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28日が彼女に会う最後の日のはずだった。それが次の日に全く違う場所で偶然会う。しかもいろんな偶然が重なり。29日に偶然会った時、今度こそ最後だね。でもまた会えるかも、と100%冗談で言った。その冗談がまた現実となる。29日に偶然会った時、彼女が私に本をプレゼントした。そして「最後の別れ」をした後、彼女からメールが入る。あの本の中に大切なメモをはさんでいた事に気付いたから、また会わなければいけない。結局私は三日続けて彼女に会う事になった。最初会った時はあまり話せなかった。彼女は自分のために集まってくれた多くの人と話さなければいけなかたから。そして偶然の2度目もcoffeeshopが早く閉まり、時間も遅かったので我々は少しの時間話した。そして三日目、我々はようやくお互いが満足がいくまで話す時間を得た。これも彼女の「神」の仕業か?
2003年12月30日
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もう会う事はないと思っていた人に二日続けて会った。さよならを言ったばかりなのに次の日に偶然街で会った。昨日さよならパーティーをした外国人宣教師。彼女に偶然会う前に他の知人に約束して会っていた。夜の八時に会う予定が七時半に変更され、さらに七時に変更される。その待ち合わせの店に入った時、きのうさよならパーティーをした外国人宣教師に似た人の後ろ姿を見た。その人は待ち合わせの場所に入っていった。約束した知人と会って話している最中も、後姿の人が気になっていた。知人と二時間半程話し、店を出る時、ちょうどその後姿の人が店を出るところだった。つまり我々は偶然同じ店に同じ時間に入り同じ時間に出ようとしていたのだ。その人が外国人宣教師である事に気付き声をかける。私達はしばらくカフェで話し今度こその最後の別れをするのだが、、。
2003年12月29日
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知人の外国人宣教師が母国に帰る事になり、そのさよならパーティーに招待された。場所は教会。私は信仰を持っていない。が、信仰を持っている人と話すのが好きだ。いつも神の事を考え、「哲学」している人と話すのは学ぶ事が多い。彼らは寛大だった。クリスチャンではない私に対しても全く壁を作っていなかった。「神を信じている人間と信じていない人間は違う」という考えを持っていないのだろう。おそらく(未来の事は誰にもわからない)私はこの先も無宗教で居続けると思う。しかし時々、信仰を持っている人をうらやましく思う。なぜだろう。人生のきびしさというのは誰にとっても同じと思うが、心の拠り所がある事は時として幸運かもしれない。
2003年12月28日
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フランス人の女友達と夜の街にくりだした。バーやクラブに行って知らないに女性に声をかける事は楽しい。女性という存在は私にとって永遠に理解出来そうにないテーマの一つ。男と女というのは全く違う生き物のような気がして、だからこそ女性の心というのを理解したい。今日の主役は上のタイトルの「Maybe Girl」(以下"MG")。おそらく日本にはあまり少ないであろう一人の黒人女性に話かけてみた。身長は180センチ位でやせてすらっとしていて、顔も悪くない。見た目はかなりかっこいい。こちらから幾つか質問すると最初は素直に答えてくれたが、途中からなんでも秘密にし始めた。以下は私とMG(Maybe Girl)による英語での会話。私「どこから来たの?」MG「Maybe ニューヨーク、ニュージャージー」私「英語の先生?」MG「Maybe English teacher」私「日本はどれ位住んでるの」MG「Maybe 1 year」なんでMaybe?今まで黒人女性にあまり会った事がない。日本にいる数そのものが少ないと思う。だから私にとって黒人女性はかなりミステリアスな存在。アメリカという同じ国に住んでいても、白人と黒人のライフスタイルは違いが大きいと思う。話すのが嫌なら無視してくれたほうが分かりやすいのに、楽しそうな顔をして「Maybe....」と答える。世の中いろんな女性がいるもんだ。訳の分からない女性に会えば会う程、「世界は広い」と感じて楽しい気分になる私の感覚はちょっとおかしいのでしょうか。
2003年12月27日
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「夢を失うよりも悲しい事は自分を信じてあげられない事」今日も音楽の話。23日の朝に平原綾香(12月17日デビュー、19歳)という新人歌手の歌に心を揺さぶられた。かなり上まで出る高い声、そしてその年齢からは考えられない低い声、そして言葉を大切に歌う説得力。曲にも恵まれたが彼女自身のシンガーとしての力が曲の偉大さに負けていないところがすごい。まだ19歳なのにもうミュージシャンとしては大人だ。その内面の成熟が外に現れ年齢にふさわしくない貫禄がある。今日CDストアの視聴コーナーで彼女のCDをみつけ聴いてみた。23日以来の2度目。やっぱりすごかった。「Everyday I listen to my heart ひとりじゃない。深い胸の奥でつながっている」という歌詞で始まる。歌詞の全てがすばらしい。一語たりとも無駄が無く、全ての言葉が奥深く私の心に届いた。その中でも最も印象深かったのが一番最初に書いた言葉。今日はシャークアイさんの日記にも勇気つけられたが、彼女の歌にもまた勇気つけられた。
2003年12月26日
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国営放送で「映像の世紀」という番組の再放送を見た。20世紀の歴史をフィルムで見る事が出来た。学校の歴史教科書に出てくるような非常に重大な事件や、世界の有名な人物の映像が次々と飛び込んできて画面に目がくぎ付けになった。その中でもナチスドイツによるユダヤ人迫害のため、国外に亡命する人々の映像が最も印象的だった。アインシュタイン、トーマスマン、マレーネディートリッヒなどの超有名な面々の動く映像に圧倒された。-----------------------------------------------------昨日見たアフリカ系アメリカ人のジャズピアニストであり、シンガーであり博士でもあった、「ニーナシモン」のインタビューは強烈だった。BBCWORLDの中の「HARDTALK」というインタビュー番組の特別編で、今年亡くなった有名人の回の再放送を流していた。今年の四月に70歳で亡くなる四年前のインタビュー。どう見てもおばあさんだったのでショックだった。オードリーヘップバーンの晩年の映像を初めて見た時のようなショック。