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先日、旅行先で、山の中の池に、松の枯葉が浮かんでいるのを見た。「わー、きれい!」と私。「絵描きの、*ゴッホの絵*のタッチに似てるな」と夫。「松の枯葉は、『まつご』言って昔やったら、持ってかえって、家で焚いたのに」と私。私は子どもの頃、大きな籠を背中に背負って、手には、熊手を持って山に、「まつごかき」行った。松の木の下で、枯れた、まつご(松の枯葉)を、熊手で集めた。まつごは、風呂の焚きつけに使うと、ぱちぱちとよく燃えた。けれど、松の枯葉を「まつご」というのは、方言だと思っていた。ところが、「まつご」は、松の枯葉という意味の古い言葉だったのだ。松尾芭蕉が愛弟子の身を案じて旅する途中、あんまり寒いので、ご(松の枯葉)を焼いて手拭をあぶったという句がある。「ごを焼きて 手拭あぶる 寒さかな」 松尾芭蕉 ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月23日*朝まで生テレビ体験記「なにぬかしとるんでぇ」その2/その3 * UP・・・・・・・・・・・・・
2007.01.23
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*ミステリーツアー*は、信楽から、伊勢志摩に一泊して、次の日は伊勢神宮に行った。もちろん、私たち、乗客には、予定は知らされていなかった。押すな、押すなの人ごみだったので伊勢神宮には私たちは、お参りしなかった。「けっこう若い人もいてるな」と夫。「女優の藤原紀香嬢と吉本のジンナイもここでデートしたみたいやからね」と私。ところで伊勢には、日本最古の紙幣があったそうだ。昔(江戸時代)、伊勢には「伊勢(山田)羽書(はがき)」と呼ばれる独特の紙幣がありました。横一寸(3.3cm)、縦、五寸五分の美濃紙の木版刷りで、これは神領伊勢内で通用するお札(さつ)でした。発行は奉行所が取り仕切っていましたが、神領のお札だけになかなか信用があったそうです。そして、明治4年に廃藩置県で各藩の「藩札」がなくなった後も、これだけはされらに数年間有用していたそうです。パンフレットより。今でこそ、一観光地にしかしすぎない伊勢神宮も江戸時代までは、日本一の観光地だった。当時の人は、死ぬまでに一度でいいから、伊勢に行きたいとまで思っていたそうだ。 ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月13日*トリビアの井戸:てしょう* UP・・・・・・・・・・・・・
2007.01.13
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*「ミステリーツアー」*で最初に着いた所は、滋賀県甲賀市信楽町。酒の徳利をもった狸の置物で有名な信楽(しがらき)焼きの町。(しがらきやき)は、滋賀県信楽町を中心に作られる日本の伝統陶磁器で、日本六古窯のひとつに数えられる。信楽は、かつて、火鉢の大産地だった。昭和30年代までは、火鉢は、どの家でも使われていて需要が多く、信楽は栄えていた。がしかし、昭和30年以降、火鉢は売れなくなった。暖房が石油ストーブに取って替わられたのだ。で、次に目をつけたのが、植木鉢だった。これもやがてプラスチックの植木鉢に取って替わられた。信楽焼きといえば、酒のとっくりと通いを持ったユーモラスな狸の置物が代表的。狸の置物が出来るまでをユーモアたっぷりに説明してもらった。焼く前の狸を見せてもらったが、焼くと15%は、小さくなるそうだ。「15%、スマートになります。狸のダイエットでんな」とポンポコ氏(案内の人。私が勝手に名前をつけた)。「そんなら私らも焼いて欲しいわ」と大阪のおばちゃんたちのツッコミが入った。この狸は、縁起物ですとポンポコ氏は言う。頭に被った笠は、災難避けるためのヘルメットのようなもの。手に持った徳利は、徳を持つという意味。通帳は信用を意味する。大きな腹は、太っ腹。でも、狸でなくても、猫でもいいのでは・・・?狸は「他をぬく」、つまり、他を抜くほど、商売が繁盛するという。信楽(しがらき)という町は、狸のおかげで生活をしているといっても過言ではない。「ぶんぶく茶釜」や「かちかち山」と、かつては人間と近い関係にあった狸も近年、生息地である山林が開発により減少し、棲家を失っている。狸の置物だけでは、やっていかないのではないかと、信楽焼きの今後に私は、人ごとながら不安になってくる。それより、狸つながりで、「たぬきの住む町」なんてキャッチフレーズで、里山を保全し、町おこしをしてはどうだろうか。 ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月12日*ヤレボー* UP・・・・・・・・・・・・・
2007.01.12
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(略)そうした中で目立つのが、成人式の晴れ着だあろう。人の一生のうちで、成人式を迎えることは今も昔も大切なことであり、晴れ着によって一人前となったことを表示しようとしたのである。(略)振袖のほかに被り物(かぶりもの)も重要な晴れ着だった。綿帽子や絹布の帽子をさす。以前はカツギ(被衣)といって着物を頭からすっぽりかぶっていた。要するに頭部をおおうのである。「民俗学への招待」宮田登結婚式の「つのかくし」や綿帽子など、ほんとうに、考えてみれば改まった時には、頭を覆うものがある。ドラマ「チャングムの誓い」でも、韓国の宮廷に使える男性は、いろんな形の帽子を被っていた。だからというわけでもないのだけれど、友人と行った京都で、白いニットの帽子を買った。左側に大きなコサージュがついている。黒いコートに黒いズボンの地味な服も、コサージュのついた白いニット帽を被ると、とたんに、華やかになる。「ケ」(普段着)から、「ハレ」の服装になった。友人は、私の買った帽子を「大正ロマン帽」と名づけて、私の写真を写した。暑さ寒さをしのぐため以上に、「かぶりもの」は楽しい。●イラストは、ネコの帽子。 ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月9日*成人式今昔/正月の食器を仕舞う * UP・・・・・・・・・・・・・
2007.01.09
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クリスマスにはサンタクロースがやってくる。小さい子たちの夢は、ほほえましい。(^-^)サンタクロースといえば、赤い服を着た陽気でちょっと太目の白いひげをはやしたお爺さんというのが相場。ところが、このサンタクロースのイメージが定着したのは、コカコーラの力が大きかったとか。。それまでの、サンタクロースは、「クレメント・ムアーが1822年に書いたクリスマス前夜という詩からサンタクロース=のいたずら好きな妖精というイメージの時代がしばらく続くことになる。」妖精のサイズだったサンタクロースを等身大のサイズに拡大したのは、コカコーラ社の宣伝部でした。コカコーラ社は同社のイメージカラーである「赤」をサンタクロースの衣服に重ね、サンタクロースがコカコーラを飲んでいるイメージのポスターや広告を大量に作成して、ブランドイメージの浸透を図りました。この頃から、サンタクロースは「赤いパーカーを着て、豊かな白いヒゲの奥で愉快そうに微笑んでいる人の良いおじいさん」というイメージで定着していったのです。そしてこの等身大のサンタが登場すると同時に、妖精だった時代のサンタが使っていた魔法は、いつの間にか使えなくなっていったようです。へえ~!!へえ~!!ちなみに、「ケンタッキー・フライド・チキン」の店頭に立っている「カーネル・サンダー」というおじさんとサンタクロースとの関連を熱心に調べた雑誌記事を見たことがありますが、かなり詳しい調査の結果この両者は関連性はないとのことでした。念のため。 それにしても、サンタクロースを宣伝マンにするなんて、「越後屋」じゃなかった、*「コカコーラ」*そちも悪よのう( ̄ー ̄) ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★12月19日*「ALWAYS 三丁目の夕日」の◎えこ◎な暮らし *UP・・・・・・・・・・・・・
2006.12.19
