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.今何時・・?、時間は大和美人が知らせるよ。クリックすると各都道府県の時計美人と1分間の恋ができます。クリック=時計美人 美人時計 ; http://www.google.com/ig 南ア・仙丈ヶ岳紀行(68) 「南アルプスを自然遺産に・・!?」 .2006年(平成18年)頃より南アルプスを世界自然遺産に登録するための地元有志の運動が始まったという。その名を「南アルプス世界自然遺産登録推進協議会」といい、関係10市町村により設立された。構成市町村:山梨県-韮崎市 南アルプス市 北杜市 早川町 長野県-伊那市 飯田市 富士見町 大鹿村 静岡県-静岡市 川根本町【主旨内容抜粋】『 南アルプスは、日本列島のほぼ中央に位置し、南北150km、東西50kmという重厚な峰々が連なる山岳地帯です。南アルプスは白根山系、甲斐駒山系、鳳凰山系、赤石山系からなり、昭和39年には国立公園に指定されました。区域は、北は長野県の鋸岳(のこぎりだけ 標高2685m)、南は静岡県の光岳(てかりだけ 標高2591m)までの範囲で、主峰である北岳は標高3,193mで富士山に次いで日本第2位、さらに間ノ岳は標高3189mと日本第4位の標高を持つなど3000m級の山々が13座もある「日本の屋根」と言われるほど大きく高い山塊が魅力となっています。また、南アルプスには、キタダケソウをはじめとする南アルプスのみで見られる数多くの希少な動植物が生息しています。特に氷河期から生き続けてきたライチョウは世界の最南端に生きており、絶滅が危ぶまれています。さらに、地形地質では、大陸と太平洋側からのプレートの褶曲1によって形成された非火山性の山地であり、地球の地殻構造の歴史を抱きながら現在でも年間数ミリ程度隆起しているという造山活動が見られます。このように南アルプスの自然環境は世界的に見ても傑出した自然環境を有し、また国立公園内には生活環境を有しない、まさに自然の宝庫とも言うべき環境が残されているのです。私たち南アルプスを取り巻く全ての人々にとって、貴重な南アルプスの自然を後世にそのまま受け継ぐという大きな使命を担っています。 』 以下 略ところで、南アルプスの地下に「リニア新幹線」(リニア)と通すというが・・?。ルートとしては首都圏から山梨リニア実験線を経由し、名古屋に至るまでのルートとして木曽谷ルート、伊那谷ルート、そして「南アルプスルート」の3案が検討されていた。JR東海は、距離が短く経済合理性が高いとされる「南アルプスを貫く直線ルートでの建設は可能」とする地形・地質調査結果に基づき、南アルプスルートでのリニア中央新幹線の建設方針を2008年に固めたという。南アルプスルートは、甲府市付近から赤石山脈(赤石岳地下近辺)を経て名古屋市付近へ至る直線ルートである。これらのトンネル本坑及び斜坑、更に付帯工事を含めると総延長は凡そ20kmのトンネル建設になるという。これらの大工事は自然環境への負担も大きく、自然保護という自然遺産の基本的概念から見れば大いなる問題があると関係者は問題視(特別反対はしていない・・?)している。この問題について「ユネスコ」の見方については・・、「工事を行うのは地下あるいは登録予定エリア外だから影響は少ない」という考え方もあるが、 アジア初のユネスコ事務局長に選出された松浦晃一郎氏の著書には次のように書かれている。 『 最近ユネスコが注目しているのは、「景観」という概念だ。つまり緩衝地帯およびその周辺も含めた景観全体が「顕著な普遍的な価値」の公正をなしている、というものである。従って、伝統的な考えに基づいて、緩衝地帯の中でのみ開発規制を敷けば十分というわけではなくなってきている 』松浦晃一郎氏(2008)『世界遺産ユネスコ事務局長は訴える』 講談社 この一文を見る限り、上記の見解、思惑では南アルプスの世界遺産登録は困難とする見方もある。果たして・・・??。 終【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.12.25
.今何時・・?、時間は大和美人が知らせるよ。クリックすると各都道府県の時計美人と1分間の恋ができます。クリック=時計美人 美人時計 ; http://www.google.com/ig 南ア・仙丈ヶ岳紀行(67) 「寸考;南アルプスの林道」(2) .ヨーロッパに初めて日本の山々を紹介したウォルター・ウェストンが南ア・北岳に登頂したのは1902年の事であった。 既に、100年以上も経っている。 勿論、この頃は夜叉神トンネルや、南アスーパー林道なんてものは存在もしなかった頃の事であった。 一行は芦安村から鳳凰三山を越えて野呂川を徒渉ししながら、当時の芦安村長・名取氏らの協力を得てキャラバン部隊を結成し、登山には10日間もの歳月を要したという。尤も、ウェストン氏が北アの穂高に入って穂高岳を登頂したのは更に5年前のことで、勿論、この当時は上高地などは拓けておらず、(上高地が今の姿になったのは、大正期に焼岳が噴火を起こし大正池を造った)道程としては松本から島々~徳本峠~明神~穂高であった。 上高地、穂高へ入るには、徳本峠(とくごうとうげ、2135m)という前衛の急峻な山塊を越えなければならなかったのである。序ながら・・、旧年の岳人さん、山屋さんなら御承知であろうが、上高地に入るには釜トンネルという名物の山岳トンネルがあった。 何かと物議をかもした名物・釜トンも、地元の要人が片側だけの車の通行では不便であるとして、2005年新釜トンネルが完成した。言えることは、このトンネルは上高地だけの行き止まりであった。 大衆の人々の生活、利便性においては全く無関係であり、ただ、観光目的以外には考えられないのである。無論、上高地も年間を通じて一般車の乗り入れは禁止である。そもそも何のための一般車両通行全面乗り入れ禁止なのだろうか・・?。新トンネルは、事実、観光バス・タクシーの専用道路であり、その背景には観光客の大集団を招き入れ、当地で営業を営む業者の生活の利便を一層豊かにする事だけが本来の目的になってしまったのである。 つまり、新トンネルは上高地景観保護には無縁で、観光業・観光客保護のためではあるまいかともいわれているのである。近年は上高地の風物や原風景を保存する事よりも、観光業者に便宜をはかり、誘致した観光客を手厚く保護し、尚一層、増員を計るという、真の目的が見隠れしているのである。自然を守り、自然と共存するということは、自分に厳しく自然に優しい付き合い方が大切なのだと「竹沢長衛」氏は言っていた。又、現在の南アルプスや上高地をウェストンが見たとしたら、どう感じるのだろうか。尚、林道バス運行関係者によると・・、南アルプスの豊かな自然環境を維持していくためとして、マイカー規制で入山する人から「マイカー規制実施経費」の一部を負担するらしい。(1人 片道 100円)協力金はマイカー規制が円滑に行われるよう、ゲート管理や乗換駐車場の管理などに充てるらしい。即ち、バスの通行費用の他に管理料金が必要になる。利用者協力金は、南アルプスの自然環境の維持を目的としていることから、マイカー規制区間を通行される全ての人に協力を依頼しているという。無論、歩行者や駅等からバスを利用してきた客も同様らしい。次回、「南アルプスを自然遺産に・・!?」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」.
2011.12.25
.今何時・・?、時間は大和美人が知らせるよ。クリックすると各都道府県の時計美人と1分間の恋ができます。クリック=時計美人 美人時計 ; http://www.google.com/ig 南ア・仙丈ヶ岳紀行(66) 「寸考;南アルプスの林道」 .序ながら、北沢峠と南アルプス林道いついてチョコット述べてみたい。 山梨県南アルプス市と長野県伊那市の境界にある南アルプスの峠一つで、南アルプス北部に位置する甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳などへの登山拠点としての主要地である。北沢峠(2032メートル)そのものは、シラビソやコメツガの原生林などに囲まれて、視界、展望は全く利かない。 左右から甲斐駒ケ岳へ通じる双児山からと仙丈ケ岳へ通じる小仙丈の急峻な尾根がぶつかり合う谷間に当る。元より、昭和初期以前までは人跡未踏、手つかずの大原生林であった。 この峠を開いたのが、かの竹沢長衛氏であった。 しかし、信州・伊那側である戸台からは比較的容易に入ることが出来たが、甲州側からでは余りにも深い山域であった。夜叉神トンネルが開通し、野呂川林道が開通して広河原が開けても尚、北沢峠は奥山に一角であった。 野呂川出会いから南アルプス林道の開削工事が始まって、漸く北沢峠は日の目を見るのである。 それは昭和の中期になってからのことであった。そして、北沢峠が脚光を浴びたのは昭和40年頃からであった。自然保護団体の反対を押し切って山梨県は広河原から北沢峠まで野呂川に沿って林道を開削し自動車通行可能道路を造り、昭和56年に遂に信州と甲州が車道として繋がったのである。この区間の林道は甲州側では「南アルプス林道」、信州側では「南アルプススーパー林道」と称している。 もっともこの区間は当初から自家用車を締め出し、代わりに地元専用のマイクロバスを登山者の足として有料での共用であった。林道であるから当然ながら治山治水、林業の振興が主目的であるから、それらに関係する伐採、造林や奥山の河川工事などの作業を行うものと思われがちであるが、実はそれらに関する車両の通行を一度も見たものはいないという。 事実、双方の営林署も営林活動はしてはいないようだ。又、通商道路、生活道路としては全く用を成していない。 信州・伊那方面から諏訪、甲府までは幹線道路や高速道路で短時間で往来することが出来るからである。 つまり、建設当時から大義名分で営林事業しかないはずであるが、結果としては主目的は全く達していないようで疑わしい林道開発であった。標高の高い場所の樹林は、一度伐採すると何百年も経過しないと蘇生しないそうである。又、伐採された道路部分は保水力が失われて崩壊しがちなことは当然で、次に必要なのが造ったものを保全管理するというアフターケアが必然で、その補修工事にも莫大な費用がかかるであろう。現在の林道利用は、季節によって両方の入口、始点に厳重な鉄柵のガードと監視員が目を光らせて、自動車はおろか自転車の進入も許さない。 許可できるのは地元の専用マイクロバスのみで、登山者や観光客を満載して峠まで運んでいる。つまり、南アルプス林道は地元バスの専用道路で、観光客が歩かずに達してしまう俗人が闊歩する「俗地」となってしまったのである。 つまり、南アルプスの大原生林の北沢峠は観光地化してしまったのである。昨今の旅行代理店の国内旅行案内を見ると、何と北沢峠への観光コースが出ていて、東京などを基点とする日帰り旅行の案内まであったそうだ。引き続き、「南アルプス林道」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.12.25