ニーナは黒人のおばあさんになっていた。若い時の写真からは想像出来ないような太った容姿で、髪もベリーベリーショートだった。ただ驚いたのはまだ「女」をやっていたところ。30分の一番最初にインタビューを始める前に「I love you Porgy」をピアノ弾き語りで歌う映像が流れた。彼女の曲の中で最もヒットした曲の一つ。66歳の年老いた、まだ女を忘れてない黒人女性の歌声。その声は「SOUL」(魂)そのものだった。それまで生きてきた人生の重みを強烈に表現していた。国営放送である事を意識して、最初は汚い言葉を使わないでいた。しかし最後の最後でエキサイトしていた時に「F ck」と言ってしまった。自分の脳が判断する前に口から出たその言葉に彼女自身が一番驚き、突然話すのをストップし、「鳩が豆鉄砲をくらったような」顔をしていた。しかしインタビュアーはウケていた。さらに話を進めていくとどうしてもその話題では興奮してしまうらしくもう一度「F ck」。今度はニーナもインタビュアーも一緒に爆笑する。普段のその番組では絶対見れない光景に見ている私も笑ってしまった。
2003年12月25日
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クリスマス。どうせあと二日も立てばクリスマスの飾りつけは街から消え、お正月の飾り付けに変わり、クリスマスの事なんて考えなくなるのだから、今日くらいはクリスマスについて考えてみたい。一ヶ月前にも日記で書いたように私自身はクリスマスに関して、無関係という立場を取りたい。クリスチャンでない私がクリスマスを祝うのはナンセンスだ。それが理由。ただ、世界はクリスマス一色。日本においてもクリスマスと無関係の立場を取りつづけるのは難しい。クリスマスに漠然と感じるのはあえて言葉にすると、「愛と平和」この日ばかりは人々が少しいつもより優しい気持ちになれるのではないかと思う。「何故」って人々に理由を聞くのは無意味かな。おそらく「だってクリスマスだから」という答えしか返ってこないと思う。「愛」と「平和」がもっとあふれる世界が訪れる事を祈りたい。-----------------------------------------------------昨日と今日、二日続けて音楽に感動し泣いてしまった。昨日の朝「めざましテレビ」に平原綾香という新人の歌手が生出演し歌っていた。まだブレイクしたばっかりの19歳の新人歌手が「めざましテレビ」に生で出て歌うのはかなり異例だと思う。クラシックの有名な曲の「惑星」の中の「Jupiter」のメロディーに歌詞をつけたもの。メロディー、歌詞、歌声の全てがすばらしい。そしてただすばらしいだけではなく、彼女の音楽に対する思いが伝わってきて感動してしまった。そして今日、BBCWORLDNEWSを見ていると今年亡くなった有名人の過去のインタビューを特別に再放送していた。私の大好きなジャズピアニストでシンガーの「ニーナシモン」。彼女はもうかなりの高齢だったと思う。高齢の人にしか出せない人生の重みが歌とピアノの中にダイレクトに表現されていて私の心を揺さぶってくれた。
2003年12月24日
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不本意ではあるが「クリスマス」パーティーに行った。美人の女友達に「I need you to be there」と言われて断れる私ではない。私は人の頼み事に弱い!(特に女性の)美人で大金持ちの友人のアパートで女性が9名、男性が5名でディナーパーティーをした。その美人で金持ちの友達KATE(仮名)には今年の四月に出会った。家が近所で遊び方が同じなので今年はよく会った。彼女は社交的でエンターテイナー(かなりcrazy)で面白くて、美人で金持ち。そしてパーティー大好き。今年何回彼女のアパートでのパーティーに行った事か。私と彼女は「no chemistry」(恋愛感情なし)なのでいい友達関係をkeepしている。かなり飲んで酔っぱらった。初めて公の場所で飲んで酔って少し眠ってしまった。大半の参加者が帰った後で私が眠った様子を見ていたのはほんの数人だが。まだ全員がいた時誰かに(女性)「肩をもんで」と頼まれてもみ始めると、それが大絶賛された。あまりいままでマッサージする機会がなかったので自分のマッサージが人にとって気持ちいいかなんて知る機会はなかったので意外だった。その後私は酔って覚えてないが、多分一時間位、その場にいた女性の全員の肩や首をマッサージした。最初一人にして、「これは一人だけにするのは不公平だ」と思う前に他の人達からもリクエストをもらい、マッサージし続けた。大勢の女性に喜んでもらい悪くない気分だった。
2003年12月23日
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昨日までこの日記で続いた服装についてのトピックのきっかけを作ったJESS(仮名、オーストラリア人女性)に今日もあった。先週も書いたが、JESSの彼氏の日本人がいまだに「I love you」を言ってくれないらしい。彼女はめちゃくちゃ気を使う人。気を使い過ぎて人間関係で問題を作っている。自分の言動が人の迷惑にならないかとか、傷つけないかとかを必要以上に考えてしまうタイプ。だから自分の身近な人に対していいたい事を言えない。私はたまにしか会わないからいろんな身近な人には言えない事を話せるのだろう。JESSの彼氏が「I LOVE YOU」を言ったのは付き合う事になった六週間前らしい。それ以来分かりやすく「I love you」と言われた事がないという。でも彼女としては「私の事好き?」とか馬鹿馬鹿しくて、恥ずかしくてきけないという。手をつないだり、キスをしたり、セックスもしてるという。でも彼女が欲しいのは「I LOVE YOU」の一言。「彼氏とちゃんと話し合ったほうがいいよ。」と言っておいた。まだ22歳の彼女。若いなと感じてしまう。
2003年12月22日