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関西に転勤になる人が「大阪のイチビリに負けるなよ」とはげまされたそうだ。はげまされた本人は、「大阪一のビリに負けるわけがないだろう」と憤慨したそうです。「いちびり」とは一番ビリににあらず。「いちびり」とは、ふざけまわる人、お調子者、出しゃばりといった意味の大阪弁。動詞は「いちびる」。 元来は、お調子もんを揶揄する時などに使う、ネガティブな意味合いの言葉だが、逆に、味がある、面白い人間をさして、「あの人は、なかなかのいちびりや」といった一種の称賛として使うこともある。 「目先のお金儲けではなく、世間の常識と違う新しいこころみをする人だ」というニュアンスもあります。関西は、そういった「いちびり」な人たちで新しい面白いアイデアを生みだす活力がありました。「蟹」の看板、くいだおれ人形、関西のお笑いなどに「いちびり」の痕跡を感じます。大阪の人はわりと、そういうオモロイことをしている人を、「ごっつオモロイやん」と素直に称える感性を持っている。だから大阪人はみんな、多かれ少なかれ、いちびり系のDNAを保有している、といえるのかもしれない。参照大阪弁完全マスター講座より。・・・・・・・・・・・ふざけるの大好きでお調子者の私は、「いちびり」です( ̄▽ ̄) ●大阪しぐれは私が大阪で知ったり見たり聞いたりした「へえ~」や「( ̄▽ ̄) 」なことを書いています。 ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★12月18日*新歳時記:師走に「第九」を聞く*UP・・・・・・・・・・・・・
2006.12.18
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秋祭の前の準備に、*道普請(みちぶしん)*があります。道の草を刈ったり、邪魔になる木の枝を払ったり、階段を直したり・・・。祭の客が歩きやすいようにとこの時期やるのです。ところで、道普請の「普請」とは。普請とは、普(あまね)く請(こ)う、つまり、「大勢の人々に労力をお願いする」という意味の禅語で、起源は鎌倉・室町時代にさかのぼります。へえ~、へえ~!!昔は道だけでなく家を建てることも「普請する」といってました。お寺、道、水路などの修繕、維持は地域の人々が、お互いの思いやりの気持ちをもって、力を合わせて行いました。道路は、もともと、地域を支えるコミュニケーションの場でした。しかし、車社会になり、行政が道路をつくり、管理するようになってから、人々の心は道から離れ、地域からも離れてしまいました。今、道路をはじめとする公共事業のあり方が問われています。豊かな暮らしの創造に向けて、「個」がお互いに力を合わせて「公」をつくる、これこそが「公共」のあるべき姿ではないでしょうか。 「ひと みち くらし」より市民が無関心だと、行政は、いらない道路や新幹線までつくってしまいます。そういう意味でも、無関心ではいられません。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★10月8日*「雨の名前:通草腐らし(あけびくさらし)」*UP
2006.10.08
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9月12日から14日の旅行の最後に、乗鞍高原休暇村の近くの林を散策。1600mという高原では、秋は一足早く、真っ赤なガマズミの枝を見つけた。緑の中で真っ赤な実は目立つ。ガマズミは、鳥に実を食べてもらい、子孫の反映を願う。ここでは、少子化は問題なく、ただひたすら、子孫の反映を願いそのために、目立つ真っ赤な色の実をつけている。このガマズミ、きれいなだけでなく、良質の天然クエン酸を含むりんご酸が多く、昔から健胃疲労回復に珍重されたという。9月ころの実は酸味があり、果実酒に適し、生食用には11月ころ採取したものが適しています。また、霜の降りる頃になると次第に酸味が抜け、透明感を増して甘くなってきます。和名のガマズミの由来に関しては、よくわからないらしい。「神つ実」であるという説や、ズミは染めに使用するとの意味であるので、何らかの染色に利用したとの意味ではないかとの見方もある。果実に酸味があることから、酢味(すみ)から転嫁して、ガマズミの名になったという。岡山理科大学 総合情報学部 生物地球システム学科HPよりへえ~、へえ~!!!広い庭があったら絶対にうえるんだけどな、ガマズミ・・・。昨日、ラジオで乗鞍高原は初霜がおりたといってた。季節は確実に変わっている。・・・・・・・・・・・・・■9月12日■馬籠*妻籠。■9月13日■白骨温泉*/松本・開智校■9月14日■乗鞍高原散策* 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★9月27日*里山の歌:われは海の子 *UP
2006.09.27
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信州・松本市に行く前に白骨(しらほね)温泉で一風呂浴びることに。「三日入れば3年風邪をひかぬ」と名湯の誉れ高き白骨。しかしまあ、白骨とは、なんという地名なんだろうと、地名大好きの私は思った。この地名は二つの説がある。●白船(しらふね)説白船と書かれ「シラフネ」とも呼ばれていた。それは、浴槽の内側が石灰分の結晶で白くなることから名付けられたと言われています。●白骨(しらほね)説成分中の石灰質が、湯船に落ちる木の枝を真っ白に染め、人骨のように見えたことによる。 成分中の石灰質が、沈殿・凝固し、浴槽や床に様々な紋様を描いた様子が、人骨に見えたこと。 ところが、大正2年、中里介山の長編小説「大菩薩峠」(白骨の巻の中で白骨と呼ばれた)ことからこの温泉が一躍有名になり小説に記された「白骨温泉」がそのまま一般通称となりました。へえ~!へえ~!古代には「好字二字」、つまり縁起のいい字、二文字からつけるとされていた地名。昨今は特にひどく、日当たりのよさそうな地名が好まれ、「影」や「窪」の文字が避けられる。谷なのに「丘」や「台」の字をつける詐欺のような地名まで横行している。「生まれる地名、消える地名」そんな風潮の中で「白骨」が残ったのは、奇跡的(大げさか)!写真は近くの散策道。 それにしても、白骨温泉の公共野天風呂から見る、美しい川の流れと対岸の緑は計算されたかのように完璧で、これは景色だけでも比類ない露天風呂の一つだなと感激!!これがたった500円で入れるのだから嬉しい♪水と緑が美しく、紅葉の頃も楽しみな場所。・・・・・・・・・・・・・・・・■9月12日■馬籠、妻籠。■9月13日■白骨温泉/松本・開智校 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★9月18日*大阪しぐれ:*泣かにゃ笛吹く隣の子* *UP
2006.09.18
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*七夕*とお盆。どちらも夏の行事。この二つには、沢山の共通点があります。そのひとつに、茄子で作った牛とキュウリで作ったウマ。七夕には笹飾りをして、その前に尻尾にトウモロコシのヒゲ?をつけ、足は4本のマッチ棒のの牛と馬を置くのですが、これは、お盆にも飾るところがあります。ご先祖様が、牛や馬に乗って帰って来るということ。へえ~、へえ~!!! 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★8月7日*雨の名前:洗車雨(せんしゃう)/七夕*UP
2006.08.07
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今日は「なにわの日」。関西弁でいえば、「なにわの日ィ」です。( ̄▽ ̄) なにわといえば「なにわ野菜」。水茄子、毛馬きゅうり、天王寺かぶら、毛馬きゅうり、勝間なんきん、泉州玉ねぎ・・・。特に人気のあるのが「水茄子」。名前が示すとおり、水分がたっぷり。昔、お百姓さんは、畑で喉が渇いた時、水を飲む代わりに「水茄子」を食べたというくらい。私も大好きで、今日も水茄子の糠漬けを食べました。('ー;')この「なにわ野菜」をアジアに売り出そうと大阪府とJAがやっきになっています。+++なにわには、なにわ野菜、京には京野菜、東京には、練馬大根に代表される野菜・・・。昔は各地にその土地の野菜があったんですね。ちなみに、勝間(こつま)なんきんは、小粒で美味しいというところから、「いい女」の代名詞になっています。(*^ー゚)b■[特別企画][大阪Tips50]旅行者向け『大阪Tips50』 初めて大阪に来られる、全ての旅行者に捧げます…9.大阪で一文字のモノを発音するときは、必ず語尾に小さな「母音」をつけます。例えば「手」なら「テェ」、「血」なら「チィ」、「歯」なら「ハァ」です。数字を数えるときも「イチ、ニィ、サン、シィ、ゴォ、ロク・・・」となります。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月28日*難波(なにわ)の日*UP
2006.07.28