.今何時・・?、時間は大和美人が知らせるよ。クリックすると各都道府県の時計美人と1分間の恋ができます。クリック=時計美人 美人時計 ; http://www.google.com/ig 南ア・仙丈ヶ岳紀行(65) 「甲州・広河原」 .広河原概略広河原付近より望む紅葉と北岳 広河原は野呂川と大樺沢合流点に位置し、文字通り広い河原を有する。山深い山峡の地としては珍しくサッパリと開けた地である。南アルプスの北部、北岳(3192m)や白峰三山(北岳、間の岳、農鳥岳)などの登山の拠点となっている。特に、北岳の山頂直下にある北岳バットレスと呼ばれる、大岩壁が圧倒的な迫力をもって真近に観られる。南アルプス最奥の集落・芦安からバスに乗り、南アルプス林道を経て、夜叉神トンネルを抜けると野呂川が作り出したV字谷の深い谷で、紅葉の名所でもある白鳳渓谷を経て広河原に到る。雰囲気はやや劣るが、「南アルプスの上高地」と呼ぶ人もいるほどである。尚、夜叉神トンネルを抜け広河原の間の崩れ落ちる白鳳渓谷の大岩壁は、糸魚川(いといがわ)-静岡構造線が通っている地域で、破砕帯といわれるような脆い岩肌が露呈しているところで、もろい岩質は時折、崩壊がおき南アルプ林道は通行止めになることも多い。 「白鳳渓谷」とは白峰三山と鳳凰三山(ほうおうさんざん)の間に横たわる巨大な渓谷から名付けられている。広河原には北沢峠行きのバス発着所や山の宿舎・広河原山荘もあり、近年、登山安全指導センターや売店が併設されていて、「南アルプスアルペンプラザ」も建てられている。尚、現在では広河原は7月~10月の全期間においてマイカー規制が行われ、この期間は南アルプス林道を利用して専用バスで芦安(駐車スペース 600台)から広河原へ(身延方面からは奈良田から広河原)、更に、公営のマイクロバスに乗り換えて北沢峠へ向かうことになる。次回、「寸考;南アルプススーパー林道」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.12.25
,今何時・・?、時間は大和美人が知らせるよ。クリックすると各都道府県の時計美人と1分間の恋ができます。クリック=時計美人 美人時計 ; http://www.google.com/ig 南ア・仙丈ヶ岳紀行(64) 「甲州・南アルプス林道」(3) .峠を出発して以来、無論、人の気配、出会いは全くない。 数ある山歩きで、これほど人恋しく感じたこともなかっただろう。 車道なのに車の気配どころか、路面に轍(わだち)なども全く無い。 放置され、忘れ去られた状態の名ばかり(・・?)の林道は以降どうなるのか、逆に思案するほどである。 3000m峰を一登りせいもあってか、体調もいよいよ疲労の極に達しているらしく、ザックは肩食い込み、身体はロヘロに、脚はガクガクと不調を訴えつつあるようだ。 山岳の道のように急な下り勾配はないものの、緩やかな長い下りの連続は結構、脚部に負担がくるもので、このことは何度も経験済みであったが、それにしても・・?!。秋の陽は何とかというように、早い・・!、夕刻限には未だ早いが、両山塊が迫ってきている深い谷間のため、既に太陽は山陰げに落ちてしまっている。 従って、尚一層うら寂しく感じてしまうのかもしれない。それでも、遥か下方に開けた場所が薄ぼんやり見え隠れしてきた。 きっと広河原に違いなかろうが、まだ、かなりの遠方彼方にもみえるが、やっと目標のものが見え出してきて一安心である。大きて深い枝沢である「三好沢」というのを渡りきって、両側絶壁の林道を暫く進んだところで、名前の通りの「広河原」が遂にはっきりした姿を現した。 げんきんなもんで途端に力が湧いてくるのを覚える。すると二人連れに人物がこちらへ向かって、ユックリではあるが登ってくるようである。 挨拶もそこそこですれ違ったが、熟年の夫婦連れでシーズンの紅葉でも観に来たのだろう。思えば、峠からしばらくはシラビソ、栂やハリモミなどの針葉樹が主体であったが、下るに従って落葉前の広葉樹が彩を添えるように成ってきていた。 そんな中ではあったが、小生には紅葉を愛でるほどの余裕はなかったようだ。 確かに広河原周辺は黄色や赤が入り混じった丁度良い時節を迎えていたのである。そして、体調ややゲンナリしながらも、どうにか待望の広河原に達した。その名の通り野呂川の広い河原に開けた登山基地で、主に北岳や白峰三山のベースになっている。 数年前、この地をベースとして北岳を踏破した記憶がよみがえる。 それにしても南アルプスの上高地といわれる程の広河原であるが、未だ上高地には及ぶべきもない。17時の最終便には十分、間にあうので、体のクールダウンのつもりで周辺を散策する。北岳をやり終えたであろう連中が既に十数人たむろしていて、夫々に談笑している。 しかし、仙丈ヶ岳を登ってきたのは小生のみではなかろうか・・?!。次回、「甲州・広河原」 【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.12.24
. 今何時・・?、時間は大和美人が知らせるよ。クリックすると各都道府県の時計美人と1分間の恋ができます。クリック=時計美人 美人時計 ; http://www.google.com/ig 南ア・仙丈ヶ岳紀行(63) 「甲州・南アルプス林道」(2) .先にも記したが、本来の南アルプス林道(当初はスーパー林道と言った)は芦安村と上伊那郡長谷村を結ぶ全長58キロメートルの長大なる林道である。ただ甲州側では、1952年(昭和27年)に着工されて以来、今でも広河原以降は道路として開削はされたが、未だ保全管理、通常の使用はされていないようである。おそらくは地形が急峻で、もろい地質のため、たびたび落石や土砂崩れが発生して保全が遅れているのかもしれない。それにしても雄大さは県内トップクラスの林道には違いないが、景色は山、山、山の連続であり何かを見通すといった景色は余りない。 とにかく山の大きさ、奥行きの深さは半端ではない林道であることは確かだ・・!。暫くの間、半ば夢中で歩を進めているうちに、二股の出合いに達した。案内板も標識もないため、どちらが広河原へ向かう道なのか全く不明である。サアー困った・・!! 。地図を確かめ地形を探りながら、ある程度の確信をもって左手へ進むことにした。そこにはコンクリートのしっかりした橋が架けられていて、暫くして、ここが野呂川の出合であることが確認できた。 即ち、今度は野呂川の左側を進む様になり、行く先は目的の「広河原」であることは確かなようだ。 山の様相というか、野呂川谷の様子も以前よりも増して、一段と険悪になってきたようだ。左に迫る山塊は急斜面で圧倒的にせり出し、そして右側の山域も褶曲を繰り替えし、一部は陰惨な大絶壁となって峡谷へ落ち込んでいる。その野呂川の大峡谷は千尋(せんじん)のごとく切れ落ちていて、恐ろしいほどの、いよいよ深い谷底を覗かせている。その切り立った尾根と谷の側面に、頼りなげに一線の道筋がただひたすら延びている。その道は巨大な派生山塊、小さな派生尾根、その度に野呂川に落ちる大小の枝谷のために大曲、小曲がりを繰り返し、同じ風景の繰り返しで陰惨な風景は変哲がない。 一介の人間など、この大原生の自然に押しつぶさんばかりである・・!! 。 しかし、これらの人間がこの圧倒的な山容を切り崩して、一筋の道を強引に突けたのであった。 その道を今、トボトボと自らの巣へ戻ろうと必死の辿って入りのである。人間とはかってなもんで、今さっき享受を得るためにこの奥深い山中に分け入ったのに、今はただ、それらの南アルプスの圧倒的山域に、耐え難いほどの恐れをなしているのである。引き続き、「甲州・南アルプス林道」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.12.24
.今何時・・?、時間は大和美人が知らせるよ。クリックすると各都道府県の時計美人と1分間の恋ができます。クリック=時計美人 美人時計 ; http://www.google.com/ig 南ア・仙丈ヶ岳紀行(62) 「甲州・南アルプス林道」 .さて、いよいよ国境(県境)を跨いで甲州側の南アルプス林道を向かうことになる。手元の登山地図を見ても南アルプス林道としての表記は無く、まして登山路としての明示もされてないので、所要時間などは全く不明である。地図上で概ね計ってみると凡そ10kmはあろうかと思われ、3000m峰をやり抜いて疲れた身体だと3時間程度もかかろうか・・??。昨日訪ねた「北沢長衛山荘」の入口辺りまでは人の姿があって、気持ちも安らか穏やかであったが、こちらを過ぎると様子が一変する。南アルプスの真っ只中、大原生林の中に一人取り残されたような、何かに追われているような妙な錯覚におちいる。林道は確かに車が通れる、或るいわすれ違いができる程度の幅はあるが、沢水の流れに抉られて(えぐられる)いたり、小石大石が道の中ほどまで落ちていて、このままではとてもじゃないが車なぞは通れはしない。今のところ、チョット荒れ放題の南アルプス林道で、熊でも出てきたら「ヤバイ」な思うほどである。両サイドはV字峡谷の山肌が迫ってきていて、何か圧倒的な威圧感を覚えるのである。 右側面は昨日、一昨日削り取ったような岩肌がむき出しになっていて、崩落しそうな危なっかしいところもある。 又、左手は北沢の沢は切れ落ちていて、遥か下方からの沢音が、何故か物悲しげに聞こえてくる。何しろ、頭上には甲斐駒ケ岳から派生していて鳳凰山(鳳凰三山)に連なる2500メートル以上の早川尾根(栗沢山、アサヨ峰、早川尾根の頭、赤薙沢の頭、高嶺)が被さってきているのである。普通の山道と違って、どうも前向きな気持ちになれず、急ぎ足でドンドン下る。幸い道が崩落している厄介なところはなく、しかもさすがに林道でゴロ石なども無く歩きやすいのは何よりであった。それにしてもこのような南アルプスの山奥に、よくぞこのような道をこしらえたものよと、逆説的に感心する次第である。 思えば、昨日登ってきた伊那側の林道(南アルプススーパー林道)も峠まで達していて、しかも向こう側は既に車が実際に峠まで入ってきていた。 こちら甲州側の林道は車道らしきものは付いているが保全管理が行き届いてなく、当然ながら車などの通行、運営はされていないようだ。元より、ここには細々ながら登山道はあったらしい。北岳の西寄りの野呂川の源流部である両俣(左俣、右俣の合流点)から点線登山路として記載されている。 但し、広河原からの登山道は拓かれていない。ただ赤線の点線登山路とは、管理が行き届かなかったり危険が多い。所謂、ハイグレ-ドなコ-スと言われていて、山あいなら極端な岩場や危険なルート、谷筋では渡渉や沢登りなどのハードな難コースで、とても一般向きではないルートである。次回も、「甲州・南アルプス林道」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.12.24