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まだ終わってませんでした。みなさんのレスに対する私の考えも述べてませんし、まだ書きたい事を書ききれてないので。「服装」というのは衣食住の中の一つで、人が生活の中で常に気を配ってる(女性ならなおさら)事なので皆さん一人一人オリジナルの考えをもっているのだなと、レスを読みながら感じました。私の日記のネタがきっかけになって、掲示板でいろんな方々のいろんな意見が自由にやりとりされればそれは私の望む事です。まずFranboiseさんへ今回はお互い意見が違うみたいでお互いが言葉を理解するのが簡単ではなかった気がします。「伝わってますか?」という質問に対しては、「No」です。意見が同じ時っていうのは相手が1言えば3解るものですが、今回はFranboiseさんが5言って始めて私が3解った感じです。理解力が無くて申し訳ないです。「ファッション感覚はその人によるもの」というのも賛成ですし、「でもお国柄も出てくる」というのも賛成です。私はそのお国柄について話していました。私は海外で生活した事がないので、私にとっての「外国文化」とは日本に住む外国人です。最初私の友人のオーストラリア人女性の発言からこのトピックは始まりましたが、私は彼女の意見がオーストラリア人の代表とは思いません。ただの一つの意見です。でも違う文化から来た彼女の言葉は無視出来るものではなくその中に何か私達の文化についての違う角度からの評価があると思うのです。私が日本に住む外国人と付き合う事の目的の一つは、違った文化から来た人間が見る日本文化の評価を聞く事です。もちろん全ての外国人が正当性のある批判が出来る訳ではありません。日本文化の表面的な部分ばかりに着目し、偏見の目で私達を見ている人も少なくありません。しかし聞くに値する意見も多いです。「目からウロコが落ちる」じゃありませんが私達とは違う視点から私達の文化を見る事が出来ると思います。皆が皆「物事の本質を見れる」訳じゃないと思います。私は日本の文化を偏見の目で見る外国人がなぜ偏見の目でみるのかというところまで考えたいです。それからFranboiseさん、「coalminersさんの日記は日本の皆さんが興味を持ってる事だったんですね」と書いてますが、私はただ自分の意見を書いてるだけです。そしてその結果が「国内の人達と国外の人達で意見を交換し合える」ネタになればいいなと思ってます。だから自分の考えてる事が他の人も考えてるのかは書いて反応を見るまで解りません。シャークアイさん「心理学を勉強する学生」という少し我々とは違った角度からのコメントにうなずかされました。外国人心理には三つパターンがあるというのは解りやすかったです。日本に短期滞在する外国人の中には「日本に染まりたくない」と思ってる人達が多い気がします。お金稼ぎが一番の目的で来てる人が多く、日本語すら覚えようとしない人がほとんどです。もちろん日本文化大好きな人にもたくさん会いましたが。那々ちゃんへ「そのオーストラリア人は日本人は個性が無いと言いますが」と書いてますがそれに似たような事を書いてるのは私です。ただ私が言いたいのは「日本人は個性が無い」というのではなく、「日本には個性的な人が少ない」という事です。これは日本で生まれて日本で育った私の偏見かもしれません。日本の社会、学校教育の中で最も重視されてきたのは「協調性」ではないでしょうか。一人一人の個性を無理やり押さえてまで「協調性」を保つみたいな文化はいまでも廃れてないんではないかと思います。私を含めてここのサイトで意見を書いてくださってる方々は個性的だと私は思います。ただ日本には没個性的な人がたくさんいると私は感じます。主流にただ従うだけだったり。流行を疑わず追うだけだったり。コバエミちゃん(Aquerious-e)へ私の友人のオーストラリア人女性の考え方に賛成出来ないようですが。私は彼女の考えもわかります。それと「いつも私は人の意見に賛成してるだけだな」と書いてますが、エミちゃんは自分の意見持ってて、それを表現出来て、人を納得させる事が出来ると思いますよ。かとまんずーさんへ最近の頻繁な登場ありがとうございます。「言いたい事伝わってますよ」という感想嬉しかったです。ただ「伝わってますよ」と言ってもらわないと「伝わってるかどうか」はわからないですよね。私のサイトの掲示板ではどんな人の異論反論も大歓迎です。他人の考えを否定したり中傷したりするのが無ければ。人は違う考えを持ってて当たり前だと思います。だから「私は意見が違う」と主張することを躊躇しなくてもいいと思います。お互いが違う意見を主張する権利を認め合い、それを交換できればいいんではないでしょうか。ただ感情的になるのは避けたいです。「warm heart」&「cool head」を忘れずにいきたいです。
2003年12月21日
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土曜の夜はイギリスNIGHTだった。友人のイギリス人女性のアパートに招待され、一緒に住んでるイギリス人男性と3人で小さなパーティーをした。メインは彼女の手料理。マカロニにブロッコリー、にんじん、たまねぎ、チーズを混ぜた、なんちゃってラザニア?みたいな一品。二人はヴェジタリアンなので野菜のみ。正直言うと店で出せるような品では無いが、彼女の手料理を食べるのが嬉しくて、おいしく頂いた。知り合ってから一年以上、ようやく招待してくれた。どれだけこの日をひそかに待っていた事か!さすがに「家に招待して何か作って!」なんて自分から言えない。招待されて初めていくのが基本ですからね。ちなみに私は途中でケーキを買っていって、これが大好評で喜ばれた。(あんまり高くないんですけど)普段彼女と会う時は日本語で話しているのが今日は日本語が全然ダメな彼と一緒だったので会話は英語だった。普段彼女と日本語でしか話してなかったため、久しぶりに彼女と英語で話したのでちょっと恥ずかしかった。彼がテレビを見ながらつっこむ、つっこむ。日本に住んで一年以上経つのに、まだ日本のテレビコマーシャルで日々新しい発見があるらしくよく爆笑した。私も外国人と一緒に日本のテレビを見るという体験をし、なんとなく恥ずかしくなった。あらためてテレビコマーシャルを見ると、ほとんどがインパクトを狙ったナンセンスなCM。視聴者の目を点にさせるためなら手段を選ばない。次から次へと馬鹿馬鹿しいCMが続く。一番ウケたのは彼が聞き違いをした時だった。「セクシーハウス?」と彼が言った。写真を見ていた私は彼の言葉を聞いてテレビを見ると、「セキスイハウス」のCMが流れていた。セクシーハウス、セキスイハウス、。早く読むとやや似てる。つまらないですが、そんな些細な小ネタのオンパレードで笑いが絶えない愉快なイギリスNIGHTでした。
2003年12月20日
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今日は昨日の日記のレスに対するレスですが、いつもよりもかなり気合が入ってます。国内の方々も、国外の方々もみなさんそれぞれご自分の意見を書いて頂きありがとうございました。皆さんの意見を読む事によりまた新しい価値観を吸収しています。皆さんのレスを読んでいて、昨日の私の日記は中途半端で書ききれていない事がまだあると感じました。皆さんのレスを紹介しながら、昨日書ききれてなかった私の意見を追記していきたいと思います。本題に入る前に書きたい事があるのですが、昨日の日記は私の第50作目でした。あまり意識しませんでしたが、50作目にふさわしく、複数人数で意見を交換しあえるトピックに(結果として)なりました。「これは私がまさにこのサイトで望む事です。」皆さんが日頃興味を抱いている関心事についていろんな意見を交換する。これこそこの楽天の醍醐味ではないでしょうか。さて本題です。