時計 ; http://www.google.com/ig 南ア・仙丈ヶ岳紀行(45) 「籔沢カール」 .馬の背歩道の這松群 (uma5)馬の背から望む籔沢源流部とカール馬の背ルートより新仙丈小屋を望む霧が動いている。右側の谷筋から吹き上げてくる風にあおられる様に、時折、視界がパーッと広がって、特に本邦山頂部が見えたときは、その巨大な迫力に思わず歓声が出るほどである。しかし、山頂部はまだかなり先のようだ・・!。森林限界も超えて、今ではダケカンバやナナカマドも疎らになって「這い松」が主体であり、その中にこじんまりした「キバナシャクナゲ」が混じっていた。 山を彩り、花の群落を形造る高山植物も、時節柄さすがに茶褐色に色落ちして、今にも消えそうであった。道は大小の岩礫で埋め尽くされ、少々歩き難い。振り返ると、先ほどの彼女達が次第に遠ざかる。 思わず“がんばれよ”と心で叫ぶ。頂上を極めた下山の人達も時折見られるようになり、一声かけて元気よく下ってゆく。すると突然、「イヤー、お早うございます。 今時分だと峠からですか・・?」と声を掛けられた。「ハイ、そうです」 一瞬、見知らぬ人なのに、気さくな方だなと思っていると、後ろの少年に見覚えがあった。 昨日、峠の下で休憩中に会話を交わした親子連れであった。「アッ、昨日の・・!、 もう下りで、 昨夜はやはり大平小屋ですか・・?」「否、あれから籔沢を一登りして、馬の背ヒュッテまで一汗、二汗かきましたよ」「ヘーッ、頑張りましですね。 こらからはどちら・・?」「実はね、これから峠まで下って、明日は甲斐駒をやるために仙水小屋まで詰めようと思っていたんですけど、息子がどうもね・・!、それにこの天気ですからね、 今日は戸台から帰宅しますよ」と、チョット残念そうに言う。 息子の方はやや疲れた表情だが、素知らぬ顔で様子を伺っている。小生は単独行で、山中では自問自答しながらも、やはり黙然を歩んでいる。しかし、こうして色んな人と行く遭い、時には会話を交じ合せて心意気を確かめ合うのも山の楽しみの一つでもある。時折、霧の晴れ間から雄大な仙丈ケ岳の全容が覗えるようにもなってきている。山全体が大きく、深くえぐられた地形で、迫力満点である。 籔沢の源流部は典型的氷河地形を成していて、こちらは籔沢カールと称している。 ここの大きなカールを真正面から見るには、このルートが最適であろう。 堆積物(モレーン;氷河で削られた岩石群)もよく見えていて、そのカールの底の盛り上がった大地状のところに仙丈小屋がポツンと見えている。 その上の稜線を行く人影が米粒のように見えている。目指す仙丈ヶ岳はハイマツ帯の先にあり、縫うようにある登山道の脇には百花繚乱のお花畑が山頂まで続いているはずである。夏場の最盛期には三千米峰とお花畑を目指してワンサカと山家さんが訪れるたことだろう。今はその時期も過ぎ去って、静かな山旅が出来ている。 どちらがお好みかわその人次第であろう。吹き曝しの尾根道、谷間から吹き上げてくる風は時折、強く吹き付ける。 時節柄風は冷たい。 時折、晴れ間も見えるが、濃い霧は風とともに身体にまとわり付いてきて、被服をジワッと濡らしてくる。 ただ、内側からの発汗は外気気温が低いので差ほどではなく、従って喉の渇きは余り感じられない。 体調が程よい理由かもしれない。ガレ場の急登を上り終えて、どうやら、先ほどからチラチラ見え隠れしていた仙丈の小屋に着いたようだ。次回、「仙丈小屋」※ 現在時間表示; 1分毎に美女と時刻が変わる ※ クリックすると都道府県の時計美人が見れます・・!!。 クリック=時計美人 美人時計 ; http://www.google.com/ig 【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」.
2011.11.30

.1分毎に美女と時刻が変わる現在時間表示; クリックすると都道府県の時計美人が見れます・・!!。 クリック=時計美人美人時計 ; http://www.google.com/ig 南ア・仙丈ヶ岳紀行(44) 「再び女性連」 .馬の背より遥かに仙丈ヶ岳を望む松本の高校ワンゲル部の10人パーティを追い越して、気が付くと稜線上はダケカンバやナナカマドの木が疎らに生える程度で、主体は這い松帯や高山植物などの見通しの良い尾根に変わっていた。今度は、100メートルくらい先にレイの三人女性のグループが見え出した。 長衛山荘で同宿し、籔沢小屋で先行した、あの女性達であった。姿を拝見すると、何となく力が湧いてくるのが判るから不思議である。 登行ピッチはやはり小生の方が速いようで、見る々々うちに追いついてしまった。 籔沢小屋で出立しようとした際、“間もなく追いつきますよ”と、冗談交じりに言ったことが、ここで現実になった。彼女たちは気が付いているのか、いないのか、黙々と歩んでいる。追い付いて、暫くはつかず離れず歩みながら、それとなく逆説的な不真面目な言い回しで一言・・、「山はイヤですね・・! 」と言ってみた。最後尾の彼女は片腕に上着か雨具らしいのを抱えていて、突然でビックリしたのか、「ハァー・・?! 」と頓狂な声を出した。一瞬、困惑しながら荒い息遣いで、満足な返事が出来なかったことを後悔しているみたいでもあった。 そして、気が付いたように呼吸を整えて・・、「でも、これが3000メーの山ですよね 」と、真面目に返してきた。 不真面目でもよかったのにとも思った。「何十回登っても、この瞬間だけは遠慮したいですよね」「そうですね」 女性は素直に同調した。「歩いているときは両手をできるだけオープンにしてたほうが楽ですよ」「そうですね・・・?!」と曖昧に答える。疲れているのだろう・・?、余り話しかけるのも気の毒と思い、後は4人で・・?、黙々と歩む。小生が自然と最後尾となっているので、どうしてもすぐ前の女性の後姿が目に留まる。チラッと目にすると、程よく発達した女性のなだらかな線が妙にまぶしく感じられるのである。歩調を合わせるように暫くは同調同行していたが、さすがに見知らぬ女性のすぐ後ろに付いているのは男として失礼だし、こちらも些か気が咎める。特に、“お先にどうぞ” とは言ってはくれないため、こちらから「失礼しますよ」と言って、それとなく追い越して三人の先頭に出た。今度は小生が先頭で、4人パーティのように進みだした。 同行でいいのかな・・?、迷惑かな・・?と思いながらも、何か仄々(ほのぼの)とした感触である。暫く同行しているうちに、先頭の女性がついに、「ご一緒させていただいて有難いですけど、私達チョット疲れているようなんでゆっくり参ります。 宜しければ、お先にどうぞ。」決して同行していることを拒否するんではなく、小生に気を使っての発言であることが察せられる。 気が付くまでもなく中を歩いている女性が、やや、バテ気味で気の毒にも思っていたところでもあった。小生はどちらでもよかった。 それでも言われるままに・・、「そいじゃお言葉通りにします。 山は決して逃げませんよ。 ゆっくり、ユックリ時間をかけて一歩一歩進んでください 」次回、「籔沢カール」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.11.29