.今何時・・?、時間は大和美人が知らせるよ。クリックすると各都道府県の時計美人と1分間の恋ができます。クリック=時計美人 美人時計 ; http://www.google.com/ig 南ア・仙丈ヶ岳紀行(61) 「再び北沢峠」 .二合目から北沢長衛小屋(現、駒仙小屋)への分岐北沢長衛小屋(現、駒仙小屋)からの仙丈ヶ岳への近道甲州・広河原方面への北沢峠林道さて、五合目の「大滝ノ頭」で火照った脚部を冷やし、気持ちも落ち着いたところで腰をあげて再び出発である。大滝ノ頭分岐を過ぎチョッと緩やかな道から、ウネウネ道をひたすら下る。 相変わらず急降下するような登山道である。 しかも大石を山道にわざと置いたような(じつはそうではなく、樹木に隠れて見えないが山全体がそうなのである)ゴロ石が連続していて、脚を取られやしないかと案じながら慎重に降らなければならない。思えば、この辺り登りの際にも些かうんざりした道であった。間もなく四合目を通過する。 歩き難い岩ゴロの急坂は相変わらずであり、弱点である左足の膝っかぶが熱くなってくるのを覚える。そして、どうにか明るく見通しの良い三合目までやってきた。 ここで再び脚部を休ませるための小休憩を取り喉を潤した。ここは右側に展望が開けていて、やや遠くなった感じであるが、懐かしい北岳が望めた。 勿論、登るときには霧が覆っていて望むべきもなかったが、これが最後の見納めかも知れない。その後、勾配も緩やかになり、二合目に到って北沢峠への二方向分岐の登山道に合流する。ここでは北沢長衛小屋(現、駒仙小屋)方面への近道を通りたいけど、これから向かう長丁場の南アルプススーパー林道を広河原まで向かうので、その道中を考え甘味飲料(ジュース類)を調達するために長衛荘へ下ることにした。後は一気呵成に峠へ向かって駆け下りる。お疲れさんの、ご苦労さん・・!、 といいたいところだが、この後、広河原まで長い長い林道が待っているのである。長衛荘でお目当ての「ジュース」を購入して、チョッと腹ごしらえをしてから、甲州・甲斐の国を目指して出発である。次回、「甲州・南アルプス林道」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」
2011.12.23

.今何時・・?、時間は大和美人が知らせるよ。クリックすると各都道府県の時計美人と1分間の恋ができます。クリック=時計美人 美人時計 ; http://www.google.com/ig 南ア・仙丈ヶ岳紀行(60) 「籔沢の頭と大滝」 .五合目の「籔沢大滝の頭」の分岐籔沢本沢にある「籔沢大滝」(伊那市)仙丈ヶ岳山頂凡そ約1時間少々で、懐かしの五合目の大滝ノ頭に到着した。 無論、馬の背、籔沢方面からの合流点でもある。ここで、ザックを下ろして大休憩をとる。数人の登山者も一息いれているようで、何れも、これから仙丈ヶ岳へ向かう人達らしい。分岐になっている所でもあり、或る女性のグループが地図を広げて指を指しながら、どちら方面に向かうか思案している様子でもある。下ってきた小生を見て、「上のほうは如何でしたか・・?」と尋ねてきた。「私は朝一番から登り始めたんですけど、霧が立ち込めて見通しが悪かったんで、ここから右手の籔沢経由、馬の背から頂上へ行きました。 馬の背過ぎた辺りから天候が回復し霧も晴れて見通しも展望も良くなりました」「実は私たち、どちらへ行こうか迷っているんですけど、如何ですか・・?」「そうですね、今からだと小仙丈方面が宜しいでしょう。 この先、チョット傾斜がきついですけど30分も登れば視界が開けてきます。 こちらがお勧めですね」 と、キッパリと稜線コースを示してやった。彼女たちも、安心したように意を決したようである。ところで、此方は「籔沢大滝の頭」であるから、籔沢大滝そのものがあるはずである。有りました・・! 、この地より北方の籔沢の支流、登山道では太平山荘から1500メートルぐらいのところ、籔沢への合流点の近くにあって展望台もあるらしい。豪快な大滝は落差70mの三段の滝であり、伊那市の名所にもなっているらしい・・?。 ただ、残念ながら現在は道中が崩壊激しく通行が出来ないという。次回、「再び北沢峠」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.12.22

.今何時・・?、時間は大和美人が知らせるよ。クリックすると各都道府県の時計美人と1分間の恋ができます。クリック=時計美人 美人時計 ; http://www.google.com/ig 南ア・仙丈ヶ岳紀行(59) 「自己流下山法」 .シラビソ林の急坂チョットしたスリリングな岩稜地帯を抜けると、再び、岩礫を敷き詰めたような樹林帯の中を下る。潅木帯の中に入り急斜面をどんどん下っていく。下りは登りとは異なって、足元を充分に気をつけながら、力を抜いてリズミカルに歩を進めるのがコツである。山歩き、山登りは勿論「上り」が苦しい。 だが、長丁場の急な「下り」は耐えがたいほど辛いと云う人も多い。ここで、降りの際に留意すべき点を、小生の独断で記しておく。『 降り編 』1、走らない、跳ねない、急がない2、リズミカルに3、有ればステッキを上手に利用する4、両手は必ず空けておく(物を持たない・ステッキは除く)5、小幅、小股(左右の膝を並べる感じで)6、登りとは逆に、軟らかく着地(カカトより着地、体重を抜く感じ)7、浮石、根っこ、枯葉など足の取られに注意・・!!8、濡れ靴、濡れ石、濡れ根っこ注意(滑り注意)9、急斜面は避ける(有れば出来るだけ迂回路を取る)10、きき足の反対の脚(弱脚、通常左脚)をカバーしながら11、膝が笑いだしたら(ガクガク)注意する(ゆっくりと)12、膝関節が痛みだしたらステッキを利用(出来れば両手:棒切れでもよい)などなど、重心はできるだけ爪先に掛け、膝を伸ばしきらないように、要は脚を取られて転ばないように注意しなくてはならない。足元に充分気を配りながらであるが、下りながらも木々の合間から周辺景色が見え隠れする。既にシラビソ主体の樹林になってきて、今度は林の木陰からゴツゴツした山頂の甲斐駒ヶ岳や鋸岳が見え隠れしている。 それにしても、意外と雰囲気の良い登山道である。 だが、次第に降下するに従って樹林帯が密生してきて見通しの悪い、やや薄暗い登山道に変わってきている。次回、「籔沢の頭と大滝」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.12.21