友人のオーストラリア人女性のコートから昨日のネタはスタートした訳ですが、もう一度確認しますと彼女はそのコートが好きで買いました。しかしオーストラリアで着るのは喜んで着たいが、日本ではちょっと恥ずかしいといいます。先ずオーストラリアではなぜ喜んで着れるのかというと、それが日本で売られている服で、オーストラリアの服とは少しスタイルが違うから「皆と違う」というのを主張出来るのだと思います。彼女曰く「オーストラリアでは皆と同じが一番カッコ悪い」らしいです。では、なぜ日本でそのコートを着たくないのかというと、そのコートそのものが嫌なのではなく、大多数である日本人と似たようなスタイルになり没個性的に見られるのが嫌なのだと思います。つまり、日本の服が好きじゃないのではなく、日本人の洋服のスタイルが好きじゃないのではなく、単純に「多数派」の中に埋もれたくないのかもしれません。この国においては日本人が多数派な訳ですから、日本人の服装が似たようなものになるのは必然だと思います。オーストラリア在住のFranboiseさんが「オーストラリア人も皆似たような服装をしている」とおっしゃってますが、現地民であり多数派なので似通ってしまうと思います。逆にオーストラリアに住む日本人は「外国人」で少数派なので服装は個性的にうつるかもしれませんね。それとオーストラリア人の服装に対する無頓着さはヒドイとよく日本にいるオーストラリア人から聞きます。アメリカ在住の那那さんが日本の服を着てるとカワイイ言われると書いてましたが、そうかもしれません。外国で日本の服を着るとデザインが少し違うので目立ってクールなのかもしれません。それに日本人の洋服にたいするこだわりは世界レベルだと言われますがその通りだと思います。ただ日本にいる外国人が日本人の服装は没個性的に見えるというのは、服装とは別の人種的な問題もあると思います。私達はアジア系の日本人という単一民族で皆、姿形が同じなので、違う服を着ても個性を出しにくいのだと思います。逆に、日本に住む外国人は人種そのものが違うので「少数派」で普通の服を着ても「個性的」に見えるのかもしれません。どうでしょうか?
2003年12月19日
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昨日日記で紹介したオーストラリア人女性(最近新しい日本人の彼氏に出会ったが彼があまりI love youを言ってくれない)と会って話していた時に今まで気付かなかった面白い事を教えられた。彼女に会った時、彼女が新しい服を着ていた事に気付いたので「それかわいいね」と言ってみた。彼女が着ていたのは黒のナイロン生地で中に綿が入ったコート。フードが付いていて、その端に白のフェイクファーがついている。私はその白いフェイクファーを特に指差して「それかわいいね」と言った。すると彼女はあまり嬉しくない顔をして「同僚(外国人女性に)に、あっ日本人女性の服着てる、ってからかわれたの」と言った。私はその瞬間に事態を把握して、過去に外国人女性が日本人女性の服装について言ったいろんなコメントを思い出した。日本に住む外国人女性にとって「いかにも日本人女性」な服装を着る事はカッコ悪い事らしい。今までその事についてあまり深く考えなかったので目からウロコが落ちた気分になった。私が今まで会った外国人女性の服装を思い出してみた。明らかに皆自分の国から持ってきた服を自分のスタイルで着ていた。そして日本で買った服を着ている様子は無い。一人一人個性的で一般的な日本人女性のスタイルとは違う。ほとんどの外国人女性が日本人女性の服装について語る時、ちょっとバカにした感じで、あまりpositiveな意見を聞いた事がなかった。日本で売っている若い女性の服(海外のブランド品を除く)の一番の目立った特徴は「可愛く見える」服が多い事だと思う。そしてそのオーストラリア人女性が言うにはどの服屋に行っても同じ服が売られているという。彼女は最近寒くて早くコートが欲しかったけど選ぶ時間がなく、多くの店を見て回らなかったので狭い地域の何軒かの店しか見てないからそういう事を言ったのだと思うが、当たらずとも遠からずだと思う。彼女いわく母国で一番カッコ悪い事は「皆と同じスタイルを真似する事」だという。だからたくさんの日本人が着ているようなコートを着なければいけない事が少し恥ずかしいという。しかし面白い事に逆にそのコートはオーストラリアでは違うスタイルなので喜んで着たいという。「なるほど」と思った。日本人は?って考えてみると、人の真似をしているつもりはないが、結局多くの人と似たようなスタイルになっている人が多いと思う。余程「人と違うスタイルをする」という強い意識がない限り、主流に染まっていっているかもしれない。これは服装に限らず価値観やライフスタイルにも言えると思う。どちらがいいとかジャッジしているつもりはない。彼女の服装に対する考えから文化の違いを感じた、私にとって非常に有意義な会話でした。
2003年12月18日
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最近私の外国人の女友達に日本人の彼氏が出来た。彼女で3人目。私と友達になった外国人女性は私に出会って間もなく新しい日本人の彼氏が出来る。全部私がきっかけを作った訳じゃないが、出会った当初は「私、日本に来てからまだ彼氏出来てないのよ。」とぼやいていた彼女達もしばらくすると「彼氏が出来た」という。「ひょっとして私が幸運を呼んだ?」と思いたくなる。私は彼女達のよき相談役になりたい。日本人の男のサイコロジーを聞きたければいくらでも教える。一番最近彼氏が出来たオーストラリア人女性が嘆いている。彼が「I love you」を言ってくれない、と。手をつないだり、腕を組んだり、キスをしたりのコミュニケーションはあるが言葉が無いと。これは特に外国人に限った事じゃない。男性が付き合っている彼女や妻に「I love you」と伝える事は非常に重要だと思う。そうですよねサクラヤさん?(私の友達)日本人男性と外国人女性のカップルってあまり見かけないと思う。日本人女性と外国人男性のカップルは多いですが。高倉健さんに代表されるように「日本男児は黙して語らず」がかっこいいみたいな古臭い文化がまだ日本には残っているかもしれない。日本のような長い歴史がある国の精神文化が変わるというのはそんない簡単な事じゃないと思うから。でも西洋から来た女性と付き合う場合はそんな古い事を言ってる場合じゃない。「言葉で伝えなければ分からない」日本人同士でも男と女は理解するのにいつも言葉を要するのに、違う文化の人間でしかも、違う性の相手とは言葉が必要に決まっている。友達のオーストラリア人の彼氏は外国人の彼女は初めてらしく、しかも西洋文化に今まで興味を持っていた様子もないのでその「言葉によるコミュニケーション」の重要性にまだ気付いてないらしい。彼女は「I love you」を今も待っているに違いない。
2003年12月17日