.(1分毎に美女と時刻が変わる現在時間表示; クリックすると都道府県の時計美人が見れます・・!!。 クリック=時計美人) 美人時計 ; http://www.google.com/ig 南ア・仙丈ヶ岳紀行(43) 「松本の高校ワンゲル部」 .馬の背稜線上の分岐標識馬の背に出現した這松群馬の背より望む薮沢カール未だ、すっきりした展望は望めないが、ガスの動きも活発なってきているので、馬の背辺りに達する頃には視界が得られるかもしれない。 望みを持ちたい・・?!、ザックを下ろすまでもなく一息入れて馬の背ヒュッテを出立した。樹林帯の急登がしばらく続く。 植生がさすがにダケカンバやシラビソの樹形もこの辺りまで高度を上げると、次第に小ぶりになってきた。 そして、所々に緑濃い這い松が現われだした。 風が当らないせいかかなり大き目のものが目立つ。 それに、シャクナゲの姿も見え出した。 葉の薄いハクサンシャクナゲである。 植生の変化を感じつつ、確実に高度を上げている証拠だ。 もう間もなく森林限界だろう。馬の背ヒュッテからは急登をひと登りで馬の背の稜線に出たようだ。標識が行く手を案内してくれる。この稜線上は丹渓新道の合流点でもあり、ここを過ぎたあたりから次第に樹木が疎らとなり、稜線からは一気に360度の展望が得られるはずである・・?。彼方より時折、「ウオーッ」、 「シーッ」、 「ウオーッ」、 「シーッ」、という猛獣が唸るような掛け声が響いてくる。10人前後の若い、たぶん高校生のパーティらしく、全員が背中に巨大なキスリングが圧倒している。 ワンゲル部(ワンダーフォーゲル;ドイツ語のWandervogelの意味で、青少年による野外活動を表す)の秋季合宿トレーニングらしく、気合もろとも上っている。「ウオーッ」、「シーッ」と聞こえたのは、「ファイト」、「ソレッ」という掛け声であった。ピッチはこちらのほうが速いので、間もなく追いつく。「お疲れさん」 労い(ねぎらい)の挨拶を交わすと、「有難うございます」とはっきりした返事を返してよこす。「どちらから・・?」「松本です」という。最後尾のキャプテンらしいのが、「チョット脇へ避けてください」と、小生の追い越しに気を使ってくれる。追いたすたびに“こんにちは”と挨拶が返ってくる。 何か清清しい気持ちである。松本の何処の高校かは聞かなかったが、若しかしたら”松本深志高校“であろうか・・?松本深志高といえば、10年ほど前に大きな山岳事故を起こした学校として、記憶にまだ残っている。1967年(昭和42年)盛夏、松本市の松本深志高校の登山パーティーが、北アルプスの西穂高岳に集団登山を行なっていた。 参加人数は教員5人を含む計55人で、日程は松本市を出発、上高地で一泊し、朝から西穂高に登山して翌日下山、松本市に帰る予定であった。参加者のうち46人が登頂したが、正午過ぎから天候が悪化し、大粒の雹(ひょう)まじりの激しい雷雨となったためパーティーは避難を開始。 避難のため下山途中の午後一時半頃、独標付近のガレ場を一列で下っていたところに雷の直撃を受けた。 これにより生徒8名が即死、生徒・教員と会社員一人を含めた13名が重軽傷を負い、生徒3名が行方不明となった。 結局尾根から300メートル下ったガレ場で3名とも遺体となって発見され、これにより死者は計11人となった。事故の影響は、登山中のみならず通常の落雷事故としても一度にこれほどの死者・負傷者が出た前例はなかったこと。 そのため新聞各紙が一面で報じるなど大々的に報道され、全国に衝撃を与えた。 学校登山の歴史に残る大惨事であり、県下ではこの事故の影響で登山行事を一時的に中止、または廃止した学校も少なくなかったという。次回、「再び女性連」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」.
2011.11.28

、(1分毎に美女と時刻が変わる現在時間表示; クリックすると都道府県の時計美人が見れます・・!!。 クリック=時計美人)美人時計 ; http://www.google.com/ig 南ア・仙丈ヶ岳紀行(42) 「鹿の害」 、 鹿除用の防護ネット近年、小屋の周辺は鹿予防の柵が施してあるらしい。ご存知、馬の背ヒュッテ周辺から馬の背、そして稜線沿いから山頂周辺は高山植物の宝庫としても有名である。 ところが小屋の周りから馬の背のお花畑は鹿の食害で全滅に近い被害をうけているという。 そのための防護柵であった。小屋の主人が言うには「私たちは鹿が増えたからと言っても鉄砲で撃てない。 国立公園と言う事を鹿も良く知っているよ。だから鹿は皆こっちへ逃げてくるョ。」と。 そういえば北海道や日光で鹿による高山植物の被害が深刻な状態である、とニュースでも報じられていた。 地球規模の温暖化によって動植物の生態が変化しつつあるともいわれ、それに伴って動物たちの行動範囲も広くなってきているのかもしれない。 それに人間が伐採や植林政策によって動物の本来住むべき地域から追い出されたとする見解もある。 或る専門機関によると、『温暖化と農山村の環境の変化が原因だ・・!!』 と指摘する。昭和53年と平成15年を比較すると生息域はニホンジカで約1・7倍、イノシシで約1・3倍、サルで約1・4倍に広がっているという。イノシシやシカは、積雪が深いと動けなくなってエサにありつけず、病弱な個体は死んでしまう。 しかし温暖化が進み雪が少なくなったことで、越冬できずに死ぬケースが少なくなったという。「仙丈小屋」の管理人・宮下氏は、『昔はニホンジカは2000メートルくらいまでしかいなかったのに、今は3000メートルで見かけることもある。 ニホンジカが活動していた1000メートルから1500メートルあたりで雪が少なくなった』と話している。ニホンジカの活動範囲が広がったため、高山植物のお花畑は踏み荒らされて壊滅的な状態になっているという。いずれにしても鹿や猿が増える事は、自然のバランスが崩れているのも一つの原因であることは確かであろう。 だが、鹿や猿、熊にしてみれば、高山の植物を食することは太古からの慣わしであり、摂理でもあったろう。 それは、生きるための必然かもしれないのである。よく言われることは、動物が人間界に近いずいたのではなく、人間が動物のエリアに近づき過ぎたのだと・・!。次回もお楽しみに、【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.11.27

。(1分毎に美女と時刻が変わる現在時間表示; クリックすると都道府県の時計美人が見れます・・!!。 クリック=時計美人) 美人時計 ; http://www.google.com/ig 南ア・仙丈ヶ岳紀行(41) 「馬の背ヒュッテ」 .藪沢の分岐標識旧馬の背小屋新装成った馬の背小屋地図を観察するとこの籔沢小屋から500mも行かないうちに籔沢本流が流れ、その先にも「馬の背ヒュッテ」がある。 この辺り小屋が示すとおり仙丈ケ岳への登山道が集中している所でもある。小仙丈ケ岳の尾根道、籔沢本流からの道(渓流登りでなく一般道らしい)、丹渓山荘から遥々やってくる馬の背の尾根道、そして、こちら籔沢小屋の道と多彩である。15分ほど休憩して籔沢から馬の背へ向かう。ナナカマドの実が真っ赤に色付いている。 花の色香少ないこの時期、緑の中に混じって目を楽しませてくれる。 今頃(10月中旬)は山間ではいよいよ紅葉のシーズの始まりで、これが次第に下界に下りてゆくのでああろう。空模様は、秋の澄んだ空気とは言えづ、相変わらずガスに閉ざされている。 それでも気のせいか明るくなっている気配を感じる。 これから見通しよい稜線に出るのであるから、晴れて欲しいと願うばかりである。 引き換え、体調のほうは、まずまずである。一時を歩き、林を抜けると急に視界が広がった。 気が付くと正面は深い谷になっている、籔沢本谷であろう。そのまま、谷筋にそって進んでゆくと、谷は急上昇してきて遂に山道と合流するようになる。谷を渡ったところで、峠の大平小屋からスタートしている籔沢道(籔沢新道)と合流した。 見渡したところ、谷筋とはいえ谷そのものがかなりの急角度で落ちているのが判る。 従って、谷沢に沿った道は相当な登りは上りの降りは下りの連続であることがワカル。沢水の飲み場があったので、ここでも喉を潤す。 沢が大きく明るいせいか先程、林の中で飲んだ水より温く感じたが、体調のせいかな・・?。籔沢の水は半ば滝のような流れで、ザーザーと水音高く落ちてゆく。 本沢、枝沢ともやがて戸台の谷へ合流し、小黒川、そして美和湖を経て天竜川へ注ぐ。この籔沢の上流部は、やがて仙丈ケ岳直下に達し、有名な「籔沢カール」を形造っているのである。正面は見上げるような山並みが横たわっている。 仙丈ケ岳へ連なる馬の背という巨大な尾根であろう。 稜線は樹林帯になっていて実際のところは判らないが、この道はやがてあの尾根に達しているはずで、即ち、あそこまで高度を上げるために更にアルバイトを強いれられるであろうことは確かである。 見上げていて、些か、憂鬱な気分にもなる。気が付くと、今まで全くと言っていいほど効かなかった視界が、かなりの距離で鮮明に見渡せるようになってきている。 有難いことである・・!。一息入れながら沢の渓谷美を眺めを楽しんで、いよいよあの馬の背の大尾根に取り付く。ダケカンバ、シラビソの林の中の急な登りである。 それでも道はジグザグになっているので差ほどの勾配ではない。 しかし、「大滝の頭」の分岐を超えてから差ほどの勾配のない、比較的ゆるい上りだったためか、ここへ来てこの上り坂は些か身体に効いてくる。そのうち上方が次第に明るくなってきて、そしてパッと視界が広がった。 そして、いきなり正面に「馬の背ヒュッテ」が現われた。この地は、仙丈ケ岳・馬の背の巨大な尾根の一角であり、従って山腹も急斜面で谷へ落ち込んでいる。 ところがこの辺りの一帯はダケカンバの林の中とはいえ、平に開けているのである。 林も疎らになっていて、亜高山性の草植物(高山植物)も多彩に生えていて、展望も良さそうである。【山小屋情報】馬の背ヒュッテは仙丈ヶ岳中腹、馬の背の山腹にあり、標高2640m地点に建つ山小屋である。 籔沢ルート、大滝の頭コース、チョッと逸れるが丹渓山荘からやってくる丹渓新道と立地に恵まれていて、北沢峠からは2,3時間という好ロケーションとも相まって比較的人気が高いようである。 木造2階建ての建物は主に1階部分が受付けや管理食堂スーペスで、2階部分が大部屋の宿泊用で収容人数は凡そ100名と比較的大規模であろう。 だが、どこの山小屋もそうであろうが、やはり夏季の最盛時期には混むようで、寝るスペースも当然狭くなり周りのお客さんとの協力が必要になってくる。 小屋の創設は1961年(昭和36年)、1989年(昭和64年)に現在の小屋に改築した比較的新しい山小屋である。 オーナーの上島氏は「親切 丁寧 明るく 楽しく」をモットーに、小屋からの展望も良く、ご来光は最高ですと言う。営業期間;7月初旬~10月中旬 次回、「鹿害」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」
2011.11.26