.今何時・・?、時間は大和美人が知らせるよ。クリックすると各都道府県の時計美人と1分間の恋ができます。クリック=時計美人 美人時計 ; http://www.google.com/ig 南ア・仙丈ヶ岳紀行(58) 「小仙丈からの下山」 .山頂より下山コースの小仙丈尾根さて、仙丈ヶ岳からの下山である。小仙丈ヶ岳へのチョッとやせた砂礫の尾根稜線をたどることになる。山頂直下に籔沢カールから仙丈小屋へ至る分岐を過ぎると、稜線は小仙丈ヶ岳カールと籔沢カールの両側が切れ落ちている細い尾根を下ることになる。この痩せ尾根は氷河の侵食で削られた氷食山稜(アレート;山稜、特に痩尾根)の名残でもあるらしい。 「アレート」とは、両側の斜面が急峻な尾根のことをいい、登山用語では「痩せ尾根」とも言う。これにはいろいろな呼び方があり、鎌尾根(槍ヶ岳北尾根)、馬の背(仙丈ヶ岳)、剣の刃渡り(信州・戸隠山)、金冷やし(丹沢。大倉尾根)などと呼ばれる場合がある。アレート(仏: ar?te)のほかにグラート(独: grat)、リッジ(英: ridge)などとも呼ぶ場合もある。氷河の作用(氷食作用)によって作られた痩せ尾根は、日本では特にアレートと呼ばれる場合が多く、氷食によるアレートは氷河の流下が進行していくことで峰の両側からカールが拡大してできる。痩せ尾根が形成されて中でも特に急なものは、ナイフエッジ(英: knife edge;ナイフリッジ)とも呼ばれる因みに、小仙丈の尾根道は砂岩や泥岩からなっていて、中には浮石などもあり足をすくわれて危なっかしいところもある。 実は、砂礫や岩礫は氷河が消えた後に風化と侵食をうけザラザラ、ガラガラになったもので、特に、カール周辺の山肌にはこの傾向があるといわれる。 今では殆どがハイマツや標高の高い植物等に覆われてしまってすでにその荒々しさは姿を隠しているとか。とにかく所々に赤茶けた山肌が見えるほかは、全てが青い緑のジュータン(多種な高山植物も含んでいるのだろうが、目に見える殆どは這い松である)に覆われていて、それが果てしなく広がっている。小仙丈ヶ岳の稜線を行く雲上の散歩も、概ね、そのピークで終わりをつげる。その小仙丈山頂で最後の展望を楽しむ。 北方向を望べば、巨大な文字通りの馬ノ背尾根がうねっていて、その中腹にチンマリと馬ノ背ヒュツテが見えていた。無論、真正面には甲斐駒ケ岳の大迫力がいよいよ眼前に迫ってくる。 特に山頂より正面に派生している駒津峰や双児山、右手に鋭く切れ落ちている仙水谷との凸凹が何とも見ごたえがある。 それにしても双児山と北沢峠の間の傾斜、落差は相当なものだと改めて認識させられる。 尤も、登降に関しては峠から甲斐駒ケ岳への登りには仙水谷、仙水峠を経て駒津峰から甲斐駒本峰をやり、下りに双児山から北沢峠へ降りるのが一般的らしい。次回、「自己流・山での下降法」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.12.20
.今何時・・?、時間は大和美人が知らせるよ。クリックすると各都道府県の時計美人と1分間の恋ができます。クリック=時計美人 美人時計 ; http://www.google.com/ig 南ア・仙丈ヶ岳紀行(57) 「ノスタルジック甲斐駒ケ岳」(2) .甲斐駒ヶ岳の開山甲斐駒ヶ岳が山岳霊場(駒ヶ嶽神社)として開かれたのは何時ごろのことかは定かでないが、横手の駒ヶ嶽神社は駒ヶ岳山頂を本宮とし、その前宮であるという。 由緒によれば 、「神の代に建御名方命(諏訪大社の主神)がこの地に至りし時、雄大にして崇高な山の姿にうたれ、『この山はいと高く清すがすが々しき地なり、かれここに吾あが御親の神を祭るべし』と云うに始まる」として、改めて建御名方の父である大己貴命(大国主命)を出雲より遷宮したという。また、「白鳳年間(六七三)役の行者・小角(おずね)が当山にて仙術を修め、富士山とともに当山を開闢(かいびゃく)したと伝えられている」 とも記す。駒ヶ嶽神社は江戸時代には駒ヶ嶽権現とも称し、神仏習合の地であった。 『甲斐国志』には、山頂に駒形権現・馬頭観音、そして摩利支天が祀られていたことも記している。山上のよく目立つ大きな分嶺を摩利支天と呼ぶのはそのためである。なお、尾白川の渓谷に沿う千ヶ尻にも、竹宇の駒ヶ嶽神社前宮がある。当時の甲斐側の登拝路は、山麓の横手駒ヶ嶽神社前宮から入る黒戸登山道と、竹宇駒ヶ嶽神社前宮から入る尾白川登山道の二筋があった。 尾白川登山道は、渓谷に沿って登り、千丈ノ滝の下流で左手の急坂を辿って、五合目の屏風岩のところで黒戸登山道と合流する。 そこから屏風岩の岩場を経て七合目の七丈小屋に達し、2日目は八合目で朝日を拝して山頂の本宮に到達するように開かれていた。現在もこの登山道は、甲斐駒登山のメインルートとして登山者に利用されている。勿論、信州側の北沢峠から登る人も多い。かつては飯田線の伊那北駅からバスを利用して戸台口まで揺られ、戸台河原から長い距離を歩いて北沢峠へ達し、それから入山することが出来る。 今は、(昭和50年後半以降)南アルプススーパー林道が開発されて北沢峠までバスで入ることができ、より一層入山が容易になっている。 次回、「仙丈ヶ岳下山道」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.12.18

.今何時・・?、時間は大和美人が知らせるよ。クリックすると各都道府県の時計美人と1分間の恋ができます。クリック=時計美人 美人時計 ; http://www.google.com/ig 南ア・仙丈紀行(56) 「ノスタルジック甲斐駒ケ岳」 .山梨側から望む甲斐駒ケ岳(フリー画像2枚)古くから信仰の山として栄え、山道には祠や石碑、不動尊、仏像などが置かれている【ノスタルジックの甲斐駒ヶ岳】 ,登山に夢中になっていた昭和30後半から50年代、どれほど中央線の列車に乗っただろうか。新宿発23時45分や23時55分の鈍行の夜行列車に乗ることが多く、列車はいつも登山者やハイカーが列を成して溢れていた。その後、国鉄がJRになり特急など増便されるに及んで、夜行列車は殆ど廃止されてしまったようだが。昼間の中央線を利用するのは極わずかであったが、沿線には奥秩父の国師岳、甲武信岳、南アルプスの北岳・仙丈岳・それに鳳凰三山・八ヶ岳・槍や穂高、後立山連峰の北アルプス、それに木曾谷、伊那谷のアルプス群と、軒並み著名な山塊が次から次と現れる。 全てが懐かしい山群であった。その中に、甲府を過ぎたあたりから、左手の車窓に甲斐駒ケ岳が堂々たる白い山容を見せ始め、その勇姿が目前に迫ってくる。 甲斐駒ヶ岳は何時もその度に気になる山であった。しかし、30年ちかくも色んな山を彷徨した小生も、今は70歳を越えてしまった。 その間、何故か、どうしてか「甲斐駒ヶ岳」だけは登る機会を失ってしまったのである。果たして、この後、あの岩稜険しき山のピークに立てるかどうかは、はなはだ疑問を生じてしまうのである。それにしても甲斐駒ケ岳は、名前からして甲斐の国を代表する山塊であることは一点の曇りもない。甲斐駒ヶ岳は標高2965メートルの堂々たる山容で、山梨県北巨摩郡と長野県上伊那郡の県境に位置している。 甲斐駒ヶ岳あるいは単に甲斐駒と呼ぶのは甲州側の名称で、信州の伊那地方では東駒ヶ岳(東駒)と呼ばれているらしい。 伊那には何といっても頭上に中央アルプスの木曾駒ヶ岳(西駒;標高2956m)という、これまた名峰が君臨しているのだ。それにしても、これほど甲斐の地域に密着していて、そのものずばりの山名も珍しいのではないか・・?。甲斐駒ヶ岳は、その名の通り甲斐の駒、名馬からきた名称であろう。 周知の如く駒ケ岳という山名は全国に数多い。 何れも、駒すなわち馬にちなむ山名であり、山の形が馬に似ている、残雪による山肌の模様が馬に似ている、山麓に古代の牧があったことによる馬にまつわる伝説がある、などを由来とするものが多いが、甲斐駒ケ岳はそれだけでは留まらない。駒は高麗(こうらい、こま、高句麗のことで、古代の朝鮮王朝)に通じ、山麓に古代朝鮮からの渡来系氏族が住んだこともあるらしく、山上、山中には渡来系の神や半島の高句麗や新羅(何れも古代の朝鮮王朝)などからもたらされた仏像や石碑が祀られたケースもあったらしい。黒駒伝説と高麗人の里である甲斐国は古くから名馬の産地として知られていた。古くは大和朝廷の時代に諸国の牧馬から馬が供給されていたが、特に甲斐国造(古代の地方国の名前)が貢上する馬は、「甲斐の黒駒」と呼ばれ、国内では代表的な名馬であった。北杜市白州町から武川町にかけての一帯には、平安時代の頃には大きな牧場(まきば)が数箇所があって、毎年朝廷に30頭以上の野馬を献じていたという記録もある。 現在も牧原などの字が残る。次回も回想の甲斐駒ケ岳続きます。【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」
2011.12.16