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私は団体行動というのはあまり好きじゃない。どちらかと言えば協調性が無いし個人主義なタイプと思う。クラブに行って日本人が(ここは日本だから日本人がいるのは当たり前か。私は外国人が集まるクラブに行く)団体行動を取るのを見ると冷めてしまう。今はもう飽きてしまって行ってないがあるクラブに行っていた時、その「団体行動」が頻繁に起きていた。そのクラブでは毎週DJは変わっているがほとんど同じ音楽が流れていた。だから常連の人間はよく同じ曲を同じ場所で聴いている訳だ。よく起きるのが歌に相槌を入れて掛け声なんかを入れる事。それが毎週何曲かの同じ曲で行われるからいつからか「勘弁してくれよ」となりそのクラブから足が遠のいた。そんな私が別のクラブで一つだけどうしてもやってしまう「団体行動」がある。その小さなクラブの音楽はオールジャンルでpopularなamerican pop musicが流れている。そのミーハーさにたまに嫌気がさすが、お酒が入れば私の「批判意識」もおとなしくなり、「どうでもいいか、楽しもう」となる。私が行く度じゃないが、三回に一度位はついていればDJがある曲をかけてくれる。その曲とはNIRVANAの「Smells like teen spirit」多分誰もが耳にした事のあるヒットソング。その曲のサビのパート(計三回ある)であるお約束の儀式が行われる。説明すると先ず自分の友達と、踊っている近くにいる話した事もないあかの他人の計5~6人(日本人と外国人混合)が両隣りの人と肩を組み、サークルを作り、回転しながら音楽に合わせてジャンプを繰り返す。想像できるかな?それがかなり疲れるのだが、バカバカしくてたのしい!皆さん、日常生活でそんなバカな事する機会ありますか?曲の中でそのパートは三回あるので三回やらなければならない。めちゃくちゃ疲れるが、肩を組み回転しながらジャンプしている人間の笑ってる顔を見るのが楽しいので止められない。 この間はそのサークルが二つ出来ていた。「みんなやりたいんだな」と思った。その曲が終わった後、ダンスフロアの人が少なくなる。
2003年12月16日
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久しぶりに音楽に感動して泣いてしまった。 歌手がデビューする時によく「Amazing voice」というコピーが使われるが、彼女の声はまさにそのAmazing。その歌手の名はHayley Westenra。ニュージーランド人の可愛い女の子でまだ16歳。大人びた雰囲気はまだなく見たままの16歳。私が聴いた曲は「Amazing grace」 フジTVのドラマで使われているそうだが私はそのドラマを見ていないので聴いた事がなかった。フジテレビの歌番組をたまたま見ていると彼女が出演していて、「Amazing Grace」を歌い始めた。その美しい声に魅了された。現実離れした、透き通るような、というか、天使のようなというか、上手い例えがみつからないのが悔しい。とにかく私は彼女の声のあまりの美しさに何かを考える間も無く、心を奪われ、目に涙を溜めてしまった。彼女の声を聴いているその短い時間私は幸せだった。目に涙が溜まった後に少しづつ「自分」に戻り、自分自身が涙している理由を考え始めた。「こんな瞬間はめったに訪れない」彼女はその美しい声と歌唱力を神から与えられている。それは誰もが持てるものではない。ある意味それはとても特別な事だ。人の心を動かせる歌唱力を与えられるなんて。私は彼女の声を聴けた事をとても幸せに感じ、自分が生きていることそのものを感謝したくなった。人は幸せに満ち足りた時それを表現する術として目に涙を溜めるのだなと思った。
2003年12月15日
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現時点(夜八時半)では英国のブレア首相が確認していて、アメリカ政府の発表はまだだが、イラクのサダムフセインが捕まったらしい。アメリカのCNN、イギリスのBBCではこのNEWSをノンストップで報道してるのに日本のテレビは....。いつもと同じ。イラクでは国民が喜んで銃を天に向かって発砲する姿や、女性が嬉しさのあまり泣いている映像が写されている。これでイラク情勢は好転するのだろうか?=======================日曜夜九時半、現在、アメリカCNN、イギリスBBC、NHK、フジテレビでニュースを見る事が出来る。記者会見でのイラク駐在のアメリカ軍の報道官の第一声、「WE GOT HIM!」(彼をつかまえたぞ!)やはり興奮を隠せないのだろう。それを聞いた世界各国の報道記者達は仕事を忘れて大騒ぎ。その様子が世界にながれようがお構いなし。最も記者達が狂喜乱舞した瞬間は捕らえられたフセインの動く映像が流された時、気が狂った記者が何人かいた。イラク国内でもお祭り騒ぎとの情報が入ってくる。これは一足早いクリスマスプレゼントみたい。世界が少しでも「平和」に近づいてほしい。
2003年12月14日
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今日は「イスラエルから来た人」の続編なので、初編は11月5日の日記を読んでください。彼女とは結局一度しか会えず今まで日々が過ぎており、しかも彼女は知人に会うため福島県にいるのでこの先も彼女が3ヶ月の滞在期間を終えるまで会う事になるかどうか分からない。彼女が日本でどんな体験をしてきたか、会って話を聞きたいが。週に一度程の割合でメールをくれてたのだが、先日とんでもないメールがきた。「私結婚します。」福島到着後にある建築作業員(もちろん日本人)に声をかけられ、(なんでもない道で)話を始めた一分後位に「結婚しよう」といわれたらしい。「そんなあほな!」思わずメールを読みながら100%関西のツッコミをいれてしまったが、先を読みすすめても、それが冗談である事を説明するような文章が見当たらない。3ヶ月の観光ビザで来て、最初の一ヶ月は京都で過ごし、福島に行ったとたんに結婚話なんて。しかもイスラエルに彼氏がいるって言ってたのに。インターネットカフェで書いていたらしく文末は慌しく締められていた。「Are you really getting married?」という返事を返してまた返事を待ってるところです。3で結果をお知らせしますのでご期待ください。
2003年12月13日