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大阪では、うな丼やうな重を「まむし」ということがある。この語源は、諸説がある。・・・・・・・・・・・「まむし」鰻をご飯の「間」にはさんで「蒸し」て食べる→「まむし」「まぶし」鰻をご飯で「間ぶし」て食べる→「まぶし」大阪では一般に鰻飯(まんめし)と読んでいた→「まむし」「まぶし」「まむし・まぶしの語源」・・・・・・・・・・・・私は、「間に挟んで蒸す→まむす→まむし」を信じている。なぜならば、むはぶに変化するから。・・・・・・・・◆言葉の謎!「さぶい」と「さむい」 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月23日*トリビアの井戸:土用丑(うし)の日にウナギを食べるわけ。*UP
2006.07.23
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先週行った、愛知県の渥美半島は、メロンの産地だった。宿の国民休暇村に着くと、記念にとメロンを2個もらった。夕食のバイキングで、デザートは、メロン♪('ー;')で、帰ってメロンについて調べてみた。◆メロンの語源◆ギリシャ語の”melopepon”(りんごのようなうり)が語源。◆プリンスメロンの語源◆昭和37年に、ヨーロッパ種のメロンとマクワウリの一代雑種が誕生。皇太子ご成婚にちなんで、プリンスメロンと名づけらた。◆マクワ瓜の語源◆名前は岐阜県の真桑村に由来。へええ~、へえ~、へえ~♪♪♪メロンの語源も分かったけれど、もうひとつ分からないことが・・・。♪コラソン デ メロン デ メロン デ メロン・・・。「メロンのきもち」という昔大ヒットした歌。どういう意味なんでしょうね・・・。明日、母が来るので、もらったメロンを食べよう♪♪コラソン デ メロン デ メロン デ メロン・・・。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月21日*三日三晩の土用干し・梅干*UP
2006.07.21
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「椰子の実」島崎藤村作詞・大中寅二作曲名も知らぬ 遠き島より流れ寄る 椰子の実一つ故郷(ふるさと)の岸を 離れて汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき)・・・・・・・伊良湖(いらご)岬がどこにあるのか、知らない人も、「椰子の実」という曲は知っている。それくらい皆に親しまれた名曲。その「椰子の実」の叙情詩が生まれたのが渥美半島の伊良湖岬。+++民俗学者の柳田國男が大学生の頃、伊良湖を訪れたのは、明治31年のこと。伊良湖滞在は、渥美出身の画家の紹介によるもので、網元の離れ座敷を間借りして1カ月余りの長期逗留でした。 恋路ケ浜を散策中に、柳田國男は偶然どこからか流れ着いた椰子の実を拾います。*この体験は強く心に残ったのでしょう。*この話を親友の島崎藤村に語ったところ、、藤村は『君、その話を僕に呉れ給へよ、誰にも云はずに呉れ給へ』と柳田に頼んだ事が述べられている。それが素材となって叙情詩「椰子の実」が誕生したのでした。・・・・・・・・・ロマンチックな話・・・。最近では*椰子の実流し*というイベントをやっています。ごみが流れ着く今日この頃。椰子の実だとロマンチックな物語も思いつくけど、ごみだとね・・・。・゚(´□`)゚・。。**椰子の実流し**石垣島から伊良湖岬へ。田原市観光協会では伊良湖岬が舞台となった島崎藤村の「椰子の実」のロマンチックな叙情詩を再現しようと、はるか石垣島から伊良湖岬に届くよう毎年約100個のやしの実を投流しています。日本国内(沖縄県以外)で発見されると、やしの実を拾った方と会員の方(購入した方)それぞれペア5組を伊良湖岬に招待し、対面していただくイベント、愛のココナッツメッセージ「やしの実流し」を行っています。 ****柳田國男の椰子の実メモ**** 嵐の次の日に行きしに椰子の実ひとつ漂い寄りたり。打ち破りて見れば梢を離れて久しからずや。白く生々としたるにそぞろに南の島の恋しくなりむ。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月16日*父の麦わら帽子:嗚呼、夏休み*UP
2006.07.16
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■アホ・バカ■「純情きらり」の舞台は、愛知県岡崎市。味噌屋の女将・松井かねと桜子の叔母・磯は「たわけ!」「くそだわけ!」罵り合い。けれども、東京の生活では、いろんな地方からの人が出てきています。で、「アホ・バカ」の種類も豊富。画家の杉冬吾は東北出身。「ほんずなす(ほんじなし)」と言います。「ほんじ」とは<意識>とか<わけ>或いは<記憶>というような意味。「ほんじ」が「なし」→で「ほんじなし」→意識がない。わけがわからない。といったふうな意味です。■かしんさい■主人公・有森桜子は、許婚の松井達彦が兵隊に行っている間に、味噌屋の女将修行をしています。台所から帳場まで慣れないことをする桜子は失敗ばかり。そんな時、「かしんさい。」と言って手伝ってくれる、人たち。「かしんさい」とは「貸しなさい」。つまり「貸してみなさい」ということ。この「かしんさい」は、岡山で過ごした子ども時代に年寄りが言っていた言葉。遠い昭和の言葉です。::::::::::NHKの朝の連続ドラマ「純情きらり」が描くのは、昭和の初期の日本。時代背景は、セットや小道具、メイクなど番組に登場する全てのものが当時のものを再現したレトロなものばかりです。一方、私が生まれたのは、昭和20年代で終戦後。子ども時代は、昭和30年代。「純情きらり」の昭和と「私の昭和」の間には、約20年の差があります。また、戦後という、大きな事件の後では、ものの考え方が大きく変わったはずなのに、実に多くのものを共有していることに気がつきました。いちいち、とりあげてみたいと思います。♪♪♪♪♪「純情きらり」と「私の昭和」♪♪♪♪♪■桜子の陶椀■私は、味噌汁用と思っていたのですが、桜子は、これでご飯を食べていました。■誕生日の祝いはしない!■■色足袋■■手ぬぐい■■「純情きらり」と私の昭和:しょいこ【背負子】■・・・・・・・・・・・・・・明日から愛知県に行ってきます。桜子の町、岡崎には行きません。どんな方言が聞けるか楽しみです(^-^) 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月10日*オカラさんと書いた人を推理する*UP
2006.07.10
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「この味がいいね」と君が言ったから 七月六日はサラダ記念日 俵 万智今日はサラダ記念日。私たちが毎日食べるサラダ。そのサラダの語源はなにか・・・・。「サラダ」という言葉はもとをたどると、ラテン語の「sal、塩」に行きつくとか。つまり新鮮なレタスの葉っぱに塩をひと振りすれば、それはもうれっきとしたサラダなのです。「へえ~ へえ~!!」私は小さい頃、野山でスカンポやスイバを採って塩をつけて食べていました。サラダにしていたのだ!!!◎地球を救う127の方法・食◎60.肉食は飼料として穀物を多量に消費する(1kgの牛肉のために20kgのとうもろこし!)のでできるだけ野菜中心にした食生活にする。近海魚や豆をタンパク源として活用する。61.野菜はエネルギー多消費型のハウス栽培ものを避け、(安くておいしい)旬の露地物を選んで買う。69.曲がったキュウリや虫食いキャベツを嫌がらない。 着色料を使ったりワックスがけをした食品の美しさを疑ってみる。◆ごちそうさん歌:「サラダ記念日」のサラダ ◆ 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月6日*サラダ記念日特集*昔はどうしていたんだろう:キュウリの酢の物*UP
2006.07.06
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お局が1泊で木曽に行って来た。「体にええで」と私へのお土産に、「クマザサ茶」を買ってきてくれた。笹には、殺菌作用があるとか。その効能を生かしてか、端午の節句のチマキは、笹でくるんでいる。魚なども、笹を敷いた上に乗せる。ところで、クマザサは、熊笹にあらず。正しくは、隈笹。笹のまわりを白い隈が入っているのが語源という。生えているだけで、酸素を出し、おまけに、私たちに体に役に立つ。植物って、エライ!!::::::::::::::::イラストは隈笹ではありません。ペイントで隈笹のイラストを描いても、アップ出来なくて・・・。(涙) 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★5月31日*枇杷熟れ、桑熟れ、椋熟れて・・・。* UP
2006.05.31