.(現在時間;1分毎に美女と時刻が変わるよ。 クリックで都道府県の時計美人が見れるよ・・!!。 クリック=時計美人) 南ア・仙丈ヶ岳紀行(40) 「籔沢小屋」 ,籔沢小屋(伊那市)小屋近くの藪沢水場籔沢の紅葉さて、今は「小仙丈ケ岳」の北側山腹を巡っているところである。こんな中、有難いことに山腹から清流がしばしば流れ落ちるところがある。 チョット大きな沢には三本丸太の橋や沢沿いには梯子も掛けられていて、単調な緩い上りに変化を与えている。小さな沢に手ごろな水場があったので、小休止をしながら冷たい沢水を戴く。 汗で汚れた顔を清め、頭を冷やし、口にすると疲れている六腑に沁みるわたって、何とも爽快な気分である。三つ目くらいの大きな沢を越えると分岐から30分もかからない程度で正面に小屋が現われた。大きな看板に「薮沢小屋」としてあった。シラビソやトウヒなどの原生林真っ只中にヒッソリと佇んで立つ、昔ながらの静かな山小屋(標高2,540m)で今は無人小屋となっているが、夏季のシーズン中は管理人が常駐して宿泊者の世話をしているらしい。 賄いは付かない素泊まり専用なので、自炊者歓迎の質素な山小屋である。今はドアが閉まっていて、室内に人が居るのか居ないのか判らない。すぐ前にザックを下ろして休憩を取る。 そしたら、裏手の道端に女性のグループが居るのに気が付いた。彼女たちは間もなく出発するらしく、立ち上がってザックを背にしようとしていた。よく見ると昨日炊事場で一緒になり、かるく談笑したグループの人達であった。相方も小生に気が付いたようで、ニコニコしながら、「おはようございます」 と先に声を掛けられた。「これはどうも、 本当にお早うございますですね。 ところで今朝は何時ごろ小屋を出ました。」「そうですね、五時には起き出して、五時半ころでしょうか」「そりゃ、ハヤ・・!、 どうぞお気をつけて行ってらっしゃい」「では、お先に失礼します」「どうぞどうぞ、若しかしたら、そのうち追いつくかもしれませんよ」彼女たちは林の中に消えていった。思えば今朝、小屋を発って数時間たったこれまで、人の気配を感じたことは一度も全くなかった。そして、たまたまこの地で人気(ひとけ)に接したのが、既に挨拶を交わしていた人達であったのは奇遇といえば言えなくもない。彼女たちも小生同様、「大滝の頭」の分岐で、展望が望めないのなら小仙丈ケ岳の尾根を行くより、山腹のさわやかコースへと辿ったに違いない。 アンパンにトマトジュース、それにチョコをかじりながら小屋のドアをソット開けてみた。 薄暗い感じは仕方ないとしても、温かみを感じる室内であり、小さな土間の向うはワンルームの大部屋で、綺麗に整頓されていた。気が付くと入口近くにかなりの大きさのキスリングが三つ置かれていて、周りにビニールシートが敷いてあり、食器類やコッヘル(コンロ)が整然と置いてあった。彼らは今頃は仙丈ケ岳の頂上を目指していて、下山の後、この小屋を貸切状態で大宴会を開くのであろう。大きな荷物をここまで上げるのも大変であろうが、南アルプスの真っ只中の大自然の中で、誰の気兼ねもなく酒宴が出来るとはうれしい限りであろう。 悪酔い、二日酔いなどになり、粗相の無いよう無事下山できることを祈るばかりである。 愛飲家の小生にはチョット羨ましい限りである。【この山小屋は当時(昭和50年前期)の小生の地図には「藪沢長衛小屋」と命名されていて、峠の「北沢長衛小屋」同様、竹沢長衛氏かその親族によって建てられたものらしい。現在は北沢長衛小屋が同住所の芦安村に移管しているように、こちらの藪沢小屋も同区域内の伊那市に移管しているようである。記載の通り夏場は管理人が常駐しているが、それ以外は避難小屋として四季を通じて開放しているらしい。 使用に当っては特に許可などは必要ないらしいが、くれぐれも粗相の内容に使用したいものである。 尚、連絡先は伊那市長谷総合支所産業振興課 Tel:0265-98-3130 HP http://www.inacity.jp/ 】次回、「馬の背ヒュッテ」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」.
2011.11.25

. 南ア・仙丈ヶ岳紀行(39) 「藪沢コース」 .籔沢コース-小仙丈ヶ岳の稜線と籔沢への山腹を辿る分岐点でもある五合目;大滝の頭で、ゆっくりとザックを下ろして地図を確かめる。長衛山荘から当地までの記載だとちょうど2時間の行程であるが、実際の小生の小時間は1時間45分ほどであった。 若干の休憩ももあったが、コンデションも良く快調に登ってこれたようだ。この先のコースを見ると、右方向は一旦藪沢の源流部を渡り、その後「馬の背コース」から仙丈ケ岳のピークを目指すものであった。 謂わば、北斜面の見通しの聞かない谷筋のルートであるが、比較的楽な道のようである。(最後にハードな急登がある)無論、直進は小仙丈ケ岳から山頂へと向かう稜線コースで、ノッケから等高線がかなり密に並んでいるハードな急坂の連続であるが、天気さへ良ければ大展望が得られるコースであろう。チョコレートと水代わりに蜜柑を頬張って、暫しの休息をとる。そして、この後の出立をどの方向にするかチョット思案する。本日は記載のごとく、何もかもが深いガスに閉ざされている様気である。 従って、目指すのは上りは「藪沢コース」として、下山時に天候回復を期待して尾根コースを取ることにした。この間、人の気配は上り方面は無論、下って来る人も全く見かけなかった。 3000mの人気の有る山にしては珍しいことであろう。 しかも今日は10月10日、天下の体育の日である。 単独の一人歩き、それはそれで良い。 だが、大自然のど真ん中、人の気配が懐かしく感じるのは正直な気持ちである。時折、風が通り過ぎるザワ音以外は、何もかもがナリを潜めているようでもある。このような状態の中、息が整ったら後は歩くしかないのである。見上げるような小仙丈の尾根を左に見送りながら、右の方向へ足を踏み入れる。 何か、別世界へ突入するようである。 今までは風が通り過ぎる尾根道であったが、今度は山腹を経つるように、ほぼ水平の道なのである。様気のせいもあろうが、山腹の樹林帯の真っ只中とあって森閑さは事のほかで、自分の一歩一歩が耳に響いてくる。樹林相は直立した常緑のシラビソの中に、白い肌の賑やかに枝葉を延ばすダケカンバの木が目立つようになってきた。(アズマシャクナゲの自生の様子)それに、この地に来て初めてシャクナゲを目にした。 道端のすぐ横に太い幹で小枝を充分に繁らせていて確かめると、やはり「アズマシャクナゲ」であることが判った。和生のツツジやシャクナゲの興味を持ち、若干ではあるが収集もしている。アズマシャクナゲは草津や吾妻連峰を旅したときに趣味で購入したものが3,4株自宅にもあり花も咲かせている。シャクナゲの種類で山旅の途中、特に目に付くのが東日本の山岳地帯では主にアズマシャクナゲ、ハクサンシャクナゲ、キバナシャクナゲの三種類であろう。 それぞれ花の咲く場所も、時期も、風情も違うが何といってもいちばん華やかなのはアズマシャクナゲであろう。5月下旬から6月上旬に、亜高山帯の針葉樹林に鮮やかなピンクの花を咲かせる。 特に、関東近辺では草津の志賀-草津道路の下部、路上から華やかに密生したその様子が見られる。 でもやはり、アズマシャクナゲの本場は奥秩父の山々であろう。 奥秩父は全般にわたって見られるが、それでもある程度、高度の上がった奥山になるだろう。 特に、川上村から甲武信岳へ目指す途中の十文字峠は広範囲に密生したシャクナゲが見られるところで有名である。 だが、比較的気楽に、普通のハイキング程度で見られるところが西沢渓谷であろう。 沢沿いにいくつもの滝を見て、七ツ釜五段の滝あたりから、新緑の混じってピンク色の花がバランス良く咲いている。因みに、ハクサンシャクナゲはアズマシャクナゲより高いところを植生としている。 2500以上から稜線地帯に這い松などと混じって咲いている。樹林帯での特徴は、アズマに比べて葉の色や厚みが薄く、葉の幅は広く裏は透明感がある。 花はアズマより薄いピンク色又は白色を呈する。日本の高山帯に普通に見られるが、日光白根山(奥白根山)、八ヶ岳で目に付く。又、キバナシャクナゲは高度2500m以上の稜線沿いの風の通るところで、単独または這い松と混生している。 葉は小さく、薄黄色のはなを咲かせる。 木が小さくつまっているいるので盆栽に適しているが、植生は最困難である。次回、「籔沢小屋」祝い・・!! 平泉地方が世界文化遺産に決定。(2011年6月) 「東北紀行2010(内陸部)」 http://orimasa2009.web.fc2.com/tohoku.htm 『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)「九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm「九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.11.22