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「韓国では公には日本語の音楽は禁止されている。」私達はこの事実を非常に悲しい事として受け止めるべきだと思う。お互い民主主義の国同士なのにどうして?過去の歴史の問題が現在の両国の関係に今も影を落としているのであろう。私達は共通する何かを多く持っているはずなのに今までずっと「すれ違い」が続いているような気がする。それが、 来年、ついに歴史の転換点を迎える。韓国において公に日本語の音楽が解禁になるのだ。実は今までも韓国人はインターネットからや海賊版で日本の音楽を聴いていたみたいだが、来年からはCDstoresで堂々と日本語のCDが売られるようになり、日本のmusiciansが韓国でコンサートを開けるようになる。本当に喜ばしいことでありすばらしいことだと思う。台湾、中国、香港などで熱狂的な日本のアイドルのファンがいるみたいだが、韓国で日本の音楽はどう受けとめられるのであろうか。私は楽天的な見方は出来ないと思う。先ず言葉の問題が大きい。若者がpopmusicを聴く時その歌詞を理解出来るというのは何より大切な事だ。日本人の中にも「英語が分からないから」と言って洋楽を聴かない人は多い。では言葉を除いた部分の音楽そのもののクオリティーで勝負出来るかというと私の考えは、「?」である。時々ラジオで韓国のpopmusicを聞く機会があるがその質の高さにいつも驚かされる。日本のmusicianのような国内のマーケットしか意識してない姿勢ではなく、多くのmusicianがアジア全体で勝負出来る音楽を作っているような気がする。来年蓋を空けて見ないと分からないというのが私の意見であるが、次々と日本のmusicianが人気になるかというとそうは思えない。ただ韓国の音楽番組に日本のmusicianが出てくれると嬉しい。若者の音楽文化を通じて両国の交流が活発になりどんどん近い国なってくれる事を祈る。
2003年12月12日
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マイナス1ポイント!タイトルの言葉はあるおバカな女子大生が言ってました。慶応大学の「ミス慶応」を選ぶイベントの舞台裏密着という感じの番組で取材を受けていた、そのミスコンテストに出場する慶応大学の女子大生の言葉。今東京の有名大学のミスコンテストは一大イベントになっており、その会場に入るのに入場料がいるという。たかだか大学のミスコンが商業イベントと化しているのには驚いた。将来有名人になるであろう卵の写真を取っておこうといわゆる「カメラ小僧」的な連中が殺到するという。そらお金もとれる。言葉を最も大切な道具として使用するアナウンサーになろうという人間が、「私女子アナになりたいんです」正しくは「私アナウンサーになりたいんです」アナウンサーになりたい女性がわざわざ「女子アナになりたいんです」と言わなくていい。女性がアナウンサーになるんだから「女子アナ」に決まってる。しかしある意味彼女は正しい。彼女は公共の電波を使用するテレビという媒体で報道の仕事に携わりたいのではなく、「女子アナ」と言われている半タレントの様な人気者になりたいのだと思う。単にテレビに出れる人気タレントではなく「女子アナ」彼女は自分がそこそこ見れる容姿を持っている事を自覚しており、さらに知的な職業であると他人に認められたいのであろう。彼女が本気でジャーナリズムの世界に関心があるとは信じがたい。全国ネットのテレビ局に出ている「女子アナ」と呼ばれている彼女達を見ているといつもあきれさせられる。まともにニュースを読めない。間違った事を言わない様に下に持っているペーパーの原稿を見ながら話すために、「話す」事に集中出来ず、8割は言い間違う。話す事においてプロであるはずの彼らがなぜ短すぎる原稿を頭に叩き込んでくれないのか不思議だ。ミスをしないようにして必ずミスをしている。報道のプロであるなら伝える内容を完全に理解し、言葉を頭に叩き込み、原稿を見ずとも話せるのが普通ではないだろうか?日本の女性のアナウンサーのレベルの低さは世界一だと思う。
2003年12月11日
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放たれる言葉の持つ影響というのは計り知れない。私はいつも人々がこの「忙しい」という言葉を使う時、その言葉を運ぶ人の心理について考える。「忙」という漢字は「心」と「亡」という要素で構成されている。心が亡き状態。非常にnegativeな状態。それを知っている人は多くても、その漢字のnegativeさを嫌い、口にするのを躊躇する人は少ないだろう。もちろん全ての「忙しい」人の心が「亡き」状態にあるとは言えない。漢字は漢字だ。ただ私は音として「いそがしい」という言葉を耳にしてpositiveな気持ちになるのはまれである。現代の日本(もしくはグローバルな世界)において人々に評価される人間とはどんな人間か。社会で必要とされる人物。生産性の高い人物。(ある意味でお金を多く稼げる人物)人よりより多く生産性をあげるためには人の倍努力をしなければならない。結果的には「競争で勝ち」「人を蹴落とさなければ」いけない。人の倍の努力をするために時間が必要とされる。「忙しくなる」自分の社会の中での存在意義を確認するため社会的活動を拡大させていく。そのプロセスの中で「競争」を強いられながら。 私は人々は自分の存在意義を確認するために自ら「忙しい」状況に身を置いているように見える。逆に「忙しく」なければ自分の存在意義を失ってしまう不安にかられる人が多いようにも見える。人の心は弱く、常に防御の壁が必要。
2003年12月10日
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あるビルに用事でほぼ毎日行く。そのビルにはイタリア語の教室があり、時々ビルの前で休憩時間を利用してか一人の外国人男性がタバコを吸っている。最近では黒の革のライダースジャケットを着ていてサングラスをかけている。もう誰が見てもイタリア人で、平均以上に男前だ。そのままサッカーのユニフォームに着替えてイタリア代表のチームに混じっても何の違和感も無いほどのイタリア人顔。そのビルには他の外国人が働いている様子もないし、彼は100%イタリア人と予想していた。長い間話す機会をうかがっていた私であるが先日ようやく話す機会を得た。私が先ずエレベーターに乗ると、彼が乗り過ごすまいと小走りで乗って来た。私「何階ですか?」日本語で話しかけてみた。彼は言葉は発せず会釈をし自分でボタンを押した。エレベーターの中は彼と私だけ。私「イタリア語の先生ですか?」普通のスピードで言ってみたら聞きとってイタリア人男性「はい。」私「日本語上手いですね。」イタリア人男性(恥ずかしそうに)「いいえ。」その言い方が本当にはずかしそうだった。サングラスもとっていたし、あのタバコを吸っている時のイメージとは全く違う彼のはずかしそうな笑顔。それまで彼の姿を何度も見ていて勝手にイメージを作り上げていたのでその「実際の彼」とのギャップに驚いた。本当に「知らない人に話しかけられてどう対応していいのかわからない」といった様子だった。それとも私が自信満々すぎるからこわかったのか?あんなにshyな男前のイタリア人男性は初めて会った。日本人は恥ずかしがりな人が多く、西洋人は自信満々な人が多いという私の考えはただの一般論だという事に気付かされる一件だった。