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おやつ、大好き!でも、肥るのが怖い・・・。そんな人が多いのか、ものもんたのテレビ番組(夫が健康オタクで、ビデオで必ず見ている)で、やっていたのが「カロリーが減らせる、おやつの食べ方」!●ケーキ果物の入ったのも、トマトジュースをコップ半分飲む。●饅頭白あんを選び、水出し緑茶を飲む。●チョコレートビターチョコレートを選ぶ。●果物皮ごとたべることが出来るものがよい。蜜柑も袋ごと食べるのがいい。ヨーグルト、牛乳を一緒にとる。●せんべい醤油せんべいを選ぶ。醤油の香りが体にいいので炙りなおして食べるといい。・・・・・・・・・・・・・・ケーキは、イチゴが入ったのがいいのね♪('ー;')昨日、会社で、外国からのお土産にもらったチョコレートが激ウマ( ̄~ ̄)おもわず、沢山食べ過ぎてしまいました。ビターチョコじゃなかったし~(ノД`) 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★5月22日*あそび唄:はないちもんめ* UP
2006.05.22
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兵庫県・出石(いずし)蕎麦を食べに行ったら、取っ手のついた口にある四角い入れ物に入って蕎麦湯がもれなくついてきました。「こんなん、初めて見たわ」とその容器を見ながら、関西人で、本格的な蕎麦屋に入るのは初めての夫が言う。「これは、湯桶(ゆとう)っていうねん」と私はきっぱりと言う。「蕎麦湯の入っていたあの入れ物のことを、なんていうのですか?」きっぱり言ったものの自信がないので、出掛けに聞いてみました。「別に・・・。名前なんて・・・。ただ、蕎麦湯入れってよんでますけど・・・」と若い女性店員は答えた。★湯桶(ゆとう)湯桶(ゆとう)とは、木製漆塗で注ぎ口と柄のある容器のこと。かつては、湯や酒を注ぐのによく使われていた。現在は、蕎麦屋で蕎麦湯を入れるのに用いられている。本体が正四角柱のもの(角湯桶)と、円筒形のもの(丸湯桶)とがある。★「そば屋の湯桶」角湯桶は口が正面についてなく、横のほうに突き出た格好になっている。そこから、人が話をしている最中に横から口出しすることを「そば屋の湯桶」と呼ぶようになったという。★湯桶読み湯桶を「ゆおけ」と読まず、「ゆとう」と読む類いを俗に「湯桶読み」という。漢字2字でできている熟語の上の字を訓で読み、下の字を音で読むこと。////////////////////////////////蕎麦屋の湯桶は角湯桶、うちの湯桶は丸湯桶。雛の節句や、お正月の活花の花器として使っています。何も足さない、何もひかない、りんとした形と塗りの美しさにほれぼれと見つめてしまします。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★5月19日*田植え・えんたえ(えんてー)* UP
2006.05.19
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関西では、蕎麦より、うどんが好まれるのに、兵庫県、出石(いずし)町では、蕎麦が盛ん。でも、なぜ、出石に蕎麦が広がったのか・・・。今から300年ほど昔、信州上田城主仙石政明公と出石城主松平忠徳公がお国替えとなりました。その時、仙石氏が、信州蕎麦の技法を伝えたのが始まりとか・・・。へえ~~!!!蕎麦にふくまれるルチンという栄養素は、肝臓の機能を強くする効能があり、アルコールを良く摂取する方にはお薦め。カロリーが麺より低く、食物繊維を豊富に含んでいるためダイエット中の強い味方です!その他、コリン、E、セレンが含まれ、ガンの予防、高血圧、糖尿病、緑内障等の治療作用があり、ルチンが多く含まれており毛細血管を強化し、血圧を降下させる働きがあります。このことから心臓病、動脈硬化、高血圧の予防に役立ちます。又、活性酸素を除去する働きがあるので、悪玉コレステロールの発生予防、及び脳の記憶力向上に役立ちます。 ●夫と兵庫県の北部、出石(いずし)や日本海の海岸に1泊2日の旅行。●蕎麦は体にもダイエットにもいいと聞いて、二人とも、昼食は蕎麦。そば湯はルチンの宝庫で、 高血圧や動脈硬化防止の為にもそば湯はいいそうです。●写真は、蕎麦ちょこで元気に育つ大根の葉。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★5月16日*父の麦わら帽子:遠き春よ * UP
2006.05.16
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四月も下旬だというのに今日も寒い日でした。寒いことを関西の年寄りは「さぶい」と言います。岡山の年寄りも言います。「さぶい」と「さむい」の他にも、「ほっかぶり」は「ほっかむり」「ヒボツケ」と「ヒモツケ」。これらに共通するのは、「バ行」が「マ行」に変わったということ。うーむ・・・謎だ・・・。これは、調べなくてはなりません。と以前、日記に書きました。くちごもりさんから「音韻変化」という情報もあり。先日、「家出のすすめ」を読んでいたら、次のような文が出てきました。*****ほんとうは、とうの昔から「家族あわせ」は家の外に押しやられ、さぶい北方の農村では、生まれてくる児を・・・・*****やっぱり、寒いを「さぶい」というのは、関西だけではなかったのだ!!嗚呼、方言って楽しい♪それにしても、いつまでもさぶいですね。:::::::::::::::::::■目をつぶる→目をつむる。■方言周圏論 ほうげんしゅうけんろん 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★4月26日*父の麦わら帽子・余滴:葉桜の下 * UP
2006.04.27
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「四月一日」さんって「わたぬき」さんって読むんだって。今日、友人にメールをしたら、「ほんと(゚∇゚ ;)!?今日は、エイプリルフールだけど・・・」だって( ̄▽ ̄) これは、本当です。四月一日には、綿入れの着物から袷(あわせ)に衣替えするからだとか。もっとも、ここでいう、四月一日は、現在の暦の30日以上後。今日も花冷え。綿の入った布団をかけた、こたつが離せない。写真は、「ちゃんちゃんこ」。*****さくら・さくら*****万葉人の愛でたるは梅桃杏かぐはしき花は桜となりしより人の命も散りやまず 如月 佳 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月31日*なにか、ひとつ新しいもの・・・。 * UP
2006.04.01
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2月14日を女性から好きな人にチョコレートを贈る日「バレンタインデー」にしよう。そしてその一ヶ月後の3月14日を「ホワイトデー」とし、チョコレートをもらった男性が、お返しにお菓子を贈る日にしよう。そんな菓子屋、越後屋の悪巧みにまんまと乗ってしまった、日本人。( ̄m ̄*)ところで、私の記憶が確かなら、「ホワイトデー」のお返しのお菓子って、*マシュマロ*だ!!**マシュマロ**マシュマロとは、ゼラチン・卵白・砂糖などを混ぜて作られた弾力のある洋菓子。マシュマロは、植物「ウスベニタチアオイ」の英語名「marsh mallow(マーシュマロウ)」が語源で、マーシュマロウは「沼地の葵」という意味。マシューマロウの樹液に卵白や砂糖を混ぜたものを「マシュマロ」と言ったが、19世紀頃に現在のゼラチンを使う作り方に改良され、「マシュマロ」という名前だけが残った。マーシュマロウの成分には喉や胃腸の炎症をを抑える効果があるため、お菓子のマシュマロが作られる以前から、咳止め用トローチの原料などにも使われており、薬用植物としては古代から用いられていた。「へえ~~!!」「バレンタインデー」が普及する前に結婚してしまった私は、この国民的イベントに参加したことがないのですが、今の若いオンナのこたちが、マシュマロで満足するのだろうかと気になる今日この頃。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月13日*トウがたつ。* UP
2006.03.14
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岡山の古い言葉で雑炊のことを「おみい」という。三重県でもいうらしい。朝の連続ドラマでもいってたもん。・・・・・・・・・・・・・雑炊は古くからある。足利家は七草粥をせず、七草の雑炊を「御みそうづ」といっていた。御みそうづとは女房詞(ことば)。幕末末には京坂では、男女とも雑炊。江戸では男女ともに「おじや」という。このおじやも女房詞だろう。「江戸あじわい図譜」・・・・・・・・・・・・・「おみい」は「御みそうづ」が変化したものだ。間違いない!!::::::::::::::::::■世界一大きいかも知れないウサギ■【ウサギを虐待するような奴らは、こういうウサギに押しつぶされればいい。】 by hasep先生*ウサギの虐殺関連でこんな↑のがありました。そうだ、そうだ。それにしても、大きなウサギ!!(゜ロ゜*) 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2月21日*お粥(かい)さん* UP