.今何時・・?、時間は大和美人が知らせるよ。クリックすると各都道府県の時計美人と1分間の恋ができます。クリック=時計美人 美人時計 ; http://www.google.com/ig 南ア・仙丈紀行(55) 「東駒ケ岳」 .小仙丈尾根より甲斐駒と鋸岳順調な雲上散歩であるが数箇所、慎重を要する岩場もあったが、難なく通過する。振り返ると、藪沢カールと小仙丈カールに突き上げられた仙丈ヶ岳山頂も指呼の間に望め、あらためてその壮大さ、大迫力に感服つかまつった次第である。又、特筆しなければならいのに、ついつい後回しになってしまったが、山頂からの眺めも秀逸であったが、道々、右手には国内第2峰・北岳(3092m)が野呂川源流部の大峡谷から突き上げていて、そのピラミダルな姿が視界から離れない。 数年前の同時期、同僚と登攀を済ましているので、懐かしさも込めてシミジミ見入っている次第である。そして、真正面には鋸の連山とその右端に淡白く輝く「甲斐駒ケ岳」、そして、甲斐駒の連なる早川尾根の栗沢山やアサヨ峰も大きい。尤も、こちら信州側では、戸台河原の入口標識にもあったように甲斐駒ケ岳を「東駒ケ岳」と称しているようである。右端には鳳凰三山(地蔵岳;2,764m、 観音岳:2,840m、 薬師ヶ岳:2,780m)の姿も良い。 この山塊は1970年5月に地蔵岳から夜叉神峠まで縦走しているので、特に懐かしく思い出される。 特徴的なのが地蔵岳頂上に屹立するオベリスク(高く長い直立した石柱)で、何処から見ても分り易い。 しかし、何といっても巌と聳える甲斐駒の特異な姿である。本峰頂のすぐ横、又は直下に「摩利支天」という巨大な山塊、岩山が迫出していることであろう。 岩山は標高約2,820メートルで、方位的には南東方にあり、仙水峠からは真正面に見える。 山頂には護身や勝利を司る女神・摩利支天がまつられている。石碑やほこら、摩利支天像、鉄剣などが奉納され、所狭しと林立しているという。摩利支天へは一般の登山道はないが、甲斐駒ケ岳の登山道から岩場を下り、鞍部(コル)に出ると、山頂に行く踏み跡がある。 ただ、鞍部までの下りが危険とされる。因みに、「摩利支天」は仏教の守護神の一神とされ、陽炎(かげろう)を神格化したもので太陽や月の光線を意味するという。 即ち、陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かず、隠形の身で自在の通力を有すとされ、これらの特性から、日本では武士の間に摩利支天信仰があったとされる。日本で中世以降信仰を集めたようで、楠木正成は兜の中に摩利支天の小像を篭めていたという。 又、毛利元就、山本勘助(地元、甲斐・武田信玄の伝説的軍師)、前田利家といった武将も摩利支天を信仰していたと伝えられている。日本の山岳信仰の対象となった山のうちの一峰が摩利支天と呼ばれている場合があり、その実例として、木曽御嶽山(摩利支天山)、乗鞍岳(摩利支天岳)、そして甲斐駒ヶ岳があげられる。次回、その本峰・駒ケ岳について一筆【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.12.15

.今何時・・?、時間は大和美人が知らせるよ。クリックすると各都道府県の時計美人と1分間の恋ができます。クリック=時計美人 美人時計 ; http://www.google.com/ig 南ア・仙丈ヶ岳紀行(54) 「仙丈ヶ岳より下山」 .小仙丈尾根からの仙丈小屋への分岐標識小仙丈尾根の右手に広がる小仙丈カール北岳と富士小仙丈尾根とウラシマツツジ紅葉ウラシマツツジいつまでも視界を全開放して黙して座っていたい山頂だが、さすがに時間の都合もあるので、30分ほどで腰を上げて下山開始する。帰りはお天気もほぼ回復したことだし、従って当初考えたいた通りの見晴らしのいい小仙丈ヶ岳の尾根道を下り、懐かしの五合目の大滝の頭コースへ復帰してから北沢峠へ戻ることにする。更に、この後は甲州側の南アルプススーパー林道から野呂川出合、そして広川原へ至るルートを下山することにした。間もなく稜線上にある仙丈小屋へ至る分岐を通過する。先程は小屋から右手方向に山頂を目指したが、こちらは丁度反対側のルート(小仙丈ルート)に相当する。頂上からの下山の途、辺りをベールのように包み込んでいたガスが、今度こそ完全に吹き飛んで、上空には白雲がたなびくノミの紺碧の青空になった。実は、この状態を待っていたのであり、実に爽快である。 小仙丈ヶ岳へはキバナシャクナゲが混ざった這い松の中の道を歩く。無論、既にして展望は極上である。白根三山(北岳、間の岳、農鳥岳)から甲斐駒ケ岳、鋸岳までの隣峰はもちろん、その向こうに八ヶ岳・奥秩父そして北岳のすぐ横に優雅な霊峰・富士山が仰ぎ見られる。目を転じれば雄大な伊那谷の向こうに中央アルプス、その右に次第に遠く御嶽・乗鞍・北アルプスの全連嶺、遥か白山までも見える。加えて、眼前にそびえる本峰への稜線とその東側を巨大にスプーンカットした小仙丈沢カールの眺めがまた雄大。カール斜面は這い松の緑に加えて、ナナカマドが紅葉の筆触が加わり一層見応えがする。さらに歩を進めると、驚いたことに藪沢カールの斜面は、濃い赤のウラシマツツジが所々、群生して紅葉に染められている。峠の長衛荘に同宿した人に教えられたところでは、今年はめったにない草紅葉の当たり年だそうだ。確かにダケカンバやナナカマドの低木帯ならともかく、這い松と高山植物だけの高嶺がこんなに鮮やかに染まるのは見たことがない。いい時に登ったものだと、いよいよ嬉しさ極まりなし。カールを真っ赤に染めるウラシマツツジは高山性で、通常山でよく見かける樹性のツツジとは異なり、地面すれすれ極端な這い性を伴いながら群生する。 どちかといえばコケモモを大柄にしたような特徴あるツツジである。 花は黄白色で釣鐘状の花をつけ、終わると8~9mmの果実をつける。 実は最初緑色だったものが、熟すにつれて赤色から黒色に変色する。 葉は縞網模様の文様が特徴で、秋に赤く紅葉する。 葉の表裏面のいちじるしい網目模様の特徴からウラシマ(裏縞)ツツジという。次回、「甲斐駒ケ岳について」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.12.14