. 南ア・仙丈ヶ岳紀行(38) 「五合目・大滝の頭」 . 五合目;標高2516メートルの大滝の頭(提供者に感謝)ここで、小生の山好きな経験知として、勝手に感じた「山の歩き(登り)方」数ヶ条を記してみよう。(長時間の登降:2時間以上、ただし岩場、沢筋、雪上・・など特殊な歩程は含まず)『登り編』1、登山靴は底が厚く、踝(くるぶし)が隠れるほどの周囲のしっかりしたもの2、歩き始め、出来るだけ平坦の徐歩区間を設ける(ウォーミング・アップ)3、いきなり急な登りの場合、普段のペースより意識的に遅くする4、足の底の全面をつかい、体重を預けるように一歩一歩前進(ベタ足、)5、小幅、小股で、引きずるように安全な着地面を歩く(スリ足)6、急斜面は避ける(有れば迂回路を取る)7、滑りの注意(濡れた木の根っこや石を避ける、靴底の濡れにも注意)8、急登の場合両手を腰に当てる(ステッキがある場合も余り頼りにしない)9、息切れしそうな時は意識的に深呼吸をしながら(できれば腹式呼吸)10、息切れした時、大きく一吸小さく二吐、又は、二吸二吐11、チョイ休止(息入れ)、小休止、大休止を計りながら12、水分の補給は十分に、登行中は食べ過ぎない食べない(歩行中アメ、チョコ)(降り編は別掲)雨こそややって来ないが、相変わらずガスが深く周囲を覆っている。 視界も100mもないだろう。 シラビソの林の中の急坂を雲に向かって登っているようである。時折、一陣の風が吹くと霧に濡れている木の葉から、ボタボタとシズクが落ちてきて首筋へ侵入してくる。 冷たい感触は悪くないが、何とも気色悪い。急斜面では両手を腰に当て、1,2・・・100歩を繰り返しながら登ってゆく。5分ほど息をこらしては、一息入れるのを繰り返し、15分程度で小休止、30分たって大休止をとる。“だいぶ長い上りだなあ“と思い始めたとき、どうやら緩い勾配になってきた。 そして、間もなくして『仙丈ケ岳五合目』とあった。 標高も2500mを越えたようである。 (標高2516m地点)指導標も小さく遠慮がちにあって、『藪沢大滝の頭 (右)藪沢から仙丈ヶ岳、(直進)小仙丈ケ岳から仙丈ケ岳』とあった。次回、「籔沢コース」.祝い・・!! 平泉地方が世界文化遺産に決定。(2011年6月) 「東北紀行2010(内陸部)」 http://orimasa2009.web.fc2.com/tohoku.htm 『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)「九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm「九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.11.21

. 南ア・仙丈ヶ岳紀行(37) 「樹林帯の急坂」 、 三合目標識;道端には小生の好きなツツジの仲間である小木の「ウラジロヨウラク」が姿を見せている。前にも記したがウラジロヨウラクツツジ(裏白瓔珞躑躅)小生がツツジ科の中で最も好きな花木である。落葉低木で、葉は楕円形で枝先に輪状につき、葉の裏面は帯緑白色が特徴である。花は淡紅紫色のを枝先に、釣鐘状の数個垂れ下げて咲かせる。 珞躑(ようらく)とは仏像が身につけている装身具のことだとか。周りはシラビソの純林帯が続き、雰囲気の良い苔むした原生林の中をジグザグに延びている。霧にけむる南アルプスの樹林帯は、特に幻想的である。林床には若いシラビソが伸びてきており,森が生きていることを実感させられる。 所々に倒木があるが、老いた樹は倒れてまた次の世代の肥やしとなるのである。又、茶色になったカエデの木も見える、又、ダケカンバも白い肌もみうけられる。 下では間もなく紅葉の時節が訪れるが、ここまで登ってくると、やはり針葉樹主体の常緑ゾーンが主体である。足元は土というより大小の岩石(いわいし)が占めていて、いささか歩き難い。 浮石などに脚を取られないように慎重に歩を運ぶ。間もなく薄暗い樹林帯の中に「三合目」の標識が確認できた。標識の上に、例によって“山えの心がけ、標語”が掲げてある。『 あなたは美しい山を守る人。 汚れた山を作る人。 空缶、ゴミ、良心は持ち帰ってね 』 と。何か心に響く文言ではなく、薄っぺらな感じがして心がムズ痒い。低山の森のようなハイキングコースならイザ知らず、こちらは三千メートルの山岳地であり、皆さん、それなりの心得をもって入山してきているはずである。しかも、どなたの利便性を考えて行ったかは知りたくもないが、これだけの奥山に機械の爪で引っ掻いて傷(林道、車道)をつけたのは何処のドイツだ、と一言も言いたくなる。相変わらず樹林帯のハードな上りが続く。喘ぎあえぎのジックリとじっくりとして前進する。 ジックリとは、落ち着いて時間をかけて念入りに行うさまである。腰に両手をあてて、無思考の境地ではあるが、脚下をよく確かめながら一歩一歩、バランスをとりながら高度を上げる。荷物が軽量なのも手伝って、案外と前衛進む。しかし、汗のほうがさすがにジットリと染み出してくるが、これは、小生の場合は額からボロボロ汗をかく場合と違って、意外と調子の良い状態なのである。逆に、ダラダラと汗が噴出すときは、どうしても水分が欲しくなり、こららの繰り返しでどうしても体力を消耗してしまい、即ち、バテ現象の始まりなのである。 現在はそのようなな状態ではない。とにかく、出発点から1000mの高度を上げなければならないのである。 東京タワーの基部から突端までの長さの3倍である。次回、「五合目・大滝の頭」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.11.20

. 南ア・仙丈ヶ岳紀行(36) 「修行者」 .山の妖景(仙丈ヶ岳;シラビソの純林帯)今、小生はたった一人で黙々と、ただひたすら山(仙丈ヶ岳)に向かって歩いている。山は自分との対話の場所でもある。仲間と登っても一人で登っても、登りながら自分の内面と向き合ってしまう場所でもある。自分の本質は何か・・?、自分は何のためにこの世に存在しているのか・・?、これから自分は何を為すべきか、 どう生きるべきか・・?、それは修行者のごとく、否、修行者の真似事でもしているようなこんな感覚でもある。修行者といえども瞬間々々の身体に感じるもの、心の想い、心の動きは我ら凡夫とは大差はないであろう。去る年、穂高をやって涸沢からの帰り道、徳沢と明神の丁度中間地点あたりで、突然のにわか雨に襲われた。 徳沢と明神は凡そ1時間の歩程であり、更に、明神から上高地までも1時間の道程である。 道中、付近に雨宿りできる場所は全くない。にわか雨はアッという間に土砂降りになり、激しい雷雨となった。 山での雷は恐ろしく雷雲に近いため、光と音とが同時に発生する。天が裂けるほどの稲妻、大地が震えるほどの雷鳴、そして激しく降り注ぐ豪雨。雨具を出して身に付けようと思ったが、既に全身ビショ濡れである。 今更、着被っても始まらない。 濡れるにまかせた。 濡れるに任せていて、はじめ動揺したが直ぐ我に返り、真夏の突然の雨だし濡れるのもまんざら悪くないとも思われた。其のうち、心までもが洗われて、何か清々しい気持ちになって来るのを覚えるのである。そのとき、不思議と体の奥から熱き血潮が沸き上がってくるのを感じた。 身体は危機を感じて精神より先に、最大能力発揮の体勢をとってしまったようだ。冷雨もシャワーに感じ、雷鳴もめったに味わえない大自然の音響(サラウンド)として楽しめてしまうのであった。こうなると雨よ降れ・・!、 雷よ唸れ・・!、である。修行者の気持ち、不動心の心構えとは常にこのようなものではないだろうか・・?ふと横気が付くと男女の四人グループが後ろから駆け足で追いついてくる。 上高地に散策に来た普通の観光客で、当然ながら好天であったため雨具や着替えなどは用意してないらしく、顔面蒼白になって慌てふためいている。小生は普段の姿勢で悠々と歩を運び、半ば精神的な余裕もあったので、遂、声をかけてしまった。「 たまには、雨に打たれるのも良いもんでしょう 」すると、グループの一人の女性が“ 何言ってんの、あの人・・!? ”と捨てぜりふを発して去っていった。棒のような雨はますます激しく身体に打ちつけ、雷鳴も耳をつんざくほどであった。実は、小生ザックにだけはビニール風呂敷で濡れ防止を施しておいた。 そして上高地へ着いたら新しい衣類に着替えるつりでもあったのだが・・!!次回、「樹林帯の急坂」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.11.19
. 南ア・仙丈ヶ岳紀行(35) 「山の霊力」 .更に、『人はどうして山に入るのか・・? 』それについて明確に答えられる人は少ないであろう。 或は言葉では表現できないかもしれないのである。しかし、高い山、形のいい山、荘厳な山には俗界とは違う何かがあるはずである。かって、山に居る人を字のごとく「仙人」と称した。 下界に居る人を字のごとく「谷の人」、つまり「俗人」とした。 山に凄む人を仙人(せんにん)と称したのは中国の教えであり、仙境にて暮らし、仙術をあやつり、不老不死を得た人を指した。仙人は主に高い山の上、天上などの仙境(神仙郷、仙郷、仙界)の地に住み、俗界と離れた静かで清浄な所、神仙(神霊)が住むような理想的な地で修行をしたとされる。中国の静的な仙人に対して、日本では古来より動的な仙人がいた。山に凄む妖景である神や仏(神仏混交の時代)の霊力を得んと、山伏(やまぶし)という山の中をひたすら歩き、修行をする修験道の行者がいた。 「修験者」とも言う。修行者は「修行して霊力を身に着け、迷妄を払い、験徳を得る」ことから修験者、又は山に伏して修行する姿から山伏と呼んだ。日本各地の霊山を修行の場とし、深山幽谷に分け入り厳しい修行を行うことによって超自然的な能力、験力を得るのである。 つまり、山の妖景や魔力をこの身に宿して、衆生(しゅじょう)、俗人に伝える専門的集団なのである。又、同じ山域を一日も休まず何百日も駆け巡って、霊力、験徳を得る修行もある。比叡山で行われている「千日回峰行」などもその一つであろう。尤も、現在でも在家の山奉信者が、修行の時だけ山伏となって修行する人も多く存在するようだが。何れにしても、山の霊力を得んとして山に入った仙人達であった。次回、「山の修行者」祝い・・!! 平泉地方が世界文化遺産に決定。(2011年6月) 「東北紀行2010(内陸部)」 http://orimasa2009.web.fc2.com/tohoku.htm 『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)「九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm「九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.11.18