2006.02.21
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さぶっ、寒(さぶ)い~。ぶるぶる。5日、雪が降った。昨日、6日も雪。立春も過ぎたというのに、寒い日は続きます。二月は春は名のみ、まだまだ寒い。そこで、衣を重ねて着るというところから出た言葉だといいます。「衣更着」、「更衣」などと書くようになったとか。へえ~、へえ~!!!・・・・・・・寒いけど、「節分」、「立春」、など季節の中で大切な季節。今のうちに好きなセーターを着ておこう。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2月7日*貧乏人は餅を、金持ちは芋を・・・* UP
2006.02.07
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さぶ~!!「今年の冬は、さぶいでんな」って、いつの時代や( ̄m ̄*)寒いことを関西の年寄りは「さぶい」と言います。+++「お宮参り」の古い言い方を「ヒボツケ」と言う。「ヒボツケ」は「紐つけ」に通じる。+++もうひとつ、「ほっかぶり」と「頬かむり」。「ほっかぶり」と「ほっかむり」・・・。「さぶい」と「さむい」、「ヒボツケ」と「ヒモツケ」。これらに共通するのは、「バ行」が「マ行」に変わったということ。うーむ・・・謎だ・・・。これは、調べなくてはなりません。どなたか、ご存知の方、教えてください。m(_ _)m 人気blogランキングへ ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2月2日* 年越しのお化け* UP
2006.02.02
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祖母が「あめこんこ、降ってきた」とよく孫に言った。私は、雨が遠い空からこんこん降ってくるような気がしていた。明治時代に出来た文部省唱歌の中に、「雪やこんこ、あられやこんこ・・・」と歌いだす「雪」という歌がある。この「こんこ」と語源は一緒だろう。小林一茶の連句を読んでいたら、「霰(あられ)来よ来よ山の連歌日」というのがあった。「雪やこんこ」というのは「雪は来ん来ん」だが、気分は「雪よ来よ来よ」だろう。「雨こんこ」というのは、雨を喜ぶ言葉なのである。「雨の名前」高橋順子・・・・・・・・・・へえ~!!「雪やこんこ」は、雪よ来よ、来よという意味だったのか・・・。+++「スーパーはくと」に乗って、雪の降る日本海を見てきました。車中で吹雪く雪をうっとりと眺めていました。昔はよく降った雪が、ここ数年なかった三朝温泉でも、今年は雪が多かったとか。観光客には、雪もいいけれど、地元の人には多すぎる雪は困るのだろうな・・・。::::::::::::::::::::♪ピンポンパンポン~ ピンポンパンポン~・・・。毎度ご贔屓にあずかしまして御礼申し上げます。199999、200000、200001、200002番。をお踏みのお客さま、お近くの掲示板、コメントでお知らせくださいませ。m(_ _)m 人気blogランキングへ ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月16日*父の麦わら帽子:片翼の鳥* UP
2006.01.19
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松竹梅、鶴亀は、目出度いものの代表選手。*ナンテン*も正月の花には、無くてはならない目出度いもの。うちの重箱(拾った)は、ナンテンの絵が描いてあります。枝をクネクネと図案化しているので、「アールヌーボーの重箱」と私は密かによんでいます( ̄▽ ̄) 黒地に緑の枝と葉っぱ、それに赤い実がのそれは、作られた当時は、さぞ綺麗だっただろうなと思います。++昔のトイレの横には必ずあったナンテン。もちろん、岡山の家にもあります。さて、ナンテンは、なぜ、目出度いのか・・・。「難を天に帰すから」と母はよく言っていました。父や母の世代は、ナンテンのことを「ナルテン」とも言っていましたが、これは、「成天」。つまり、成就することに繋がります。ナンテンの枝は飾ったし、ナンテンの重箱にお節料理も入れたのに、正月そうそう、PCの調子が・・・。今は、なんとか繋がっているものの、いつプッツンするやら(ノД`)どうか、私のPCの難を天に。( ̄人 ̄)**ナンテン**ナンテン(南天)は不浄を清めるということで,お手洗いの外に植えてあったりします。また,料理の飾りに南天の葉をあしらったり,ナンテンの箸というのも食あたりを防ぎ,長寿を祈願するということで好まれるようです。 イラストは、雪ウサギ。実は真っ赤で,雪兎を作ったときの目に埋め込みました。もちろん,耳はナンテンの葉です。 人気blogランキングへ ・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月3日*風呂の松竹梅* UP
2006.01.03
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年の始めに見る夢を初夢といい、「一富士、二鷹、三茄子」と言われます。富士山と愛鷹(足高あしたか)山、それに茄子。富士山も愛鷹(足高あしたか)山も高い山。愛鷹(足高あしたか)山が鷹になったのは、語呂合わせから。では、なぜ、茄子が仲間に入ったのでしょう。それは元禄時代、駿河の茄子は非常に高値だったからだそうです。「へえ~!!」参照「民具の歳時記」 ●茄子は、「花が咲いたら必ず実がなる」ということで縁起がいい。私は、この方を信じています。●親指ほどの小さな茄子の漬物と箸置きに茄子をひとつ、用意しました。●初夢、まだ見ていません。●正月そうそう、PCの具合が悪く、アップできませんでした。今年も前途多難。(ノД`) 人気blogランキングへ ・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月2日*静かな元旦の朝* UP
2006.01.02
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今日は冬至。冬至とは24節気のひとつで、昼が最も短く、夜が長い日になります。太陽の光が弱まり、その日を堺に日照時間が長くなる事の節目として、古くから信仰や行事が行われたと伝えられています。昔から冬至の日に、カボチャ(なんきん)を食べると風邪をひかないいって食べる風習があります。本来カボチャは、夏野菜。冷蔵庫などがなかった時代、夏野菜を冬に食べられるということだけでも、ありがたいことだったのかも・・・。カボチャは、ポルトガル人によってカンボジア経由で持ち込まれました。よって、カンボジア→カンボジャ→カボチャとなったそうです。へええ~!!冷蔵庫を使わなくてもいいものを食べる。これも、◎えこ◎です。 人気blogランキングへ ・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★12月21日*「松迎え」* UP
2005.12.22
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関西では、モノに「お」と「さん」をつけます。豆は「お豆さん」、芋は「お芋さん」と言うように・・・。と言うわけで、「おくどさん」は、クド、風呂や、台所の竈(かまど)のこと。では、クドの語源はなにか・・・。クドのよしあしは、煙がいかにうまく流れるかで決まるのです。クドとは燻道(くんどう)。つまり、煙の通り道のことだと言われています。へえ~!!へえ~!!+++昔はクドは、たいていの場合、その家の人が作っていました。煮炊きをするクド、風呂のクド、炭焼きのクド・・・。そのために、適当は間隔で間引きされた山は、日の光が入ってカタクリやヤマユリなどが、自生していました。木を使うことで、里山が守られていたのです。人気blogランキングへえ~! ・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★11月18日*「小さな村の小さな家」・・・クドを直す*UP
2005.11.18