.今何時・・?、時間は大和美人が知らせるよ。クリックすると各都道府県の時計美人と1分間の恋ができます。クリック=時計美人 美人時計 ; http://www.google.com/ig 南ア・仙丈ヶ岳紀行(53) 「千丈ヶ岳・・?」 .山頂岩場の影に、風雨に晒されてひっそりと置かれている仙丈ヶ岳(千丈ヶ岳)石碑仙丈ヶ岳はお花畑の華麗さもさることながら、男性的な巌の山容である甲斐駒ヶ岳に比べて、女性的ななだらかな山容から「南アルプスの女王」とも称される。女王は両脇に三女の小仙丈ヶ岳(2855m)と次女の大仙丈ヶ岳(2960m)を従えていて、さしずめ三姉妹といったところか。 それにしても、長女の仙を差し置いて次女の名前が大仙とは、これいかに・・?。勿論ながら仙丈ヶ岳は日本百名山、新日本百名山、花の百名山、新・花の百名山、山梨百名山に選定されている。「日本百名山」の深田久弥氏も仙丈ヶ岳のことを、『 私の好みで、日本アルプスで好きな山は北では「鹿島槍」、南では「仙丈」である。何よりその姿が良い。単純なピラミッドでもなければ鈍重な容量でもない。 その中で仙丈の美しさはその姿にあり、軽薄さや鈍重さが無く、スッキリとして品があり、 ちょっと見ては気づかないが、しばし眺めているうちに、その良さが分かってくるといった山である。』 と称賛している。地元の「古誌」等には「千丈ヶ岳」と記載されているらしく、「丈」とは長さの単位であり、「仙丈ヶ岳」という山名は、この山が高いことを比喩的に表したものとも言われている。1丈の長さは約3.0303mであり、従って、千丈は凡そ3030メートルになる。 又、仙丈ヶ岳の標高を丈を単位として表すと約1000.79丈となる。往時、いくら三角測量法を行ったとはいえ、ろくな測量技術も機器もなかったこの山が一千丈の高さを持つと断じた古人の検察には感服するほかない。因みに、丈(じょう)は、尺貫法における長さの単位である。1丈は10尺と定義されていて、日本では明治時代に1尺=(10/33)メートルと規定されたので、1丈は約3.03メートルとなる。丈は古代中国に由来するとされ、「丈」は長い棒を手に持った形をかたどったものであり、そこから身長、身の丈(みのたけ)を表すようになった。 「丈」は元々は成人男性の身長を基準とした身体尺であったとされる。( 「丈夫」は元々は身長1丈の男の意で、そこから一人前の男の意となったとする。 尤も、1丈ほどの大男は実際には存在しなく、近年のギネス記録でも2,47m:トルコの男性らしい ) 同じく長さの単位に間(けん。1間=6尺)があるが、間が土地の測量や距離の計測に用いられたのに対し、丈は物の長さや高さを計るのに用いられた。 単に丈(たけ)は、人や物の高さを示すともされる。 例えば「身の丈」また、1丈四方の面積のことを方丈(ほうじょう)と言い、その広さの部屋や建物の事も方丈と言った。仙丈ヶ岳の名称は、他に頂上部のカールの広さの千畳から転じたものであるとする説もある。山頂にはいかにも古そうな石仏や石標が半分壊れながら置かれていて、古くから登拝の山だったらしいことが判る。やはり3000m峰、千丈の山は古き時代、信仰の厚い古人達は放っておかなかったようだ。何でも、山頂から西へ延びる地蔵岳や地蔵尾根にも、所々に石仏や石碑が道標をかねて置かれていたらしく、中尾地区には「中尾講中」、「千丈行者」なるものも存在していたという。 中尾はこの地蔵尾根の末端にある集落の名、千丈行者はこの尾根から仙丈ヶ岳を開いた山岳行者ともいわれる。山名に因んだ思われる「千丈行者」の氏名や素性や成果に関する資料は現在のところ見当たらないが、千丈ヶ岳の山頂には多くの石仏が奉納されているところをみると、千丈登山講が組織され、信仰登山が行われたことは確かなようである。ただ、駒ヶ岳のように多くの行者や大衆信仰の霊山として隆盛した姿は見当たらず、しかも、山麓はじめとしてこの周辺地方に千丈ヶ岳の供養塔等は見られないらしく、この山の信仰が広く布教し発展することはなかったようだ。次回、 「下山」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.12.13

.今何時・・?、時間は大和美人が知らせるよ。クリックすると各都道府県の時計美人と1分間の恋ができます。クリック=時計美人 美人時計 ; http://www.google.com/ig 南ア・仙丈ヶ岳紀行(52) 「仙丈ヶ岳とお花畑」 .目の下の籔沢カールの底には仙丈小屋がチンマリと覗える。山頂より連なる尾根の両側の切れ間には、東側に小仙丈沢カール、北側に藪沢カール、南東側に大仙丈沢カールと三つのカール(圏谷)を擁し、山容そのものは比較的穏やかなように覗える。だが、西面の大仙丈沢カールは急峻に落ち込んでいて、こちらは沢登りや冬季の氷瀑登攀の対象となっているようである。ご存知だが、「仙丈ヶ岳」は高山植物の種類が非常に豊富な山としても知られている。 7月、山の稜線近くで雪解けが終わる頃、(籔沢カールの上部は万年雪の雪渓がのこることもある)それらの花々が一斉に咲きだし、その種類の多さにビックリするぐらいで登山の疲れを癒し大いに楽しませてくれる。 場所的には北沢峠からの藪沢新道(太平山荘から籔沢沿いの道)のうち、小屋からの樹林地帯を抜け藪沢左岸に渡ると、滝を清涼感を感じながら高度を上げてゆくと、登山道路脇にまず黄色のシナノキンバイに出会える。 その後、黄色、白色、紫色の花々が続く。 籔沢上部の馬の背ヒュッテの周りも黄色のお花畑があり、又、藪沢カールの仙丈小屋から仙丈ヶ岳頂上に向う道の両側にはキバナシャクナゲやハクサンチドリ、コイワカガミなどのお花畑が目を楽しませてくれる。 仙丈ヶ岳頂上から大仙丈ヶ岳へ向う尾根道は、余り人が入らない大変静かな道で、その周辺にも数々の高山植物が見られる穴場だとか。仙丈ヶ岳、登山道近くのお花畑仙丈ヶ岳に咲く代表的な高山植物の「お花」写真(wikiより)キバナシャクナゲシナノキンンバイハクサンイチゲチングルマコイワカガミチシマギキョウ最盛期にみられる主な花々では、黄色系ではキバナシャクナゲ・シナノキンンバイなど、白系ではハクサンイチゲ・チングルマなど、赤系ではコイワカガミなど、紫系ではチシマギキョウなどの花が、尾根・沢筋・カール内などに種類豊富に咲いている。高山植物は仙丈ケ岳周辺だけでも、一般の登山者が通常の登山道から見える花々だけでも、その種類百種類以上の花々が咲きほこるとも言われる。 ただ昨今では、鹿の食害の影響で大規模なお花畑というところは少なくなったらしいが、それでも馬の背ヒュッテのまわりはボランティアの手で鹿防止ネットが張られ、シナノキンバイなどのお花畑が復活しつつあるらしい。 ところで、高山植物はどうして高山のみに群生して咲くのであろうか・・?、名前の通り「高い山に咲く花たち」だが、かつて地球が氷河期であった時代に、平地に生育していたものが氷河期が去るとともに北へ、あるいは高山へと生育環境に見合った場所に移動したとされている。厳しい環境の変化に懸命に耐え、順応しながら人類の世代をはるかに越えて現在まで生き続けてきたのである。中には氷河期そのものの植物も数多くあり、地球史を研究する上で貴重な資料になっているともいわれる。北岳に因んで名前の付いたキタダケソウほか、世界中にここだけにしかないいくつかの固有種もあり、仙丈ヶ岳周辺は高山植物の宝庫として重要な山でもある。次回、「千丈ヶ岳・・?」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.12.12

.今何時・・?、時計は大和美人が表示、1分間の恋ができます。クリックすると都道府県の美人時計が1分ごとに変わります。クリック=時計美人 美人時計 ; http://www.google.com/ig 南ア・仙丈ヶ岳紀行(51) 「仙丈ヶ岳の尾根」 .北方向は馬の背尾根がうねる南へ派生する大仙丈と仙塩尾根山頂東より小仙丈尾根を望む西側へ延びる「地蔵尾根」頂上に立ったとき、初めて南側の眺めが開けた。巨大な稜線上が波のように畦って(うねって)彼方に延びているのが確認できた。そして、その稜線の一角に、ドーンとピラミッドのように鋭角を天に向けているのが、本峰第二の高峰・北岳である。数年前の同じ時期、あの頂に立ったのを記憶の底から甦ってきた。 あの時、白峰三山をヤルつもりであったが、小生の体調不良により断念して、ヤケになりながら「北岳に、来ただけか」と駄洒落たもんであった。そしてこの時、フッと思ったのが「北岳」という単純な名称であった。その「北岳」は、仙丈ヶ岳や甲斐駒ケ岳と違って全域が甲斐・甲州側にある。南アルプス連峰の北部にあり、その地域性から「北岳」という名称が付けられたかどうかは定かでないが、それにしても、どうも名前に厚みと風情が感じられないのである。仙丈ヶ岳(千丈ヶ岳)や甲斐駒ケ岳の堂々たる名称と比較すると、貧弱感を拭えないのである。モノの本(平家物語)によると「甲斐の白峰」と、れっきとした記載があるほど古くから知られた名山であり、昔からこの辺の山群全体を「白峰三山」と称していたのである。然らば、その中で一番北にあるからという理由で安直なネーミングをしたのか・・?、『白峰岳』と言うと、実にいい響きなのに。 そして、白峰三山の農鳥岳、そして、その間に位置するから「間ノ岳」というのは、一応納得なのであるが・・??。 別格の富士山を除くと、堂々たる本峰第一の高峰なのに、イヤーッ、実に安直で惜しい名前を付したもんである。この北岳の隣の遠大は尾根は、この仙丈ヶ岳のピークから派生しているため「仙塩尾根」とも称して、白峰三山の中ほどに位置する「間の岳」に接しながら、南アルプスの名峰・「塩見岳」へ連なっている。 その遠方は特徴的な鉄兜の塩見岳を先頭に荒川三山、赤石岳、聖岳など南アの中部、南部の3000m峰の揃い踏みが打ち重なっていて、南アルプスの重厚さを物語っている。特に、この仙丈ヶ岳眼前にはラクダのこぶのような「大仙丈ヶ岳」と銘打った鋭峰が迫る。 それにしても、足下の仙丈ヶ岳、それに下山道程に予定している小仙丈ヶ岳の名称は判るが、子ぶりで脇に控えながら「大仙丈ヶ岳」とは大仰な名前を付けたもんである。この大仙丈ケ岳(2960m)は北東の小仙丈ケ岳と対照され、大仙丈の「大」は「だい」と呼ぶ向きもあるが、これは小仙丈(こ・せんじょう)と対応し「おお・せんじょう」と呼ぶのが正しいようである。又、西に派生しているのが地蔵尾根で、仙丈ヶ岳が開けた当座よりの古来からの道が付いているらしく、山麓の中尾(現在は市野瀬)の部落に通じている。そして、小生がエッチラ、オッチラ登ってきたのが北側に派生する「馬の背尾根」であった。この仙丈ヶ岳は、山頂を中心にして4本の巨大な山稜が派生しているのが特徴でもあろう。 何とも贅沢な眺めである。 有難いことである。どっちを向いても素晴らしいので、どっちを向いて座ればいいか迷うほどである。【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」.
2011.12.10