. 南ア・仙丈ヶ岳紀行(34) 「山ノ神、山の精」 ,山道とシラビソの純林『どうして山を歩くのか、山に登るのか・・? 』、 命題である。特別な目的を持たない、ただ山に入り、山を彷徨し、頂を目指す。 頂を目指して到達しても具体的に得るものは無いし、何の徳にもならない。じゃ、なぜ山に行くのか、山を彷徨するのか・・?。それは山の魔力に取り付かれてしまったのに違いないからである。その山の魔力の一つに「妖景」が有る。妖景には神が宿る。昔は山そのものが「神」として崇められた。山に潜む「妖景」も神の化身として奉られた。元より日本では森羅万象に命や神霊が宿るとする神道信仰があり、有名な高岳山地には山岳信仰なるものが今でもある。神が「鎮座する」または「隠れ住まう」山や森の神域、そして磐座(いわくら)という御神体を崇める風習があった。 又、神の名称は地域により異なるが、その総称は「山の神」、「山神」(さんじん)として崇め、山の神は一般に「女神」であるとされている。女神であることから出産や月経の穢れを特に嫌うとされるほか、山そのものに女性の入山、参加は許されてこなかった。「Y」の様な三又の妖景樹木には神が宿っているとして伐採を禁じ、その木を御神体として祭る風習もある。 三又の木が女性の下半身を連想させるからともいわれる。そこから自分の妻のことを謙遜して「山の神」という表現もある。日本神話では大山祇神などが山の神として登場するが、実際には大山祇の娘の木花咲耶姫(コノハナノサクヤビメ)という女神に火山である日本一の秀峰「富士山」を譲り、東日本一帯の山を統治、守護することになったとしている。 男が毎度々々山に入るのは、女性への恋愛感情に似ているのかもしれない。山(女性)の美しさ、優しさ、激しさ、更に妖艶、魔性が加わった場合、それは男の憧れであり、魅力であり、恋愛であり、その身に触れたくなるどうすることも出来ない感情なのである。 男が山に入ってしまうのは、山の精(女の性)に引付けられてしまうのに似ているからかもしれない。次回、「山の霊力」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.11.17

. 南ア・仙丈ヶ岳紀行(33) 「山の妖景」 , シラビソとその若木2合目マーク暫くして、小さなピークを過ぎ、鞍部になった所で峠からもう一つの山腹からのルートと合流する。 北沢長衛小屋道との出合いであり、二合目の標識も見えた。ここを過ぎると次第に傾斜も強くなり、特に自然のままの道は木の根がゴロゴロ、倒木が横切ったりしていて慎重に歩く必要が有る。間もなく、足場の悪い急登にかかった。 木の根と岩の間の急斜面の道は少し苦しい。森林帯ではあるが岩が露出していて、時々、両手を使っての所謂、四つん這いになって進むところもある。 しかし、このような所は小生にとっては歓迎なのである。重心を支えている二本の脚を少しでも負担を軽くすることが出来るし、何といってもいち早く高度を稼ぐことが出来るのである。ハリモミの大木の根が巨岩を抱いて正面に立ちはだかっている。 異様な光景である。 妖しい景色であり、即ち「妖景」である。否、これが自然の真っ当な姿であろう。人智を越えた異様な自然の造形物は、時に崇め奉る神にもなるくらいだ。単独の小生、何やら敬虔な気持ちになって、両手を合わせ一礼を施しておもむろに通り過ぎてゆく。今、小生はたった一人で黙々と、ただひたすら山に向かって歩いている。 「どうしてなんだろう・・?」「それは、或る種の修行かもしれないよ・・?」もう一人の自分が問いかけてきて、妙な返事を返してくる。 『どうして山を歩くのか、山に登るのか・・?』、 命題である。景色が良くて、 頂上での感動がたまらない、 努力が報われる、 新鮮で何かの発見がある、 朝夕の御来光、日没、 空気の清涼感、 自然との一体感 等々いろいろある。しかし、どうもそればかりではないような気がする。忘れ得ないものがあり、気が付いてはいないものもある・・!、 それは山に潜む、凄む、自然が造りだす不可思議な妖景であろう。 これは山の魅力という以上に、それ以上の山の魔力かもしれないのである。次回、「山ノ神、山の精」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.11.16

. 南ア・仙丈ヶ岳紀行(32) 「仙丈ヶ岳・1合目」 .シラビソの登山道仙丈ヶ岳一合目それにしてもノッケからジグザグの樹林帯の急斜面の登りである。樹齢のかさむ大木のコメツガやシラビソがうっそうと繁る重厚な林は、尊厳なほどの空気をまとっている。右側の斜面から冷気をともなった風が舞い上がってくる。 谷底は藪沢であろう。雨は既に止んでいた。 しかし、周囲はドンヨリと厚いガスに覆われている。 そんな中のたった一人の登行である。歩くに従って、ドンヨリとした小生の頭も次第に晴れてきて、体調も上がってきたようだ。 何よりである。第一の急な上りを登りきったところに「仙丈ケ岳1合目」とあった。 “チェッ、未だ一合目か”とも思ったが、一方、“ようし、これからだ”いう気力も湧いてくる。 出発してまだ30分も経っていない。検めて地図を見ると頂上までは凡そ4時間とあり、地形を確認しても等高線がビッシリ詰まった激しい登りの連続である。まだまだこれからである。 当然である。 妙に自分に納得させる。さて直後、予想外にゆったりした道をしばらく行くようになる。 息を入れなおし、体長を整えるには良い条件である。昨日以来の雨のせいで時折、道がぬかるんでいて脚を取られて往生する。相変わらづの樹林帯であるが、尾根の頂を進んでいるようで、左右の両側は激しく落ち込んでいる。冷気が常に右側より吹き上がっているが、時折、本物の風が音をたてて吹き付けてくる。しかし、風が吹き出したということは、天候の変化を予知させるものでもある。 無論、今は雨こそないが、周辺は灰色に覆われていて視界などは全く利かない。尤も、深い樹林帯の中だと、見通しもヘッタクリもないが。 しかし、正直気持ちよく晴れ渡って欲しいものである。次回、「山の妖景」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.11.15