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と言うわけで(←どんなわけや)、オッチャン(続柄・夫)と二人で、伊賀上野に行くことに・・。私達は、普段ほとんど、一緒に行動しない。家に帰っても、夫は、2階の自分の部屋に、私は、1階の自分の部屋にいる。夫はテレビも、ドラマは見ない。だから、家から伊賀上野までの、2時間が苦痛。これが、友人とだったら、話がはずみまくりなのに・・・。そんな、気持ちを関西弁で「ずつない」、「づつない」、「気ずつない」と言う。「いやー、社長とふたりで、いくん?そりゃ、づつないわ」とか「初めての行く店は、やっぱり、気ずつないからなぁ」というような感じ。また、もらい物をした時にも使う。「いやー、こんなにしてもろて、気ずつないわ。」(こんなにして、いただいて気を使いますわ。おほほ」みたいな感じ)ところが、この「ずつない」は、岡山でも使っていた。こちらは、「おなかがいっぱいになって、気分が悪い」といった風に使っていた。「ずつない」の語源は「術なし」に遡れるという。『大阪弁おもしろ草子』なるほど、術ないし→じゅつない→ずつない・・・か。環境問題のサイトと言いながら、環境問題のことを書いていないのが「ずつない」私。(ノД`) 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★11月11日*日本昔話*UP
2005.11.12
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パリの住民は、だいたい、自分の職場や家の近くに行きつけのカフェをもっているそうです。まあ、気分としては、行きつけの飲み屋やあるというのに近いのかも知れません。ところで、玉村豊男さんの「パリのカフェを作った人々」によりますと、今のパリのカフェのスタイルの原形を作ったのは、*オーベルニュ*人だそうです。へえー!!オーベルニュ人はもともとパリで炭屋をやっていたのですが、やがて商売熱心な彼らはワイン屋を兼業するようになり、さらに店の中でワインを一杯ひっかけるスペースを作ることを思いついたわけです。それがやがてコーヒーも出すようになり、今のカフェの原形が出来たのだそうです。へえー!!へえー!!「ぼくの伯父さんの喫茶店入門」沼田元氣・・・・・・・・・・・・・・・物思ひ コーヒーの渦 ぐるぐると 秋茶**オーベルニュ**フランスの地方の名前。●今週は読書週間なので、本にまつわる話。(^-^*) 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★10月26日*:父の麦わら帽子:父の残した薪*UP
2005.10.29
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一般に運動会が普及するのは文部大臣についた森有礼が体育による集団訓練を推奨したからのことだそうです。日露戦争ののち、全国にひろまったのは、近代になってはじめて経験した対外国戦に際して、戦意高揚の意味合いがあったようです。当初は河原や空き地などを利用する例も少なくなかったのですが、(へー!)1900(明治33)年、にグランドの設置が義務づけられてからは、学校を単位とする秋恒例の行事として定着するようになりました。「運動会」のありかたも変わってきました。純粋に競技を展開するだけでなく、地域の人々を応援団にまきこみつつ、レクレーションという意味合いが加えられのです。ここに日本独自の秋を象徴する学校行事である「運動会」が定型化されました。元来は神事であった綱引きが、運動会の種目になったのも同じ文脈で説明できるかも知れません。綱引きは、正月や盆の行事として古くから親しまれ、男女が綱を引き合うことから、豊穣を祈る呪術的な意味合いがあったと言います。へえー!へえー!もっともアジアの諸民族も同様の行事を持ち、また近代オリンピックでも第2回パリ大会以降、第7回大会まで正式種目となっています。へえー!へー!!!宗教儀礼と近代スポーツが融合、教育の場である学校にあって、独自の形で今日に残ったというわけです。***絵はがき漫遊参照***++ 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★10月11日*運動会デビュー:おもちゃとり *UP
2005.10.12
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猫を飼っている人はいませんか?よーく観察してみてください。猫が寝そべっている場所、それが、あなたの家で一番快適な場所なのです。寒いときには暖かく、暑いときには、一番風通しのいいところを選んでいるはず。+++イエネコは、もともと、アフリカ産。だから、寒さは大の苦手。冬の猫は、完全な球になってからだの表面積を最少にして眠る。だからといって、夏が大好きというわけではない。夏は夏で、ベロリと伸びて舌を出しながら寝ている。それで、ちゃんと、一番、寝心地のいい場所を選ぶ。「宝島生活暦」より・・・・・・・・・・・・・・・・若泉さな絵さんの日記のファンです。今日の日記の「ねこのいる場所」というイラストを見て、以前、読んだ文を思い出しました。うちには、猫がいないけど、猫のいる風景っていいな♪寒くても暖房を使わないし、暑くても自分で涼しい場所を探す・・・。えらいぞ、猫!! 人気blogランキングへ ●○今日の健康○●●歯医者・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★8月9*「くわばら、くわばら」*UP
2005.08.09
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★日本最初の四畳半は、どこか?室町幕府の八代将軍、足利義正が建てた、銀閣寺が最初だそうです。★なぜ、義正は、四畳半を建てたか?義正の祖父、三代将軍義満は、金閣寺をはじめ、多くの建造物を作りました。今でいうところの、公共事業?でハコモノをバンバン建てたのです。 ↓そこで、材木が枯渇しました。 ↓少なくなった材木を生かすために、製材をして、薄く、細い柱を作る。 ↓細い材木だと、材木と材木の間を狭くしなければなりません。 ↓柱と柱の間が狭くなる→小さい部屋が出来る。というわけで、銀閣寺に日本初の四畳半が出来たのです。へぇ~、へぇ~!!!京都もうひとつの歴史+++銀閣寺のかげに、金閣寺あり!!四畳半の影に、森林伐採、環境問題あり!! いやー、しかし、銀閣寺と環境問題ってほんと、ビックリ!!へぇ~!です( ̄▽ ̄) ●現代社会とかけ離れていながら、なぜか懐かしく、日本人であることが誇らしく思える街、京都。せわしなく過ぎ行く日常に、揺るぎなくたたずむ街京都。(朝日新聞)今度の土曜日は、そんな京都に行きます♪●写真は近所の神社の鳥居。 人気blogランキングへ ■□■テレビしびれて■□■★二十四の瞳・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★8月3日*ひのつじ*UP
2005.08.03
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♪まる たけ えびす に おし おいけ あね さん ろっかく たこ にしき~(後は、知らんえ( ̄▽ ̄) )京都の通りの名前を歌った通り名唄。丸太町通竹屋町通夷川通二条通押小路通御池通姉小路通三条通六角通蛸薬師通錦小路通・・・通の頭文字で、順番に東西の通が読み込まれています。+++八月第6日(一土曜日)から、関東に引っ越した友人が、半年ぶりに、遊びに来ます。「一緒に、京都に行こう!」と誘ったものの、夏に京都に行ったことがありません。どこに行こうと迷ってますが、夏の京都、暑そう。川床は、涼しいっていうけど、高いだろうな・・・。どなたか、ここ、いいよ♪っていうとこ、是非、教えて下さいm(_ _)m人気blogランキングへ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★27日*トリビアの井戸:土用丑(うし)の日にウナギを食べるわけ。 *UP
2005.07.27
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大阪の名物といえば、お好み焼きとたこ焼き。それしか、誇れるもんがないんか(ノД`)昨日の「たかじん胸いっぱい」では、たこ焼きのトリビアがいっぱい。+++★大阪のたこ焼き屋は、コンビニより多い。粉もん協会調べにおると、3000軒以上あり、コンビニよりも多いそうです。粉もん協会って、いかにも、大阪。_| ̄|○ ★大阪人の9割以上がたこやき器を持っている。1000人中、928人が持っている!!わが家には、ないのですが、ひとり暮らしの娘、レイは持ってます( ̄▽ ̄) ★たこやき返しは、畳を作る道具だった!!大阪の「道具屋筋」で、普通に「たこ焼き返し」と言って売ってる、キリのような道具。あれは、実は、畳の表のへりを返すものだそうだ。★たこ焼きにも地域によって差がある。一番ビックリしたのが、京都のたこ焼きは、キャベツが入っているということ。関西だけでも、大阪風、明石焼き、京都風、そして、淡路島風がある。大阪風・・・タコとてんかすのみ明石焼き・・・ふっくらして、つゆにつけて食べる。京都風・・・中にキャベツが入っている。淡路風・・・中にタマネギが入っている。 淡路はタマネギの産地。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大阪では、なべパーティの次にたこ焼きパーティが人気。大阪のたこ焼き、恐るべし!!夫が留守で、お好み焼きを主食にしています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・●「大阪しぐれ」は私が大阪で見たり聞いたりして「へぇ~」なことや「(^▽^)」なことを書いています。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★24日*買い物かご*UP