.今何時・・?、時計は大和美人が表示、1分間の恋ができます。クリックすると都道府県の美人時計が1分ごとに変わります。クリック=時計美人 美人時計 ; http://www.google.com/ig 南ア・仙丈ヶ岳紀行(50) 「山頂に立つ・・!!」 .仙丈ヶ岳山頂山頂よりの方向標識遂に、我が頼りない二本の足で、この偉大なるピークに「立った」のである。1976年(昭和51年)10月10日、午前9時25分 であった。【人間が二本足で「立つ」ということ・・!! 】『 何よりも人間が自然の一つとして「立つ」ということは、常に一切の哀歓を治めた世界に対する一つの抵抗である。 人間をとりかこむ諸々の対象は、人間より遥かに安らぎ地の上に横たわっている。 名園の一つの大石を前にしたとき我々が感じるのは、それはもう大いなる安定感によって、心洗われるのである。 だが、「立つ」ことによって人間には大いなる、多くの空間が開かれた。 人間には、人生観、世界観があるように、文字通り「立つ」ことによって人生や世界をそこに観るのである。 地球のの蒼茫(そうぼう;見渡す限り青々と広いさま)とした大地と無限の宇宙を前にして人間の観る物は貧しいが、しかし、あらゆる方向に人間は生きることが出来る。 何よりも「立つ」ことは、眼と耳とを地から離し、真の遠方への感覚を得ることが出来るのである。 人間の視覚と聴覚とは、身辺の物から人をかりたて、遥かなるものへと押しやり、遠い地平から何万光年の星々の光へ至り、更に、不可視の美を観たり、聞こえざる音楽を聴くことも出来る。 人間が「立った」意義は深い・・!!。 』 或る印象的な文面のメモより仙丈ヶ岳の山容は写真などで見て多少は判っていたつもりであったが、この山頂、頂上部分は想像していたより狭かった。頂には既に数人の人が其々に憩いを取っていた。周囲を覆っているガス、霧も時折サーッと吹きぬけて、合間から山頂周辺が眺めることができて、その豪快さに圧倒される。馬の背や稜線上での展望は道々望めてきたが、加えてここでは南側の眺めが初めて開け、巨大な稜線上が波のように畦って(うねって)彼方に延びているのが確認できた。 次回、「仙丈ヶ岳の尾根」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.12.09

.今何時・・?、時計は大和美人が表示、1分間の恋ができます。クリックすると都道府県の美人時計が1分ごとに変わります。クリック=時計美人 美人時計;http://www.google.com/ig 南ア・仙丈ヶ岳紀行(49) 「仙丈ヶ岳山頂」 .山頂稜線・・「山頂が見えたぞ・・!」仙丈ヶ岳山頂標識その上を、一陣の風が吹き抜ける。ガス(雲)の流れは活動的で、黒く澱んでいるのが眩しいほどの白さに変わったと思ったら、やがて一点の青空が顔を出す。 この時、地上の山塊は濃いコントラストで、圧倒的に迫ってくる。特に、後方、または左手に甲斐駒ケ岳とそれに連なる鋸岳の雄大さは他を圧倒している。甲斐駒へは近いうち必ず挑戦することを心に誓うのである。頂上が近いせいもあり、又、ピークへ連なる尾根道は比較的歩きやすく、自分でも不思議なくらい快調な足取りである。時折、部分的に目に飛び込んでくる重畳(ちょうじょう)たる山並みは、パノラマ風景こそ得られないが、その壮大さを充分に想像できるのである。次第に高度を稼いで、やっとピークに達した・・?!、と思ったが、似せの頂上であった。 これらを二つ、三つやりすごして、気が付くと頭上から人の声、気配が感じられる。 そして、どうやら本邦山頂へたどり着いたようだ。積み重ねた岩礫の上に小さな祠が鎮座していた。 おもむろに両手を合わせる。すぐ側に、「東芝山岳部」の遭難碑があった。 ここにも一礼・・!。東芝山岳部は昭和42年の冬、この仙丈ヶ岳・山頂付近で遭難したようで、同僚の岳人が遭難者の供養のために建てたらしい。「お疲れさんでした・・!! 」 若々しい男性の励ましの声が響いた。「ハイッ、どうも」と、苦しい息ずかいで答えた。 そして、何の気なしにすぐ横へドッコイショと腰を下ろした。気が付くと小生と同年輩の単独登山者らしく、異なるのは巨大なザックを横に置いてあった。その方はテントを担いで縦走を楽しんでいるらしく、この後、仙塩尾根から塩見岳までむかうという。 相当な健脚の持ち主と恐れ入ったしだいである。やはり経験豊富で、大学の山岳部で経験を積んで以来、単独か数人の極く親しい数人で山を楽しんでいるという。 テント暮らしや携帯荷物の事をいろいろ話してくれて、「山は親しい仲間か単独登山に限りますよ、自分のペースで登れて登山を本当に楽しめますからね 」といいながら、美味そうに一服つけていた。特別、同様な単独行者の小生を気使って言っているのではなく、自分の山に対する信条を語っているのである。しばしの間談笑し、小生好みのレモンを半切り差し上げた。「アッ、これはいいですよね。 今回、忘れたけど私も愛用してますよ」という。一服の後、大きなザックを背に着けて、「そいじゃ、失礼します」といって、先ずは大仙の方へ向かっていった。後姿を拝見しても、如何にも山慣れしている姿が覗える。岩稜帯の頂上は思ったよりも広く、既に数人の人が憩っている。そして、向こう側へ回ってみると『仙丈ヶ岳・3032米』の指標を確認した。【ところで、最近では山頂表示には「3033m」と書いてあるらしい。 国土地理院の地図によれば「3032.6m」と記載してあり、少数以下四捨五入して3033mにしたのだろう。】遂に、我が頼りない二本の足で、この偉大なるピークに「立った」のである。1976年(昭和51年)10月10日、午前9時25分 であった。次回、「山頂に立つ・・!!」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.12.04