. 南ア・仙丈ヶ岳紀行(31) 「仙丈ヶ岳へ・・!、」 峠の案内板と仙丈ヶ岳への登山道入口夜中に2,3回目を覚ましたが、何れも微かにであるが雨がしたたる音であった。そして、10月10日(体育の日)の早朝は、雨の中で目を覚ました。 時計の針は、午前5時を指していた。何となく頭が重い、様気のせいかもしれない。行動が鈍い中、コンロの火を入れて朝食に熱いレモンティーとアンパン二つをかじったら、少しは活力が湧いてきた。外は相変わらず小雨模様で、周辺をしっとりと濡らしていた今回の山行は甲斐駒ケ岳を主眼としていて、場合によっては仙丈ケ岳をも思考の中にあった。 そして、今日のこの様気なので登山路が安定している「仙丈ケ岳」へと心を決めた。 北沢峠の標高が2,032mで仙丈ヶ岳の標高は3,033mと、丁度、1000メートルの標高差を登ることになる。やや大きめなキスリングザック(両横に大きなポケットが張り出したキャンバス製のザック)を最小必要なものを詰め替え、身軽にしてイザ出発である。時に6時30分であった。例によって峠の看板には、『 この付近は特別に指定された自然保護地域で、植物の採取や折ったりしてはいけない 』 などと案内している。「そんじゃ、そんなに大事な特別に指定された自然保護地域に、何故に山肌を機械の爪でヒッカイて道路なんぞ付けたのか・・!」と、工事当時の反対運動を蒸返したくなる。 コッチトラ、林道が上まで来ていることも知らないで、戸台から何時間も掛けてハルバル徒歩でやって来たというのに・・!。小屋のすぐ前に立つ十字の指導標に従って、仙丈ケ岳方面へと一路踏み出すことになる。 昨日、二箇所の登山道を確認しておいたが、結局、見通しを期待して尾根筋のルートを取ることにした。ひと歩きして振り返ると、小屋の屋根がモヤの中に消えそうになっていた。倒木や岩が苔むしていて、いかにも南アルプスの樹林帯らしい雰囲気になってきた。次回、「仙丈ヶ岳・1合目」祝い・・!! 平泉地方が世界文化遺産に決定。(2011年6月) 「東北紀行2010(内陸部)」 http://orimasa2009.web.fc2.com/tohoku.htm 『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)「九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm「九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」.
2011.11.14

. 南ア・仙丈ヶ岳紀行(30) 「長衛荘」(2) 、現在の北沢峠の様子管理人室から気にならない程度にラジオが流されていて、NHKラジオ第2放送が盛んに気象通報を流している。“長野県地方・南部は・・、”と始まったとき、皆が自然の耳を傾けている。それによると、“午前中は小雨も残るが、午後からは晴れ間も出る”ということだった。マズマズの予報にホッとする。 やはり、お天気は肝心である。夕刻も五時を回っていたので、そろそろ夕飯の支度にかかる。表の自炊場で圧力の利く炊飯器に火を入れる。本日のメニュウはご飯に即席みそ汁、牛缶、海苔の佃煮、それに持参したキュウリの浅漬けなどである。 マズマズの内容であろう・・!?。隣で名古屋の女性三人グループが嬉々として調理に勤しんでいる。ヒトアシお先にパクついていると、「美味しそうですね」と声を掛けてくる。「いや、どうも、我が家は(自分の事)は何時も麦飯なんですよ。 ほら、この通り・・!」「実は、私の家も時々、玄米食を食べてますのよ、 この前、圧力釜を買ったばかりなの」「麦飯もそうですけど、玄米も消化に時間がかかるので、よく噛んで食べたほうがいいらしいですよ」取り留めのない話である。 でも、こんな変哲のない会話がいかにも貴重に思えるのは場所柄のせいかもしれない。口にして結構旨そうだったので、彼女らに大き目のキュウリの浅漬けを差し上げた。 すると、お返しに大粒のラッキョウを数粒戴いた。疲れた身体や内臓に酸い味の利いた味はこの上ないご馳走である。 特に小生はお酢をご飯にかけて食べるほど酢の物が好きであったのだ・・!。そんなわけで、小屋から缶ビールを調達し、喉を潤しながらの夕食は事のほか美味しく戴いた。夕刻、薄い闇が迫ってきていた。現在、雨はどうやら上がっているが、霧が大きく、深く立ち込めていて薄暗さはこのせいもあるかもしれない。食後の散歩に小屋の周辺をブラつく。始め、甲斐駒ケ岳へ通ずる双児山方面の山道へ入ってみたが、林の中の道は突然として急坂になっているので、数分いっただけで引き返した。やはり、甲斐駒ケ岳へは先程の北沢長衛小屋(駒仙小屋)の前を通って、仙水峠から登るのが一般的らしい。仙丈ケ岳方面へは上り口が二箇所あるようなので、様子を伺ったところ一方はいきなりの急坂でこちらは尾根の道らしく、甲州側の下の道は山腹を巡るようである。実を言うと、明日の目指す山は3000m峰の仙丈ケ岳にするか、はたマタ男性的な岩尾根の甲斐駒ケ岳にするか断定はしていないのである。明日の体調やお天気によって決めようとも思っているのである。山間(やまあい)は日没も早く、いよいよ闇が迫ってきたので、小屋へ戻ることにした。定められた場所に身を落ち着ける。 泊り客は意外と少なく、悠々と隅のスペースを広々と確保できた。混雑する山小屋だと、睡眠はおろか寝返りをうつのもままならないほどの処もあり、これだけ隙がある状態だと熟睡もできそうである。例によって寝床に入る前に、持参したチョコを肴に気付け薬(ウイスキー)を舐めながら、八時頃には床に入った。次回、「仙丈ヶ岳へ」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.11.13

. 南ア・仙丈ヶ岳紀行(29) 「峠の山荘;長衛荘」 .現在の峠のデラックス山小屋「長衛荘」 母親が子供にかまけているので、こちらからドアーの引戸を引いて小屋の中へ入った。 瞬間、暗くて一瞬ボーッとしてしまったが、気が付くと広々とした土間があって隅のほうにストーブが置かれていた。 寒い感じではないがストーブには既に火が入っていて、周りには4人の先客が暖をとっていた。「お疲れさんです。 こちらへどうぞ・・、」と早速声がかかってきた。奥のほうから小屋の主人らしい人が出てきて、「お泊りですか・・?、でしたらこちらの帳面にちょっくら記入していただきますか」宿泊名簿に氏名、年齢、住所と明日の行動予定、それに食事は自炊と記入する。暫くして主人が・・、「お客さんは厚木の飯山の方だそうで、内の親戚の者が厚木へ嫁いでいるですが、未だ行ったことはないんでね。 厚木とはどんなとこですか・・?」ビックリして、始めどう答えようかと思案したが、「そうですね、厚木は東京、横浜に一時間以内で行けて、海にも山にも近いいいところですよ」と、我ながら変な返事をしてしまった。 それでも納得したように「ほーけ、 近くにいい山(飯山)は有るかね・・?」いい山と飯山を洒落たわけでではないだろうが、「すぐ近くに相模の屋根と言われる1500m前後の丹沢という山並みがありますよ。 時々、足慣らしに歩いています。」というと、ストーブを囲んでいた一人が、「丹沢なら私も時折行ってますよ」という。下着を着替えて、雨に濡れた靴や衣類をストーブに干しながら、出された熱いお茶をご馳走になる。それから、山談義がはじまった。その後、ポツポツとお客が現われだした。 その中に、女性の三人パーティが入ってきた。 辰野駅で飯田線に乗り換えた時から戸台まで同乗してきた人たちで、何やら懐かしく親しみが湧いてくる。軽く会釈を交わす。背のスラーッとした大柄の一人が、友人の奥さんに似ていたので余計に印象に残っていた。次回、引き続き「長衛荘にて」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.11.12