2003年12月09日
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ここ数年J-popのmusicianにとっての新しいステータスが生まれた。それは「年末12月の大阪城ホールで行われる一万人の第九コンサートで一万人をバックに自分の歌を歌う事。」今朝新聞をみて驚いた。森山直太朗が「さくら」を一万人をバックに歌っている写真が載っていたから。朝の情報番組でも彼の歌う姿を見たが、今まで見た中で一番「気合」が入っていた。日記のタイトルの「The song of the year」とはこの森山直太朗の「さくら」の事。(海外在住の方々、分からなくて申しわけないです。)カラオケでも二回歌ったし、一年中頭の中から離れなかった歌。紅白でもう一度見れる!去年の「The song of the year」は平井堅の「大きな古時計」。「さくら」と同じく私がその年で一番好きだった歌を歌った歌手が「一万人の第九コンサート」の特別ゲストに選ばれた。ベートーベンの交響曲第九番は好きでCDで何度も聴いた。最後の合唱のパートはあまりにも有名だが実は合唱にたどり着くまでに四つの楽章がある。いきなり合唱から聴いてもいいが、四つの楽章を聴いて合唱にたどり着くと合唱の感動は「10倍」になる。トータルで70分程あり、映画を一本見る位の集中力を要するが、聴き終えた後の満足感はすばらしい映画を見終えた後の感覚と同じ位になる。一度生の第九を聴きに行きたい。
2003年12月08日
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人を喜ばせる事を善行と呼ぶなら、昨日は善行をした日だと思う。たいした事ないんですけど、きれいな人がいたから「You look sooooooo beautiful!」て言ってみたら、手を差し出し「ありがとうございます。」と言い握手を求めてきた。握手をしました。かわいい人がいたから「めっちゃかわいいですね。」て言ってみたら、45度くらいのお辞儀をして、「ありがとうございます。」と言ってくれた。ただ感じた事を言ってみただけなのに、感謝されてしまった。「この経験は確実に私のこれからの行動を変えていくと思う。」こんなちいさな事で喜んでもらえるなら、これからも続けていこうと思う。
2003年12月07日
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私は友人や知人に「あなた変わったね」と言われると嬉しい。なぜなら意識的にいつも自分を変えようと、変わろうとしているから。性格の根本とか先天的なものは変える事は出来ないが、考え方や、感じ方や行動は生きていく中での様々な経験によって変わっていく。同じ変わるならプラスに変わっていきたい。つまり「向上」していきたい。自分の欠点は自分でも分かっている。(つもり)気付いている欠点は出来る限り直していきたい。より自分の理想とする魅力的な人間に近づくために。私は人間の可能性は我々が思う以上に広げる事が出来ると思っている。たかだか20年、30年生きてきて作り上げた人格なんてまだまだ発展途上。考えを変える、行動を変える事によって自分の周りの人が去っていく事もあるかもしれない。しかし私はそんな事は気にしない。People come and go.最後に残るのはこの「私」だけ。人の目を気にしていたら「変われ」ない。いつも前向きに、positiveに生きていれば変わろうと努力する結果は必ず「成長」であると信じている。つまり「成長」するために「変わる」努力を心掛ける。自分が変わった事によって出会う新しい人たちには「Hello!」去って行く人たちには「Good luck!」変わりつづけても私を去らない人たちには、I love you!
2003年12月06日
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先日知人のカナダ人女性に会い、彼女の恋愛話を聞いた。彼女の話を聞いた後、私は、男女の関係って無限大なんだなって思った。彼女は20代前半のカナダ人。あったのは三度目。2度目に会った時にスペインにボーイフレンドがいると聞いたが、詳しくは聞かなかった。この会話は最近三度目に彼女に会った時に英語で話されたものです。彼女「私はスペインに彼がいるの」私「いつ会ったの?」彼女「八月」私「どこで会ったの?」彼女「電車の中」(日本)私「彼はいつスペインに帰ったの?」彼女「出会って二日後。私達は20分しか一緒に会わなかったの。」私「えっ?????」 「彼は本当にあなたのボーイフレンド?20分会って話しただけ??」彼女「うん。彼は私のボーイフレンドよ。私も最初はこんな状況は考えられなかったけど、彼は私が今まで会った人のなかで一番ロマンティックな人なの。変?」私「人の恋愛についてどうこうはいえないけど、私は今までそんな経験ないから共感できないというか....非現実的としかいえない。」彼女「私も最初はあなたと同じ考えだったわ。でも今現実にそれは起きてるの。」私「すごいとしかいいようがないね。あなたは彼が好き?彼はあなたが好き?」彼女「もちろん。私達は毎日電話するし今日も8回メールが来たわ。彼の英語はあまりよくないけど、私達が言えないようなとてもすばらしい英語でメールを送ってくるの。とてもロマンティックな言葉で。」私「彼は詩人?」彼女「うん。芸術家よ。」私はその話があまりに非現実的(私の世界の中で)だったので、少し疑いの目で彼女を見ていた事を否めない。しかし今思うことは、私はその彼がうらやましい。彼は本気に違いない。20分しか会えず、その後離れ離れになり、もう四ヶ月ほどが経とうとしている相手を今も思いつづけている。彼らの愛が真実だとしたら、それはすばらしい。
2003年12月05日
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イチローがアメリカにいく前、オリックスでの最後の試合を神戸グリーンスタディアムに見に行った。パリーグの試合、オリックスの試合には今はそれ程興味がなくなってしまったが、イチローが海の向こうに行くと決まった後の、日本での最後の試合を目に焼き付けに行った。イチローはグランドで美しかった。以前に松井選手の事を書いた時も彼の人間離れした精神性についてふれたが、イチローも人間離れしている。100年に一人の選手と言った人もいる位だ。松井とイチローのグラウンドの外での大きな違いは、マスコミに対する姿勢。松井は今年一回も欠かさず試合後のインタビューに答え私達は日本でほぼ毎日彼の顔を見、声を聞く事が出来た。イチローは全く違う。彼の試合後の映像つきのインタビューを見ることはめったに無かった。私が覚えているのはたしか3年連続の200本安打達成の試合の後のインタビューだけ。二人の姿勢は両極だが私は二人とも大好きだ。「ALL or NOTHING」分かりやすくていい。イチローのマスコミに対する姿勢を批判する人がたくさんいると思う。「ファンあっての商売なんだからテレビの前で愛想よく受け答えすべきだ。」とか。私はそんな意見に「NO」と言いたい。どうしてスポーツ選手が、プレイ以外の部分で気を使わなければいけないのか。イチローは超人的なプレイそのもので見る人たちに夢を与えている。それで十分ではないだろうか?彼の考えを知りたければスポーツ雑誌を買ってインタビューを読めばいい。マスコミに対して言いたい事はいつも山ほどある。