2005.07.24
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柳田国男は「妖怪談義」の中で妖怪と幽霊のちがいにふれているが、そのちがいの一つに出現する時間があった。幽霊は「丑みつの鐘が陰にこもって響く頃」に現れるのに対し、妖怪は「宵と暁の薄明かり」の中に現れるのである。「宵と暁の薄明かり」とは昼と夜のはざまの時間であるが、柳田はことに夕暮れに注目し全国各地で夕暮れをなんと呼んでいるかをとりあげ、その背後にある日本人の妖怪に対する心意をさぐろうとした。夕暮れを「カワタレ」、「タソガレ」というのは、「彼は誰」、「誰ぞ彼」ということであり、そこに夕暮の薄暗い中で人の顔がはっきりしないことに対する不安がある。「日本の民俗学6時間の民俗」<雄山閣>・・・・・・・・・・・・人生のタソガレ時を迎えた、天地 はるなです。これからの人生には、灯りが必要ですが、黄昏の闇がはじまる頃の弱い明かりっていいな。月や星の明かりも、蛍の光も、闇が深ければ深いほど、いとおかし。というわけで、あなたも、「100万人のキャンドルナイト」で夜の闇を楽しんでみませんか。◎地球を救う127の方法・エネルギー◎37.野外や使わない部屋の照明は、必要な時間以外消す。 *自動消灯スイッチ(ヨーロッパによくある、数分後にOFFになるもの)を普及させる。●○今日の健康○●●眼科・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★6月19日*父の麦わら帽子:特別な日*UP
2005.06.19
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裏庭の枇杷の実がたわわに実のっている。枇杷の木、これは、私の夢の家に持っていく。家の前と後ろに庭がある私の夢の家。裏庭(バックヤード)は、果物や野菜、ハーブの庭。そこに枇杷を植えよう。*クチナシ*を植えなきゃ。梅雨の時期、真っ白な花が咲くクチナシ。かおりがいいし、きれいだから、これは、前の庭に植えよう。花嫁の持つブーケにしたらいかも。花言葉が「とても幸せです」だもん♪と夢というか、妄想は限りなくふくらんでいく。でも、クチナシって、ただきれいだけじゃないんですって。昔は、薬や染料に使われていて高価なものだったそうな。植物は、いろんな力を持っているね。ただ、私たちが知らないだけ・・・。**クチナシ**濃厚な甘い香りが梅雨に漂う。だが古代の人々の関心は香りではなかった。司馬遷は「史記」の「貨殖列伝」で、千石の実は千戸の領主に等適すると述べる。薬や黄色い染料に使われた。和名は果実にある突起を嘴(くちばし)に見た、クチハシからの転訛(てんか)か。<朝日新聞の切り抜きより>@@@おまけ@@@♪いまでは指輪も 回るほどやせてやつれた お前のうわさくちなしの花の 花のかおりが旅路のはてまで ついてくるくちなしの白い花おまえのような花だった■□■テレビしびれて■□■★英語でしゃべらナイト・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★6月14日*傘が無い*UP
2005.06.14
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尾道は坂の町。石垣が多く見られる町。なにを隠そう、この私は、石垣オタク。4月に尾道の桜を見に行った時に、見た石垣の数々を、うっとりと眺めていました。その中に奇妙な石垣が…。石の間に焼き物の瓶(かめ)とおぼしきものが沢山混じっている。「これ、なんやろ??」と私と友人は、推理し始めた。「農薬を入れていた瓶かな。」なんて言ってると「その瓶は、酢が入っていたんです。」と後ろから声がした。振り向くと、紳士が立っていた。「えっ、酢ですか?!(゚∇゚ )」と私たち。「そうです。尾道は酢の町なんです」とその紳士。紳士の話は続く。戦争の時、こちらに船で逃れて来た人いました。船に積んでいた米は、波をかぶって濡れたので貯蔵できなくなりました。そこで、酒や酢を作ったのです。尾道は海に近く、作った酢を船で各地に運ぶことができます。船で各地の酢の材料を買うこともできます。そうして、尾道は酢の町になったのです。へぇ~!へぇ~!!(゚∇゚ ;)と私と友人。「ところで、戦争って太平洋戦争の時ですか?」と私。「いえいえ、徳川との戦です。」へぇ~、へぇ~!!(゚∇゚ ;)ビックリする私たち。紳士は、いずこともなく去って行きました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月14日*雨の名前:万物生(ばんぶつしょう)*UP
2005.05.16
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テレビ「義経」を見ていたら、平の清盛が亡くなりました(-人-)死ぬ間際に、彼のお気に入りの場所「蓬(よもぎ)の壷」でヨモギ畑をうっとりと眺めながら言ってました。「ここは、気持ちが落ち着く。」先週も、「ヨモギは美しいのう」なんて言ってましたから、よっぽどお気に入りとみた。このヨモギは、薬草として育てていたのかしら。それとも観賞用?昔は、今よりも利用価値が高かったので野に生えているのだけでは足らずに栽培していたのかな。雑草というより、ハーブみたいなものだったのかも。++ところで「蓬の壷」というのは、*坪庭*のこと。庭が大好きな私。中でも、坪庭は、大好き。家の裏の小さな庭を坪庭にしようかとマジで考えたり、ひとり暮らしをするなら坪庭のある平屋でと勝手に妄想を逞しくしています。坪庭ってよく聞くけど、その語源は・・・。私は、一坪か二坪の小さな庭のことを坪庭っていうのかと思っていました。ところが、「坪庭のすすめ」を読んでビックリ!!窄(つぼ)庭が語源とか。窄(つぼ)むとは、傘をつぼめるなどのように使う。花のつぼみもつぼむが語源か?「壷庭」と書くのも、壷の中のように周りが囲まれたという意味かも。清盛はヨモギを愛したから「蓬壷」を作ったけれど、御所には、藤が植わっている「藤壺」、桐が植わっている「桐壺」などがあるそうです。また、梅や竹も坪庭の定番植物だけど、私は椿がいいな。嗚呼、坪庭が欲しい!!**坪庭**坪庭とは、建物と建物との間や、敷地の一部にあり、塀や垣根で囲まれた、あまり大きくない庭のこと。建物の内部に、光や風を採り入れるためにつくられる。古くは町屋造りにおける主屋と離れのとの間にある庭園を指した。↑が坪庭の一般的は概念かな。●現代の集合住宅にも、京町屋の坪庭の知恵が生かされています。■テレビしびれて■□■★「素適な宇宙船地球号」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月7日*江戸っ子の心意気:初かつお*UP
2005.05.09
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歌舞伎には、独特の色がある。まず劇場にはいって、引き幕を見ると、萌黄(もえぎ)と黒と柿色の3色の布をつぎ合わせたもので、*「定式幕(じょうしきまく)」*と呼ばれているのがこれだ。江戸の芝居の創始者である初代猿若勘三郎が、幕府の安宅丸(あたかまる)という舟を隅田川に曳航する時へさきに立って音頭をとったのを記念して、その帆布に似せた幕を用いることにしたのだという伝説がある。幕ではもうひとつ、その引き幕を開けたあと、浅黄幕(あさぎまく)というものがあって、舞台装置を隠しておく場合がある。それを一瞬に切っておとすと、華やかな景色が忽然と目の前に現れるという効果を考えて、こしらえた幕である。定式幕の萌黄色はグリーン系の色、浅黄はコバルト系の色だが、こと歌舞伎に関する限り、色の名称は純粋の日本語で呼んでいた。(略)「東洋インキニュースNO.~50歌舞伎の色~」戸板康二**定式幕【じょうしきまく】**孫のちゅん(2)が、私に絵本を見せながら「ダイダイ!」と言う。「??」と思っていたら、次に「キイロ!」と指差す。ああ、色がわかるようになったのね。それにしても、「オレンジ」と言わずに「ダイダイ」とは、古風( ̄m ̄*)と思っていたら、散歩中に見つけた、花は「ピンク!」と言ってた。( ̄▽ ̄) 私の子ども時代は、橙色、桃色、深緑、黄土色、藍色、エビ茶色、卵色・・・など色の名前は純日本語でした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★4月28日*摘み草*スカンポとスイバ*UP