. 南ア・仙丈ヶ岳紀行(28) 「竹沢長衛氏」 .竹沢長衛氏(レリーフ)竹沢長衛氏(1889~1958年)は、当初は熊を追う猟師(マタギ)としての山の暮らしに勤しんでいるうち次第にアルプスの山中にも足を踏み入れた。 其のうち苦労して山頂を目指す登山者を観て、自らのためにも登山道を拓いていった。遂には、南アルプス北部の開拓に尽力され、多くのルートを切り開き、山小屋を造り、案内人組合を結成し、遭難者の救助にあたるなど登山者のために尽力している。長衛氏は長衛小屋や薮沢(やぶさわ)小屋を建設し、仙丈ケ岳(3033メートル)、甲斐駒ケ岳(2967メートル)への登山道を整備し、遭難者をも救助して安全な登山に力を注いだ。特に、「女性1人でも登れるように」と危険な箇所や困難なところを歩き易く、登り易いように整備している。長衛氏の口癖に、『 帰れる処までしか、行っちゃいけない 』とある。 単純な言葉のようで奥が深い。 山を知り尽くしている人、多くの遭難者を見ている人が伝えるメッセージであろう。 難易度の高い登山だけでなく、山を歩く全ての人に必要な心構えである。 安全に下山できる時間的余裕と体力、間違えない山歩きをしたいもんである。長野県伊那市で7月上旬に「長衛祭」が開かれる。南アルプスの開拓者の1人に挙げられる竹沢長衛の遺徳をしのんで、北沢峠の北沢長衛小屋(現、北沢駒仙小屋)近くの胸像レリーフ前で行われる。その翌日は記念登山が行われている。峠へ戻り、今夜は峠の小屋に御世話になることにした。僅か5,6分の緩い登りであるが、これが意外と身体にこたえた。シラビソの林に囲まれて山小屋はヒッソリと立っていた。 明るい・・!、以外と明るいのにビックリするほどである。小屋の前へ来ると、未だ若い奥さんと子供がじゃれあっていて、微笑ましい。 近ずくと「お泊まりですか・・?」といって、我らを迎えてくれた。「今日は、はい、今夜ご厄介になります」「どうぞ、中へ入ってお休み下さい」親子の仕草といい、言葉丁寧な応対に気持ちがほぐれて疲れもスーと引いてゆくようだ。 「実は、この下の小屋まで行ったのですが、宿泊お断りの張り紙がしてありましてね」 「そうなんですね、それはどうもご苦労さん。 最近は夏場でもお客さんが少なくなりましてね、結構空いてんですよ。 ですからどうせお泊めするんなら広くていい部屋のほが良かろうと思ってね。」「あ、そうですか。 下の方は別館というわけですか・・?」「まあ、そんなようなもんでね」【 こちら峠の長衛荘も竹沢長衛氏にゆかりのある山小屋で、当初、昭和40年代に建設されたものであろうが、林道開発と峠までのバス運行によって、現在はモダン・・?、に改築されている。 山小屋の管理、運営は伊那市観光(株)という民間会社が行っている模様。 】長衛荘 小屋情報 、南アルプスの名山である花の仙丈ヶ岳、岩稜の甲斐駒ヶ岳の登山の拠点として、又、北沢峠の自然散策のオアシスとして利用できる最適の山小屋である。エリア・標高 南アルプス北沢峠 標高2032m連絡先 〒396-0402 伊那市役所長谷総合支所産業振興課電話番号 0265-98-3130(営業期間外)現地電話 090-3023-9030(9時~19時)営業期間 4月下旬~11月初旬、年末年始収容人数 110人宿泊料金 一泊2食付8000円、素泊まり4000円、(寝具1000円)(水場・テント場 水場あり、テント場なし) 次回、「長衛荘」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.11.11

. 南ア・仙丈ヶ岳紀行(27) 「北沢長衛小屋」 .現在の北沢峠(wiki)北沢駒仙小屋(旧、北沢長衛小屋)北沢峠へ達した。こちらも既に、「県営林道南アルプス線」(山梨県)と称して、道程は北岳の麓、北岳、や間の岳などへの登山口であ広河原から野呂川出合経由で、凡そ10キロメートルでこの峠に達しているようだ。 起点は鳳凰三山の南端・夜叉神の芦安から広河原まで24km、広河原から北沢峠まで10kmで、全長が34kmにわたる。だが、実際に通常の車がこの峠まで達しているかは、現時点では不明である。林道から外れた林の中の高台に、もう一つの山小屋がひっそりと控えていた。 小屋入口には十字の案内標識があって、「右が仙丈ケ岳、左が双児山(甲斐駒ケ岳)、直進が北沢、手前が戸台」としてあった。こちらは山小屋は長衛荘(ちょうえいそう)といって、大平小屋よりはチョット大きめで、洒落た感じがする。 地図を見るとこの峠の下に「北沢長衛小屋」とあるので、一息入れた後、北沢小屋のほうへ直進して様子を見ることにした。峠の小屋を通過して、林道をダラダラと少し下ったところに北沢沢と山小屋があった。 北沢と言っても仙水峠を源流とする沢で、仙水沢といってもよいが地図上では確かに「北沢沢」とチョットややこしい名称になっている。沢のすぐ前にはテント場があって、色とりどりのテントが十数張り設えてあった。先程まで同行してきた青年もそこの一張りを占めていることだろう。道端に小さな道標があって「広河原」としてあった。『ハハーン、地図には載ってないが、ここから広河原まで歩道が通じている・・?。 若しかしたらこの林道が既に広河原まで拓けているのかもしれない。 下山時に利用するかもしれない・・?』山小屋の前まで脚を延ばしてみると、張り紙がしてあって・・、『本日、こちらの小屋は宿泊者が居りません。 お泊りの方は上の長衛荘をご利用下さい』 とあった。仕方なく峠の「長衛荘」へ戻ることにした。ところで、長衛というのは人物の名前のようであるが、事実、長谷村戸台の猟師・「竹沢長衛」氏のことであった。この北沢長衛小屋は、この竹沢長衛によって昭和初期(昭和5年11月、長野・戸台の竹沢長衛が北沢右岸に山小屋開設)に建てられたものであった。竹沢長衛の功績を称えるレリーフが、北沢峠の北沢長衛小屋の近くの岩場岩肌に飾られている。【 尚、現在では小屋の名称は「北沢駒仙小屋」となっている。 以前までは北沢峠の開祖竹沢長衛氏の一族が経営にあたっていたが1995年頃、建物を地元、芦安村に譲渡している。 以来、山梨県芦安村の村営として運営されているようである。 小屋の前には北沢峠エリア唯一のテント場があり、シーズン中は大勢のキャンパーで賑わう 】次回、 「竹沢長衛氏」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.11.10

. 南ア・仙丈ヶ岳紀行(26) 「大平山荘」 .南アルプススーパー林道の傍に建つ「大平小屋」緩やかな斜面から最後(・・?)の急斜面を登ると急に視界が広がった。ここは、さっきから見え隠れしていた林道そのものであった。そこには、悔しいかな乗用車が2台、行き止まりの標識の前に置かれていた。“あーあ、車道はこんなところまで来ていたのか”半ばはき捨てるように独り言をぶつける。今まで苦労して歩いてきたこの道中は、一体、何だったのか・・?、疑問の一つも湧いてこようというものである。車道は敷き詰めてある砂利が雨に濡れて、虚ろに光っている。 それは“人間がヒッカイタ爪の跡”でもある。 爪の跡は山腹の奥まで延びていて、霞の中に消えていた。気が付くと、車道脇のチョット奥まったところに「大平小屋」が立っていた。林道と山小屋とはチョット釣合わない、チグハグな感じが否めない。 それでも、『仙丈ケ岳コースの最短距離は大平山荘から』と、営業文言がよい。大平山荘情報南アルプス林道わきの高台にあり、標高1960メートルの北沢峠西直下の長野県側にある。明るく静かな小屋で、竹沢愛子さんは小屋の名物おばあさんといわれて人気がある。仙丈ケ岳への藪沢新道はここから始まる。開設予定期間 GW(4月29日~5月4日の宿泊まで)、6月中旬~10月末 連 絡 先 TEL・FAX:0265-78-3761(竹澤信幸) 収容人員 80人 宿泊料金 1泊2食;7,500円~ 素泊;3,500~4,500円小屋の前で一息入れて、直ぐに峠へ向けて出立した。この後、北沢峠は道路を横断して小規模なジグザグの道を10分ほどの登りで到着した。気が付くと、そこにも既に道路、車道が拓けていた。こちらは甲州・山梨県側の南アルプス林道で、現在も工事中であるが道としての開削工事は概ね終了しているみたいである。道程は北岳の麓、北岳、間の岳などへの登山口であ広河原から野呂川出合経由で、凡そ10キロメートルでこの峠に達しているようだ。 名称は「県営林道南アルプス線」と称して、起点は鳳凰三山の南端・夜叉神の芦安から広河原24km、広河原から北沢峠まで10kmで全長が34kmにわたる。【 甲州側の芦安から広河原までは道路も舗装されていて通年にわたって車の通行が可能であったが、近年やはり貴重な自然を保護しながら、南アルプスの雄大な自然環境のもと、通行の安全と交通渋滞のない快適な時間を過ごすためとして、夜叉神・芦安から広河原間及び、広河原から北沢峠間については一般車の乗り入れは出来なくなった。期間は6月下旬から11月上旬でマイカー規制され(二輪車、自転車も規制がかかり通行できない)、芦安から広河原は路線バス、タクシーのみの利用となる。 又、広河原から北沢峠間は 南アルプス市営バスの利用となる。 これ以外の期間は冬季閉鎖となる。尚、車(マイカー)の場合には芦安(600台)の無料駐車場に停め、バス、乗合タクシーに乗り換えて広河原、北沢峠へ向かうことになる。甲府駅と広河原間は1日5~7往復(1日最大、13往復)のバスがあり、広河原から北沢峠間は南アルプス市営バスが1日4往復運行されている。 シーズン中のピーク時には増便もある模様。尚、2008年度から南アルプスの豊かな自然環境を維持していく為として、実施するマイカー規制の間、利用者はマイカー規制実施経費の一部を負担しなければならなくなった。 1人あたり、片道100円で、往復で200円(小学生以下は50円 で往復100円。但し、未就学児童は無料) この利用者からの協力金は、マイカー規制が円滑に行われるよう、ゲート管理や乗換駐車場の管理などに充てられるという。 】次回、「北沢長衛小屋」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.11.04