.※ 現在時間表示; 1分毎に美女と時刻が変わる ※ クリックすると都道府県の時計美人が見れます・・!!。 クリック=時計美人 美人時計 ; http://www.google.com/ig 南ア・仙丈ヶ岳紀行(48) 「仙丈ヶ岳カール」 .仙丈小屋が立つ籔沢カールに見られる、半円状の巨大なモレーンさて、仙丈小屋は仙丈ヶ岳の直下、籔沢カールの中央の砂礫堆積物(モレーン)のど真ん中に立っている。「カール」とは、氷河の浸食作用で出来た広い椀状の谷のことで、圏谷(けんこく)ともいいう。 日本の氷河期には、日本の高山の山頂にも氷河があって、仙丈ヶ岳の大カールは山頂より三方向に広がっていて、その特徴ある姿はだれでも知っているほど有名であろう。カールの下には、氷河によって削られ、運ばれた土砂が堆積した「モレーン」が見られることが多い。ここ仙丈ヶ岳でははっきりと確認することが出来る。このカールやモレーン部分には、多くの残雪が遅くまで存在する。 つまり、残雪や水が豊富なことから植生である高山植物が豊富に存在するということでもある。因みに、仙丈ヶ岳の高山植物は、一般の登山者が仙丈ケ岳登山可能な期間に咲いていて、通常登山道から見える花々は100種類以上とも言われる。そのカールで、日本のアルプス系に存在する主なものをまとめると、仙丈ヶ岳(薮沢圏谷・小仙丈カール・大仙丈カール、間ノ岳(沢カール)荒川岳(荒川カール)、薬師岳(圏谷群)、穂高岳(涸沢カール)、槍ヶ岳(槍沢カール・天狗原カール=氷河公園) 、立山(山崎カール・内蔵助カール)、白馬岳(白馬大雪渓カール)、黒部五郎岳(黒部五郎カール)、宝剣岳(千畳敷カール)、空木岳(空木平カール)、南駒ヶ岳(擂鉢窪カール)など。南アルプスでは、ここ仙丈ヶ岳のカール・モレーンが何と言ってもその代表であろう。特に、仙丈ヶ岳山頂直下には薮沢カール・小仙丈カール・大仙丈カールと、三箇所の大カールが存在する国内では唯一の特異な山である。このモレーンが堤防となってカールに氷河の溶けた水がたまったものが氷河湖といわれる。 日本国内には氷河湖は存在しないといわれるが、小規模なものは千畳敷カール上部の駒飼の池や濃ヶ池、それに槍の槍沢にある天狗の池などがそうらしい。「広辞苑」によると、カール(karドイツ語)は、氷河の浸食によって山地の斜面に生じた半円形の窪地。 日本では第四紀の氷期に形成され、日本アルプス、日高山脈の頂上付近にある。圏谷ケンコク。モレーン(moraine)は、堆石堤、堆石で、氷河によって削られ、運搬され、集積堆積した岩屑のことで、氷堆石とも称している。さて、仙丈小屋から頂上へはホンの一投足であろう・・?!。小屋から暫く離れると、ガラバの急登となる。周囲は既に背丈の低いハイマツが主体であるが、いよいよ地面にへばりつく形になってきている。 こういう姿でハイマツは長い冬の寒さや、ビョウビョウと吹きつける風に耐えているのであろう。いかにも風が吹き抜ける3000mの稜線上である。所々にキバナ(キバナシャクナゲ)の群生も見られる。 それに、濃い(霧に濡れているから際立って色が濃い)緑の中に小振りなナナカマドが赤く色付いていて、やはり時節を感じさせて印象的である。それにしても、周辺地域の高山植物群のお花畑は、初夏の開花の時期には大変な見事さであろうことが、充分想像できる。 記録等によると、仙丈小屋からは稜線上にかけて華麗に咲かせる高山植物はチシマギキョウ、ミヤマダイコンソウ、タカネツメクサ、イワツメクサ、ヨツバシオガマなど多彩に咲き誇り、当節ならこれらのを観賞しながら仙丈ヶ岳山頂を目指すことになる。時期になったら好天を狙って再度訪れたいものである。次回、「仙丈ヶ岳山頂」※ 現在時間表示; 1分毎に美女と時刻が変わる ※ クリックすると都道府県の時計美人が見れます・・!!。 クリック=時計美人 美人時計 ; http://www.google.com/ig 【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」.
2011.12.03

.※ 現在時間表示; 1分毎に美女と時刻が変わる ※ クリックすると都道府県の時計美人が見れます・・!!。 クリック=時計美人 美人時計 ; http://www.google.com/ig 南ア・仙丈ヶ岳紀行(47) 「さらば・・!、三淑女」 .籔沢カールの真っ只中に立つ仙丈小屋麗の女三人グループが吐息を立てながら上ってきた。 あれから、余り休息も取らず、懸命に登ってきたのだろう・・?、いかににもホッとした様子が伺える。「ご苦労さん・・?!、お疲れさんでした。」 昨夕からの顔見知りで、すっかり他人とは思えぬ親しみが感じられる。彼女たちも、疲れてはいるだろうが、親しみを込めて笑顔で接してくれている。「カメラ持ってます・・??、」、「ハイッ、」 と快く(こころよく)応じて、一人がザックのポケットから取り出した。 「おお、三人揃って写真とってあげましょう」さすがにこの時だけは“ニンマリ”であった。 同時に小生自身のも撮ってもらった。それでも彼女たちは相当疲れているらしく・・、「小屋の中が休憩取るにはいいところですよ」雲間から時折雄大な景色が見てとれるが、吹く風が意外と冷たくジッとしていると身体を冷やすくらいである。「頂上まではまだ一登りありますので、頑張ってください。 小生はお先に参ります。」「有難うございます」といって、あの些か粗末な小屋の中へ消えていった。ところで、彼女たちの何処から来たのか・・?、勿論、名前や素性などは全く知らない。 特に、知ろうともしなかった。 未だ二十歳デコボコのウラ若き女性たちであり、こちらは三十半ばのオジンである。 あくまで仙丈ヶ岳の山中での一期一会に過ぎず、この後、彼女たちとは再び会うことはないだろうし、実際、会うことはかった。近未来の彼女たちに、大いなる幸あれ・・!! 。さて、仙丈小屋は仙丈ヶ岳の直下、籔沢カールの中央の砂礫堆積物(モレーン)のど真ん中に立っている。「カール」とは、氷河の浸食作用で出来た広い椀状の谷のことで、圏谷(けんこく)ともいいう。 日本の氷河期には、日本の高山の山頂にも氷河があって、仙丈ヶ岳の大カールは山頂より三方向に広がっていて、その特徴ある姿はだれでも知っているほど有名であろう。カールの下には、氷河によって削られ、運ばれた土砂が堆積した「モレーン」が見られることが多い。ここ仙丈ヶ岳でははっきりと確認することが出来る。次回、「仙丈ヶ岳カール」【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」.
2011.12.02

.※ 現在時間表示; 1分毎に美女と時刻が変わる ※ クリックすると都道府県の時計美人が見れます・・!!。 クリック=時計美人 美人時計 ; http://www.google.com/ig 南ア・仙丈ヶ岳紀行(46) 「仙丈小屋」 .旧仙丈小屋(無人の避難小屋)新仙丈小屋; ;風力やソーラー発電の整った超近代的山小屋ガレ場の急登を上り終えて、どうやら、先ほどからチラチラ見え隠れしていた仙丈の小屋に着いたようだ。外回りを大きな石で囲まれた、チョッと粗末なコンクリート造りの避難小屋だった。以外だったのが、玄関前に大きな鐘が木の支柱にぶる下がっていた。 好奇心にかられて一つ二つ鳴らすと澄んだ音色が周囲に響いた。 霧の山中では人々に、所謂、警鐘ともなることであろう。記念に写真を一枚撮る。内部はボロボロの避難小屋 風雨が凌げれば良しとしよう。小屋を覗いてみると寒々とした狭い空間の小屋で、床は土間の上にいきなり板張りがしてあり、あと半分にはスノコのようなものがひいてあるものの、一部は土がむき出しになっていた。 建物は所々にすき間はできているし、一枚きりの扉も何とかチョウツガイでつながっているものの、扉を閉めても隙間から外を眺めることができるような状態であった。しかし、標高3000メートルの地帯である。一度、吹かれる(雨や風に激しく吹きつけられる)と真夏といえども、油断のならない地域で、命の危険に晒されることもある。 ここに避難小屋があるのは、地獄地帯に仏堂があるように、危難の時に思わぬ助けになることは確かである。当然ながら、この無人小屋を利用するにしても、充分な身支度や相応の装備が必要である。水場もチャンと確保してある。小屋の近くにはテント場もあって、一見乾いたカールのようだが、そばには冷たい水が豊富に湧いている。今現在、赤や青のテントが数張りの施してあり、おそらく、先程追い越してきた10人パーティもこのテントサイトに幕営するのであろう・・?。【新仙丈小屋】 、【 近年、その小屋があった辺りに、実に立派な小屋が建っている。 平成12年に完成した仙丈小屋は、三階建て(一階部分は地下・・??)のモダーンな建屋で、すぐ前に風車による風力発電、屋根には太陽光を発電に変えるソーラーパネルが施してある。どうみても超近代的な建物である。 仙丈小屋の広い庭先には休憩用のテーブルや椅子が置かれ、登山者の疲れを癒す休憩ポイントともなっている。 以前は粗末な避難小屋で代わりにテント場があったはずだが、今は立派な建物になり、テント場は廃止されてしまったようだ。 仙丈小屋は仙丈ヶ岳東150m、標高:2,900mのカール内に位置している。 小仙丈尾根の分岐点から、下り10分程です。 小屋のすぐ脇から頂上へのルートが2本(小仙丈尾根と籔沢尾根)開けていて、どちらも概ね30分程度である 】「仙丈小屋」H・Phttp://www7b.biglobe.ne.jp/~senzyou-koya/index.html 次回、「さらば・・!、三淑女」※ 現在時間表示; 1分毎に美女と時刻が変わる ※ クリックすると都道府県の時計美人が見れます・・!!。 クリック=時計美人 美人時計 ; http://www.google.com/ig 【小生の主な旅のリンク集】《日本周遊紀行・投稿ブログ》GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ《旅の紀行・記録集》「旅行履歴」日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)【日本の世界遺産紀行】北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002【山行記】《山の紀行・記録集》「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)《山のエッセイ》「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」。
2011.12.01
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