2005.04.30
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昔、醍醐天皇が空を飛んでいたサギに勅命(ちょくめい=天皇の命令)をくだした。命を受けたサギは舞い降りてきた。それをたたえ、天皇はサギに「五位」の位を与えた。++以来、そのサギは、*ゴイサギ*と呼ばれたそうです。へぇ~、へぇ~!!京都御所の周りの公園は、水と緑がいっぱい。いろんな鳥がいるという。ゴイサギもいるらしい。ゴイサギの名前の由来が書いてありました。こどもの頃、ギャーギャーとうるさく言っていたので父に「ゴイサギ」というあだ名をもらいました( ̄▽ ̄) *---*---*---* **ゴイサギ**●○今日の健康○●●歯医者・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★4月10日*桜花*UP
2005.04.22
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大阪のからほり地区に行った時、偶然通りかかった老人から聞いた話です。「それ、あそこの通りな、あの通りが『御祓筋(おはらいすじ)』や」と老人が言いました。昔、彼岸になると京都から、公家たちが、四天王寺にお参りに行ったそうです。その時の通り道が「お祓い筋」。町の人たちは、道を「はらい」、きれいにして公家の通るのを待ったそうです。おはらい筋の名前はそこから来たそうです。へぇ~!!今日から彼岸の入り。地名といえば、「南セントレア市」。センスのない地名に住民が怒り、ご破算に。これは、ブログの力が大きかったのではと思うのですが・・・。この影響で「太平洋市」も名前を変えることに。「南アルプス市」も、おかしいな・・・。バカ名がいっぱい(ノД‘)■バカ市名ナンバーワンの記録を樹立した幻の「南セントレア市」まとめサイト■・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★3月14日*雨の名前:春雨*UP
2005.03.17
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第9回「義経誕生」密かに鞍馬山を降りた遮那王(滝沢秀明)は、吉次(市川左團次)らと一路奥州を目指していた。やがて尾張の国にたどり着いた遮那王。尾張の地で父・義朝が最期を迎えたと知った遮那王は、この地で自ら元服することを決める。弁慶らに見守られながら、元服の儀式を執り行った遮那王は名前を「源九郎義経(みなもとのくろうよしつね)」と名を改める。・・・・・・・・・・・・・・・牛若丸から遮那王へ、そして「九郎義経」へ。父・義朝(よしとも)の9番目の子どもということで九郎「義経」の「義」は、源氏に代々伝わる字は源氏に代々伝わる漢字。そして「義経」の「経」とは、鞍馬山でお経をあげて暮したからとか。へぇ~~へえ~!!ところで3月7日は陰暦一月二十七日は、「實朝忌(さねともき)」。実朝は、義経の甥なんですね。へぇ~!!■□■テレビしびれて■□■★ザ鉄腕ダッシュ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★3月1日*流し雛*UP
2005.03.07
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♪商売繁盛で笹もって来いと賑やかな十日戎(とおかえびす)。なにかをどんどん叩く音と「たのんまっせ!」の大合唱が聞こえてきます。これは耳が遠いといわれるえべっさん独特のお参りの仕方で、まず本殿で手を合わせて「商売繁盛、よろしゅう頼んます」とお願いした後、裏へ廻ってかかっている金属の大きな板をバンバン叩き、「わかってまんな!商売繁盛でっせ!」と念押ししているんだとか。へぇ~!また、十日戎の前の日の九日を「宵戎(よいえびす)」、後の十一日を「残り福」というのは、神仏を「迎える、祀る、送る」ということですね。へぇ~!へぇ~!へぇ~!!!ちなみにえべっさんの耳が遠くなったのは、商人たちが勝手な願い事ばかりするからだといわれています。へぇ~!へぇ~!!商売繁盛笹もってこい!えべっさんガイド・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★1月7日*七草・菜を叩く* UP
2005.01.10
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みなさん、明けましておめでとうございます。今年はトリ年にちなみ、まず「トリビア」から。さて、今日は一日。正月の三が日の初めです。では、なぜ、正月は三が日なのでしょうか。一日でも二日でも、五日でもいいのに・・・。それは、この行事が祈りと関係しています。へぇ~!!かつて正月は、神仏と深く関わりのある行事でした。そこで、最初の一日は、神仏を迎えるために、二日目は、祀るためにそして三日目は送るためといわれています。へぇ~!!へぇ~!!これは、お盆も同じですね。迎え火を焚く14日、祀る15日、そして送る16日となっていますから。大晦日が特別な日なのは、「神仏を迎える日」だからかも知れませんね。というわけで、今年最初のトリビア、合点していただけましたでしょうか?ガッテン、ガッテン、ガッテン!!!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪ピンポンパンポン~、ピンポンパンポン~。本日もご来店いただきありがとうございます。当店は、年末年始、休まず営業いたしております。なお、今年はトリ年ということで、トリに関する商品をトリ揃えて営業の予定です。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。m(_ _)m♪ピンポンパンポン~、ピンポンパンポン~。■□■テレビしびれて■□■★紅白歌合戦 *SMAPはなぜ、でなかったのか。*・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★12月22日*松迎え* UP
2005.01.01
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先日、妹が母と姪を連れて来ました。孫のちゅん太が来るのに合わせてきてくれたのです。妹たちがくると、ちゅんは、母に相手をしてもらったり、妹にだっこしてもらったり、姪にからかわれたりとあちこち引っ張りだこ。「ちゅんは、『まわしこ』におうて・・・」と母が笑います。このようにあっちに行ったりこっちに来たりとからかわれる様子を岡山の古い言葉で「まわしこにあう」といいます。「まわしこ」とは、あちらに、こちらにと回すから「まわしこ」というと思っていた。が、最近、もうひとつ、思うことがあります。それは、「まわしこ」は、「ましこ」の変形ではないかということ。「ましこ」とは、猿の古い言い方で「ましら」の変形。ましこ(猿)をからかうように・・・といういみではないかな・・・。うう~ん、悩んでいるうちに、あと少しで「さる年」も終わりです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★12月22日*松迎え* UP
2004.12.28
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先日の私の日記に出てきた「てしょう」という言葉に、「どうして、『おてしょう』っていうんでしょうね?」とはなびらさんが反応。はい、日記のネタにもーらッた。「てしょう」とは、小皿のこと。この写真の上のレモンが乗っているのが、紅茶のお皿。下の二つが「てしょう」と呼ばれる皿です。紅茶のお皿が直径、15センチに対して、右の緑のてしょうは11.2センチ、左の青のてしょうが12センチ。西洋のお皿で、一番小さいと思われる、紅茶のお皿より、さらに小さいのです。なぜ、小さい皿を「てしょう」というのか。それは、かつて、食事の時、この皿に、塩を入れて手元におき、食べたからなんですねぇ~。手元に、調味料の塩を入れておくための皿→「手塩」→「てしょう」となったのです。へぇ~、へぇ~!!ちなみに、右の緑のてしょうの模様は、松竹梅、真中に鶴。左の青いてしょうは、松林に網、そして千鳥。他にも、てしょうはあるのですが、来年は「とり年」ですから( ̄▽ ̄) ←塩をストック♪◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★11月30日*七月の投げ座り* UP
2004.12.02
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