. 南ア・仙丈ヶ岳紀行(25) 「峠へ・・、」 .南アルプススーパー林道とその周辺(峠の看板)時折、薄日が差してきて眩しいほどの明るさに変化する。ガスの動きも活発で、右手に仙丈の山腹らしいのが壮大に眺められる。 ただ、左側頂上部は、しつこいぐらいガスが付きまとっていて姿を現さない。「馬の背でしょう。 たしか丹渓山荘からのルートになっているはずですよ。 それにしても雄大な尾根ですね・・!」 若者が突然言う。「そうですか、 それにしても大分見通しが良くなってきましたね」正面を見上げると、遥かに上方まで林道が延びているのが確認できる。 ただ、ある部分でプツリと途切れているのも判る。“ハハーン、林道はあそこでストップしているな” 独り言である。ところで、ここへきて身体が非常に重く感じている。 このまま行くとペースが非常に遅くなりがちである。若者に思わず声を掛けてみた。「今日、明日の行動予定はどちらですか・・?」「はい」 何か小生の問いを待っていたかのように、「今日は峠のキャンプ場に設営して、仙丈と駒(甲斐駒ケ岳)の両方やろうと思ってます。 ただ、明日どちらへ向かおうかは未だ決めてはいません。 明日の気分次第です。」やはりというか、山慣れした青年の様子と行動力であった。「あ、そうですか、 無事、両方やれるといいですね。 天気も良さそうだし、きっとやれますよ。」「はい」ところで、峠のキャンプ場というのは峠を越えた十分ほど下った向こう側、つまり甲州側の北沢長兵衛小屋の前にあるはずである。 仙水峠への基点でもあり、すぐ前に仙水沢が流れる。 テントサイトはよく整地されていて、水は小屋前の施設でりようできるという。若者にそれとなく・・、「小生、チョット、バテ気味なので、宜しけりゃお先にどうですか・・?」青年は遠慮がちに、「そうですか、 そいじゃ申し訳ないけどお先に失礼致します」といって、そそくさ歩き出した。 何が“申し訳ない”だか疑問であったが、若者の丁寧な気使いと言葉使いに恐縮する。うしろ姿、歩きっぷりを見てみると、今までの倍のスピードで遠ざかって行くようでもある。小生の同行しなければ、或は今頃はキャンプ場で設営に勤しんでいたことだろう。 何か悪いことをしたような感じでもあった。それにしても、ここまで来れば今夜の落着き先である「北沢峠」までは、ホンの一投足であろう。今日一日、長かった道中もようやく終結である。次回、「大平小屋」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.11.03
. 南ア・仙丈ヶ岳紀行(24) 「若者登山者」 . 雨は止んだ・・!若者は小生の4~5メートルの後ろから、付かず離れずのほぼおなしペースで付いてきている。 特に小生を追い越そうという意識はないようだ。若者は最近流行のヨーロッパスタイルの縦長の大きなザックを身に着けていて、如何にも山慣れしている感じである。 ただ、雨は止んでいるのに未だ黒いコウモリ傘を差していて、何か滑稽にも見える。「八丁坂」の急坂をやりすごしてホッとしたのはよいけれど、その後のダラダラの登りも結構身体にきつい。 昨夜の寝不足、否、不眠状態がここへ来て出たきたかな。雨音が止んで静まりかえったせいか、今度は遥か右手より微かに沢音が聞こえているようだ。峡谷に反射して聞こえてくるのであろうか・・?。この辺り「藪沢」がグーッと接近しているところでもある。気が付くとこの藪沢に向かって、鮮明ではないが一筋の道が延びていた。 一般登山者の道ではないようで、藪沢の渓流を詰める沢登りのエキスパートコースかもしれない。正面を見ると再び樹林帯の急激な登りが始まるようである。その前に一息入れる。 若者もニコニコしながら小生同様立ち止まる。「さすがにこの辺りへ来ますと身体にこたえますね」「そうですね」 若者は同意の返事をかえしてくるが、実際は全く意に介さないようでもある。「さあ、参りますか」 と、思わず同行者の如く声を掛けてしまう。山肌はかなりの急斜面であるが、山道は思っていたほどでもなかった。それでも一歩一歩、両手を腰に当て、歩数を数えながら(苦しくなったり、かなりの急斜面の場合は歩数を百までの繰り返しで、数えながら登ることにしている)前進する。曲がり道などで若者の様子を伺うと、決して楽とまでは言わないまでも何か平然として歩を進めているようである。“お先に、どうぞ“と言いたいところであるが、ここまで同行してきたのに突き放すようで言い出せなかった。登りきったところは、やや開けた場所で、先ほど見えていた林道が再接近して直ぐそこに見えている。次回、「峠へ・・、」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.11.02

. 南ア・仙丈ヶ岳紀行(23) 「南アルプススーパー林道」 .1980年(昭和55年)の「南アルプススーパー林道」の新聞記事 ところで、山に関する昔の日記風メモ帳を捲り(めくり)ながら、この記事を書いているが、ページの間に当時の南アルプススーパー林道の開通の様子を書いた新聞記事の切抜きが間に挟まっていたので、ここに紹介しておく。「南アルプススーパー林道建設」経緯 (当時の朝日新聞)【 南アルプススーパー林道建設工事に関して、「南アルプスを開発から守れ」という自然保護団体の運動で、長野県、山梨県を跨ぐ北沢峠周辺の工事が6年間に亘って凍結された。 そして着工から通算13年かかって南アルプススーパー林道(56・9キロメートル)は1980年(昭和55年)に完成した。 自然保護団体は「60年代の開発ブームに乗ったこの林道が、今後どのような結果をもたらすか、80年代は監視の時代」と称している。 当時の構想が大きく後退したことから一時、「スーパー」の文字が消されたのも、建設当時の曲折を物語っている。 そも、この林道工事の始まりは1952年(昭和27年)から10年かけて、芦安村から北岳(3192m)の麓、広河原までの野呂川林道が完成。 その後、構想が飛躍して南アルプスの森林開発、過疎地の観光誘致、レジャーを発展させる目的のスーパー林道としての工事がはじまった。 これに対して、自然保護団体は国立公園特別保護区域・亜高山帯の美林が破壊される。 フォッサマグナ(大地溝帯)の地盤の弱い場所なのに工事が荒っぽく完成後の維持、補修に莫大な費用がかかる。 営林の為の林道が、その名を借りた観光道路に化ける恐れがある。 などと反対の火の手を挙げ、観光か自然保護かの議論が沸いた。 環境庁が北沢峠の頂上部分両県にまたがる双方1.5キロメートルについて工事を凍結したのが1973年(昭和48年)。 この後、開通促進派の陳情、自然保護派の反対運動と攻防が続き、環境庁も裁断に苦慮する。 5年後になって・・、★ 峠の道路幅3.5メートル★ マイカー規制★ 特別保護区域を見直して拡大するなどを条件にお互いが同意する。そして、1979年11月工事が完成して、森林公団(工事関係)から山梨県と長野県長谷村(管理関係)に移管された。 総工費49億円(国庫3分の2、地元両県3分の1)に上った。当初の多目的な「スーパー林道」もあいまいな形の道路になり、未舗装で、林道としても狭く、危険なカーブも多い。 開通したものの道路状態が悪いため「当分の間、マイカー禁止」。 運輸省の認可が下り次第、両県でマイクロバスを11月頃までのシーズン限定で運行する。 一方、「一種保護地域の見直し」については未解決。 更に管理を任された地元自治体にとって、この山岳道路の維持管理で「金食い道路」の懸念もある。 自然保護団体は、行政側が今度の開通を実績として、将来、再びスーパー林道への整備、工事へ動き出すことへの不安も捨てきれないとして警戒している。 】( 1980年;昭和55年6月11日;水曜日、 朝日新聞記事 ) 地元、伊那谷出身で元朝日新聞記者の「本多勝一」という言論人がいた。下伊那郡大島村上新井(現、松川町)にて生まれ、後半生は自由な人生を生きようと、大鹿村で酪農を志している。大学時代山岳部に属し、各地の山や海外探検も行っていた自然人でもあり、特に北海道には造詣が深く、愛着があったらしい。自由と自然がなによりも人間には大切だと彼は言い切り、そんな中で、彼を最も怒らせたのが地元が行おうとした「南アルプススーパー林道」の建設であった。 この自然破壊計画に猛然と反対運動を起こした。 しかし、生活優先の地元村人は彼の行動に対しては冷淡であったと言い、自然と人間の板ばさみに会い苦慮したともされている。彼の著書:『日本環境報告』(出版社:朝日新聞出版)に、「南アルプスの原始林を守れ」、「わが故郷は死んだのか」、「スーパー林道と地元住民の悲願」などと項目をあげて、詳しく著している。上記、朝日新聞の記事は彼が書いたかどうかは定かでない。次回、「若者登山者」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.11.01
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