2003年12月04日
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夜八時半頃、テレビをつけてみたら、とんでもない映像が私の目に次々と飛び込んできた。先ずは平井堅。最近はいつも話題を作っている彼だが今回は、故坂本九氏とのデュエットで「見上げてごらん夜の星を」。もう今はこの世にいない人間とのデュエットという離れわざだが、実はこの手法、以前ナットキングコールの娘であるナタリーコールが父の死後に、父の曲を、父とデュエットして大ヒットした。「Unforgettable」生前に録音された音と、録画された映像を使い、見事に「デュエット」した。父と娘の声、男性と女性の声が上手く重なり合い、曲がもともとすばらしいこともあり見事な出来だった。今回の平井堅も同じ手法を使った。「見上げてごらん~」は坂本九氏の曲としては「上を向いてあるこう」にならんですばらしい名曲。平井堅もエンターテイナーとして、キャリアを積み彼なりに自信を持ち始めてきたのだろう。あの坂本九氏とのデュエットを決断するのは余程の自信だと思う。この手法に関しては賛否両論あると思うが、私はOKだと思う。いい曲を改めて世に知らしめるのはとてもいい事だと思う。平井堅の歌唱力なら許せる。「現在」のアーティストのパフォーマンスの合間に、「80年代の名曲特集」と題して、過去の「FNS歌謡祭」の名場面を写していたのだが、これがかなり「きつい!」なにがきついかって80年代の歌手達の服装と化粧、そして番組の盛り上げ方。おそらく大賞受賞者だと思うが、松田聖子が母と一緒に立って歌っているのだが感極まって号泣で、化粧がボロボロ。その見るに耐えない映像を見ている「現在」のアーティストが左上の小さなウインドウで写されていたのだが、皆どう反応してよいか分からないような顔をしていた。正直皆笑いたかったに違いない。あまりにきつい映像だ。さらに松田聖子は別の年に別の曲で出演し、今度は泣いていないが、次に横に立たされているのがその曲を編曲した松任谷正隆氏。今では考えられない演出だ。そして彼女は時々歌の途中でその松任谷氏にマイクを向けうたわせようとしていた!氏はしぶしぶ歌わされていた。とんでもない映像を見てしまった。時代が変わるってこわいですね。
2003年12月03日
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日曜日の夜中、その電話がかかってきた。「通知不可能」二日前に同じく「通知不可能」の電話がかかってきた事を思い出し、同一人物に違いないと思った。電話に出てみた。日本人か外国人かは分からなかったけど、「もしもし?」彼女「coal?」声を聞いても誰かはわからなかったが、その一言で相手が外国人である事は分かった。私「yes」彼女「coal?」私「yes, sorry, who are you?」彼女「Jenny(仮称)、send me my jacket」私「?????」この瞬間私はパニックになりいったい何が起こっているのか状況を見失った。実は最初は彼女の言ったその簡単な英語を理解出来なかった。知らない相手から突然どこでどう番号を調べたか、電話がかかってきて、私の名前を呼び、「私のジャケットを送ってくれ」こんな事ってあるのだろうか?いやありえない。でも実際に起きた!私「your jacket? sorry I don’t know what you’re talking about.」Jenny「send me my jacket, my leather jacket」私「I don’t know who you are sorry...」彼女は電話を切った。そして二分後また、電話をかけてきて今度は私の住所と、家族の名前を訊いた。聞いた事のない名前だとわかると再び勝手に電話を切った。実は彼女の名前を聞いたとき私の頭の中は、女性客でうめ尽くされた百貨店のバーゲン会場のように忙しく、記憶の糸をたどっていた。その珍しい同じ名前の人に会った事はあるが声は違っていた。しかしいったい何が起きたというのだ?私は人のジャケットを預かってないし、盗んだ事もない。そして彼女を知らない。いったい彼女は私の電話番号をどうやって知ったのか?誰が教えたのか?教えた奴は誰なのか?そいつは私をうらんだりしているのだろうか?私は何も悪いことをしていないのに。一つ不思議だった事は意外と私がそんな「ハリウッドホラー映画」的な状況にもかかわらず冷静だった事。そしてすぐに考えた事は、「日記のネタが出来た。」(笑いました?)
2003年12月02日
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私は自己評価すると人をたくさん笑わせる事が出来るような面白い人間ではないと思う。「あの人めっちゃ面白いからまた会いたい」といったタイプの人間ではないと思う。そんな私が友人とのコネクションをキープ出来ている理由の一つは友人や知人に何かしてもらった時に「ありがとう」の気持ちを必ず伝える事だと思う。(完璧に出来ているとは言い切れないが努力はしている)当たり前の事だと思いますが、実は時として忘れている場合もあるし、あまり意識していない人もいます。当たり前の事が難しかったりしますからね。この週末全くの別件で、私の二人の友人が「ありがとう」の気持ちを伝えなかった。自分が普段から意識しているだけに、人にも無意識で求めてしまう。二人ともかなり親しい人間だけに少しがっかりした。二人とも25歳を超えていて社会的には大人ではあるが、ある意味「子供な」面もある事は以前から分かっていた。しかしあらためてそれを知る機会を迎えてしまった。世の中には優しい人もたくさんいて人に何かをしてやるのが好きだという人もいるだろう。しかし「仏の顔も三度」という言葉があるようにそんな人たちも何かをした時に「ありがとう」の言葉をもらえなかったらその言わなかった人に対して気持ちを変えると思う。「人のふり見て我がふり直せ」「反面教師」という言葉がある。二人の態度を見て私自身が考える機会を与えられた事を「幸運」と思う事にしよう。忘れてしまいがちな事に気付かされたから。
2003年12月01日
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